本能寺の変
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 02:58:36ID:0SeOl0eW0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 04:59:54ID:U9i4qGUF>近衛前久邸から攻撃できるのは義昭に建てた方の二条御所じゃないと無理と思いますが?
しかしそれだと、なぜ誠仁親王たちがいたのか、という疑問が出てくる訳で。
あと、前日まで雨だったとしても、火をつけるのは家屋の中だから、
介錯された人間が身元不明になる程度には燃えるだろう。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 06:19:11ID:cv9lw/tH光秀=天海説は年齢上考えられないのではなかったか?
光秀ではなく秀満ではないかというのを聞いたことがある。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 15:09:06ID:jupOda8x秀吉の戦略機動は、佐久間・柴田の各個撃破でも披露している得意技だわなぁ。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 17:29:12ID:D0NaUdfdhttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1145513328/
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 21:40:19ID:NLawPrVv延暦寺焼き討ちとか、さんざん坊さんないがしろにしてたのに
なんで、本能寺というお寺を定宿にしてたの?
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 21:58:09ID:MFdAUKob法華と浄土の論争とか面白いよ
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 00:03:16ID:KIv44OHy武装したカルト教団的要素を多分にもっているわけで。
自衛的戦力だけ有してる寺もあれば、そうでは無い寺もある。
(山科本願寺は日蓮宗に攻められ落ちてるし、越前平泉寺は本願寺に滅ぼされてる)
だから俗世とは一線引いて、今の寺のように、援助、保護さえしてくれれば、どうでも良いと言う寺社もあるわけで。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 00:12:59ID:z2O/y78R0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 00:45:33ID:qh0Opq5u本願寺に焼き尽くされて、虐殺されて滅んでスルーされる、富樫。
0074田舎者
2006/06/18(日) 03:07:28ID:0/IzH01n誠仁親王の件も絡んで信忠が籠もった二条御所の場所は意見が別れる所です
しかし信忠は追い詰められて二条御所に立て籠もったわけじゃなく準備をする時間は十分にあったはず
ところが御所を包囲されてから明智軍に、新王が居るので退去してもらってから戦をしようと信忠が言うのは変じゃ?
親王を信忠が気にするなら入った時に出ていってもらうはず。
本能寺の変に作者が後から強引に親王の件を書き足したとしか思えないんだが・・・
それと信長の首には莫大の懸賞がついていたと思う
かりに首一つで数万石といわれたら火の中だろうが飛び込んでいく兵は大勢居たはず
1万人以上の人手があり前日からの雨で水は不足くしていないというのに、身元もわからない程に遺体が燃えてしまった
というのは無理があるのでは?
少数で武具もまともに付けてない小姓等の寄せ集めの兵士が、明智軍の精鋭に信長が完全に燃えるまで時間稼げると思える?
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 03:12:52ID:R5p2WypJ仏教は一つではないぞ。信長が闘ったのは「自分に反抗する勢力」だけだ。それがたまたま宗教勢力だっただけの話で
信長に反抗することのなかった(非権力的だった)浄土宗や法華、禅宗などはむしろ保護されている。
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 07:44:16ID:MAMPcrSb宗教に関しては寛容とすら言える。
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 09:49:25ID:IwgNesdj親王のことは幾つもの当時の史料に出てくるから、書き足しはありえないだろう。
身元を分からなくするなんて、最低限顔面さえ焼ければ済む話。
首級を晒されなかったということは、それぐらいは燃えたと考えられる。
0078田舎者
2006/06/18(日) 13:02:12ID:0/IzH01nそれじゃ信忠が御所が包囲されてから親王を逃がした理由は?
邪魔になるなら、さっさと追い出すはずだが
当時の幾つもの資料を信じるなら、ほぼ全てのものが信長は白い着物を着て腕に大怪我を負い
一人で奥の部屋に入ったとある。
介錯して首を隠す人も居ない、ようは義経の最期と似た様なもの。
身元が分からなくまで明智軍が包囲したまま信長の最期を待っていたのか?
二つとも疑問点だらけだが・・・74は誰の犯行だと思っているのか聞きたい
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 17:31:04ID:Qk4R7tQW潰すにしてもそれなりの理由が有ったわけだし
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 18:13:55ID:ZTOUX4Pi>ほぼ全てのものが信長は白い着物を着て腕に大怪我を負い
>一人で奥の部屋に入ったとある。
はて?どの史料ですか?
