本能寺の変
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 02:58:36ID:0SeOl0eW0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 03:03:32ID:F47tluID0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 05:05:41ID:O+4IB8rj0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 05:52:33ID:OwfXBkcT/ ! \
/ ,イ ヽ
/ _,,,ノ !)ノリハ i
i jr三ミ__r;三ミ_ ヽ
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ゝ、^'ー=~''"' ;,∧入
,r‐‐'"/ >、__,r‐ツ./ ヽ_
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 08:13:13ID:cul+kdV70007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 11:12:40ID:rxEbHwiO0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 14:29:36ID:d8Y5H3WL0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 20:12:56ID:ataNH8z30010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 20:16:43ID:7GPbHwYf羽柴秀吉が摂津尼崎城に到着、近隣の諸将に参陣を呼びかける一方、明智光秀が洞ヶ峠から下鳥羽に帰陣、淀城の修理を行う。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 20:37:46ID:HloYHSu5吉乃と蘭丸ばっかり愛していた信長にイラついた濃姫と不倫
バレたので殺した
濃姫の記録があまり残ってないのはそのため
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 20:47:05ID:7GPbHwYf本能寺の回だったんだな。
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 20:54:25ID:wxXlL65H0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 20:57:04ID:6wN48D9d0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 21:44:17ID:4cSUwhku0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 23:09:18ID:L7VnFHY8濃姫は美濃に住んでたから、中央の光秀と関係を持つ事等不可能。
逆に言えば信長ともだが。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/12(月) 23:18:36ID:4C94u50R堺商人説
朝廷説
足利義昭説
秀吉説
家康説
皆はどれを支持する?
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/12(月) 23:46:10ID:0BqW4gAm夢幻の如く説
0019田舎者
2006/06/13(火) 00:46:38ID:iIC+ie9m1.なぜ蘭丸は水色桔梗の旗印が見えたのか?
本能寺は周囲が1.2平方kmだったらしく、仮に信長の宮殿を中央としても
堀の長さを加えると約600m離れた旗が見えたのだろうか
砲術操典という書によれば縦1mの物でも600m離れると
わずか3cm位にしか見えないらしい
これは晴天で視界が良好の時であり、光秀が本能寺を囲んだとされる
午前3時から4時の間に見えるとはとても思えない
2.本能寺を囲んだ後の明智軍の行動
明智軍が信忠の籠った二条御所を囲んだのが午前8時くらいらしい
それまで本能寺を囲んで何をしていたのだろうか?
要塞でもない本能寺を落とすのに約3時間もかかるとは思えないんだが・・・
それに比べて二条御所は信長自ら義昭のために築いた堅城
後に義昭が叛旗を翻し立て籠もったときは何日たっても落ちずに
結局、勅使を出して貰い開城したありさま
二条御所は午前中に落城したらしく、信長より多くの兵を持った信忠が
本能寺より堅固な二条御所に籠って簡単に負けるのだろうか?
3.死体は何故見つからなかった?
信長と信忠は死体が何故見つからないのか?
本能寺の変があった6月2日は前日まで大雨で家屋は燃えにくくなっていた
仮に火がでても1万以上の人間がいて堀は水で満載
消すことは難しくないと思う
本当は他にもあるのだが、これだけでも俺は光秀の単独行為とは思えないのだが・・・
長文スマン!
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/13(火) 01:54:25ID:sb4CP8K9こんな過疎板に書き込むよりか日本史板に逝った方よくね?
せっかくイイ!燃料なのにモッタイナス(´・ω・`)
0021田舎者
2006/06/13(火) 02:26:36ID:iIC+ie9m田舎者なので過疎じゃないと・・・
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/13(火) 18:39:02ID:IrbVZnq7具体的には
誰が共犯者だと思ってるんですか?
個人的には、
光秀が毛利に送った密書を
秀吉がどうしてタイミングよく握りつぶせたのか不思議。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/13(火) 20:50:24ID:/R1fZrZR0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/13(火) 21:14:51ID:ymiqg6nU一番興味があるのは「1」で本能寺の周囲が1.2平方kmとはかなり大きかったんだね。
0025747砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/06/13(火) 23:21:26ID:uGL4Z9Q1やっぱりあの早さは計画知らないと実現できなくないかね?
