50年前まで『山窩(サンカ)』とかいう独自の言語を使って山を渡り歩く謎の民族が日本に居たらしい これ半分ケンモジだろ [959542443]
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>>26
50年前100年前のことですらあやふやなのに1000年後の奴らが安倍のことなんか知る訳ない >>370
エタヒニンは天皇制と関係してるから神道でしょ
仏教には差別思想はない >>375
天皇制が仏教から切り離されたのは明治以降でしょ 今でも日本でハングルという謎言語使ってるケンモメンという存在がいるんだが
>>15
晴海のあれが沖浦光則みたいな名前の学者の本で読んだ家船だと思ってワクワクしたけど違った >>15
この書き込みもだがこれについてるレスも面白い
つかさらっと宮本輝が出てくるのがすげえ 友達がお婆さんに子供の頃なにしてたのかを聞いたら、山から山を駆け回ってたみたいな事を言われたらしい
親方さんは○○○にいるとも話してたんだとよ
昔は寺単位のコミュニティで管理されてて、生れ在所以外に移動はできなかったから、逃亡農民は都市に逃げて無宿人になるか山に逃げてサンカ的な生活してたんだよ
終戦直後位まではこういう人がわりといたとか年寄りは言ってるな
だから別に謎文字や謎言葉を使ってた訳ではなく、単に季節で移動してたそういう事情の人達なんだよ
200年ぐらいたったら「こどおじ」っていう家の民みたいなのも珍獣扱いされそう
>>148
幅広い意味ではマタギや川漁師、水上民、竹細工、砂金とりなんかをして
一般の社会生活なんかから離れた生活を送る人たちがサンカなんだろうけど
サンカっていう共通の文化を持つ集団が全国的にいたかというとそんなわけじゃないということなんだろうな
中にはサンカを自認する人もいれば本人達にそんな意識はないけど生活様式が行政用語や警察用語でいうサンカに当てはまる人はたくさん居ただろう
今でもサンカ的な生活をしてる人はいるだろうけど
現代だと何らかの労働して生産性のある人生を送ると
戸籍と住民票もって健康保険みたいな行政サービス受けたり選挙権とかの国民としての権利の行使や納税や教育なんかの義務を果たして国家の枠組みにハマらざるを得ないし
ホームレスみたいなのは居ても純粋な漂白民と言うのは存在が難しいんじゃないの 日本の民俗学とかいう明確なソースもない妄想垂れ流しの典型例みたいな三角寛の小説設定
>>340
淡々と複数視点の定義を書いているだけで
エンターテイメントにはなってないと思うぞ >>343
知能指数本当低そうで笑えない
日本を常に神格化してないと気が狂うのか >>392
サンカとかをやたらを否定したがる人は何が目的なのかと思ってたけどネトウヨだとわかったのですっきりした 文系学問は政治的傾向が強いよな
国体を否定するような事実は仮に研究結果として明確に証明されていても黙殺、あるいは捏造が状態化
もはや学問とは言えん
>>108
関所が張り巡らされてたらそうだが実際にはそうでもないだろ だってかさ地蔵のお爺さんだって冬は何もできないから町に行って不器用ながら作ってみた笠を売りに行ったんだろ?
