本能寺の変
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 02:58:36ID:0SeOl0eW0384名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 02:05:48ID:sX+fr6SE>>380
明智光秀「逮捕しに来ますた。」
0385名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 02:09:55ID:BHwPxEQu0386名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 07:10:33ID:Yld1wF+60387↑
2006/11/05(日) 09:36:28ID:rIqdn9ct日曜洋画劇場特別企画
「信長の棺〜本能寺炎上後、消えた信長の死体!?光秀、秀吉、家康…真の暗殺者は!?
空前のスケールで描く大ヒット歴史ミステリー、初の映像化!!」
0388某研究者
2006/11/07(火) 11:56:24ID:fk/VkzwT>ところが途中から信長は暴走し,イエズス会にとって困った存在となる。信長に
>とってイエズス会とは金と武器を出してくれる便利な存在であり,キリスト教の
>教えはどうでもいい事だったらしい。
>1582年に本能寺の変が起き、信長は光秀に暗殺される。しかし、同時期に、織田
>水軍が大阪湾上で、四国攻めの準備を行っていた点は看過できない。つまり、鉄
>鋼船を含む織田水軍は将来、フィリピン遠征の危険があると察したスペインが、
>キリスト教宣教師を使って信長を暗殺する駒として光秀を動かしたという仮説で
>ある。
> 私はこの説を支持するが確証がないため、仮説としておく。つまり、信長はシ
>ーパワーであるスペイン、ポルトガルと結ぶことにより覇権を握ったが、彼らに>危険視され消されたのだと。鉄鋼船の保持は、現代で言えば潜水艦発射核ミサイ
>ルに相当する。そんなものをもつことを許さなかったのだ。日本が今でも許され
>ないように。
鉄甲船は外洋艦では無いだろうし
大砲も少ないだろうが
其れでもキリスト教徒には脅威と映った可能性は
有るのかも知れぬが
0389名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 12:46:14ID:bE3m3zXB0390名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 20:46:02ID:U7+WmlRH2007年1月29日午後9時放映
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20061220-OHT1T00066.htm
0391名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 00:04:11ID:7l5lXsP00392名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 00:31:11ID:BMK2yA4c0393名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 06:40:51ID:TFDfBKam0394名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 03:11:05ID:77UMryXA0395名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 09:06:48ID:ij07wLj8島津家に引き取られたっていうのを読んだな。
0396名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 04:17:40ID:kvH4Slyf島津なめんな
0397名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 01:22:34ID:zFr+ato70398名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 02:31:18ID:KmsQtIca0399名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/07(水) 00:41:45ID:foS8Mand0400人間七七四年
2007/02/27(火) 00:59:08ID:bULMTAKj0401人間七七四年
2007/03/18(日) 21:34:50ID:E2KSissy本宮ひろ志乙
0402人間七七四年
2007/03/18(日) 22:16:42ID:gj74ESnw0403人間七七四年
2007/03/19(月) 00:11:52ID:RfZ7iZ/n【歴史的難儀】本能寺の変の真犯人判明2【解決】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174220839/
0404人間七七四年
2007/03/19(月) 14:37:00ID:YinG61Ae0405人間七七四年
2007/03/25(日) 23:24:24ID:y+yIeKwB酷であろうと述べている。
がどうかな。確かに京周辺には敵はいなかったかも知れないが
