本能寺の変
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 02:58:36ID:0SeOl0eW0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 03:03:32ID:F47tluID0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 05:05:41ID:O+4IB8rj0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 05:52:33ID:OwfXBkcT/ ! \
/ ,イ ヽ
/ _,,,ノ !)ノリハ i
i jr三ミ__r;三ミ_ ヽ
l ,iヾ二ノ ヽ二 ハ ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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ゝ、^'ー=~''"' ;,∧入
,r‐‐'"/ >、__,r‐ツ./ ヽ_
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 08:13:13ID:cul+kdV70007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 11:12:40ID:rxEbHwiO0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 14:29:36ID:d8Y5H3WL0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 20:12:56ID:ataNH8z30010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 20:16:43ID:7GPbHwYf羽柴秀吉が摂津尼崎城に到着、近隣の諸将に参陣を呼びかける一方、明智光秀が洞ヶ峠から下鳥羽に帰陣、淀城の修理を行う。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 20:37:46ID:HloYHSu5吉乃と蘭丸ばっかり愛していた信長にイラついた濃姫と不倫
バレたので殺した
濃姫の記録があまり残ってないのはそのため
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 20:47:05ID:7GPbHwYf本能寺の回だったんだな。
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 20:54:25ID:wxXlL65H0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 20:57:04ID:6wN48D9d0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 21:44:17ID:4cSUwhku0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/11(日) 23:09:18ID:L7VnFHY8濃姫は美濃に住んでたから、中央の光秀と関係を持つ事等不可能。
逆に言えば信長ともだが。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/12(月) 23:18:36ID:4C94u50R堺商人説
朝廷説
足利義昭説
秀吉説
家康説
皆はどれを支持する?
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/12(月) 23:46:10ID:0BqW4gAm夢幻の如く説
0019田舎者
2006/06/13(火) 00:46:38ID:iIC+ie9m1.なぜ蘭丸は水色桔梗の旗印が見えたのか?
本能寺は周囲が1.2平方kmだったらしく、仮に信長の宮殿を中央としても
堀の長さを加えると約600m離れた旗が見えたのだろうか
砲術操典という書によれば縦1mの物でも600m離れると
わずか3cm位にしか見えないらしい
これは晴天で視界が良好の時であり、光秀が本能寺を囲んだとされる
午前3時から4時の間に見えるとはとても思えない
2.本能寺を囲んだ後の明智軍の行動
明智軍が信忠の籠った二条御所を囲んだのが午前8時くらいらしい
それまで本能寺を囲んで何をしていたのだろうか?
要塞でもない本能寺を落とすのに約3時間もかかるとは思えないんだが・・・
それに比べて二条御所は信長自ら義昭のために築いた堅城
後に義昭が叛旗を翻し立て籠もったときは何日たっても落ちずに
結局、勅使を出して貰い開城したありさま
二条御所は午前中に落城したらしく、信長より多くの兵を持った信忠が
本能寺より堅固な二条御所に籠って簡単に負けるのだろうか?
3.死体は何故見つからなかった?
信長と信忠は死体が何故見つからないのか?
本能寺の変があった6月2日は前日まで大雨で家屋は燃えにくくなっていた
仮に火がでても1万以上の人間がいて堀は水で満載
消すことは難しくないと思う
本当は他にもあるのだが、これだけでも俺は光秀の単独行為とは思えないのだが・・・
長文スマン!
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/13(火) 01:54:25ID:sb4CP8K9こんな過疎板に書き込むよりか日本史板に逝った方よくね?
せっかくイイ!燃料なのにモッタイナス(´・ω・`)
0021田舎者
2006/06/13(火) 02:26:36ID:iIC+ie9m田舎者なので過疎じゃないと・・・
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/13(火) 18:39:02ID:IrbVZnq7具体的には
誰が共犯者だと思ってるんですか?
個人的には、
光秀が毛利に送った密書を
秀吉がどうしてタイミングよく握りつぶせたのか不思議。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/13(火) 20:50:24ID:/R1fZrZR0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/13(火) 21:14:51ID:ymiqg6nU一番興味があるのは「1」で本能寺の周囲が1.2平方kmとはかなり大きかったんだね。
0025747砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/06/13(火) 23:21:26ID:uGL4Z9Q1やっぱりあの早さは計画知らないと実現できなくないかね?
光秀が崩れるのもいくらなんでも早すぎる気がする。
0026田舎者
2006/06/14(水) 00:41:47ID:uv6YGlyrゲーム好きなら知ってると思うが戦国無双の濃姫EDは信長を殺してしまう
この説の動機は書くと長くなるので省くけど、当時の人は濃姫の事を夫殺しと思っていたみたいである
濃姫には日本の何処にも墓がない(信長・信忠の墓は総見寺や妙心寺に一緒にある)
当時の天下人といえる信長の正室であれば信長と一緒に墓があって当然じゃないだろうか
濃姫が信長殺しの主犯だと思われていたから、どの寺でも墓を建てさせなかったのでは?
本能寺を前後して濃姫は歴史から抹消されている
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 03:06:12ID:WlJ3chJz権力奪取が目的なら本能寺の時点で、対峙する毛利の大軍相手に博打を打つ
危険を冒す必要は無い。
秀吉に対する家康の如く、待ちの姿勢でええんや。
あの時点で信長を討つ必要があったんは、
やはり彼による帝位簒奪を警戒した朝廷と其の走狗やろ。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 03:16:12ID:ye+YU1vtそんなこと一切考えてないよ。一級資料から読み取れるのは、信長は信忠を将軍とした
大御所的支配を考えいていたと断言していい。その上で秀忠がやったように信忠の娘を
天皇の后として親戚となり、織田権力に権威の裏づけをなしただろう。
帝位簒奪なんて行っているのは、過剰にロマンチックか信長を過大評価しすぎだな。
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 03:47:57ID:WlJ3chJz君こそ皇国史観に染まりすぎちゃうんか。
道鏡にせよ義満にせよ簒奪計画者は歴史上何人も居た。現在も似たようなのが居る。
安土城の構造の分析から、朝廷を安土城内に吸収する計画があったことが判明したんとちゃうんかい。
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 04:22:55ID:ye+YU1vtいやいやいやいやいや。皇国史観ってw
そりゃあ皇位簒奪をしようとした人間がいたのは認めるし、義満は確かにその一歩前まで行った。
でも現実問題から言って、信長が皇位を簒奪しようなんて考えはなかったと断言できる。本能寺朝廷黒幕説が出た後の理由付けに過ぎないよ。
あと
>安土城の構造の分析から、朝廷を安土城内に吸収する計画があったことが判明したんとちゃうんかい。
ここの部分だが。俺の知る限りそんな事を言ったのは堺屋太一くらいだ。まともな研究者は誰一人としてそんな説は取っていない。
無論判明なんてされてるわけも無く、定説として、行幸用の施設であるとされている。
何よりも朝廷黒幕説がおかしいのは、どんな一級資料を読んでも信長と朝廷の関係は良好、としか読めないことだ。
きみのほうこそ小説の「革命家信長」像に染まりすぎてはいないかな?。信長は歯向かう者には確かに容赦の無い人間だったけど、
想像よりずっと保守的な人間だよ(彼の政権構想は室町幕府と大差ない)
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 08:33:32ID:mfufHi0+下剋上はまだ終わっていなかったわけだし。
朝廷説は確かに魅力的だし、怪しい動きしてた公家もいるようだけど・・。
信長が神になろうとしたふしがあることと皇位纂奪を安易に繋げるのは慎重にならなければいけないね。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 14:12:45ID:pDfMrxKY秀吉も家康も神になってるから。
本能寺はまったく、理由がわからないから諸説言われてるだけで、
発作的な単独説が最有力なのが現状。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 15:31:07ID:WMGHxRhK0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 18:30:33ID:mfufHi0+神になった3人とはいえ、生前から自ら神格化したのは信長のみ。
誕生日を聖なる日としたり盆山を崇めさせたり・・。この意味では信長はすでに常人ではなかったと思ってる。
もうこんなのにはついていけない・・と少なからず周りも思いはじめたことだろう。
公家の一部が信長を苦々しく思っていたのはあると思うが、それと光秀を結び付ける決定的なものがないんだよね。
あくまで限りなく怪しいレベル。
だから漏れは単独説をとる。動機は信長に対する複雑で揺れる思い(この頃の信長に対しての忠誠心は薄くなりつつあったと思う)からと自らの野望かと思う。
思わぬ好機に揺れる思いが一気にはじけ野望へと変化し、寝込みを急襲したのかと・・。
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 18:52:33ID:pDfMrxKY0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 19:36:59ID:ye+YU1vt信長は自らを神格化、などと言っているのはフロイスが記載しているのみ。同時代の日本の
資料ではそんな記載は一遍たりとて書かれていない。つまり日本人には「信長が自らを神格化しようとしている」などとは
全く認識されてはいなかったのだ。
またフロイスは一神教徒なので、日本特有の多神教的風土を誤解と言うか、むしろ意識的に悪解釈している(フロイスの
日本史完全版が出てるからちゃんと読んで見て。とにかく仏教や神道に対する視点はゆがんでいる)
少なくとも、日本の風土で、信長が一神教的神格化を行おうとしていた、というのは無理がありすぎる。
現実問題としても、たった一人の書いた著述を、傍証のない段階で全面的に信用などは絶対に出来ないわけだ。
0037無名武将@お腹せっぷく
2006/06/14(水) 20:18:47ID:u60BkW4V丹波の波多野、播磨の別所、摂津の荒木と中国勢の反乱
のことごとくが足利と小早川の働きかけによるものなのに、
突然光秀だけ(犯人だったとしても)単独犯は考えにくい。
村上Fと阪神を信長と毛利に重ねて考えると、当時の既得権連合
の姿と強大さが見えてこない?光秀は掘りエモンあたりかと・・。
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/14(水) 21:38:06ID:MhVl72sf0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 00:39:02ID:52JCtoYA1.本能寺の周囲が1.2平方キロメートルという根拠は?
2.二条城と二条御所は別物
3.前日まで大雨だったという証拠は?
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 05:39:43ID:P0IbZxafなんでも日本が統一すると自分らに刃向かいそうだから信長を殺させた
のと、南蛮人は明を征服したくて日本も協力させたがったが信長が
拒否したから殺させたというの。後者は京都新聞の連載小説だった、
細川忠興が主人公なのに載っていた。題名はなんとか与一郎だったと思う。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 06:26:11ID:u3UM8UeZフロイスは実際に信長と対面もしており、身近な空気も体験して記述しているわけだから誇張や多少の間違いはあっても資料としての信憑性はそこそこ高いと思う。
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 06:35:58ID:u3UM8UeZ色々説があってさらに話がややこしくなるね。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 07:35:33ID:NU+WWFR5稲葉関係者が書かせたんでないかい?
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 07:56:31ID:nXSclolY各勢力の寝返りを押さえ込む為に、義昭の後ろ盾を得て各勢力に檄飛ばすわい。
でないと協力的な勢力なんて極わずかしかいないもん。天下なんてとてもとても。
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 09:37:26ID:HQeLZcha信澄の件も良く解らないな、織田連枝を事情把握してないで速攻で討てるか?長秀
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 13:11:33ID:MXA4IBc9あまりにも変後が遅いし、行動してない。
書状は秀吉天下後多数、破棄されたとしても残ってなさ過ぎのような気がする。
信長に対する、弾劾書位あっても良いと思うし。
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 14:28:08ID:RhoV2xRa岐阜市内にはいちよお濃の墓と伝わるものもあるぞ。
遺体ではなく遺髪のみの埋葬らしいが。
それに当時からすでにそういう風聞があったなら噂大好きの公家や
寺社関連の記録にもあってよさそうなんだが。
信長が女に殺されたとくれば「あの信長が妻女に殺されるとは
愉快でおじゃる〜」とまさしく飛びつくネタだろうしね。
0049無名武将@お腹せっぷく
2006/06/15(木) 18:31:09ID:nXSclolY確かに丹羽ほどの直臣が謀反に加担するはずないというのがあるし、同時に大阪に
いて変後の犯人特定が早すぎて怪しいという部分もあって一番引っ掛かるとこよね。
ただ、織田家の後継者争いがこの頃既に内部で進行してて、それを外部勢力に上手
く利用されたとすればどう?長秀は信孝か信雄押す見返りに秀吉に協力したつもり
が二人ともまんまとやられて、腹かっさばいたか、暗殺された気がしない?
なんつっても清洲会議でこいつが秀吉を後押ししたから、織田家中での秀吉の発言
力が一気に増したようなもんだし、怪しい存在ではある。
0050無名武将@お腹せっぷく
2006/06/15(木) 19:00:55ID:nXSclolY後方の中川清秀と高山右近の二者が言う事聞いてくれるか気にな
ってしょうがない。これから手勢1万5千から兵を割いて山崎、
シズガ岳と行かねばならんが、頼りはこいつら摂津の兵力3万。
そういえば毛利領に村重殿がいるから黒田にまた話つけてきてほ
しいなという気分になる。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/15(木) 19:42:34ID:JwMzXr8Eそれに、家来も気分次第で殺してるようですが
サディストでしょうか?
森蘭丸との仲はどのように考えられてるんですか?
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 01:00:21ID:BJ0wM37N0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 03:53:08ID:ri6KG0UWあまりに見事な大返しと織田家に対する大変な蹂躙ぶりをみると怪しい存在である。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 05:17:04ID:aHKMZwpc0055田舎者
2006/06/16(金) 05:20:40ID:dy1r+s2x二条城と二条御所の違いですが、人によって意見が分かれると思います。
筒井家記によると、「明智の手の者が近衛前久邸の屋根に上がり、弓、鉄砲を撃ちかけた」とあります。
近衛前久邸から攻撃できるのは義昭に建てた方の二条御所じゃないと無理と思いますが?
前日までが大雨だという証拠ですが、これは権中納言・山科言経の言経卿記からです
これによると5月27日 雨 28日 晴れ 29日 下明 6月1日 雨のち晴れ
「このときの5月は29日までしかなく、下明というのは大雨・どしゃぶりという意味だそうです」
6月1日も夕方まで強い雨で小降りなってから妙覚寺の信忠が本能寺に訪問とあります
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 07:29:54ID:ri6KG0UW0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 08:02:28ID:n51uODGj下っ端とか裏切りそうな幹部は始末しておくのが世の常。マフィア
映画観とき。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 14:34:30ID:/GvMRQfg一番しっくりくるし。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 15:43:00ID:aHKMZwpc0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 16:01:28ID:yqYk420dだが、>>59、そんな妄想はいらない。
如水ならまだしも、半兵衛絡める必要が無い。
それに半兵衛死んだの79年だぞ。
そんな早くから裏切れよ、なんて入れ知恵することがあるだろうか。
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 16:05:20ID:aHKMZwpc0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 16:40:01ID:yqYk420d0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/16(金) 23:49:33ID:koQ62Auj私も単独説だと最近は思ってる。色々説はあってどれもまあまあ動機や頷ける点はあるけど、イマイチ決め手に欠けるんだよね。
ただ唯一引っ掛かるのが、光秀=天海説なんだよね。日光東照宮の飾り?にある桔梗の紋とか何なんだろう…この件に関して詳しい人居ないかな…
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 00:54:18ID:3fflaIvb伝馬を置いておけば可能なんで、大返しをもって秀吉が怪しいというのは納得できない。
毛利との講和だって、あくまで備中高松城をめぐっての停戦和睦であって、
似たような和睦を鳥取城を行ってることから、単独で和睦がありえない云々も納得できない。
>>63
桔梗紋は関東の源氏の家紋なんで、別にあっても不思議ではないのよね。
太田家なんかもそうだし。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 04:59:54ID:U9i4qGUF>近衛前久邸から攻撃できるのは義昭に建てた方の二条御所じゃないと無理と思いますが?
しかしそれだと、なぜ誠仁親王たちがいたのか、という疑問が出てくる訳で。
あと、前日まで雨だったとしても、火をつけるのは家屋の中だから、
介錯された人間が身元不明になる程度には燃えるだろう。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 06:19:11ID:cv9lw/tH光秀=天海説は年齢上考えられないのではなかったか?
光秀ではなく秀満ではないかというのを聞いたことがある。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 15:09:06ID:jupOda8x秀吉の戦略機動は、佐久間・柴田の各個撃破でも披露している得意技だわなぁ。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 17:29:12ID:D0NaUdfdhttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1145513328/
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 21:40:19ID:NLawPrVv延暦寺焼き討ちとか、さんざん坊さんないがしろにしてたのに
なんで、本能寺というお寺を定宿にしてたの?
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/17(土) 21:58:09ID:MFdAUKob法華と浄土の論争とか面白いよ
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 00:03:16ID:KIv44OHy武装したカルト教団的要素を多分にもっているわけで。
自衛的戦力だけ有してる寺もあれば、そうでは無い寺もある。
(山科本願寺は日蓮宗に攻められ落ちてるし、越前平泉寺は本願寺に滅ぼされてる)
だから俗世とは一線引いて、今の寺のように、援助、保護さえしてくれれば、どうでも良いと言う寺社もあるわけで。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 00:12:59ID:z2O/y78R0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 00:45:33ID:qh0Opq5u本願寺に焼き尽くされて、虐殺されて滅んでスルーされる、富樫。
0074田舎者
2006/06/18(日) 03:07:28ID:0/IzH01n誠仁親王の件も絡んで信忠が籠もった二条御所の場所は意見が別れる所です
しかし信忠は追い詰められて二条御所に立て籠もったわけじゃなく準備をする時間は十分にあったはず
ところが御所を包囲されてから明智軍に、新王が居るので退去してもらってから戦をしようと信忠が言うのは変じゃ?
親王を信忠が気にするなら入った時に出ていってもらうはず。
本能寺の変に作者が後から強引に親王の件を書き足したとしか思えないんだが・・・
それと信長の首には莫大の懸賞がついていたと思う
かりに首一つで数万石といわれたら火の中だろうが飛び込んでいく兵は大勢居たはず
1万人以上の人手があり前日からの雨で水は不足くしていないというのに、身元もわからない程に遺体が燃えてしまった
というのは無理があるのでは?
少数で武具もまともに付けてない小姓等の寄せ集めの兵士が、明智軍の精鋭に信長が完全に燃えるまで時間稼げると思える?
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 03:12:52ID:R5p2WypJ仏教は一つではないぞ。信長が闘ったのは「自分に反抗する勢力」だけだ。それがたまたま宗教勢力だっただけの話で
信長に反抗することのなかった(非権力的だった)浄土宗や法華、禅宗などはむしろ保護されている。
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 07:44:16ID:MAMPcrSb宗教に関しては寛容とすら言える。
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 09:49:25ID:IwgNesdj親王のことは幾つもの当時の史料に出てくるから、書き足しはありえないだろう。
身元を分からなくするなんて、最低限顔面さえ焼ければ済む話。
首級を晒されなかったということは、それぐらいは燃えたと考えられる。
0078田舎者
2006/06/18(日) 13:02:12ID:0/IzH01nそれじゃ信忠が御所が包囲されてから親王を逃がした理由は?
邪魔になるなら、さっさと追い出すはずだが
当時の幾つもの資料を信じるなら、ほぼ全てのものが信長は白い着物を着て腕に大怪我を負い
一人で奥の部屋に入ったとある。
介錯して首を隠す人も居ない、ようは義経の最期と似た様なもの。
身元が分からなくまで明智軍が包囲したまま信長の最期を待っていたのか?
二つとも疑問点だらけだが・・・74は誰の犯行だと思っているのか聞きたい
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 17:31:04ID:Qk4R7tQW潰すにしてもそれなりの理由が有ったわけだし
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 18:13:55ID:ZTOUX4Pi>ほぼ全てのものが信長は白い着物を着て腕に大怪我を負い
>一人で奥の部屋に入ったとある。
はて?どの史料ですか?
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 18:20:53ID:GkqlzTY7>それじゃ信忠が御所が包囲されてから親王を逃がした理由は?
>邪魔になるなら、さっさと追い出すはずだが
それに対しては、逃がそうとする前に包囲されたから、と答えるしかないな。
下人や犬猫じゃないんだから、退去させるのにも時間かかっただろうさ。
>一人で奥の部屋に入ったとある。
何に「一人で」と書いてあるの?
あと、前日まで大雨だったから水は不足してないというけれど、
どうやって水を汲んで消すの?
当時なら打ち壊して類焼を防ぐぐらいしかできないと思うが?
0082田舎者
2006/06/18(日) 19:17:22ID:0/IzH01n>それに対しては、逃がそうとする前に包囲されたから
信長と信忠へ明智軍が二正面作戦を取っていて、追われた信忠が二条御所へ逃げ込んだなら
その答えには納得できるが・・・本能寺が陥落するまで信忠は攻撃を受けていない。
まして御所にいたら命が危ないというなら、公家達は着の身着のまま逃げ出すはず。
>何に「一人で」と書いてあるの?
信長公記・当代記・太閤記・筒井家記・原本信長記・川角太閤記、こんな所で良いか?
当時の信長は仮にも天下人、主君と同じ部屋で自害したり最期を見る事は恐れおおくて家臣はしないはず
>どうやって水を汲んで消すの?
本能寺は人が住んでいたのだから、消す為に使えそうな道具は幾らでもあるし隣の屋敷からでも調達は可能
桶、布団、着物、消すつもりがあれば道具なんて沢山あるし人数も大勢いる
信長の首一つに、どれだけの価値があるか考えれば多少の苦労はいとわないはず
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 21:14:01ID:ZTOUX4Pi>信長公記・当代記・太閤記・筒井家記・原本信長記・川角太閤記
原本信長記と信長公記を別に分ける理由がわからない。
太閤記とは甫庵太閤記の事か?
記憶違いでなければ筒井家記には書かれてなかったと思うが。
色んな名を挙げてるが、君の言う描写あるのは信長公記だけではなかろうか?
イエスズ会日本年報追加に似たような記述あるが、それだと君の今までの主張と違うし…。
御所の件も、誠仁親王や公家の話も晴豊公記の記述はどう思うのか?
当代記を書くなら豊鑑・秀吉事記・惟任退治記を外す理由もわからない。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 21:15:03ID:GkqlzTY7>まして御所にいたら命が危ないというなら、公家達は着の身着のまま逃げ出すはず。
逃げ出す「はず」とか言われても、史実が包囲後退去なのだから仕方ない。
>信長公記・当代記・太閤記・筒井家記・原本信長記・川角太閤記、こんな所で良いか?
『信長公記』
御姿を御見せ有間敷と思食され候歟、殿中奥深く入り給ひ、
内よりも御南戸の口を引立て無情御腹めされ
…どこに一人で、と?
『筒井家記』以外は確認したがどれにも一人で入ったとは書いてないが?
というか『太閤記(甫庵太閤記か?)』『川角太閤記』なんて挙げている時点で
かなり根拠として弱いのだが。
読んだことあるならこの二冊を挙げようとは思わないからな。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 21:24:42ID:FVGgkmb8羽柴秀吉公は変後に宮中公卿、阿弥陀寺住職に接触している。信長卿一周忌にも阿弥陀寺にお願いしているが寺が拒否。
秀吉公は天下一統後に寺領減封処置を行っている。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 21:42:53ID:LuyP0NuA0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 22:17:06ID:ZTOUX4Pi信長公阿弥陀寺由緒書かに書いてあるけど、あの話は伝承だし、
上人が信長と縁があり、墓所作って信長の何かを葬ったと考えた方がいいかと。
確か史板の本能寺スレで、阿弥陀寺由緒書を挙げた覚えあるんで、
過去スレ検索すれば見つかるかも。
0088田舎者
2006/06/18(日) 23:06:46ID:0/IzH01n>84
一人でというのにたいしての答えは、こちらの説明不足と書き込ミスでした・・すいません
信長と一緒に配下の誰々が奥に消えて生死を供にした記述が無い事です
野戦で負けて自害するのなら、配下が主君と供に自害するのは分かります
ただ本能寺の様な場合で自害するとなった時、配下が部屋に一緒に入って自害するとは思えない
何故なら主君の最期を邪魔したくないと思うのと、敵にその場所を荒らされたくないはずだからです
信長の配下は本当に主君を神に近い存在と思っていたのかもしれません。
だとしたら主君の最期を供にするのは、恐れおおい事であったのはないでしょうか?
そこを考えると信長が一人で奥にいき自害したのではと言ったのです
おまえの妄想だと言われたら、それまでですが・・・
御所の件については、史実が退去後だからと言ってしまえば誰も歴史を研究する必要が無くなってしまうのでは?
御所に入ってからの信忠の行動の不可解さを指摘したわけであり史実に従ってしまうなら
光秀によって信長親子は6月2日に死にましたで誰の反論も許さず終わってしまう
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 23:08:01ID:LuyP0NuA変を知ってすぐ来ても明智軍が寺を包囲してるんだろうし、中に入れる状態じゃないよね。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 23:21:26ID:FVGgkmb80091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/18(日) 23:36:53ID:OeOx/F6cこっちは本能寺が陥落しそうというのを信忠が知ってから、
二条御所へ移動し、親王らを脱出させるまでの時間はそれほど長くないと思ってるからなぁ。
晴豊の日記を見る限り、かなり早い時間に包囲されているようだし。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 00:29:52ID:Fwf53J4q信長の側まで行ったとあるよ。
信長は洗顔中で、手拭いで顔を拭いてるところで、
明智の兵は信長の背に矢を放ち、信長はその矢を抜き、薙刀を取ってしばらく戦い、
腕に銃創を受け、奥の部屋に入り火を放ったとある。
変はすぐに京中に知れ渡り、洛中にいた信長配下は本能寺に駆け付けたが入れず、
信忠の妙覚寺へ入った。
信忠は床についたままだったが、騒ぎで起きだし二条御所に入った。
信忠の後を追った明智勢によって御所が囲まれ、誠仁親王は村井貞勝の勧めで光秀に使者を出し、
「如何にすべきか、切腹すべきか」尋ねたら、光秀から
「直ちに邸をでて、信長の子が逃げないよう、馬に乗らず駕籠にも乗らぬ事」
と希望したとある。
これは弥助から得られた情報だと考えられてる。
弥助は二条御所で捕虜になり、光秀から「黒奴は動物で何も知らず、
また日本人でない故これを殺さず、インドのパードレの聖堂に置け」と命じてる。
イエスズ会日本年報追加は新異国叢書に和訳あるから、一度目を通すといいよ。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 15:51:38ID:3O8s+rO4>信長公記・当代記・太閤記・筒井家記・原本信長記・川角太閤記、こんな所で良いか?
読んでないだろ?
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 20:50:49ID:C8uBufQU漏れは油断を反心を抱いていた光秀に突かれた単独説を信じているけどね。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 21:46:13ID:yjvQbphZ書き方に誤りがあったと認めてるし、読んでなかろうが良いんじゃねー?。
田舎者が書いた信長の死に際は納得できる。
他人のミスを非難するだけの奴より立派じゃん。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 22:09:52ID:T5/xTZC1書き方云々以前の問題なんだよなぁ。
田舎者は挙げた史料のうち幾つかは絶対読んでない。
書き込む内容自体はまともなんだから、無理することはないのにねぇ。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 22:27:51ID:yjvQbphZ俺は君みたいに詳しくないので、読んでないという理由がわからないのだが?。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 22:37:46ID:T5/xTZC1田舎者に尋ねてみるといい。
信長自害の場面を『川角太閤記』はどう描いているかを。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 23:33:52ID:Fwf53J4q二日正午の第一報は光秀と信澄の共謀という情報で、
次の日には信忠が二条御所に籠城した為、「当今(天皇の事、ここでは誠仁親王を指す)」
を人質に取り、天皇も自害、新院(上皇の御所、ここでは正親町天皇を指す)
も放火されたとある。
他にも「細川殿」が殺された、筒井順慶が切腹させられた、
筒井勢が光秀に加担する為近江に入った等あり、鎮静化する18日頃まで噂が飛びかってる。
イエスズ会日本年報追加には、信長が五月の誕生日に自身を神と崇める祭りを行なう命令をし、
その19日後に死んだ事や、光秀の敗北の原因を、摂津にいた信孝や
毛利との戦いに赴いた秀吉を放置したからと書いてる。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/19(月) 23:47:29ID:FbmkdxiU四王天政孝
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 00:45:22ID:LgRXfrlk0102無名武将@お腹せっぷく
2006/06/20(火) 11:47:42ID:lJoaSsnnあと長男の信忠がスマートに後継者になれないとしたらどの勢力が邪魔してるのか、
信忠の変後の展望と誰を支持勢力として織田家まとめようとしてたかも教えれ。
ちなみにその場合も単独犯とかいう行き詰った結果のお馬鹿論争だけはやめてけれ。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 15:44:16ID:rLeM7OiS主要説のひとつなはずなんだけど。
自分は朝廷説でなく、一部の公家衆による光秀煽動説だけどね。
だから光秀単独説なのかな?
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 17:11:23ID:GaBo3o9j重臣のリストラから不安になり謨反
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 18:38:34ID:fiAmucjq0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 22:48:55ID:2OZAkk8B信長のおかげで朝廷領が回復したり、公家の領地が増えたんだから。
乱世に戻ればこれらがまた横領されて、
天文・永禄の頃のような公家たちが献金を願って全国を回るような貧乏生活。
信長が無官なんてのも、公家から見れば重要なポストが一つ空いた訳で、
喜びこそすれ、なぜ恐れなければならないのか理解できない。
…なんて考え方もありだよな。
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 23:52:27ID:IGWNWCrj宮中の行事システムが回復すれば権威が横行する。信長も当初、色々勧誘されて都という訳の分からん、しかしなくちゃ困る物に嫌気がさしたんじゃないのかな?
嫌になったんだよ、きっと。だから新都市を築いて都の法則を嫌った。
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/20(火) 23:59:31ID:2OZAkk8B>公卿どもは自分の暮らしが安定すれば感謝を忘れ利己に走る。
利己、つまり信長に要領よく接すれば領地が増える。ありがたい話だ。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 00:06:50ID:78wBR7wy人生五十年が口癖の無神論者が「ワシは神である」て、言うかな。
100歩譲って言ったとしても、それ受け狙いだから。そこは笑うとこじゃん。
まあ、光秀は笑いの通じないキンカン頭だから、しゃーないけど。
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 00:31:09ID:kjeCarv6信長の存在の大きさを自分の頭部とかけて揶揄されたと脳内結論。そして謀叛。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 15:14:13ID:ybq399SP0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 15:16:57ID:tvxyoPMS朝廷領の回復…まぁ、大事な事かもしれないけど公家や朝廷が一番守ろうとするところはそこじゃないだろ
朝廷の存続、大局見てないって言ったら言い過ぎかもしれないけど…朝廷領とかは大事の前の小事なんじゃないか?