>>401
昔の農民は出稼ぎの概念がないから、農閑期は縄を編んだり蓑笠作ったりして生活費稼いでたんだよ
笠地蔵のじーさんは別にサンカ的な生活してたわけじゃなくありふれた農民だよ 三角寛の雑司が谷の家が料亭になってたんだが2019年に建て替えのため閉店してた
>>108
そもそものめちゃくそ厳しい関所のイメージが嘘だし 秋田の阿仁マタギは冬になると山梨の甲斐駒まで出張してた記録が残ってる
サンカとは違うんだが謎のカルト的な集団
使用中止になったトンネルに洗濯機まで持ち込んで複数家族で住み着いた連中なら居たな
警察の追い出されてトンネルの入り口は完全に塞がれる事になったが
彼らは何だったのか今でもわからない
発電機持っていたり移動の車あったり燃料買っていたり生活は円ベース
日本語も通じているが子供は学校に通っていない謎の集団
>>15
大阪市大正区とかは昭和の時代そんな感じやったらしいな こいつら普通に日本語喋れて里で物々交換や商売やったりしてたらしいじゃん
公園にテント張って住む一族がいた!っていうのと変わらんw
よくある伝奇ものエロゲと思ってたら山窩が絡んでたことがあった
出来としてはしょうもなかった
>>233
農業には労働者が必要なので二男三男は貴重な奴隷 昔は五木寛之を読んで山窩に憧れたものだがほとんど嘘だったんだよなあ
三角寛の創作小説みたいなもんだろ
ウメガイだって伝聞とかレプリカだけで実物が残ってないんだし
>>15
普通に興味深い話しだな
ジジモメンの年齢は? >>419
その割には凄く家族内での風当たり強い描写多い気がする
貴重な奴隷ってまた解釈に困る言葉だなw >>410
https://www.e-stat.go.jp/dbview?sid=0003023837
不就学学齢児童生徒調査って統計があって1年以上居所不明者数ってのが326人もいるんだよな
この子たちの親がどんな人なのか気になるよな >>403
北国農民の出稼ぎって近代以降のものなのか?
確かに江戸時代までは農民の移動の自由は制限されてただろうな
それも幕末には相当怪しくなってたろうけど そういや昔は色々な人がいたよな
全国を旅してるサーカス団とか旅芸人の一座とか
そういう人たち見なくなったけどどうなったんだろうな
広島の実家がサンカと取引があったが
物々交換や棚田の石垣修理などの農業土木をやって米を山村農家から受け取っていた
独自の言語云々は聞いたことが無い
田舎に出入りしていたサンカは2グループあって
1グループは飢饉の際に山に逃げ込んだ逃散農民の子孫で
もう一グループは石見銀山など中国地方で盛んだった鉱山からの逃亡人夫と
鉱山町の逃亡女郎が山に逃げ込んだグループだった
どっちも広島市内での戦後復興の日雇い仕事需要が増えたあたりで消えた
>>426
昔は北海道あたりに出稼ぎに行ってた
江戸時代は藩の中でやりくりじゃない >>332
全くメリットはなくても存在した猟師言葉とかもあるからなあ >>426
俺らが想像する、農閑期だけ土方仕事しに出稼ぎするようなのは明治以降だね
江戸時代の道路普請は基本地元の農家が徴発されたり、納税の代わりに道路普請や伝馬してた層がやるから、冬のバイト的な仕事がないのよ
杜氏みたいな職人や行商は別だけど ( ゚Д゚)「昔はたくさんいたんだよ」
(´・ω・)「何が起きたんだい?共産政権を目指す山奥ソムリエのおいらは語る」
( ゚Д゚)「自動車文化は逆にさ、地域の小さなネットワークを破壊して都市と田舎を結び付けた」
(´・ω・)「隅っこで楽しく暮らしてる人たちを殺したんだね。殺人政党の自民党」
( ゚Д゚)「そう。なんにでもランキングがつけて他人を笑うようになった」
(´・ω・)「殺人の自民党らしいね」
( ゚Д゚)「あいつら自民党がいるから日本がだめになるんだ」
昭和の30年代に消えたらしいけど
まだ最後の世代
親の話を聞いてる子や孫の世代はいるはず
聞き取りをするなら最後のチャンスくらいじゃないか
あと10年もすれば第1世代はもう消えてるだろう
>>432
昔は木がとんでもなく価値があったから、山の人間の方が金持ちとか普通にあったし開発もされてたのよ