これまで何度も裏切りにあってきたことを思えば不用心だったの
ではないか。
0406人間七七四年
2007/03/28(水) 19:20:11ID:yaZ4AcgN遺骸が見つからず首を晒されなかったのは良かったのかもな。
信長の墓と称するものは多くあるのは遺骸が見つからなかったこそ
なんだな。どれにも遺骸はない。
0408人間七七四年
2007/04/05(木) 22:27:39ID:17iKXq72松永久秀、荒木村重は謀反は起こしても
自分の城に篭城などするだけで信長の命は
狙ってないからな。
結局信長は自分の命を狙う者など、それも
家臣から出るとは思いもよらなかったということか。
0409人間七七四年
2007/04/14(土) 23:30:49ID:bopZ5h9O最近本能寺本を出した研究者は光秀の動機は
四国政策と、斉藤利三の存在ということでほぼ一致
してるようだ。
これが真実なのではないか。
0410人間七七四年
2007/04/25(水) 22:25:38ID:6anv3gFzIFを想像してみたくなるものはないな。
・秀吉の中国大返しがなかったら
・信忠が生き延びていたら
・家康が最初言った通り追い腹を切っていたら
もちろん明智がそのまま天下人になったら?というのも
あるな。
0411人間七七四年
2007/04/26(木) 05:26:38ID:mMmn+dCf明智の動機より、秀吉や朝廷やらが絡んでいたのかって方が重要な気がする。
明智は実行犯なだけで、主犯や教唆した存在が別にいるのかって部分が。
0412人間七七四年
2007/04/26(木) 19:32:33ID:uNkGMH6Iそんな貴方にこの本をお勧めする。
鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で殺されたのか」
洋泉社、2006年
0413上州人
2007/05/13(日) 13:24:17ID:qVdJNUIA明智はそこまで馬鹿ではない。明智が信長を討ち、反信長と連携するだけで
天下を取れると妄想しているとはとうてい思えません。上杉は滅亡近く、
信雄は伊勢に展開している。秀吉がしばらく来ないと想定しても北陸方面軍、
摂津軍が引き返してくるは必定ですからな。
0414上州人
2007/05/13(日) 13:54:17ID:qVdJNUIAその前に本能寺の前の頃に家康が安土に訪れている。黒幕として疑いたくなるが、
秀吉がちょうど援軍要請をしている。そして、信長らは光秀らにおそわれた。
家康が畿内に来る時に起こっているのは偶然だろうか。そこで、私は秀吉黒幕
説を押します。つまり、光秀が信長、家康を討ち取り、秀吉、光秀で天下に挑む。
秀吉とすれば恨み重なる自分をさげすんで見た者達への復讐、光秀とすれば朝廷を
守護できる。思惑は一致した。しかし、秀吉は本能寺の変後すぐ裏切った。
つまり、復讐戦争に見せかけ、天下簒奪をおこなったのだ!!!!!
0415上州人
2007/05/13(日) 14:17:16ID:qVdJNUIA一、秀吉の中国大返しが異常に早い。
二、毛利と疑われず、にわかに不戦を結べるか。
三、家康が畿内にいるときに起きた。
四、有力武将が遠方に多い。
五、安土城に天皇の住まいにしようとつくられたらしきものが見つかった。光秀は朝廷思い。
信長は朝廷との関係が決裂の方向に向かっていたのだろうか。
六、長宗我部と融和策を取り続けてた信長は突如裏切り、光秀の
面目は丸つぶれ。
七、秀吉は信長に援軍を要請した。
光秀を仲間に吸収しやすく、天下簒奪できるかもしれない。
証拠からして綿密に毛利にまで前々から手をまわしていたのだろう。
証拠は他にもたくさんあるがこれくらいと致します。
0416人間七七四年
2007/05/14(月) 01:05:24ID:z+t8YAaQ0417人間七七四年
2007/05/14(月) 09:19:08ID:ng939ZbB続きは三戦板でやりましょう。
http://ex21.2ch.net/warhis/
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167304387/554
0418人間七七四年
2007/06/04(月) 13:45:27ID:3jUhzXzi1.動機はさておき首謀者は明智
2.黒幕が他にる
興味本意のアンケートなのだが
0419人間七七四年
2007/06/04(月) 13:59:58ID:NAmROmTo0420人間七七四年
2007/06/04(月) 17:03:19ID:Tw2ADXqJ1です。
単純に明智の謀反だと思う
主君を殺した後の事も考えて共謀者もいるはずだが
明智、本願寺勢、朝廷だと思ってる。
そもそも光秀をエリート人間と思う事が間違ってるね
主君を殺して安土から物資の略奪も行ってる彼らがエリート集団とは思えない。
0421人間七七四年
2007/06/04(月) 18:06:20ID:4UtyW2ZD0422人間七七四年
2007/06/04(月) 18:39:13ID:txyeuyN3商売の都合で、大大名と付き合いがあるから、処世として
ある程度の教養を身につける必要があっただけという気がする。
最近出版された書籍内で、妻木氏出身説が書かれていたが、
光秀が住んでいたという明智城と、本来の土岐氏傍流の明智城の場所が違うから、
単純に妻木の二男や三男が土岐氏傍流の明智氏の住んでいる土地ではない、
別の明智という土地に住んで、明智を名乗り始めただけなんじゃないのかな?
