◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない191◆
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0001考える名無しさん
2012/07/29(日) 10:08:49.090しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない190◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1335539972/
0048抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 02:34:04.0500049考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:34:15.000この時点で相対主義の厨房過ぎるわ。話にならん。
0050考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:34:57.380根拠が無い=楽観主義と見ているから、
全ての人は抄録にとって楽観主義なんだね。ふーん。
0051抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 02:39:50.920それはいいとしても私は真理主義だ
0053考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:42:46.040君は主観でしか物事を見ないから正確には「自分にとっての真理主義」だよね。
そんな自分にしか通用しない真理なんて他人に理解させることは出来ないよね。
君はここで何が言いたいのかな^−^
0055考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:44:51.920>それはいいとしても私は真理主義だ
真理とか掴み得ないことだという理解ができないのは消防並とは
思いませんか?
もしかして「俺真理」という解釈ですか?
それは貴方の正義にすぎないでしょう、感情論にすぎません。
0056考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:48:58.050誰かが知っているからといって、それを何故貴方が理解できる、
うぬぼれていませんか?
貴方には早過ぎるというより、自分の殻を他人に強制してませんか?
仮に!
貴方のいう「新しい道具」という類があるとすれば、馬の耳に念仏でしょう。
つまり私が知っていて詳しく説明しても貴方は100%頭から拒否するだけの
ことです。新しいものであるなら私が師匠で貴方は知識の下僕という立場で
なければ伝わるものも伝わることはおそらく困難で不可能の領域にあります。
0057考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:50:09.380こちらが何を示しても、君は主観でしか物事を見れないから納得出来る訳無いよね。
全部「それは貴方の主観だはい論破」で片付けられるからね。楽観主義っていいよね^^
0059考える名無しさん
2012/07/31(火) 02:54:17.460>哲学も数学も全部主観だろ
数学は主観ではなく【架空の方程式】です。
数学で主観なの物事の定義であり定義が数学だというのは誇張しすぎでは?
0060抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 02:55:24.920なんというかな、
例えば貴方、カントでもヴィトゲンシュタインでもいいが、
奴らの言ってることが理解できますかね?
もし理解できないとして、それは著者が悪いのか、それとも貴方の頭が悪いのか?
0061抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 03:01:15.380○○主義ってのは、それを優先する立場だ、っつー表明だろ。
感情論とか外しすぎなんだよ
0064抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 03:06:23.860そんな見え透いた御託はどーでもええねん。
しかし私は聞く耳もってる方だと自惚れてたのだが
他人様から見るとそうでもないようだな
0065抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 03:12:05.760むしろ哲学こそ知らない。
その貴方の得意そうな数学とか自然科学とか、どの程度のものか
私を鏡に試してみれば楽しいかもしれんぜ
0066考える名無しさん
2012/07/31(火) 03:17:07.1900068考える名無しさん
