510の続き、、、
密勅の内容は非公式、将軍宣下はされていない。
詳細は、「信長父子抹殺後、京周辺の安定・外敵を駆逐すれば宣下する」といった内容。
非公式を裏付ける証拠が光秀に対しての伝奏が公人(公家衆)ではなく、民間人の
吉田兼和を採用した事。それまでの伝奏は全て公人もしくは女官であった。
光秀が朝廷や寺社に金をばら撒いたのはその返礼のためである。
正親町帝も密勅に気付いていたが黙認、本当に光秀が情勢を安定させれば宣下して良い
と考えていた。しかしあっさり敗退し横死したため朝廷が慌てて証拠を消して回った。
変に関しての記物が少ないのもそのせいだし、「兼見卿記」に関しても変の部分だけ
破られているのはそのためである。