分家の名乗りが変わるのは、そういう経緯の場合は多いし。
二男、三男なら、織田信長の母衣衆みたいに取り立てられる場合は珍しく
半農状態になる場合もあるし、商家を兼業する場合もあるから
鉄砲商人もあってもおかしくないかもな。
0423人間七七四年
2007/06/05(火) 17:22:50ID:yySipxPL興味深いカキコだね
信長の死は光秀を徹底的に調べれば答えが出てきそうな感じはしますね。
明智光秀と結託して信長を攻めたんだろうけどあまりに浅はか過ぎるね
0424人間七七四年
2007/06/07(木) 06:51:50ID:CzdLPRjB光秀は鉄砲の扱いに長けていたらしいし、有り得なくもないかもね。
0425人間七七四年
2007/06/07(木) 12:42:25ID:Ua27ETHK織田家中において勢力の心臓部でもある京都と周辺の一切を預かる立場にあった明智光秀は間違いなく信長に次ぐNo.2であり、信長公記のように疎まれていたのではなく、各地方軍団を任されていた諸将よりも信長に信頼されていたはずだ。
有力家臣は地方で合戦中。信長と信忠は京都で僅かな兵しかいない。光秀が翻意を持ったとしてもおかしくはない。
0426人間七七四年
2007/06/07(木) 14:09:10ID:bmWXmAOXそれが証拠って…
0427人間七七四年
2007/06/30(土) 02:01:20ID:Rq1BE1x4俺はその場所が茶屋四郎次郎の別邸という説に一票入れる。
偶然堺にいた家康の元へ茶屋が駆けつけて光秀の謀反を知ったというのは不自然と思う。
家康が京から堺へのんびり見学したなら、京で必ず立ち寄ってるハズ。
立ち寄った史実がなく、すっ飛ばしていきなり摂津へ向かったのは
信長暗殺計画を既に知っていたものと推測可能。
0428人間七七四年
2007/06/30(土) 02:22:47ID:Rq1BE1x4@幼少期今川の人質になる予定が織田側に拉致されたこと。
A浅井長政謀反で信長の我侭に散々振り回されたこと。
B姉川の合戦で浅井軍と戦わせて貰えなかったこと。
C惨敗した三方ヶ原での援軍数の少なさ。
D武田に対抗する為に同盟を結んだ上杉謙信が信長に暗殺された
E長男信康切腹の命
F武田を滅ぼした頃から、四国にいた秀吉よりも早く信長の光秀折檻を知っていること。
G武田が滅んだ後の甲斐・信濃に対する領土拡張
H信長が成敗した伊賀を態々堺からの帰り道に選んだこと
I茶屋四郎次郎の別邸での暗殺計画
※あくまで推測です(笑
0429にゃんこ
2007/06/30(土) 11:34:31ID:MvUbXA/Y過半は、対毛利防衛(宇喜多)や行軍中の脱落。つまり、大返しの実態は
「宣伝戦」。秀吉は、大返しの準備などしていなかった。秀吉は黒幕
ではない。
1,筒井は、一端は光秀につき、一部の軍を河内侵攻に向けている。その後、豹変。
2,光秀は、50〜100日で畿内を制圧すると、細川に伝えている。
3,戦国大名とは、国人の連合体。君主の求心力を欠ければ解体しやすい。
4,変後、滝川は壊滅。甲斐では一揆。四国渡海軍は内紛。
1〜4の事実から考えれば、光秀には十分、勝算はあった。むしろ、譜代の
少ない秀吉軍が解体せずに、ハッタリとは言え、「大返し」に成功した事の
方が奇跡的。この秀吉の逆転ホームランが無ければ、光秀が一番、天下に
近かった。
0430にゃんこ
