>>99
違う。 

自身を完全エミュレートできるようなコンピュータが稼働して
「私」を再現したとしても、それは第三者にとっての「私」で
あって、結局「私」は「わたしの死」を「死ぬ」しかない。

チューリング・テストとはまさに第三者の視点で「知能」の存在を
判定するだけのものに過ぎない。

「私」は睡眠や死によって、限りなく非存在に接近する。