本能寺の変
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 02:58:36ID:0SeOl0eW0816人間七七四年
2009/09/29(火) 08:14:15ID:AE/sVmhr【資料の改竄】は「ダメ人間」が多用する十八番中の十八番。
なんつーたって、他人が書き込んでもいない私見を捏造して難癖の材料にするのも朝飯前の下郎君だからね。
0817人間七七四年
2009/09/29(火) 09:46:09ID:oJz6llJE> 正親町帝が自ら譲位を望んだのなら、とっとと退位してる筈。
え?譲位を望んだらすぐ退位できるとか考えてるの?どれだけ馬鹿なの?
>>814
> なんで現代語に翻訳した文を貼り付けないんだ。
え?古文読めないの?どれだけ馬鹿なの?
つーかID:AE/sVmhrは中学生か何かか?
0818人間七七四年
2009/09/29(火) 09:48:19ID:AE/sVmhr君の疑問に答えてあげよう。
まず信長への殺人教唆の主犯たる帝自身、公然と信長追討の綸旨を出すわけにはいかない。
そんな愚行を犯せば、帝は足利義昭の「二の舞」になるだけ。
曲がりなりにも信長は朝廷を経済的に支援してくれた「大恩人」であり、強大な軍事力を有する大実力者。
信長が無官を貫き、無理難題を吹っかけ、執拗に譲位を迫ろうとも忍の一字を貫くしかない。
が、三職推任を拒否されて、もはやこれ以上信長を放置しておく事ができなくなった。
このまま信長を生かしておけば、朝廷(天皇家)の将来が危ういからだ。
帝が信長に反旗を翻しても、それに応じる織田諸将は一人もいない筈。
応じれば、浅井、松永、荒木の轍を踏み、自滅は明白。自殺行為だ。
それに信長は次期天皇たる皇太子の誠仁親王を自家薬籠に取り込んでおり、彼を擁立しさえすれば賊軍にはならない。
結局、正親町帝は殺されはしないが帝位は追われ、流罪刑に。
そして信長の望んだ通り、傀儡の誠仁親王が新帝に即位し、朝廷の運命は風前の灯。
よって事は極秘に為されなければならなかった。かつて足利義満を毒殺したように。
朝廷側としては、あらゆる甘言(征夷大将軍叙任)を用いて光秀を唆したであろう。
光秀としても、日本の国家元首たる帝がバックについてるからこそ、主殺しに踏み切ったのだ。
かつて信長が越前朝倉攻めを強行した時、浅井が(たぶん)足利義昭の密命で離反したように。
光秀としても、錦の御旗を掲げての信長襲撃で無い以上、織田諸将への誘降工作において帝の名を出す訳にもいかない。
そこが朝廷の上手い(狡賢い)ところで、決して自ら手を汚さない、いざという時の逃げ道はしっかり確保しておく、
これが悠久の昔から永続してきた朝廷の処世術だ。
だが、光秀を討った秀吉には信長謀殺の弱みを握られ、朝廷は唯々諾々と秀吉の意向に応じざるを得なくなっていく。
その客観的証拠が、秀吉の関白任官前の近衛家入りだ。秀吉は近衛前久の猶子となって、まんまと関白に就任した。
この近衛前久、光秀が滅んだと同時に慌てて出奔し、徳川家康までも頼って落ち延びた人物。
その前久、息子の信輔が断固拒否したにも関わらず、あっさりと秀吉の求めに応じ己の猶子に。
つまり秀吉に信長暗殺の罪の不問を条件に、秀吉の近衛家入りを承諾した訳だ。
加えて巨視的な歴史観からも、本能寺の変は朝廷の策謀だと説明できる。
中世は武家、公家、寺家ら権門が共存する「権門体制」だったのが、信長の出現で、そのパワーバランスは大きく変わった。
武家を統一する勢いの信長は厄介な寺社勢力を完全に膝下に置き、残る公家への圧伏を本格化させたとたんに「本能寺の変」だ。
偶然で片付けるには、あまりに出来すぎている。
天正十年当時、信長の最大の懸案事項は朝廷(帝)の扱いであり、朝廷としても座して死を待つわけにはいかなかった。
上杉と毛利が滅べば、信長は前代未聞のとんでもない権力を手にする事になる。
そうなったら、もはや帝とて信長の絶大な権勢には逆らいきれない。朝廷は崖っぷちだった。
だが朝廷には武力がない。だから誰かを唆して信長を討ってもらうしかない。
その二度と巡ってこない好機が、織田軍が四方に遠征しているあの時期だった。
よって信長を帝退位の決意固めるの虚報で京におびき寄せた。
信長の入京は馬揃え以来一年と数ヶ月ぶりであり、明確な目的があっての在京だったのは自明。
0819人間七七四年
2009/09/29(火) 09:59:13ID:AE/sVmhrでは帝が自ら退位を決意し、それが実現するまで、どのくらいの月日を要するのか、
その理由は何なのか説明してもらおうじゃないか。
また墓穴掘っちゃったね。プッw
そういう君自身古文読めないじゃんw
そういうのを、天に唾する行為。て言うんだよ、坊や。
自分が出来ない分際で、よう他人を誹謗できるもんだ。
実社会では、古文なんて読めなくっても何の不都合もないって事、
「ダメ人間」のオツムでは理解しがたい現実なんだろうな〜w
0820人間七七四年
2009/09/29(火) 10:34:11ID:F6j2U0RO公武対立論自体は朝尾・藤木・今谷・池・立花ら研究者が提唱している(していた)説で、君の論もそれに
立脚したものだろう。
ただ、公武対立論と本能寺の変の黒幕が誰かは別問題なのは分かるよね?