2007/06/30(土) 11:50:55ID:MvUbXA/Y1,秀吉軍主力は、信長の命により、秀吉に付けられた寄子である。秀吉の
家臣ではない。にも関わらず、信長死後も解体せずに、秀吉の家臣の如く
従っている。
2,「信長は生きている」というデマを流して、畿内の諸侯の光秀側参戦を迷わせて
「秀吉が大軍を引き連れて帰ってきた」という風評で、諸侯を糾合している。
秀吉にも多くの過ちがあったろうが、この時の秀吉は超超大有能である。
秀吉の幸運と光秀の不運。
0431人間七七四年
2007/06/30(土) 13:11:35ID:tVXJmA+e末裔毛利を滅ぼそうとしている自分に源氏光秀は「俺何やってるんだろう?」
と思って「敵は本能寺にあり!」と思って突発的にやってしまったんだろう。
0432人間七七四年
2007/06/30(土) 20:59:16ID:BYHwWkjD常々共もつけずに外出とかしてたみたいだし。
お忍びだし、本人武術の達人とはいえ、若くて元気なときならともかく、もう大分爺さんになってるのに。
しかも本拠地は、「何がどうでも信長に一矢報いてやる」と息巻いてる甲賀忍者や伊賀忍者が住んでる
甲賀や伊賀から半日もかからない安土だし。
よほど心服してなければ「何時死ぬか解らない殿様」にはついてゆけないものだよ。
信長は嫡男の信忠に実質的な家督相続を急いでいて、信忠とつながりの薄い自分は将来の発展が
見込めなかったこともあるだろうし。
もっと踏み込めば、功臣というものは、その忠誠心が薄ければ、世代交代時や統一後など守りに入る時に
結構な確立で粛清されるものだ。
光秀には、信長が我が子可愛さに最後は光秀を粛清する人間に見えたんだろう。
そんな殿様よりは、親戚でもある部下の娘が嫁いでいる長曾我部につきたいというのもあっただろう。
実際の信長は、光秀が信長の言い付けに筋の通らない不服申し立てをしたのに、その後20人ほどしか
供もつけずに京都に入るような、暢気というか、悪気のない人間なんだけど。
中国古典などの常識に従えば光秀は粛清対象だからなぁ・・・・・・。光秀の行動も仕方ないと思う。
0433人間七七四年
2007/07/03(火) 11:00:17ID:e7jaCYme書き込みがないようなので、ageがてらの単純な質問です。
1.天正十年時点の軍団長クラスで信忠とつながりが薄くない武将、って誰かいますか?
2.信長在世時点で功臣を粛正しまくった中華皇帝と言えば、漢の高祖と明の太祖が有名
ですが、功臣達の忠誠心の強弱と粛正されたか否かに明確な相関関係はありますか?
貴方の設定した条件では、柴田勝家はいつ粛正されるか、びくびくものだったでしょうね。
0434人間七七四年
2007/07/03(火) 14:35:14ID:49O5QItiそう言うのに興味があるのなら自分で妄想するんじゃなくて
もっと最近出された論文とか読めよと思う。
0435人間七七四年
2007/07/03(火) 17:47:15ID:e7jaCYmeこの板のカテゴライズは「趣味」ですよ。
大半の人は史料といっても、活字化された読み下し文しか読めないでしょうし、
論文と言っても大御所の論文集とか、概説書しかふれる機会がない。
そこで得られた知識を元にあれこれ推察するのは楽しいことだし、他人の批評
を仰いでみたいと思うのも、知的な趣味の範疇じゃないでしょうか?
