本能寺の変
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 02:58:36ID:0SeOl0eW0793人間七七四年
2009/09/25(金) 13:45:24ID:RaAorUd3貴重な燃料だからいいじゃん。
久々に本能寺板のぞいたけど、徹底考察スレ落ちたのね。
>>788
三年前のレスに亀レス乙。
まず、本能寺の変自体、@信長親子が丸腰で上洛A方面軍が遠方で展開中B明智軍団が京都周辺で公然と
軍事行動可能C@〜Bは信長自身の意思で実現、という偶然の条件下で発生したもの。
朝廷がどうやってこの条件を陰謀で作出できるんだ?
次に、朝廷が黒幕ならば、変後なぜ光秀は積極的に朝廷とコンタクトを取っていないんだ?「兼見卿記別本」でも
光秀は対朝廷外交は消極的にしか見えないんだが。
0794人間七七四年
2009/09/25(金) 21:22:09ID:ptFKaw/n黒幕は不確定要素まで意のままに操るって定義でもあるのか?
黒幕否定な考えには同調するが、黒幕否定者って反証方法が破綻してんだよね。
0795人間七七四年
2009/09/25(金) 22:22:02ID:J/qBdSd0>>793に加えて、小屋懸スルー、吉田兼見と「謀叛の存分」について
語ったと記されてることとか。
謀略論者は都合の悪いことは無視してるだけ。
もう一度鈴藤本でも読んでこい。
0796人間七七四年
2009/09/26(土) 10:42:38ID:CjJcpbpl誠仁親王一家は巻き添えで殺されてるよな。
せっかく信忠が親王一家を解放してくれたのに
輿の一つも用意しないで徒歩で親王一家を立ち退かせる不敬野郎光秀。
0798人間七七四年
2009/09/26(土) 22:59:46ID:YrkQLMIJあるいは巻き添えにするはず。
朝廷黒幕(他の黒幕もそうだが)説は先に結論ありきだから
それがわからない。
0799人間七七四年
2009/09/27(日) 09:29:38ID:jeVJ73Fm公武対立史観の論者の多くは朝廷黒幕説をバカにしている件。
「織田信長と朝廷が対立していたことと、朝廷が本能寺の変に関与したかどうかは
まったく別個に論じなければならない問題である。
つーか、明智光秀の単独謀叛でどっか説明のつかないところある?」by今谷明
0800人間七七四年
2009/09/27(日) 13:22:09ID:vmTEHkJaつまり、どこにもケチつける部分がないってことか。
君さ〜、苦し紛れの強弁なのが透け透けに透けて見えるぞ。
それなら、修正してみせろよw
ま、無理かw
加えて、君の主張の根拠となるURLを出してみなよ。
あ〜あ、あっさり撃沈だな。プッw
>>790
その論法だと、信長は光秀とどうやって連絡を取ってたの?という疑問も成り立つわな。
君さ、当時の連絡手段くらい小学生でも知ってるよ。
だから、その謀反を起こせる千載一遇の希少なタイミングを、
どうにかして信長を消したいと思っている連中が逃すわけないだろって話だ。
>>791
嘘はいかんよ、君〜w
そんな史実はない。
>>792
論理的に反駁できない低能クン特有の痴文w
0801人間七七四年
2009/09/27(日) 13:23:26ID:vmTEHkJaその問いは>>790と同じだ。
だから、その謀反を起こせる千載一遇の希少なタイミングを、
どうにかして信長を消したいと思っている連中が逃すわけないだろって話だ。
それに変後、光秀と朝廷は密接にコンタクトをとってるぞ。
都合が悪いと、歴史の捏造かいw
>>795
面白い!
ではその「朝廷黒幕説の反証」とやらを列挙してもらおうじゃないか。
さぁ、やってくれw
>>796
光秀が襲ったのは、信忠の宿所の妙覚寺であって、親王のいる二条御所ではない。
嘘つきは泥棒の始まりw
>>798
その論法だと、
家康が豊臣家を軽んじたら秀忠は秀頼を人質に、あるいは巻き添えにするはず。
という仮定も成立するわなw
バッカじゃないのw
朝廷黒幕説否定論者こそ、「先に結論ありき」だろうに。
>>799
君さ、バカで定評の今谷明の論評を参照しているようでは話にもならんぞよw
その証左がこれw
>織田信長と朝廷が対立していたことと、朝廷が本能寺の変に関与したかどうかは
まったく別個に論じなければならない問題である
信長の朝廷への数々の圧迫により、天正十年当時、朝廷にとって信長は不気味を通り越して、
もはや危険な存在でしかなかった事は、史実を鑑みればバカでもわかる。
ま、君がバカを下回る爬虫類並みの知能しかないっていうのなら話は別だがw
0802人間七七四年
2009/09/27(日) 13:34:38ID:vmTEHkJa>信長自身の意思で実現、という偶然の条件下で発生したもの。朝廷がどうやってこの条件を陰謀で作出できるんだ?