つまり、君の論は公武対立の根拠になりえても、「 なぜ光秀が信長暗殺の朝廷の教唆に乗ったか 」の
説明が全くない。
君の論法だと、荒木謀反の黒幕も朝廷だっていう説も成立するんじゃね?
0821人間七七四年
2009/09/29(火) 12:48:12ID:AE/sVmhr>なぜ光秀が信長暗殺の朝廷の教唆に乗ったか
帝が日本国の正統な主権者だから。
天正十年当時、信長を消したいと思っている連中は沢山いたが、もはや信長との実力差は明白であり、
彼らに光秀を動かせるほどの力も権威もないし、そんな無力な連中の誘いに乗るほど、光秀は阿呆ではない。
光秀には天下取りの野心はない。それは細川家懐柔のため書き記した情けない哀願の書面で明白。
なのに、光秀は信長を討った。織田家で大出世を果たし、織田家に娘を嫁がせて姻戚関係を築いていたのにだ。
となれば、そんな事情を打ち消してしまう程の大物に唆されたと見るのが妥当だろう。
では信長を除いて光秀を動かせる程の大物といえば、該当者はただ一人、時の帝の正親町天皇しかいない。
簡単な理屈だ。
類似の事例が過去にある。浅井長政の裏切りだ。
信長の義兄弟であり、関係も良好だった長政が、敢えて将来有望な信長を裏切った理由は何か。
それは今急襲すれば信長を討てる環境にあり、加えて裏切りの後ろめたさを払拭する要因があったからだ。
それこそが足利義昭の密命であり、信長の越前朝倉攻めの大義名分と同様、自らの行為を正当化できたからだ。
分かったら、素直に私の見解を受け入れなさい。
>君の論法だと、荒木謀反の黒幕も朝廷だっていう説も成立するんじゃね?
それを牽強付会という。
その理屈だと、義昭も信玄も謙信も比叡山も本願寺も松永も毛利も、信長の全て敵の背後には朝廷がいたって話になる。
0822人間七七四年
2009/09/29(火) 23:05:12ID:28gHZhga0823人間七七四年
2009/09/30(水) 00:19:54ID:rfe2o2gW>光秀としても、日本の国家元首たる帝がバックについてるからこそ、主殺しに踏み切ったのだ。
朝廷(天皇)の陰謀に乗って光秀に何の得があるの?