このスレは「妄想」レベルの発言は少ない方だと思いますが、過去レスは読ま
れましたか? 陰謀説そのものが妄想だと言われてはスレの存在意義がない。
あなたが最新の論文に豊富にふれる機会がある人なら、史学板へどうぞ。
0436人間七七四年
2007/07/09(月) 15:31:16ID:XF87pXeB歴史を論ずるのに日本史板とか三戦板とか戦国時代板とか関係ないんだよ。
学問だろうが趣味だろうが酷い妄想を垂れ流せば叩かれるのは至極当然の事。
逆に妄想でも説得力を持てば評価されるだろうが。
最新の論文なんて図書館に行けばある程度読む事もできるしその程度の努力もしないで
「趣味です」なんてよくも言えたもんだな。
0437名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/07(火) 10:02:29ID:e6txtD+g旧本能寺跡 信長、“城塞並み”防御か
京都市中京区の旧本能寺跡で、「本能寺の変」の直接の証人というべき
大量の焼け瓦が見つかった。瓦が埋まっていた堀には、堅固な石垣が
積まれ、境内全域ではなく特定の建物を守る堀だったとみられる。
織田信長が全く無防備の状態で襲われたのではなく、城のように防備を
固めていた可能性が出てきた。
本能寺の変は、毛利攻めを命じられた明智光秀が謀叛(むほん)を起こし、
1万3千の兵を率い就寝中の信長を襲った。信長はわずかな手勢で防戦
したが自害、本能寺は炎上した。謀叛決行前、光秀が「敵は本能寺にあり」
と配下に告げたとも伝わる。
ほぼ同時代の京を描いたとされる上杉本洛中洛外図(国宝)で、本能寺は
瓦ぶきと板ぶきの建物が2棟ずつ描かれる。境内全体を囲む堀があったと
みられるが、細かい部分は雲で隠れ、境内に堀があった可能性は知られて
いなかった。
調査を担当した関西文化財調査会の吉川義彦代表は「石垣の丁寧な造りは
職人技」と驚く。今回、境内の内側にも堀が見つかったことで、二重の堀を持つ
堅固な寺だったことになる。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007080700031&genre=M2&area=K1C
本能寺が城塞化されてたなんて、常識の範疇だと思っていたのだが…
0438人間七七四年
2007/08/07(火) 21:51:33ID:VBDtsVIF0439人間七七四年
2007/08/07(火) 22:46:32ID:pbO8JxxDさらに堀と土塁を囲った宿館があったのだね。
しかし、信長にしては中途半端な防御施設だとも書いてあった。
いま発掘しているのなら、どうか信長本人の骨を発見してほしい(w
0440人間七七四年
2007/08/07(火) 22:57:09ID:8KGOMH4v明智光秀は実は女で、男と思われている方は只の替え玉。
本能寺の変とは信長と光秀が企んだ大掛かりな逃避行。
名誉を捨て、国の主であることを捨てた信長の決断。
(もとより、信長も政に疲れてきた。)
俺の事存分に叩いていいよ。ストレス発散にさ……。
0441人間七七四年
2007/08/07(火) 23:34:23ID:VBDtsVIF0442某研究者
2007/08/08(水) 00:14:23ID:nKqSdxyr>ではなく、城のように防備を
>固めていた可能性が出てきた。
とは言え光秀の奇襲を想定した訳では
恐らく無いだろうし
偶然防備が固められて居た寺院に
居ただけと言う事かも知れぬし
要塞化された寺院と言うのは当時は可也
多かったかも知れぬが
0443名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/08(水) 00:16:25ID:SAVs2TK8つーか当時はそこそこの寺社なら、要塞化されていない方が珍しいと思うぞ。
0444某研究者
2007/08/08(水) 00:20:20ID:nKqSdxyr恐らくそうだろうが
この種の城砦や寺院には抜け穴や
隠れ場所と言うのも
有るかも知れぬし
信長が脱出した可能性も
或いは有るのかどうかだが
