少し話はずれますが、企業のゴミは企業が払う、これが当然のことです。でなければ、
高度経済成長期に起きた公害病の元、有毒性廃棄物の未処理や不法(まだ未制定では
あったけれども)投棄の考え方から進展していないと言えるでしょう。また、その処分を
国民の税金で払わせた現実もあります。

先週、四日市ぜんそくと伊勢湾の水質汚濁/汚染を追った当時のドキュメンタリーを
観ましたが、現在、産業廃棄物はリサイクルと名を変え、循環しているものだと思いました。

しかし、現在さらにひどいのは購買力を維持させる為に、使える製品まで、強制的に破棄させようと
する意図です。行政は常に企業の後ろ盾をしてきました。そこに我々国民が自由に権利を行使出来る
だけの社会をつくらなければなりません。しかし、根本的なところでは何も進歩してこなかった
のではないでしょうか。

アスベスト、フェロシルト、すべてこのリサイクル問題に繋がっています。芸術分野での
創作活動ばかりの話ではありません。

ここではじめて事の重大性、重要性に気づいたなら、ここからはじめればいいわけです。

少し抽象的ですが、ひとつの案としては、中古品規制の撤回と同時に、製造企業からの
税金を元に、慈善団体をつくり、そこにまだ使えるが国内で需要のない中古家電の整備を
させ、本当に必要な発展途上国に寄付すること。販売業者に製造業の責任を負わすことは
すべての面において無理です。

そういった取り組みはODAを削減することも出来るでしょう。ゴミを送ることは
出来ませんので、仕事は力の入ったものになります。新しすぎる技術提供は逆効果を
招くこともあります。それぐらいのことは、天下りの給料の半分でちゃんとしたNGOぐらい
運営出来るでしょう。だいたい、まともなところはそれぐらいかそれ以下です。

国民の生活を圧迫し、海外に利権を求めただけの事業の受注だけやっていたら、
誰も喜ばないわけです。また、この狭い国のどこにこれ以上廃棄処理出来る場所がある
のか、考えるのも一つの手ですが。