2012/07/31(火) 03:19:48.3500069抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 03:24:03.920まとめてかかってこいw
0070考える名無しさん
2012/07/31(火) 04:41:19.730http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3422/
0071考える名無しさん
2012/07/31(火) 05:00:11.0100072飛べないカラス
2012/07/31(火) 08:26:13.080違いますよ。しかし名無しでの発言に一貫性求めてもこちらにはわからないからレスごとに
捉えるしかないです。
>>26
唯物論なら当然何でも物質論みたいになりますね。
>>28
確率論といえば以前に確率論で決定論を否定する話題があったのですが。
どうなったのでしょうね。
>>29
何でも力なら力を物質に言い換えれば唯物論になりますか。
>>39
仮に脳の化学反応から主観を説明したとしても、それも主観です。
0073考える名無しさん
2012/07/31(火) 09:41:42.850確率論と決定論はお互いに矛盾しない
サイコロが1〜6の出目を取り得ることと次の出目が5に決定しているかもしれないことは別問題
0074考える名無しさん
2012/07/31(火) 09:54:08.780『確率論といえば不確定性原理』
という思い込みでもあるんだろうね
0075ゲーム
2012/07/31(火) 10:22:52.370いえ、私のそれは唯“力”論ではありません。
こう述べたはずである。“力”は媒介された、と。
何が“力”を『無』へと媒介したかは知るよしもない、とも。
唯○論は、まだ語りえないというのが私見である。
抄録氏の唯物論も君のそれも主/客、あるいは心/物の二元構成になっている。
君たちが主張しているそれは唯物論ではなく、ごく常識的な二元論なのである。
0076抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 10:43:28.290私もこう申し上げたはずです
重大なのは、物質(素粒子)が自発的に作動するものである、そのことだと。
そうしなければ、物質に由来して意識が開闢するのに相性が悪いでしょう。
しかし貴方はそれを頭から認めず、二元論に貶めるのに躍起なのですよ。
0077ゲーム
2012/07/31(火) 11:26:15.970何もないところに『力』があった、というのは抄録氏の意見ですか? 曲解。
“無(何もない)”について私はこういっている。「力と時空の存在しないこと
である」と。力が“無”へと媒介されて始めて“有”が発祥する。ビッグバン、
素粒子、四つの力なんぞは、まだ先のお話です。w
抄録氏はビッグバンについて一切、語っていない。ビッグバンもツールかな?
この仮説に従うなら、そのさなかには差異がなく、一個の“塊”だったらしい。
一個の“塊”から差異(粒子)を生じたのは「力関係」のなせるワザである。
抄録氏が“根源”と崇める「素粒子」もその生成期から一貫して「力関係」の
なかにある。
物質の発生の由来を問うているのではない。それが何から生成されたのであれ、
そのためには“力”を必要とする、と述べているのである。“力”なしに存在は
不可能、といってもよい。ここに反論してくれればいいのです。
つまり“力”なしに物質が存在できることを論証してくれればよろしいのです。
0078抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 11:45:09.040そのゲームさんの言う「無」ってのは全くの「虚無」ってわけじゃあなさそうですよね。
なんせそこに「力」が媒介されるわけですから。
ゲームさんによれば、そこは無なんだけれども、既に物語りは始まっているわけです。
しかし何が力を媒介するのか、それは分からない、と。
さらにその「力」は、物質の構成を規定する力ですから、「自ずからの形式を既に持っている」訳でしょう?
であるなら、そのような煩雑な物語りにする必要があるんですかね?
いきなり無から物質が生じる、ってことにしても構わんのじゃあないですか。
「力」だけが特別・無条件にそのようなものであることが許される、その妥当性がよく分からない。
カラス君の固執する「因果律」なんてのは思考にとって絶対要請されるものじゃあなく、
経験則ですよ。「力」なんていう撃鉄なしに物質が生じても論理的な不都合は起こらないでしょう。
「論理的に不可能」というのは、「その謂いが理解不可能である」ということですよ。
力なしに存在は不可能かどうか、直接には答えられませんが、変化球的に答えてみます。
0079ゲーム
2012/07/31(火) 11:48:17.070素粒子の自発性? 素粒子は“意志”をもっているということ?
