広島の実家がサンカと取引があったが
物々交換や棚田の石垣修理などの農業土木をやって米を山村農家から受け取っていた
独自の言語云々は聞いたことが無い

田舎に出入りしていたサンカは2グループあって
1グループは飢饉の際に山に逃げ込んだ逃散農民の子孫で
もう一グループは石見銀山など中国地方で盛んだった鉱山からの逃亡人夫と
鉱山町の逃亡女郎が山に逃げ込んだグループだった

どっちも広島市内での戦後復興の日雇い仕事需要が増えたあたりで消えた