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 18:20:53ID:GkqlzTY7>それじゃ信忠が御所が包囲されてから親王を逃がした理由は?
>邪魔になるなら、さっさと追い出すはずだが
それに対しては、逃がそうとする前に包囲されたから、と答えるしかないな。
下人や犬猫じゃないんだから、退去させるのにも時間かかっただろうさ。
>一人で奥の部屋に入ったとある。
何に「一人で」と書いてあるの?
あと、前日まで大雨だったから水は不足してないというけれど、
どうやって水を汲んで消すの?
当時なら打ち壊して類焼を防ぐぐらいしかできないと思うが?
0082田舎者
2006/06/18(日) 19:17:22ID:0/IzH01n>それに対しては、逃がそうとする前に包囲されたから
信長と信忠へ明智軍が二正面作戦を取っていて、追われた信忠が二条御所へ逃げ込んだなら
その答えには納得できるが・・・本能寺が陥落するまで信忠は攻撃を受けていない。
まして御所にいたら命が危ないというなら、公家達は着の身着のまま逃げ出すはず。
>何に「一人で」と書いてあるの?
信長公記・当代記・太閤記・筒井家記・原本信長記・川角太閤記、こんな所で良いか?
当時の信長は仮にも天下人、主君と同じ部屋で自害したり最期を見る事は恐れおおくて家臣はしないはず
>どうやって水を汲んで消すの?
本能寺は人が住んでいたのだから、消す為に使えそうな道具は幾らでもあるし隣の屋敷からでも調達は可能
桶、布団、着物、消すつもりがあれば道具なんて沢山あるし人数も大勢いる
信長の首一つに、どれだけの価値があるか考えれば多少の苦労はいとわないはず
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 21:14:01ID:ZTOUX4Pi>信長公記・当代記・太閤記・筒井家記・原本信長記・川角太閤記
原本信長記と信長公記を別に分ける理由がわからない。
太閤記とは甫庵太閤記の事か?
記憶違いでなければ筒井家記には書かれてなかったと思うが。
色んな名を挙げてるが、君の言う描写あるのは信長公記だけではなかろうか?
イエスズ会日本年報追加に似たような記述あるが、それだと君の今までの主張と違うし…。
御所の件も、誠仁親王や公家の話も晴豊公記の記述はどう思うのか?
当代記を書くなら豊鑑・秀吉事記・惟任退治記を外す理由もわからない。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 21:15:03ID:GkqlzTY7>まして御所にいたら命が危ないというなら、公家達は着の身着のまま逃げ出すはず。
逃げ出す「はず」とか言われても、史実が包囲後退去なのだから仕方ない。
>信長公記・当代記・太閤記・筒井家記・原本信長記・川角太閤記、こんな所で良いか?
『信長公記』
御姿を御見せ有間敷と思食され候歟、殿中奥深く入り給ひ、
内よりも御南戸の口を引立て無情御腹めされ
…どこに一人で、と?
『筒井家記』以外は確認したがどれにも一人で入ったとは書いてないが?
というか『太閤記(甫庵太閤記か?)』『川角太閤記』なんて挙げている時点で
かなり根拠として弱いのだが。
読んだことあるならこの二冊を挙げようとは思わないからな。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 21:24:42ID:FVGgkmb8羽柴秀吉公は変後に宮中公卿、阿弥陀寺住職に接触している。信長卿一周忌にも阿弥陀寺にお願いしているが寺が拒否。
秀吉公は天下一統後に寺領減封処置を行っている。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 21:42:53ID:LuyP0NuA0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 22:17:06ID:ZTOUX4Pi信長公阿弥陀寺由緒書かに書いてあるけど、あの話は伝承だし、
上人が信長と縁があり、墓所作って信長の何かを葬ったと考えた方がいいかと。
確か史板の本能寺スレで、阿弥陀寺由緒書を挙げた覚えあるんで、
過去スレ検索すれば見つかるかも。
0088田舎者
2006/06/18(日) 23:06:46ID:0/IzH01n>84
一人でというのにたいしての答えは、こちらの説明不足と書き込ミスでした・・すいません
信長と一緒に配下の誰々が奥に消えて生死を供にした記述が無い事です
野戦で負けて自害するのなら、配下が主君と供に自害するのは分かります
ただ本能寺の様な場合で自害するとなった時、配下が部屋に一緒に入って自害するとは思えない
何故なら主君の最期を邪魔したくないと思うのと、敵にその場所を荒らされたくないはずだからです
信長の配下は本当に主君を神に近い存在と思っていたのかもしれません。
だとしたら主君の最期を供にするのは、恐れおおい事であったのはないでしょうか?
