三ケ日、気賀、引佐、細江は南北朝時代は南朝側についている武将の支配地だったので
戦いでたくさん戦死しています。また、今川と徳川が戦った時、あのあたりの住民は
農民、商人、子供は今川氏の恩義に報いる為、武器を取って徳川方と戦い皆殺しにあいました。
ミカン畑の中に供養塔、鎮魂碑があります。獄門畷もその一つです。