君さぁ、信長の越前攻めの際の、浅井の反逆も知らんのか。
信長の越前進攻は「信長自身の意思で実現」し、その「偶然の条件下」で浅井は見事に織田軍を背後から急襲してるじゃないか。
光秀の本能寺急襲も本質は同じ。
当時の武将(無論朝廷も)にとって、変化する状況に柔軟に対応する臨機応変さは常識。
現代に生きる凡人の発想で、戦国時代を論じちゃ世間に恥をさらすだけw
0803人間七七四年
2009/09/27(日) 14:36:33ID:dxLg3bs4このURLの批判だな?
http://www.nobunaga-lab.com/labo/05_seisaku/05-02_gaikou/05-02-01_choutei/joui.html
正親町天皇の譲位は、この記事に書いている通り朝廷(天皇家)の希望だろ?
なんで天皇が望む譲位を信長が「迫る」って変な論法になるんだ?
信長が天皇を超越する存在を望んだというのもおかしい。
信長は右大臣を辞任する際に、広橋右中弁・匂当内侍宛てに辞任理由を述べているが、共通する
辞任理由は「信忠の顕官起用」。
すなわち、信長は自分の後継者信忠にさらなる官位体系への組み込みを希望したってことだ。
五宮猶子の件も荒唐無稽。(この記事で誠仁親王=五宮としている点は大間違い)
信長の皇位簒奪のシナリオを考える上で、近似する事例に足利義満方式があり、義満は猶子である皇族に親王宣下
している。
しかし、五宮は親王宣下されていない。むろんお親王宣下の準備の形跡すらない。
また、自分の子女を入内させるという方法(摂関政治方式)もあるが、信長はそのような方法を取った形跡がない。
史実では徳川秀忠が和子を入内させているから、不可能といえない方法なのにだ。
今谷説について
氏は朝廷関与説を否定する論拠として、>>795「謀反の存念」の記述を挙げている。
光秀が朝廷の為に働いたのならば、勅使でもある吉田の日記に「謀反」という用語が使用されるのは不自然
すぐる。この記述は改ざん前の「別本」の記載なので、改ざん後の「正本」よりはるかに史料価値は高い。
0804人間七七四年
2009/09/27(日) 16:56:24ID:jeVJ73Fm>嘘つきは泥棒の始まりw
よくそんな空気を吐くように嘘がつけるなあ。
信忠が妙覚寺から二条御所へ移り、親王一家が乗り物も用意してもらえないで立ち退いて
その後に光秀が二条御所を襲ったことなら幾らでも証言があるんだが。
大田牛一『信長公記』
三位中将信忠、此の由きかせられ、信長と御一手に御なり候はんとおぼしめされ、
妙覚寺を出でさせられ候ところ、村井春長軒父子三人走り向かひ、三位中将信忠へ
申し上げ候趣、本能寺は早落去仕り、御殿も焼け落ち候。定めて是れへ取り懸け
申すべく候間、二条新御所は御構へよく候。御楯籠り然るべしと申す。これに依りて
直ちに二条へ御取り入り、三位中将信忠、御錠には、軍の巷となるべく候間、親王様、
若宮様、禁中へ御成り然るべきの由、仰せられ、心ならずも、御暇請なされ、内裏へ
入れ奉り、ここにてせん議区なり。
吉田兼見『兼見卿記別本』
三位中将二条之御殿〔親王御方御座也〕、此御所ヘ引入、即以諸勢押入、三位中将生害。
・・・(中略)・・・
最中親王御方・宮・館女中被出御殿、上ノ御所ヘ御成、新在家之邊ヨリ、紹巴荷輿ヲ参セ、御乗輿云々。
0805人間七七四年
2009/09/27(日) 16:57:38ID:jeVJ73Fmグルになって嘘をついたのですかそうですか
フロイス『日本史』
すでに都では、しだいに事件が明らかになり、駆けつけた数名の殿は内部に入ることを
望んだが、兵士たちが街路を占拠していたので、それが叶わず、嗣子の邸宅に向かって
引き返していった。彼がこの報告に接した時には、まだ寝床の中にいたが、急遽起き上り、
宿舎にしていたその寺院は安全でなかったので、駆けつけた武士たちとともに、近くに
住んでいた内裏の息子の邸に避難した。その邸は、天下において、安土についで比べる
ものがないほど美しく豪華であり、信長が三、四年前に建築し、内裏の世子を住まわせる
ために彼に与えたものであった。
・・・(中略)・・・
明智は、殿下に対しては何もしようと思っておらず、ただちに同所から出られるが良いと
思う。ただし、信長の息、城介殿が逃亡することがあってはならぬから、馬や駕籠で出る
ことがないように、と答えた。内裏の息子はこの報告に接すると、その女たちとともに
彼の父の邸に入るため上京に向かった。
江村専斎『老人雑話』
城介殿移らる、陽光院殿は禁中へ御のきあり、烏丸の方の門より出させ給ふに、肩輿も
無ければ、人の背に負て往く。
0806人間七七四年
2009/09/27(日) 16:59:32ID:jeVJ73Fm>そんな史実はない。
へえ〜
当時のお公家さんは史実にない嘘を日記に書いたんだね。
山科言経『言経卿記』
(六月四日)
一、禁中徘徊了
一、洛中騒動不斜
勧修寺晴豊『日々記』
(六月四日/秀吉が戻ってくる前)