0445某研究者
2007/08/08(水) 00:21:35ID:nKqSdxyr裏切れば脱出は困難だろうし
脱出しても裏切り者等の手で追跡され得る可能性は
有る訳だろうか
0446人間七七四年
2007/08/08(水) 00:25:17ID:SSeEOmLY0447人間七七四年
2007/08/23(木) 07:00:54ID:FclD2PQS0448関連スレ
2007/10/24(水) 02:17:09ID:oKk/FIlIhttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192629955/
0449人間七七四年
2007/10/27(土) 16:16:12ID:/MQxsgHx0450名無しさん@お腹いっぱい。
2007/10/31(水) 20:41:27ID:TSJcjmsV0451人間七七四年
2007/11/09(金) 10:48:04ID:jkUPF74o【夢】>>415の話をまったり待つスレ【前世】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/occult/1186729847/
0452人間七七四年
2007/11/09(金) 10:50:35ID:sTnoj5yLその理屈から資料が残ってないのは秘密の陰謀だからと、強弁してる歴史家がいるぞw
ご都合主義にもほどがあるw
0454名無しさん@お腹いっぱい。
2007/11/09(金) 17:27:41ID:hhZv1co7もう何でもありだなw
0455人間七七四年
2007/11/09(金) 19:40:48ID:K98siIaM推測に推測を重ねた空中楼閣ならまだマシで、自分の空想やら資料の我田引水超絶解釈を織り交えて
自分の思い通りの結論を導く。ソースを要求すると「ヒソカに行われた陰謀なんだから残っているわけ
ないだろ or 黒幕が証拠隠滅して残っていないんだよ」。矛盾を指摘したり資料を基に反論されると人格攻撃。
0456人間七七四年
2007/11/09(金) 20:50:13ID:P8p6dCxL0457人間七七四年
2007/11/16(金) 08:56:57ID:5QLXOBGN兵力不足で、そこまでの余裕は無かったかな??
0458人間七七四年
2007/11/16(金) 09:51:23ID:PlNAh/Xq本気にした光秀
んなわきゃない
0459人間七七四年
2007/11/26(月) 12:26:12ID:HhyPPPJC謀反に関わってたんじゃないかなー
0460人間七七四年
2007/11/26(月) 18:15:53ID:q3n1vKzG現在までの研究の中で最も信憑性が高いと思われるのは桑田忠親氏の怨恨+α説だと思います。
しかしながら、戦時中は高柳光壽氏の野望説が最も理にかなっていると言われてたそうです。
やはり時代の移り変りとともに歴史認識のとらえ方は変わって行くものなのでしょうか?
戦後の陰謀説のフィクションの類は読み物としては面白いですが、やはり歴史評定は一級資料を
中心にした歴史研究が原則だと思います。
0461名無しさん@お腹いっぱい。
2007/11/26(月) 18:19:32ID:a2d1qhGO今は怨恨より、四国政策の転換に立場を失った光秀が反乱に立った、ってのが主流だね。
まあこれも大きく言えば怨恨説の一つかもしれないが。
0462サイコメトリー
2007/11/26(月) 18:33:12ID:q3n1vKzG>>461
仰るとおり、四国政策も一因ですね。一番大きな怨恨理由は光秀自領の坂本地区召し上げと思ってます。
0463人間七七四年
2007/11/26(月) 18:53:18ID:pxTPbOMd同じような領地替えされてる武将は結構いるんじゃない?
蒲生なんて与えられた土地はまだ敵勢力で旧領地に入る事すら叶わず、しかも百姓連れて行くなと言われてるようだし。
これは秀吉の指示だが
0464人間七七四年
2007/11/26(月) 18:58:26ID:idmdDhqm関わってたのに、何で信忠が死んでるの?
>>462
柴田のケースでは、新領・越前の経営が安定するまで近江の所領は収公されていない。
播磨や但馬を切り取った羽柴に至っては、長浜の所領は安堵されたまま。
よって、近江坂本の召し上げは後世の創作。
0465にゃんこ
2007/11/26(月) 21:21:53ID:saL19aFeそれって、有力説じゃなくて、魅力有る新説ってとこでしょ。
主流は野望説だろ。
そもそも、秀吉のハッタリ「大返し」が成功しなければ、光秀が細川氏に書いた
ように、50〜100日で畿内を抑えて、最大の戦国大名になれただろうから。
まあ、恩義も怨恨もあったとは思うが、勝ち残る見通しも無く、兵を挙げるほど
無能な人間ではないし、まして、朝廷のために犠牲になるような、近代の青白い
インテリでもない。野望ある老熟した武将が、一瞬のチャンスに賭けたのさ。
しかし、この時の秀吉とその幕僚が優秀過ぎた。
0466人間七七四年
2007/11/26(月) 21:52:15ID:zsUUDa+c細川も筒井も秀吉の動きに関わり無く明智から離脱を図っているのがその証拠。
まあ山城と近江くらいは掌握できただろうと思うが、そこから先がかなり難しくなる。
主を失った美濃を攻めようとすれば山城丹波が危険。伊勢の信雄の存在(軍事力だけは
ある)も無視はできない。史実では結果的に大坂の信孝軍が崩壊したから救われたが、
これは光秀による策略などではなくまったくの僥倖。
0467サイコメトリー
2007/11/27(火) 09:25:09ID:QZQJCgdF野望説が強くなって来ましたので、また一言出します。
>>465の言う通り、自分も光秀は老練な武将だと思います。その老練な光秀が突発的チャンス到来!と
考えたとは思えませんし、前後策を考慮せず野望だけをあらわにするでしょうか? 自分は以前から
戦国武将は皆、天下を夢見て常に野望を抱いているとの考えに疑問を持ってます。だってそうじゃない人もいますよ〜。
>>464 仰る通りです。光秀も実際には坂本等を召上げられてはいません。しかしながら、移領の話を
され困った話をしたとの重臣の手紙が残っています。つまり、信長の勢力拡大と共に所領が多くなり、
多くなれば、多くなるほど家臣団への移領や移封はあたり前になってきます。秀吉しかり家康しかりです。
光秀は当時の有力武将の中で初めて、信長からその言を受け困惑したハズです。光秀の自領対する気持ちは
彼が領した可児地区や亀山地区の地祭の名残を見れば明らかです。今回の話はあくまで怨恨の一因ですが・・。
0468人間七七四年
2007/11/27(火) 12:28:00ID:A9M780cI>移領の話をされ困った話をしたとの重臣の手紙が残っています。
文書名を教えて下され。
文書が紹介されてる本でも結構です。
0469サイコメトリー
2007/11/27(火) 14:20:17ID:QZQJCgdF今は自宅ではないので帰って探して追カキしますが、大正時代に書かれた赤色の”本能寺の変”の研究所です。
著者名と資料文献調べますね。所領移動の話の発端は明智軍記だと聞いてます。
0470にゃんこ
2007/11/27(火) 23:45:35ID:3R7QGNVeいや、筒井は兵の一部(本軍ではないが)を光秀の要請に従って、河内へ出兵
させています。秀吉が早く返って来なければ、いずれ、雪崩現象だったでしょう。
多くの畿内の国人・地侍が、「信長が殺された」と、いう報が届いて、その真偽を
確かめるまでに、秀吉が「信長は生きている」「秀吉軍が返って来た。」との
報を達したんですよ。
>大坂の信孝軍が崩壊したから救われたが、これは光秀による策略などではなくまったくの僥倖。
信長が殺されたからですよ。甲斐の川尻も配下の国人の蜂起に会ってますし、
滝川の軍も、北条家の圧力で瓦解。そもそも、信長あっての与力ですから。
0471にゃんこ
2007/11/28(水) 00:00:08ID:4fgiLoh6>天下を夢見て常に野望を抱いているとの考えに疑問を持ってます。
天下を夢見ているかどうか、イエスかノーかの二者択一ではありませんよ、人間の心理は。
「時おり、天下を夢見ている時もある」「70%成功の確率なら賭ける」「30%でも・・・」等々
人間の欲望は、二者択一ではありません。私だって、100%首相になれるなら、賭けますよ。(笑)