光秀が崩れるのもいくらなんでも早すぎる気がする。
0026田舎者
2006/06/14(水) 00:41:47ID:uv6YGlyrゲーム好きなら知ってると思うが戦国無双の濃姫EDは信長を殺してしまう
この説の動機は書くと長くなるので省くけど、当時の人は濃姫の事を夫殺しと思っていたみたいである
濃姫には日本の何処にも墓がない(信長・信忠の墓は総見寺や妙心寺に一緒にある)
当時の天下人といえる信長の正室であれば信長と一緒に墓があって当然じゃないだろうか
濃姫が信長殺しの主犯だと思われていたから、どの寺でも墓を建てさせなかったのでは?
本能寺を前後して濃姫は歴史から抹消されている
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 03:06:12ID:WlJ3chJz権力奪取が目的なら本能寺の時点で、対峙する毛利の大軍相手に博打を打つ
危険を冒す必要は無い。
秀吉に対する家康の如く、待ちの姿勢でええんや。
あの時点で信長を討つ必要があったんは、
やはり彼による帝位簒奪を警戒した朝廷と其の走狗やろ。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 03:16:12ID:ye+YU1vtそんなこと一切考えてないよ。一級資料から読み取れるのは、信長は信忠を将軍とした
大御所的支配を考えいていたと断言していい。その上で秀忠がやったように信忠の娘を
天皇の后として親戚となり、織田権力に権威の裏づけをなしただろう。
帝位簒奪なんて行っているのは、過剰にロマンチックか信長を過大評価しすぎだな。
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 03:47:57ID:WlJ3chJz君こそ皇国史観に染まりすぎちゃうんか。
道鏡にせよ義満にせよ簒奪計画者は歴史上何人も居た。現在も似たようなのが居る。
安土城の構造の分析から、朝廷を安土城内に吸収する計画があったことが判明したんとちゃうんかい。
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 04:22:55ID:ye+YU1vtいやいやいやいやいや。皇国史観ってw
そりゃあ皇位簒奪をしようとした人間がいたのは認めるし、義満は確かにその一歩前まで行った。
でも現実問題から言って、信長が皇位を簒奪しようなんて考えはなかったと断言できる。本能寺朝廷黒幕説が出た後の理由付けに過ぎないよ。
あと
>安土城の構造の分析から、朝廷を安土城内に吸収する計画があったことが判明したんとちゃうんかい。
ここの部分だが。俺の知る限りそんな事を言ったのは堺屋太一くらいだ。まともな研究者は誰一人としてそんな説は取っていない。
無論判明なんてされてるわけも無く、定説として、行幸用の施設であるとされている。
何よりも朝廷黒幕説がおかしいのは、どんな一級資料を読んでも信長と朝廷の関係は良好、としか読めないことだ。
きみのほうこそ小説の「革命家信長」像に染まりすぎてはいないかな?。信長は歯向かう者には確かに容赦の無い人間だったけど、
想像よりずっと保守的な人間だよ(彼の政権構想は室町幕府と大差ない)
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 08:33:32ID:mfufHi0+下剋上はまだ終わっていなかったわけだし。
朝廷説は確かに魅力的だし、怪しい動きしてた公家もいるようだけど・・。
信長が神になろうとしたふしがあることと皇位纂奪を安易に繋げるのは慎重にならなければいけないね。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 14:12:45ID:pDfMrxKY秀吉も家康も神になってるから。
本能寺はまったく、理由がわからないから諸説言われてるだけで、
発作的な単独説が最有力なのが現状。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 15:31:07ID:WMGHxRhK0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 18:30:33ID:mfufHi0+神になった3人とはいえ、生前から自ら神格化したのは信長のみ。
誕生日を聖なる日としたり盆山を崇めさせたり・・。この意味では信長はすでに常人ではなかったと思ってる。
もうこんなのにはついていけない・・と少なからず周りも思いはじめたことだろう。
公家の一部が信長を苦々しく思っていたのはあると思うが、それと光秀を結び付ける決定的なものがないんだよね。
あくまで限りなく怪しいレベル。
だから漏れは単独説をとる。動機は信長に対する複雑で揺れる思い(この頃の信長に対しての忠誠心は薄くなりつつあったと思う)からと自らの野望かと思う。
思わぬ好機に揺れる思いが一気にはじけ野望へと変化し、寝込みを急襲したのかと・・。
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 18:52:33ID:pDfMrxKY0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 19:36:59ID:ye+YU1vt信長は自らを神格化、などと言っているのはフロイスが記載しているのみ。同時代の日本の
資料ではそんな記載は一遍たりとて書かれていない。つまり日本人には「信長が自らを神格化しようとしている」などとは
全く認識されてはいなかったのだ。
またフロイスは一神教徒なので、日本特有の多神教的風土を誤解と言うか、むしろ意識的に悪解釈している(フロイスの
日本史完全版が出てるからちゃんと読んで見て。とにかく仏教や神道に対する視点はゆがんでいる)
少なくとも、日本の風土で、信長が一神教的神格化を行おうとしていた、というのは無理がありすぎる。
現実問題としても、たった一人の書いた著述を、傍証のない段階で全面的に信用などは絶対に出来ないわけだ。
0037無名武将@お腹せっぷく
2006/06/14(水) 20:18:47ID:u60BkW4V丹波の波多野、播磨の別所、摂津の荒木と中国勢の反乱
のことごとくが足利と小早川の働きかけによるものなのに、
突然光秀だけ(犯人だったとしても)単独犯は考えにくい。
村上Fと阪神を信長と毛利に重ねて考えると、当時の既得権連合
の姿と強大さが見えてこない?光秀は掘りエモンあたりかと・・。
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 21:38:06ID:MhVl72sf0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 00:39:02ID:52JCtoYA1.本能寺の周囲が1.2平方キロメートルという根拠は?