そこを考えると信長が一人で奥にいき自害したのではと言ったのです
おまえの妄想だと言われたら、それまでですが・・・
御所の件については、史実が退去後だからと言ってしまえば誰も歴史を研究する必要が無くなってしまうのでは?
御所に入ってからの信忠の行動の不可解さを指摘したわけであり史実に従ってしまうなら
光秀によって信長親子は6月2日に死にましたで誰の反論も許さず終わってしまう
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 23:08:01ID:LuyP0NuA変を知ってすぐ来ても明智軍が寺を包囲してるんだろうし、中に入れる状態じゃないよね。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 23:21:26ID:FVGgkmb80091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 23:36:53ID:OeOx/F6cこっちは本能寺が陥落しそうというのを信忠が知ってから、
二条御所へ移動し、親王らを脱出させるまでの時間はそれほど長くないと思ってるからなぁ。
晴豊の日記を見る限り、かなり早い時間に包囲されているようだし。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 00:29:52ID:Fwf53J4q信長の側まで行ったとあるよ。
信長は洗顔中で、手拭いで顔を拭いてるところで、
明智の兵は信長の背に矢を放ち、信長はその矢を抜き、薙刀を取ってしばらく戦い、
腕に銃創を受け、奥の部屋に入り火を放ったとある。
変はすぐに京中に知れ渡り、洛中にいた信長配下は本能寺に駆け付けたが入れず、
信忠の妙覚寺へ入った。
信忠は床についたままだったが、騒ぎで起きだし二条御所に入った。
信忠の後を追った明智勢によって御所が囲まれ、誠仁親王は村井貞勝の勧めで光秀に使者を出し、
「如何にすべきか、切腹すべきか」尋ねたら、光秀から
「直ちに邸をでて、信長の子が逃げないよう、馬に乗らず駕籠にも乗らぬ事」
と希望したとある。
これは弥助から得られた情報だと考えられてる。
弥助は二条御所で捕虜になり、光秀から「黒奴は動物で何も知らず、
また日本人でない故これを殺さず、インドのパードレの聖堂に置け」と命じてる。
イエスズ会日本年報追加は新異国叢書に和訳あるから、一度目を通すといいよ。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 15:51:38ID:3O8s+rO4>信長公記・当代記・太閤記・筒井家記・原本信長記・川角太閤記、こんな所で良いか?
読んでないだろ?
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 20:50:49ID:C8uBufQU漏れは油断を反心を抱いていた光秀に突かれた単独説を信じているけどね。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 21:46:13ID:yjvQbphZ書き方に誤りがあったと認めてるし、読んでなかろうが良いんじゃねー?。
田舎者が書いた信長の死に際は納得できる。
他人のミスを非難するだけの奴より立派じゃん。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 22:09:52ID:T5/xTZC1書き方云々以前の問題なんだよなぁ。
田舎者は挙げた史料のうち幾つかは絶対読んでない。
書き込む内容自体はまともなんだから、無理することはないのにねぇ。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 22:27:51ID:yjvQbphZ俺は君みたいに詳しくないので、読んでないという理由がわからないのだが?。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 22:37:46ID:T5/xTZC1田舎者に尋ねてみるといい。
信長自害の場面を『川角太閤記』はどう描いているかを。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 23:33:52ID:Fwf53J4q二日正午の第一報は光秀と信澄の共謀という情報で、
次の日には信忠が二条御所に籠城した為、「当今(天皇の事、ここでは誠仁親王を指す)」
を人質に取り、天皇も自害、新院(上皇の御所、ここでは正親町天皇を指す)
も放火されたとある。
他にも「細川殿」が殺された、筒井順慶が切腹させられた、
筒井勢が光秀に加担する為近江に入った等あり、鎮静化する18日頃まで噂が飛びかってる。
イエスズ会日本年報追加には、信長が五月の誕生日に自身を神と崇める祭りを行なう命令をし、
その19日後に死んだ事や、光秀の敗北の原因を、摂津にいた信孝や
毛利との戦いに赴いた秀吉を放置したからと書いてる。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 23:47:29ID:FbmkdxiU四王天政孝
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 00:45:22ID:LgRXfrlk0102無名武将@お腹せっぷく
2006/06/20(火) 11:47:42ID:lJoaSsnnあと長男の信忠がスマートに後継者になれないとしたらどの勢力が邪魔してるのか、
信忠の変後の展望と誰を支持勢力として織田家まとめようとしてたかも教えれ。
ちなみにその場合も単独犯とかいう行き詰った結果のお馬鹿論争だけはやめてけれ。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 15:44:16ID:rLeM7OiS主要説のひとつなはずなんだけど。
自分は朝廷説でなく、一部の公家衆による光秀煽動説だけどね。
だから光秀単独説なのかな?