この時の光秀には、勝算が見えたのでしょう。だから、賭けた。確かに、織田家も戦国大名らしい
弱点(諸侯の同盟政権でしかない)を抱えてますから、信長を殺せば、政権が瓦解する可能性は大
です。実際に、四国渡海軍は分裂、滝川軍は北条家の圧力で瓦解、川尻軍は寄騎の反乱。
直轄・譜代の僅少な秀吉軍など、制度的には極めて脆弱でした。配下の寄騎の一部のサボタージュ
で瓦解してたでしょう。僅か数日間で心理的に寄騎を被官化し、戦国大名として自立した秀吉の
この時の政治力は凄いと思います。
0472人間七七四年
2007/11/28(水) 05:56:06ID:btYbOulg創作話の多い書物じゃないか
所領移動の出元が明智軍記って時点で信憑性が低い
0473サイコメトリー
2007/11/28(水) 10:03:35ID:k7JqE68A仰るとおりですね。二択という意味ではなかったのですが稚拙な文面でした・・。
持論のなのですが、1582年・信長による天下統一はなっていなかったものの存命であれば数年の内に
統一されたハズです。つまり1582年の時点で信長の勢力は揺ぎ無い所まで来ていた、その時点で博識派
の光秀が70%や80%確立で自分が信長に取って変わり覇者となろうと考えますでしょうか?光秀の心理
は1578年に叛旗を翻した荒木村重との類似性を感じます。
>>472
信長公記も明智軍記もその内容がすべて信憑性が高いものではないと認識していますが、すべてが虚偽
だとも思いません。当時の書物には必ず何らかのベクトルが掛かっています。ですからより多くの文献
内容を検分し一級資料と見極める事が歴史学の基本ではないかな?低脳の自分が偉そうに言ってスイマセン。
0474人間七七四年
2007/11/28(水) 10:08:34ID:M+OSHUq20475人間七七四年
2007/11/28(水) 13:17:21ID:GydhBYSp太田牛の「信長公記」と小瀬甫庵の「信長記」を混同してないか?
「信長記」と「明智軍記」が同レベルってなら、分かるけど。
0476サイコメトリー
2007/11/28(水) 15:12:09ID:k7JqE68A自分は信長公記と明智軍記を同列、同レベルだとは言ってませんし、思ってもいません。
信長公記は一級史料なのに比べ明智軍記はそれこそベクトルが多く含まれた粗悪史料との認識は有ります。
しかしながら歴史探求の面白さは、様々な文献内容を見聞きし、比較対照し、当時の歴史に触れ、楽しさを
見出す所だと自分は思ってます。>>474>>475さんはどの辺りに楽しさを感じてるのですか?
0477人間七七四年
2007/11/28(水) 16:20:27ID:GydhBYSp>自分は信長公記と明智軍記を同列、同レベルだとは言ってませんし、思ってもいません。
そうなら>>473みたいな文脈的に誤解されるような書き方は控えた方がよい。
少しでも間違いがある公記と、少しでも正しいことがある明智軍記は等価のような書き方をしているではないか?
0478サイコメトリー
2007/11/28(水) 17:26:43ID:k7JqE68A仰る通りです。誤解をうむ書き方でした。スイマセン。授業を受けている様だ・・。
他の方もその様な見方なのでしょうか・・?それはそれとして、>>477さんの自説を教えて下さい。
0479にゃんこ
2007/11/28(水) 19:36:47ID:4fgiLoh6と思いますよ。織田政権は、直轄領が恐らく後の江戸幕府よりもずっと少ない、
信長の個人的力量に依った政権でした。
0480人間七七四年
2007/11/28(水) 21:23:18ID:p/9MRVvP一挙に失えば即崩壊するだろう。織田に限らず豊臣だって徳川だって。
0481人間七七四年
2007/11/28(水) 22:16:21ID:GydhBYSp>自説
光秀単独&利三が積極的に関与:非計画的だと思う。
利三が絡んでるのは、長宗我部との関係で。
0482人間七七四年
2007/11/29(木) 11:24:21ID:WeH5kHN50483人間七七四年
2007/11/29(木) 11:54:15ID:LWpEKRPZ玄人なら幕臣の石谷氏との関係でという
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