2.二条城と二条御所は別物
3.前日まで大雨だったという証拠は?
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 05:39:43ID:P0IbZxafなんでも日本が統一すると自分らに刃向かいそうだから信長を殺させた
のと、南蛮人は明を征服したくて日本も協力させたがったが信長が
拒否したから殺させたというの。後者は京都新聞の連載小説だった、
細川忠興が主人公なのに載っていた。題名はなんとか与一郎だったと思う。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 06:26:11ID:u3UM8UeZフロイスは実際に信長と対面もしており、身近な空気も体験して記述しているわけだから誇張や多少の間違いはあっても資料としての信憑性はそこそこ高いと思う。
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 06:35:58ID:u3UM8UeZ色々説があってさらに話がややこしくなるね。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 07:35:33ID:NU+WWFR5稲葉関係者が書かせたんでないかい?
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 07:56:31ID:nXSclolY各勢力の寝返りを押さえ込む為に、義昭の後ろ盾を得て各勢力に檄飛ばすわい。
でないと協力的な勢力なんて極わずかしかいないもん。天下なんてとてもとても。
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 09:37:26ID:HQeLZcha信澄の件も良く解らないな、織田連枝を事情把握してないで速攻で討てるか?長秀
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 13:11:33ID:MXA4IBc9あまりにも変後が遅いし、行動してない。
書状は秀吉天下後多数、破棄されたとしても残ってなさ過ぎのような気がする。
信長に対する、弾劾書位あっても良いと思うし。
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 14:28:08ID:RhoV2xRa岐阜市内にはいちよお濃の墓と伝わるものもあるぞ。
遺体ではなく遺髪のみの埋葬らしいが。
それに当時からすでにそういう風聞があったなら噂大好きの公家や
寺社関連の記録にもあってよさそうなんだが。
信長が女に殺されたとくれば「あの信長が妻女に殺されるとは
愉快でおじゃる〜」とまさしく飛びつくネタだろうしね。
0049無名武将@お腹せっぷく
2006/06/15(木) 18:31:09ID:nXSclolY確かに丹羽ほどの直臣が謀反に加担するはずないというのがあるし、同時に大阪に
いて変後の犯人特定が早すぎて怪しいという部分もあって一番引っ掛かるとこよね。
ただ、織田家の後継者争いがこの頃既に内部で進行してて、それを外部勢力に上手
く利用されたとすればどう?長秀は信孝か信雄押す見返りに秀吉に協力したつもり
が二人ともまんまとやられて、腹かっさばいたか、暗殺された気がしない?
なんつっても清洲会議でこいつが秀吉を後押ししたから、織田家中での秀吉の発言
力が一気に増したようなもんだし、怪しい存在ではある。
0050無名武将@お腹せっぷく
2006/06/15(木) 19:00:55ID:nXSclolY後方の中川清秀と高山右近の二者が言う事聞いてくれるか気にな
ってしょうがない。これから手勢1万5千から兵を割いて山崎、
シズガ岳と行かねばならんが、頼りはこいつら摂津の兵力3万。
そういえば毛利領に村重殿がいるから黒田にまた話つけてきてほ
しいなという気分になる。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 19:42:34ID:JwMzXr8Eそれに、家来も気分次第で殺してるようですが
サディストでしょうか?