者共のけ、禁中小屋懸いよいよ正体無き事也。
(六月十五日/秀吉が戻ってきた後)
はやはや小屋共のけ申し候。
0807人間七七四年
2009/09/27(日) 17:10:01ID:6smDXUIdこいつは「先に結論ありき」だから相手にする価値もない。
小屋懸の件のように、都合の悪い事実はなかったことにするか
無視するかなんだから話にならない。
ここで謀略説に共通する5つの点を挙げておこうか。
1、黒幕とされる人物や集団が、いつどのようにして光秀と
接触したのか説明がない。
2、実行時期の見通しと、機密漏洩の防止策への説明がない。
3、光秀が謀叛に同意しても、重臣たちへの説得をどうしたのかの
説明がない。
4、黒幕たちが、事件の前も後も、光秀の謀叛を具体的に支援して
いないことへの説明がない。
5、決定的なことは、裏付け史料がまったくない。
1に関して言えば、もし誰かが光秀に声をかけたとしても、光秀が
それに同意するとは限らない。もし断られたらどうするのか。
信長に注進されて1巻の終わり。
これを「天皇の命令だから従うはず」なんて言ったら笑い物も
いいとこだぞ。
天皇にそんな権力があったら南北朝の動乱なんて起こってない。
0808人間七七四年
2009/09/27(日) 18:03:01ID:6smDXUIdじゃあなんでそれが学者、研究者間の定説にならないんだ?
この説を主張してる学者の名前をひとりでも挙げてみろ。
あ、立花京子は除外な。あれはイエズス会主犯説だから。
0809人間七七四年
2009/09/27(日) 18:37:32ID:CMXtp6Al『一級資料』につぶさに目を通した専門家
なんているのか? 近年は素人の本でしか見ることがないが。
0810人間七七四年
2009/09/27(日) 19:36:18ID:6smDXUIdそれが信忠の命取りになった。
のちに近衛はこのことが理由かは不明だが京を出奔している。
このバカはこのこともなかったことにするんだな。
この一件が朝廷黒幕説の論拠の一つになっているのに、
このバカはそれを否定するわけだ。
朝廷黒幕説を主張しているくせにその論拠を否定すると
いう愚かさ。
「あったことをなかったことにしない」と成立しないんだよ
朝廷黒幕説なんて。
0811人間七七四年
2009/09/27(日) 20:33:40ID:YceUQJOA>今谷説について
>氏は朝廷関与説を否定する論拠として、>>795「謀反の存念」の記述を挙げている。
あれあれ?雑談したのは 『謀反の 存 分 』の筈だけど
資料の改竄とは酷い話だ・・・。
>「謀反」という用語が使用されるのは不自然
この辺は現代人の言葉の使い方と異なる。
後醍醐天皇の謀反も『主上御謀叛』と公家が書き残している。
仮に「謀反の存分」が謀反の非関与に繋がるものならば、
吉田兼見はあえてこの記事を削除する必要はなかったわけだし。
どうも辻褄の合わない反証だね。
0812人間七七四年
2009/09/29(火) 01:26:50ID:gpzj8KNa周辺武将への説得工作とかに使うだろ
細川に「お前の息子の為」とか哀願するだけより
「朝廷の後ろ盾もある」「公方の命令」「本願寺も味方」とか併記するだろ
0813人間七七四年
2009/09/29(火) 08:07:49ID:AE/sVmhr正親町帝が自ら譲位を望んだのなら、とっとと退位してる筈。
信長が天正元年十二月に譲位を要請して以来、ずっと帝位に居座り、
秀吉が関白に就任し、天皇家の威信と地位が安泰となった天正十四年にやっと退位。
つまり、帝には信長在世時、譲位する気など、さらさらなかったってことだ。
陳腐な嘘も史実には勝てんよ。プッw
信長が目指した政体と信忠の任官とは何の関係もない。
天皇を超える権力を目指した信長が、天皇の家臣の序列を意味する官職から離脱するのは当たり前。
それ以外に天正六年の右大臣・右大将辞職と、その後の任官拒否の理由がない。
あるなら論理的に説明してもらおうか。ま、無理だろうがw
親王とは信長が掌中に収めていた皇太子の誠仁。
五宮の親王宣下は、誠仁親王が新帝に就いてからでも十分。急ぐ必要など全くない。
それに信長が五宮を猶子としていたのはれっきとした史実。
詐欺師は破廉恥な嘘も平気のヘイサw
吉田兼和は変の前から光秀とは昵懇の間柄であり、変後光秀とは四度も面会。
朝廷と光秀の取次役を務めていた明らかな親光秀一派。
そんな兼和が日記に「謀反」と記述しただとw
「ダメ人間」にしては良く出来た三文話だなw
山崎の役以前、光秀と接近し信長打倒を容認していた朝廷が、光秀の行為の正当性を否定する訳がないだろ。常識以前の問題だ。
ま、常識ないから「ダメ人間」サイトに引っかかって大恥かいたんだけどさw
あっさり陳腐な虚飾をひっぺがされて、恥の上塗りだね。
>>804
ま〜た古文の貼り付けか。誰もが読める現代語に翻訳した文を貼り付けろよ。
そういう意味不明で無駄な愚行を性懲りもなく繰り返すから、君は「ダメ人間」なわけよ。分かる?
