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【木刀】宮本武蔵を語る【サイコー!】

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/16(金) 21:54:41ID:gKVvU8HE
語りましょう!
0428人間七七四年2011/05/08(日) 04:56:23.81ID:FPwoWLMG
小倉碑文はよく身内評価だと言われるが、伊織は大名家の家老でちゃんとした身分の人だから、下手な事は書けない
だからむしろ信憑性が高いという見地もある
まあ武蔵の事績はいおりがいたから残ったともいえるね
0429人間七七四年2011/05/09(月) 23:15:14.87ID:G9OV9Ngs
伊織は武蔵とは別に鵜の真似とかで神格化して取り上げられるくらいに当時知名度あったしね。
播磨ではそこそこの家柄だったとはいえ、忠真の近習として召しだされて、最終的に四千石を超える小笠原家筆頭家老だし。
考えるとものすごい出世だ。

小倉碑文は身びいきの誇張とかが多くて信用できないっていう人もいるが、そもそも顕彰碑なんだから内容の誇張は当たり前ではあるな。
0430人間七七四年2011/05/10(火) 02:50:20.48ID:gfJBDLmc
そもそもそれ言い出したら、筆者の主観が介入しない書き物なんてありえないからね
何も参考にしないで勝手に書いたのか、事実に則って書いたのかの違いはあるが
碑文が建ったのが武蔵没後十年以内だから、当時を知っている人もいただろうし、伊織も全くのデタラメや試合結果の捏造は書きにくかったんじゃないかなー
ともあれ、伊織が「公人」であるという事が、信憑性の確かさにつながっているよね
0431人間七七四年2011/05/11(水) 01:30:51.59ID:k/XMQSE6
武蔵作州出身説の人間は伊織はうそつきとか間違いが多いってことになってるらしいけどなw
泊神社の奉納額で新免無二が天正年間に死んでることになってるとか。
新免を神免にしているとか。

いずれ言いがかりレベルだけど。
0432人間七七四年2011/05/11(水) 01:39:11.26ID:k/XMQSE6
訂正。武蔵作州出身説の人間の間では、伊織はうそつきとか間違いが多くて信用ができないってことになってる、だった。
推敲しないと文章おかしくなるな。

新免無二が天正年間に死んだことになってるのに、宮本無二之助や新免無二斎などは慶長年間に伝書だしたり巌流島の決闘のエピソードに名前が出るのは確かなので、ここらはどう考えるのかはちょっと問題だったりする。
0433人間七七四年2011/05/15(日) 20:03:56.74ID:cfitLK/F
武蔵の顔ってどんな顔してたんだろうね
0434人間七七四年2011/05/17(火) 07:43:47.16ID:ReZ3ay1/
ゴリラみたいな顔じゃね
0435人間七七四年2011/05/17(火) 13:08:58.85ID:sC0eOc2B
「朝鍛夕錬」を五輪の書でも強調してるから
生涯を通じて相当修行していたことは間違いない。
0436人間七七四年2011/05/17(火) 20:18:02.69ID:ReZ3ay1/
うちの剣道の師匠七段にもし武蔵と殺りあったら勝てます?
って聞いたら勝てないだろうね
だってさ
0437人間七七四年2011/05/18(水) 00:46:02.52ID:UMPYXRvJ
剣道ルールなら普通に勝てるべ
0438人間七七四年2011/05/18(水) 09:32:52.80ID:vTf2TlhR
剣道は剣術から遠ざかって全く別物のスポーツになってるからね。
0439人間七七四年2011/05/18(水) 11:09:52.93ID:55BZyqRZ
そら剣に命をかけたことがない奴が
弱ければ死ぬという世界で生きてきた奴に勝てるわけがない
プロの殺し屋と素人がやってどっちが勝つか?つー話だろ
0440人間七七四年2011/05/18(水) 11:17:43.00ID:vTf2TlhR
それに武蔵は身長182センチ以上で頑強な肉体で
片手で軽々と刀を振り回せる怪力の持ち主。

