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関東の被差別部落 その2

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2007/11/15(木) 14:50:15ID:IkmS2YvQ0
F:神奈川の部落ですとね、さっき、ちょっと時宗の話をしたんですけれども、
  かなり近世以前にも、いわゆる部落とされている地域というのに時宗の
  つながりが出てくるように思うんですけれども、だいたい神奈川の場合には、
  日蓮宗の部落と時宗の部落というふうに分けられると思うんですね。
  そうしますと、先程の一遍上人云々という話も、荒唐無稽ではないんじゃないかと
  こう思えるんですけれども、いったい現在神奈川で部落とされている地域というのが、
  いつごろからそういう集落を形成してきたのかということについては、
  宗教的な背景というのはあるんでしょうか。

A:差別される集団の形成につきましては、
  宗教の教団ないしは信仰が背景にあると思われてきますところの
  もろもろの伝承があったとしましても、
  それらがすべて信用できるかどうかにつきまして、
  十分にこれを吟味してよいのではないでしょうか。

0002名無しさん@お腹いっぱい。2007/11/15(木) 14:52:04ID:IkmS2YvQ0
K:A先生、日蓮宗が神奈川の部落に多いのはどうしてですか。

A:富士を中心として拡がっています日蓮宗門の教圏を考えます時、この圏内に、
  神奈川(相模)だけでなく、山梨(甲斐)も含まれてくるのです。
  こういった日蓮宗徒と被差別部落とが、結合しているものと考えてみても良いと思われます。
  同じことが、千葉(下総・安房)につきましても考えられるでしょう。

K:富士を、というのは富士山を?

A:そうなのです。富士とは、富士山です。
  この山を中心とします。富士山を身延と言いかえてみてもよいのです。
  つまり、日蓮の廟が、その地にあります。
  そこの身延山久遠寺を中心としてみてもよいでしょう。
  房総半島、つまり安房国は日蓮の誕生の地です。その出生地であります小湊に育ち、
  仏門に入って仏道を修業しましたところが、清澄山上の寺です。
  当時から、この寺は真言系の寺院でありましたが、近年になりまして、日蓮宗に改宗したのであります。
  この日蓮が、佐渡島に流刑が確定する頃に、日蓮自身の出自(系譜)につきまして、
  下賤(センダーラ)の者という意味の表現をしていますね、このことは日蓮遺文(御書)の書かれてあります。
  
0003名無しさん@お腹いっぱい。2007/11/15(木) 16:41:22ID:MWJS7k0SO
新潟の日蓮宗は?我が家はそうなんだが。
0004フォウ・ムラサメ2007/11/15(木) 17:54:45ID:U+zI8bzP0
四ツ
0005名無しさん@お腹いっぱい。2007/11/15(木) 18:06:21ID:hAiOIF8D0
>>3
関東じゃないよ
0006名無しさん@お腹いっぱい。2007/11/15(木) 18:06:51ID:Xhh+90MsO
藤沢に時宗の本山があって、近くに白山もある。
あと、埼玉北部の部落には時宗の寺が多い。
0007名無しさん@お腹いっぱい。2007/11/15(木) 23:06:06ID:WHE0gY32O
茨城県は被差別部落が県西 県南に多いんです。宗派は時宗がやはり多い。過半数はいってるかな。次は真宗。
となると、白山信仰と念仏僧の関係も面白そう。
0008名無しさん@お腹いっぱい。2007/11/15(木) 23:24:17ID:RgNZi34dO
しかも串かよ
情けねえ奴だw
0009名無しさん@お腹いっぱい。2007/11/16(金) 01:16:25ID:qXHn/0H/O
ク埼玉ンコ県ウン秩父・ウ○コ玉は多数の部落地区あり
0010名無しさん@お腹いっぱい。2007/11/17(土) 02:55:38ID:X/DBNEHF0
横浜住んで思ったね

なんでこんなに被差別部落多いんだろうと

宇都宮に住んでた時もそれらしい地区はあったけど
別に大して香ばしい感じもしない、ただの何もない田舎だよ

神奈川のB地区の人間の質の悪さや障害者の多さは異常だと思う
0011名無しさん@お腹いっぱい。2007/11/17(土) 06:31:59ID:GAFLCIImO
横浜聞くね、確かに。もともとただの漁村だよな、横浜村。幕末からだろ?どういう経緯で形成されたんじゃろ?
0012名無しさん@お腹いっぱい。2007/11/23(金) 12:38:55ID:n/Zu23wT0
千葉県は全国的にみても、被差別部落は圧倒的少数である(550万県民のうち3500人程度)。
いきおい、部落解放運動も弱く、社会問題としての部落問題は軽視されてきた。
しかし、部落差別の厳しさは同じである。  

戦前、千葉県で唯一水平社が結成され、最も古い同和行政の歴史を持つS宿町。
この町でおこった「S宿小学校移転問題差別事件」はタテマエのもとで渦巻く
差別意識を象徴的にあらわす事件であったといえよう。

S宿町は、利根川と江戸川に囲まれ三角形の形をなし、千葉県の西北端にあり、
茨城・埼玉・東京に隣接している。
現在は鉄道も有していないこともあって主要な産業はないが、
首都圏の地価上昇にともなって急激にベッドタウン化しつつある。
ここも含めた千葉県北部のいわゆる「下総」の地は、800年前後には大和朝廷の勢力下に入るのだが、
それまでは利根川は大和族とアイヌ族の決戦場であった、といわれる。
「利根」とはアイヌ語で「荒れる」という意味だそうだ。

このS宿町における被差別部落の起源については、十分な資料の裏付けをもった研究はされていない。
ただし、統合される前のS宿町、ニK村、K間ヵ瀬村のひとつずつに部落がある。
旧ニK村、K間ヵ瀬村の二つの部落については、『部落問題・水平社運動資料集成』(三一書房)によれば、
「利根川改修工事の際、埼玉県より移住」した被差別部落民が定住したという説がある。
しかし旧S宿町については史料がない。今回、S宿小事件の舞台となったのは、この旧S宿町である。(続く)
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