俺は信長に脅威を覚えていたと思うんだが
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 15:18:09ID:Z6XlPt5e0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 17:26:42ID:kCECTd5J0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 18:59:57ID:78wBR7wy今と同じく、400年前の戦国時代でも、ハゲやヅラの人は侮蔑の対象として、
理不尽な辱めを受けていました。その証拠に「金柑元結」と言うキンカン頭専用の
元結があったぐらいです。
その苦しみは本人にしか分かりませんが、身体的コンプレックスをからかわれ、
苦しんだ末に自殺する人もいるぐらいですから、結構、深刻な話です。
衆目の前で「キンカン頭」呼ばわりした信長を、光秀はどうしても許せなかった。
そして「いつか殺してやる」と考えていた。としても何ら不思議ではありません。
---------------------
きんかん-あたま 【金柑頭】
はげあたま。
「大辞林 第二版」より
---------------------
金柑の画像(ミカン科の常緑低木。中国原産) ツルツルしてます
ttp://sadashifujimoto.blog.ocn.ne.jp/rannchann/images/5665_thumb.jpg
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 21:06:01ID:TIp9ihYa>俺は信長に脅威を覚えていたと思うんだが
脅威とは? 具体的に。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 21:21:34ID:e3CwkPyJむしろ信長は朝廷の権威回復に非常に気を使っている。
信長が朝廷を滅ぼす、なんて説が出てきたのは、全て戦後の小説からといって間違いない。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 21:28:59ID:U6axRsCT松永久秀が光秀をそそのかした
彼は数年前に爆死したらしいが、
じつは平蜘蛛ともども生き残っていたし
一番可能性が高い
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 21:57:47ID:59l+CZw/六 角 親 子 を一押しdane
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 22:34:35ID:wq6mLK8L織田信勝が光秀をそそのかした
彼は二十数年前に暗殺されたらしいが、
じつは平手ともども生き残っていたし
一番可能性が高い
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 22:43:42ID:TIp9ihYa****が光秀をそそのかした
彼は**年前に*死したらしいが、
じつは(**ともども)生き残っていたし
一番可能性が高い
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/21(水) 23:41:22ID:iSg1gneA実は柴田と仲が悪い。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 01:18:45ID:5pS2YYrw室町幕府という権威に対向しうる組織として朝廷を利用したと考えてる。
その為、幕府組織が完全に崩壊し、信長自身が義昭を越える官職位を得たら、
朝廷権威を取り込み、形骸化させようとしていたと思える。
それが安土城の清涼殿であり、五ノ宮の猶子であり、三島暦導入であると思う。
それに対して一部の公卿が危機感を抱いて、光秀を煽り(騙した、と言うべきか?)、
光秀も朝廷の支援があるものとして行動起したのではにかと思ってる。
まぁ憶測の域から出ないんだけどね。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 01:48:14ID:5uB/gjZTそれでもせいぜい徳川幕府程度だろ。すでに織田家は子息も家臣団にも、朝廷官位によって序列付けを
行っているのに、この権威の源をぶち壊すって事はどう考えても合理的じゃなかろう。
権威と言うのは、織田家に取り込んだりしたら、その時点で意味がなくなる。
ついでに本能寺当時はある程度余裕が出来ていたとはいえ、まだ四方に敵を抱えているんだよ。その時点で
わざわざ朝廷を敵に回すような行動を起こすほど信長は馬鹿じゃなかろう。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 02:05:36ID:5uB/gjZT皆当然のことのようにそう色分けしているが、同時代資料を見ても、信長は確かに強い合理主義者では有るが
社会制度的には極めて保守的だよ。それは自分の息子たちや、家臣団の序列を官位によって決定する事もそうだし、
社会政策的にも、信長独自の施策はほとんどない(無論戦時中で新しい施策を執行する暇が無かったとも考えられるが)
他の大名にやって成功した事の真似か、その真似の真似ばかりだったりする。
逆に光秀は、その領国の坂本において、織田家の中でも突出した最先端の行政を行っている。また比叡山の焼き討ちにおいても
後世の小説とは異なり、信長の攻撃命令に最初から賛同し、現場では積極的に焼き討ちをしている。無論後悔の念など全く記録されていない。
また銃の集中活用も、光秀の丹波攻略戦から見られるようになった戦法だったりする。
このように宗教的、政治的、軍事的な意識においては、光秀は信長と同程度か、むしろ少し先を行っていたと考えても、よい。
逆に光秀の立場から言えば、信長の方が「古い」のである。
…と言う考え方も出来るんだなあ。憶測ながらね。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 03:01:12ID:0lTV0DgM0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 03:43:46ID:RZ2o2IFF裏切りを一番良く見てきた男のはずなのに。
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 03:50:42ID:YTsU5fpl0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 16:48:00ID:5pS2YYrw信長が朝廷を敵に廻すとか、朝廷を潰すとかどう捉えるか、合理的か判断したのか等は見解の相違で
意見が分かれる所なので、言及はしないし、確かめようが無い。
問題は信長がどう考えていたのかではなく、公家がどう捉えていたのかを問題視している訳で。
信長のその気がなくとも、相手はそう捉えなかったら関係ないんですよ。
実際問題として、暦の変更は有史以来、朝廷が決めることであり、陰陽の関係の暦注などもあり、
絶対に許されざる朝廷の権利であった訳で、それに介入するのは、信長以前は存在していない前代未聞の事。
ここからは憶測。
これを一部の公家が朝廷の権利を犯し、将来的には朝廷を潰すと捉えても不思議ではないし、
そう捉えた公家衆(土御門久脩、吉田兼見、近衛前久、高倉永相、中山親綱、広橋兼勝等)が、
朝廷は光秀の決起を容認支援すると煽動したのではと思ってる。
それと信長が革新派や光秀が保守派とかも色々見解あろうが、
少なくとも古来から常識であった寺社の武力維持と政治への介入を拒否したのは信長で、
光秀は旧幕府側の人間と関係が深く、本能寺後も伊勢氏など協力を得ているのは確か。
>その領国の坂本において、織田家の中でも突出した最先端の行政を行っている。
申し訳ないが、どの史料を見ればそれがわかるのかな?
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 17:43:26ID:5uB/gjZTどうも朝廷黒幕派の人は、三島暦導入問題を過大に見てるように思うよ。ぶっちゃけ内容は、既得権と言うか
慣習として今まで三島暦を使っていた地方での、社会的混乱が起こるのを恐れて「その地域はしばらく三島暦で行かせてほしい」
って要求でしょ、信長側からの。素直に資料を読めばそういう結論に至ると思うんだけど。
「信長=革命家」って公式に浸り過ぎると、見方がゆがむのではなかろうか?
ちなみに暦を変更すると大きな混乱が起こるのは、明治の時で証明済みですな(一揆まで起こったし)
>光秀は旧幕府側の人間と関係が深く、能寺後も伊勢氏など協力を得ているのは確か。
それでは京都制圧に直に足利氏や幕府官僚層の協力を得ていた信長はw
イデオロギー的に対極にあるものが。「敵の敵」として手を結ぶのはよくある事ですよ。
>>その領国の坂本において、織田家の中でも突出した最先端の行政を行っている。
>申し訳ないが、どの史料を見ればそれがわかるのかな?
考古学的発掘。少し前ニュースになったような。ほとんど江戸期のものかと思わせるほどの城下町だったらしいですよ。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 17:53:06ID:9ZtlX3eW>ぶっちゃけ内容は、既得権と言うか
>慣習として今まで三島暦を使っていた地方での、社会的混乱が起こるのを恐れて
>「その地域はしばらく三島暦で行かせてほしい」って要求でしょ、信長側からの。
>素直に資料を読めばそういう結論に至ると思うんだけど。
どの資料を読んだの?
晴豊記には再三暦問題出てるし、地方暦の三島暦を全国基準にしろと
信長が要求してるけど。
資料名を是非知りたいのでよろしく。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 21:22:29ID:5pS2YYrwいえ、だから朝廷が黒幕とは言ってません、。一部の公家の煽動と言ってるだけで。
それで暦を過大にというが、当時の暦は占星的なものも含め、神聖な意味合いもあった訳で、
それを信長が宣明暦から三島暦にさせるよう要望するのは、朝廷の存在意義の一つを
否定することに他ならない訳で。
信長が革命家とは思いませんし、それは人それぞれの認識の差で違うので言及しませんが、
信長は当時の人間の中では価値観や思考が違っていたと思われます。
それと>>131も指摘してるが、信長が濃尾を含む東海地方で使われていた三島暦の継続を願うとは
どういう事でしょうか?>>130の書き方だと、朝廷が暦を宣明暦に統一せよとしたのを
信長が反対したという風に受け取れますけど・・・。
>それでは京都制圧に直に足利氏や幕府官僚層の協力を得ていた信長はw
この時の信長は幕府の保護者では?状況が違うかと。
>考古学的発掘。少し前ニュースになったような。ほとんど江戸期のものかと思わせるほどの城下町だったらしいですよ
すいません、これだけではなんとも・・・、こちらでもそのニュース探して見ます。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 21:30:20ID:CiXGrp5b「公家黒幕説」ではなんか違うし・・・
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/22(木) 23:14:51ID:MTcupvHU明智が信長に対し腹立って殺した、これでええねん。
単純でええねゃ。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 01:38:15ID:CoxYOowrええやん。と言っても本能寺の変について語るスレなんだがw
「腹立って」と言っても、それが単純かどうかはわからない。
どういう理由で腹が立ったのかを考えるのでなければ、このスレに書き込む意味が無い。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 07:59:59ID:pVmJ4bQ+0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 10:05:14ID:Kr0SeCNp0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 15:28:40ID:ll7P0Ak50139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 17:46:14ID:+Qwmxoqk同意。
光秀の気持ちひとつの単独説かと私も思ってる。動機解明は難しいが光秀の中で何らかの感情がはじけて一気に謀反へと走ったのかと。
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 17:52:37ID:i43kOD5h俺も同意。
色々背景を考えるのも楽しいけど、結局は「ムシャクシャ(ry」が一番納得できたり。
そういえば昔歴史の教師が言ってたな。
「信長は天下が欲しかった、秀吉も欲しかった、家康も欲しかった、そして光秀も欲しかった」
でも、天下を取る為に練りに練ったって感じじゃないところとか考えると、やっぱり
「ムシャクシャ(ry」っぽいよな
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/23(金) 22:08:20ID:Fmlad+qe「本能寺の変 本当の謎」 円堂晃著
発行所 並木書房
図書館で借りたのだが、かなり興味深かった。
是非、一度読むべし。
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 01:56:37ID:dXfHcw2Y0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 02:48:23ID:UUrsegGR0144あけちみつひで
2006/06/24(土) 14:42:37ID:dXfHcw2Y0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 15:08:22ID:8yXORgu/0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 17:07:00ID:OsV4rTFt0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 20:19:19ID:UUrsegGRただ下が上を剋っただけだから。戦国の世のならいに光秀は従っただけ。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 20:20:50ID:bq5DR80o0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 21:22:19ID:RRkh3DAO堺商人説なんてあるんだ
詳しく
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 21:32:49ID:zwcg30xIこれを堺の町衆が嫌った。
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 21:42:12ID:OHbzC6K70152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/24(土) 22:51:48ID:amrfkSnt0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 01:33:51ID:FFhK5vHmそうそう。信長なんか裏切られまくってるじゃん。
最後の最後で忠誠心が薄くなった光秀に反逆されてあぼん。
信長が油断しきっていたのは間違いないと思うし、劇的に描かれがちだけど意外にあっさりと最後はあぼんしたんじゃないかな〜?と想像する。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 01:40:32ID:FFhK5vHm類をみないほどの家臣思いの将で、統率も正確で緻密だったらしいね。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 07:47:34ID:gG07C3we身内には慕われるが外の人は気に食わなかったのかも。
0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 08:04:00ID:E+cwpGEPもちろん事前の根回しなんか出来なかっただろうし。
どこの勢力だって我が身大事・・・と言うか、時代をかぎ分ける力がなきゃ
生き残れない時代だもの。
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 08:08:16ID:82lvwzAH羽柴の横槍で引き金になった四国攻撃は光秀を大変悩ませた。同時期、光秀にいろんな土豪から文句の嵐。
信長政策の一つ、楽市・楽座によって今まで通用していた権益を失う土豪連が多く、光秀の領土拡大政策の一つにもなっていた事から
光秀も土豪連が押さえ切れなくなっていた。そこに、羽柴・三好に肩を持った信長が巨大な渦となって光秀の目に映った。
0158無名武将@お腹せっぷく
2006/06/25(日) 12:04:53ID:w+G5c/Wxそれもあったかもな。ただ三好勢絡むなら毛利も絡むはず。
>>147
戦国に地域ごとの下克上はあっても、天下取るなんて発想は
どの大名にもそうはない。まして一武将が単独で天下狙える
ほどこの時代も甘くはない。村上Fでも見ろ。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 13:40:08ID:xt52aHmL光秀が安土に入ったのは下克上だよ
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 14:32:58ID:FKau1o/s松永久秀が光秀をそそのかした
義輝を暗殺した展開とよく似ている
一番可能性が高い
0161無名武将@お腹せっぷく
2006/06/25(日) 14:43:33ID:w+G5c/Wxもし信長天下がなってたら家臣団で埋めて、秀吉天下とは中身が
全然違うんでないのか?統一王国と連合国家くらいの違いがある。
もしも光秀だろうが信忠だろうが天下狙うならどんな戦後体制が
できると言うのよ?一地域に勢力築く目的だけなら天下じゃなく
て大名狙い。
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 15:08:49ID:IvKP5D5Sふと状況を見ると、まるでお膳立てされたみたいに簡単に信長親子の首が取れそうだった
だからやった
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 16:31:20ID:KvIc0hAA0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 16:56:47ID:cAduO/O9とりあえず3についてだが、死体は見つからなかった訳じゃない。
焼死体やら普通の死体やらごろごろあったに決まってる。ただ信長と分からなかっただけ。
それと雨の日に火災事故が無いとでもお思いか。
1万人いようが堀に水が満載だろうが人力では火は簡単に消せません。
現在でも放水車で大量の水を使っても消すのに数時間かかります。
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 17:00:22ID:eFD/MTh80166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 17:15:32ID:cAduO/O9続いて2だが信忠の籠った二条御所と義昭が籠った二条御所はまったく場所も違う別物です。
信忠の入った御所は最初信長の京都の宿所として作られ、後に親王に献上され御所に成った物です。
信忠の死体が見つからなかったのは切腹に立ち会った介錯人なりが隠すなり偽装するなりしたんでしょう。
0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 17:47:09ID:w+G5c/Wx朝倉の生き残り、丹波(波多野)、丹後(一色)播磨(別所・赤松・小寺)、毛利、上杉
あたりはひとつの巨大な既得権連合または反信長連合とみなしてもいいのでは?
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 18:52:56ID:+JOie2K319は君が言う事に55と74で意見を出してるが?
0169名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 19:27:49ID:D7p9QLcE官兵衛の息子は、信長に人質として出されていたが、
官兵衛が有岡城にて捕らわれた際に殺せと命じられている。
半兵衛の気転ににより事なきを得たが、
その事実を誰かから聞いても不思議はない。
自分は足も壊れ、皮膚病にも冒されてまでがんばってたのにこの仕打ち、
官兵衛が信長に恨みを抱き、息子の恩人たる半兵衛に恩を感じても
なんら不思議はなかろう。
そして半兵衛の望みは秀吉の天下。
そしてチャンスは来た。
いま、信長の傍にいる司令官は光秀のみ。
光秀をたぶらかし、毛利方の外交僧・安国寺恵瓊には一国一城の約束にて
密約を結び勝家のライバルたる長秀を篭絡し、大返しの手配を密かに行う。
本能寺の変事を知った秀吉に「殿、好機ですぞ」と言ったとき、
秀吉もその事実を推察したのではなかろうか。
故に冷遇されたのであろう。
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/25(日) 21:58:11ID:xMOXqcI4「官兵衛説」?
光秀より下位の者説は「明智光秀単独説」にしましょうよ。
光秀はボンクラだけど、そこまでボンクラじゃないと思います…。
0171164
2006/06/25(日) 22:54:56ID:zPG70Amz失礼、自分と同じ意見の方が前にレスしてたのね。
ともあれ自分は断固単独説で動機は野望説ね、家臣引き込む際に恨みうんぬんは言っただろうけど。
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/26(月) 15:17:23ID:uzqitnG30173名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/28(水) 02:02:44ID:bnrpeTp8明らかにおかしいぞそれ
1.2平方キロメートルあったから中心から600Mってか?
建物は無かったんかいな(笑)
本能寺の作りから言って外壁までそう距離は無いハズだが?
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/29(木) 02:51:45ID:1kYhqXA+市を使って光秀の悪い噂を信長に吹き込み、両者を対立させる
市は勝家とデキてるのをバラされたら勝家殺されちゃうから協力せざるを得ない
まぁ信孝に「俺が当主になれば二人を結ばせてやる」と言われて積極的に協力したのかも
光秀には同情したふりをして「俺が当主になったら好待遇で…」と信長と信忠殺害を情報面で協力する
勝家には事前に光秀が謀反を起こす事を教えて仇討ちをさせ、発言力をつけさせて自分を跡継に推させる
筆頭の勝家が仇を討って跡継を提案したら、逆らう者等いる訳ない
見返りには当然市の身体と織田家筆頭に相応しい領土
正に完璧な計画
で、猿が仇討ってすべてがオジャン
0175無名武将@お腹せっぷく
2006/06/29(木) 22:52:01ID:TCPBWgg1俺も信忠VS信孝・丹羽コンビの後継ぎ争いあったような気がするわ。
0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/29(木) 22:55:42ID:KqNsXshE信忠の後継者の地位は不動
織田の家督の相続してるし、武田を単独で潰すなどの器量良し・信長の覚えがめでたい
不動の後継者に対して、クーデターを起こし
地位をもぎ取った男に唐太宗がいるが
信孝が唐太宗になるには功績が足りなすぎ
0177奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/06/29(木) 22:59:47ID:m+Rdz93s信孝は連枝の中でも最初から序列が低く、明らかな庶子扱いを受けている。
スタートラインが後ろすぎるんだよな。
0178無名武将@お腹せっぷく
2006/06/29(木) 23:01:45ID:TCPBWgg10179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/30(金) 21:11:02ID:M4dBxHLDhttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1148233579/
0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/30(金) 22:35:59ID:xsWmzMPKつかボンクラだったら、そもそもあそこまで出世してないでしょうしね。
尤も後の秀吉にも見える陰の様に、老いと言う物もある訳だけども。
0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 05:22:59ID:lMElusUc>>175
功名が辻に影響されすぎ
悪いでしょ、君ら?
津田信澄を殺したのは?
ていうか、一部の兵はもう四国に行ってたんだよ?
>>177
それは当たり前だろ
生駒の方の信忠と信雄を優遇するのは当たり前
坂の方の出生やらを調べてから語れよ
0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 10:31:17ID:KVCsC/BE0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 10:41:18ID:CXr3OGvv信長が朝廷に対してクーデターを起こす為に光秀を京都に呼んだ!
信忠軍2,000と明智軍13,000の計15,000人で朝廷に権力放棄をさせて皇帝
になるつもりだったという説。
それを光秀が阻止する為に殺害、秀吉は主君がクーデターでは朝敵を倒した
光秀を討ったとなると格好がつかない為、光秀を謀反人に仕立てたという。
書物も改ざんしまくりで、歴史の真実を葬ったらしい・・・
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 11:22:49ID:1PseRCPn信忠は生駒とまったく関係ない環境で育てられてますよ
生まれたその日に正室の子として引き取られ
美濃衆をあてがわれている
吉乃?ダレ?ソレ
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 11:28:32ID:hgPJIoAM真実葬った状態で誰が「マジ」と答えられるのかと。
ちなみにその時点でその説も破綻してる訳だが。
0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 11:32:49ID:AQAlMBKL信長死ぬ直前の息子の評価なんて
信忠=(>)勝長>>>>>信孝>>>(越えられない壁)>>>信雄
これはガチ
0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 12:58:19ID:CXr3OGvv0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 13:49:08ID:mnG7qPiH信忠>>>(越えられない壁)>>>>>>>その他
でしかない
自分が出陣するまで動くなと命令してたのに独力で武田を制圧してしまった信忠に対して
怒るでもなく、むしろ他人に自慢してるぐらいだ
同じく命令違反して、結果失敗した信雄に比べるとなんとも頼り気で満足いく男になったと信長は思ったのだろう
その信忠に、長らく武田の捕虜だった勝長に津田姓を与えて付けてるあたり
勝長を追々取り立てる+次代の藩塀筆頭にする予定だったのかも知れない
あえて順番を付けるなら
信忠>信孝≧勝長>信雄
0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 15:38:36ID:h1UJGyS8黒幕イエズス会(スペイン)説を勝手にでっち上げる
…いや…全く根拠は無いんですが…
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 16:35:42ID:Ike+wttH0191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 17:25:10ID:j8+N8jjF森蘭丸の名。信長は蘭丸を後継者にするつもりだったんじゃないのか?
息子たちでは新国家を維持できない感じていた。信長の死後、それは
現実となる。信長自身、道三から美濃を譲り受けている。
0192名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 17:52:49ID:Q2Om8I+Sボコボコにされてる点だな。明智は反バテレンだって
本人たちが言ってるうえに、秀吉も結果とそては同じ。
イエズス会、何も得してないじゃん??
0193名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 17:54:33ID:KVCsC/BE帰ってくれ。
0194名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 17:56:29ID:39hW9wBK0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 17:57:47ID:Ike+wttH衆道説もそれ以降出てきた筈
0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 18:04:41ID:39hW9wBK利家との話は有名だが、乱丸との仲はたぶん、だろう。
程度で記述も話も何もないんだよな。
小姓なら、って話しなら、蒲生氏郷とかもなるしな。
0197名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/01(土) 18:10:30ID:39hW9wBK0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/02(日) 00:44:55ID:sUbnmtqA勝者に都合の悪い記述なんて残さない。
0199名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/02(日) 00:57:09ID:ccdWp2Zl勝者に都合の悪いことも書いてあるからこそ一級史料なんだけどな
その理屈だと太平記は尊氏贔屓で書かれてないとオカシイだろ?
でも実際は尊氏結構ぼろくそに言われてるんだが
0200名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/02(日) 01:23:39ID:Q6lolQrK前支配者の悪逆ぶりを書いたりな。
0201名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/02(日) 04:29:40ID:db/hK6ek>でも実際は尊氏結構ぼろくそに言われてるんだが
小島法師(南朝)が書いたからだろ。
まだ南朝は現存してたし。
0202名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/02(日) 04:31:42ID:ccdWp2Zl0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/02(日) 09:39:04ID:db/hK6ek無理ww
太平記語りが各地で流布×←閲見×(○検閲)
0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/02(日) 12:00:11ID:tEdc9xVa明智軍が本能寺から二キロ離れた位置にいても
本能寺の信長には渋谷の交差点の真ん中にいるみたいに騒音が聞こえ
包囲されるまで気付かずに寝ていたなんてありえない
ってテレ東でやってた
0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/03(月) 03:40:15ID:GuwYXjPM全軍が一緒に行動するわけねーだろw
頭悪いんじゃない?君
0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/03(月) 17:25:03ID:K3xpBpja奈良大学卒の加来耕三が監修してる、
テレ東のなんちゃって歴史番組、そのまま鵜呑みにしてはいけないよw
0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/03(月) 22:07:56ID:Bg9O6hfWないかなぁ、それぞれに信長に消えて欲しい理由があって、光秀
を利用することにおいて一致していて、でもそれぞれの思惑には
気づいてなくて、四方八方から放たれた謀略に絡め取られてしま
った、とっても不幸な光秀でしたみたいな。
0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/03(月) 23:26:16ID:3TduiYaE0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 06:44:08ID:0d03Ud5f羽柴秀吉…普通に怪しい 山崎に行くの早すぎなのでクロ
柴田勝家…裏で糸引いてるんだったら、もっと迅速だったはずなのでシロ
丹羽長秀…一番近かったが、何も出来ず待機だからシロ
滝川一益…旧武田家臣にやられて、帰ってきて引きこもりだからシロ
池田恒興…こいつも何もできず、シロ
織田信孝…津田信澄を切ったあたりを考えるとシロ
織田信雄…引きこもりなのでシロ
前田利家…全く関係ないのでシロ
徳川家康…無事で帰れたし、帰ってからの軍備が早すぎなのでクロ
毛利輝元…シロ
小早川・安国寺…秀吉の恩遇を見ているとクロっぽい
足利義昭…こいつ引き金になったか分からんがクロ
朝廷…信長討伐者に征夷大将軍の位をあてがったっぽいのでクロ
0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 08:29:12ID:Imh5iVQU俺も見てたよそれ
当世具足つけた人を走らせて
「これが1万3千人なら」とかやってたな
すげーアホくさかった
1万3千の全員が戦闘員なのか?
全員そんな立派な具足つけてるのか?
全員で一度に行動するのか?
夜襲・奇襲するのに不用心にガチャガチャ音立てて近付く馬鹿がいるのか?
以下略
0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 08:59:52ID:Zs4Zpq88そんな不用意な音を立てる訳がない。
もっとも、あんな番組じゃね……。
信長役があのアホの和泉元彌の時点でダメだろ。
0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 10:48:28ID:AEwLkupbついでに信長も見て見ぬふり
0213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 19:26:29ID:TMwwo/3Y朝廷への返事すらしていないのに。
0214名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 20:59:33ID:CTbeUgYb俺は足利義昭説だな
なにせ義昭は自分の地位を信長に利用されて
それで義昭は信長に逆らって信長包囲網をやったからな
それが失敗して京都から追放されてからは
義昭は信長を倒したいから密かに義昭は明智光秀に信長を殺せと命令したと思います
0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 23:57:04ID:P3Qf5yt90216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 02:22:23ID:JOLiFaa6自分の推理力が糞並みだとわかる良ゲーだ
0217名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 18:57:46ID:nrk0H5QW真の黒幕は信長が死ぬところまでは計算どおりだったが、まさか自分も死ぬとは思わなかった織田信忠とか河尻秀隆
だったらワロスw
0218名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 19:04:51ID:77Ow9sMp本能寺の変=今の北朝鮮 説だなw
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 20:03:07ID:h/dZwBSjまぁ・・信忠の行動はちょいおかしいしね
川尻は・・そりゃ旧武田にやられる程度の奴だからクロはねぇと思う
0220名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 21:26:28ID:AVByqhGc0221名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/05(水) 23:41:36ID:zMRSKOZi多分、信長も
0222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 00:19:33ID:tv68yKk/光秀も可愛そうだよね
あんなことされて、誘惑されたら謀反起こしちゃうよ
料理がまずいだとか、領地をなくすとか
0223名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 16:22:40ID:/GGL5bd9母を人質、武田攻めで殴られた、料理がまずい、領地没収
どれが実際にあったことなんだろうか。
0224名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 16:48:35ID:hx7oOSMVそんなことしたら兵を徴集することができない、
つまり中国に出兵もできないし、本能寺の変も
起こせない。
0225名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 17:17:45ID:/IPXYy4E0226名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 17:33:54ID:SlQcQM8n本当なら「おまえはもう要らないから、毛利に逝っちまえ」ってリストラ宣告されてる様なもんだ
数々伝わる信長の性格からすりゃ、リストラしたきゃ林、佐久間みたく堂々とクビ切るだろうしなぁ
0227名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 17:42:09ID:R8HbHW8u0228名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 17:52:00ID:SlQcQM8n文無しになりゃ必死に働くかもしれんぞ
なーんてな
ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ」
黒幕「…またまたご冗談を…(ニヤリ)」
0229名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 19:14:17ID:IeSFholD0230名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 19:40:59ID:0lONZOrZ通説で領地替えのとされてる領地は、銀山が豊富にある土地にだし、
滝川よりは全然良い土地だとは思うけどねぇ。
京から一気に遠くはなるけど。
0231名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/06(木) 21:16:06ID:bv6LxvZ2> 信長の光秀に対する話は後から作られたのも多いらしいからどれがほんとでどれが嘘なのか。
>
> 母を人質、武田攻めで殴られた、料理がまずい、領地没収
> どれが実際にあったことなんだろうか。
多分このスレ来る位だからツリだと思うけど
マジレスすると、全部嘘。
0232名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 01:31:26ID:V0EuGB35とか言われても城も城下町だって最初から作ったわけだから愛着あるでしょ
京の目の前だし
性格からして、佐久間や林の二の舞は嫌だったじゃないの?
>>231
嘘なの!?
それともお前が釣り?
0233名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 01:40:05ID:eMD2lrxg0234名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 02:00:15ID:ZUj3RcEl0235名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 02:03:43ID:1lDMVZbX信じてる奴がいるのか?
江戸時代に本能寺の変の理由付けで作られた、
創作なのに。
0236名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 03:48:07ID:vmXVLyWx既に60近いし最前線で奮起するつもりもなかったんだろ。
丹波近江で大人しく隠居したかったんだよ・・・
0237名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 05:07:12ID:KMefMNuOそもそも忠誠心なんかあったのかな
0238名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 05:22:51ID:wt5xOEUi流石にクビはありえん
まぁその実力があったからこんなレベルの奴何人もいたら逆に危ないと切り捨てられそうになったかもしれんが
0239名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 06:01:13ID:KMefMNuO全然凄くネー
0240名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 06:36:19ID:ZUj3RcEl0241名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 15:54:01ID:S+dM7Zi/0242名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 22:43:55ID:/PU1GQpW0243名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 23:11:57ID:h1ZzttXR0244名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/07(金) 23:12:57ID:8vZw53TM母を人質、武田攻めで殴られた、料理がまずい、領地没収 等の事実はどの文献を
参考にしてるのかイマイチ不明だ。
惟等日向守の官名をつけられたのも、いずれは九州の地を任せる信長の意向があっただろうし
エリートコースを進んでいたのは間違いないし。
>>237のいうとおり「経歴みても誰に忠誠誓ってたんかさっぱりワカラン」
0245名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 02:29:45ID:3ySyFlfS>参考にしてるのかイマイチ不明だ。
↑が軍記物語で、史実ではないからこそ↓
>最近は、光秀に対する擁護論がマスコミ某体などでもてはやされてる
つまり、将軍家や朝廷を供奉し、信長の大量虐殺に反対していた光秀が評価されているのだ。
0246名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 07:01:19ID:Xoxl84Hmあったっけ?