前レスでもいったと思うが、ご冗談を。
素粒子はエネルギー態としてあるか、質量を持つモノとしてあるか、のどちらか。
むろん、そのような存在様態を連中が自発的に選択したのではあるまい。w
必然的に、素粒子はエネルギーやモノの“理”に規定されて振る舞うしかない。
自明の理だろう。素粒子の自発性? なんのことですか。
0080ゲーム
2012/07/31(火) 12:04:29.840「無から、いきなり物質が生じる」のですか。それは奇跡ですね。
論証してくれ、とはいわないが、無から有を生じる蓋然性を語っていただきたい。
生成や変化や運動や関係するためには、いいかえると存在するためには“力”が必要。
無が何らの媒介なしに存在へと跳躍することはない。神なら可能だろうが。w
0081抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 12:10:38.860陽子になります。
この振る舞いに外部からの「力」とかは不要でしょう。
この振る舞いに於いては、中性子は自身が中性子であることを自ら示しているわけです。
「いや、そこに作用する力が分からないだけだ」とのラビ的反論は可能なんですがw、
しかしそれを言ってどうなる?と思うわけです。
物質の振る舞いには、「作用(=力)無しに、ただ時間だけが経過することによる変化、
そういった要素が必ずあります。諸行無常ですよ。その振る舞いを理解しようとするなら、
物質の振る舞いは自発的であることをどうしても認めなければならないように思います。
全レスでアブ氏が「時間」について言及してましたでしょ。その真意は私にはさっぱり分からんのですがw
「純粋な時間経過」という「力を必要としない影響」は確かにあるように思います。
0082抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 12:19:33.750経験則としては「奇跡」のように思えますよ。因果律を破壊しているわけですから。
しかし論理的には元来、「無から有を生じる」の方が妥当なんです。
なんとなればですね、「有に有が生じる」なんてことの方がおかしいんです。
「生じる」ってことは、無いところにしか生まれないんですよ。
ニワトリは、卵の無いところに卵を産むんです。
「それはニワトリがいたからだ」って反論は、因果律を優先するならそうですが
突然にして卵が生じても、ヒトはその事態を理解できるんです。
ビッグバン理論で、「宇宙は無から生まれた」とか言われるのは、
察するに、ビッグバン的な宇宙開闢にとっては因果律が邪魔なんです。
0083考える名無しさん
2012/07/31(火) 12:26:45.2400084考える名無しさん
2012/07/31(火) 12:31:04.4600086考える名無しさん
2012/07/31(火) 15:14:20.590形而上学的な「無」の概念を、ゲ−ム氏は、「力と時空の存在しないことである」と、
述べているが、この概念は、宇宙論又、素粒子物理学にも、あてはまるものでり、
「力(エネルギ−)は、主観的領域と客観的領域を、貫徹するもの」と述べている。
「物質」を含めたすべての事象は、主観的領域と客観的領域で、力(エネルギ−)の作用
により「有から有が生じる」こともあり、又、力の媒介により「無から有が生じる」ものと考えられる。
私も、同じ考えです。
0087ゲーム
2012/07/31(火) 18:02:48.430またまた、ご冗談を。
それは中性子がモノだからである。モノはそれ自体で“力”を内在しており、
現に爆弾をつくることもできる。たとえば抄録氏を単独で放置し、他からの
作用を一切排除しても、抄録氏はモノの“理”にしたがって何かに変化する
だろう。外部からの作用がなくても、モノは変化する。それはモノが“力”を
有するから、というよりも“力の様態”だからである。
無から有へ跳躍するとき、換言すれば“無”から時空・力が生成されるとき、
その“力”は外部から媒介される。卵は無から生じたりはしない。w
0088ゲーム
2012/07/31(火) 18:19:55.290これが当スレのもう一つのテーマである。w
モノの差異は力関係(の差異)の具現だろう。一塊でもよかったのに、
なぜ差異を生じたのか。何が“力”に差異線を引き、様々を様相を
現成せしめたのか。
0089考える名無しさん
2012/07/31(火) 18:36:32.140そらあキミ、その方が安定するからよ
或るエネルギーは安定するために取り合えず陽子という形を取った
