50年前まで『山窩(サンカ)』とかいう独自の言語を使って山を渡り歩く謎の民族が日本に居たらしい これ半分ケンモジだろ [959542443]
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>>426
俺らが想像する、農閑期だけ土方仕事しに出稼ぎするようなのは明治以降だね
江戸時代の道路普請は基本地元の農家が徴発されたり、納税の代わりに道路普請や伝馬してた層がやるから、冬のバイト的な仕事がないのよ
杜氏みたいな職人や行商は別だけど ( ゚Д゚)「昔はたくさんいたんだよ」
(´・ω・)「何が起きたんだい?共産政権を目指す山奥ソムリエのおいらは語る」
( ゚Д゚)「自動車文化は逆にさ、地域の小さなネットワークを破壊して都市と田舎を結び付けた」
(´・ω・)「隅っこで楽しく暮らしてる人たちを殺したんだね。殺人政党の自民党」
( ゚Д゚)「そう。なんにでもランキングがつけて他人を笑うようになった」
(´・ω・)「殺人の自民党らしいね」
( ゚Д゚)「あいつら自民党がいるから日本がだめになるんだ」
昭和の30年代に消えたらしいけど
まだ最後の世代
親の話を聞いてる子や孫の世代はいるはず
聞き取りをするなら最後のチャンスくらいじゃないか
あと10年もすれば第1世代はもう消えてるだろう
>>432
昔は木がとんでもなく価値があったから、山の人間の方が金持ちとか普通にあったし開発もされてたのよ
今でもすごい山奥にお城みたいな屋敷を構えてる家がそれ
ただそれでも山で生きていた人はたくさんいたのよ サンカは実在したよ
ただし世間に広まってるサンカ伝説はいわゆる第一人者がねつ造しまくったっていうだけ
>>15だけどメッチャレスついててビビるわ
和歌山出身の40代半ば
ガキの頃過ぎて季節は覚えてないけど、河原で遊ぶのは初夏から秋にかけての頃で1ヶ月もないぐらいな
学校には来てなかったけど、兄はやたらと頭が良かった記憶がある。妹の記憶は全く無い >>431
生活が違えば生活の中で必要になる名詞も変わってくるからな >>15
ハシケじゃないかな
小学生の頃に仲良くなった男の子がそれだった
何度か船に遊びに行ったけど、その子の母親に「もうここにはきたらだめよ」とやんわり言われ、その時に茶色い角砂糖もらった記憶がある
その子は学校に通ってなくて、少ししたら船ごとどこかに移動してもう出会うことはなくなった
元気にしてるかな?昭和20年頃だったから生きてたら80歳は超えているはず 黒部の山賊って本が、サンカではないけどサンカ的な生活してた人の話だから興味ある人は読んでみるといいかも
実際は山賊ではないし、麓に家も家族もいる人たちだけど、年単位で山で生活してた人の話が載ってる
サンカ的な人も、実際はこの山賊みたいな生活してた人がおおかったんじゃないかな
>>443
昔は水上生活してる貧困層が普通にいた
ってブラタモリでタモリが言ってた >>236
追いやられたっていうのはおかしい
むしろ隼人とか蝦夷は中央に集団移住させられたりしてる
地方の方が古い文化が残っているとかいうのも眉唾で未だに蝸牛考あたりの古い周圏論的な考え方に囚われてて、実際には関西にも古い文化は残っていたりする >>445
いや猟師言葉はまた別だよ
もちろんそういう普通の日本語に無い言葉とかもあるが
ある言葉でも別の呼び方をする >>1
昔は戦に負けた平家とか新田とかが散所に閉じ込められたんだ
被差別部落のことだよ 前に沖浦和光っていう人が書いた「幻の漂泊民・サンカ」って本読んだけど
三角寛とかのフィクションによるイメージがついた部分が大きいってちゃんと記述しながらも
本当に山窩ってのがいたのかどうかを少ない資料とか探し回って自分で調査してて面白かったぞ
>>315
山岳ガイド、猟友会、山小屋管理
色々だね。 >>443
戦後から昭和中期くらいまでは船上生活者結構いたらしいけど法規制されて消えたってなんかで読んだな。
60代70代くらいの文学作品とかにはわりと出てくる。船で売春してるやつとか塩運んでるおじさんとか。
こち亀にも出てきた気がする。 1950〜60年代にもうその辺の地元に溶け込んでほぼいなくなったらしいし
実際にそれっぽいの見たことあったって書き込んでる奴は何歳だよ…
>>460
船上生活者も別に貧しいって事も無かったらしいよね >>451
マジか〜考えを改めたいので、具体的に中央に残ってる文化があれば教えてほしいな うちの近所では道の街路樹の影とかで
網籠編んでる親父が作業して座ってたり
針金で何か道具を作ってる親父がいたり
とにかく歩道にいきなりいるんだよね
こういうのってユダヤ人の兵役明けのバックパッカーがやりがちだけど
うちの近所で時々見るのは
日本人のジジイだけど地下足袋履いてたりしてるし
日本人の親父だけどhoboな感じで楽しそう
ああいうのも流れ者じゃないかなって思う
>>458
なんか夢があるじゃん
この狭い島国でも戸籍を持たず狩猟や略奪をメインとした集団がいて
独自の言語体系を築いてるとかワクワクする 日本でサンカに唯一近い?
九州五家荘の落人集落でさえ、飢饉の時は、肥後藩に助け求めてたらしいし、ロマンないよなぁ
>>280
それが集団を形成して血が濃くならずに子々孫々世代を重ねて暮らしていけるのか? >>15
水上生活者とか本とか映画でしか見たことないわ
宮本常一の本とかそれこそ上がってる「泥の河」とか ケンモメンが山窩叩いててビビるわ
弱者よりなのに
より弱者を叩くお前らもまたジャップってことか
>>7
ゴッドハンドの旧石器みたいに三角のせいで
知能低いやつがお気楽に全否定するジャンルに
成り下がったのは残念。 神戸はポーアイ博の頃まで艀に住んでる人は普通にいた
その後は市営住宅に入ったんちゃうかな
単なる山型ホームレスだろ
俺が子供の頃(1970年代)にはギリ、スクラップのバスの中で生活してる人いたわ
生活保護なんて無かったんよね、昔から
>>468
五家庄は普通に里だよ
でも宮崎県の椎葉と熊本の五家庄の間の国見岳あたりはほんとに人里の気配のないエリアがあるんだよね
あの辺はなかなかロマンがある >>15
こち亀にあったな
昭和の頃の友人の家が停留してる船だったって >>70
ロマは日本の被差別集団みたいに昔は法皇の許しを得て巡礼をしていると称してさすらってた。
後に16世紀ぐらいから処罰されたり、奴隷のように軍事や労働に徴発されるようになった。
20世紀に入るとナチスドイツがユダヤ人と同じ様にに絶滅させようとした。 独自の言語ってのも知的障害に由来していた可能性が大きい
サンカというのは山の中で移動する遊牧民
今の日本には遊牧民がいないが、海外には遊牧民がいる
ぶっちゃけ山には生活していけるほどの食物は無い
めちゃくちゃ寒いし
盗賊でもやらなきゃ流浪はほぼ無理
50年前までいたとかいうなら、資料残って無さ過ぎだろ
水上生活者は残ってるのに
>>321
うちのオカン広島出身だったけど
怒ると「お前はほいとじゃ」とよく言ってたわ
そういう意味だったのか >>485
横浜あたりの水上生活者は会社員だからな
社宅として船の居住部分が使われてた感じ >>446
ハシゲさんと関係あったりするのかな
いろいろ妄想が膨らむな >>488
艀と書く
大型船が着岸しないで荷物の積み下ろしするのに岸壁と船を往復して荷物を運ぶ動力の無い輸送船のこと >>461
山賊ってのは、里の人たちの噂でそう呼ばれていただけで
実際は猟師や釣り師で山の民みたいな人たちだったからね。 >>486
東北の福島だけどほいどって言われてたな乞食やホームレスを指して >>490
テンカラなんてのもそういう人たちの釣法なのかなと思ったりする >>483
牛や羊や馬とかなんて飼ってないしどこが遊牧民だよ >>483
頭悪そう
他国に「走った」百姓が歓迎されるのに何いってんの?
ゾゥとするほどノータリン白痴しかいないな
そもそも明治の植林までほとんどハゲ山
生い茂ってるところはほぼ藩の禁足地
なのにどこにどう存在し得るのかと
そもそもサンカの記述なんて戦後の白痴ボンクラが書いた記述が一番多い、そして本当に僅かに明治に出てくる(的が浜くらい)レベルなのに、まともな頭してるまともな人間からすれば失笑モンという
逃散った百姓でも歓迎され、賤民扱いのエッタ非人なんて「独占業務」があるのに逃げるとしたら犯罪者
江戸の与力以下の捜査力舐めすぎから全く知らん&明治の植林さえも知らない間抜けの妄想に21世紀にもなって踊らされてるってもう死んだ方がいいよ馬鹿すぎでしょ >>482
お前が知的障害抱えてるようにしか見えないわ…w
エッタや非人どころか全ての職業に訛りや独特の言葉あるし、江戸時代なんかその最盛期もいいとこなのにその発想がもう「戦後の白痴ノータリン」そのものという >>435
ここの馬鹿達の言う「昔の船上生活者」だのがどう考えても明治中頃からの極々一時期と言う間抜けさ
江戸時代はどうしてたって?
地域の年寄だのが100%許さない オッペケ Sr11-YVOl
なんやこの知的障害?
>>477
割とそれが正解よ
もし存在したとしても極めて稀に存在した明治の貧困スラムの一形態に過ぎない
現代のごく稀にいるであろう車中ホームレス見て100年後の人間が「2020年前後の人間は車が家だった!」みたいな統失レベルの妄想よ
サンカなんてGONだのの自称アングラ系のアホ本見てきた層しか信じてないんだよね
戦後生まれの糞レベルの学者で稀にいるかもだが、まっ、馬鹿のご挨拶だね >>498
そのしょーもないレス見て思わない?
圧倒的にガイジ超えの白痴が自分自身ってさ?笑
0.0000001ミリでも反論してみろよ腐れノータリン白痴よ 笑
コンドーム破れたせいで生まれた感じがするよお前 笑 30年くらい前までは公園や街中でホームレスのおっちゃん達をしょっちゅう見たから生まれる前の時代ならそんな人もいたのかもしれんなぁくらいには思えるな
>>490
てっきりヒャッハー的な存在やと思ってたわ 江戸期における与力における捜査力というのがいかほどのものなのか
ちょっと気になるんだけど、なんか文献とかある?
https://i.imgur.com/EjZniql.jpg
まぁこんな明治の賤民番付に等しいもん含めて「庶民の賤民視」の中でサンカみたいなもんは入ってるの見たこともなく
もっと極レアで神秘的なんですよ的なものたとえあったとしても異人見つけたら宿に押し掛けるレベルの好奇心の持ち主達がほっとくはずもなく、実在すれば噂話与太話が残らないはずもなく
で、ここのサンカ信じてる白痴はほうかい屋とかわかるのかな?笑
少なくともこの番付の前頭上位まではほぼ江戸期のエッタ非人の支配下だけど 実態は現代のホームレスと同じで後天的にサンカになるじょ
>>504
与力は警察署長的なもんだけどな
それでも家老や騎士陣にはない捜査上の特権もあったわけで
ま、それくらい知っとかないと「存在しえないサンカ」信じちゃうよなぁ 笑
江戸期のエッタ非人でも知ってるわけで 笑 >>504
岡っ引はいわゆる被差別民だったとは聞くね
鳥取、島根のチョウリンボウ拷問専門の警察も被差別民
鳥取県警本部に拷問用具が残ってる サンカは三角寛の小説だと数時間で新宿から小仏峠まで走りきったりするからなあ
これソース読んだけど可愛そうというか職員ヤバいだろ
>>510
警察権者を被差別民ってのも笑えるけどな
まぁ今のポリへの見方と変わらん程度だろう
喜田の言うようにエタ非人なんてコンビニにたむろする土方を見るレベルだったのに煽られて黒人奴隷レベルに扱われるようになってるのが笑える 今時珍しいくらい質の高いスレだな