0247名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 08:12:11ID:9lqL1KfH0248名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 08:25:00ID:efVzsznO0249名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 11:56:50ID:0x4MNXHtこの人物、本能寺の変後も生き延びて、表舞台で城代になったりしてるんだよね
普通、本能寺の変を起こした光秀の特に近しい縁者を、許すことなんてありえるのかな?
これだと、天海=秀満って気がするんだが…ただそれだと、秀満親子は裏切ってた・・・というか、
誰かの指示で光秀を本能寺の変を起こすように導いたのか?って気がしてくるが・・・
0250名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 12:41:23ID:Xoxl84Hm日本ではね。
0251名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 12:50:25ID:oaIF7WCB大袈裟な表現では無く実際に女子供・遠い親類まで全て殺してしまうが
日本の場合だと滅亡したハズの家でも案外、子孫が生き残ってたりするよね
0252名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 13:01:17ID:0x4MNXHt確か本人も当事者だったような
0253名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 13:07:54ID:Xoxl84Hm確か本人も当事者だったような
という事は年的に光秀の娘の子ではなく、先妻か側室の子
って言う事でいいのか?
0254名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 15:12:08ID:0x4MNXHtごめ、ネットで色々と見てた中で見ただけの話だから、母方までわからない
0255名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 15:19:09ID:Xoxl84Hm光秀の一族でも繋がってないし、養子でもないし。
明智とは名乗らせてるけど
0256名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 22:31:57ID:2lTBdhC30257名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 23:03:31ID:XsHMMxYG0258名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 21:10:03ID:mgt3rDBl0259名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 23:10:26ID:71vMBdla0260奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/10(月) 23:14:53ID:iQsjXoJB0261名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 23:25:43ID:QU6N9a9gでも乱丸には動機なくないか?
0262奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/10(月) 23:28:26ID:iQsjXoJBただ光秀と蘭丸の出身地は直線距離で4キロくらい。
なぜトンデモでもこういう説が出ないのか不思議でならんのよね。
0263名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/11(火) 23:34:09ID:bogTaat+でも光秀の氏素性って、ハッキリと判明してないんでしょ?
本人は美濃明智郷の出身だといってるけど。
ま、それをいったら織田の先祖は寺の神官だし松平ときたらタダの浮浪者だったワケだから
氏素性はカンケーないかw
0264奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/11(火) 23:41:26ID:MwOSj5KGオレは地元だけに光秀が可児郡瀬田の出身だと勝手に信じてるだけのこと。
0265名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 08:51:57ID:3wRfEkwNほほう それでそれで?
_____
f:::::::::ヽ
i::/" ̄ ̄ヾi
|:| _ _|
|r==( 。)( 。)
( ヽ _) }
__/ヽ ー== i
r"ヽ t、 \___i
`/ i ヽ__/
/ ヽノ j j|ヽ
r⌒ヽ_/ / /r |
{  ̄`-、_ヘ^ |
ヽ-、____)―、j
/ ヽ_ /
`ー――′
0266名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 14:12:36ID:cTzvmq2N1天皇
2足利義昭
3濃姫
4羽柴秀吉
5徳川家康
6毛利輝元
7北条氏政
8市姫
9織田信孝
10織田信勝の亡霊
11なし
0267名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 23:44:27ID:caTiqdXN秀吉が、光秀の毛利への密書を
横取りできたというのはおかしい。
イタリアのマテみたいに
秀吉が光秀を挑発したにちがいない。
0268名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 01:49:32ID:Mue7GfgO[秀吉]―謀反を煽る→[光秀]←信長を討つよう書状を送る―[義昭・朝廷]
↑ ↑
| 光秀のやり取りは知っていた
| |
└―――和睦と称して信長が討たれるための時間稼ぎ―[毛利・安国寺]
0269名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 10:21:51ID:FtW1emrgと言うか実動部隊の半数以上が、一向門徒なのは既出か。
一向門徒だけに手強いけど高山、中川、細川等の
キリシタン大名は、与力しないわな。(朝廷も。)
でも、あの信長殺せるのは、彼等しかいないのも事実だもんな。
0270名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 16:21:06ID:SCoViFtJその時、美味しい饅頭が出席者に振舞われたのですが
明智光秀には饅頭は3つしかくれませんでした
その時、明智光秀はこう言ったそうです
「あ!ケチ!3つ!?ひでぇ」
その数日後、本能寺の変が起きました。
食い物の恨みは恐ろしい
0271名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 16:53:11ID:KA/Jpw2W0272名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 17:01:10ID:DCWUlrht光秀は連戦連勝のエリートだから、将来の不安を煽るのも難しそうだし
0273名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 17:05:13ID:UjCwMd65光秀はまだ下克上の世の中が続いてると思っていたんだろう。
だが、周囲は下克上ではなく謀反としてとらえた。
だから、信長を討った事で、賛同を得られると思っていた人間からもそっぽを向かれた。
そういう事のような気がするな。
意外と単純な動機なんじゃないだろうか?
0274名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 17:24:14ID:DCWUlrht信長を恨んでいる人間は多い
文化人の自分なら良い国造りが出来る
絶好の機会がある
みたいな感じかも…
0275名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/15(土) 21:18:31ID:CtRRBRD/0276名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/16(日) 01:26:16ID:MNwuwaEN禿同だ。他の説はちょっと苦しい部分が多い。
まあ、変後に味方を募る手紙に明確な理由を書けなかったのは私心からの謀反であることを証明してるかのように思えるし。
0277名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/16(日) 08:41:21ID:P/37Z/FSそれか、単に寝込みを襲いたかったが信長が起きる時間になってしまったので信長の首を優先したとか…
0278名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/16(日) 23:08:26ID:U/ucvt1Z秀吉は三法師の後見人になってるけど
いつの間にか、天下とりしてるし。
本来なら、織田政権を確立するのが筋でしょ。
信孝を自刃させてるし。
0279名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 17:12:47ID:qbmmhAek0280あぼーん
NGNG0281名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 14:31:31ID:qggsyC54秀吉「ぐふふふ。官兵衛、お主も悪よのぅ」
孝高「いえいえ、殿にはかないませぬ」
秀吉「上様は倒れ、ワシが天下人じゃ。ぐふふふ。今宵の酒は上手いのぅ」
声「猿よ。末期の酒は上手いか」
タ〜ラ〜ラ〜タラ〜タラ〜♪
信長「羽柴筑前守、並びに黒田官兵衛。その方らの手駒であった惟任日向守はすでに討ち取った。
その方らの目論見は何もかも露見しておるぞ」
秀吉「・・・貴様、一体何奴じゃ?」
信長「たわけ! 余の顔見忘れたか!!」
カーンカーンカーン
秀吉「・・・う、上様!!」
秀吉&孝高「 ハハーッ(平伏)」
信長「その方ら、腐った公家どもと結託し、惟任日向守をけしかけ、余を討ち取る算段であったか。
己の手を汚さず、主を亡き者にしようとするその所業、断じて許せぬ。いさぎよく腹を切れ!」
秀吉「・・・うぬぬ、上様がかような地におられるはずがない。者ども出会え出会え!
こやつは上様の名を騙る不届き者じゃ、かまわぬ、斬り捨てぃ!」
信長「シャキーン」
チャーンチャーンチャーンチャチャチャチャチャチャチャーチャーチャー♪
信長「成敗!」
蘭丸&坊丸「・・・グサッ!」
秀吉&孝高「うぐぅ・・・」
0282名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 17:23:27ID:AI2Rs2yuでてきてもいいきがする。
0283名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 19:05:27ID:X5Y8nFZ+その黒幕が処理したのかな?個人的には黒幕は存在しなかったと思うが。
0284名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 00:15:29ID:PQ9nmddW>>283
何気に>>281の熱演をシカトするおまいらに乾杯。
文書云々はやはり秀吉らが密かに処分したのかもね。
0285名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 11:26:29ID:pDNzGIR3俗説以上にはならんからねえ。
多少の傍証でもあれば、江戸時代に幕府が利用しない手もないしねえ。
秀吉の線は無いと見て良いとは思うんだけどさ。
0286282
2006/07/20(木) 17:47:38ID:tuHIZC0Bなのに誰も利用しないし文書に残さないのは、何だか不自然な気もする。
仮に秀吉説に立つと、秀吉1人が本能寺の変の全ての絵を描いたんじゃなくて、
当然、官兵衛を始めとした側近たちと計画したと考えるのが普通だと思う。
だけど後に官兵衛は秀吉から遠ざけられたときに、事件の真相暴露して
秀吉を逆賊にすることも、文書にすることもしていない。
他の黒幕候補にも同じことが言えるわけで、
要は、確たる文書が残ってないのは、黒幕なんかいない。
すなわち光秀単独説ってことにならんかね。
まあ、妄想だけどね
0287名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 22:24:29ID:PQ9nmddWやはり光秀単独説しか残らないなぁ。
0288くろだカンベ〜
2006/07/21(金) 02:41:52ID:QTpKF5JK0289名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 07:55:41ID:S8klsYhC実行犯を選び、その気にさせる方法
毛利が和睦に応じない、または追撃して来た時の対処
細川、筒井、朝廷を光秀に協力させない方法
信孝や同僚たちを出し抜き主導権を得る方法
…とかとか
0290名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 08:36:45ID:Yk+f+Yah官兵衛が暴走して秀吉が黙認あるいは止められなかったのなら
表に出てこなくてもおかしく無いんじゃね
秀吉説=官兵衛暴走(怒った秀吉が冷遇)
家康説=本多正信暴走(怒った天海(光秀)が正純を失脚させる)
まあ、妄想だけどね
0291名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 13:20:36ID:uwPcOZC+なんか石田三成と重なるものがあるな
0292名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 19:17:52ID:St/YxcuD0293名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 19:30:56ID:St/YxcuD自分を死んだ事にしたかった。理由は知らん
0294名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 02:06:16ID:5NogllTu小学生の頃に天海=信長説を思いついたことを思い出したw
「光秀説があるなら、信長説があってもいいじゃん!」理論でw意味ねぇww
0295名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 15:26:39ID:WCmvZqti信長は、普段住んでいた安土城天主閣1階、京都宿舎である本能寺の自分の寝室の地下に
巨大な火薬壷を埋め、そこから導火線を寝室の床の間に出しておいて、
謀反が起こった際に、自分の首が晒し首にならないように、
床の間にある導火線に蜀台の火を放って自爆できるようにしていたんだって。
0296名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 17:19:36ID:5ilPufDq0297名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 20:13:47ID:K/BweJiq0298名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 20:23:23ID:VzcsltwLまだ押板の時代じゃないの?
0299名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 20:25:48ID:K/BweJiqどっちにしても、暗殺されるなら、居城より外のがよほど可能性高いわけだし、
火薬の上なんかに寝る危険性考えても、眉唾物だけどな
0300名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 21:14:21ID:3rrrfwgH秀吉の仕事は信長を中国に呼び寄せる細工をする。
光秀が暗殺
家康は何もしない。
天下は光秀にとの約束だったが、主君を殺した謀反人に仕立てれば仇討ち
と称して大義名分が立つことを考えて周りの武将を味方につけたわけ。
実質、裏切られたのは光秀。
家康は秀吉の作戦にまんまとはめられた。
本当に家康がヤバイと感じたのは秀吉に殺されるかもしれないことだった。
0301名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 23:31:34ID:uH2PS0/Gというか、秀吉も三法師をちゃんと育てて
織田家の後継ぎにしてとか、考えられなかったのかね。
0302名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 23:38:39ID:uz+bjK7W0303名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/24(月) 15:29:33ID:4w2DfHPc0304名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/24(月) 15:31:37ID:wDd8M2zm0305名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/24(月) 15:45:25ID:ruotM7Pq0306名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/24(月) 17:54:29ID:zt/cpNpX0307名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/27(木) 12:29:40ID:AO1jmjDe本能寺の変は銃撃戦だったのです
0308名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 01:05:52ID:XmsMv43/0309名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 01:22:46ID:7gw53WG+0310名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 07:33:09ID:lyFKW2J30311名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 07:45:49ID:NTBrRn0Mそうなんだよな。信長とは違った意味でそれまでの武士とは違う感覚持ってたのかも。
>>274
荒木を説得した時に、こういう奴が他にもいるなら行けると思ってしまったとか。
0312名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 21:21:04ID:vhp9yxCN0313名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 06:31:28ID:rf+JBR9f人でなしと唄われた所以だね。
0314名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 09:55:28ID:KFBkrVuQ0315名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 21:08:13ID:QTGUbL2M0316名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 22:58:05ID:D3v1eYnI信長に報告するだろうか?
しなそうだよね
0317猿&狸
2006/07/30(日) 02:28:34ID:FqGs144V0318名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/30(日) 05:19:19ID:IZaDXMHd0319名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/30(日) 05:24:45ID:dfzATyFIしたら共謀とはいわんよね
0320名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/01(火) 17:29:16ID:YOkqBFkeあの世に2ちゃんがあったら Part 2
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1149076568/
このスレ三戦ネタが多いwww
皆さん出張乙w
0321名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 19:42:08ID:oRQe3DIM解体の予定。その動きを察知した朝廷が光秀に相談。本能寺の変発生。
その動きを逐一、間諜と内通者を通じて掴んでいた秀吉、援軍要請も暗に光秀軍を動きやすく
するためのもの、中国大返し開始。同時に信長は生きていると噂を流す。
光秀は信長の死体が見つからず諦める。朝廷から朝敵を討った功績で征夷大将軍に任ぜ
られるが、その応対や儀式のため軍事行動が遅れる。その上、信長は生きていると言う
噂のため思うように味方が集まらない。山崎の戦い。
勝利した秀吉が、信長の天皇暗殺計画、光秀の征夷大将軍就任などの証拠隠滅をして
光秀=謀反人のイメージを確立する。朝廷の陰謀、光秀の義憤、一枚上手の秀吉。
0322名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 15:41:34ID:A2rXaJ0C0323名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 01:28:12ID:RXZIJXid雨が下しる
五月かな
0324名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 03:52:38ID:UtK5HB7chttp://society3.2ch.net/test/read.cgi/giin/1142799748/213
0325名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 03:58:12ID:W4NIp2klそう言えばこいつも、政界の信長と呼ばれた時期があったな。
0326名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 04:08:38ID:e6/C2Nq20327名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 12:48:38ID:iEVpFKbC親分が死んだら一気に落ちぶれた羽柴秀吉の出来損ないみたいな奴。
0328名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 01:02:20ID:kXq1khOf(それも向きになっている様子がありありと伝わる様な書き込みがされている)
が書き込まれている事を考慮して間違い無く朝廷が関わっていると判断した。
これは国家レベルの隠蔽である、この手の隠蔽には枚挙に糸満がない。
この後に否定する意見が書かれるであろうが全て宮○庁の差し金である。
0329名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 02:01:20ID:6BzOkCgJ0330名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 07:53:13ID:ivocLCYn0331名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 10:23:49ID:Rb5H1BGS少なくとも○○黒幕説の中ではな
0332名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 10:55:42ID:/hloiZXe0333名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 11:45:49ID:cbrq6rsA当時、畿内でほぼ信長に次ぐ地位を持ってた光秀がどうして黒幕を必要とするんだか。
普通、黒幕というのは実行者より力を持って無いと意味がない。
なんで光秀が格下の勢力に使われたことにしなけりゃならん?
0334名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 12:18:32ID:6BzOkCgJ0335名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 19:32:11ID:m8GJJvzg誰から見ても普遍ではなく、人によっては武力よりも力を持つ。一概に朝廷が格下とも
言えないだろ。人の心の中を証明する事は出来ないから、仮説の域を出ることは無いがな。
0336名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 20:46:34ID:8uFWOhPZ0337名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 23:11:10ID:Fx7ykZLDおそらく皆気付いていて釣られてないだけだろ
0338名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/11(金) 00:53:47ID:Wy7uHDly0339名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/11(金) 18:49:09ID:lzKurA0d0340名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 00:28:18ID:f1VPjbOm貸し出し可能のはずなのに無い。買おうかどうしようか迷っている。
0341名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 21:53:46ID:e9QNuTXa信長と同時代に生きた天皇の墓には本能寺の変の真相を語る資料が
埋められているような気がするんだけど。
天皇家の墓は絶対不可侵だし、ありうるんじゃないか?
0342名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 22:01:31ID:nNMFlw1N0343名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 22:15:47ID:FNkyGnfd0344名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 23:14:32ID:I56yiJ2J出てないんでしょ?
手付かずの場所といえば、天皇家関係しかないと思われ。
0345名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 00:43:12ID:GhNfbqvc真相に迫る史料が現存しているという仮定があるという話で進めてないか?
0346名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 07:48:31ID:ztkBJYA9「真相」云々というような事実がない可能性だってあるわけだし。
いや、可能性があるというか、一般的にはその方が通説なわけだが。
0347名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 23:30:55ID:b1oKQXTbまずかったということなんでしょ。
信長に影武者がいなかったというのが
納得いかない。信玄にはいたんでしょ。
桶狭間の合戦のとき
今川義元の居場所を教えたのが
信玄の忍びとか。
0348名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 12:37:29ID:B1zlXR/U0349名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 21:05:27ID:2wAA+9oA「本能寺の変には家康も絡んでいる」だの
「死んだ光秀は偽者」だの
「本物は天海になった」だのご丁寧に線引いて強調した
怪文書があったよ
なんだろあれいたずらか?
0350名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 23:03:55ID:eRL+udP+謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
0351名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 22:57:03ID:V79JWFKe0352名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 07:15:57ID:wP8M5d+f0353名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 18:29:11ID:Ipvjhh8dそう言えばそんな事言ってた番組があった気がする。
爆笑問題が出てたような。
0354名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 00:31:09ID:UXkhmvgH学識者の唱える 本能寺の黒幕説は
ワイドショーの評論家が語るる 胡散臭い事件の真相の如きなり
思へばこの世は 常の住み家にあらず
草葉に置く白露 水に宿る月より なほあやし————
南楼の月を弄ぶ月に先つて 有為の雲にかくれり
人間五十年
下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり
ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか
0355名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 10:00:06ID:SzVwuPRh本能寺で殺させた。
0356名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 17:36:35ID:3+pwKW6D0357名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 18:23:20ID:YaJki0N3なんかそういう小説あったな。
0358名無しさん@お腹いっぱい
2006/09/02(土) 00:50:23ID:xind0sVL秀吉の野心に気づかない信長に任せたのでは、いつか織田家が滅ぶと光秀は考えたのだろう。
実際歴史は光秀の予想したとおり、秀吉により織田家は乗っ取られたといえる。
残念なことに、光秀にも秀吉から織田家を守る力がなかったということだ。
0359名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 04:22:06ID:Z/1TfeXa丁度京都に住んでたしこの頃。
0360名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 04:45:03ID:/vdvvv55お元気ですか。信長す。おら信長っす。
光秀さんからのメール拝見しました。
光秀さんの戦況報告はいつも詳細で、眼前で見る心地がいたしますた。
先度の荒木村重が戦果を挙げてから、
目覚ましい功績は無いと光秀さんは謙遜していますが、
光秀さんの陣所は鳥羽近辺に見事に設営し、
油断無く守備しているとの報告を入手しています。
でも、敵勢が不意に淀川を渡河した際には断固応戦して下さい。
攻撃の規模によって援軍の派遣を計画しているので安心してね。
それから反逆した伊丹親興の伊丹城は、兵粮が欠乏すれば、落城は必然です。
然し、伊丹城は石山本願寺との連絡があるので、
即時攻略は成し得ないであろうと思います。
であるからして、伊丹城の件は後廻しにするべきか、
否かは光秀さんの判断にすべてお任せします。m(__)m
信長が在陣している伊勢国方面の戦況は、篠橋・大鳥居を包囲し、
これらに兵粮が皆無であることは明白で、
数日のうちに必ずや落城するでしょう。(^_^)/
しかもこの篠橋・大鳥居の両拠点に一揆勢の中心人物が随分と籠城しており、
ここを陥落させれば長島一向一揆を攻略したも同然なのであります。
でも、長島に無礼な輩が多く逃げ込んで、城内はもはや正常な状態ではないことは、
想像以上です。(城内に於いては、女子供の餓死者が続出しているとのこと(T_T))
早く平和な世の中にしたいですね。お互い頑張りましょう。
取り急ぎ以上です。
平@信長
0361名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 18:20:26ID:DjLraOyw0362名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 18:53:49ID:FecQvPt3ほら、お前の後ろに
0363名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 22:10:51ID:/lta5PM10364名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 00:49:41ID:Dq0tS7cP0365名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 01:15:25ID:n5rpOcg+一人称おらとかいいつつ顔文字使う信長に吹いた。
あと、IDにvが4つってなんかスゴイ。
0366名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 02:10:25ID:HUbdeWbcたいらって読めばいいんじゃない?
0367名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 06:57:34ID:AN+PzVz60368名無しさん
2006/09/07(木) 15:49:32ID:GbDHCq7i0369きちょう
2006/09/07(木) 16:17:04ID:m5ZoL4360370名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 19:52:49ID:zGPowJqN若信長へ助勢あらんとき横鑓にかかつて討へきとて明智左馬の助を大将にて六千騎にて内野にひかへて陣をとる。
卯の下剋本能寺合戦初て巳剋に本能寺火かかつて信長自殺し玉ふ。
同日三位中将信忠は妙覚寺にありけるか本能寺へ馳合て合戦すへきとて
妙覚寺を出玉ふに内野にありし明知左馬允六千にて横鑓に城介信忠の勢へ馳かかる。
信忠少勢に依てのため方に成て二條新御所へたて籠玉ふ。
辰剋より午剋まで責戦ふ。少勢なれはかなく信忠終に自害し給ふ。
二條より信忠前田玄以斉を江州へかへし、若公達を尾州清洲へ退け申へきとて
同日に京を立て安土へ通る。
同日酉剋に光秀京都をしまい大津につく。
0371名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 15:18:39ID:FY1p8rj8ところで、羽柴秀吉の援軍要請とは、具体的に何なのか教えてください。
使者の名前とか、記録されている史書とか、内容とか。
お願いします。
0372名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 17:48:48ID:BPQiu9f6狡兎死して良狗煮られる
もし自分が粛清されなかったら信長は海外に出るということ みっちゃんならこっちを恐れていたのかもしれないが・・
どちらにしろ、やらなきゃやられる可能性が高いからやったってだけだろ
0373名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 22:59:37ID:PTzJ0ppZ乱丸「あたし、上様と一緒なら怖くない」
坊丸「あたしも」
力丸「あたしも」
新介「今度の大将首は聊か小さいのう…ふふ」
ヤスケ「ウエサマ オラ シニタクナイ」
信忠「於松…とうとう会えなかったな…」
玄以「生きてこそ名もあれ…中将様はお若い…」
三法師「ばぶ ばぶ」
0374名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 23:19:11ID:VENTHR5cそうだったのか
0375名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 11:25:39ID:iszr/ixhなんの裏もカラクリもないんだよ。
0376名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 12:06:24ID:OigMwpJF0377名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 12:30:32ID:tiQyZk8r0378名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 12:40:35ID:Aoo62b+Yむしゃくしゃしてやった。
申し訳ないことした。反省している。
0379名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 10:54:24ID:tbK6F2Lb0380名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 01:39:10ID:FAEfdmTo通報しますた♪
0381名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 01:45:36ID:hy8MCApFここ数ヶ月の中で俺がみたまれにみる良レス
0382名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 01:58:06ID:eQ8mGzCT0383名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 02:00:00ID:cDxPtEuj0384名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 02:05:48ID:sX+fr6SE>>380
明智光秀「逮捕しに来ますた。」
0385名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 02:09:55ID:BHwPxEQu0386名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 07:10:33ID:Yld1wF+60387↑
2006/11/05(日) 09:36:28ID:rIqdn9ct日曜洋画劇場特別企画
「信長の棺〜本能寺炎上後、消えた信長の死体!?光秀、秀吉、家康…真の暗殺者は!?
空前のスケールで描く大ヒット歴史ミステリー、初の映像化!!」
0388某研究者
2006/11/07(火) 11:56:24ID:fk/VkzwT>ところが途中から信長は暴走し,イエズス会にとって困った存在となる。信長に
>とってイエズス会とは金と武器を出してくれる便利な存在であり,キリスト教の
>教えはどうでもいい事だったらしい。
>1582年に本能寺の変が起き、信長は光秀に暗殺される。しかし、同時期に、織田
>水軍が大阪湾上で、四国攻めの準備を行っていた点は看過できない。つまり、鉄
>鋼船を含む織田水軍は将来、フィリピン遠征の危険があると察したスペインが、
>キリスト教宣教師を使って信長を暗殺する駒として光秀を動かしたという仮説で
>ある。
> 私はこの説を支持するが確証がないため、仮説としておく。つまり、信長はシ
>ーパワーであるスペイン、ポルトガルと結ぶことにより覇権を握ったが、彼らに>危険視され消されたのだと。鉄鋼船の保持は、現代で言えば潜水艦発射核ミサイ
>ルに相当する。そんなものをもつことを許さなかったのだ。日本が今でも許され
>ないように。
鉄甲船は外洋艦では無いだろうし
大砲も少ないだろうが
其れでもキリスト教徒には脅威と映った可能性は
有るのかも知れぬが
0389名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 12:46:14ID:bE3m3zXB0390名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/23(土) 20:46:02ID:U7+WmlRH2007年1月29日午後9時放映
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20061220-OHT1T00066.htm
0391名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 00:04:11ID:7l5lXsP00392名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 00:31:11ID:BMK2yA4c0393名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 06:40:51ID:TFDfBKam0394名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 03:11:05ID:77UMryXA0395名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/30(土) 09:06:48ID:ij07wLj8島津家に引き取られたっていうのを読んだな。
0396名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/04(日) 04:17:40ID:kvH4Slyf島津なめんな
0397名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 01:22:34ID:zFr+ato70398名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 02:31:18ID:KmsQtIca0399名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/07(水) 00:41:45ID:foS8Mand0400人間七七四年
2007/02/27(火) 00:59:08ID:bULMTAKj0401人間七七四年
2007/03/18(日) 21:34:50ID:E2KSissy本宮ひろ志乙
0402人間七七四年
2007/03/18(日) 22:16:42ID:gj74ESnw0403人間七七四年
2007/03/19(月) 00:11:52ID:RfZ7iZ/n【歴史的難儀】本能寺の変の真犯人判明2【解決】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174220839/
0404人間七七四年
2007/03/19(月) 14:37:00ID:YinG61Ae0405人間七七四年
2007/03/25(日) 23:24:24ID:y+yIeKwB酷であろうと述べている。
がどうかな。確かに京周辺には敵はいなかったかも知れないが
これまで何度も裏切りにあってきたことを思えば不用心だったの
ではないか。
0406人間七七四年
2007/03/28(水) 19:20:11ID:yaZ4AcgN遺骸が見つからず首を晒されなかったのは良かったのかもな。
信長の墓と称するものは多くあるのは遺骸が見つからなかったこそ
なんだな。どれにも遺骸はない。
0408人間七七四年
2007/04/05(木) 22:27:39ID:17iKXq72松永久秀、荒木村重は謀反は起こしても
自分の城に篭城などするだけで信長の命は
狙ってないからな。
結局信長は自分の命を狙う者など、それも
家臣から出るとは思いもよらなかったということか。
0409人間七七四年
2007/04/14(土) 23:30:49ID:bopZ5h9O最近本能寺本を出した研究者は光秀の動機は
四国政策と、斉藤利三の存在ということでほぼ一致
してるようだ。
これが真実なのではないか。
0410人間七七四年
2007/04/25(水) 22:25:38ID:6anv3gFzIFを想像してみたくなるものはないな。
・秀吉の中国大返しがなかったら
・信忠が生き延びていたら
・家康が最初言った通り追い腹を切っていたら
もちろん明智がそのまま天下人になったら?というのも
あるな。
0411人間七七四年
2007/04/26(木) 05:26:38ID:mMmn+dCf明智の動機より、秀吉や朝廷やらが絡んでいたのかって方が重要な気がする。
明智は実行犯なだけで、主犯や教唆した存在が別にいるのかって部分が。
0412人間七七四年
2007/04/26(木) 19:32:33ID:uNkGMH6Iそんな貴方にこの本をお勧めする。
鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で殺されたのか」
洋泉社、2006年
0413上州人
2007/05/13(日) 13:24:17ID:qVdJNUIA明智はそこまで馬鹿ではない。明智が信長を討ち、反信長と連携するだけで
天下を取れると妄想しているとはとうてい思えません。上杉は滅亡近く、
信雄は伊勢に展開している。秀吉がしばらく来ないと想定しても北陸方面軍、
摂津軍が引き返してくるは必定ですからな。
0414上州人
2007/05/13(日) 13:54:17ID:qVdJNUIAその前に本能寺の前の頃に家康が安土に訪れている。黒幕として疑いたくなるが、
秀吉がちょうど援軍要請をしている。そして、信長らは光秀らにおそわれた。
家康が畿内に来る時に起こっているのは偶然だろうか。そこで、私は秀吉黒幕
説を押します。つまり、光秀が信長、家康を討ち取り、秀吉、光秀で天下に挑む。
秀吉とすれば恨み重なる自分をさげすんで見た者達への復讐、光秀とすれば朝廷を
守護できる。思惑は一致した。しかし、秀吉は本能寺の変後すぐ裏切った。
つまり、復讐戦争に見せかけ、天下簒奪をおこなったのだ!!!!!
0415上州人
2007/05/13(日) 14:17:16ID:qVdJNUIA一、秀吉の中国大返しが異常に早い。
二、毛利と疑われず、にわかに不戦を結べるか。
三、家康が畿内にいるときに起きた。
四、有力武将が遠方に多い。
五、安土城に天皇の住まいにしようとつくられたらしきものが見つかった。光秀は朝廷思い。
信長は朝廷との関係が決裂の方向に向かっていたのだろうか。
六、長宗我部と融和策を取り続けてた信長は突如裏切り、光秀の
面目は丸つぶれ。
七、秀吉は信長に援軍を要請した。
光秀を仲間に吸収しやすく、天下簒奪できるかもしれない。
証拠からして綿密に毛利にまで前々から手をまわしていたのだろう。
証拠は他にもたくさんあるがこれくらいと致します。
0416人間七七四年
2007/05/14(月) 01:05:24ID:z+t8YAaQ0417人間七七四年
2007/05/14(月) 09:19:08ID:ng939ZbB続きは三戦板でやりましょう。
http://ex21.2ch.net/warhis/
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167304387/554
0418人間七七四年
2007/06/04(月) 13:45:27ID:3jUhzXzi1.動機はさておき首謀者は明智
2.黒幕が他にる
興味本意のアンケートなのだが
0419人間七七四年
2007/06/04(月) 13:59:58ID:NAmROmTo0420人間七七四年
2007/06/04(月) 17:03:19ID:Tw2ADXqJ1です。
単純に明智の謀反だと思う
主君を殺した後の事も考えて共謀者もいるはずだが
明智、本願寺勢、朝廷だと思ってる。
そもそも光秀をエリート人間と思う事が間違ってるね
主君を殺して安土から物資の略奪も行ってる彼らがエリート集団とは思えない。
0421人間七七四年
2007/06/04(月) 18:06:20ID:4UtyW2ZD0422人間七七四年
2007/06/04(月) 18:39:13ID:txyeuyN3商売の都合で、大大名と付き合いがあるから、処世として
ある程度の教養を身につける必要があっただけという気がする。
最近出版された書籍内で、妻木氏出身説が書かれていたが、
光秀が住んでいたという明智城と、本来の土岐氏傍流の明智城の場所が違うから、
単純に妻木の二男や三男が土岐氏傍流の明智氏の住んでいる土地ではない、
別の明智という土地に住んで、明智を名乗り始めただけなんじゃないのかな?