森蘭丸との仲はどのように考えられてるんですか?
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 01:00:21ID:BJ0wM37N0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 03:53:08ID:ri6KG0UWあまりに見事な大返しと織田家に対する大変な蹂躙ぶりをみると怪しい存在である。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 05:17:04ID:aHKMZwpc0055田舎者
2006/06/16(金) 05:20:40ID:dy1r+s2x二条城と二条御所の違いですが、人によって意見が分かれると思います。
筒井家記によると、「明智の手の者が近衛前久邸の屋根に上がり、弓、鉄砲を撃ちかけた」とあります。
近衛前久邸から攻撃できるのは義昭に建てた方の二条御所じゃないと無理と思いますが?
前日までが大雨だという証拠ですが、これは権中納言・山科言経の言経卿記からです
これによると5月27日 雨 28日 晴れ 29日 下明 6月1日 雨のち晴れ
「このときの5月は29日までしかなく、下明というのは大雨・どしゃぶりという意味だそうです」
6月1日も夕方まで強い雨で小降りなってから妙覚寺の信忠が本能寺に訪問とあります
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 07:29:54ID:ri6KG0UW0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 08:02:28ID:n51uODGj下っ端とか裏切りそうな幹部は始末しておくのが世の常。マフィア
映画観とき。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 14:34:30ID:/GvMRQfg一番しっくりくるし。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 15:43:00ID:aHKMZwpc0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 16:01:28ID:yqYk420dだが、>>59、そんな妄想はいらない。
如水ならまだしも、半兵衛絡める必要が無い。
それに半兵衛死んだの79年だぞ。
そんな早くから裏切れよ、なんて入れ知恵することがあるだろうか。
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 16:05:20ID:aHKMZwpc0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 16:40:01ID:yqYk420d0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 23:49:33ID:koQ62Auj私も単独説だと最近は思ってる。色々説はあってどれもまあまあ動機や頷ける点はあるけど、イマイチ決め手に欠けるんだよね。
ただ唯一引っ掛かるのが、光秀=天海説なんだよね。日光東照宮の飾り?にある桔梗の紋とか何なんだろう…この件に関して詳しい人居ないかな…
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 00:54:18ID:3fflaIvb伝馬を置いておけば可能なんで、大返しをもって秀吉が怪しいというのは納得できない。
毛利との講和だって、あくまで備中高松城をめぐっての停戦和睦であって、
似たような和睦を鳥取城を行ってることから、単独で和睦がありえない云々も納得できない。
>>63
桔梗紋は関東の源氏の家紋なんで、別にあっても不思議ではないのよね。
太田家なんかもそうだし。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 04:59:54ID:U9i4qGUF>近衛前久邸から攻撃できるのは義昭に建てた方の二条御所じゃないと無理と思いますが?
しかしそれだと、なぜ誠仁親王たちがいたのか、という疑問が出てくる訳で。
あと、前日まで雨だったとしても、火をつけるのは家屋の中だから、
介錯された人間が身元不明になる程度には燃えるだろう。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 06:19:11ID:cv9lw/tH光秀=天海説は年齢上考えられないのではなかったか?
光秀ではなく秀満ではないかというのを聞いたことがある。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 15:09:06ID:jupOda8x秀吉の戦略機動は、佐久間・柴田の各個撃破でも披露している得意技だわなぁ。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 17:29:12ID:D0NaUdfdhttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1145513328/
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 21:40:19ID:NLawPrVv延暦寺焼き討ちとか、さんざん坊さんないがしろにしてたのに
なんで、本能寺というお寺を定宿にしてたの?
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 21:58:09ID:MFdAUKob法華と浄土の論争とか面白いよ
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 00:03:16ID:KIv44OHy武装したカルト教団的要素を多分にもっているわけで。
自衛的戦力だけ有してる寺もあれば、そうでは無い寺もある。
(山科本願寺は日蓮宗に攻められ落ちてるし、越前平泉寺は本願寺に滅ぼされてる)
だから俗世とは一線引いて、今の寺のように、援助、保護さえしてくれれば、どうでも良いと言う寺社もあるわけで。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 00:12:59ID:z2O/y78R0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 00:45:33ID:qh0Opq5u本願寺に焼き尽くされて、虐殺されて滅んでスルーされる、富樫。
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