>村井貞勝がとりなしてくれなかったら誠仁親王一家は巻き添えで殺されてるよな
光秀が次期天皇を殺害するわけがないだろ。そもそもそんな動機がないんだからさ。
こういう馬鹿げた戯言を平気でのたまう無神経さだから「ダメ人間」なわけ。
異論あるなら、この愚言の根拠を挙げてくれよ。
ま、無理だろうがw
いかにも「ダメ人間」らしい発想だw
>>805
それ、何を証明するためのコピペだよ。
まず、そこを明確にしろ。
「ダメ人間」はいつでもどこでも「ダメ人間」だな〜w
0814人間七七四年
2009/09/29(火) 08:08:56ID:AE/sVmhr>なんで御所の難民キャンプ状態を放置したような不敬者の光秀が朝廷の指図うけなくちゃならないんだ
ほ〜、光秀は変後、朝廷と一切の連絡を絶っていたのかね。
そんな史実はどこにあるんだろうな〜
当然二条御所に隣接する近衛前久邸も消失し、近衛家からも「難民」が出たんだろうな〜w
都合が悪いと、故意に読めない古文で誤魔化す毎度のペテン。
なんで現代語に翻訳した文を貼り付けないんだ。
答え:嘘がバレるからw
アホらし。
>>807
わざわざID変えて、ミエミエの定番の自演。
バレてる自演を繰り返して、何が面白いのかね。「ダメ人間」特有の愚行だ。
しかも朝廷黒幕説に疑問を呈する設問五つが、これまた愚劣の極み。流石は「ダメ人間」。
>1、黒幕とされる人物や集団が、いつどのようにして光秀と接触したのか説明がない
光秀は家康接待の任を解かれてから本能寺襲撃に向かうまでの間、陸の孤島にいたのかね。
「ダメ人間」の底の抜けたアホさ加減には敬服するワw
>2、実行時期の見通しと、機密漏洩の防止策への説明がない
姻戚関係の細川家にさえ、信長暗殺の秘事を隠して、明智勢だけで本能寺襲撃を決行し、
立派に「機密漏洩の防止策」を施してるだろうに。
信長があの日、本能寺に宿泊していることを「何故か」光秀は知っていたからこその急襲。
見通しも糞もないんだよ。頭ダイジョウビィ〜w
ダイジョウビなら「ダメ人間」サイトに引っかかって大恥さらし、
その後自尊心回復の涙ぐましい必死の自演書き込みをし、
それを指摘されたら見苦しい逆ギレなんぞせんわな〜w
>3、光秀が謀叛に同意しても、重臣たちへの説得をどうしたのかの説明がない
朝廷黒幕説への不審点とは、なんら関係ない。
この設問の趣旨は、光秀による信長暗殺への懐疑だろうに。
あまりにアホすぎて失笑するしかない。
>4、黒幕たちが、事件の前も後も、光秀の謀叛を具体的に支援していないことへの説明がない
朝廷は信長を丸腰同然で入洛させ、変の前日は主だった公家衆勢揃いで歓待し、
変後、秀吉が畿内に戻ってくるまでは光秀と友好的に接触してるだろうに。
幼児に説明しているのと同然なので、バカバカしくなってきた。ここまで低能だと。
>5、決定的なことは、裏付け史料がまったくない
日本の首都は東京です。といったレベルの分かりきった戯言書き込むなよ。あ〜頭腐りそう。アホを相手にしてると。
君みたいな「ダメ人間」の相手をしてやっている善意を感謝してもらいたいぜ、全く。
確かな物証あれば、とっくの昔に本能寺の変の真相は解明されている。
日本国の正統なる主権者たる帝から内々に信長追討の綸言を受けて、拒否できるのかね、光秀が。
君さ、信長とその敵が勅命による講和を何度も行った史実も知らんのか。
これを「天皇の命令だから従うとは限らないはず」なんて言ったら笑い物もいいとこだぞ。
あ、メンゴメンゴ。「ダメ人間」サイトの一件で、さんざん「笑い者」にされたっけw
時代錯誤の南北朝を引き合いに出すアホさ加減は、流石「ダメ人間」。
ほんと、こんなアホに付き合ってやってるのが、マジで馬鹿馬鹿しくなってきた。
0815人間七七四年
2009/09/29(火) 08:09:44ID:AE/sVmhrでは、君の言う『学者、研究者間の定説』って何だ?