分家の名乗りが変わるのは、そういう経緯の場合は多いし。
二男、三男なら、織田信長の母衣衆みたいに取り立てられる場合は珍しく
半農状態になる場合もあるし、商家を兼業する場合もあるから
鉄砲商人もあってもおかしくないかもな。
0423人間七七四年
2007/06/05(火) 17:22:50ID:yySipxPL興味深いカキコだね
信長の死は光秀を徹底的に調べれば答えが出てきそうな感じはしますね。
明智光秀と結託して信長を攻めたんだろうけどあまりに浅はか過ぎるね
0424人間七七四年
2007/06/07(木) 06:51:50ID:CzdLPRjB光秀は鉄砲の扱いに長けていたらしいし、有り得なくもないかもね。
0425人間七七四年
2007/06/07(木) 12:42:25ID:Ua27ETHK織田家中において勢力の心臓部でもある京都と周辺の一切を預かる立場にあった明智光秀は間違いなく信長に次ぐNo.2であり、信長公記のように疎まれていたのではなく、各地方軍団を任されていた諸将よりも信長に信頼されていたはずだ。
有力家臣は地方で合戦中。信長と信忠は京都で僅かな兵しかいない。光秀が翻意を持ったとしてもおかしくはない。
0426人間七七四年
2007/06/07(木) 14:09:10ID:bmWXmAOXそれが証拠って…
0427人間七七四年
2007/06/30(土) 02:01:20ID:Rq1BE1x4俺はその場所が茶屋四郎次郎の別邸という説に一票入れる。
偶然堺にいた家康の元へ茶屋が駆けつけて光秀の謀反を知ったというのは不自然と思う。
家康が京から堺へのんびり見学したなら、京で必ず立ち寄ってるハズ。
立ち寄った史実がなく、すっ飛ばしていきなり摂津へ向かったのは
信長暗殺計画を既に知っていたものと推測可能。
0428人間七七四年
2007/06/30(土) 02:22:47ID:Rq1BE1x4@幼少期今川の人質になる予定が織田側に拉致されたこと。
A浅井長政謀反で信長の我侭に散々振り回されたこと。
B姉川の合戦で浅井軍と戦わせて貰えなかったこと。
C惨敗した三方ヶ原での援軍数の少なさ。
D武田に対抗する為に同盟を結んだ上杉謙信が信長に暗殺された
E長男信康切腹の命
F武田を滅ぼした頃から、四国にいた秀吉よりも早く信長の光秀折檻を知っていること。
G武田が滅んだ後の甲斐・信濃に対する領土拡張
H信長が成敗した伊賀を態々堺からの帰り道に選んだこと
I茶屋四郎次郎の別邸での暗殺計画
※あくまで推測です(笑
0429にゃんこ
2007/06/30(土) 11:34:31ID:MvUbXA/Y過半は、対毛利防衛(宇喜多)や行軍中の脱落。つまり、大返しの実態は
「宣伝戦」。秀吉は、大返しの準備などしていなかった。秀吉は黒幕
ではない。
1,筒井は、一端は光秀につき、一部の軍を河内侵攻に向けている。その後、豹変。
2,光秀は、50〜100日で畿内を制圧すると、細川に伝えている。
3,戦国大名とは、国人の連合体。君主の求心力を欠ければ解体しやすい。
4,変後、滝川は壊滅。甲斐では一揆。四国渡海軍は内紛。
1〜4の事実から考えれば、光秀には十分、勝算はあった。むしろ、譜代の
少ない秀吉軍が解体せずに、ハッタリとは言え、「大返し」に成功した事の
方が奇跡的。この秀吉の逆転ホームランが無ければ、光秀が一番、天下に
近かった。
0430にゃんこ
2007/06/30(土) 11:50:55ID:MvUbXA/Y1,秀吉軍主力は、信長の命により、秀吉に付けられた寄子である。秀吉の
家臣ではない。にも関わらず、信長死後も解体せずに、秀吉の家臣の如く
従っている。
2,「信長は生きている」というデマを流して、畿内の諸侯の光秀側参戦を迷わせて
「秀吉が大軍を引き連れて帰ってきた」という風評で、諸侯を糾合している。
秀吉にも多くの過ちがあったろうが、この時の秀吉は超超大有能である。
秀吉の幸運と光秀の不運。
0431人間七七四年
2007/06/30(土) 13:11:35ID:tVXJmA+e末裔毛利を滅ぼそうとしている自分に源氏光秀は「俺何やってるんだろう?」
と思って「敵は本能寺にあり!」と思って突発的にやってしまったんだろう。
0432人間七七四年
2007/06/30(土) 20:59:16ID:BYHwWkjD常々共もつけずに外出とかしてたみたいだし。
お忍びだし、本人武術の達人とはいえ、若くて元気なときならともかく、もう大分爺さんになってるのに。
しかも本拠地は、「何がどうでも信長に一矢報いてやる」と息巻いてる甲賀忍者や伊賀忍者が住んでる
甲賀や伊賀から半日もかからない安土だし。
よほど心服してなければ「何時死ぬか解らない殿様」にはついてゆけないものだよ。
信長は嫡男の信忠に実質的な家督相続を急いでいて、信忠とつながりの薄い自分は将来の発展が
見込めなかったこともあるだろうし。
もっと踏み込めば、功臣というものは、その忠誠心が薄ければ、世代交代時や統一後など守りに入る時に
結構な確立で粛清されるものだ。
光秀には、信長が我が子可愛さに最後は光秀を粛清する人間に見えたんだろう。
そんな殿様よりは、親戚でもある部下の娘が嫁いでいる長曾我部につきたいというのもあっただろう。
実際の信長は、光秀が信長の言い付けに筋の通らない不服申し立てをしたのに、その後20人ほどしか
供もつけずに京都に入るような、暢気というか、悪気のない人間なんだけど。
中国古典などの常識に従えば光秀は粛清対象だからなぁ・・・・・・。光秀の行動も仕方ないと思う。
0433人間七七四年
2007/07/03(火) 11:00:17ID:e7jaCYme書き込みがないようなので、ageがてらの単純な質問です。
1.天正十年時点の軍団長クラスで信忠とつながりが薄くない武将、って誰かいますか?
2.信長在世時点で功臣を粛正しまくった中華皇帝と言えば、漢の高祖と明の太祖が有名
ですが、功臣達の忠誠心の強弱と粛正されたか否かに明確な相関関係はありますか?
貴方の設定した条件では、柴田勝家はいつ粛正されるか、びくびくものだったでしょうね。
0434人間七七四年
2007/07/03(火) 14:35:14ID:49O5QItiそう言うのに興味があるのなら自分で妄想するんじゃなくて
もっと最近出された論文とか読めよと思う。
0435人間七七四年
2007/07/03(火) 17:47:15ID:e7jaCYmeこの板のカテゴライズは「趣味」ですよ。
大半の人は史料といっても、活字化された読み下し文しか読めないでしょうし、
論文と言っても大御所の論文集とか、概説書しかふれる機会がない。
そこで得られた知識を元にあれこれ推察するのは楽しいことだし、他人の批評
を仰いでみたいと思うのも、知的な趣味の範疇じゃないでしょうか?
このスレは「妄想」レベルの発言は少ない方だと思いますが、過去レスは読ま
れましたか? 陰謀説そのものが妄想だと言われてはスレの存在意義がない。
あなたが最新の論文に豊富にふれる機会がある人なら、史学板へどうぞ。
0436人間七七四年
2007/07/09(月) 15:31:16ID:XF87pXeB歴史を論ずるのに日本史板とか三戦板とか戦国時代板とか関係ないんだよ。
学問だろうが趣味だろうが酷い妄想を垂れ流せば叩かれるのは至極当然の事。
逆に妄想でも説得力を持てば評価されるだろうが。
最新の論文なんて図書館に行けばある程度読む事もできるしその程度の努力もしないで
「趣味です」なんてよくも言えたもんだな。
0437名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/07(火) 10:02:29ID:e6txtD+g旧本能寺跡 信長、“城塞並み”防御か
京都市中京区の旧本能寺跡で、「本能寺の変」の直接の証人というべき
大量の焼け瓦が見つかった。瓦が埋まっていた堀には、堅固な石垣が
積まれ、境内全域ではなく特定の建物を守る堀だったとみられる。
織田信長が全く無防備の状態で襲われたのではなく、城のように防備を
固めていた可能性が出てきた。
本能寺の変は、毛利攻めを命じられた明智光秀が謀叛(むほん)を起こし、
1万3千の兵を率い就寝中の信長を襲った。信長はわずかな手勢で防戦
したが自害、本能寺は炎上した。謀叛決行前、光秀が「敵は本能寺にあり」
と配下に告げたとも伝わる。
ほぼ同時代の京を描いたとされる上杉本洛中洛外図(国宝)で、本能寺は
瓦ぶきと板ぶきの建物が2棟ずつ描かれる。境内全体を囲む堀があったと
みられるが、細かい部分は雲で隠れ、境内に堀があった可能性は知られて
いなかった。
調査を担当した関西文化財調査会の吉川義彦代表は「石垣の丁寧な造りは
職人技」と驚く。今回、境内の内側にも堀が見つかったことで、二重の堀を持つ
堅固な寺だったことになる。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007080700031&genre=M2&area=K1C
本能寺が城塞化されてたなんて、常識の範疇だと思っていたのだが…
0438人間七七四年
2007/08/07(火) 21:51:33ID:VBDtsVIF0439人間七七四年
2007/08/07(火) 22:46:32ID:pbO8JxxDさらに堀と土塁を囲った宿館があったのだね。
しかし、信長にしては中途半端な防御施設だとも書いてあった。
いま発掘しているのなら、どうか信長本人の骨を発見してほしい(w
0440人間七七四年
2007/08/07(火) 22:57:09ID:8KGOMH4v明智光秀は実は女で、男と思われている方は只の替え玉。
本能寺の変とは信長と光秀が企んだ大掛かりな逃避行。
名誉を捨て、国の主であることを捨てた信長の決断。
(もとより、信長も政に疲れてきた。)
俺の事存分に叩いていいよ。ストレス発散にさ……。
0441人間七七四年
2007/08/07(火) 23:34:23ID:VBDtsVIF0442某研究者
2007/08/08(水) 00:14:23ID:nKqSdxyr>ではなく、城のように防備を
>固めていた可能性が出てきた。
とは言え光秀の奇襲を想定した訳では
恐らく無いだろうし
偶然防備が固められて居た寺院に
居ただけと言う事かも知れぬし
要塞化された寺院と言うのは当時は可也
多かったかも知れぬが
0443名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/08(水) 00:16:25ID:SAVs2TK8つーか当時はそこそこの寺社なら、要塞化されていない方が珍しいと思うぞ。
0444某研究者
2007/08/08(水) 00:20:20ID:nKqSdxyr恐らくそうだろうが
この種の城砦や寺院には抜け穴や
隠れ場所と言うのも
有るかも知れぬし
信長が脱出した可能性も
或いは有るのかどうかだが
0445某研究者
2007/08/08(水) 00:21:35ID:nKqSdxyr裏切れば脱出は困難だろうし
脱出しても裏切り者等の手で追跡され得る可能性は
有る訳だろうか
0446人間七七四年
2007/08/08(水) 00:25:17ID:SSeEOmLY0447人間七七四年
2007/08/23(木) 07:00:54ID:FclD2PQS0448関連スレ
2007/10/24(水) 02:17:09ID:oKk/FIlIhttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192629955/
0449人間七七四年
2007/10/27(土) 16:16:12ID:/MQxsgHx0450名無しさん@お腹いっぱい。
2007/10/31(水) 20:41:27ID:TSJcjmsV0451人間七七四年
2007/11/09(金) 10:48:04ID:jkUPF74o【夢】>>415の話をまったり待つスレ【前世】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/occult/1186729847/
0452人間七七四年
2007/11/09(金) 10:50:35ID:sTnoj5yLその理屈から資料が残ってないのは秘密の陰謀だからと、強弁してる歴史家がいるぞw
ご都合主義にもほどがあるw
0454名無しさん@お腹いっぱい。
2007/11/09(金) 17:27:41ID:hhZv1co7もう何でもありだなw
0455人間七七四年
2007/11/09(金) 19:40:48ID:K98siIaM推測に推測を重ねた空中楼閣ならまだマシで、自分の空想やら資料の我田引水超絶解釈を織り交えて
自分の思い通りの結論を導く。ソースを要求すると「ヒソカに行われた陰謀なんだから残っているわけ
ないだろ or 黒幕が証拠隠滅して残っていないんだよ」。矛盾を指摘したり資料を基に反論されると人格攻撃。
0456人間七七四年
2007/11/09(金) 20:50:13ID:P8p6dCxL0457人間七七四年
2007/11/16(金) 08:56:57ID:5QLXOBGN兵力不足で、そこまでの余裕は無かったかな??
0458人間七七四年
2007/11/16(金) 09:51:23ID:PlNAh/Xq本気にした光秀
んなわきゃない
0459人間七七四年
2007/11/26(月) 12:26:12ID:HhyPPPJC謀反に関わってたんじゃないかなー
0460人間七七四年
2007/11/26(月) 18:15:53ID:q3n1vKzG現在までの研究の中で最も信憑性が高いと思われるのは桑田忠親氏の怨恨+α説だと思います。
しかしながら、戦時中は高柳光壽氏の野望説が最も理にかなっていると言われてたそうです。
やはり時代の移り変りとともに歴史認識のとらえ方は変わって行くものなのでしょうか?
戦後の陰謀説のフィクションの類は読み物としては面白いですが、やはり歴史評定は一級資料を
中心にした歴史研究が原則だと思います。
0461名無しさん@お腹いっぱい。
2007/11/26(月) 18:19:32ID:a2d1qhGO今は怨恨より、四国政策の転換に立場を失った光秀が反乱に立った、ってのが主流だね。
まあこれも大きく言えば怨恨説の一つかもしれないが。
0462サイコメトリー
2007/11/26(月) 18:33:12ID:q3n1vKzG>>461
仰るとおり、四国政策も一因ですね。一番大きな怨恨理由は光秀自領の坂本地区召し上げと思ってます。
0463人間七七四年
2007/11/26(月) 18:53:18ID:pxTPbOMd同じような領地替えされてる武将は結構いるんじゃない?
蒲生なんて与えられた土地はまだ敵勢力で旧領地に入る事すら叶わず、しかも百姓連れて行くなと言われてるようだし。
これは秀吉の指示だが
0464人間七七四年
2007/11/26(月) 18:58:26ID:idmdDhqm関わってたのに、何で信忠が死んでるの?
>>462
柴田のケースでは、新領・越前の経営が安定するまで近江の所領は収公されていない。
播磨や但馬を切り取った羽柴に至っては、長浜の所領は安堵されたまま。
よって、近江坂本の召し上げは後世の創作。
0465にゃんこ
2007/11/26(月) 21:21:53ID:saL19aFeそれって、有力説じゃなくて、魅力有る新説ってとこでしょ。
主流は野望説だろ。
そもそも、秀吉のハッタリ「大返し」が成功しなければ、光秀が細川氏に書いた
ように、50〜100日で畿内を抑えて、最大の戦国大名になれただろうから。
まあ、恩義も怨恨もあったとは思うが、勝ち残る見通しも無く、兵を挙げるほど
無能な人間ではないし、まして、朝廷のために犠牲になるような、近代の青白い
インテリでもない。野望ある老熟した武将が、一瞬のチャンスに賭けたのさ。
しかし、この時の秀吉とその幕僚が優秀過ぎた。
0466人間七七四年
2007/11/26(月) 21:52:15ID:zsUUDa+c細川も筒井も秀吉の動きに関わり無く明智から離脱を図っているのがその証拠。
まあ山城と近江くらいは掌握できただろうと思うが、そこから先がかなり難しくなる。
主を失った美濃を攻めようとすれば山城丹波が危険。伊勢の信雄の存在(軍事力だけは
ある)も無視はできない。史実では結果的に大坂の信孝軍が崩壊したから救われたが、
これは光秀による策略などではなくまったくの僥倖。
0467サイコメトリー
2007/11/27(火) 09:25:09ID:QZQJCgdF野望説が強くなって来ましたので、また一言出します。
>>465の言う通り、自分も光秀は老練な武将だと思います。その老練な光秀が突発的チャンス到来!と
考えたとは思えませんし、前後策を考慮せず野望だけをあらわにするでしょうか? 自分は以前から
戦国武将は皆、天下を夢見て常に野望を抱いているとの考えに疑問を持ってます。だってそうじゃない人もいますよ〜。
>>464 仰る通りです。光秀も実際には坂本等を召上げられてはいません。しかしながら、移領の話を
され困った話をしたとの重臣の手紙が残っています。つまり、信長の勢力拡大と共に所領が多くなり、
多くなれば、多くなるほど家臣団への移領や移封はあたり前になってきます。秀吉しかり家康しかりです。
光秀は当時の有力武将の中で初めて、信長からその言を受け困惑したハズです。光秀の自領対する気持ちは
彼が領した可児地区や亀山地区の地祭の名残を見れば明らかです。今回の話はあくまで怨恨の一因ですが・・。
0468人間七七四年
2007/11/27(火) 12:28:00ID:A9M780cI>移領の話をされ困った話をしたとの重臣の手紙が残っています。
文書名を教えて下され。
文書が紹介されてる本でも結構です。
0469サイコメトリー
2007/11/27(火) 14:20:17ID:QZQJCgdF今は自宅ではないので帰って探して追カキしますが、大正時代に書かれた赤色の”本能寺の変”の研究所です。
著者名と資料文献調べますね。所領移動の話の発端は明智軍記だと聞いてます。
0470にゃんこ
2007/11/27(火) 23:45:35ID:3R7QGNVeいや、筒井は兵の一部(本軍ではないが)を光秀の要請に従って、河内へ出兵
させています。秀吉が早く返って来なければ、いずれ、雪崩現象だったでしょう。
多くの畿内の国人・地侍が、「信長が殺された」と、いう報が届いて、その真偽を
確かめるまでに、秀吉が「信長は生きている」「秀吉軍が返って来た。」との
報を達したんですよ。
>大坂の信孝軍が崩壊したから救われたが、これは光秀による策略などではなくまったくの僥倖。
信長が殺されたからですよ。甲斐の川尻も配下の国人の蜂起に会ってますし、
滝川の軍も、北条家の圧力で瓦解。そもそも、信長あっての与力ですから。
0471にゃんこ
2007/11/28(水) 00:00:08ID:4fgiLoh6>天下を夢見て常に野望を抱いているとの考えに疑問を持ってます。
天下を夢見ているかどうか、イエスかノーかの二者択一ではありませんよ、人間の心理は。
「時おり、天下を夢見ている時もある」「70%成功の確率なら賭ける」「30%でも・・・」等々
人間の欲望は、二者択一ではありません。私だって、100%首相になれるなら、賭けますよ。(笑)
この時の光秀には、勝算が見えたのでしょう。だから、賭けた。確かに、織田家も戦国大名らしい
弱点(諸侯の同盟政権でしかない)を抱えてますから、信長を殺せば、政権が瓦解する可能性は大
です。実際に、四国渡海軍は分裂、滝川軍は北条家の圧力で瓦解、川尻軍は寄騎の反乱。
直轄・譜代の僅少な秀吉軍など、制度的には極めて脆弱でした。配下の寄騎の一部のサボタージュ
で瓦解してたでしょう。僅か数日間で心理的に寄騎を被官化し、戦国大名として自立した秀吉の
この時の政治力は凄いと思います。
0472人間七七四年
2007/11/28(水) 05:56:06ID:btYbOulg創作話の多い書物じゃないか
所領移動の出元が明智軍記って時点で信憑性が低い
0473サイコメトリー
2007/11/28(水) 10:03:35ID:k7JqE68A仰るとおりですね。二択という意味ではなかったのですが稚拙な文面でした・・。
持論のなのですが、1582年・信長による天下統一はなっていなかったものの存命であれば数年の内に
統一されたハズです。つまり1582年の時点で信長の勢力は揺ぎ無い所まで来ていた、その時点で博識派
の光秀が70%や80%確立で自分が信長に取って変わり覇者となろうと考えますでしょうか?光秀の心理
は1578年に叛旗を翻した荒木村重との類似性を感じます。
>>472
信長公記も明智軍記もその内容がすべて信憑性が高いものではないと認識していますが、すべてが虚偽
だとも思いません。当時の書物には必ず何らかのベクトルが掛かっています。ですからより多くの文献
内容を検分し一級資料と見極める事が歴史学の基本ではないかな?低脳の自分が偉そうに言ってスイマセン。
0474人間七七四年
2007/11/28(水) 10:08:34ID:M+OSHUq20475人間七七四年
2007/11/28(水) 13:17:21ID:GydhBYSp太田牛の「信長公記」と小瀬甫庵の「信長記」を混同してないか?
「信長記」と「明智軍記」が同レベルってなら、分かるけど。
0476サイコメトリー
2007/11/28(水) 15:12:09ID:k7JqE68A自分は信長公記と明智軍記を同列、同レベルだとは言ってませんし、思ってもいません。
信長公記は一級史料なのに比べ明智軍記はそれこそベクトルが多く含まれた粗悪史料との認識は有ります。
しかしながら歴史探求の面白さは、様々な文献内容を見聞きし、比較対照し、当時の歴史に触れ、楽しさを
見出す所だと自分は思ってます。>>474>>475さんはどの辺りに楽しさを感じてるのですか?
0477人間七七四年
2007/11/28(水) 16:20:27ID:GydhBYSp>自分は信長公記と明智軍記を同列、同レベルだとは言ってませんし、思ってもいません。
そうなら>>473みたいな文脈的に誤解されるような書き方は控えた方がよい。
少しでも間違いがある公記と、少しでも正しいことがある明智軍記は等価のような書き方をしているではないか?
0478サイコメトリー
2007/11/28(水) 17:26:43ID:k7JqE68A仰る通りです。誤解をうむ書き方でした。スイマセン。授業を受けている様だ・・。
他の方もその様な見方なのでしょうか・・?それはそれとして、>>477さんの自説を教えて下さい。
0479にゃんこ
2007/11/28(水) 19:36:47ID:4fgiLoh6と思いますよ。織田政権は、直轄領が恐らく後の江戸幕府よりもずっと少ない、
信長の個人的力量に依った政権でした。
0480人間七七四年
2007/11/28(水) 21:23:18ID:p/9MRVvP一挙に失えば即崩壊するだろう。織田に限らず豊臣だって徳川だって。
0481人間七七四年
2007/11/28(水) 22:16:21ID:GydhBYSp>自説
光秀単独&利三が積極的に関与:非計画的だと思う。
利三が絡んでるのは、長宗我部との関係で。
0482人間七七四年
2007/11/29(木) 11:24:21ID:WeH5kHN50483人間七七四年
2007/11/29(木) 11:54:15ID:LWpEKRPZ玄人なら幕臣の石谷氏との関係でという
0484人間七七四年
2007/11/29(木) 13:01:06ID:ur5xcPm1俗書では謀反に反対したとか、
反対されるのを恐れて丹波を出てから光秀が謀反を打ち明けたとかあるね。
>>483
幕臣と言っても、旧幕府再興とかは無関係だろうな。
毛利家の庇護下の足利義昭は謀反計画を知らされてなかったし。
0485人間七七四年
2007/11/29(木) 13:05:04ID:WeH5kHN50486人間七七四年
2007/11/29(木) 16:06:06ID:WeH5kHN50487にゃんこ
2007/11/29(木) 21:06:53ID:JtCZmw6N官僚?誰、それ?
この時代に官僚と言えば、直轄領の代官であり、本能寺なんかにいない。
森蘭丸なんてのは、秘書みたいなもので、官僚ではない。
ついでに、石田三成を秀吉政権の官僚と見る「小説家」が多いが、間違い。
三成は、歴とした大名である。自営業者(領主)である。政治家であって官僚ではない。
0488人間七七四年
2007/11/29(木) 22:46:32ID:sF8bBijP0489サイコメトリー
2007/11/30(金) 09:02:10ID:Q3mpuLYJ話を元に戻します。
義昭や公方が策を弄して、信長をハメて本能寺が・・なんてのは机上の空論だと思うな。
恨んでいた事は間違いないだろうがけど、彼にそこまでの力はないよ。
室町幕府の権威なんて、1582年当時、畿内では完全に地に落ちていたと思われますが。どうだろう?
0490中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62
2007/11/30(金) 17:49:14ID:nxHiJ8HH一応指摘しておきますね
公方=足利義昭(畿内では)ですよ
0491サイコメトリー
2007/12/03(月) 08:46:25ID:k8J+Im3eそうなのですか?自分の認識は旧室町幕府将軍家の事を公方と理解してました。
ご指摘ありがとうございます。
0492人間七七四年
2007/12/03(月) 12:06:47ID:z48iQGH3力だけではただの反乱軍に過ぎないのだから。
つまり光秀は津田信澄を頂くとか
義昭を立てるとか何もなく大義名分に欠けていた。
もし、それがあれば細川だって光秀と同調していたかもしれない。
0493サイコメトリー
2007/12/03(月) 13:00:21ID:k8J+Im3eだからこそ本能寺の変は光秀の突発的な行動だと思ってます。
大義名分を重んじない光秀ではないハズですから。
現代的な考えで恐縮ですが、細川父子や筒井家等、賢い選択はしたとは思います。
でも自分的には光秀に従わない筒井順慶の元を出奔した島左近の心意気こそが好きだな。
0494人間七七四年
2007/12/03(月) 14:13:52ID:ogBpUdXO>もし、それがあれば細川だって光秀と同調していたかもしれない。
それは典型的な現代の価値観。
戦国時代では勝つ方に付くことはあっても、大義名分に釣られるお人好しは少ない。
イデオロギーではなかなか人は動きません。
過去に義昭を奉じた信長が都で歓迎されたのも強かったからで、
戦で負けていれば義昭は偽公方扱いされて終わっていたはず。
0495人間七七四年
2007/12/21(金) 08:44:13ID:rlbWHjOx0496現代に顕われた織田信長の霊
2008/02/02(土) 13:34:36ID:0YhcvHSC篩いの目は日毎、確実に大きくなっている。私から民衆に知らせられるのも、この形が精一杯。
今の世界に蔓延する仕掛けをあらゆる論争の中に仕込んだ。皆々御苦労であった。全て保存しなさい。
小さな一言にも意味がこもっている。各自で読み解いてもらうしかない。
私はミノオワリの魂。ミノオワリは美濃尾張ではない。
言霊を読み解きなさい。一人でも多く。この者はイチリンの仕組。
皆よく聞きなさい。この星は自浄作用に動き出し始めている。
風邪もひき始めならば軽い養生で治せるが、病状が進むとどうなるか考えてみなさい。
発熱や悪寒はなぜ出るのか考えてみなさい。
無駄に恐れおののいている場合ではない。もう目を覚ましなさい。次元上昇などと寝ぼけたことを言っている場合ではない。
人が思っているような神など存在しない。よく現実に目を向けて、人間としてできる事をいますぐ実行しなさい。
祝詞だ祈りだ瞑想だと非現実的な事ばかりに目を向けるのはもう止めなさい。
現実に今を生きて動いて、とにかく有効手段として自然環境を蘇らせるしか道が無い事に気付きなさい。
人間が自然にしたことが人間に返ってくるだけなのだから、天変地異などと呼んで自分ばかり生き残りたがっている場合ではないぞ。
人間が人間の為だけにした事によって、人間以外の獣、草木、虫達、みんな道連れになるのだぞ。
不思議ぶったまやかしの霊的世界から離れなさい。
神はお前達が思っているような霊的存在ではない。神と呼ぶものは生命の摂理、自然や宇宙の法則そのものを指す。
人が思っているような神は霊、それも大半はまともではない霊だ。今降りている神示も殆どまやかし。マコトは一部だぞ。
火水、艮はマコト。だが艮の器はおかげをおとしたぞ。ハナサクモノは偽物だぞ。日月地は鏡だぞ。片方は虚、うつし間違えるなよ。
私は神霊の一人。クニトコタチ、スサナルの直下、アマカケルタケイサオ。人であった最後の名は織田信長。
人が幻想を抱いてきた、無い神も無い霊も本当に無くなる時がやってきた。
0497人間七七四年
2008/02/02(土) 14:13:07ID:kUuCAfAw0498人間七七四年
2008/02/02(土) 15:49:05ID:x3Ja2i1O0499人間七七四年
2008/02/04(月) 17:53:36ID:FZyJCkQm信長が正親町帝に退位をせまってずっとギリギリの駆け引きをしていた。
信長は頑固な帝に退位してもらって親王に即位させ傀儡にしたかった。
最後に退位を迫った際の逃げ口上が今年は陰陽道で金神にあたり縁起が悪いので
引き伸ばした。さらに信長の真意をはかるため三職推任したが返答を得れず、
このままでは来年には本当に信長の意によって退位させられ、天皇家が傀儡に
なってしまう事を恐れた公家衆(近衛等)が光秀に密勅を出し変を起こさせたのである。
0500人間七七四年
2008/02/04(月) 18:30:32ID:nV35G+YNその説には光秀にどんなメリットがあるの?
0501人間七七四年
2008/02/04(月) 19:17:45ID:mVqBiFwI物好きは、日本の歴史にはほとんどいないぞ。
光秀は戦国期の武士で、しかも浪人から成りあがった実力派。
その過程で足利将軍さえ見放している。
朝廷に対してだけ忠誠であったと主張するのは説得力がない。
0502名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/04(月) 20:41:31ID:n8Zz2G4Vちなみに俺は「本能寺朝廷陰謀説」は、「本能寺宇宙人陰謀説」と同じくらいの説得力が有ると思うぞ!
