め組の大吾
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スカイツリーより火の見櫓
火の見櫓(やぐら)って、東京じゃ見ないでしょ。あるんだな、港区芝に。芝大神宮で、節分には半纏(はんてん)を着た、いなせな若衆が半鐘をたたく。
歌舞伎の「め組の喧嘩(けんか)」って言えば昔は常識だったんだぜ、どうでもいいけどさ。ってなわけで今回は「スカイツリーより火の見櫓」―。
「火事と喧嘩(けんか)は江戸の華」とうたわれた昔から造られて、火災の発見と周知のみならず、望楼を備えた景観としても地域の財であった火の見櫓。
それが都市化や近代化の波にあって、集落から急速に姿を消している。それでも列島にはまだまだ火の見櫓がひっそりと残っていて、
出し抜けに現れては時空を超えて旅人の想像の翼を広げる。同じ機能を持ちながら、1つとして同じカタチのものがない。その千変万化の多様性に目を見張るのだ。
「火の用心」もまた、火の見櫓と並び忘れ得ないが、こちらは永久不滅の用語だ。
小学生時分、定例であった防火標語コンクールでは、あの「マッチ1本火事のもと」(53年、東京消防庁が制定)をお手本にして、図工の時間などでよくつくらされた。
火の見櫓好きがこうじてか、「火の用心」の標語づくりはなかんずく得手であって、苦手な授業科目だらけの中でも気がすすみ、お褒めにあずかった。
時は流れても、火の見櫓のかたわらで、はたまた町かどの看板で「火の用心」と描かれたポスターなんかを折に見かける。
これぞ永遠に不滅のにっぽんの標語なんだと感じ入って、描き手を想像してみたり。それは流浪の旅人の目をひそかに楽しませてくれる、市井のアートなのだ。
師走の今ごろは、夜回りのパトロールの消防団らが「戸締まり用心、火の用心」と声を上げながら、手に手に拍子木をカチカチッと打ち鳴らして歩く。
「火の用心」という言葉が今年も死語にならずよかった! と暦を見つつ、嗚呼、年の瀬も深まってまたひとつ年を束ねる、との思いで寒空を仰ぎ見る季節である。
http://www5.nikkansports.com/general/nihonisan/archives/20101219_100770.html
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