50年前まで『山窩(サンカ)』とかいう独自の言語を使って山を渡り歩く謎の民族が日本に居たらしい これ半分ケンモジだろ [959542443]
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大陸半島の反乱から逃げてきて日本に馴染めなかった人達とかじゃないの?
>>205
さんかは百姓の次男や三男が食い扶持がないから山で生活してたんだろ >>221
総合研究大 生命科学研究科 遺伝学専攻教授を兼任する国立遺伝学研究所 集団遺伝研究部門の斎藤成也教授、東大大学院 医学系研究科 人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授、東大大学院 理学系研究科・理学部の尾本惠市名誉教授らの研究グループによる研究では
弥生以降の渡来人の分布は北部九州に始まるそうな >>220
戦争で中央が占領されて、負けた側が外側に追いやられていくんだよ
なので沖縄と東北あたりにかつての日本の文化が色濃く残っていると言われている おっ久々の山窩スレか
前回はここ見たぞ
お前ら「サンカ」っていう戸籍を持たない放浪民族が日本にいたって知ってるか
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1600694970/ >>231
そもそも日本は方言の範囲が広すぎる
薩摩や奄美もヨーロッパ基準だと外国語にあたる
>>228
単純に定住化・社会化なんて人類の歴史からしたら最近のことなのに
それ以前を想像できる感性がなくなってんだよね
私有地ガーとかアホでしかない
法の以前の問題なのに 山ってすぐに顔の周りをスズメバチがブンブンしてきてビクビクしながら歩いた
何が面白いの?
いわゆる「サンカ」って言われる人たちは天保の大飢饉で流民化した人たちが
主たる存在なんじゃないか、って説があるけど
当時行政が把握してる人口が一気にむちゃくちゃ減ってるようだから
亡くなった人が7割8割だとしても数十万が流民化してそのまんま世代を重ねる
ってパターンもあり得るだろうな
つうか大塩平八郎の乱→その理由が天保の大飢饉→サンカに興味が行く
みたいな流れか?
>>225
泥棒を生業にしてたというよりは
村の生活が厳しくなると村人が総出で他の村に盗みにいく習慣みたいなのがあった
昔なら珍しくもなかったんじゃないかな >>225
今だってジンガリとかいるだろ
山賊とか人身売買も含めて >>232
大和朝廷系の日本人が大陸や半島から渡ってきた人でしょ? >>235
近いから血が濃くなるわけじゃないぞ
弥生人の血は都会で有利だから近畿で大きく広がった
www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/page/7200/ >>227
月山の山の上に神社を作ったりミイラを作ったりしていたのも
修験者といえば修験者なので
そう考えると紀元前から確実にいたよな
それも天狗の様な鼻をしていたり
多神教を広めたりしているのは
アイヌ人というよりインド人や古代ユダヤ人がやってきて
布教していた感じだよな >>131
むしろそいつらがいつから度々熊野に逃げ込む奴がいたんだぞ
山岳信仰は下手したら仏教伝来並みに古い 独自の言語と言うか方言だろ
俺らにとって東北弁が別言語に聞こえるのと同じ
>>250
大陸から渡ってきたら日本語なんて生まれねーでしょ >>233
むしろ今は消えちゃった水上生活者の山エディション。
朝日だけに差別物語に仕立ててやがる。ほんと気色悪い。死ねばいいのに。
東松山を攻め立てる気らしいけど、松山一帯は普通に右なのよな。
四国とか四国近傍の旧家の出の者なら一応知ってるよ「サンカ」とやらを。
サンカは「最後の一人」とやらに至る以前は、
むしろ自分達のテリトリーに侵入してきた人を殺してたでしょ。
そういう事だよ。 >>252
都会で有利?戦争で渡来人が縄文人を駆逐して塗り替えただけじゃないの? 今日、嫌儲で一番平均年齢高いスレ
>>247
初詣行ったらそんなおっさんがオカンジンしてたのギリギリ覚えてる世代、でもほぼ忘れてるわ
この言葉も差別用語なんだろうけど
昔はそういうの身近にいたんだけどなぁ
ほんといなくなったな >>131
熊野神社の出来た時期とか全国に分社が多い事とか考えると相当昔からかなりの人数が全国にいたと思うぞ >>258
もちろんそれもあるだろうけど
それだけだと関西に弥生人が圧倒的に多い理由が説明できない
多分、弥生人は集団生活が得意なんだろう >>252
鬼界カルデラのアカホヤ火山灰の分布見れば一旦九州から関東近くまで人が住めなくなったっぽいからな
そこに入り込んだのが弥生系渡来人ってだけでしょ >>262
人は住めないが渡来人は住めたとかどんな妄想だよw 大学生の頃話題の書籍ってことで読んだけど
アホだったんでよくわからないまま放置
50年ほど前なら中国の食人文化を語った方が現実的だわ
>>261
その当時にそこに住んでいた縄文人をほとんど殺すか島流ししてたりして >>262
鬼界カルデラは7300年前
弥生人の流入は2400年前
かなり違う、多分弥生人は春秋戦国関連だろう
遺伝子的には東北、九州が縄文で
関西が弥生 >>261
関西に多いのは琵琶湖があり稲作に適してる土地だからだよ
始め弥生人は九州を中心に生活してたが阿蘇の噴火で稲作に不向きな土地だとわかって
どんどん近畿に移住してきた >>270
動物殺すのがマタギ。
人間殺すのがサンカ。(野人て呼んでたけど) >>259
オカンジンって北関東の呼び方じゃないのか?
瀬戸内あたりはほいととかへんどって呼ぶんじゃないか? アイヌ>>>沖縄>本土ジャップの順番に遺伝子は近いらしいが
言語はアイヌ語≠日本語・琉球語なんだよな
この辺が謎でありロマンである
2071年
50年前まで「ケンモメン」という独自の言語を使ってネットを渡り歩く謎の民族が日本に居たらしい
>>261
狩猟採取のマタギより農業をやってる百姓連中のほうが人口は爆発的に増えるだろ >>54
北海道だが逃げ出した中国人強制連行被害者が戦後も10年以上誰にも見つからず暮らせてたんだし
大昔ならあり得る話やろ >>265
自然環境が回復してきたころに渡来人が入り込んだってのがそんなにおかしいか? >>276
畿内に渡来人が来て分断されたってことじゃないかな? >>276
多分、縄文人は狩猟民族だから集団生活に向いていない可能性がある >>276
九州北部から弥生人が侵入して
九州南部と本州のグループに別れた
九州の縄文系は鹿児島や琉球へ逃れ、
本州の縄文人も弥生人が入植すると次第に東北へ追いやられていった >>276
中央を駆逐されて外側に追いやられたからだよ >>257
行政批判の記事は行政調査新聞というとこの引用であって朝日関係ないだろ 江戸時代に食うものないから新田開発しまくったせいで
それまで誰も住んでない山の奥まで集落ができる
当たり前だけど便利なところは中世までに人が住んで田畑作ってるので
不便で猫の額ほどの人里離れた僻地にそういうのができる
これも当然だけど自分の土地がもともとあった人は便利な土地にいればいいわけなので
そういう不便な僻地は貧乏人が行く
すると山の中に貧乏集落が点在するようになる
作物だけ育てても厳しいから売る用に山菜取ったり草鞋作ったりする
山の中だけで生活完結できないし定期的に外の血が交じらないとダメなのでちょくちょく里に下りる
じゃあ里の人は「うわ、山の中の貧乏人!えんがちょ!」するから差別される
買い物はともかく嫁もそういう貧乏僻地からもらわざるを得ず余計差別される
こんなイメージ
でもドングリ食べてた時代に春秋戦国時代って
凄いよな
>>284-287
マジかー んじゃ結構長い時間かけて移動したんだな >>16
狩猟をしたり鍛治や木工(お椀とか作る人)やってたのが山窩なんでねーの?