だが、陽子単体だと今度は電磁力的にバランスが取れなくなってしまった
そこでそのへんに有ったエネルギーに電子という形をとってもらった
それだけの話、単なる役割分担
0090抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 18:48:39.020モノがそれ自体でその「(どこまでも仮想的な)力」とやらを“内在”しているとするなら
モノだけで十分じゃないですか。
0091考える名無しさん
2012/07/31(火) 19:39:55.8000092抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 19:49:59.900どちらかというと明鏡止水
まだ仕事をしてないから暇なんですよ。
ちょっと遊びすぎかね。
明日には仕事が来ると思うんですが。
すまんね、相手してもらって
0093考える名無しさん
2012/07/31(火) 21:09:46.030>「一塊でも良かったのに、何故、差異を生じさせたのか。何が「力」に差異線を
引き、様々な様相を現成せしめたのか」
この「力」が主観的領域と客観的領域を貫徹するものであり、この「力」の正体が、
解れば素粒子物理分野のみではなく、哲学の「主観と客観の分離」の謎をも、解明する
こととなると考えられる。
0094Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/07/31(火) 21:33:48.620と、いうことは、MKS単位系においては、距離と質量と時間量のみが基本的
単位である。その三つの関係を考えると、距離と時間は、はじめに見たように、
密接な関係にあり、質量はまた微分的には他の二つと関係を持たない。
微分が、極小に置ける変化の様子を与えるものであることを考えれば、
距離と時間に密接な関係がありそれが変化することと、物質の質量が
変化しないことがその原因であると考えられる。時間と距離は量が考えられるが、
質は、空間にも時間にも存在しない。物質のみが質を持つ。空間と時間に量が
与えられるのは、物質の変化による。つまり、空間と時間(という概念?)を成り立たせるのは
物質であり、根源(質)が、物質である。
力によって物質が変化することを考えれば、物質の変化が力と等価であるということも
考えられ、力が根源であるとする考え方と、物質が根源であるとする考え方は、
時空との関係(関数?)で結ばれるとも考えられるのであり、両者は質の表れ方の
違いであるに過ぎないと考えるものである。
0095抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/07/31(火) 21:51:58.1200096Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/07/31(火) 21:53:34.090論理が世界を支配するのである。
0097Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/07/31(火) 22:17:34.590迫真の勝負に、少しでも盛り上げることができたら、と思わず飛び込んだ行司です。
0098考える名無しさん
2012/07/31(火) 22:50:42.3900099考える名無しさん
2012/07/31(火) 23:08:02.87O必然の概念を理解してないな!
「必然」て、玉手箱以上だぜ。
0100Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/07/31(火) 23:10:21.270可能性ではなく、不可能性が。
死についてはそれが言える。
ということは、不可能性にたいする態度を改めるべきだ。それが、信仰というような
世界に限定された話であっても。可能性と不可能性の両方が、それほどちがっては
いないということ。生あって死があり、死があって生が充実する。重要なのは、
可能性を限りなく開くことで、それを突き詰めれば不可能性も認めなければならない。
有と無は、補い合って、あるいは絡み合って存在すると思う。片方を消せば、片方が消える
(少なくとも、認識においては)。
まあ、偏見を除くといった、簡単な話に落ち着くけど。
0101考える名無しさん
2012/08/01(水) 05:33:12.580死とは言い換えれば、生きることができない状態、だ
死ぬことができないとは、生きることができる状態でしかない
義務教育からやり直した方がいいんじゃないか?
0102抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/01(水) 08:46:19.900そういったあたりに思考の軸足があるのだろう。
生きることができない(=死)事態があり、それを認めることで生もまた輝くと。
確かにその立場はありなのだが
かつて、どこかの坊さんがラジオで
死など意識せずに日々を平気で生きること、それが肝要、
などと言ってるのを聞いて、なるほどそれもありだな、と感服した覚えもある。
w
0103抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/01(水) 09:04:46.040ゲームさんは、モノに対して「力」が超越の関係にあると考えていると思ってましたが、
今度は「モノには力が内在する」とか言い出して、例の如くこちらを振り回すわけですw
超越も胡散臭いが、内在もまた便利すぎる。
しかし凡人である私にはその胡散臭さの正体は見えないわけですがw
平面幾何学に於いて、公理と公準は、そこから導出される帰結(定理とか)を全て「内在」しているだろうか。
DNAは、成長後の身体の組織、機能、生命活動を内在しているだろうか。
将来成立するだろう事態は全て過去に内在しているだろうか。
これを「内在している」とするとき、何か重大なものを見落としているように思えてならない。
w
0104ゲーム
2012/08/01(水) 09:50:25.040モノという存在者が抄録氏のいう“自発性”を持っていて、自ら静態化を選択
できるのなら、空間とモノからなる「世界」を現出しえたのではないか。
これでもなお二元的ではあるが、機械さんやカラス君のいう唯物論的(すべては
物質である)“世界”に似ていなくはない。
しかしモノは変化しつつ移動する。モノの変・移は“力”によって生じる。
“力”は流動する。その途上、それは様々な貌をみせる。その一つがモノである。
モノは“力”の一つの仮装なのだろう。
>>93
少し話をもどしますが、
伝聞によれば「初めに“無”があった。その“無”には『力』が潜勢されていた」
かのように記されている。
これは背理でしょう? この説を援用させてもらっていますが、うまく解けない。w
0105ゲーム
2012/08/01(水) 10:21:46.230リアリスト(俗物)なので、普通のことを語っているつもりです。w
ここにコップがある。本当は石くれのほうがいいのでしょうが、近くにないので。w
このコップには質量(エネルギー)がある。それを“力”と称しているだけ。
それはコッブ(石くれ)に「内在されている」というしかないでしょう。
“力”が物質を超越している、と述べたことはないと思うのだが。
「力は(たぶん)あらゆる存在者を貫徹しており、それらの変化、運動、因縁wは
力関係(の強弱)の発現である」とはいった記憶がある。
“力”が「無」へ、どのように媒介されるのか、ここが解けないと、突然、無から
卵が飛びだしたりしてしまう。w 結局、神様を招聘せざるをえなくなる。
0106考える名無しさん
2012/08/01(水) 12:30:36.550>「力」が、根源であるとする考え方と、「物質」が根源であるとする考え方は、
「質」の表れ方の、違いに過ぎない。
ここで述べている「質」とは、「質量」と違うものと思う。「質量」は、時間・空間
とは別の「有限領域」に存在するものと解釈出来る。 「力」と「物質」は、「質」の
表れ方に過ぎないと言う、この「質」とは、どの様な概念でしょうか。
0107考える名無しさん
2012/08/01(水) 13:03:52.170>「力」は、あらゆる存在者(主観的存在と客観的存在)を貫徹しており、それらの変化、
運動、因縁(縁起)は、力関係の発現である。
ここで述べている「力」とは、「モノには力が内在する」と言う概念ではなく、あらゆる存在者を
貫徹する「力」と定義している。 従って、物質に「内在」するのではなく、精神(主観的領域)と
物質(客観的領域)を貫徹する、あらゆる存在の根源として「独立」したものと、私は解釈している。
0108Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 13:39:15.160“性質”などに使われる質のつもりで、つまり、量に実体を与えるもの、というような
意味でした。“質”は、単位と同一視できるとおもうのですが、物事の根源的
性格を付与するものというような意味で使いました。その時、時間と空間は質を持たない
のでただの概念であり、“質”を持つ物質が、なにか“ある”と言えるものだと考えました。
力がその現れであって、前スレにおいて、素粒子の交換によって力が生じ、
物質を作る素粒子と力を伝える素粒子が存在する、と指摘された方の意見を
参考としました。
0109考える名無しさん
2012/08/01(水) 13:45:42.810エネルギーで良いならエネルギーと言うべきだし
別の概念あるいはエネルギーを内包する上位概念とでも主張その差異を明確にすべき
ああ、ひょっとして論破されにくい様にするために敢えて訳の分からない曖昧さにしてるのか?