今でもすごい山奥にお城みたいな屋敷を構えてる家がそれ
ただそれでも山で生きていた人はたくさんいたのよ サンカは実在したよ
ただし世間に広まってるサンカ伝説はいわゆる第一人者がねつ造しまくったっていうだけ
>>15だけどメッチャレスついててビビるわ
和歌山出身の40代半ば
ガキの頃過ぎて季節は覚えてないけど、河原で遊ぶのは初夏から秋にかけての頃で1ヶ月もないぐらいな
学校には来てなかったけど、兄はやたらと頭が良かった記憶がある。妹の記憶は全く無い >>431
生活が違えば生活の中で必要になる名詞も変わってくるからな >>15
ハシケじゃないかな
小学生の頃に仲良くなった男の子がそれだった
何度か船に遊びに行ったけど、その子の母親に「もうここにはきたらだめよ」とやんわり言われ、その時に茶色い角砂糖もらった記憶がある
その子は学校に通ってなくて、少ししたら船ごとどこかに移動してもう出会うことはなくなった
元気にしてるかな?昭和20年頃だったから生きてたら80歳は超えているはず 黒部の山賊って本が、サンカではないけどサンカ的な生活してた人の話だから興味ある人は読んでみるといいかも
実際は山賊ではないし、麓に家も家族もいる人たちだけど、年単位で山で生活してた人の話が載ってる
サンカ的な人も、実際はこの山賊みたいな生活してた人がおおかったんじゃないかな
>>443
昔は水上生活してる貧困層が普通にいた
ってブラタモリでタモリが言ってた >>236
追いやられたっていうのはおかしい
むしろ隼人とか蝦夷は中央に集団移住させられたりしてる
地方の方が古い文化が残っているとかいうのも眉唾で未だに蝸牛考あたりの古い周圏論的な考え方に囚われてて、実際には関西にも古い文化は残っていたりする >>445
いや猟師言葉はまた別だよ
もちろんそういう普通の日本語に無い言葉とかもあるが
ある言葉でも別の呼び方をする >>1
昔は戦に負けた平家とか新田とかが散所に閉じ込められたんだ
被差別部落のことだよ 前に沖浦和光っていう人が書いた「幻の漂泊民・サンカ」って本読んだけど
三角寛とかのフィクションによるイメージがついた部分が大きいってちゃんと記述しながらも
本当に山窩ってのがいたのかどうかを少ない資料とか探し回って自分で調査してて面白かったぞ
>>315
山岳ガイド、猟友会、山小屋管理
色々だね。 >>443
戦後から昭和中期くらいまでは船上生活者結構いたらしいけど法規制されて消えたってなんかで読んだな。
60代70代くらいの文学作品とかにはわりと出てくる。船で売春してるやつとか塩運んでるおじさんとか。
こち亀にも出てきた気がする。 1950〜60年代にもうその辺の地元に溶け込んでほぼいなくなったらしいし
実際にそれっぽいの見たことあったって書き込んでる奴は何歳だよ…
>>460
船上生活者も別に貧しいって事も無かったらしいよね >>451
マジか〜考えを改めたいので、具体的に中央に残ってる文化があれば教えてほしいな うちの近所では道の街路樹の影とかで
網籠編んでる親父が作業して座ってたり
針金で何か道具を作ってる親父がいたり
とにかく歩道にいきなりいるんだよね
こういうのってユダヤ人の兵役明けのバックパッカーがやりがちだけど
うちの近所で時々見るのは
日本人のジジイだけど地下足袋履いてたりしてるし
日本人の親父だけどhoboな感じで楽しそう
ああいうのも流れ者じゃないかなって思う
>>458
なんか夢があるじゃん
この狭い島国でも戸籍を持たず狩猟や略奪をメインとした集団がいて
独自の言語体系を築いてるとかワクワクする 日本でサンカに唯一近い?
九州五家荘の落人集落でさえ、飢饉の時は、肥後藩に助け求めてたらしいし、ロマンないよなぁ
>>280
それが集団を形成して血が濃くならずに子々孫々世代を重ねて暮らしていけるのか? >>15
水上生活者とか本とか映画でしか見たことないわ
宮本常一の本とかそれこそ上がってる「泥の河」とか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています