瀬戸内海の水上生活者を家船というが、沖浦は彼らを村上水軍の残党の末裔か?と位置づけていたな
俺の地元の島嶼部の被差別部落はそこにまつられた神社や伝承から、その可能性は高いと思っている
それで島嶼部や沿岸に定住しなかったものが家船となったのではないか?
彼らは昭和60年ころまでは瀬戸内海ではあたりまえにいて、港に止めた船から子どもたちが学校に通っていた
大分県出身の曽祖父まで家船で生活していたと言う知人から話を聞いたこともある