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畠山義綱

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/14(水) 14:40:30ID:wDwE/i4U
家臣によって城を追われた無能者。何度も奪還をこころみるも
結局返り咲くことが出来なかった敗北者。

誰か適当に語ってくれ。
0156人間七七四年2009/01/13(火) 15:18:04ID:/b+mKlTE
義春が七尾から連れ帰った畠山の子とすると
やっぱり景勝妹とはかなり年齢差がある事になると思うんだけど。
景勝妹(次姉という説も)と結婚したのは上条政繁じゃね。
0157人間七七四年2009/01/15(木) 11:23:57ID:1DTupkxm
しかし安土桃山〜江戸前期の人なのに、ここまで人物混同が激しい人も珍しい
0158人間七七四年2009/01/15(木) 12:16:11ID:xTAEpp6s
政繁の没年は97歳なんだっけ?
これも親子二代が混同されてるとか、そんなオチだったりするんだろうか?
0159人間七七四年2009/01/17(土) 13:15:40ID:ZybphcdS
ちなみに畠山は、名門守護なのに歴代の正室も不明なんだよな
0160人間七七四年2009/02/03(火) 14:52:42ID:FjuHZiaQ
宗家が没落しちゃったから
0161人間七七四年2009/02/10(火) 11:05:10ID:NiwxS0z7
宗家のgdgdっぷりは異常
斯波ほどあっさり消えてったわけでも
細川ほど派手に暴れたわけでもないし
明応の政変が痛かったかな
0162人間七七四年2009/02/10(火) 20:44:12ID:uETbRdmj
高家として残った分、赤松よりはマシかもな

>>159
そう、名門なのに婚姻関係の記録も無く、さびしい
0163人間七七四年2009/02/10(火) 22:00:38ID:faP7jqBW
能登畠山は六角から嫁をもらってたような。義続・義綱の亡命先が近江だったし。
0164人間七七四年2009/02/11(水) 23:21:40ID:VnUc18je
義綱あたりだと記録もあるね。満慶〜義続あたりまでは正室一切不明だね
0165人間七七四年2009/02/27(金) 15:10:22ID:NEo69Bip
高家として残ったなら 記録ありそうなもんだけど。
0166人間七七四年2009/03/03(火) 02:35:34ID:5yDMcJlz
>>165
能登系は上条宜順、義春の事績もごっちゃになっているという指摘も
あるし、かなり錯綜しているんだよね・・。
0167人間七七四年2009/03/17(火) 14:55:28ID:FerD5uTL
まとめる人がいなかったのか
0168人間七七四年2009/04/03(金) 14:34:52ID:zGFueYUq
すでに不明になってたんでは いろいろあったから。
0169人間七七四年2009/04/16(木) 14:19:35ID:wfbkT2+9
高家になれて良かった
0170人間七七四年2009/04/24(金) 07:26:43ID:oVDdeYv4
いやはやまったく。
0171人間七七四年2009/05/11(月) 15:22:19ID:8CD9U7UB
だが知名度なし。
0172人間七七四年2009/05/26(火) 15:24:32ID:xA2XVwDe
家臣であった神保の方が売れてるかも。
0173人間七七四年2009/05/31(日) 18:32:19ID:LilJ/f3T
939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/29(木) 00:06:29 ID:DzlSjAzn
これまで肖像画が武田信玄の物と思われていたが実はこの人の絵ではないかと言われる畠山義続。

彼は大変な好色家であった。
彼は家臣の娘らを集め、「女もいざという時のため乗馬くらい出来ねばならん。」
と言ってお馬責めなる遊びを行っていた。
これは怖がる少女を無理矢理馬に乗せ、尻を叩いて走らせるというもので、
少女はたちまち落馬し、着物の裾がまくれ上がって陰部が丸見えになった。
義続はこの様子を眺めては悦に入っていた。
そんな中、まったく落馬せず見事に馬を乗りこなす女がいた。遊佐続光の娘である。
気になった義続は遊佐に娘を差し出すように要求したが拒否される。
そこで義続は遊佐に使いを命じ、留守の間に家へ立ち入って父の許可を取っていると偽って娘を手篭めにしてしまった。
しかもその娘は陰部に毛が生えておらず、桃のような性器で、すっかり気に入った義続は四六時中娘の性器を眺めていた。