0503人間七七四年
2008/02/05(火) 01:18:24ID:fERp27030504人間七七四年
2008/02/05(火) 01:42:20ID:GdyciB9zそういう説の前提はいつも光秀=旧来秩序を守る律儀者なんだけど、
実際はどうだろう?
義昭を見捨てたりする所を見るとそれほど旧来秩序を重視してない。
佐久間を追い落としてその後釜に座ったし、むしろ松永に近い謀将タイプ。
自分に実利がなければそこまでするとは思えない。
0505人間七七四年
2008/02/05(火) 02:08:51ID:gP7uoWZ8その手の人物像は、信長との対比で作られた虚像。
0506名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/05(火) 02:29:09ID:o1fE/JnN0507人間七七四年
2008/02/05(火) 23:57:16ID:LCHE+rQR今後の不安もあっただろう
天下への野望もあっただろう
ただそれらは充分に我慢の範囲内だった
でも「信長の周囲が空っぽ、反撃できそうな奴もいない」
って思いついた瞬間に弾けちゃったんじゃないか
0508人間七七四年
2008/02/06(水) 15:06:48ID:mZLqN0mb・当初は丹波から山陰道を切り取って行く予定であったが、思いのほか丹波制圧に
手間取り、その間に秀吉に先取りされてしまい完全に出し抜かれてしまった。
さらに、その後の統一事業を予想すると中国地方・秀吉、四国は信孝・長秀・三好、
九州征伐の際は、この両軍団が主力となる。東海道・家康、関東・一益、北陸・勝家、
北条征伐には家康・一益・信忠、上杉征伐は勝家で事足りる。光秀には何もない、、、
そこへ信長父子が無防備で京にやってくる。信長1人なら実行しなかったが跡継ぎまで
ノコノコやってきた、父子共々屠れば未来はひらける。まだあるけどこれでどう??
0509サイコメトリー
2008/02/06(水) 16:17:28ID:m7/3VELC光秀は将来を悲観して本能寺へと踏み切ったって事?
0510人間七七四年
2008/02/06(水) 16:56:51ID:mZLqN0mb光秀は一国一城レベルでは有能だが、天下を治めるには凡将すぎた。
本当に以前から謀反を計画していたなら、絶対に家康を抹殺する準備を整えるはずだし
機密漏洩を考えたとしても必ず細川・筒井には密使を送り知らせていた筈である。
以上を踏まえてやはり光秀は衝動的・突発的に無思慮に謀反を起こした。
謀反を起こさせたのは朝廷(公家衆)、先にも述べたが天皇以下が勝手に密勅を出した。
密勅の内容は、「朝敵信長父子を倒せば征夷大将軍に任命する」といった内容であった。
0511人間七七四年
2008/02/06(水) 17:10:00ID:B7Pob6cU>跡継ぎまでノコノコやってきた、
居場所を知ってたなら、本能寺と同時に妙覚寺も攻めるだろ?
>謀反を起こさせたのは朝廷(公家衆)、先にも述べたが天皇以下が勝手に密勅を出した。
>密勅の内容は、「朝敵信長父子を倒せば征夷大将軍に任命する」といった内容であった。
謀反後、他氏を引き込む書状には一切、朝廷や帝、征夷大将軍のことは書いてないよw
絵に描いたモチに釣られるほど、光秀はバカじゃないです。
0512人間七七四年
2008/02/06(水) 17:14:17ID:gwTK4+5M北陸…柴田勝家vs上杉景勝
中国…羽柴秀吉vs毛利輝元
関東…滝川一益・河尻秀隆vs北条氏政
四国…丹羽長秀・蜂屋頼隆vs長曾我部元親
東海…明智光秀vs徳川家康
本能寺の変の時、明智軍は徳川家康を討ちに行くとか囁かれていたし。
徳川家康を誘いだしたのは織田信長ということで。
羽柴秀吉もこの計画を知っていたので高松城からの大返しが成功する。
しかし、明智光秀は徳川家康と手を組み家康を逃がす。(伊賀越え)
明智光秀はその鉾先を本能寺へと向け織田信長を討ち果たす。
その後、明智光秀は徳川家康の援軍を待つものの山崎合戦で敗北する。
こういう見方も面白いのではないかえ?
0513人間七七四年
2008/02/06(水) 17:33:47ID:B7Pob6cU>羽柴秀吉もこの計画を知っていたので高松城からの大返しが成功する。
準備してたわりには、山崎で戦った主力は摂津にた連中だな。
羽柴家所属の兵は、ほとんど脱落していたと見た方が良い。
0514人間七七四年
2008/02/06(水) 18:06:03ID:cV4s3Tb9それか内応してた他将にはめられたか裏切られたか使われたか日和られたか…
0515人間七七四年
2008/02/06(水) 21:57:25ID:gwTK4+5Mこんな方向でどう?
羽柴軍の全軍が京に向けてという訳にはいかないから、
備前や播磨に毛利軍に対しての軍勢を残す。
(山崎合戦が長期化した時の保険として)
実行日までは秀吉も情報がつかめていなかったから、
急遽の行軍についていけず脱落者も少なくはない。
(多少の脱落は西への備えとして合流させる)
池田・中川・高山(摂津衆)が前線に出たのは、
明智光秀との関わりを否定するための率先行動。
(前線に加藤・中村・堀らも投入)
神戸・丹羽・蜂屋は後方で予備軍。
(戦功を与えないために行動抑制と有事の予備軍)
羽柴秀吉が摂津衆を取り込むために必死だったのは、
敵軍に合流させないことと、自軍の兵力補強は絶対。
0516人間七七四年
2008/02/06(水) 22:11:07ID:b6TUfAPC毛利休戦直後に兵移動のスムーズな道路安全と糧食の補給で土豪・夜寒氏にすっごく感謝してるよ!なんて感謝状も送ってるし。
混乱の中、キチンとした対処をしている羽柴秀吉はやっぱ優秀な人。
0518人間七七四年
2008/02/08(金) 11:17:56ID:V9F1rj1T密勅の内容は非公式、将軍宣下はされていない。
詳細は、「信長父子抹殺後、京周辺の安定・外敵を駆逐すれば宣下する」といった内容。
非公式を裏付ける証拠が光秀に対しての伝奏が公人(公家衆)ではなく、民間人の
吉田兼和を採用した事。それまでの伝奏は全て公人もしくは女官であった。
光秀が朝廷や寺社に金をばら撒いたのはその返礼のためである。
正親町帝も密勅に気付いていたが黙認、本当に光秀が情勢を安定させれば宣下して良い
と考えていた。しかしあっさり敗退し横死したため朝廷が慌てて証拠を消して回った。
変に関しての記物が少ないのもそのせいだし、「兼見卿記」に関しても変の部分だけ
破られているのはそのためである。
0519人間七七四年
2008/02/08(金) 14:02:51ID:ynMgaej+>>518
あなたでも気づくことを当時の人は何で気づかなかったんだろ?
陰謀が露見すれば、非公式でも当然処罰が下るだろうに。
しかし証拠が消されたってのは、本当に便利な言葉だねw
0520人間七七四年
2008/02/11(月) 23:16:59ID:FRwnClNe0521人間七七四年
2008/02/12(火) 16:44:18ID:hue4U1fvで、光秀の近辺を監視してた。
そしたら、本当に光秀の奴やりやがった!ってことで大慌てで引き返した。
0522名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/12(火) 17:16:39ID:I428IPkVだいたい悩み相談って。学生か!
0523人間七七四年
2008/02/12(火) 17:22:42ID:hue4U1fv0524名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/12(火) 17:36:17ID:I428IPkVそして目的のはっきりしない物にたいする監視と言うものの無意味さ(だいたいどうやって
「監視」するんだよ)ってものを少しでも考えれ。
だいたい監視と言うものが仮に可能だったとして、その情報が伝わった所で秀吉は毛利と交戦中なんだぞ?
秀吉が信長すらだまくらかして毛利と八百長の戦争やってたって言うのなら別だが、そうでない以上
情報が伝わった所でそれを効果的に使う事が出来る状態であった、と言う可能性は限りなく低い。
本能寺の時丁度毛利と講和交渉に入っていたのは、はっきり言うが「運がよかった」だけだ。
0525人間七七四年
2008/02/12(火) 19:07:07ID:hue4U1fvで、事が起こり間者から報告が入って秀吉ショック、って流れじゃないかという意味だったんだけど。
毛利と八百長の戦とか想像力が豊かですね。
0526名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/12(火) 19:17:33ID:I428IPkVいやいや、想像力豊なのは君のほうだw
俺は終始一貫して、君の言う事は空想にしても「現実味が無いよ」ってことを指摘しているだけなんだが。
0527人間七七四年
2008/02/12(火) 19:26:12ID:hue4U1fv0528名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/12(火) 19:35:24ID:I428IPkV「空想」と呼ぶのだ。
0529人間七七四年
2008/02/12(火) 19:43:51ID:OQZCsEiL光秀の周辺を探ることでなくて信長にチクることだ。
史実では光秀の謀反は成功したが、もし失敗していたら当然調査は行われるはずで、
そのときに万が一秀吉が感づいていたということが知られたら、何故知っていながら
黙っていたのかと秀吉の立場が悪くなる。下手すれば与党と看做されかねない。
0530人間七七四年
2008/02/12(火) 21:08:06ID:VUxr19laこのスレの活性化に身をもって貢献したのでエライ!
0531人間七七四年
2008/02/12(火) 21:33:00ID:Cjzzqwnj偉く自身満々に言い切っているが、
オマエが語っているその内容も、現存する資料からの「空想」でしかないぞ。
歴史なんて言うのは、「〜だろう」の寄せ集めだと思うぞ。あくまでも予想でしかない。
だから、新しい資料が見つかったりしたら歴史も変わる。
例えば、オレが習った鎌倉幕府は1192年だったけど、今は違うんだろ?
そういう事たと思う。
人の空想を完全否定できるほど、当時から長生きして、尚且つ、本能寺当事者だと言うのなら謝る。
0532名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/12(火) 21:42:28ID:I428IPkVじゃあ資料が出てから言えよw 鎌倉時代の成立年が変わったのは新資料の発見とそれへの精緻な
学問的考察によってだ。思い付きをべらべらくっちゃべっている間に変わったのではない。
さっきも書いたがなんの資料にも基づかずあーだこーだ言うのは妄想空想というのだw
0534人間七七四年
2008/02/12(火) 22:39:42ID:WeJqz0f9細川父子がもし光秀側についていたら、筒井・高山・中川も連鎖的に光秀吉側についてたのではなかろうか。
0535人間七七四年
2008/02/12(火) 22:51:10ID:zBq2+Okv歴史とは現存する資料を根拠に断片だった記述をまとめあげるもの。
現存する資料がすべて。現存しない、出てない資料のことをいくら言っても無駄の妄想。
可能性とかいくら言っても意味がない。
資料が出てくる可能性だけで歴史語れるなら、どんなトンデモ論も成立する。
たとえば「信長は実は現代人だ、実証する資料がまだ出てないから
誰もオレを否定する根拠はなにもない」と言い張ればただのアホ。
0536人間七七四年
2008/02/12(火) 23:07:34ID:Cjzzqwnj0537人間七七四年
2008/02/12(火) 23:23:15ID:Cjzzqwnjそうだね。
オマエの言う事も分かるから、否定はしないよ。
オマエは、歴史に「真実」を求める。
オレは、歴史に「ロマン(いろんな可能性)」を求める。
根本的に考え方が違う。
これでFA。
0538人間七七四年
2008/02/13(水) 00:07:07ID:SmkICu7Xここで学術的に緻密な考察して年表とか公式に変わるの?
0539人間七七四年
2008/02/13(水) 04:17:35ID:MOYp8zlB家臣に討たれるのもありだよね。
0540名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/13(水) 05:39:56ID:4dEKWablただの妄想垂れ流しならそれは自由ではなく「野放図」になってしまう。
例えば上の秀吉関与説ならば、「それが可能か不可能か」なら議論として成立するが、
「史実として許容できるかどうか」と言う話になるともう話にならない。
自分の考えを語る場合は、それなりの「語り方」でやらないと、話も膨らまないしつまらないよ。
0541人間七七四年
2008/02/13(水) 07:12:16ID:dDEiISHUせめて事実を元に話をしないとな。
いくら2chでもソースが必要だろうし、あんまりにも事実無根の話をされたら脳内乙だし。
別に学会発表並みにカチンコチンにやれとは言ってない。
一応歴史板だから、なにかのIFを語るとき現存する事実を元に推測してくれ。
脳内ソースじゃ話にならない。
0542人間七七四年
2008/02/13(水) 12:51:21ID:CosieT65まずは、必ずしも書物が完全に真実を書いているかどうかは定かではない、
史実=真実とは限らない、という認識がないと、
全く理解するのが難しい状態になってしまいます。
この現代においても、本当に本当の事がそのまま報道されているとは限りません。
兄は、史実の殆ど九割は、捻じ曲げられた情報と、
芸能ゴシップのような無い事だらけの人物評だから、そのまま鵜呑みにしてはいけない、
いつも見極められる目を養いなさい…という意味の事を、情報に惑わされがちであった頃、
よく繰り返し言っていました。
↑史実厨の皆さん、これを読みなされ。
0543人間七七四年
2008/02/13(水) 13:02:18ID:gavKmFDwだからって屁理屈こねて史実を信用するなとか妄想を垂れ流していいわけないだろう。
戦国時代板だし、最低限史実を元に話をしないとファンタジー板になってしまう。
スレタイも史実の「本能寺の変」なのに史実はねじられたというのならまず出発点から間違ってる。
どうしても妄想垂れ流したいなら戦国板ではなくファンタジー板行くか、
【妄想オッケー】本能寺の変【史実無視】のスレを建てればいいじゃん。
0544人間七七四年
2008/02/13(水) 18:14:53ID:Me2JkJox0545人間七七四年
2008/03/01(土) 19:03:51ID:b5Kc3NKEゲームジャーナル15号「本能寺への道」
http://www.gamejournal.net/bknmbr/gj15/gj15.html
プレイヤーは織田軍団配下の武将として支配エリアの拡大を図る。
反信長方の大名については、例えば明智プレイヤーは上杉・北条・本願寺を、徳川プレイヤーは毛利と本願寺を指揮する、という形でお互いの邪魔をしあうことになる。
信長は本隊と共に京に鎮座ましましており、動くことはない。
プレーはカードを5枚ずつ配り、支配エリアの多い順に行動していく。
そのプレイヤー陣営にいる武将の策略値(イベントによる増減あり)によっては、カードをイベントとして使用できない場合もある。
強力なカードは陣営の策略値が「3」でないと使えない。
気になる勝利条件は、最も支配エリアの多いプレイヤーが見事後継者の地位を確保する、というオーソドックスなもの。
但し、その際にご主人様である信長公がご存命だと、4人全員の敗北となってしまう。
反旗を翻すと他の3人を敵に回すことにもなるが、謀反プレイヤーはプレイの順番決定時に割り込みをかける特典が得られる。
敵は本能寺にあり! 君は本能寺の後を無事、生き延びることができるか?
0546名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/03(月) 14:32:23ID:Nisgk/6C「本能寺の変」(1582年)のおり、織田信長が宿泊していたのは寺の建物ではなく、ごく小規模な
専用御殿だったいう新説を、今谷明・国際日本文化研究センター教授(日本中世史)が発表する。
昨年、旧本能寺境内で相次いだ発掘調査の成果などから、「建物は最大40メートル四方クラス」と
判断した。予想外に簡素だった理由については「大坂本願寺に移る予定だった」と推定。テレビドラマで
繰り返し放送される、大きな本堂前で奮戦する信長は虚像とわかった。
新説は日文研が近く発行する論文集『王権と都市』に「信長の本能寺“御殿”について」として発表される。
本能寺は現在、京都市役所の南にあるが、「変」当時は、約1キロ南西の中京区六角通と蛸薬師通、
西洞院通と油小路通に囲まれた約120メートル四方の地を境内としていた。
発掘調査は昨年夏、住宅建設のため2カ所で実施され、東側の調査地からはL字形の堀(幅約6メートル、
深さ約1メートル)や焼けた痕跡のある「■(能の異体字)」の文字瓦などが見つかった。西側調査地から
は、建物跡などは出なかった。この結果、東側の堀は西に延びず、約40メートル四方の建物を囲むものとわかった。
信長の生涯を記した『信長公記(しんちょうこうき)』によると、信長は「変」の2年前にあたる天正8(1580)年2月、
京都での宿舎を妙覚寺から本能寺に移すことを決め、所司代の村井貞勝に普請を命じた。
本能寺を始めとする日蓮宗寺院は、「天文法華(てんぶんほっけ)の乱」(1536年)をきっかけに
京都から追放されたのが許され戻ってきたばかりで、本能寺も「信長軍に占拠され、寺僧はすべて
追放されていた」とする意見も出されていた。
今谷教授は当時の文献を詳しく調べたが、本能寺が他所に移転した形跡はなく、境内東北隅の堀に
囲まれた中に、信長の宿舎となる御殿が建っていたと結論付けた。具体的には「ほぼ同時代に建てられた
園城寺勧学院(かんがくいん)や同光浄院(こうじょういん)(大津市、いずれも国宝)のような規模の小さい
住宅用御殿が建っていた」とみている。
権力者の京都での御殿としては、豊臣秀吉の聚楽第(じゅらくだい)や徳川家康の二条城などが有名。
これら本格的城郭に比べ、信長が簡素な建物しか造らなかった理由について、今谷教授は本能寺御殿を
建て始めるころ、大坂本願寺が落城寸前で、毛利攻めのため大坂へ本拠を移そうと意図していたと推測している。
◇
小島道裕・国立歴史民俗博物館准教授(日本中近世史)の話 「信長が本拠を安土から大坂に移そうとしていたのは、
後継者の秀吉が大坂城を築いたことからも可能性が高い。京都については、あくまで臨時の宿舎なので、小規模だったのだろう。
興味深い説と思う」
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080303/acd0803031411005-n1.htm
0547人間七七四年
2008/03/04(火) 10:55:32ID:fceKXNB/0548人間七七四年
2008/03/05(水) 01:04:12ID:WFUHNHht秀吉の行動速度が予想guyだったにしても
現在位置の情報収集はやってたと思うんだが。
0549人間七七四年
2008/03/05(水) 02:19:26ID:+a02z/Dq0550名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/05(水) 02:56:57ID:1l3rMtL50551人間七七四年
2008/03/08(土) 13:21:03ID:zLkm0iaH学研の歴史群像シリーズの何かで、
もしも光秀が天王山をしっかり押さえたなら、秀吉も迂闊には攻められず、
かといって光秀も主力を引いても守りきれるほど有利にはならないから、
秀吉・光秀両軍主力がそこでしばらくにらみ合うことになる。
そうすると、柴田や徳川といった他の勢力も光秀の背後を突こうとするので、
光秀勢としては挟み撃ちになり敗北必死だった。という推測が書かれていた。
つまり、光秀軍としては挟み撃ちになるのを回避するいためには、
短期間で秀吉勢を撃破しなくてはならず、
そのためにはあえて天王山を取らせて秀吉軍をおびき寄せた方がよかったのだ。と。
所詮ただの推測だろうけど、それなりに説得力はあると思う。
0553人間七七四年
2008/03/08(土) 21:48:39ID:eUGQ92Yj0554人間七七四年
2008/03/08(土) 21:53:58ID:ONmeEyyg0555人間七七四年
2008/03/08(土) 22:37:53ID:U4rZt33d0556人間七七四年
2008/03/08(土) 22:57:29ID:Me1oMP+Cところで、本能寺の変直後の京都の様子はイエズス会の宣教師の報告書
に残っているが、相当阿鼻叫喚だったようだね。
0557名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/09(日) 01:36:55ID:nDgLC+PQ「本能寺の変」(1582年)は、日本史の中でも最大の謎といえる事件のひとつです。本能寺の旧境内地は京都の中心街
(中京区蛸薬師通西洞院付近)の地下に眠っているのですが、今回初めて発掘調査のメスが入りました。織田信長の時代の
石垣や、「能」が浮き彫りされた瓦を目にしたときは、さすがに興奮しました。
これを機に、改めて当時の文献を調べ直し、発掘成果がもつ意味を考えてみました。産経新聞の3日夕刊付1面に載った
「信長の本能寺御殿は、意外と簡素だった」というのが結論。本能寺の本堂に立ち、槍(やり)や刀で奮戦し、やがて火中に
消えてゆくというドラマの情景は間違いだとわかりました。
御殿の規模は、およそ40メートル四方。園城寺(三井寺、大津市)に現存する勧学院客殿か光浄院客殿(いずれも国宝)と
似たような規模の建物だと想定できました。彼の跡を継いだ豊臣秀吉の聚楽第(じゆらくだい)や徳川家康の二条城などの
城郭に比べると、意外なほどの貧弱さです。
こんな施設に、わずか20〜30人の小姓を連れ泊まっていたのですから、明智光秀の1万を超える大軍に攻められては、
防ぎようもなかった。彼ほどの権力者がなぜ、こんな油断をしてしまったか。考えられないことですね。
* *
逆に、光秀の動機は、はっきりしていました。「今なら、天下が取れる」という判断でしょう。柴田勝家は遠い北陸で上杉景勝と
戦っていたし、羽柴秀吉は備中(岡山県)で毛利氏と対陣、滝川一益は上野(群馬)…と、織田軍団の主戦力は各地に散っており、
畿内で大軍を動かせるのは自分だけという、絶好の状況でした。
自分に対する信長の仕打ちをうらんだとか、背後に黒幕がいたとか、珍説・奇説まで含めいろいろな説があります。でもやっぱり、
戦国武将らしく、転がり込んできたチャンスに食らいついたんだと思いますね。
信長は、裏切られるとはつゆほども思ってなかったのです。ここが不思議なところで、それまでにも松永久秀や荒木村重に叛(そむ)かれ、
大変な目に遭っているにもかかわらずです。彼ほどの人物であっても、人を見る目がなかったというしかないですね。
歴史に「if(もしも)」は禁句ですが、信長があのまま生きていたなら、日本の歴史はどうなっていたでしょう。私は、信長は安土から大坂に
拠点を移し、毛利攻めが一段落したあと、征夷大将軍となって幕府を開いたと推測しています。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080308/acd0803082208013-n1.htm
0559人間七七四年
2008/03/09(日) 11:10:07ID:2RwVZAit信長はフィクサーとして裏舞台で活動する事だろう。
拠点を大坂に移す、とおっしゃるが精魂込めて作った新世界:安土こそ信長の理想郷。大坂には代官所か奉行所を置く程度で大々的土木建築しないと思う。
人間五十年、信長の人生観とするならば寿命期だから安土以上の拠点は望むまい。
0560人間七七四年
2008/03/09(日) 12:24:11ID:DQiAQmfh住居に向いてなく、見た目は派手だったけど、
ゆらゆら揺れて住めるものじゃ無かった。
だからいろいろ泊まり歩いて、
何処に住むか考えていたんだろ。
0561人間七七四年
2008/03/09(日) 13:11:03ID:2RwVZAit>何処に住むか考えていたんだろ。
想像したら笑えてきた。
0562人間七七四年
2008/03/09(日) 13:29:52ID:KGqiP8nw信長が光秀に最後の頼みとして
「あれカッコ悪いから焼いて!」
て叫んでたら面白いな。
0563人間七七四年
2008/03/09(日) 13:33:46ID:DQiAQmfh城主の自覚無かったんだろ?
本能寺と言っても寺でも無くて、
ただの倉庫だろ?
0564人間七七四年
2008/03/09(日) 13:34:28ID:RQEEN3+j0565人間七七四年
2008/03/09(日) 20:36:30ID:/YjzkPVT0566人間七七四年
2008/03/10(月) 18:27:40ID:D3ZU7z9t0567人間七七四年
2008/03/11(火) 13:45:37ID:gjkE9/oXそれを、有能だからって理由で手回りで使い続けてるうちに、信長は
「こいつは、俺だけは裏切らない」
と、命取りの錯覚をしてしまった。
光秀から見たら、その時、その時の有利な人間に付いていただけで、たまたまそれが信長であり続けただけだったんじゃないか?
光秀から見たら、本能寺に泊まる信長の姿は「殺して天下を奪ってください」にしか見えなかったんだよ。
身近な人間に情が移ってしまう信長と、超打算人間光秀は最悪の組み合わせだったな。
0568人間七七四年
2008/03/11(火) 15:07:31ID:rMaoJaHs漏れは光秀もなんか堪忍袋きれたことあった思うけどね
ノブ密室で蹴ったそうやし
0569人間七七四年
2008/03/11(火) 17:26:27ID:gjkE9/oXあるいは…
「信長の理想とその王国の本質を完全に理解しているのは自分だけ」
と長年思い込んでた光秀が、例の国替えで近畿という信長の膝下から追われ、単なる地方大名という立場に置かれたことに逆上したかな?
信長にしてみたら、そろそろトシだし、ここらで半分隠居できるようにしてやろうと思ったのであって、冷遇している気持はこれっぽちも無い。
だから「光秀がいるから手回りは少なくても大丈夫」と思っていた。
一方光秀は、信長の政権が中国をモデルとしていると思っているので、皇帝の御側をおわれると受け取ってしまい、ヤケクソになった。
二人の、互いの人間性に対する誤解が原因。
0570人間七七四年
2008/03/11(火) 18:34:23ID:XJ0mbGZg公家達はその日に変が起きるの知ってただけ。
0573名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/12(水) 15:17:46ID:ZKz/WY+1なんで?そんなに自分の無知を自慢したいのか?
0574人間七七四年
2008/03/12(水) 21:29:54ID:MSG/Ki3z0575名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/12(水) 21:34:14ID:ZKz/WY+1この分野における最先端の研究者が、結果この説に至ったという事は重要だろ。
新しい古いの問題じゃ無い。
0576人間七七四年
2008/03/12(水) 22:21:24ID:JuCWXzAv0577人間七七四年
2008/03/12(水) 22:27:20ID:MSG/Ki3z0578名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/12(水) 22:37:45ID:ZKz/WY+1君は権威主義の使い方を間違えてる。
そして君は自分の気に入らない物は権威主義だと頭から信じ込んでいる。
0579人間七七四年
2008/03/13(木) 00:49:42ID:foA5a283その文体、芥川「侏儒の言葉」みたいで気に入った。
当時は権力中枢以外でも事実を知っている人は
たくさんいたのだと思う。
(1)織田有楽斎(信長の弟、信忠、信雄に仕える。茶人)
(2)細川ガラシャ
(3)近衛前久
なぜ自分が生かされているのか、
なぜ表舞台から姿を消さなくてはいけなかったのか。
彼らの手記が見たい。
0580人間七七四年
2008/03/13(木) 08:13:41ID:v7JssQTe学者のくせに自分の発言の持つ重さがわかってないんだろうな
この今谷とかいうオッサンは
0581人間七七四年
2008/03/13(木) 08:16:58ID:v7JssQTeそんなもんは小説家のやることなわけだし
0582名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/13(木) 15:01:49ID:RJfQvskn0583人間七七四年
2008/03/13(木) 15:04:58ID:c40m/mXyでも、「堺幕府論」とかで有名な人なのに、今谷明も知らんとは。
0584人間七七四年
2008/03/13(木) 15:21:14ID:v7JssQTeあんな無茶苦茶なことを堂々と発表できるような恥知らずでも学者になれる時代なんだなw
そもそもこんな奴知ってても知らなくてもどうでもいい存在だし
むしろこのスレ覗かないで知らないままでいたほうが良かったよw
てか擁護してる奴は教え子か何かか?
0585名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/13(木) 15:34:16ID:RJfQvskn0586人間七七四年
2008/03/13(木) 15:40:04ID:v7JssQTe今谷なんていうバカなオッサンの情報なんていらないの
いらない情報ばっか頭に詰め込んでる奴を博識って呼ぶなら俺は無知で結構
まあ俺からすればこんなバカなオッサンの意見を
疑いもせずにマンセーしてる奴の方が余程キチガイだがなw
0587人間七七四年
2008/03/13(木) 15:43:20ID:v7JssQTe「大阪幕府初代将軍信長の野望」とかってタイトルでさw
0588人間七七四年
2008/03/13(木) 19:06:40ID:l4eQASGr最先端研究してる教授だとの事だが一般人研究者と何が違うか教えてくれ。
0589人間七七四年
2008/03/13(木) 21:45:49ID:6YWMWjMP0590名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/14(金) 00:15:01ID:+0mJp1Ri0591人間七七四年
2008/03/14(金) 00:49:17ID:01XUZJAE0592人間七七四年
2008/03/14(金) 10:46:32ID:oLot8mDa基地外探しは分かったから、せっかくの戦国スレなんだから、何か本能寺に
付いて語ってみたらどうなの?
0593人間七七四年
2008/03/14(金) 16:57:13ID:BjL5ggRm0594人間七七四年
2008/03/14(金) 17:32:36ID:4JJlVvIm次の日四国に戦に行くのに、公家を接待したり、
商人に会ったりしてる。
予定通りに夜中に出発していれば、
本能寺の変は無かったはず。
来ても断れよな…
0595人間七七四年
2008/03/19(水) 20:17:24ID:jAyNXNTU0596名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/19(水) 20:39:54ID:tuDcAWXq君はこのスレ盛り上げたいのだろうけど、やり方がなあ…。
0597人間七七四年
2008/03/21(金) 21:01:58ID:d5u10uI4ならば、君がやり方を述べな。つーかキチ同一者か類似者だろ。
あのね、人を中傷したり横ヤリ入れる輩はえてして知識薄なんだよね。
0598人間七七四年
2008/03/25(火) 13:25:07ID:ZSZTdE5f0599人間七七四年
2008/03/25(火) 13:52:42ID:WlQCmdDe0600人間七七四年
2008/03/25(火) 16:24:19ID:p91FHniZ0601人間七七四年
2008/03/25(火) 19:28:46ID:HkCClLdFインタビューよろしいですか?
織田 いいよ、これから切腹だからあんまり時間取れないけどね(苦笑
:謀反を起こされてしまったが。
織田 まあね、こればっかりはしょうがないよね。戦国時代だからね。
:随分サバサバしているが?
織田 いや、人間五十年みたいなとこあるからね。俺も49だし。そろそろいいかな
って気はしてるよね。はっきりいって。
:明智光秀の謀反は予想していたのか?
織田 してたかしてないかっていったら、してないよねさすがに(笑い)
まあキンカンなら是非もなしみたいなのはあるけどね、はっきりいって。
:なぜ謀反を起こされた?
織田 いや、それはわからないよね。理由まではね。キンカンならやりかねないよね
ってだけで。
:今後天下は誰のものに?