教えてたもれ。
あれまぁ〜、答えに窮して自爆。しかもターゲットの遥か手前での犬死。最低の死に様w
>>809
>『一級資料』につぶさに目を通した専門家
上記と重複するが、彼らが支持している説を教えてたもれ。
根拠を添えてな。
ここでもミエミエの自演する阿呆。
>>810
>近衛はこのことが理由かは不明だが京を出奔している。このバカはこのこともなかったことにするんだな
>朝廷黒幕説を主張しているくせにその論拠を否定するという愚かさ
私がどこでそんな趣旨の書き込みをしたのか教えてもらおうかな。
またやっちまったな。
勝手にこっちの主張を捏造してデッチ上げ、難癖つける糞所業。
「ダメ人間」の性根は骨の髄まで腐ってるな〜w
0816人間七七四年
2009/09/29(火) 08:14:15ID:AE/sVmhr【資料の改竄】は「ダメ人間」が多用する十八番中の十八番。
なんつーたって、他人が書き込んでもいない私見を捏造して難癖の材料にするのも朝飯前の下郎君だからね。
0817人間七七四年
2009/09/29(火) 09:46:09ID:oJz6llJE> 正親町帝が自ら譲位を望んだのなら、とっとと退位してる筈。
え?譲位を望んだらすぐ退位できるとか考えてるの?どれだけ馬鹿なの?
>>814
> なんで現代語に翻訳した文を貼り付けないんだ。
え?古文読めないの?どれだけ馬鹿なの?
つーかID:AE/sVmhrは中学生か何かか?
0818人間七七四年
2009/09/29(火) 09:48:19ID:AE/sVmhr君の疑問に答えてあげよう。
まず信長への殺人教唆の主犯たる帝自身、公然と信長追討の綸旨を出すわけにはいかない。
そんな愚行を犯せば、帝は足利義昭の「二の舞」になるだけ。
曲がりなりにも信長は朝廷を経済的に支援してくれた「大恩人」であり、強大な軍事力を有する大実力者。
信長が無官を貫き、無理難題を吹っかけ、執拗に譲位を迫ろうとも忍の一字を貫くしかない。
が、三職推任を拒否されて、もはやこれ以上信長を放置しておく事ができなくなった。
このまま信長を生かしておけば、朝廷(天皇家)の将来が危ういからだ。
帝が信長に反旗を翻しても、それに応じる織田諸将は一人もいない筈。
応じれば、浅井、松永、荒木の轍を踏み、自滅は明白。自殺行為だ。
それに信長は次期天皇たる皇太子の誠仁親王を自家薬籠に取り込んでおり、彼を擁立しさえすれば賊軍にはならない。
結局、正親町帝は殺されはしないが帝位は追われ、流罪刑に。
そして信長の望んだ通り、傀儡の誠仁親王が新帝に即位し、朝廷の運命は風前の灯。
よって事は極秘に為されなければならなかった。かつて足利義満を毒殺したように。
朝廷側としては、あらゆる甘言(征夷大将軍叙任)を用いて光秀を唆したであろう。
光秀としても、日本の国家元首たる帝がバックについてるからこそ、主殺しに踏み切ったのだ。
かつて信長が越前朝倉攻めを強行した時、浅井が(たぶん)足利義昭の密命で離反したように。
光秀としても、錦の御旗を掲げての信長襲撃で無い以上、織田諸将への誘降工作において帝の名を出す訳にもいかない。
そこが朝廷の上手い(狡賢い)ところで、決して自ら手を汚さない、いざという時の逃げ道はしっかり確保しておく、
これが悠久の昔から永続してきた朝廷の処世術だ。
だが、光秀を討った秀吉には信長謀殺の弱みを握られ、朝廷は唯々諾々と秀吉の意向に応じざるを得なくなっていく。
その客観的証拠が、秀吉の関白任官前の近衛家入りだ。秀吉は近衛前久の猶子となって、まんまと関白に就任した。
この近衛前久、光秀が滅んだと同時に慌てて出奔し、徳川家康までも頼って落ち延びた人物。
その前久、息子の信輔が断固拒否したにも関わらず、あっさりと秀吉の求めに応じ己の猶子に。
つまり秀吉に信長暗殺の罪の不問を条件に、秀吉の近衛家入りを承諾した訳だ。
加えて巨視的な歴史観からも、本能寺の変は朝廷の策謀だと説明できる。
中世は武家、公家、寺家ら権門が共存する「権門体制」だったのが、信長の出現で、そのパワーバランスは大きく変わった。