当時でもバケモノ的存在だっただろう。
0441人間七七四年2011/05/18(水) 18:43:03.14ID:dLTbgLQ/
182以上?
0442人間七七四年2011/05/18(水) 23:28:34.79ID:0zzxxNL9
人を殺したこともない自衛隊員チームと人を殺めたこともあるヤクザ屋さんチームに
鉄砲や銃剣を持たせて本気で殺し合いをさせれば、自衛隊員チームが勝つだろう。
0443人間七七四年2011/05/18(水) 23:45:00.89ID:UMPYXRvJ
『剣に命をかけたことがない奴』が剣道七段取れるわけがあるかww
0444人間七七四年2011/05/19(木) 02:07:48.66ID:g7E1M+Ru
武道に深く携わった人ほど先人を敬うものだよ
0445人間七七四年2011/05/19(木) 09:43:04.33ID:iMPTc6r6
>>441
ググレ
0446人間七七四年2011/05/19(木) 15:38:56.33ID:nAB+dpv5
剣道七段はその道ではほとんど最高位、八段は特別な試験を経て取得(昔NHKで特集で観たことがある)
「一の太刀」のような必殺の一撃を繰り出せるかどうかがその判定方法なんだそうだが、
おもしろかったよ
・・・・剣道七段、で横道にそれてしまった。
0447人間七七四年2011/05/21(土) 17:44:08.61ID:UmiB4Fju
間違って日本刀で刺されちまったんだがやっぱ痛いわ
0448人間七七四年2011/07/25(月) 03:19:46.68ID:n01ymiiu
>>291
訓練が大事としか書いてないよマジで
剣が異常に長いのは意味ないっていうのは小次郎のこといってるのかと思ってワクワクしたりした
0449人間七七四年2011/07/28(木) 00:14:04.82ID:5WF59N2y
伊織が嘘つきというより、伊織は武蔵のことを正確に知らなかったと考えたほうがよい。
0450人間七七四年2011/08/01(月) 19:43:04.94ID:pZByEFA5
吉岡家断絶がウソなので碑文の細部が皆インチキに見える。
0451人間七七四年2011/08/02(火) 13:30:46.45ID:oEMPfJH1
顕彰碑の内容なんて、事績については大仰に書くもんじゃないかね。
0452人間七七四年2011/08/07(日) 16:00:43.78ID:74IEwN16
武蔵とひと悶着起こした会派が断絶しただけかもしれん。
まあ、実際の所はわからんけど、どっちかと言えば吉岡伝のほうが信用ならん
0453人間七七四年2011/08/13(土) 12:25:20.63ID:pXgyzkPW
無理に勘ぐれば、染物屋やってる吉岡家が自分ところは剣術の吉岡家の親戚なんです…というのを主張したいから捏造したのかもしれん。
吉岡流が将軍家指南やってたのが本当なら、本家が無くなっても使える人間は結構いたかもな。
0454人間七七四年2011/08/31(水) 15:16:52.36ID:BIjySUYM
吉岡伝は全く信用できない。
けれども、後の時代まで吉岡一族の動向が他の史料でも確認できるので、
伊織が碑で述べてる完全に絶えたというのは誤り。


それとテレビや物書きが面白いから良く取り上げるが、
現在活躍中の染色家の吉岡氏は、
同じ吉岡姓で先祖の家業が染色であることから、可能性は0ではないが
一族に吉岡一門の子孫である言い伝えや系図などがある訳ではない。
0455人間七七四年2011/09/03(土) 02:25:38.65ID:LQyoNNxH
まあ吉岡伝は後世の資料集積本で、登場する武蔵の素性も他の剣豪も他のぱくりくさいし、よほど武蔵にくい人間でなければあれは真面目に採用せんだろうw

後世の吉岡流というと吉岡加兵衛だっけ?昔咄に名前が出てくる。
武蔵と戦ったという吉岡家との関係はよく解らんな。原文読んでないがそこら書いてるんだっけか。

顕彰碑という性格も考えて、武蔵が吉岡家と勝負して大勝したというのはありだとして、
だけど吉岡家が断絶したというよりも道場を構えるのをやめてしまった…
程度のことを大げさに書いたのかもな。

新免無二と宮本無二之助との関係も疑おうと思えば疑える。
自分の感触からすればおおまかに小倉碑文や泊神社の奉納額は信用していいんじゃないかな。
0456人間七七四年2011/09/04(日) 20:38:04.37ID:ibakDEDf
二階堂の流祖を恐れて戦わなかったって本当?
0457人間七七四年2011/09/05(月) 00:15:26.97ID:osEjCJbw
二階堂流の流祖は松山主水だが、武蔵が逃げたって逸話はその高弟の村上吉之丞だな。
いつ頃の話かは不明だが、主水が道場で教えはじめたのはwiki見たら寛永九年とある。
村上が二階堂流を学んだとするならこれ以降となる。
この頃の武蔵は明石に在住していて養子の伊織が近習として小笠原忠真に仕えてた。
寛永九年は武蔵四十九歳で、家督も伊織が継いでいたと考えるのが妥当なところだと思う。
実質隠居してたようなもんだから、仕官を求めて武蔵が細川家に来るというのは考えにくい。
あくまで逸話とした方がいいと思う。

村上の子孫は武蔵の孫弟子の新免弁助に学んで村上派二天一流を創始したという。
0458人間七七四年2011/09/05(月) 11:47:37.63ID:TFUv9SuN
うるせー武蔵!石ぶつけんぞコラ!
0459人間七七四年2011/09/05(月) 16:57:54.36ID:tzqK+Gf/
松山主水の説話は、ほとんど妖術の類。
戦う時に宙に浮いていたと記してある江戸時代の文献もある。
武蔵でなく柳生但馬が、あれは剣術でなく妖術と対戦しなかったという文献もある。
0460人間七七四年2011/09/05(月) 22:03:29.96ID:osEjCJbw
レベルが違いすぎる武術家のやってることは、時に魔法のように見えるもの…らしい。
関口柔心の子孫がそういうこと言ってるな。

しかし松山主水は妖術師めいているのだが、死に方はあっけなかった…。
0461人間七七四年2011/09/10(土) 21:54:34.00ID:nCUvf963
テレビ東京 美の巨人たち 
宮本武蔵『枯木鳴鵙図』
0462人間七七四年2011/10/24(月) 10:09:44.10ID://FvhRSJ
>武蔵でなく柳生但馬が、あれは剣術でなく妖術と対戦しなかったという文献もある。

文献もある、で済ますんじゃなくてその文献の名前も教えてくれよ。
0463人間七七四年2011/10/24(月) 22:19:04.21ID:PEdBWoch

中国温家宝首相は戦艦『武蔵』

http://2nd.geocities.jp/jmpx759/02/4/46_2.html

戦艦大和慰霊碑は、沈没場所とは程遠い、徳之島犬田布岬にある。
それには重大な理由がある。
島の名前が示すように、この島は、「徳川の島」だった。
鹿児島でも、「徳」の付く姓は多い。徳地、徳留、徳、久徳・・・・・。
私の知る限り、全て「御庭番」だった。
天皇一族が敵地に入植する時、必ず辺境地から攻める。
0464人間七七四年2011/10/26(水) 09:46:55.67ID:vAeNmQeE
>>462
ある流派の江戸期の伝書の一つ
活字にもなってない。
江戸中期以降のものだから、そういう伝説があったんだろう。
0465人間七七四年2011/10/27(木) 01:56:50.98ID:ctdhpCvN
>>464
せめて何流かだけでも教えて欲しいもんだぜ。

武蔵や但馬はビッグネームだけあって、あちこちの逸話に引き合いに出されるとかありそうなことではある。
0466人間七七四年2011/10/29(土) 15:57:45.48ID:WiyhpRYE
ありそうな話ではあるけど>>464みたいな書き方されると信じるべきかどうか困る。
もう少し手がかりというか詳細頼むよ。
0467人間七七四年2011/10/29(土) 17:24:23.47ID:Lhy8LVSB
>>466
464が眉唾とか脳内ソースかてのは別にして
流派の伝書の中身なんて口外したら破門らしいぜ。

ソースは、自称日置流印西派の爺さんに俺が言われたことだ。
0468人間七七四年2011/10/29(土) 18:21:31.03ID:QY9nWNgW
活字にすらなってないのが400年残ってる時点で嘘だ
明治後でも100年後に書かれた本はフィクションだらけ
リアルタイムを知らない人が書くんだからあたりまえだけど
0469人間七七四年2011/10/30(日) 06:53:00.98ID:ZS39PC24
>>467
古武術流派の伝書とか、昔は麩の裏あてとかに使われていたものだぜ…。
何せ当人以外にはなんら勝ちがないものだからな。一応先祖のものとして大切にしてる家もあったりするが。
最近はヤオフクのオークションなんかでよく出品されているよ。
先々月だったか、幕末で二刀流の達人のものと思しき伝書が売りに出されていると聞いた。
流派によるが五千円から十数万くらいまで上がることがあるよ。
0470人間七七四年2011/11/10(木) 20:47:24.77ID:MwgJN0rn
もし剣術家の吉岡が健在で、武蔵はそいつらにボロ負けして逃走したのが本当だとしたら、伊織が顕彰碑を建てた時に黙っていた筈がないと思うがな
碑文が建てられたのは武蔵が死んでから十年も経っていない頃。まだ当時の事件を知っている人間も多く居ただろう
吉岡勢の勝利を伝えるのは吉岡伝のみ。だから剣の吉岡は事実、何らかの形で敗れたか、それとも最初から存在していなかったのか、どっちかだろう
0471人間七七四年2011/11/11(金) 08:29:29.05ID:uBY9AD52
吉岡と武蔵の対決に関しては、どっちが勝ったの負けたの引き分けたのという話があって、どれが本当だかわからん。
吉岡伝以外にも武蔵が負けたと書いてるのはある。勿論、吉岡伝を元にして記述かもしれんが。
伊織はなんぼいうても小笠原家の筆頭家老で、仮にまるで大嘘だったにしても、京都で染物屋なり剣客なりしていたというのでは文句のつけられなかったかもしれんが。