織田 それも難しいよね。ただサルじゃねえかなって気はするよね。つーかアイツが
炊きつけたんじゃねえのかってちょっと思ってるけどね(苦笑)
:最後に一言
織田 まあ火も迫ってるしね、特にないけど、ただ比叡山のみなさんにはちょっと悪いこと
しちゃったかなみたいなね。俺も若かったし、やりすぎちゃったかなみたいなとこはあるよね。
こんなもんでいいかな?敦盛舞うからそこ空けといてね
0602人間七七四年
2008/03/25(火) 19:59:55ID:eE8Bj8b/なんで秀吉の天下になったの?
0604有楽斉
2008/03/25(火) 20:36:06ID:p91FHniZやっぱし逃げるが勝ちだよ(笑)
0605人間七七四年
2008/03/25(火) 22:18:49ID:ZSZTdE5f0606人間七七四年
2008/03/25(火) 22:44:19ID:8SwvG+zQ信長信忠死後、信雄信孝では織田家中での求心力が薄く、仇討ちに即時対処出来る力量も持ち合わせいなかった為。
0607人間七七四年
2008/03/25(火) 23:03:33ID:ZoyWD8Bk吹いたww
0608名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/25(火) 23:57:58ID:MSvjq4Rl織田家の軍事力を握ったから
0609人間七七四年
2008/03/26(水) 00:29:01ID:3g1RRK8c0610人間七七四年
2008/03/26(水) 15:44:29ID:lJrUcVpT【三法師】清洲会議を語る【天正十年】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192629955/
0611人間七七四年
2008/03/28(金) 00:59:49ID:I4Au2nhx面白いww
二条城の信忠バージョンも誰かよろしくww
0612人間七七四年
2008/03/28(金) 01:30:17ID:1b3aO75y織田 いいよ、これから徹底抗戦だから、あんまり冷静に答えられないけどね(苦笑
:謀反を起こされてしまったが。
織田 まあね、明智さんらしいよね。ここぞってタイミングでズバッ、だからね。
:随分サバサバしているが?
織田 いや、自分の力で今の地位にいないとこあるからね。俺も成り上がりの二代目だし。
ボロが出る前にむしろって気はしてるよね。はっきりいって。
:明智光秀の謀反は予想していたのか?
織田 愛宕山で何かしてたって話は聞いてたけど、それで拘束はできないよね、さすがに
まあ、恨みのある親父だけじゃなく、おれも見逃してくれない辺りは、あっ、ケチ!なんて思わなくもないけどね(笑い)
:なぜ謀反を起こされた?
織田 羽柴さん絡みかなって気もしてるけど、断言はできないよね。背後関係まではね。
前科からいって、柴田さんだってやりかねないしね。
:今後天下は誰のものに?
織田 それも難しいよね。ただ三河さんじゃねえかなって気はするよね。
つーか三河さんも一枚噛んでるんじゃねえのかってちょっと思ってるけどね(苦笑)
:最後に一言
織田 松姫、正直、迎えに行けずにすまなかった。今の俺には、失うものは何もない。
明智が攻めてくれば、とことんやってやる、みたいなね(苦笑)
こんなもんでいいかな?あ、叔父が逃げるみたいだけど、気づかないふりしといてね
0613人間七七四年
2008/03/28(金) 05:51:41ID:krEm6suB0614人間七七四年
2008/03/28(金) 09:19:08ID:Hq/POn0J* 織田信忠 *
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156156397/
0615人間七七四年
2008/03/28(金) 09:27:28ID:X3ljEY+T面白かったよ。
0616人間七七四年
2008/03/29(土) 19:48:59ID:CwfnwlD0これになぜか涙腺がゆるんだ
しかし、この後の有楽を見るに、ほんと信忠と明暗分かれたな
0617奇矯屋onぷらっと@FreeTibet ◆SRGKIKYOUM
2008/03/30(日) 23:16:57ID:iV3A+udV0618人間七七四年
2008/04/09(水) 04:22:29ID:PrfClOR+0619人間七七四年
2008/04/09(水) 07:39:40ID:WNXdyJnb感じで謀反したと思う。まさに千歳一隅のチャンスだったしね
0621人間七七四年
2008/04/10(木) 12:15:21ID:VS2elwMo0622人間七七四年
2008/04/10(木) 13:30:08ID:jBWk4zRT0623人間七七四年
2008/04/10(木) 14:56:37ID:rDH5L1WQ両者は官職までは賜ってないんだっけ?
0624人間七七四年
2008/06/22(日) 10:58:01ID:oiQy31Ds朝廷黒幕説はねーよ
0625人間七七四年
2008/06/22(日) 11:08:23ID:1qw2hHSh対案さえ出せないのに、一丁前に意見すんな、ボケ
加藤智大もどきが
0626人間七七四年
2008/06/22(日) 11:19:04ID:oiQy31Ds朝廷朝廷って朝廷の誰さ
0627人間七七四年
2008/06/22(日) 11:25:48ID:1qw2hHSh中身空っぽの分際で、意見しようなんざ一億年早いわ
朝廷のトップは誰かも知らんのか、お前
まったく話にもならん派遣労働者だな
ヤケになって無差別殺傷事件起すなよ
0628人間七七四年
2008/06/22(日) 11:31:11ID:oiQy31Ds信長と良好な関係の正親町天皇がそんな狂った命令出すわけ無いじゃん。
ちなみに現在の主流は光秀野望説とノイローゼ説。次点で斉藤利三に唆された説。
黒幕説は誰が黒幕の説でも信忠を狙っていないことから根拠は薄弱。
ネットで口汚く変なことばっか書いてると加藤みたいに見えるから気をつけたほうがいいよ。
0629人間七七四年
2008/06/22(日) 11:54:51ID:1qw2hHSh朝廷官位から離脱し朝廷に圧力かけまくってた信長と帝が良好な関係だと?
笑わせんな、ボケ
都合よく歴史を歪曲してんじゃねえぞ
>光秀野望説
変後、細川親子に合流を拒否されたら、
引退をほのめかすようなヘタレが天下人の野望をもってただと?
恥ずかしくねえか?
>ノイローゼ説
休養十分で信長に信任厚い光秀が何故ノイローゼになるんだ?
>斉藤利三に唆された
光秀は利三の言いなりか?
どっちが主君か分かんねえなぁ〜
>黒幕説は誰が黒幕の説でも信忠を狙っていないことから根拠は薄弱
信忠襲撃は副次的みたいなもん
本命は信長に決まってるだろ
ボケすぎ
>ネットで口汚く変なことばっか書いてると加藤みたいに見えるから気をつけたほうがいいよ
加藤の書き込みは自虐ネタ
他虐ではない
バカ丸出しみたいなことばっか書いてると加藤みたいに見えるから気をつけたほうがいいよ
0630名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/22(日) 12:04:09ID:grZHVCB5> 朝廷官位から離脱し朝廷に圧力かけまくってた信長と帝が良好な関係だと?
> 引退をほのめかすようなヘタレが天下人の野望をもってただと?
> 恥ずかしくねえか?
> 光秀は利三の言いなりか?
> どっちが主君か分かんねえなぁ〜
> 信忠襲撃は副次的みたいなもん
> 本命は信長に決まってるだろ
> ボケすぎ
おまえは15年前くらいからタイムスリップしてきたみたいな本能寺認識だな。
0631人間七七四年
2008/06/22(日) 12:09:46ID:1qw2hHSh何それ?意味不明
何一つ有効な反論ができないからといって知的障害起すな
自分で何も考えず、適当に諸説を拾ってくるから、そんな醜態をさらすハメになる
加藤智大風に例えれば「しょぼい」奴だよ、お前
0632名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/22(日) 12:12:06ID:grZHVCB5それとも本当にアホなのだろうか?どっちだ?
0633人間七七四年
2008/06/22(日) 12:20:05ID:1qw2hHSh本当のアホだよ、お前は
でないと、
>>632のような書き込みはとてもじゃないができん
論点から逸脱した妄言に逃げ込むようでは、お前の知能も知れたもの
加藤智大程度の書き込みしかできんショボショボ野郎が、
人様に意見するなど一兆年早いわ
肛門についたウンコカスを拭いて出直して来い
0634人間七七四年
2008/06/22(日) 12:47:05ID:oiQy31DsでもID:1qw2hHShみたいな古いネタの提供者がいないと本能寺スレは盛り上がらないよね
0635前スレ 917
2008/06/22(日) 12:51:02ID:763tzpZ3良スレの予感!
しばらくROMってます。
0636人間七七四年
2008/06/22(日) 23:23:58ID:mGra3RW0それで朝廷が信長を打倒したということだが、
それなら逆も考えられないか?
つまり信長が言うことを聞かない皇室、公家衆を殲滅
するということだ。
信長のあの性格、また武威なら大いにありうる。
普通に考えれば武力を持たない朝廷が信長を打倒するよりも、
その逆の方だ。
そこで聞きたい。公武対立があり、信長が朝廷に圧力を
かけていたなら信長は何故それを滅ぼそうとしなかったのか?
「朝廷を滅ぼすなんて恐れ多い」とか答えるなら自己矛盾も
はなはだしいことになるが。
0637名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/22(日) 23:27:12ID:grZHVCB5それこそ死んだ子供の齢を数えるような話にしかならんだろ。
0638人間七七四年
2008/06/22(日) 23:41:02ID:mGra3RW0デアゴの「歴史のミステリー」でも読んでその気になってるだけ
だろう。
最近も戦国時代のミステリー本なんかが出ていて時代遅れの
黒幕説がまだ取り上げられてるしな。
ああいう本は始末が悪い。
0639名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/22(日) 23:46:43ID:grZHVCB5まだそんなことやってるんだ。
商業主義的にそっちのほうが受けるのかもしれないが、エンタテイメントにしても
もうちょっと学問的な態度をとってもいいだろうに。
黒幕説なんて今時恐竜を直立した姿で描くくらいナンセンスなのに。
0640人間七七四年
2008/06/22(日) 23:49:18ID:oiQy31Ds神になって朝廷に取って代わろうとしていたから朝廷が危機感を覚えたとかっていうのも酷い説だしな。
ところでディアゴも一通り陰謀論は紹介してたけど、どれもイマイチみたいな感じで書いてなかったっけ?
0641名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/23(月) 00:01:51ID:1BGQrYxZ「朝廷はウソウソ、やっぱこっち!」って感じで自信満々にイエズス会陰謀説を発表したら、
その途端に各方面からいっせいに「アホか」って批判の集中砲火浴びた時は面白かったなあw
良くも悪くもあれ以後、とっぴな説は素直にコテンパンにやっつけていい、って風潮が出来た気がする。
0642人間七七四年
2008/06/23(月) 00:12:00ID:cjQXuL2d明智光秀は偽情報により、当時本能寺に宿泊していると思われた
徳川家康を襲撃する予定だった。
だが襲撃の途中で、実は宿泊していたのが主君の信長だったとゆうことが
判明するとゆうありえない大失態をしてしまったのであるww
0643人間七七四年
2008/06/23(月) 00:15:31ID:qqb5RG05これはヒドイ
0644名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/23(月) 00:16:56ID:1BGQrYxZまだ、昔なんかのSFであった「宇宙人に操られて本能寺襲撃」のほうがリアリティがあるw
0645人間七七四年
2008/06/23(月) 00:33:23ID:/XqW44d+0646人間七七四年
2008/06/23(月) 00:40:18ID:qqb5RG050647人間七七四年
2008/06/23(月) 08:41:49ID:EM3nqAZO確かにひどいが本城惣右衛門が徳川家康を討つのかと思っていたと書き残してるのはけっこう興味深い。
陰謀とかそういうの抜きに当時の関係性だとか見方という点においてね。
0648人間七七四年
2008/06/23(月) 09:49:40ID:qrpMZ3bf衝動的に。
昔、とても偉い方とお話する機会があったんだが、ここでこいつの頭叩けば次の瞬間SPに取り押さえられるって分かってるのに、
同時にニュースになったり、周囲の記憶に残るなってのがとても魅力的に感じた事あるし。
もちろん俺は叩かなかったが。
魔が差した時って周囲が諫めても逆効果になる事多いし、全然練られてない考えなのに異常に上手く行きそうに感じられるよな。
0649人間七七四年
2008/06/23(月) 12:22:29ID:bQ1CzEGd上手く行くって感じてすらねーじゃん
>ここでこいつの頭叩けば次の瞬間SPに取り押さえられるって分かってるのに、
0650名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/23(月) 12:25:05ID:1BGQrYxZここが「上手くいく」って事なんでしょ?
0651人間七七四年
2008/06/23(月) 13:10:47ID:e5P0WgCN本能寺前、山陰の国人に「もう少ししたら行くよ」と手紙を出したり、
備中に向けて小駄荷を送ってるのは確かだね。
0653人間七七四年
2008/06/23(月) 19:55:28ID:PlWGFmFMそれで即、本能寺の変朝廷黒幕説が成り立つわけでもなし。
学者でも対立説を取っていても信長殺しに朝廷が関与したと
言ってる人はいないし。
立花氏だけは間接的に関与したとしてるが。
どこかの誰かさんはそれを忘れてるようだ。
0654人間七七四年
2008/06/24(火) 00:33:25ID:eXYADOnE小和田の昔の本とかには普通に引用されてるから、今はあのあたりの関係はどうなってるんだろう。
小和田も、ブコウヤワが昭和成立とは思えない、なんて最近でも言ってるぐらいだし、大丈夫なんだろかな。
0655名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/24(火) 00:36:00ID:sAyQLnQG今何をしているのだろう…。最近著作をまるで見ないが。
0656人間七七四年
2008/06/24(火) 00:53:35ID:eXYADOnEあれは罪が大きかったよな。
ところで、馬そろえのあたりの信長と朝廷の関係は今はどういうのが定説になってる?
信長と良好だった、というのが一時優勢だったような気がしたんだが。
0657名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/24(火) 01:16:56ID:sAyQLnQG今は基本的に、多少なりとも摩擦はあったものの対立に至るというほどではなく、全体的には友好的な関係だった。
三職推任問題は各論入り乱れて決着が付いていないが、これが例えば朝廷をして、光秀が謀反するよう後押しを
するような問題ではなかった、って言うことではほぼ共通の認識になっていると思われる。
こんな感じ。
0658人間七七四年
2008/06/24(火) 01:26:05ID:la8y1XW5基本的に問題という問題にはなってない、これは当時の史料からも明らか
では何が問題だったのかと言うと暦の問題
これは朝廷にとっては大問題だけどね、でも朝廷は信長と表面的には友好を保とうとはしてた
これが今のところの認識
というか多くの公家や寺社関連があるのに、朝廷と一括りに扱うのは時代遅れな希ガス
0659人間七七四年
2008/06/24(火) 01:31:11ID:eXYADOnEなるほどなるほど、ありがと。
で、質問ばかりで悪いが、全体的に友好、というのは天皇側がうまく信長をあしらった、みたいな解釈は危険かな。
信長はやっぱり、悪意、敵意、まではいななくても朝廷に対して不遜な行動をとってるようにおもうのだよね。
これを単純に、田舎侍の限界、つまり武将としては強力だけど立ち振る舞いを知らんでおじゃる、みたいに天皇がいなしたというかね。
もちろん天皇個人ではなくて朝廷全体の対信長対応ってことなんだけどね。
0660人間七七四年
2008/06/24(火) 01:36:31ID:eXYADOnEふむふむ、ありがと。
で、表面的に友好をたもとうとしてた、というのは朝廷側の実は必死の2枚舌、駆け引きの手段、のように思える部分もあってね。
結構危機感もあったんじゃないのかな、次は何を言い出すかわからんでおじゃる、って。
0661名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/24(火) 01:42:24ID:sAyQLnQG天皇側というか、近衛前久が上手く信長をコントロールしていたという節はあるね。
これは個人的見解だけど、信長は不遜というより、足利義満のようなポジションに付くことを
考えてああいう行動を取っていたのだと思う。そして朝廷の側もそれを織り込んでいた感じ。
信長個人は田舎武士というよりも、室町的な教養にあふれた大名だね。
0662人間七七四年
2008/06/24(火) 02:03:04ID:eXYADOnEほぉ、としたらまさに朝敵で、敵対関係にあった、ようなものじゃないのかな。
で、信長は、室町的教養、というより、田舎武士が都会の文化にあこがれていた、そういう見方もありますよね。
今で言うなら、東京にあこがれていろんな雑誌で知識をみにつけた田舎のあんちゃん、というか。
東大寺切り取りなんかもその典型だと思うし、室町の故事に習うと言うかね。
あんまり、センスあふれる教養人、というイメージはないもんで、個人的見解ですが。
0664人間七七四年
2008/06/24(火) 14:55:33ID:kvsLp4wi信長死すとも、名誉は死せず。
秀吉死すとも、太閤記は死せず
家康死すとも、東京は死せず
0665人間七七四年
2008/06/26(木) 19:08:10ID:g17DYp1Rピンボケな発言も多いのだが、去年出した文庫本で
信長が公家つぶしをしようとしたので光秀がそれを
阻止しようとしたなんてことを書いてた。
別に朝廷黒幕説というわけではないが、いったい
信長のどの行為が「公家つぶし」だと具体的に言うのか。
当時はまだ敵対大名と戦ってる最中なのに、そんなことを
考えるはずがない。
秀吉のように実際に天下統一したらあったかも知れないが。
小和田のような影響力の大きい学者は発言に慎重になって
ほしいものだ。
0666人間七七四年
2008/06/27(金) 01:38:23ID:62SP3iBs中日新聞の夕刊に載ってますね。
取ってるけど、読んだことないな。
>>665
オワダをかばうわけじゃないし、よくわからないのは一緒だけど、
信長が朝廷に急接近してるのは事実かな。
二条家との婚礼、近衛さんとこにもなんかアヤつけてる。
ま、それが公家つぶしかどうかわからないけど、あの人、武功で失敗
しちゃってるからね。
0667名無しさん@お腹いっぱい。
2008/06/27(金) 01:51:35ID:slnpkwQm0668人間七七四年
2008/06/27(金) 06:55:50ID:HU+qXFPxhttp://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160246355/
0669人間七七四年
2008/06/30(月) 03:45:30ID:fGat8GcP大和田さんが去年出した文庫というと『集中講義 織田信長』かな?
「公家つぶし」なんて書き方はしてなかったと思うけど、どこに書いてあった?
譲位問題やら、暦やらの、ごく一般的な、対立説の紹介だったと思うけど。
光秀の謀叛については、信長の増長を食い止めるための「信長非道阻止説」としている。
やはり「公家つぶし」なんて言葉は見当たらない。
天皇と信長の対立関係の説明を、勝手にあんたが「公家つぶし」と曲解してるんじゃないかな?
対立説については、『信長と天皇』書いた今谷さんとか、色々主張する学者もいて、
融和説と対立説の是非の結論はまだ出てないから、
対立説の立場に立って説明する事自体は、別にあんたが咎めるような無責任なことじゃあないと思うが。
0670人間七七四年
2008/06/30(月) 19:01:10ID:nVB3GtGv「戦国時代は裏から読むとおもしろい!」
(青春出版社・青春文庫)にそう書いてある。
「勝手に曲解」はあなたの方。
対立説に立ってる学者でも、京子ちゃん以外は
変への朝廷の関与を否定してるわけだが。
そこんとこ分かってる?
0671人間七七四年
2008/06/30(月) 22:42:29ID:fGat8GcPそっちの本は読んでないから知らんが、
『集中講義 織田信長』の方に書いてる増長の内容が、譲位問題や、暦問題。
あと近衛への暴言。
そこら辺を「公家つぶし」と言ってるのかもしらんが、
それこそ、今谷さんはじめ対立説にたつ人がよく根拠にあげるものだしね。
さほど突飛な事言ってるわけじゃあない。
「公家つぶし」という言葉を使った事に腹をたててるのかな?
近衛の面目を潰したという意味では「公家つぶし」かもしれんね
>対立説に立ってる学者でも、京子ちゃん以外は
>変への朝廷の関与を否定してるわけだが。 そこんとこ分かってる?
わかってるけど、なにか?
小和田さんも、朝廷側からの関与なんて言ってないと思うけど。
0672人間七七四年
2008/07/01(火) 20:51:33ID:8pgIKIHo鈴木眞哉・藤本正行著「信長は謀略で殺されたのか」で
すでに論破されている。
この中に挙げられてる「皇位簒奪計画」なんてそれこそ
噴飯もの。
近衛への暴言だって出典は「甲陽軍鑑」。そのまま
信じられるものではない。
そんなものを信じてる時点で終わってる。
ヲワダ説の否定なら谷口克広著「検証本能寺の変」でも
行われてる。
もう少し色々な本を読もうな。
1冊読んだだけでその気になるのでは視野が狭くなるのも
当然だ。
0673人間七七四年
2008/07/01(火) 23:45:11ID:/RJRlxCOぐらいかな。
最近はテレビでもおかしな説がとびかってるから、そっちからの陰謀論がまた復活
しないかと心配だ。
0674人間七七四年
2008/07/02(水) 00:34:29ID:5OtdwaWy0675人間七七四年
2008/07/02(水) 05:07:01ID:rmqKexKS俺は、小和田説について聞かれてるから、
小和田さんが最近の著作の中で、どういう論を展開してたか答えただけで、
別に小和田説を信じてるわけじゃあないんだがなあ
その2冊もとっくに読んでるけど、
むしろ、最近はその2冊を聖典扱いし、そこで批判されてる説は全て間違いと
無批判に信じ込んでるやつが多いのも気になるとこ。
それこそ、近視眼的で、思考停止に過ぎないんだがなあ。
とりあえず、お前さんは無駄に喧嘩腰で煽ってないで、
少しは頭冷やすといいよ
0676人間七七四年
2008/07/03(木) 17:21:38ID:EQf6dgv8かえってきそうだな。
まだまだ論ずる点は多いと思うけど。
0677名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/03(木) 23:17:04ID:wYO0yP9Y研究者と言っていいのか迷う部分もある。
0678人間七七四年
2008/07/04(金) 01:46:34ID:N0F2KxUo比較的新しい成果を元に語ってくれるから、そこは助かるのだけど
古い研究者たちは逆にいやだろうな。
特に武功を信じてしまった小和田たちは、正直認めたがらないだろな。
0679人間七七四年
2008/07/04(金) 03:55:03ID:6kTIROMUって、スレ違いだったな。
武功夜話は偽書?
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169263287/
0680人間七七四年
2008/07/04(金) 15:28:57ID:yuzND77u2ちゃんの年代的に、というのもおかしな言い方だが、武功夜話から入ったような
人も多い気がするし。
いきなり、偽書、と言われても困ったろうな。
0681人間七七四年
2008/07/06(日) 17:55:54ID:so/htLRC>信長が朝廷に圧力をかけていた、つまり公武対立があり、それで朝廷が信長を打倒したということだが、
それなら逆も考えられないか?
つまり信長が言うことを聞かない皇室、公家衆を殲滅するということだ。
「朝廷を滅ぼすなんて恐れ多い」とか答えるなら自己矛盾もはなはだしいことになるが
甚だしいのは、君の愚かさだ。
足利義昭でさえ殺さずに放逐で済ませた信長が、短絡的稚拙さで朝廷を武力打倒するわけがないだろ。
そんな事をすれば、松永久秀の二の舞。
君の歴史認識の浅さには呆れ返る。
まさにトーシロの戯言だな。
もう少し歴史を勉強してから参加しろ。
0682人間七七四年
2008/07/06(日) 18:08:29ID:so/htLRC>いったい信長のどの行為が「公家つぶし」だと具体的に言うのか
目暗なのか無知なのか阿呆なのか分からん。
基本的知識を頭に入れてから発言しろよ。
恥を晒してる事さえ分かってないらしい。
>当時はまだ敵対大名と戦ってる最中なのに、そんなことを考えるはずがない。
信長の晩年の戦局は、織田方圧倒的有利であり、信長は余裕しゃくしゃく。
暗殺直前、公家衆や豪商を招いて晩餐をやってるっつーのに、何タワけた事言ってるんだ?
アホか。
>秀吉のように実際に天下統一したらあったかも知れないが
秀吉の関白就任は、まだ九州も関東以東も平定していない時期だぞ。
そもそも秀吉は光秀倒滅直後から調停工作をやっている。
君の主張だと、秀吉は小田原征伐と奥州仕置を終えてから朝廷への接近を考える事になる。
論外の愚論だと思わんか。
0683人間七七四年
2008/07/06(日) 18:14:15ID:so/htLRC>「信長は謀略で殺されたのか」ですでに論破されている
何ですか〜?、それは。是非ご教授願いたいな。
>「皇位簒奪計画」なんてそれこそ噴飯もの
君が力説する上記が『噴飯もの』でないのを祈るばかりだ。
>ヲワダ説の否定なら谷口克広著「検証本能寺の変」でも行われてる
谷口克広著「検証本能寺の変」こそが『ヲワダ説』だろうに・・・
0684名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/06(日) 18:16:16ID:K5CrtqJ/ちなみに一つ教えてあげると、秀吉が朝廷に接近したのは小牧長久手の戦線が膠着してどうにもならなくなった
時期から。それまでは官位すらも要求もしてないしもらってもいない。
0685人間七七四年
2008/07/06(日) 18:26:47ID:so/htLRC秀吉は明智討ち直後の六月十四日、信孝と共に勅使下向を受けているんだけど。
おいおいって感じ。
0686名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/06(日) 18:31:42ID:K5CrtqJ/それは「織田家」としてだ。秀吉が接近したものではない。
そんなことも解らない?
0687人間七七四年
2008/07/06(日) 18:38:27ID:so/htLRC秀吉の行動自体が問題なのであって、信長亡き後の織田家など今の論点ではない。
アホか。
0688名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/06(日) 18:41:09ID:K5CrtqJ/いやいやいや、アホかじゃなくて、それが秀吉の朝廷への接近と言うのなら、その接近の具体的内容を
きちんと説明しなさいよ。
君には説明が一切無い。
0689人間七七四年
2008/07/06(日) 18:44:51ID:so/htLRCそんなの自分で確認しとけ。
知識がないのに参加すんなって話だ。
基本的知識を頭に入れた上で、自分の見解を述べるのがディベートっつーもんだ。
子供かよ。
0690名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/06(日) 18:58:00ID:K5CrtqJ/君とディベートする気は無いからその具体的な内容を教えて?
多分君は「接触」と「接近」を勘違いしているのだと思うが。
0691人間七七四年
2008/07/06(日) 19:00:19ID:A/+DX51M案外その通りで、下手なのに山岳地帯にいけと言われて
しかも、佐久間折檻状の褒め言葉がプレッシャーに
なって、「おいおい、勘弁してよ。おれ戦へたなのに
短期間で結果だせなんて無理だよ。石山、丹波知ってるくせに・・・。
あ〜村井みたいにずーと京にいて〜な。京から離れたくないよ〜。
でも、行かないわけにはいかないし、鬱、鬱、鬱」
で、爆発。
0692人間七七四年
2008/07/06(日) 19:03:45ID:so/htLRC愚劣な言葉遊びに逃げ込むな。みっともない。
単一の行動を異なる言葉で表現してみせても意味ねーだろ。
情報検索能力もないなら、パソコン教室にでも通う事だな。
0693人間七七四年
2008/07/06(日) 19:11:36ID:so/htLRC>津本陽は光秀を戦べたと書いてるけど、案外その通り
光秀の丹波攻略に時間がかかったのは、他の織田家中の僚将の加勢を受けずに、
ほとんど明智勢だけで挑んだから。
信長もその事は知っているから、別段光秀の評価が下がる事は無い。
0694人間七七四年
2008/07/06(日) 19:56:58ID:wqo9jQlL0695人間七七四年
2008/07/06(日) 19:58:07ID:wqo9jQlL0696人間七七四年
2008/07/06(日) 20:21:12ID:HLRBC1aq鈴木、谷口あたりを切ってすてるのは面白いからいいけど。
でも、変直後の朝廷との接近は、ドタバタでびっくら困った朝廷がとりあえず
「勝ったものについておこ」ってものだから、あんまり秀吉の朝廷工作、って意味は
ないと思うよ。
もちろん、ここでコネ作った秀吉が小牧直後に朝廷に接近したわけだから
変直後の接近が全く意味は無い、わけではないけど、やっぱり「変直後から
朝廷工作していた」と秀吉から積極的に働きかけたとの解釈はどうだろう。
そういう意思はあったかもしれなくて、勅使下向はまさに渡りに船だった、ぐらいなら同意
なんだけどね。
0697人間七七四年
2008/07/06(日) 20:34:47ID:85tn+dvR0698人間七七四年
2008/07/06(日) 20:41:13ID:so/htLRC>「変直後から朝廷工作していた」と秀吉から積極的に働きかけたとの解釈はどうだろう
明智討ち後、信孝の明智一派の摘発は熾烈を極め、
関係者と思われる公家は、慌てて出奔しているほどだ。
この客観的一事で、信長暗殺に朝廷が絡んでいたのは明白であり、当時の常識だったと言える。
それに横槍を入れたのは秀吉。
明智一派と目されていた公家等をことごとく免罪にして朝廷に貸しをつくり、
信孝には織田家の跡目を支援する事を匂わせて、執拗な摘発をやめさせる。
ところが、清洲会議では信長嫡孫を擁立されて約束を反故にされた信孝は、秀吉に敵対。
0699人間七七四年
2008/07/06(日) 21:31:28ID:HLRBC1aqいいね。久々に真正面からの朝廷関与説ね。
当時の人、特に秀吉までもがそう疑ってたと言う点が重要だよね。
その背後に信長の皇位簒奪計画、そして信長朝廷対立説、というのが
いい流れだ。
最近、東大助教授の出した本で皇位簒奪計画に肯定的なのがある。
うれしいよね、学者の中にもちゃんと「人間味」のわかる人がいるんだと感心。
信長朝廷友好説って、お花畑みたいなのが主流になってるのが不思議なんだよな。
文献をそのまま解釈して、社交辞令とか、そういうのを全く理解してない。
そういう本に影響された人が2ちゃんにも多いから、うれしいもんだ。
そういう意味でなら秀吉の朝廷工作は直後からはじまってた、というのには
賛成だ。
0700名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/06(日) 21:35:19ID:K5CrtqJ/本能寺スレでいちいちそれを、何度も何度も蒸し返して長文でやられるのは迷惑だ。
0702人間七七四年
2008/07/07(月) 03:58:56ID:wAZHNVmT考証じゃなくて考察はただのオナニー
0703人間七七四年
2008/07/07(月) 08:27:06ID:NWIFavbSだが秀吉が後日さがすと遺骸は見つからないが、愛刀の吉本左門寺の刀は見つかったと言う。
実は秀吉が本能寺の真犯人と言われている。
なにより九州から本能寺まで二日程度で全軍が戻っている事、わずか三日で光秀を討ち取っている事、
その後織田家をわずか数日で乗っ取り、豊臣政権を樹立している。
全て遭わせても一ヶ月もたってない。
あまりにも早すぎる。裏があると思われても仕方ない。
0704sage
2008/07/07(月) 11:28:07ID:9YYjK46R0706人間七七四年
2008/07/07(月) 22:21:40ID:WXbAQ6ri>最近、東大助教授の出した本で皇位簒奪計画に肯定的なのがある。
誰の何という本?
0707人間七七四年
2008/07/08(火) 18:00:55ID:9i9PVetu秀吉君は何しに九州行ってたの?
0708人間七七四年
2008/07/08(火) 18:10:43ID:9i9PVetu多分この色物
http://www.papy.co.jp/act/books/1-5208/
0709名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/08(火) 18:37:47ID:BHpIbT9Y大阪の陣で豊臣方の敗北を招いた真田幸村イジメの全貌
http://www.papy.co.jp/act/books/1-5208/
0710人間七七四年
2008/07/08(火) 21:29:58ID:TPtNPpmn講談社メチエ、本郷和人「人物からよむ日本中世史」
対した論でももない、思いつき程度だが、あーいう立場の人がいうとこに。
0711名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/08(火) 21:52:25ID:BHpIbT9Y立場で物を見てどうするんだよ
0712人間七七四年
2008/07/08(火) 22:01:44ID:tndL2dVkあれ、立場でいえない書けないタブーいっぱいなのが日本の学界だお。
あんな純度マジリッけなしの史料編纂所の人の意見なんて、
玉虫色100%が普通であろうに。
0713名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/08(火) 22:08:01ID:BHpIbT9Y読み手が自分の頭で考えず立場で物を見てどうするんだ?ってこと。
0714人間七七四年
2008/07/08(火) 22:28:18ID:tndL2dVkこちらがどうかじゃなくて、書き手が立場にも関わらず
大胆なことを言った、ということを述べてる。
だから、自分の頭で考えたのでは「大した論でもない」
と言ってる。
0715人間七七四年
2008/07/08(火) 23:32:21ID:A5iFwMh/サンクス。
織豊期の研究者しか考えてなかったから、本郷氏が出てこなかった。
0716人間七七四年
2008/07/08(火) 23:35:05ID:wVD+loqxで、どこら辺が「たいした論でもない」「思いつき程度」のものだったの?
えらく上から目線で自信たっぷり批判してる割には、具体的な問題点はさっぱり伝わらないんだけど
どっかの先生のうけうりの批評かなw
0717人間七七四年
2008/07/09(水) 00:27:26ID:yorX1U2Dいえいえ、また感想とか聞かせてね。
えらそうで悪いが、中世のほうに戻ってちょっと注意してるんだ。
今谷から15年、そろそろ変化もあるのかなって。
>>716
別に批判なんかしてないよ。逆に感心してるぐらい。
ほんで、ここで「どこらへん」なんて触れる気はない。
本能寺と関係ない、と言われそうだし、こういうのは自分で判断しないとね。
ちなみに、どっかの先生、はこういった中世研究が信長に及んでることを
気づきもしないであろうね。
自分は有用と判断しただけだし、715さんみたいにそれを理解してもらえたらちょっとうれしいだけ。
0718人間七七四年
2008/07/12(土) 00:41:05ID:TDTNNkcS明智光秀の突発的な犯行でした
俺はおなかが空くと、嫌な出来事を思い出すんだよ
きっと光秀も同じように、急に嫌な事を何か思い出して信長への怒りが涌いてきて、謀反を決意したんだろう
その証拠に細川忠興や高山右近、筒井順慶に同心していない
0719人間七七四年
2008/07/13(日) 22:59:13ID:TYSgvHS/と思う
0720人間七七四年
2008/07/15(火) 06:14:01ID:vNN8GVHA光秀の後ろに身分が高い人物がいるような感じのさ
それで朝廷だの近衛だの義昭だの黒幕説が出たんじゃないの
0721人間七七四年
2008/07/15(火) 17:37:39ID:2xW7bVuuあの書状は誤解してるが定説。
藤田の義昭黒幕説なんだけどね。
朝廷とか近衛とかはまた別な根拠があるから、一緒にすると
ちょっと混乱するよ。
0722人間七七四年
2008/07/15(火) 18:14:13ID:z0HpYnIj桐野が新発見したという福屋宛て文書の年次比定はむしろ藤田が正しいと思うけど、上杉宛て文書は結論ありきで分析すっから
誤読してるよな。
0723人間七七四年
2008/07/15(火) 19:01:52ID:2xW7bVuuと思う。
ただ、読み方があってても義昭関与に結びつけるにはまた
別の無理が生じそうで、よほど義昭関与説は成立しないんだろな。
京子ちゃんの夏記の読み方はどう思う?
0724人間七七四年
2008/07/16(水) 13:58:22ID:d+m9FLXM「かれなと信長打談合衆也。」の記事かな?
それとも「申され」の記事かな?
前者については、談合したのは光秀と斉藤とするのが妥当だと思う。
なぜならば、公家の日記は子孫に有職故実を相伝するためそのまま後世に伝わることを予定している以上、
明智滅亡後に、晴豊と光秀が談合したってわざわざ記録するのは自殺行為に等しいから。
また、仮に晴豊と明智が談合したのであれば、明智の家老の斉藤の名字・名前とも誤記するのは極めて不自然
でもある。
後者については、素直に読めば立花氏の解釈が正しいが、晴豊の記述の書きぐせでたまたまこう書いたという
論者もいることだし、現時点では保留だと思う。
0725人間七七四年
2008/07/16(水) 17:53:18ID:Cp2ynN1n後者に関しては立花氏でいいと思うし、もう一人誰だったかも
全用例にあたった上で、立花氏に同意する、って言ってたかな。
保留というのは、実際立花氏の読み方でいい、みたいなとこか。
前者について、公家の日記に関してだけど、人に見せる前提に無い、
なんてよく言われる。
ではなく相伝の意味が強い、ごく限定的ではあるが見せる意味合いで
書かれた、という解釈でいいのかな。
このあたりは重要なとこなんだろうけど吉田日記の、正本、別本とか
あまりつっこんだ解説とかを知らない。良かったら教えてほしいとこだ。
日をはさんで空白になってることとかもね。
722の福屋あて文書って、どれだろう。
手元の本にそういう表現がない・・
0726人間七七四年
2008/07/16(水) 18:13:31ID:i5t6NagU後者については、小林道裕が著書で立花に同意っていってたな。
前者については、突っ込んだ解説は知らないが歴史群像とか歴史読本の類でも解説は掲載されている。
記事の空白については、5月の空白の理由はその時期に兼見が叔母(藤孝妻)の葬式に行ってたからって別スレにあって納得してしまったが、
4月分は謎だよね。
福屋文書は、桐野PHP本と歴史群像本能寺の藤田の稿に掲載されているよ。
0727人間七七四年
2008/07/16(水) 18:39:13ID:Cp2ynN1n小林って知らないな・・
公家の日記はなんか上品な表現が多くて、「そこが公家たる由縁」
なんて言われるけど、どう見ても見せるとか記録とかそういう一面を
強く感じる。
秀吉なんかは、調べたりしたんじゃないかなー。
福屋に関しては覚えておきます。内容的には異論はないのだけどね。
0728人間七七四年
2008/07/17(木) 00:20:08ID:r0Rert0V「信長とは何か」小島道裕。
小林は小島の誤爆、スマソ。
彼は室町的領主制を解体した信長に対する制度防衛のために光秀が謀反を起こしたって立論。
小和田+αって感じかな。肝心の内容は…研究者の著作とは思えないね。
0729人間七七四年
2008/07/17(木) 01:00:43ID:TQ2fxwfC了解。わざわざどうも。
小和田も鈴木に「トンデモ説」って言われてはミもフタもなかったな。
結局光秀が勤皇家とか制度防衛とかそっちに行くから否定論者が勢い
ついてしまうような。
それならもっとシンプルに「野心があった」みたいなほうが明解に感じるの
だけど、そうすると「準備不足」って反論されるしね。
でも、これもシンプルに「準備不足」なんてのは結果論的だし
ちゃんと変自体は成功してる。
事前に細川とかに相談なんて出来るわけはないし、それこそチクられる、
「野心がなかった」という説明にはなってないような。
「野心説」というのも複合説の基礎って感じでどう?
0730人間七七四年
2008/07/17(木) 08:19:57ID:dHDYZa2xしかし絶好の機会が訪れたのでつい動いてしまった。
こんなところだろうと思うんだがな。
京極堂風に言えば魔物に背中を押されてしまったといったところか。
0731人間七七四年
2008/07/17(木) 13:59:02ID:oWBRhxVKそこからもう少し各論に入っていくのだろうな。
野心は1568年の中央デビューからあったのかな、とか
その野心に火をつけたのは、四国問題か、とかね。
0732人間七七四年
2008/07/17(木) 15:22:00ID:tu9X2KSeあの小島さんのは、本能寺の変を語る本じゃあないから。
そこだけ切り取ってきて「研究者の著作とは思えないね」とか偉そうに語られても
大体、その部分も本能寺の謎ときなんかが主題じゃあないし
なんだか、半端な学者様気取りが多いスレだね
0733名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/17(木) 15:54:46ID:q86cL6uf本能寺以外のところをとっても、研究者の著作とは思えないぞ。
0734人間七七四年
2008/07/17(木) 17:39:12ID:r0Rert0V小島氏は研究者である以上、世に発表した著作には文責を負うべき。
たとえ、本能寺の叙述が本論のオマケだったとしてもだ。
0735人間七七四年
2008/07/18(金) 01:14:31ID:15Qmd4HVそれなりの場で、同じことが言えるかどうか、なんだよね。
本郷氏はそういう意味で発言されてるわけだから、それなりの
意味を認めてる。
あとは、別の話だ。
信長研究スレにおいては誰も知らないから、こっちのほうが
進んでるとはいえるだろうが。
0736人間七七四年
2008/07/18(金) 01:45:31ID:4xn8lRuFそれなりの場で語るような、ほんものの研究家さんは、
そもそも、こんなとこに書き込みなんてしないだろ。
他人を装って宣伝にくる、自称研究家の作家なら見たことあるがw
0737人間七七四年
2008/07/18(金) 02:39:40ID:15Qmd4HV悪いけどさ、w なんて使ってるのはあなただけだしね。
そういうカキコは遠慮してもらえないかな。
せっかく、いいとこまできてるのだから。
こうやって、スレがとまってしまうのだよ。
宣伝とか、自称、とかも、たぶんあなただけじゃないのかな。
0738人間七七四年
2008/07/18(金) 07:12:06ID:4xn8lRuFまあともかく、幼稚な煽りご苦労様。
0739名無しさん@お腹いっぱい。
2008/07/18(金) 10:39:27ID:zdWOGiYv0740人間七七四年
2008/07/20(日) 06:35:21ID:QtvmNFZd誰も、ほんものの研究家、がカキコしてるなんて言ってない。
それを読んだチャネラがカキコしてるだけ。
とりあえず、730ぐらいに戻らない?
京極じゃなくても「戦国の虫」なんて表現してる人もいるしね。
0741人間七七四年
2008/10/01(水) 20:04:40ID:XFl6AlI90742名無しさん@お腹いっぱい。
2008/10/01(水) 20:07:42ID:3Kqw5GDY光秀自身がそのこと知ったら鼻で笑いそうだがw
0743人間七七四年
2008/10/01(水) 20:08:31ID:SXQV4+uz/
` ー
_,.>
r "
マジで!? \ _
_ r-''ニl::::/,ニ二 ーー-- __
.,/: :// o l !/ /o l.}: : : : : : :`:ヽ 、
/:,.-ーl { ゙-"ノノl l. ゙ ‐゙ノノ,,,_: : : : : : : : : :ヽ、
__l>ゝ、,,ヽ /;;;;;;;;;;リ゙‐'ー=" _゛ =、: : : : : : : :ヽ、
/ _________`゙ `'-- ヾ_____--⌒ `-: : : : : : : :
...-''"│ ∧ .ヽ. ________ / ____ ---‐‐‐ーー \: : : : :
! / .ヽ ゙,ゝ、 / ________rー''" ̄''ー、 `、: : :
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l .,.. -、、 _ ‐''''''''-、 l !: :
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0744人間七七四年
2008/10/03(金) 01:23:50ID:iLAB2azq秀吉「光秀〜っ、殿をなぶる事は許せんぞ」
光秀「儂は今川の件で浪人の身、国も無し、失うモノはなにもなし」
秀吉「光秀よ、おかしな事考えてなかろうな?」
光秀「儂は殿を討つ。その後儂を斬れ。それで日の本はお前のモノだ」
秀吉「えっ?ホントに?儂が貰っちゃっていいの?」
光秀「三河の豚にくれてやるよりマシよ。」
秀吉「あのキチガイは本能寺に居ます。いつ殺りますか?」
光秀「三日後だ、四日目の朝天王山で待つ。それまで四国にでも居ろ」
こんなやり取りがあった事は知られていない。
0745人間七七四年
2008/10/06(月) 21:22:17ID:sZ+mZnac国盗り学習ゲーム世界戦国編β版公開
URL : http://soresuta.jp/
0746人間七七四年
2009/03/06(金) 03:52:36ID:Q6F5VMCJ0747名無しさん@お腹いっぱい。
2009/03/06(金) 11:16:35ID:LixUx5z30748人間七七四年
2009/03/06(金) 18:56:53ID:S4YeDnro単独の突発的行動?
0749人間七七四年
2009/03/08(日) 08:00:42ID:oRD3teyQ0750人間七七四年
2009/03/09(月) 08:02:05ID:V4P6hdi10751人間七七四年
2009/03/21(土) 01:00:26ID:++4Nx1Ks「本能寺の変 四二七年目の真実」(著;明智 憲三郎)って本を読んだ人いる?
自称子孫が書いた本で、アマゾンではベタ褒めみたいだけど。
0752人間七七四年
2009/03/22(日) 05:28:29ID:g8Sq+pKU本能寺の時点で、同僚はみんな地方に散らばっているし、今すぐ行動すれば体勢を整える時間も稼げるから即行動。
天下を取るかどうかはともかく、信長をやっつけてより大きな権力を握れるチャンスだった。だから思い切ってやった。
そしたら秀吉が想像つかないスピードで戻ってきてしまって、グダグダしているうちに決戦になって負け。
秀吉の対応もよかったが、どっちかというと運に恵まれたって感じで、逆に光秀はツキがなかった。
信長に重用されてたのは伊達じゃなくて、光秀の目論見がうまくいった可能性はかなりある。
こんな感じなのかな?
0753人間七七四年
2009/03/22(日) 06:28:49ID:71nPvda90754人間七七四年
2009/03/22(日) 23:32:27ID:ovQ1xzCm0755人間七七四年
2009/03/22(日) 23:49:07ID:71nPvda90756人間七七四年
2009/04/08(水) 10:31:58ID:E7CZpZX80757人間七七四年
2009/04/08(水) 14:19:58ID:EH+1uvE30758人間七七四年
2009/04/10(金) 01:43:55ID:k4fGND0y0759人間七七四年
2009/04/11(土) 11:21:41ID:qWysoNKd森乱丸さえいなければ本能寺は起こらなかったよな?
0760人間七七四年
2009/04/23(木) 22:12:19ID:h2CVKV210761人間七七四年
2009/04/24(金) 01:48:05ID:QogJ3QUC0762人間七七四年
2009/05/06(水) 16:32:35ID:QJfCPIT60763人間七七四年
2009/05/06(水) 18:43:31ID:lqHvXs83という空気を体して動いた光秀。人の嫌がる義務を率先して行う男。
しかし皆のために手を汚した奴に対しては手のひらを返して叩くのが空気の生態。
敵に回すと恐ろしいが、味方を気取るともっと怖い。
0764人間七七四年
2009/05/06(水) 21:55:18ID:r9V7LvXH丹波攻めなどがあるけど、軍功は尾張以来の柴田、秀吉その他の武将と比べてはっきりしない。
武田攻めなど信長自身が出て行く重要な戦役には必ず随行している。
佐久間追放状で功績第一位に挙げられ。
本能寺直前、天皇御前の馬揃えという重要イベントの奉行を二回も。
柴田勝家などは呼ばれてないのに急きょ帰京して参加。秀吉は参加できず悔しがっている。
織田政権内では重大なイベントだったのに違いない。
家康接待もしてるが、これも信長の超重要行事だろう。
この時点での光秀は、信長親族は別として、信長側近の官僚団を除けば家臣NO.1かも。
光秀ってなんなのかしら。
「是非もない」は「ブルータスお前もか」とは大分違うかな。
0765人間七七四年
2009/05/06(水) 22:42:19ID:A8TUpcdMその当時の織田領内の状況とかも語るに足ることだと思うんだけど。
例えば美濃の動きもなかなか面白い。安藤守就の挙兵がかなり速い反応。
稲葉良通の鎮圧もこれまた速い。
六月二日に本能寺→守就が北方城奪取→守就自刃が八日。
岐阜城も乗っ取られたりしている。
こいつら、信長、信忠の死をきちんと確認する暇があったとは思えない。
変があったという情報だけで挙兵したんじゃなかろうか?
0766人間七七四年
2009/05/06(水) 23:19:23ID:r9V7LvXHなんにもわかってない。
無能な人間だな。
0767人間七七四年
2009/05/06(水) 23:21:54ID:lqHvXs83みんなが「いずれこうなる」と思ってたんだろうな。
0768人間七七四年
2009/05/06(水) 23:24:47ID:A8TUpcdM>>765は>>764に関して返信したつもりはないよ。
スレの流れ全体について言ったので悪しからず。
興味がないならスルーして良いよ。
0769人間七七四年
2009/05/07(木) 06:54:31ID:mhMOHtsTほら、「代替わりに伴って失脚」ってのは列国歴代の重臣の不安要素だし。
不安になってたところで信長信忠が京都で・・・。
0770人間七七四年
2009/05/08(金) 15:48:26ID:Hlurts1qあー、面白い説だね。ありうるかも。
佐久間や林の末路を見てる訳だしね
0771人間七七四年
2009/05/08(金) 18:37:49ID:QNVchjdP本能寺を炎上させた後に妙覚寺−二条御所を攻めている。
信忠もターゲットなら、大軍を二手に分けても良いだろうに。
0772人間七七四年
2009/05/10(日) 18:00:54ID:D5XZkSbH「無防備な信長を見て、ついふらふらっと」
0773人間七七四年
2009/05/11(月) 00:14:14ID:mDyDE2Vr0774人間七七四年
2009/05/11(月) 14:47:22ID:6nLIQaN8本能寺の変って本当に起こった確率どのくらい?
普通に秀吉が毛利と結んで謀反。
自身の権力に正当性を持たすために
のちに信長の弔い合戦的なものを捏造。
ついでに低い身分の出自ってことも捏造。
(異例の厚遇を受けた者が謀反はしないだろうという刷り込み)
当時の情報網がどの程度か知らないけど
信長本人と周辺(地理的、人的に)を封じてしまえば
後でどうにでもなるかな?
無知だけどこれから色々知りたいので土台の部分から教えてほしい。
0775人間七七四年
2009/05/11(月) 15:42:18ID:i+8UkPpUお前は無知なんじゃなくて、変な洗脳を受けているんだと思う。
あんな大事件を捏造なんて出来ないって。何万人がかかわってると思ってるんだ。
0776人間七七四年
2009/05/11(月) 16:16:37ID:6nLIQaN8あんたの言う通りだよ
ガタガタ言う前に
まずは素直に物事を見る姿勢をやしなうよ
0777人間七七四年
2009/05/30(土) 18:52:30ID:rEqSiNFWバンクーバー五輪を目指すフィギュアスケート男子の織田信成(22)=関大=
が、6月1日に一族の宿命の地、本能寺(京都市中京区)に参拝することが29日、分かった。
くしくも先祖にあたる戦国武将、織田信長が自刃した「本能寺の変」は天正10年6月2日(西暦では1582年6月21日)。
同寺で「信長公忌」が行われる先祖の“命日”を前に手を合わせ、五輪シーズンへと出陣する。
http://www.sanspo.com/sports/news/090530/spm0905300505000-n1.htm
勝負の前にそこにおまいりしちゃいかんだろ。
0778人間七七四年
2009/05/31(日) 09:13:17ID:yaNqlZUrだよねw行くなら熱田神宮だと思うけど。
0779人間七七四年
2009/06/02(火) 02:46:47ID:KDEcN//20780人間七七四年
2009/06/02(火) 05:29:35ID:+IU3cYXA0781人間七七四年
2009/06/27(土) 15:03:54ID:qaqwMPfu六チンの乱を語る
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1246072639/l50
0782人間七七四年
2009/09/14(月) 16:52:59ID:OIg1fzWF0783人間七七四年
2009/09/24(木) 09:45:14ID:93u6L2P+0784人間七七四年
2009/09/24(木) 12:22:57ID:ZIDRgB64桐野作人・井沢元彦・加来耕三あたりも
以前は朝廷黒幕説支持だったのに
現在は単独犯説(というか史実通り支持)へ転向している。
最初は思いつきでテキトーなこといっていたけど
調べているうちにムリありすぎなのに気づいたんじゃないの。
0785人間七七四年
2009/09/24(木) 19:48:47ID:jLY08cHI0786人間七七四年
2009/09/24(木) 20:57:17ID:A17PSF79変のとき安土城を守ってたのが蒲生氏郷とか書いてて
話にならない(正しくはその父、賢秀)。
その程度の知識で本なんか出すなってんだ。
0787人間七七四年
2009/09/25(金) 03:57:30ID:sjIcMD/s朝廷(=帝)が黒幕だろ
現代の作家が所見を変節しようがしまいが、変の真相は一つ
そんな事はどうでもいい
だいたい彼らが考えを変えたら、脳死同然で彼らに同調する輩は、己の空脳ぶりを恥じろ
どう見ても朝廷以外あり得ないんだよ、光秀謀反の背景は
0788人間七七四年
2009/09/25(金) 04:25:36ID:sjIcMD/s>>28
マトモな専門家で、そんな寝言を世間に公表している人物は皆無だよ。それは君の創作。
>>30
>現実問題から言って、信長が皇位を簒奪しようなんて考えはなかったと断言できる
>朝廷黒幕説がおかしいのは、どんな一級資料を読んでも信長と朝廷の関係は良好、としか読めないことだ
おいおい、これ読んでくれ。
http://www.nobunaga-lab.com/labo/05_seisaku/05-02_gaikou/05-02-01_choutei/joui.html
あっさり低級な虚飾が引っぺがされたな。
そもそも『一級資料』につぶさに目を通した専門家が、君のような意見を表明していない事自体、
君が根拠としている『一級資料』とやらが、実態のない幻想にすぎないって事だよ。
0789人間七七四年
2009/09/25(金) 06:47:24ID:jf8bRqDhそのページ、間違いだらけでどこから突っ込めばよいのやら…。
0790人間七七四年
2009/09/25(金) 09:13:41ID:KOAhpwmd朝廷が光秀とどうやって連絡を取ってたの?
謀反を起こせるタイミングとか、かなり希少だと思うけど。
0791人間七七四年
2009/09/25(金) 11:02:32ID:Sw/9WX72朝廷の指図うけなくちゃならないんだ
0792人間七七四年
2009/09/25(金) 11:11:27ID:T489/zDC0793人間七七四年
2009/09/25(金) 13:45:24ID:RaAorUd3貴重な燃料だからいいじゃん。
久々に本能寺板のぞいたけど、徹底考察スレ落ちたのね。
>>788
三年前のレスに亀レス乙。
まず、本能寺の変自体、@信長親子が丸腰で上洛A方面軍が遠方で展開中B明智軍団が京都周辺で公然と
軍事行動可能C@〜Bは信長自身の意思で実現、という偶然の条件下で発生したもの。
朝廷がどうやってこの条件を陰謀で作出できるんだ?
次に、朝廷が黒幕ならば、変後なぜ光秀は積極的に朝廷とコンタクトを取っていないんだ?「兼見卿記別本」でも
光秀は対朝廷外交は消極的にしか見えないんだが。
0794人間七七四年
2009/09/25(金) 21:22:09ID:ptFKaw/n黒幕は不確定要素まで意のままに操るって定義でもあるのか?
黒幕否定な考えには同調するが、黒幕否定者って反証方法が破綻してんだよね。
0795人間七七四年
2009/09/25(金) 22:22:02ID:J/qBdSd0>>793に加えて、小屋懸スルー、吉田兼見と「謀叛の存分」について
語ったと記されてることとか。
謀略論者は都合の悪いことは無視してるだけ。
もう一度鈴藤本でも読んでこい。
0796人間七七四年
2009/09/26(土) 10:42:38ID:CjJcpbpl誠仁親王一家は巻き添えで殺されてるよな。
せっかく信忠が親王一家を解放してくれたのに
輿の一つも用意しないで徒歩で親王一家を立ち退かせる不敬野郎光秀。
0798人間七七四年
2009/09/26(土) 22:59:46ID:YrkQLMIJあるいは巻き添えにするはず。
朝廷黒幕(他の黒幕もそうだが)説は先に結論ありきだから
それがわからない。
0799人間七七四年
2009/09/27(日) 09:29:38ID:jeVJ73Fm公武対立史観の論者の多くは朝廷黒幕説をバカにしている件。
「織田信長と朝廷が対立していたことと、朝廷が本能寺の変に関与したかどうかは
まったく別個に論じなければならない問題である。
つーか、明智光秀の単独謀叛でどっか説明のつかないところある?」by今谷明
0800人間七七四年
2009/09/27(日) 13:22:09ID:vmTEHkJaつまり、どこにもケチつける部分がないってことか。
君さ〜、苦し紛れの強弁なのが透け透けに透けて見えるぞ。
それなら、修正してみせろよw
ま、無理かw
加えて、君の主張の根拠となるURLを出してみなよ。
あ〜あ、あっさり撃沈だな。プッw
>>790
その論法だと、信長は光秀とどうやって連絡を取ってたの?という疑問も成り立つわな。
君さ、当時の連絡手段くらい小学生でも知ってるよ。
だから、その謀反を起こせる千載一遇の希少なタイミングを、
どうにかして信長を消したいと思っている連中が逃すわけないだろって話だ。
>>791
嘘はいかんよ、君〜w
そんな史実はない。
>>792
論理的に反駁できない低能クン特有の痴文w
0801人間七七四年
2009/09/27(日) 13:23:26ID:vmTEHkJaその問いは>>790と同じだ。
だから、その謀反を起こせる千載一遇の希少なタイミングを、
どうにかして信長を消したいと思っている連中が逃すわけないだろって話だ。
それに変後、光秀と朝廷は密接にコンタクトをとってるぞ。
都合が悪いと、歴史の捏造かいw
>>795
面白い!
ではその「朝廷黒幕説の反証」とやらを列挙してもらおうじゃないか。
さぁ、やってくれw
>>796
光秀が襲ったのは、信忠の宿所の妙覚寺であって、親王のいる二条御所ではない。
嘘つきは泥棒の始まりw
>>798
その論法だと、
家康が豊臣家を軽んじたら秀忠は秀頼を人質に、あるいは巻き添えにするはず。
という仮定も成立するわなw
バッカじゃないのw
朝廷黒幕説否定論者こそ、「先に結論ありき」だろうに。
>>799
君さ、バカで定評の今谷明の論評を参照しているようでは話にもならんぞよw
その証左がこれw
>織田信長と朝廷が対立していたことと、朝廷が本能寺の変に関与したかどうかは
まったく別個に論じなければならない問題である
信長の朝廷への数々の圧迫により、天正十年当時、朝廷にとって信長は不気味を通り越して、
もはや危険な存在でしかなかった事は、史実を鑑みればバカでもわかる。
ま、君がバカを下回る爬虫類並みの知能しかないっていうのなら話は別だがw
0802人間七七四年
2009/09/27(日) 13:34:38ID:vmTEHkJa>信長自身の意思で実現、という偶然の条件下で発生したもの。朝廷がどうやってこの条件を陰謀で作出できるんだ?
君さぁ、信長の越前攻めの際の、浅井の反逆も知らんのか。
信長の越前進攻は「信長自身の意思で実現」し、その「偶然の条件下」で浅井は見事に織田軍を背後から急襲してるじゃないか。
光秀の本能寺急襲も本質は同じ。
当時の武将(無論朝廷も)にとって、変化する状況に柔軟に対応する臨機応変さは常識。
現代に生きる凡人の発想で、戦国時代を論じちゃ世間に恥をさらすだけw
0803人間七七四年
2009/09/27(日) 14:36:33ID:dxLg3bs4このURLの批判だな?
http://www.nobunaga-lab.com/labo/05_seisaku/05-02_gaikou/05-02-01_choutei/joui.html
正親町天皇の譲位は、この記事に書いている通り朝廷(天皇家)の希望だろ?
なんで天皇が望む譲位を信長が「迫る」って変な論法になるんだ?
信長が天皇を超越する存在を望んだというのもおかしい。
信長は右大臣を辞任する際に、広橋右中弁・匂当内侍宛てに辞任理由を述べているが、共通する
辞任理由は「信忠の顕官起用」。
すなわち、信長は自分の後継者信忠にさらなる官位体系への組み込みを希望したってことだ。
五宮猶子の件も荒唐無稽。(この記事で誠仁親王=五宮としている点は大間違い)
信長の皇位簒奪のシナリオを考える上で、近似する事例に足利義満方式があり、義満は猶子である皇族に親王宣下
している。
しかし、五宮は親王宣下されていない。むろんお親王宣下の準備の形跡すらない。
また、自分の子女を入内させるという方法(摂関政治方式)もあるが、信長はそのような方法を取った形跡がない。
史実では徳川秀忠が和子を入内させているから、不可能といえない方法なのにだ。
今谷説について
氏は朝廷関与説を否定する論拠として、>>795「謀反の存念」の記述を挙げている。
光秀が朝廷の為に働いたのならば、勅使でもある吉田の日記に「謀反」という用語が使用されるのは不自然
すぐる。この記述は改ざん前の「別本」の記載なので、改ざん後の「正本」よりはるかに史料価値は高い。
0804人間七七四年
2009/09/27(日) 16:56:24ID:jeVJ73Fm>嘘つきは泥棒の始まりw
よくそんな空気を吐くように嘘がつけるなあ。
信忠が妙覚寺から二条御所へ移り、親王一家が乗り物も用意してもらえないで立ち退いて
その後に光秀が二条御所を襲ったことなら幾らでも証言があるんだが。
大田牛一『信長公記』
三位中将信忠、此の由きかせられ、信長と御一手に御なり候はんとおぼしめされ、
妙覚寺を出でさせられ候ところ、村井春長軒父子三人走り向かひ、三位中将信忠へ
申し上げ候趣、本能寺は早落去仕り、御殿も焼け落ち候。定めて是れへ取り懸け
申すべく候間、二条新御所は御構へよく候。御楯籠り然るべしと申す。これに依りて
直ちに二条へ御取り入り、三位中将信忠、御錠には、軍の巷となるべく候間、親王様、
若宮様、禁中へ御成り然るべきの由、仰せられ、心ならずも、御暇請なされ、内裏へ
入れ奉り、ここにてせん議区なり。
吉田兼見『兼見卿記別本』
三位中将二条之御殿〔親王御方御座也〕、此御所ヘ引入、即以諸勢押入、三位中将生害。
・・・(中略)・・・
最中親王御方・宮・館女中被出御殿、上ノ御所ヘ御成、新在家之邊ヨリ、紹巴荷輿ヲ参セ、御乗輿云々。
0805人間七七四年
2009/09/27(日) 16:57:38ID:jeVJ73Fmグルになって嘘をついたのですかそうですか
フロイス『日本史』
すでに都では、しだいに事件が明らかになり、駆けつけた数名の殿は内部に入ることを
望んだが、兵士たちが街路を占拠していたので、それが叶わず、嗣子の邸宅に向かって
引き返していった。彼がこの報告に接した時には、まだ寝床の中にいたが、急遽起き上り、
宿舎にしていたその寺院は安全でなかったので、駆けつけた武士たちとともに、近くに
住んでいた内裏の息子の邸に避難した。その邸は、天下において、安土についで比べる
ものがないほど美しく豪華であり、信長が三、四年前に建築し、内裏の世子を住まわせる
ために彼に与えたものであった。
・・・(中略)・・・
明智は、殿下に対しては何もしようと思っておらず、ただちに同所から出られるが良いと
思う。ただし、信長の息、城介殿が逃亡することがあってはならぬから、馬や駕籠で出る
ことがないように、と答えた。内裏の息子はこの報告に接すると、その女たちとともに
彼の父の邸に入るため上京に向かった。
江村専斎『老人雑話』
城介殿移らる、陽光院殿は禁中へ御のきあり、烏丸の方の門より出させ給ふに、肩輿も
無ければ、人の背に負て往く。
0806人間七七四年
2009/09/27(日) 16:59:32ID:jeVJ73Fm>そんな史実はない。
へえ〜
当時のお公家さんは史実にない嘘を日記に書いたんだね。
山科言経『言経卿記』
(六月四日)
一、禁中徘徊了
一、洛中騒動不斜
勧修寺晴豊『日々記』
(六月四日/秀吉が戻ってくる前)
者共のけ、禁中小屋懸いよいよ正体無き事也。
(六月十五日/秀吉が戻ってきた後)
はやはや小屋共のけ申し候。
0807人間七七四年
2009/09/27(日) 17:10:01ID:6smDXUIdこいつは「先に結論ありき」だから相手にする価値もない。
小屋懸の件のように、都合の悪い事実はなかったことにするか
無視するかなんだから話にならない。
ここで謀略説に共通する5つの点を挙げておこうか。
1、黒幕とされる人物や集団が、いつどのようにして光秀と
接触したのか説明がない。
2、実行時期の見通しと、機密漏洩の防止策への説明がない。
3、光秀が謀叛に同意しても、重臣たちへの説得をどうしたのかの
説明がない。
4、黒幕たちが、事件の前も後も、光秀の謀叛を具体的に支援して
いないことへの説明がない。
5、決定的なことは、裏付け史料がまったくない。
1に関して言えば、もし誰かが光秀に声をかけたとしても、光秀が
それに同意するとは限らない。もし断られたらどうするのか。
信長に注進されて1巻の終わり。
これを「天皇の命令だから従うはず」なんて言ったら笑い物も
いいとこだぞ。
天皇にそんな権力があったら南北朝の動乱なんて起こってない。
0808人間七七四年
2009/09/27(日) 18:03:01ID:6smDXUIdじゃあなんでそれが学者、研究者間の定説にならないんだ?
この説を主張してる学者の名前をひとりでも挙げてみろ。
あ、立花京子は除外な。あれはイエズス会主犯説だから。
0809人間七七四年
2009/09/27(日) 18:37:32ID:CMXtp6Al『一級資料』につぶさに目を通した専門家
なんているのか? 近年は素人の本でしか見ることがないが。
0810人間七七四年
2009/09/27(日) 19:36:18ID:6smDXUIdそれが信忠の命取りになった。
のちに近衛はこのことが理由かは不明だが京を出奔している。
このバカはこのこともなかったことにするんだな。
この一件が朝廷黒幕説の論拠の一つになっているのに、
このバカはそれを否定するわけだ。
朝廷黒幕説を主張しているくせにその論拠を否定すると
いう愚かさ。
「あったことをなかったことにしない」と成立しないんだよ
朝廷黒幕説なんて。
0811人間七七四年
2009/09/27(日) 20:33:40ID:YceUQJOA>今谷説について
>氏は朝廷関与説を否定する論拠として、>>795「謀反の存念」の記述を挙げている。
あれあれ?雑談したのは 『謀反の 存 分 』の筈だけど
資料の改竄とは酷い話だ・・・。
>「謀反」という用語が使用されるのは不自然
この辺は現代人の言葉の使い方と異なる。
後醍醐天皇の謀反も『主上御謀叛』と公家が書き残している。
仮に「謀反の存分」が謀反の非関与に繋がるものならば、
吉田兼見はあえてこの記事を削除する必要はなかったわけだし。
どうも辻褄の合わない反証だね。
0812人間七七四年
2009/09/29(火) 01:26:50ID:gpzj8KNa周辺武将への説得工作とかに使うだろ
細川に「お前の息子の為」とか哀願するだけより
「朝廷の後ろ盾もある」「公方の命令」「本願寺も味方」とか併記するだろ
0813人間七七四年
2009/09/29(火) 08:07:49ID:AE/sVmhr正親町帝が自ら譲位を望んだのなら、とっとと退位してる筈。
信長が天正元年十二月に譲位を要請して以来、ずっと帝位に居座り、
秀吉が関白に就任し、天皇家の威信と地位が安泰となった天正十四年にやっと退位。
つまり、帝には信長在世時、譲位する気など、さらさらなかったってことだ。
陳腐な嘘も史実には勝てんよ。プッw
信長が目指した政体と信忠の任官とは何の関係もない。
天皇を超える権力を目指した信長が、天皇の家臣の序列を意味する官職から離脱するのは当たり前。
それ以外に天正六年の右大臣・右大将辞職と、その後の任官拒否の理由がない。
あるなら論理的に説明してもらおうか。ま、無理だろうがw
親王とは信長が掌中に収めていた皇太子の誠仁。
五宮の親王宣下は、誠仁親王が新帝に就いてからでも十分。急ぐ必要など全くない。
それに信長が五宮を猶子としていたのはれっきとした史実。
詐欺師は破廉恥な嘘も平気のヘイサw
吉田兼和は変の前から光秀とは昵懇の間柄であり、変後光秀とは四度も面会。
朝廷と光秀の取次役を務めていた明らかな親光秀一派。
そんな兼和が日記に「謀反」と記述しただとw
「ダメ人間」にしては良く出来た三文話だなw
山崎の役以前、光秀と接近し信長打倒を容認していた朝廷が、光秀の行為の正当性を否定する訳がないだろ。常識以前の問題だ。
ま、常識ないから「ダメ人間」サイトに引っかかって大恥かいたんだけどさw
あっさり陳腐な虚飾をひっぺがされて、恥の上塗りだね。
>>804
ま〜た古文の貼り付けか。誰もが読める現代語に翻訳した文を貼り付けろよ。
そういう意味不明で無駄な愚行を性懲りもなく繰り返すから、君は「ダメ人間」なわけよ。分かる?
>村井貞勝がとりなしてくれなかったら誠仁親王一家は巻き添えで殺されてるよな
光秀が次期天皇を殺害するわけがないだろ。そもそもそんな動機がないんだからさ。
こういう馬鹿げた戯言を平気でのたまう無神経さだから「ダメ人間」なわけ。
異論あるなら、この愚言の根拠を挙げてくれよ。
ま、無理だろうがw
いかにも「ダメ人間」らしい発想だw
>>805
それ、何を証明するためのコピペだよ。
まず、そこを明確にしろ。
「ダメ人間」はいつでもどこでも「ダメ人間」だな〜w
0814人間七七四年
2009/09/29(火) 08:08:56ID:AE/sVmhr>なんで御所の難民キャンプ状態を放置したような不敬者の光秀が朝廷の指図うけなくちゃならないんだ
ほ〜、光秀は変後、朝廷と一切の連絡を絶っていたのかね。
そんな史実はどこにあるんだろうな〜
当然二条御所に隣接する近衛前久邸も消失し、近衛家からも「難民」が出たんだろうな〜w
都合が悪いと、故意に読めない古文で誤魔化す毎度のペテン。
なんで現代語に翻訳した文を貼り付けないんだ。
答え:嘘がバレるからw
アホらし。
>>807
わざわざID変えて、ミエミエの定番の自演。
バレてる自演を繰り返して、何が面白いのかね。「ダメ人間」特有の愚行だ。
しかも朝廷黒幕説に疑問を呈する設問五つが、これまた愚劣の極み。流石は「ダメ人間」。
>1、黒幕とされる人物や集団が、いつどのようにして光秀と接触したのか説明がない
光秀は家康接待の任を解かれてから本能寺襲撃に向かうまでの間、陸の孤島にいたのかね。
「ダメ人間」の底の抜けたアホさ加減には敬服するワw
>2、実行時期の見通しと、機密漏洩の防止策への説明がない
姻戚関係の細川家にさえ、信長暗殺の秘事を隠して、明智勢だけで本能寺襲撃を決行し、
立派に「機密漏洩の防止策」を施してるだろうに。
信長があの日、本能寺に宿泊していることを「何故か」光秀は知っていたからこその急襲。
見通しも糞もないんだよ。頭ダイジョウビィ〜w
ダイジョウビなら「ダメ人間」サイトに引っかかって大恥さらし、
その後自尊心回復の涙ぐましい必死の自演書き込みをし、
それを指摘されたら見苦しい逆ギレなんぞせんわな〜w
>3、光秀が謀叛に同意しても、重臣たちへの説得をどうしたのかの説明がない
朝廷黒幕説への不審点とは、なんら関係ない。
この設問の趣旨は、光秀による信長暗殺への懐疑だろうに。
あまりにアホすぎて失笑するしかない。
>4、黒幕たちが、事件の前も後も、光秀の謀叛を具体的に支援していないことへの説明がない
朝廷は信長を丸腰同然で入洛させ、変の前日は主だった公家衆勢揃いで歓待し、
変後、秀吉が畿内に戻ってくるまでは光秀と友好的に接触してるだろうに。
幼児に説明しているのと同然なので、バカバカしくなってきた。ここまで低能だと。
>5、決定的なことは、裏付け史料がまったくない
日本の首都は東京です。といったレベルの分かりきった戯言書き込むなよ。あ〜頭腐りそう。アホを相手にしてると。
君みたいな「ダメ人間」の相手をしてやっている善意を感謝してもらいたいぜ、全く。
確かな物証あれば、とっくの昔に本能寺の変の真相は解明されている。
日本国の正統なる主権者たる帝から内々に信長追討の綸言を受けて、拒否できるのかね、光秀が。
君さ、信長とその敵が勅命による講和を何度も行った史実も知らんのか。
これを「天皇の命令だから従うとは限らないはず」なんて言ったら笑い物もいいとこだぞ。
あ、メンゴメンゴ。「ダメ人間」サイトの一件で、さんざん「笑い者」にされたっけw
時代錯誤の南北朝を引き合いに出すアホさ加減は、流石「ダメ人間」。
ほんと、こんなアホに付き合ってやってるのが、マジで馬鹿馬鹿しくなってきた。
0815人間七七四年
2009/09/29(火) 08:09:44ID:AE/sVmhrでは、君の言う『学者、研究者間の定説』って何だ?
教えてたもれ。
あれまぁ〜、答えに窮して自爆。しかもターゲットの遥か手前での犬死。最低の死に様w
>>809
>『一級資料』につぶさに目を通した専門家
上記と重複するが、彼らが支持している説を教えてたもれ。
根拠を添えてな。
ここでもミエミエの自演する阿呆。
>>810
>近衛はこのことが理由かは不明だが京を出奔している。このバカはこのこともなかったことにするんだな
>朝廷黒幕説を主張しているくせにその論拠を否定するという愚かさ
私がどこでそんな趣旨の書き込みをしたのか教えてもらおうかな。
またやっちまったな。
勝手にこっちの主張を捏造してデッチ上げ、難癖つける糞所業。
「ダメ人間」の性根は骨の髄まで腐ってるな〜w
0816人間七七四年
2009/09/29(火) 08:14:15ID:AE/sVmhr【資料の改竄】は「ダメ人間」が多用する十八番中の十八番。
なんつーたって、他人が書き込んでもいない私見を捏造して難癖の材料にするのも朝飯前の下郎君だからね。
0817人間七七四年
2009/09/29(火) 09:46:09ID:oJz6llJE> 正親町帝が自ら譲位を望んだのなら、とっとと退位してる筈。
え?譲位を望んだらすぐ退位できるとか考えてるの?どれだけ馬鹿なの?
>>814
> なんで現代語に翻訳した文を貼り付けないんだ。
え?古文読めないの?どれだけ馬鹿なの?
つーかID:AE/sVmhrは中学生か何かか?
0818人間七七四年
2009/09/29(火) 09:48:19ID:AE/sVmhr君の疑問に答えてあげよう。
まず信長への殺人教唆の主犯たる帝自身、公然と信長追討の綸旨を出すわけにはいかない。
そんな愚行を犯せば、帝は足利義昭の「二の舞」になるだけ。
曲がりなりにも信長は朝廷を経済的に支援してくれた「大恩人」であり、強大な軍事力を有する大実力者。
信長が無官を貫き、無理難題を吹っかけ、執拗に譲位を迫ろうとも忍の一字を貫くしかない。
が、三職推任を拒否されて、もはやこれ以上信長を放置しておく事ができなくなった。
このまま信長を生かしておけば、朝廷(天皇家)の将来が危ういからだ。
帝が信長に反旗を翻しても、それに応じる織田諸将は一人もいない筈。
応じれば、浅井、松永、荒木の轍を踏み、自滅は明白。自殺行為だ。
それに信長は次期天皇たる皇太子の誠仁親王を自家薬籠に取り込んでおり、彼を擁立しさえすれば賊軍にはならない。
結局、正親町帝は殺されはしないが帝位は追われ、流罪刑に。
そして信長の望んだ通り、傀儡の誠仁親王が新帝に即位し、朝廷の運命は風前の灯。
よって事は極秘に為されなければならなかった。かつて足利義満を毒殺したように。
朝廷側としては、あらゆる甘言(征夷大将軍叙任)を用いて光秀を唆したであろう。
光秀としても、日本の国家元首たる帝がバックについてるからこそ、主殺しに踏み切ったのだ。
かつて信長が越前朝倉攻めを強行した時、浅井が(たぶん)足利義昭の密命で離反したように。
光秀としても、錦の御旗を掲げての信長襲撃で無い以上、織田諸将への誘降工作において帝の名を出す訳にもいかない。
そこが朝廷の上手い(狡賢い)ところで、決して自ら手を汚さない、いざという時の逃げ道はしっかり確保しておく、
これが悠久の昔から永続してきた朝廷の処世術だ。
だが、光秀を討った秀吉には信長謀殺の弱みを握られ、朝廷は唯々諾々と秀吉の意向に応じざるを得なくなっていく。
その客観的証拠が、秀吉の関白任官前の近衛家入りだ。秀吉は近衛前久の猶子となって、まんまと関白に就任した。
この近衛前久、光秀が滅んだと同時に慌てて出奔し、徳川家康までも頼って落ち延びた人物。
その前久、息子の信輔が断固拒否したにも関わらず、あっさりと秀吉の求めに応じ己の猶子に。
つまり秀吉に信長暗殺の罪の不問を条件に、秀吉の近衛家入りを承諾した訳だ。
加えて巨視的な歴史観からも、本能寺の変は朝廷の策謀だと説明できる。
中世は武家、公家、寺家ら権門が共存する「権門体制」だったのが、信長の出現で、そのパワーバランスは大きく変わった。
武家を統一する勢いの信長は厄介な寺社勢力を完全に膝下に置き、残る公家への圧伏を本格化させたとたんに「本能寺の変」だ。
偶然で片付けるには、あまりに出来すぎている。
天正十年当時、信長の最大の懸案事項は朝廷(帝)の扱いであり、朝廷としても座して死を待つわけにはいかなかった。
上杉と毛利が滅べば、信長は前代未聞のとんでもない権力を手にする事になる。
そうなったら、もはや帝とて信長の絶大な権勢には逆らいきれない。朝廷は崖っぷちだった。
だが朝廷には武力がない。だから誰かを唆して信長を討ってもらうしかない。
その二度と巡ってこない好機が、織田軍が四方に遠征しているあの時期だった。
よって信長を帝退位の決意固めるの虚報で京におびき寄せた。
信長の入京は馬揃え以来一年と数ヶ月ぶりであり、明確な目的があっての在京だったのは自明。
0819人間七七四年
2009/09/29(火) 09:59:13ID:AE/sVmhrでは帝が自ら退位を決意し、それが実現するまで、どのくらいの月日を要するのか、
その理由は何なのか説明してもらおうじゃないか。
また墓穴掘っちゃったね。プッw
そういう君自身古文読めないじゃんw
そういうのを、天に唾する行為。て言うんだよ、坊や。
自分が出来ない分際で、よう他人を誹謗できるもんだ。
実社会では、古文なんて読めなくっても何の不都合もないって事、
「ダメ人間」のオツムでは理解しがたい現実なんだろうな〜w
0820人間七七四年
2009/09/29(火) 10:34:11ID:F6j2U0RO公武対立論自体は朝尾・藤木・今谷・池・立花ら研究者が提唱している(していた)説で、君の論もそれに
立脚したものだろう。
ただ、公武対立論と本能寺の変の黒幕が誰かは別問題なのは分かるよね?
つまり、君の論は公武対立の根拠になりえても、「 なぜ光秀が信長暗殺の朝廷の教唆に乗ったか 」の
説明が全くない。
君の論法だと、荒木謀反の黒幕も朝廷だっていう説も成立するんじゃね?
0821人間七七四年
2009/09/29(火) 12:48:12ID:AE/sVmhr>なぜ光秀が信長暗殺の朝廷の教唆に乗ったか
帝が日本国の正統な主権者だから。
天正十年当時、信長を消したいと思っている連中は沢山いたが、もはや信長との実力差は明白であり、
彼らに光秀を動かせるほどの力も権威もないし、そんな無力な連中の誘いに乗るほど、光秀は阿呆ではない。
光秀には天下取りの野心はない。それは細川家懐柔のため書き記した情けない哀願の書面で明白。
なのに、光秀は信長を討った。織田家で大出世を果たし、織田家に娘を嫁がせて姻戚関係を築いていたのにだ。
となれば、そんな事情を打ち消してしまう程の大物に唆されたと見るのが妥当だろう。
では信長を除いて光秀を動かせる程の大物といえば、該当者はただ一人、時の帝の正親町天皇しかいない。
簡単な理屈だ。
類似の事例が過去にある。浅井長政の裏切りだ。
信長の義兄弟であり、関係も良好だった長政が、敢えて将来有望な信長を裏切った理由は何か。
それは今急襲すれば信長を討てる環境にあり、加えて裏切りの後ろめたさを払拭する要因があったからだ。
それこそが足利義昭の密命であり、信長の越前朝倉攻めの大義名分と同様、自らの行為を正当化できたからだ。
分かったら、素直に私の見解を受け入れなさい。
>君の論法だと、荒木謀反の黒幕も朝廷だっていう説も成立するんじゃね?
それを牽強付会という。
その理屈だと、義昭も信玄も謙信も比叡山も本願寺も松永も毛利も、信長の全て敵の背後には朝廷がいたって話になる。
0822人間七七四年
2009/09/29(火) 23:05:12ID:28gHZhga0823人間七七四年
2009/09/30(水) 00:19:54ID:rfe2o2gW>光秀としても、日本の国家元首たる帝がバックについてるからこそ、主殺しに踏み切ったのだ。
朝廷(天皇)の陰謀に乗って光秀に何の得があるの?
少なくとも、光秀は織田家旧臣とドンパチやらねばならずネコの手も借りたい状況だろうに、国家主権者w
を錦の御旗にすることができないとは哀れだねぇ
0824人間七七四年
2009/09/30(水) 00:57:10ID:R4M0HucI…たぶん読めないのID:AE/sVmhrひとりだけだぞw
0825人間七七四年
2009/09/30(水) 12:14:16ID:CBTSDk5N現代語訳なんだが
0826人間七七四年
2009/10/03(土) 01:25:59ID:BvVZ3p37先行きに対する不安も勿論あっただろう
でも充分に我慢できる範囲内
愚痴とかこぼしながらも真面目にやってた
ふと状況を見たら信長の周囲ががら空き
諸将は前線で手一杯
「もしかしたら天下取れんじゃねーの」って思っちゃった
で、なんかはじけちゃったわけだ
0827人間七七四年
2009/10/03(土) 19:32:04ID:WZSUNh2zフロイスの日本史の原文はポルトガル語
0828人間七七四年
2009/10/03(土) 21:38:36ID:boEnOTQrしかしそれならなぜその後は秀吉や家康は朝廷に暗殺されなかったの?信長だけは暗殺して。
0829通りすがり
2009/10/03(土) 21:51:42ID:cLC5Bz8iやりたい事いっぱいあったろうに…涙が止まらないよ
俺は鬱病の明智が単独でやったと思ってる
ま、両者に相応しい最期の迎え方だと思う。
紅蓮の炎の中で散った希代のカリスマと道端で
落武者狩りにやられたアホ家臣。
0830人間七七四年
2009/10/03(土) 22:58:50ID:SQK4lwSe入社早々、社長の鞄持ちになり
色々なプロジェクトに若輩ながら挑戦する権利を得た
失敗もあったけど、年齢にそぐわない結果を残した
同僚・先輩から妬まれたりもしたが
異例な出世を遂げて、自信もつき
順風満帆だった
しかし、未曾有の不況の煽りを受け
会社の業績にかげりが見え始めると
高給の重役が一斉にリストラされた
「不況下では実力無いものは淘汰されるしかない」と考えた俺だが
先月、役職を解任されたうえに
給与は固定給が激減になり、この年齢で能力給とされた・・・
マイホームのローンだって20年以上残っているのに
0831人間七七四年
2009/10/03(土) 23:02:46ID:UuP0k6pt0832人間七七四年
2009/10/04(日) 00:26:57ID:pldCgCSk本能寺の変がいかに周到に謀略を駆使して遂行された信長抹殺作戦だったかをもっともらしく説明しているけれども
その結果はいともかんたんに秀吉に出し抜かれて
こてんぱんにやっつけられて手も足も出せない状態に追いやられて
太閤殿下すげええええええーっ!
てオチにしかならないことに気づいているんだろうか。
0833人間七七四年
2009/10/04(日) 01:04:05ID:47EZ+nGnでもあの時はあれが一番いい方法だと思えた
後になって冷静に考えれば問題だらけの計画なのに
その時はそれがベストな選択だと思えてしまう事ってあるよな
0834人間七七四年
2009/10/04(日) 20:37:47ID:C5ze34tv真の黒幕というのは、手足として使った人間は、知りすぎているので即刻消さねばならない、というのが常識なのさ。
光秀を使って信長を殺したら、速やかに真相が明らかにならないように光秀も消すのが当り前だろう。
それがわからない光秀がいかに阿呆か、ということだな。
更に秀吉も消せば完璧。実際、豊臣家はその後、消されてしまったしな。
朝廷がいかに凄い黒幕か、分かっていない奴が多すぎる。
0835人間七七四年
2009/10/04(日) 23:43:44ID:OVDc8ZUy0836人間七七四年
2009/10/05(月) 01:52:47ID:03FjDB9Z朝廷ってすごいなー(棒読)
0837人間七七四年
2009/10/05(月) 03:08:22ID:dbAI0Dci0838人間七七四年
2009/10/05(月) 10:31:50ID:YL5qHq4H天皇家そのものも潰れかかっているわけですね。
わかります。
0839人間七七四年
2009/10/05(月) 12:26:41ID:8b7pti/yアメリカが日本をはっきり敵視するようになったのは
満州事変以降だからここから導き出される結論は
満州事変は朝廷の陰謀だったんだよ!
板垣や石原を陰で操っていた黒幕は朝廷だ!
当然ホワイトハウスにも朝廷の手が伸びて…
ん?
そういや少し前に登場する組織が違うけれど
似たようなことを言ってクビになった幕僚長がいたな
0840人間七七四年
2009/10/05(月) 14:48:03ID:NYduEGeO0842人間七七四年
2009/10/06(火) 01:33:32ID:YCQ7ef3c0843人間七七四年
2009/10/06(火) 22:51:23ID:byYya6Vv皆さんはいかがでしょうか?って感じでわ
0844人間七七四年
2009/10/06(火) 23:38:56ID:jB9TrXgw0845人間七七四年
2009/10/07(水) 16:24:43ID:9PPDPesl坂本龍馬暗殺の薩摩藩黒幕説
はゴミ説の双璧だから。
0846人間七七四年
2009/10/07(水) 19:50:23ID:JVAco1xlヨダレ垂らしながら舐めるように下から上に上から下にな目線だたわけ
0847人間七七四年
2009/10/07(水) 20:14:28ID:qY6SipTq坂本竜馬暗殺 中岡慎太郎説大穴
本能寺の変 森蘭丸説対抗
0848人間七七四年
2009/10/09(金) 10:43:11ID:Bd5TkUi8朝廷は黒幕じゃない天幕なんだ。
その天幕を破ろうとした権力者は信長と足利義満しかいない。
0849人間七七四年
2009/10/09(金) 17:44:25ID:Emk34rqb------------------------------------------------------------------------
時系列
6月4日、未明、本能寺の変を知る。
6月6日、午後2時。毛利と和睦後、毛利勢の出方を窺う為、2日滞在した後、備中高松を出発。
同日夜、備前沼に到着。
6月7日早朝、沼を出発。約70キロ先の姫路を目指す。同日夜、姫路到着。
(ここで脱落したと思われる歩兵が追いつくのを2日待つ)
6月9日午前、姫路を出発、約35キロ先の明石を目指す。同日夜に明石に到着。
6月10日午後、姫路を出発、約20キロ先の兵庫を目指す。同日夜に到着。
6月11日未明、兵庫を出発、約25キロ先の尼崎を目指す。同日午後8時、尼崎着。
ここで、池田・高山・中川・丹羽・信孝らの合流を待つ。
6月13日、午後4時「山崎の合戦」開始。
※1938年に、旧日本軍が定めた作戦要務令では、大部隊が連日行軍する場合の標準速度を
歩兵部隊で1日24キロ、騎馬大部隊の場合は1日40〜60キロとしている。
また、秀吉隊は途中姫路で2日を過ごし脱落部隊を待っているが、それでも山崎本戦に間に合わなかった
秀吉直属部隊は結構いたようである。
0851人間七七四年
2009/10/11(日) 09:55:06ID:23UtMsZBいいじゃないか。
伸び長ぐらいしか過大評価出来るのがいないのが
日本の歴史のつまらんところだよ。
0852人間七七四年
2009/10/11(日) 10:00:23ID:Tf2guOt40853人間七七四年
2009/10/11(日) 10:09:26ID:JH58lDs6本能寺を襲撃していた軍勢が信忠軍と気付かずに信忠を討ってしまう
これが真相
0854人間七七四年
2009/10/11(日) 11:42:57ID:5DUwk7JUママのおっぱい飲んで寝ようね。
0855人間七七四年
2009/10/11(日) 11:54:17ID:38l18vyKそれはどこから出た話?
0856人間七七四年
2009/10/11(日) 22:18:55ID:gspr595W0858人間七七四年
2009/10/13(火) 08:02:05ID:OEcU0AVr切なくなるなぁ。当然、結末を知ってるだけに。
明智単独説にしても描き方は色々あるね。
0859人間七七四年
2009/10/13(火) 10:18:56ID:4TahTYuW0860人間七七四年
2009/10/14(水) 18:39:47ID:1GxYORCm片っ端から黒幕にしたてて大安売りしたせいで
謀略だの暗殺だのがずいぶん安っぽくなった。
0861人間七七四年
2009/10/14(水) 18:46:03ID:GdOiooOkこれに関する陰謀論が世界中でブームになってから。
ケネディ暗殺が陰謀ならこのへんも陰謀なんじゃね?と言う安易な企画ネタ。
0862人間七七四年
2009/10/17(土) 05:39:20ID:17yxvawm光秀があっけなく秀吉に討ち取られたのが陰謀論が多いわけだ。
下克上なんか戦国時代の名物だろ。
0863人間七七四年
2009/10/19(月) 02:15:22ID:RR8SwAq7戦国時代の最大の出来事が本能寺の変だな。狂気の天才信長の出現と、その信長を葬り
去った光秀の謀反!
後、全ての歴史はここで大きく変化したわけだから・・・・本能寺の変がなかったら
江戸幕府もなく、首都東京も明治維新もなかったわけだ。光秀の存在は日本人や現代人
に大きく影響を与えたのだね。
秀吉も家康も、信長、光秀から比べたら単なる継ぎ足しに過ぎないね。
光秀と本能寺の変がなかったら、今の自分さえも存在してないと思える。
0864人間七七四年
2009/10/19(月) 02:33:29ID:a4JG0ZnGキミと似たようなのが生まれてもそれは、「違う歴史空間に生まれたキミに似た人」にしか過ぎないし。
0865人間七七四年
2009/10/19(月) 03:30:02ID:mGXAGjxL>狂気の天才
どの辺が? 朝廷を潰そうとしたと一部の人が主張してることか?
0866人間七七四年
2009/10/21(水) 17:26:55ID:O2+GWH4d山崎の時は柳ヶ瀬峠にいたそうだが、ということは東近江路通るつもりだったということか。
遠回りじゃないかな?
どちらにしろ近江の各城は蒲生以外は明智に押さえられてるから、
それ落としながらではまず厳しいところだっただろうけど。
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