>>821
かつて音楽は「演奏する側」と「聴く側」がいた
その「側」の移動は確かにあったが、その垣根が高かったかどうかは今となっては自分にもわからない
ただ「聴いてもらえるように」なるまでにそれなりのハードルはあった
流通しているメディアは、テープでありレコードだった
レコーディングにまで漕ぎ着ける敷居もそれなりに高かった

デジタルメディアが生まれた
デジタルレコーディングが生まれた
それでもまだ、「聴いてもらえるように」「自分の曲がメディアになって流通する」までにハードルはあった
アナログ-CD過渡期のレコーディングスタジオ、CD普及期においてもまだそうだった

インターネットが普及した
人は「無料でできる発信」を覚えた
最初は誰が読んでくれるのかわからないHP作成に皆が流れた

リニアPCMレコーディングが速度、レイテンシーから実用的になってきた
導入の敷居はまだ高かった
立花ハジメらが業務用PCMレコーダーではなくMacを使ってリニアPCMレコーディングを始め、MacPower誌等でも紹介されるようになった
ミュージ郎等が一方で宅録/制作の流れを作った
CD-Rが普及し、リニアPCMレコーディング、ノンリニア編集が低価格で手に届くようになった
あんなに高かった「聴いてもらえるように」「自分の曲がメディアになって流通する」までにハードルがインターネットとCD-Rで一気に低くなった
テープ売りはダビング本数が多くなればなるほど時間がかかった
レコーディングーアナログレコードプレスは業者の手を経なければ出来なかった
アナログ-CD過渡期のレコーディングスタジオーCDプレス、CD普及期においてもまだまだそうだったのが、一気にそうではなくなった
インターネット/「無料でできる発信」に、共有サイトと言う名のその「場」が加わった

かつて高かった「聴く側」と「演奏する側/制作する側」の垣根は低くなった
人は情報や音楽の受け手でもあり、発信側でもあるようにもなった

今、かつてのように「演奏にせよ制作にせよ、プロは厳然とプロ」にしか出来ない音楽ではなく
「もしかしたら自分も制作して発信出来るかも」な音楽に、世は移行しているのではないかとも思った

長文済まんねw