ああ、だから、脳神経学的な科学的視点で「私」を理解するのもひとつの
ものの見方であって、それが唯一のアスペクトではない。ということが
スレタイの意義なのだが。もちろん、たとえばジャーナリストの立花隆
の志向のひとつはまさにソレなのだけども。
科学的探査それ自体を方向付けている嗜好が暗黙前提になっていたりす
るし。科学的知がどこまで到達しているかは知っておくべきだが、それ
が解であるかは、知ろうとする人それぞれの思惑やアスペクトでバイアスが
かかっていることを解体するのも一興であろうかと。

ただ、停止した時間では思考が進まないのか、問題にそもそもならないのが
不思議。というのが、そもそもの出発点だったりする。