武家を統一する勢いの信長は厄介な寺社勢力を完全に膝下に置き、残る公家への圧伏を本格化させたとたんに「本能寺の変」だ。
偶然で片付けるには、あまりに出来すぎている。
天正十年当時、信長の最大の懸案事項は朝廷(帝)の扱いであり、朝廷としても座して死を待つわけにはいかなかった。
上杉と毛利が滅べば、信長は前代未聞のとんでもない権力を手にする事になる。
そうなったら、もはや帝とて信長の絶大な権勢には逆らいきれない。朝廷は崖っぷちだった。
だが朝廷には武力がない。だから誰かを唆して信長を討ってもらうしかない。
その二度と巡ってこない好機が、織田軍が四方に遠征しているあの時期だった。
よって信長を帝退位の決意固めるの虚報で京におびき寄せた。
信長の入京は馬揃え以来一年と数ヶ月ぶりであり、明確な目的があっての在京だったのは自明。
0819人間七七四年
2009/09/29(火) 09:59:13ID:AE/sVmhrでは帝が自ら退位を決意し、それが実現するまで、どのくらいの月日を要するのか、
その理由は何なのか説明してもらおうじゃないか。
また墓穴掘っちゃったね。プッw
そういう君自身古文読めないじゃんw
そういうのを、天に唾する行為。て言うんだよ、坊や。
自分が出来ない分際で、よう他人を誹謗できるもんだ。
実社会では、古文なんて読めなくっても何の不都合もないって事、
「ダメ人間」のオツムでは理解しがたい現実なんだろうな〜w
0820人間七七四年
2009/09/29(火) 10:34:11ID:F6j2U0RO公武対立論自体は朝尾・藤木・今谷・池・立花ら研究者が提唱している(していた)説で、君の論もそれに
立脚したものだろう。
ただ、公武対立論と本能寺の変の黒幕が誰かは別問題なのは分かるよね?
つまり、君の論は公武対立の根拠になりえても、「 なぜ光秀が信長暗殺の朝廷の教唆に乗ったか 」の
説明が全くない。
君の論法だと、荒木謀反の黒幕も朝廷だっていう説も成立するんじゃね?
0821人間七七四年
2009/09/29(火) 12:48:12ID:AE/sVmhr>なぜ光秀が信長暗殺の朝廷の教唆に乗ったか
帝が日本国の正統な主権者だから。
天正十年当時、信長を消したいと思っている連中は沢山いたが、もはや信長との実力差は明白であり、
彼らに光秀を動かせるほどの力も権威もないし、そんな無力な連中の誘いに乗るほど、光秀は阿呆ではない。
光秀には天下取りの野心はない。それは細川家懐柔のため書き記した情けない哀願の書面で明白。
なのに、光秀は信長を討った。織田家で大出世を果たし、織田家に娘を嫁がせて姻戚関係を築いていたのにだ。
となれば、そんな事情を打ち消してしまう程の大物に唆されたと見るのが妥当だろう。
では信長を除いて光秀を動かせる程の大物といえば、該当者はただ一人、時の帝の正親町天皇しかいない。
簡単な理屈だ。
類似の事例が過去にある。浅井長政の裏切りだ。
信長の義兄弟であり、関係も良好だった長政が、敢えて将来有望な信長を裏切った理由は何か。
それは今急襲すれば信長を討てる環境にあり、加えて裏切りの後ろめたさを払拭する要因があったからだ。
それこそが足利義昭の密命であり、信長の越前朝倉攻めの大義名分と同様、自らの行為を正当化できたからだ。
分かったら、素直に私の見解を受け入れなさい。
>君の論法だと、荒木謀反の黒幕も朝廷だっていう説も成立するんじゃね?
それを牽強付会という。
その理屈だと、義昭も信玄も謙信も比叡山も本願寺も松永も毛利も、信長の全て敵の背後には朝廷がいたって話になる。
0822人間七七四年
2009/09/29(火) 23:05:12ID:28gHZhga0823人間七七四年
2009/09/30(水) 00:19:54ID:rfe2o2gW>光秀としても、日本の国家元首たる帝がバックについてるからこそ、主殺しに踏み切ったのだ。
朝廷(天皇)の陰謀に乗って光秀に何の得があるの?