ただ、吉岡家の人間が禁裏で大騒ぎやらかしたって話はあるから、武蔵によって吉岡家が断絶したってのはないと思う。
0472人間七七四年2011/11/15(火) 00:13:08.59ID:29/L6vY4
別に吉岡じゃなくても、伊織の書いた内容が大嘘だったら「あんなもん大嘘」って書いた文献か、もしくは事実を符合させるものが出てるはずで、こんな論争になってないよね
公人の書いたものだけに、事実に反した事書いてたら後世の我々にはすぐバレるよ。それこそ、吉岡は実は断絶していなかった、みたいにさ
まあ後の吉岡と武蔵の戦った吉岡が同じ家である保証もないのだが……仮に同じ筋であっても本家分家の関係かもしれんし
これだけ逸話がある以上は間違いなく何がしかの関係があったと思うけども
0473人間七七四年2011/11/15(火) 07:59:27.64ID:GF4X5l65
武蔵と吉岡の関係はどういうものであったにせよ、伊織が書き残すくらいだから何かあったんだろうね。
武蔵に敗れたという吉岡清十郎は吉岡直綱でない可能性は確かにある。
一族で剣術やってて、たまたま兄弟で強い吉岡が幾つもあったのかもしれん。
顕彰碑だから誇張はあるにしても、まったくの嘘であるとは考えにくい。

まあ伊織の遺した史料については泊神社のとか、こっちもなかなか難題だったりする。
天正年間に嗣子なくして死んだ新免無二と、慶長年間に伝書を発行している当理流の宮本無二之助。
そして細川家で慶長年間に剣術を教えていたという無二の関係とか。
綿谷雪先生は、考証武芸者列伝で無二が嗣子なくして死んだと書いてあることについて、伊織は武蔵のことをあまりよく知らなかったのではないかと書いている。
0474人間七七四年2011/11/16(水) 16:42:47.91ID:+11Y3x6n
筑前で天正年間に死んだ新免無二の後を継いで武蔵が新免を名乗ることになったのだとしたら、
宮本無二之助は武蔵と無関係の人物になるのだが、よく解らんな。
武蔵研究サイトでは、当理流の無二之助は後から捏造された人物ということにしている。
0475人間七七四年2011/11/17(木) 13:46:14.20ID:atY2rd0h
>武蔵に敗れたという吉岡清十郎は吉岡直綱でない可能性は確かにある。
 一族で剣術やってて、たまたま兄弟で強い吉岡が幾つもあったのかもしれん。

現状で一番説明がつくのは案外、この説かもな
端っから武蔵の作り話だとして落とすのは簡単だが、それじゃ思考停止だし、何より碑文をはじめとした数ある史料の存在の説明がつかん
いくら武蔵が伝説的人物だとはいえ。
元となる事実なしにここまで発展した逸話になったとは思えん
0476人間七七四年2011/11/19(土) 00:40:44.63ID:QxKOQLMO
そもそもを言い出すとアレだが、吉岡憲法って武蔵に敗れたという話と一族が禁中能か何かで暴れたということくらいしかしらんw
吉岡染めとかはあるけどあれは後世のものだしな。
実際の吉岡流からして元がなに流からとかワカンネー。
史料によっては神道流から出ているという説もある。
武蔵以上に謎が多い気がするぞw
0477人間七七四年2011/11/26(土) 15:21:37.10ID:HO1pDW4X
>>468
確かに二天記も兵法先師伝記も巌流島から百数十年たった文書だからフィクションだらけ。

>>476
吉岡の作った「憲法染の掻取」が、江戸の武士の間で正装として扱われるようになったのは
安いってのもあるが、吉岡家が剣術家であったことも理由のひとつだよ
0478人間七七四年2011/11/27(日) 13:28:22.81ID:zyFWAxVf
>>477
二天記はそもそも親の書いてた武公伝を底本にしているけどなw

吉岡家については興味はあるが資料をあまり聞かないな…
吉岡染めについて、どういう評価とかされてるの?
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