哲学板なら議論に負けないことをじゃなくて真理に到達するのを目的にしろよ
0110考える名無しさん
2012/08/01(水) 13:46:18.6400111考える名無しさん
2012/08/01(水) 13:55:09.6700112Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 14:38:04.730概念と実態は違うと思うのですが、どうでしょう。たとえば、“数”の概念は、“量”の概念の
上位概念であると思いますが、数の実態(記号によって指示される現実)は必ずしも
量を含むものであるとは言い難いと。言葉の使用(文脈)と、概念と、実態という三者
を考えます。ある概念は当然他の概念とある部分を共有することもあるでしょうし、
その使用の方法が妥当でないと主張するなら、あなたの考える正しい使用を
例示するべきではないでしょうか。主張するならその差異を明確にすべきとおっしゃるのは
なんとなくわかります。しかし差異が存在しない主張どうしにおいて、差異を明確にせよ
というのはおかしいのじゃないでしょうか。あまり論戦に詳しくないため、その作法にも
詳しくないのです。しかし、妄想の否定は良くないことだと思います。否定する場合には、
相手の人格のせいにするのでなく、意見をよく見てそれを尊重して、対立意見なり
なんなりを提示するべきだと、僕は思うのですが。
0113考える名無しさん
2012/08/01(水) 15:41:48.8601が存在せず、0が数として存在することはない。
1が存在するとは、すなわち、単位が存在することである。
単位は量の概念と不可分であり、数の概念だけ存在する
ことはない。それを見誤ったことに主流の数学および
数学の哲学の根本的な欠陥がある。
0114考える名無しさん
2012/08/01(水) 15:57:28.5201つ1つを数えられることとは、すなわち、反復可能性であり、
反復可能性とは終わりが始まりとなる円運動にほからなず、
円運動=単位である。
0115ゲーム
2012/08/01(水) 16:02:05.020少し前に「何がある(存在する)のか」「どのようにあるのか」「なぜあるのか」を
問うのが当スレの意義、と壮語したことがある。w
最初の「何が?」に対してはエネルギー、時空、意識と仮の答えを提出しておいた。
当初はエネルギーのほうが力よりも包括的に思えたからだが、エネルギーは質量に
変態?する。この両者を包含する概念として“力”を使っている。
ただ“時空”をうまく説明できない。時空は“力”の形相なのか。
伝聞をもとに想像するに“無”と称しているそれは「力」と「時空」が不在らしい。
さはさりながら、エネルギー(力)が潜勢しているかのニュアンスを払拭しきれない。
では、どこに潜っているのか。「時間なき空間」ではないのか、というのが私の空想。w
いわば負(マイナス)の存在として、力は“純・空間”化されている…
むろん下手な御伽話である。もっとリアルな“無”の解説があるはず。
0116ゲーム
2012/08/01(水) 16:08:12.350そうですね。こういうべきでした。
「モノとは“力”の流動が停滞した事態」と。
0117Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 16:19:06.450数学的な解析や幾何などほとんどわからないので、はっきりしたことは言えませんが、
円運動のみが反復可能性を持つという場合、時間と空間の均質性、すなわち、距離の
様相の等価性が、反復を可能にすると思えるのです。例えば、長方形を、中心を
原点に合わせて二次元座標に置いた場合、周縁をたどれば始まりと終わりはひとつの
ルートの上にあり、元に戻ることもある。しかし、それで反復運動といえるのは現実には
存在しない。円運動を成り立たせるものが、力であるからである。保存量というものが
大切だ。保存するものが1であって、反復可能ならそこには何かが保村されている
はずである。
0118Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 16:21:53.1900119考える名無しさん
2012/08/01(水) 16:43:14.840終わりが始まりであるとは、「いま、ここ」にいることに他ならず、
保存されているのは、常に変わらない「いま、ここ」である。
0120考える名無しさん
2012/08/01(水) 18:20:28.060必然は永遠に繰り返せばいつか必ずなると説明できるものでかなりの幅がある、
仕組みのように過程や手順をた正しく成せば必ず到達する類とは違う。
つまり短期間や希望する範囲では絶対に到達しないものも必然に含まれる。
0121考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:23:38.310故に自分で得た知ではないのに自分の知と表現する、実現し自分の物と成した
知であればいいが、実現には程遠い「知っている」だけの解釈をもって表現と
成せば凡人というより愚か者である。
0122考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:33:43.0000123考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:35:24.090今日もカッコイイこと言えて満足?
0124考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:37:00.9900125考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:43:21.460その醜悪さに気付かぬ者の言葉に誰が耳を傾けようか
0126考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:46:58.830>「力」が、「無」へ、どの様に媒介されるか、ここが解けないと突然、無から卵が、飛び出したりしてしまう。
「力」が無への媒介に対しての解釈は、二通りあると思います。一つは、主観的領域(精神)と客観的領域(物質)を
貫徹する「独立」した存在としての「力」と、捉えた場合に、「無」とは「力」の作用(貫徹)していない状態。
もう一方は、物質(客観的存在)に対して「力」の流動が停滞している状態を「無」と考える。又、時間・空間の概念は、
有限界領域(主観的領域)と私は解釈している。 いずれにしてもベルクソンが考えている様に「力(エネルギ−)」を
「独立」した存在として定義すべきかどうかは、現時点では、絶対的な確信を持っている訳ではない。
0127考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:47:33.740偉そうに説教ぶっても浅薄に見えるだけだぞ
他人に説教する前に、人並みに勉強せいや
0128考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:48:15.6100129考える名無しさん
2012/08/01(水) 19:49:55.6200130考える名無しさん
2012/08/01(水) 21:25:11.6600131考える名無しさん
2012/08/01(水) 21:27:56.200これ知っておいたほうがいい
0132Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/01(水) 22:04:10.550勉強なんて手段で目的じゃない。したい人間が必要な分だけすればいいのでは?
説教と感じたなら、そういう自分に文句を言えよ。
0134考える名無しさん
2012/08/02(木) 00:32:28.810「力」とは何?
都合よく力と言葉を表すのは簡単です。
力が分かっていない奴ほど力という言葉が大好きでその定義すらできない。
0135抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/02(木) 00:45:47.430多彩に意味が成立できるので
このスレ的には向いているのかもしれぬ
0136抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/02(木) 00:58:27.810私はその話はまるで分からないのだが、しかし私見では「力を要しない」のだと思われる。
一般相対論は、重力を「空間の幾何学的性質」に解消するわけです。
なのでこのとき空間を変容させるのは「力」ではない。
空間内部の質量移動によって空間は自己的に変容する。
ここんとここのスレで多用される「無」がいかなる意味で使われているのか、
これも私にはよく分からんのだが、無が虚無ではない「一様かつ平坦な全体」としての意味なら
その無の自己的変容によって、力は内発的に発生する。そのような解釈は恐らく可能なんだろう。
まあ、ポエムなわけだがw
0137考える名無しさん
2012/08/02(木) 01:21:05.7600138抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/02(木) 01:24:50.0200139考える名無しさん
2012/08/02(木) 01:27:12.220ゆるーく行こうや
0140抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/02(木) 01:54:47.870弾性体に“外部から静的に力を加えると”弾性変形して、内部に「応力」ってのが生じる。
つまりこの場合に、内部に力が発生するためには「外部からの力」が必要ってことになる。
ところがですね、この弾性体が最初から全体に振動していたとするとするでしょ。
このときに外部からの力が無くとも内部には変動する応力が生じることになる。
つまり「運動ありきで力が生み出される」ってことも可能なわけです。
物質が自発的に運動を強制されるものであるとするなら、力は後から付いてくる。
そんな理解は可能なんじゃないか。
そんなふうに思ってるわけだね、ぼかぁ。。。
0141考える名無しさん
2012/08/02(木) 03:21:21.650>そんな理解は可能なんじゃないか。
自己組織化のような原理をもってできた仕組みは理解できるものではない
何故なら状況によって全て違う仕組みになるからである。
例えば染色体が同じ一卵性双生児の指紋が同一になるのか?