少なくとも、光秀は織田家旧臣とドンパチやらねばならずネコの手も借りたい状況だろうに、国家主権者w
を錦の御旗にすることができないとは哀れだねぇ
0824人間七七四年
2009/09/30(水) 00:57:10ID:R4M0HucI…たぶん読めないのID:AE/sVmhrひとりだけだぞw
0825人間七七四年
2009/09/30(水) 12:14:16ID:CBTSDk5N現代語訳なんだが
0826人間七七四年
2009/10/03(土) 01:25:59ID:BvVZ3p37先行きに対する不安も勿論あっただろう
でも充分に我慢できる範囲内
愚痴とかこぼしながらも真面目にやってた
ふと状況を見たら信長の周囲ががら空き
諸将は前線で手一杯
「もしかしたら天下取れんじゃねーの」って思っちゃった
で、なんかはじけちゃったわけだ
0827人間七七四年
2009/10/03(土) 19:32:04ID:WZSUNh2zフロイスの日本史の原文はポルトガル語
0828人間七七四年
2009/10/03(土) 21:38:36ID:boEnOTQrしかしそれならなぜその後は秀吉や家康は朝廷に暗殺されなかったの?信長だけは暗殺して。
0829通りすがり
2009/10/03(土) 21:51:42ID:cLC5Bz8iやりたい事いっぱいあったろうに…涙が止まらないよ
俺は鬱病の明智が単独でやったと思ってる
ま、両者に相応しい最期の迎え方だと思う。
紅蓮の炎の中で散った希代のカリスマと道端で
落武者狩りにやられたアホ家臣。
0830人間七七四年
2009/10/03(土) 22:58:50ID:SQK4lwSe入社早々、社長の鞄持ちになり
色々なプロジェクトに若輩ながら挑戦する権利を得た
失敗もあったけど、年齢にそぐわない結果を残した
同僚・先輩から妬まれたりもしたが
異例な出世を遂げて、自信もつき
順風満帆だった
しかし、未曾有の不況の煽りを受け
会社の業績にかげりが見え始めると
高給の重役が一斉にリストラされた
「不況下では実力無いものは淘汰されるしかない」と考えた俺だが
先月、役職を解任されたうえに
給与は固定給が激減になり、この年齢で能力給とされた・・・
マイホームのローンだって20年以上残っているのに
0831人間七七四年
2009/10/03(土) 23:02:46ID:UuP0k6pt0832人間七七四年
2009/10/04(日) 00:26:57ID:pldCgCSk本能寺の変がいかに周到に謀略を駆使して遂行された信長抹殺作戦だったかをもっともらしく説明しているけれども
その結果はいともかんたんに秀吉に出し抜かれて
こてんぱんにやっつけられて手も足も出せない状態に追いやられて
太閤殿下すげええええええーっ!
てオチにしかならないことに気づいているんだろうか。
0833人間七七四年
2009/10/04(日) 01:04:05ID:47EZ+nGnでもあの時はあれが一番いい方法だと思えた
後になって冷静に考えれば問題だらけの計画なのに
その時はそれがベストな選択だと思えてしまう事ってあるよな
0834人間七七四年
2009/10/04(日) 20:37:47ID:C5ze34tv真の黒幕というのは、手足として使った人間は、知りすぎているので即刻消さねばならない、というのが常識なのさ。
光秀を使って信長を殺したら、速やかに真相が明らかにならないように光秀も消すのが当り前だろう。
それがわからない光秀がいかに阿呆か、ということだな。
更に秀吉も消せば完璧。実際、豊臣家はその後、消されてしまったしな。
朝廷がいかに凄い黒幕か、分かっていない奴が多すぎる。
0835人間七七四年
2009/10/04(日) 23:43:44ID:OVDc8ZUy0836人間七七四年
2009/10/05(月) 01:52:47ID:03FjDB9Z朝廷ってすごいなー(棒読)
0837人間七七四年
2009/10/05(月) 03:08:22ID:dbAI0Dci0838人間七七四年
2009/10/05(月) 10:31:50ID:YL5qHq4H天皇家そのものも潰れかかっているわけですね。
わかります。
0839人間七七四年
2009/10/05(月) 12:26:41ID:8b7pti/yアメリカが日本をはっきり敵視するようになったのは
満州事変以降だからここから導き出される結論は
満州事変は朝廷の陰謀だったんだよ!
板垣や石原を陰で操っていた黒幕は朝廷だ!
当然ホワイトハウスにも朝廷の手が伸びて…
ん?