これに激怒して謀反を起こした遊佐続光を撃退した温井景長が替わって重臣の座に就いた。
義続はある時、沐浴をしている女を目撃した。その余りに美しい裸体にすっかり惚れ込んだ。
その娘は誰かと訊ねると、弟の畠山義則の妻という。
義続は弟に妻を差し出せと命じた。一旦は了承するものの、すっかり主君に愛想を尽かせていた温井景長に、
承諾する必要は無いと言われ尤もだと思い拒否した。
激怒した義続が軍を派遣しようとすると、城門の外にいたのは温井景長の精強な軍勢であった。
たちまち義続軍は蹴散らされ、畠山義続はどこへともなく追放されてしまった。
0174人間七七四年2009/06/01(月) 09:04:32ID:9oVZ9EmQ
それ何て講談話?
0175人間七七四年2009/06/06(土) 11:34:35ID:WS42v7M5
信玄の肖像画ってこの人だっけ?
0176人間七七四年2009/06/22(月) 16:53:25ID:S+ACvaEc
長谷川等伯のがか?
0177人間七七四年2009/07/05(日) 16:14:42ID:rYIb2A3H
>>173
南条範夫の「古城物語」にそういう話が載ってたな。
0178人間七七四年2009/07/05(日) 16:17:04ID:rYIb2A3H
ただ、南条のそれは義続が「弟・義綱」の妻を奪った(義綱は子だろ)と
書いてたり、なんだそりゃ的なストーリーだったが・・・

0179人間七七四年2009/07/06(月) 22:43:42ID:ZHJq4p7g
長連龍の戦歴で、結局七尾城は自力でとったのかそうでないのか、
ネットを見ててもよくわからない。誰かご存知でないだろうか
0180人間七七四年2009/07/18(土) 15:12:28ID:PdXYd7f8
戦歴というより乗っ取って追放した感じじゃ。
0181人間七七四年2009/07/28(火) 20:07:24ID:fFaJT7DM
>>180
そんな感じなのかな、ともかくありがとう
もう少し文献あさってみる・・・
といっても漁れる文献なんてネット文献しか知らないけど。トホホ
0182人間七七四年2009/08/11(火) 16:07:10ID:v2+CIklx
地元の図書館とかにあるのかな。
0183人間七七四年2009/08/25(火) 14:16:44ID:2EsYivse
七尾城史資料館ってどうなん?
0184人間七七四年2009/09/10(木) 15:26:30ID:QpPSqde5
能登は正直行ったことない。
0185人間七七四年2009/09/13(日) 13:17:20ID:SU6ntGUQ
>>183
七尾城の本丸には昔いったことあるが
(ちょっとした山の段々を登っていくのでちょっと疲れた)