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 17:11:23ID:GaBo3o9j重臣のリストラから不安になり謨反
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 18:38:34ID:fiAmucjq0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 22:48:55ID:2OZAkk8B信長のおかげで朝廷領が回復したり、公家の領地が増えたんだから。
乱世に戻ればこれらがまた横領されて、
天文・永禄の頃のような公家たちが献金を願って全国を回るような貧乏生活。
信長が無官なんてのも、公家から見れば重要なポストが一つ空いた訳で、
喜びこそすれ、なぜ恐れなければならないのか理解できない。
…なんて考え方もありだよな。
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 23:52:27ID:IGWNWCrj宮中の行事システムが回復すれば権威が横行する。信長も当初、色々勧誘されて都という訳の分からん、しかしなくちゃ困る物に嫌気がさしたんじゃないのかな?
嫌になったんだよ、きっと。だから新都市を築いて都の法則を嫌った。
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 23:59:31ID:2OZAkk8B>公卿どもは自分の暮らしが安定すれば感謝を忘れ利己に走る。
利己、つまり信長に要領よく接すれば領地が増える。ありがたい話だ。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 00:06:50ID:78wBR7wy人生五十年が口癖の無神論者が「ワシは神である」て、言うかな。
100歩譲って言ったとしても、それ受け狙いだから。そこは笑うとこじゃん。
まあ、光秀は笑いの通じないキンカン頭だから、しゃーないけど。
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 00:31:09ID:kjeCarv6信長の存在の大きさを自分の頭部とかけて揶揄されたと脳内結論。そして謀叛。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 15:14:13ID:ybq399SP0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 15:16:57ID:tvxyoPMS朝廷領の回復…まぁ、大事な事かもしれないけど公家や朝廷が一番守ろうとするところはそこじゃないだろ
朝廷の存続、大局見てないって言ったら言い過ぎかもしれないけど…朝廷領とかは大事の前の小事なんじゃないか?
俺は信長に脅威を覚えていたと思うんだが
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 15:18:09ID:Z6XlPt5e0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 17:26:42ID:kCECTd5J0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 18:59:57ID:78wBR7wy今と同じく、400年前の戦国時代でも、ハゲやヅラの人は侮蔑の対象として、
理不尽な辱めを受けていました。その証拠に「金柑元結」と言うキンカン頭専用の
元結があったぐらいです。
その苦しみは本人にしか分かりませんが、身体的コンプレックスをからかわれ、
苦しんだ末に自殺する人もいるぐらいですから、結構、深刻な話です。
衆目の前で「キンカン頭」呼ばわりした信長を、光秀はどうしても許せなかった。
そして「いつか殺してやる」と考えていた。としても何ら不思議ではありません。
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きんかん-あたま 【金柑頭】
はげあたま。
「大辞林 第二版」より
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金柑の画像(ミカン科の常緑低木。中国原産) ツルツルしてます
ttp://sadashifujimoto.blog.ocn.ne.jp/rannchann/images/5665_thumb.jpg
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 21:06:01ID:TIp9ihYa>俺は信長に脅威を覚えていたと思うんだが
脅威とは? 具体的に。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 21:21:34ID:e3CwkPyJむしろ信長は朝廷の権威回復に非常に気を使っている。
信長が朝廷を滅ぼす、なんて説が出てきたのは、全て戦後の小説からといって間違いない。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 21:28:59ID:U6axRsCT松永久秀が光秀をそそのかした
彼は数年前に爆死したらしいが、
じつは平蜘蛛ともども生き残っていたし
一番可能性が高い