答えはならない。環境が似ていれば類似はしても環境が恐ろしく違う場合は
恐ろしく違う指紋になる。
低次元な世界の秩序が理解できても高次なそれを理解できないのは当たり前のこと
理解できるなら精神世界も科学技術で説明しなされ。
0142考える名無しさん
2012/08/02(木) 07:09:13.750http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1343843592/
1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/08/02(木) 02:53:12.32 ID:W/z5eYLW0 ?PLT(12000) ポイント特典
同じ日本人として恥ずかしいは
適当君◆tekitou/AU ★
beポイント:12000
登録日:2012-05-16
みなさん知っていますか?
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FF11は10周年を迎えます
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0143ゲーム
2012/08/02(木) 09:35:28.860また、ご冗談を。
空間を「幾何学的」に変容させる=時空を歪めるのは“質量”である。
あの先生が力(質量⇒エネルギー)抜きに宇宙(時空)を語ることはないのです。w
>>141
振動するのは、それがエネルギーを持っているから。振動は力の“発現”である。
ここでも抄録氏は、無から(力なしに)振動を惹起している。
それは神さまか手品師のなせるワザ。w
自発性と被・自発性(強制されること)の重ね合わせですか。w
どちらでいいい。喩えていうなら、抄録氏が自発的に何らかの行動に赴こうが、
強制されてそうしようが、そこには“力”の発動があるということだ。
一般的には、自発的のほうが強制されるよりも当人には、より多くの力が必要である。w
0144ゲーム
2012/08/02(木) 10:44:06.080『無』について屁理屈を弄しているのは“絶対・無”を回避したいから。
そこから卵や鳩を出現させようとすればw神さまか手品師を招くしかない。
「無が揺らいで宇宙が生まれた」という、この無は“絶対無=ゼロ”ではあるまい。
力、時空の全き不在から、神の手を借りずに、何かが生成されそうにはないからだ。
そこで、この“無”を不在(ゼロ)ではなく“負(マイナス)在”と仮称し(こじつけ)w
さらに妄想を膨らませ、そこには“時間なき空間”が「ある」とも述べた。
このあたりは支離滅裂でありwこれ以上の無駄話はやめるが、力は空間に由来する
らしい、とだけいっておく。時間が特別の意味を帯びるのは“意識”が発祥してから
ではないか。
0145抄録 ◆xOLbFG9QNU
2012/08/02(木) 10:46:58.8300146Absalom ◆owNN8RDlXo
2012/08/02(木) 17:43:29.750「絶対・無」とは、虚無というイメージでいいでしょうか。
無とは、あまりいい言葉ではないかもしれませんが(不、非との関連性を問われるため)、
0とは、それに至るのは、極限的操作によるわけです。一方、無限大も、極限的操作
による。すなわち、ゼロの周辺には、限りなくゼロに近い極小もあり、絶対のゼロの近辺に
ゼロから滑り出し易い(まさに、ゼロにおいて発散するグラフにおいては、ゼロの周辺で、極大の
変化を見せるわけです。すなわち、微分係数(グラフの傾き)が極大になる)。インフレーションが
起こるわけですが、それはこのように理論的に見やすい。すなわち、ゼロとは、虚無ではなく、
非常に動的なエネルギーであると。エネルギーの量は保存するらしいので、エネルギーのない
虚無ではなく、無とは、エネルギーを孕んだ、何がしかの世界であるのだと思います。極大
の方をみれば、宇宙の外が無であるなら、極大の大きさに宇宙が至るとすれば、極大の外が
存在しないから、宇宙の外は無であるという想像ができます。>>114氏のいうように、
反復可能性とは終わりが始まりとなる円運動であるなら、宇宙の極大の外ではゼロと
接しており、原始における極小の宇宙は極大の大きさを内に秘めており、時間が反復により、
循環するわけです。時間の始まりと終わりが同一である。
結論として、私の宇宙観では、宇宙は永遠に膨張する。
これは観測と一致しないようなので、全部おじゃんになることもあるのですが。
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