こう言う話題はアフィも食いつかないし久しぶりに嫌儲の底力を見た
>>513
そいつしらんが八王子なんてそもそも極めて重要な土地なのにエタ非人の支配下でもない輩がウロウロできると思ってそうで馬鹿じゃん
サンカ自体で白痴の自己紹介してくれてるけど中学程度の教育受けてないんじゃないのその人? サンカより三角寛の怪人ぶりのほうが興味深いわ
柳田が死んでから絡むのとか嫌儲イズムすら感じる
今ソース読んだが「サンカの末裔」ってのがもう「ムー」レベルの間抜けさで…笑
まだムーの方がマシかもねいろいろと 笑
ああ、この三角寛とかいうドボンクラがサンカの与太話の発祥みたいなもんなのね
角袖の刑事=デカみたいな造語が山ほどできてる明治+江戸期を全く知らない層というオチ
そしてやっぱり的が浜 笑
続けてwikipedia山窩を見るも、共感性羞恥心感じるレベルでお寒い 笑
>箕を生産することでも知られ
笑
江戸時代に箕の99.9999%を作ってたのが誰かさえ知ってりゃもう論破なのになぁ
白痴しかいねえなほんと
>>240
そこらへん単一民族国家神話と絡まって言語学より政治的スタンスの問題になってくるから糞
琉球語非日本語論者でも八重山や宮古語を琉球語方言にくくるかくくらないかとかあるし 三角寛って人の創作によるものとされてる部分がかなりあって
昔サンカについて調べると唯一の出典がこいつだけってかなりあった
あったかどうか別として水木しげるみたいなもんだと思ったら納得できた
先住民やで
彼らこそほんまの『日本人』。
ルーツは渡来人との戦争に負けて山に追いやられた縄文人の子孫。
歴代の日本政権に服従せず、伝統的縄文テリトリーである『山』『森』を住処とする。
『サンカ文字』という独自の文字を持つ(神代文字の起源)。
米国で言う『インディアン』やな
なんか関東でも奥多摩だの秩父だのの
関東山地にはかなり最近まで居住実態があったとか言ってるけど
ここ十年程度だが昔から所沢狭山入間地域に根ざして居る人と縁ができてからは
所謂部落差別的な実態はあったってのは経験談から聞いてみるにわかるんだけどサンカなんて聞いた事もねえよ
もう80になる婆様が小さい頃はあそこの川の向こうは
昔部落だったから容易に近づくなみたいな話を小さい頃にされて
実際村社会で実態としてあったってのは聞いた
そっから推測するに狭山事件とかの背景も浮かび上がってくるから
歴史的に何かしら交差する部分を見つける事ができるんだけど
おとぎ話的な山を住処にしてて箕を作るのを生業にしてて云々なんてまるで聞いた事もない
それまでは直接その地域の人間との交流がなかったから
サンカとかウィキペディアで見てそんなんあったんか程度に感じてたけど
創作だって最近検証されるようになってきたら
ああ水木しげるの妖怪みたいなもんかって思っておとぎ話程度のものって感覚になったしな
>>1
サンカではなくただの部落やろ
>>509
与力は室町時代の足軽頭、江戸時代の同心頭
署長ではないし騎士などいない
武士は時代小説のネタ いわゆる修験僧だの山賊だのって
局所的にごく限られた範囲でその時代時代で生活拠点としていたのは居た事はあるだろうが
民俗学的に全く異質の民族が山を中心に存在していて
しかも最近まで存在していて急に消えたみたいなのってほぼ眉唾
アイヌや琉球王国みたいにいちいち検証するまでもなく
多数の文化や痕跡や資料が残っているのならともかく
洞窟に根ざして工芸品を作って里の民と交流し
あえて山にこもって生活することを選んだって適当に作ったお話としか思えん
ソース読んだら糞胸糞記事だった
東松山糞すぎるだろ
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