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 21:57:47ID:59l+CZw/六 角 親 子 を一押しdane
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 22:34:35ID:wq6mLK8L織田信勝が光秀をそそのかした
彼は二十数年前に暗殺されたらしいが、
じつは平手ともども生き残っていたし
一番可能性が高い
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 22:43:42ID:TIp9ihYa****が光秀をそそのかした
彼は**年前に*死したらしいが、
じつは(**ともども)生き残っていたし
一番可能性が高い
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 23:41:22ID:iSg1gneA実は柴田と仲が悪い。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 01:18:45ID:5pS2YYrw室町幕府という権威に対向しうる組織として朝廷を利用したと考えてる。
その為、幕府組織が完全に崩壊し、信長自身が義昭を越える官職位を得たら、
朝廷権威を取り込み、形骸化させようとしていたと思える。
それが安土城の清涼殿であり、五ノ宮の猶子であり、三島暦導入であると思う。
それに対して一部の公卿が危機感を抱いて、光秀を煽り(騙した、と言うべきか?)、
光秀も朝廷の支援があるものとして行動起したのではにかと思ってる。
まぁ憶測の域から出ないんだけどね。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 01:48:14ID:5uB/gjZTそれでもせいぜい徳川幕府程度だろ。すでに織田家は子息も家臣団にも、朝廷官位によって序列付けを
行っているのに、この権威の源をぶち壊すって事はどう考えても合理的じゃなかろう。
権威と言うのは、織田家に取り込んだりしたら、その時点で意味がなくなる。
ついでに本能寺当時はある程度余裕が出来ていたとはいえ、まだ四方に敵を抱えているんだよ。その時点で
わざわざ朝廷を敵に回すような行動を起こすほど信長は馬鹿じゃなかろう。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 02:05:36ID:5uB/gjZT皆当然のことのようにそう色分けしているが、同時代資料を見ても、信長は確かに強い合理主義者では有るが
社会制度的には極めて保守的だよ。それは自分の息子たちや、家臣団の序列を官位によって決定する事もそうだし、
社会政策的にも、信長独自の施策はほとんどない(無論戦時中で新しい施策を執行する暇が無かったとも考えられるが)
他の大名にやって成功した事の真似か、その真似の真似ばかりだったりする。
逆に光秀は、その領国の坂本において、織田家の中でも突出した最先端の行政を行っている。また比叡山の焼き討ちにおいても
後世の小説とは異なり、信長の攻撃命令に最初から賛同し、現場では積極的に焼き討ちをしている。無論後悔の念など全く記録されていない。
また銃の集中活用も、光秀の丹波攻略戦から見られるようになった戦法だったりする。
このように宗教的、政治的、軍事的な意識においては、光秀は信長と同程度か、むしろ少し先を行っていたと考えても、よい。
逆に光秀の立場から言えば、信長の方が「古い」のである。
…と言う考え方も出来るんだなあ。憶測ながらね。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 03:01:12ID:0lTV0DgM0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 03:43:46ID:RZ2o2IFF裏切りを一番良く見てきた男のはずなのに。
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 03:50:42ID:YTsU5fpl0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 16:48:00ID:5pS2YYrw信長が朝廷を敵に廻すとか、朝廷を潰すとかどう捉えるか、合理的か判断したのか等は見解の相違で
意見が分かれる所なので、言及はしないし、確かめようが無い。
問題は信長がどう考えていたのかではなく、公家がどう捉えていたのかを問題視している訳で。
信長のその気がなくとも、相手はそう捉えなかったら関係ないんですよ。
実際問題として、暦の変更は有史以来、朝廷が決めることであり、陰陽の関係の暦注などもあり、
絶対に許されざる朝廷の権利であった訳で、それに介入するのは、信長以前は存在していない前代未聞の事。
ここからは憶測。
これを一部の公家が朝廷の権利を犯し、将来的には朝廷を潰すと捉えても不思議ではないし、
そう捉えた公家衆(土御門久脩、吉田兼見、近衛前久、高倉永相、中山親綱、広橋兼勝等)が、
朝廷は光秀の決起を容認支援すると煽動したのではと思ってる。
それと信長が革新派や光秀が保守派とかも色々見解あろうが、
少なくとも古来から常識であった寺社の武力維持と政治への介入を拒否したのは信長で、
光秀は旧幕府側の人間と関係が深く、本能寺後も伊勢氏など協力を得ているのは確か。
>その領国の坂本において、織田家の中でも突出した最先端の行政を行っている。
申し訳ないが、どの史料を見ればそれがわかるのかな?