資料館あったんだ・・・
0186 ◆MwJQHepZ.k 2009/09/20(日) 22:43:51ID:2t5hMUEI
0187人間七七四年2009/10/05(月) 16:08:19ID:6CxcOmwY
能登も行ってみたいな。
0188人間七七四年2009/10/13(火) 17:05:04ID:Mg8869Z2
>>183
行ってみたいが、七尾駅から遠そうだな。
0189人間七七四年2009/10/24(土) 15:30:34ID:QJRFfRVw
循環バスがありそうじゃないか。
0190人間七七四年2009/11/05(木) 15:27:22ID:pOWbWbCY
もう冷えそうですね、能登
0191人間七七四年2009/11/19(木) 14:39:30ID:2kxYfH0i
戦国期能登って豊かじゃないよね
0192人間七七四年2009/12/07(月) 14:13:03ID:wjCa/okp
国だかで二十万石弱、日本海航路の拠点でもある。
七尾は都から公卿が頻繁に来訪する、一乗谷に準ずる文化都市でもあった。
それを踏まえて考えたら、割合に豊かだったんじゃないの?
0193人間七七四年2009/12/19(土) 14:06:10ID:s/ZeerrU
能登随一の湊はどこ?
0194人間七七四年2010/01/03(日) 03:37:02ID:itLsjk9n
内浦はどこも良港
七尾や穴水はにぎわってたみたいだが
0195人間七七四年2010/01/15(金) 15:07:32ID:4zACAdwN
畿内や奥州の畠山家とは交流はあったのかな?
0196人間七七四年2010/01/27(水) 11:18:03ID:fBcFTzcr
二本松海運は持ってなさそうだからね
0197人間七七四年2010/03/07(日) 07:39:23ID:xIDFfRlt
内陸だもの
0198人間七七四年2010/03/15(月) 08:40:21ID:aq6zLan7
一族に二本松を名乗っていた人がいたはず
越後上杉経由での付き合いが可能・・・なのかな?
0199人間七七四年2010/07/07(水) 01:25:44ID:d2Ov6kl6
ご先祖の名将、義就ちゃんのスレができたから、そっちで畠山一族語ったら?
0200人間七七四年2010/08/07(土) 01:52:31ID:/yqWbz/B
保守
0201レキ ◆uELV/9JEPlbQ 2010/08/29(日) 17:29:29ID:iSIi0yoC
test
0202人間七七四年2010/11/19(金) 17:25:26ID:qdJPrqLT
能登畠山って奥州の二本松畠山とも付き合いがあったらしいな。
養子まで送ったとか聞くけど。
0203人間七七四年2011/01/19(水) 05:02:19ID:BL1Ob+AS
939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/29(木) 00:06:29 ID:DzlSjAzn
これまで肖像画が武田信玄の物と思われていたが実はこの人の絵ではないかと言われる畠山義続。

彼は大変な好色家であった。
彼は家臣の娘らを集め、「女もいざという時のため乗馬くらい出来ねばならん。」
と言ってお馬責めなる遊びを行っていた。
これは怖がる少女を無理矢理馬に乗せ、尻を叩いて走らせるというもので、
少女はたちまち落馬し、着物の裾がまくれ上がって陰部が丸見えになった。
義続はこの様子を眺めては悦に入っていた。
そんな中、まったく落馬せず見事に馬を乗りこなす女がいた。遊佐続光の娘である。
気になった義続は遊佐に娘を差し出すように要求したが拒否される。
そこで義続は遊佐に使いを命じ、留守の間に家へ立ち入って父の許可を取っていると偽って娘を手篭めにしてしまった。
しかもその娘は陰部に毛が生えておらず、桃のような性器で、すっかり気に入った義続は四六時中娘の性器を眺めていた。

これに激怒して謀反を起こした遊佐続光を撃退した温井景長が替わって重臣の座に就いた。
義続はある時、沐浴をしている女を目撃した。その余りに美しい裸体にすっかり惚れ込んだ。
その娘は誰かと訊ねると、弟の畠山義則の妻という。
義続は弟に妻を差し出せと命じた。一旦は了承するものの、すっかり主君に愛想を尽かせていた温井景長に、
承諾する必要は無いと言われ尤もだと思い拒否した。
激怒した義続が軍を派遣しようとすると、城門の外にいたのは温井景長の精強な軍勢であった。
たちまち義続軍は蹴散らされ、畠山義続はどこへともなく追放されてしまった。
0204人間七七四年2011/10/05(水) 14:49:41.54ID:YQq4vi9I
まじかよ
0205人間七七四年2011/10/16(日) 09:05:44.64ID:KICcVyAo
よおし、俺に任せておけ!
0206人間七七四年2011/10/16(日) 09:53:47.51ID:Ruqmt0bQ
弟の妻の顔も知らんもんなの?
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