定住しないで移動しながら生活してるので
そういうわけで、昭和初期くらいまできちんとした戸籍がない人とかいた
独自言語使ってたみたいな話は聞いたことないな >>15
うちはその人達にアレイ提供してた家だから、
言い伝え残ってる。
水軍生活のまま昭和に至っちゃった人たち。
もとは孤島の島民だったりしたけど、船暮らしの方がいいって事で群れた。
日本語は通じたし、船の中から子供は登校して、
親は仲仕や塩とか運ぶ荷役やってたんだって。
ほんと朝日って気色悪い。 >>295
その割には古代史にあんまり痕跡無いよな
アイヌと本格的にぶつかるのも東北に手を出し始めた平安時代初期なわけだし 山窩と呼ばれた人たちがいたことと、山窩について話をいろいろ盛ったのは別のことだからな
>>290
放火魔が「サンカ」に触ってることに変りは無い。
怖いわ、ほんと。 >>302
これを混同して頭から否定したがる頭のおかしい集団が居るよな 山に住んでる人たちが冬場は人里に降りてきて経済活動に加わったとか
べつにそんな自然なことじゃないの?
縄文人=蝦夷=穢多=同和 なんじゃないかと思ってる
これが一番しっくりくる
>>304
早いとこ強制連行報じた産経新聞にも謝罪させてこいよw 独自の言語は嘘
独自の単語(ほぼ本州アイヌ語由来)は今も東北マタギが使ってる
今は登山客や観光客で賑わう北アルプスの黒部山域には
昭和まで「山賊」と呼ばれる者達がおってな・・・
>>298
追加
そのひとたちの仕事が港湾労働だから、
船で港から港へ即行けた方が好都合だったの。
親の船から子供は公立学校に通った。
元は孤島住みの冷や飯くい側の水軍の雑兵の末裔みたいなひとたち。 >>307
蝦夷俘囚説は部落解放同盟が否定的見解をだしてる >>308
なんで産経に私が関わらなきゃいけない?。
朝日の慰安婦うそ吐きがほんと、
怖かったんだから。
うちは古い家なんで慰安婦の話だってきちんと伝わってるわ。
朝鮮半島から日本にブラック就職してきた朝鮮人のことも。
嘘はきめ。死んじまいな。 瀬戸内海の水上生活者を家船というが、沖浦は彼らを村上水軍の残党の末裔か?と位置づけていたな
俺の地元の島嶼部の被差別部落はそこにまつられた神社や伝承から、その可能性は高いと思っている
それで島嶼部や沿岸に定住しなかったものが家船となったのではないか?
彼らは昭和60年ころまでは瀬戸内海ではあたりまえにいて、港に止めた船から子どもたちが学校に通っていた
大分県出身の曽祖父まで家船で生活していたと言う知人から話を聞いたこともある
ケンモジにそんな自然の中でお生きていけるような生命力はない
>>307
穢多は仏教伝来から始まった話ってのが有力なんじゃないの >>275
千葉だ
オカンジンて言葉はギョッとするものがあるんだけど、他の地域の人にはないみたいだな
瀬戸内はホイトとかヘンドでギョッとするんだろうな… 義経逃亡に付き従ってたのはこういうマツロワヌタミだったなんて聞いたな
昔嫌儲で1001のAAの雪さんがサンカという設定なのを知ってる嫌儲民は少ない
竹細工とか売ってたわけだからある程度の日本語の交渉も話せそうだけどな
これから経済終わって荒れた世になったら、サンカみたいな人が増えるかもな
>>321
オカンジンは勧進からきた言葉だろうから托鉢坊主みたいな乞食生活をそう呼んでた話が始まりなんじゃないかね >>220
琉球は古代日本語を話す南九州人が平安時代に南へ下って征服しただけ
縄文時代からの言語はアイヌだけ >>327
だろうな
歌舞伎の勧進帳を知って、「!?」てなったわ子供のころ >>317
昔は干潟に住んでる人は田船を使って陸地へ移動してたし
護岸整備とかがされるまでは渡し船もあったっていうしな
そういう意味での水上生活は珍しくなかったんでは >>320
伊勢と出雲の神社戦争で破れた出雲側神官等が被差別階級に落ちたり
南北朝の後で負けた南朝側に付いた集落や家系等が
被差別階級に落ちたなんてのもあるんで
一筋縄にはいかないんだよ >>72
さらに他地域のサンカ同士の交流なんか地理的にも不可能で、まずありえない。山間部の住民は炭やら籠細工やら砂鉄やらを平野の民に売って(物々交換して)生活してるわけで、独自の言語を持つメリットが全くない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています