>>556

>教学の話をしなかったら出てこないといってるのに、ばかだね。

M野講師、また出てきて見苦しい言い訳してみたら?

信後の報謝について述べられた「仏法の為には、身命をも捨て、財宝をも惜しむべからず」を、
確信犯的に信前の者に対して「どんな犠牲を払え」と「求道の心構え」に曲解、 ネジマゲ解釈した
高森会長の罪はきわめて重い。

でも、親鸞会会員にとっては意外とすんなり入っていく教えかもしれない。

それは、会報(絶版)などに出ていた、釈尊の過去世本生譚(ジャータカ)における、
雪山童子や求法太子とかの聖道門的なを思い出すからかも。

浄土門でも、「心がたどる動き」は雪山童子や求法太子などと同じだ、
とか先輩は強弁してたけどどうなんだろうね。

雪山童子も求法太子の話もどうせ大沼さんの本あたりからパクったんだろうけどね。

特に求法太子の話は、家族との恩愛を断ち切って高森会長を信じて命を預け、
専任講師を志望した人は、必ず心に深くとどめているんだろうね。

これ↓
「私は今日まで過去無量劫の間、幾千万の生死をくり返してきた。しかも、そのいずれの時も、欲の為に死に、
怒りの為に死に、愚痴の為に命を捨ててきた。未だ、法の為に命を捧げたことは一度もなかった。
その為に、長い間苦しみを受け続け、一日として安らかな時はなかったのだ。
 然るに今、私は真実の法の為に、命を捨てる絶好の機会を得た。
今度こそ、真実の法の為に死なせてはくれないか」

最後の2行ぐらいは高森会長のオリジナル作文ではないかと思っている。
そして持名鈔のあの部分を見てこりゃイイ!って目を輝かせたとw