そういや少し前に登場する組織が違うけれど
似たようなことを言ってクビになった幕僚長がいたな
0840人間七七四年
2009/10/05(月) 14:48:03ID:NYduEGeO0842人間七七四年
2009/10/06(火) 01:33:32ID:YCQ7ef3c0843人間七七四年
2009/10/06(火) 22:51:23ID:byYya6Vv皆さんはいかがでしょうか?って感じでわ
0844人間七七四年
2009/10/06(火) 23:38:56ID:jB9TrXgw0845人間七七四年
2009/10/07(水) 16:24:43ID:9PPDPesl坂本龍馬暗殺の薩摩藩黒幕説
はゴミ説の双璧だから。
0846人間七七四年
2009/10/07(水) 19:50:23ID:JVAco1xlヨダレ垂らしながら舐めるように下から上に上から下にな目線だたわけ
0847人間七七四年
2009/10/07(水) 20:14:28ID:qY6SipTq坂本竜馬暗殺 中岡慎太郎説大穴
本能寺の変 森蘭丸説対抗
0848人間七七四年
2009/10/09(金) 10:43:11ID:Bd5TkUi8朝廷は黒幕じゃない天幕なんだ。
その天幕を破ろうとした権力者は信長と足利義満しかいない。
0849人間七七四年
2009/10/09(金) 17:44:25ID:Emk34rqb------------------------------------------------------------------------
時系列
6月4日、未明、本能寺の変を知る。
6月6日、午後2時。毛利と和睦後、毛利勢の出方を窺う為、2日滞在した後、備中高松を出発。
同日夜、備前沼に到着。
6月7日早朝、沼を出発。約70キロ先の姫路を目指す。同日夜、姫路到着。
(ここで脱落したと思われる歩兵が追いつくのを2日待つ)
6月9日午前、姫路を出発、約35キロ先の明石を目指す。同日夜に明石に到着。
6月10日午後、姫路を出発、約20キロ先の兵庫を目指す。同日夜に到着。
6月11日未明、兵庫を出発、約25キロ先の尼崎を目指す。同日午後8時、尼崎着。
ここで、池田・高山・中川・丹羽・信孝らの合流を待つ。
6月13日、午後4時「山崎の合戦」開始。
※1938年に、旧日本軍が定めた作戦要務令では、大部隊が連日行軍する場合の標準速度を
歩兵部隊で1日24キロ、騎馬大部隊の場合は1日40〜60キロとしている。
また、秀吉隊は途中姫路で2日を過ごし脱落部隊を待っているが、それでも山崎本戦に間に合わなかった
秀吉直属部隊は結構いたようである。
0851人間七七四年
2009/10/11(日) 09:55:06ID:23UtMsZBいいじゃないか。
伸び長ぐらいしか過大評価出来るのがいないのが
日本の歴史のつまらんところだよ。
0852人間七七四年
2009/10/11(日) 10:00:23ID:Tf2guOt40853人間七七四年
2009/10/11(日) 10:09:26ID:JH58lDs6本能寺を襲撃していた軍勢が信忠軍と気付かずに信忠を討ってしまう
これが真相
0854人間七七四年
2009/10/11(日) 11:42:57ID:5DUwk7JUママのおっぱい飲んで寝ようね。
0855人間七七四年
2009/10/11(日) 11:54:17ID:38l18vyKそれはどこから出た話?
0856人間七七四年
2009/10/11(日) 22:18:55ID:gspr595W0858人間七七四年
2009/10/13(火) 08:02:05ID:OEcU0AVr切なくなるなぁ。当然、結末を知ってるだけに。
明智単独説にしても描き方は色々あるね。
0859人間七七四年
2009/10/13(火) 10:18:56ID:4TahTYuW0860人間七七四年
2009/10/14(水) 18:39:47ID:1GxYORCm片っ端から黒幕にしたてて大安売りしたせいで
謀略だの暗殺だのがずいぶん安っぽくなった。
0861人間七七四年
2009/10/14(水) 18:46:03ID:GdOiooOkこれに関する陰謀論が世界中でブームになってから。
ケネディ暗殺が陰謀ならこのへんも陰謀なんじゃね?と言う安易な企画ネタ。
0862人間七七四年
2009/10/17(土) 05:39:20ID:17yxvawm光秀があっけなく秀吉に討ち取られたのが陰謀論が多いわけだ。
下克上なんか戦国時代の名物だろ。
0863人間七七四年
2009/10/19(月) 02:15:22ID:RR8SwAq7戦国時代の最大の出来事が本能寺の変だな。狂気の天才信長の出現と、その信長を葬り
去った光秀の謀反!
後、全ての歴史はここで大きく変化したわけだから・・・・本能寺の変がなかったら
江戸幕府もなく、首都東京も明治維新もなかったわけだ。光秀の存在は日本人や現代人
に大きく影響を与えたのだね。
秀吉も家康も、信長、光秀から比べたら単なる継ぎ足しに過ぎないね。
光秀と本能寺の変がなかったら、今の自分さえも存在してないと思える。
0864人間七七四年
2009/10/19(月) 02:33:29ID:a4JG0ZnGキミと似たようなのが生まれてもそれは、「違う歴史空間に生まれたキミに似た人」にしか過ぎないし。
0865人間七七四年
2009/10/19(月) 03:30:02ID:mGXAGjxL>狂気の天才
どの辺が? 朝廷を潰そうとしたと一部の人が主張してることか?
0866人間七七四年
2009/10/21(水) 17:26:55ID:O2+GWH4d山崎の時は柳ヶ瀬峠にいたそうだが、ということは東近江路通るつもりだったということか。
遠回りじゃないかな?
どちらにしろ近江の各城は蒲生以外は明智に押さえられてるから、
それ落としながらではまず厳しいところだっただろうけど。
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