「私が私自身と同一である」ということは「私が私自身と同一である」と思っているこの瞬間にしか認識されないし、
またその一瞬だけが厳密に言えば私自身と同一である。睡眠の前後でも、はたまた一時間後でも、
若干の違いは生じている。
これは人間が自分の存在をあいまいな物に感じるのに十分な理由になりうる。
睡眠においてはこの意識が数時間に渡ってなくなるわけだから、ある意味で「今の自分」の死と捉えることも無理からぬことだろう。

ただこの「私が私自身と同一である」という考えは肉体という器の中の脳の働きの一瞬のひらめきに過ぎない。
そしてそれ以上の意味はない。死とはそのひらめきを永遠に奪うものである。しかし何を恐れることがあろうか。
逆に言えば(生物的な意味ではなく)自己にとっての生とはこの「私が私自身と同一である」というひらめきに過ぎないし、
そんなものに大きな意味を見出す必要はない。

睡眠は小さな死か?まさしくその通り。
だが気に病む必要などない。自己にとっての生とは感覚に過ぎず。肉体という器に浮かぶ泡沫のようなものでしかないのだから。