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 17:43:26ID:5uB/gjZTどうも朝廷黒幕派の人は、三島暦導入問題を過大に見てるように思うよ。ぶっちゃけ内容は、既得権と言うか
慣習として今まで三島暦を使っていた地方での、社会的混乱が起こるのを恐れて「その地域はしばらく三島暦で行かせてほしい」
って要求でしょ、信長側からの。素直に資料を読めばそういう結論に至ると思うんだけど。
「信長=革命家」って公式に浸り過ぎると、見方がゆがむのではなかろうか?
ちなみに暦を変更すると大きな混乱が起こるのは、明治の時で証明済みですな(一揆まで起こったし)
>光秀は旧幕府側の人間と関係が深く、能寺後も伊勢氏など協力を得ているのは確か。
それでは京都制圧に直に足利氏や幕府官僚層の協力を得ていた信長はw
イデオロギー的に対極にあるものが。「敵の敵」として手を結ぶのはよくある事ですよ。
>>その領国の坂本において、織田家の中でも突出した最先端の行政を行っている。
>申し訳ないが、どの史料を見ればそれがわかるのかな?
考古学的発掘。少し前ニュースになったような。ほとんど江戸期のものかと思わせるほどの城下町だったらしいですよ。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 17:53:06ID:9ZtlX3eW>ぶっちゃけ内容は、既得権と言うか
>慣習として今まで三島暦を使っていた地方での、社会的混乱が起こるのを恐れて
>「その地域はしばらく三島暦で行かせてほしい」って要求でしょ、信長側からの。
>素直に資料を読めばそういう結論に至ると思うんだけど。
どの資料を読んだの?
晴豊記には再三暦問題出てるし、地方暦の三島暦を全国基準にしろと
信長が要求してるけど。
資料名を是非知りたいのでよろしく。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 21:22:29ID:5pS2YYrwいえ、だから朝廷が黒幕とは言ってません、。一部の公家の煽動と言ってるだけで。
それで暦を過大にというが、当時の暦は占星的なものも含め、神聖な意味合いもあった訳で、
それを信長が宣明暦から三島暦にさせるよう要望するのは、朝廷の存在意義の一つを
否定することに他ならない訳で。
信長が革命家とは思いませんし、それは人それぞれの認識の差で違うので言及しませんが、
信長は当時の人間の中では価値観や思考が違っていたと思われます。
それと>>131も指摘してるが、信長が濃尾を含む東海地方で使われていた三島暦の継続を願うとは
どういう事でしょうか?>>130の書き方だと、朝廷が暦を宣明暦に統一せよとしたのを
信長が反対したという風に受け取れますけど・・・。
>それでは京都制圧に直に足利氏や幕府官僚層の協力を得ていた信長はw
この時の信長は幕府の保護者では?状況が違うかと。
>考古学的発掘。少し前ニュースになったような。ほとんど江戸期のものかと思わせるほどの城下町だったらしいですよ
すいません、これだけではなんとも・・・、こちらでもそのニュース探して見ます。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 21:30:20ID:CiXGrp5b「公家黒幕説」ではなんか違うし・・・
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 23:14:51ID:MTcupvHU明智が信長に対し腹立って殺した、これでええねん。
単純でええねゃ。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 01:38:15ID:CoxYOowrええやん。と言っても本能寺の変について語るスレなんだがw
「腹立って」と言っても、それが単純かどうかはわからない。
どういう理由で腹が立ったのかを考えるのでなければ、このスレに書き込む意味が無い。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 07:59:59ID:pVmJ4bQ+0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 10:05:14ID:Kr0SeCNp0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 15:28:40ID:ll7P0Ak50139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 17:46:14ID:+Qwmxoqk同意。
光秀の気持ちひとつの単独説かと私も思ってる。動機解明は難しいが光秀の中で何らかの感情がはじけて一気に謀反へと走ったのかと。
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 17:52:37ID:i43kOD5h俺も同意。
色々背景を考えるのも楽しいけど、結局は「ムシャクシャ(ry」が一番納得できたり。
そういえば昔歴史の教師が言ってたな。
「信長は天下が欲しかった、秀吉も欲しかった、家康も欲しかった、そして光秀も欲しかった」
でも、天下を取る為に練りに練ったって感じじゃないところとか考えると、やっぱり
「ムシャクシャ(ry」っぽいよな
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 22:08:20ID:Fmlad+qe「本能寺の変 本当の謎」 円堂晃著
発行所 並木書房
図書館で借りたのだが、かなり興味深かった。
是非、一度読むべし。
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 01:56:37ID:dXfHcw2Y0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 02:48:23ID:UUrsegGR0144あけちみつひで
2006/06/24(土) 14:42:37ID:dXfHcw2Y0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 15:08:22ID:8yXORgu/0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 17:07:00ID:OsV4rTFt0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 20:19:19ID:UUrsegGRただ下が上を剋っただけだから。戦国の世のならいに光秀は従っただけ。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 20:20:50ID:bq5DR80o0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 21:22:19ID:RRkh3DAO堺商人説なんてあるんだ
詳しく
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 21:32:49ID:zwcg30xIこれを堺の町衆が嫌った。
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 21:42:12ID:OHbzC6K70152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 22:51:48ID:amrfkSnt0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 01:33:51ID:FFhK5vHmそうそう。信長なんか裏切られまくってるじゃん。
最後の最後で忠誠心が薄くなった光秀に反逆されてあぼん。
信長が油断しきっていたのは間違いないと思うし、劇的に描かれがちだけど意外にあっさりと最後はあぼんしたんじゃないかな〜?と想像する。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 01:40:32ID:FFhK5vHm類をみないほどの家臣思いの将で、統率も正確で緻密だったらしいね。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 07:47:34ID:gG07C3we身内には慕われるが外の人は気に食わなかったのかも。
0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 08:04:00ID:E+cwpGEPもちろん事前の根回しなんか出来なかっただろうし。
どこの勢力だって我が身大事・・・と言うか、時代をかぎ分ける力がなきゃ
生き残れない時代だもの。
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 08:08:16ID:82lvwzAH羽柴の横槍で引き金になった四国攻撃は光秀を大変悩ませた。同時期、光秀にいろんな土豪から文句の嵐。
信長政策の一つ、楽市・楽座によって今まで通用していた権益を失う土豪連が多く、光秀の領土拡大政策の一つにもなっていた事から
光秀も土豪連が押さえ切れなくなっていた。そこに、羽柴・三好に肩を持った信長が巨大な渦となって光秀の目に映った。
0158無名武将@お腹せっぷく
2006/06/25(日) 12:04:53ID:w+G5c/Wxそれもあったかもな。ただ三好勢絡むなら毛利も絡むはず。
>>147
戦国に地域ごとの下克上はあっても、天下取るなんて発想は
どの大名にもそうはない。まして一武将が単独で天下狙える
ほどこの時代も甘くはない。村上Fでも見ろ。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 13:40:08ID:xt52aHmL光秀が安土に入ったのは下克上だよ
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 14:32:58ID:FKau1o/s松永久秀が光秀をそそのかした
義輝を暗殺した展開とよく似ている
一番可能性が高い
0161無名武将@お腹せっぷく
2006/06/25(日) 14:43:33ID:w+G5c/Wxもし信長天下がなってたら家臣団で埋めて、秀吉天下とは中身が
全然違うんでないのか?統一王国と連合国家くらいの違いがある。
もしも光秀だろうが信忠だろうが天下狙うならどんな戦後体制が
できると言うのよ?一地域に勢力築く目的だけなら天下じゃなく
て大名狙い。
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 15:08:49ID:IvKP5D5Sふと状況を見ると、まるでお膳立てされたみたいに簡単に信長親子の首が取れそうだった
だからやった
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 16:31:20ID:KvIc0hAA0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 16:56:47ID:cAduO/O9とりあえず3についてだが、死体は見つからなかった訳じゃない。
焼死体やら普通の死体やらごろごろあったに決まってる。ただ信長と分からなかっただけ。
それと雨の日に火災事故が無いとでもお思いか。
1万人いようが堀に水が満載だろうが人力では火は簡単に消せません。
現在でも放水車で大量の水を使っても消すのに数時間かかります。
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