少なくとも、光秀は織田家旧臣とドンパチやらねばならずネコの手も借りたい状況だろうに、国家主権者w
を錦の御旗にすることができないとは哀れだねぇ
0824人間七七四年
2009/09/30(水) 00:57:10ID:R4M0HucI…たぶん読めないのID:AE/sVmhrひとりだけだぞw
0825人間七七四年
2009/09/30(水) 12:14:16ID:CBTSDk5N現代語訳なんだが
0826人間七七四年
2009/10/03(土) 01:25:59ID:BvVZ3p37先行きに対する不安も勿論あっただろう
でも充分に我慢できる範囲内
愚痴とかこぼしながらも真面目にやってた
ふと状況を見たら信長の周囲ががら空き
諸将は前線で手一杯
「もしかしたら天下取れんじゃねーの」って思っちゃった
で、なんかはじけちゃったわけだ
0827人間七七四年
2009/10/03(土) 19:32:04ID:WZSUNh2zフロイスの日本史の原文はポルトガル語
0828人間七七四年
2009/10/03(土) 21:38:36ID:boEnOTQrしかしそれならなぜその後は秀吉や家康は朝廷に暗殺されなかったの?信長だけは暗殺して。
0829通りすがり
2009/10/03(土) 21:51:42ID:cLC5Bz8iやりたい事いっぱいあったろうに…涙が止まらないよ
俺は鬱病の明智が単独でやったと思ってる
ま、両者に相応しい最期の迎え方だと思う。
紅蓮の炎の中で散った希代のカリスマと道端で
落武者狩りにやられたアホ家臣。
0830人間七七四年
2009/10/03(土) 22:58:50ID:SQK4lwSe入社早々、社長の鞄持ちになり
色々なプロジェクトに若輩ながら挑戦する権利を得た
失敗もあったけど、年齢にそぐわない結果を残した
同僚・先輩から妬まれたりもしたが
異例な出世を遂げて、自信もつき
順風満帆だった
しかし、未曾有の不況の煽りを受け
会社の業績にかげりが見え始めると
高給の重役が一斉にリストラされた
「不況下では実力無いものは淘汰されるしかない」と考えた俺だが
先月、役職を解任されたうえに
給与は固定給が激減になり、この年齢で能力給とされた・・・
マイホームのローンだって20年以上残っているのに
0831人間七七四年
2009/10/03(土) 23:02:46ID:UuP0k6pt0832人間七七四年
2009/10/04(日) 00:26:57ID:pldCgCSk本能寺の変がいかに周到に謀略を駆使して遂行された信長抹殺作戦だったかをもっともらしく説明しているけれども
その結果はいともかんたんに秀吉に出し抜かれて
こてんぱんにやっつけられて手も足も出せない状態に追いやられて
太閤殿下すげええええええーっ!
てオチにしかならないことに気づいているんだろうか。
0833人間七七四年
2009/10/04(日) 01:04:05ID:47EZ+nGnでもあの時はあれが一番いい方法だと思えた
後になって冷静に考えれば問題だらけの計画なのに
その時はそれがベストな選択だと思えてしまう事ってあるよな
0834人間七七四年
2009/10/04(日) 20:37:47ID:C5ze34tv真の黒幕というのは、手足として使った人間は、知りすぎているので即刻消さねばならない、というのが常識なのさ。
光秀を使って信長を殺したら、速やかに真相が明らかにならないように光秀も消すのが当り前だろう。
それがわからない光秀がいかに阿呆か、ということだな。
更に秀吉も消せば完璧。実際、豊臣家はその後、消されてしまったしな。
朝廷がいかに凄い黒幕か、分かっていない奴が多すぎる。
0835人間七七四年
2009/10/04(日) 23:43:44ID:OVDc8ZUy0836人間七七四年
2009/10/05(月) 01:52:47ID:03FjDB9Z朝廷ってすごいなー(棒読)
0837人間七七四年
2009/10/05(月) 03:08:22ID:dbAI0Dci0838人間七七四年
2009/10/05(月) 10:31:50ID:YL5qHq4H天皇家そのものも潰れかかっているわけですね。
わかります。
0839人間七七四年
2009/10/05(月) 12:26:41ID:8b7pti/yアメリカが日本をはっきり敵視するようになったのは
満州事変以降だからここから導き出される結論は
満州事変は朝廷の陰謀だったんだよ!
板垣や石原を陰で操っていた黒幕は朝廷だ!
当然ホワイトハウスにも朝廷の手が伸びて…
ん?
そういや少し前に登場する組織が違うけれど
似たようなことを言ってクビになった幕僚長がいたな
0840人間七七四年
2009/10/05(月) 14:48:03ID:NYduEGeO0842人間七七四年
2009/10/06(火) 01:33:32ID:YCQ7ef3c0843人間七七四年
2009/10/06(火) 22:51:23ID:byYya6Vv皆さんはいかがでしょうか?って感じでわ
0844人間七七四年
2009/10/06(火) 23:38:56ID:jB9TrXgw0845人間七七四年
2009/10/07(水) 16:24:43ID:9PPDPesl坂本龍馬暗殺の薩摩藩黒幕説
はゴミ説の双璧だから。
0846人間七七四年
2009/10/07(水) 19:50:23ID:JVAco1xlヨダレ垂らしながら舐めるように下から上に上から下にな目線だたわけ
0847人間七七四年
2009/10/07(水) 20:14:28ID:qY6SipTq坂本竜馬暗殺 中岡慎太郎説大穴
本能寺の変 森蘭丸説対抗
0848人間七七四年
2009/10/09(金) 10:43:11ID:Bd5TkUi8朝廷は黒幕じゃない天幕なんだ。
その天幕を破ろうとした権力者は信長と足利義満しかいない。
0849人間七七四年
2009/10/09(金) 17:44:25ID:Emk34rqb------------------------------------------------------------------------
時系列
6月4日、未明、本能寺の変を知る。
6月6日、午後2時。毛利と和睦後、毛利勢の出方を窺う為、2日滞在した後、備中高松を出発。
同日夜、備前沼に到着。
6月7日早朝、沼を出発。約70キロ先の姫路を目指す。同日夜、姫路到着。
(ここで脱落したと思われる歩兵が追いつくのを2日待つ)
6月9日午前、姫路を出発、約35キロ先の明石を目指す。同日夜に明石に到着。
6月10日午後、姫路を出発、約20キロ先の兵庫を目指す。同日夜に到着。
6月11日未明、兵庫を出発、約25キロ先の尼崎を目指す。同日午後8時、尼崎着。
ここで、池田・高山・中川・丹羽・信孝らの合流を待つ。
6月13日、午後4時「山崎の合戦」開始。
※1938年に、旧日本軍が定めた作戦要務令では、大部隊が連日行軍する場合の標準速度を
歩兵部隊で1日24キロ、騎馬大部隊の場合は1日40〜60キロとしている。
また、秀吉隊は途中姫路で2日を過ごし脱落部隊を待っているが、それでも山崎本戦に間に合わなかった
秀吉直属部隊は結構いたようである。
0851人間七七四年
2009/10/11(日) 09:55:06ID:23UtMsZBいいじゃないか。
伸び長ぐらいしか過大評価出来るのがいないのが
日本の歴史のつまらんところだよ。
0852人間七七四年
2009/10/11(日) 10:00:23ID:Tf2guOt40853人間七七四年
2009/10/11(日) 10:09:26ID:JH58lDs6本能寺を襲撃していた軍勢が信忠軍と気付かずに信忠を討ってしまう
これが真相
0854人間七七四年
2009/10/11(日) 11:42:57ID:5DUwk7JUママのおっぱい飲んで寝ようね。
0855人間七七四年
2009/10/11(日) 11:54:17ID:38l18vyKそれはどこから出た話?
0856人間七七四年
2009/10/11(日) 22:18:55ID:gspr595W0858人間七七四年
2009/10/13(火) 08:02:05ID:OEcU0AVr切なくなるなぁ。当然、結末を知ってるだけに。
明智単独説にしても描き方は色々あるね。
0859人間七七四年
2009/10/13(火) 10:18:56ID:4TahTYuW0860人間七七四年
2009/10/14(水) 18:39:47ID:1GxYORCm片っ端から黒幕にしたてて大安売りしたせいで
謀略だの暗殺だのがずいぶん安っぽくなった。
0861人間七七四年
2009/10/14(水) 18:46:03ID:GdOiooOkこれに関する陰謀論が世界中でブームになってから。
ケネディ暗殺が陰謀ならこのへんも陰謀なんじゃね?と言う安易な企画ネタ。
0862人間七七四年
2009/10/17(土) 05:39:20ID:17yxvawm光秀があっけなく秀吉に討ち取られたのが陰謀論が多いわけだ。
下克上なんか戦国時代の名物だろ。
0863人間七七四年
2009/10/19(月) 02:15:22ID:RR8SwAq7戦国時代の最大の出来事が本能寺の変だな。狂気の天才信長の出現と、その信長を葬り
去った光秀の謀反!
後、全ての歴史はここで大きく変化したわけだから・・・・本能寺の変がなかったら
江戸幕府もなく、首都東京も明治維新もなかったわけだ。光秀の存在は日本人や現代人
に大きく影響を与えたのだね。
秀吉も家康も、信長、光秀から比べたら単なる継ぎ足しに過ぎないね。
光秀と本能寺の変がなかったら、今の自分さえも存在してないと思える。
0864人間七七四年
2009/10/19(月) 02:33:29ID:a4JG0ZnGキミと似たようなのが生まれてもそれは、「違う歴史空間に生まれたキミに似た人」にしか過ぎないし。
0865人間七七四年
2009/10/19(月) 03:30:02ID:mGXAGjxL>狂気の天才
どの辺が? 朝廷を潰そうとしたと一部の人が主張してることか?
0866人間七七四年
2009/10/21(水) 17:26:55ID:O2+GWH4d山崎の時は柳ヶ瀬峠にいたそうだが、ということは東近江路通るつもりだったということか。
遠回りじゃないかな?
どちらにしろ近江の各城は蒲生以外は明智に押さえられてるから、
それ落としながらではまず厳しいところだっただろうけど。
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