今期のアニメ「けものフレンズ」が話題になっている。

けものフレンズとは、ヒトの姿をしたアニマルガール(フレンズ)たちが暮らす巨大な動物園「ジャパリパーク」を舞台に、自分が何の動物なのか分からない(が、視聴者には人に見える)「かばん」と、かばんちゃんを心配してついてきた「サーバル」のふたりを主人公に、様々なアニマルガールたちと出会いながら、かばんちゃんが何の動物なのかを探す調べるために図書館に向かうというストーリーである。(*1)

各話は、その地方に暮らすフレンズたちと出会いながら、彼女たちが抱えている問題を、かばんちゃんが持つ能力である「知恵」で解決していくという、ほのぼのとした展開であり、一見、小さな子供を対象にしたアニメ作品であるように思える。

しかし、その裏にある「明らかに人の手が入らなくなり崩壊しつつある巨大動物園」「人という存在が滅亡、もしくは極端に少なくなったと思わしき状況」などという、ほのぼのテイストの裏に潜むポストアポカリプス的要素に魅力を感じる人たちの間で、放送途中から一気に話題が広まった。

けものフレンズは2017年1月10日の深夜から週1で放送されているが、Googleトレンドで確認すると、第4話が放送される直前の2月6日あたりから、一気に話題になっていることが分かる。(*2)

最初はネット上の掲示板などで、他の人の書き込みなどに対して、劇中で使われる「すごーい!」「たーのしー!」などという言葉がレスとしてつきはじめ、その用途の広さと能天気さからフレンズ的な言い回しが徐々に広まり、高い関心が集まった。

その直後に、かばんちゃんが人間である可能性と、人類が滅亡している可能性が劇中でハッキリと示された、1つのターニングポイントである第4話が放送されたことにより、ほのぼのに見えて実は「人間とは何か」という哲学的思想を含む骨太なSFアニメなのではないかと、作品考察が好きな人達にも注目され、更に話題が広がって現在に至る。

次に放送される第7話では、ついに図書館に到達するらしく、ストーリーの根幹が示されるのではないかと、期待されている。

こうして現在はブームとなっているアニメ版けものフレンズだが、メディアミックスとしてのけものフレンズは決して成功しているとは言い難いタイトルである。この作品はキャラクターコンセプトデザインとして「ケロロ軍曹」などでおなじみの吉崎観音を起用し、2015年3月16日にスマホゲームとしてスタートしたが、アニメがスタートする直前の2016年12月14日にサービスを終了している。

考察好きの中には「アニメ版の荒廃したジャパリパークにつなげるために、あえてスマホ版を終わらせたのでは?」などと考える人もいるようだが、単純に「継続していける状態ではなかったから」と、ネクソンのCFOである植村士朗氏は述べている。(*3)

すでに「終わったタイトル」であるとみなされているため、ゲームも終わっており、グッズなどの展開も乏しく、ファンであることを示す何かを手にすることができない人達の関心が向かったのが「動物園」である。

特に主人公のひとりであるサーバルのモチーフである「サーバルキャット」は注目され、都心の最も近くでサーバルキャットが見られる多摩動物公園の檻の前には、ちょっとした人だかりができたようである。

ちなみに僕は、多摩まで行く時間がなかったので、上野動物園を覗いてきたのだが、プレーリードッグの前に人だかりができていたのと、僕と同じ単身男性が目立ったのは、果たしてけものフレンズの影響だったのだろうか?

そうした中でネット上のとある種類の書き込みが注目された。

それは、けものフレンズのブームで、聖地巡回のようなノリでオタクが筋違いの動物園に殺到。動物たちへのマナー違反や周囲の親子連れに迷惑をかけるのではないかという類のツイートや書き込みである。

これに対して「オタクは動物園に行くことすら叩かれる」「マナーの悪いのは一部の人だけ」という反発が発生した。

これについてハッキリと答えるとするならば、オタクのかける迷惑が、一般の親子連れなどのかける迷惑と、そうそう大きく変わることはないという答えになる。

例えば、聖地巡礼などで発生する「迷惑」というのは、特に観光資源でもない場所に、多くのオタクが訪れることにより、近隣住民が不安に思ったり、またモチーフとなっている私有地に立ち入ったりということがよく言われている。しかし、今回の場合は「動物園」であり、そもそも不特定多数の人が多く出入りする場所なのだから、オタクが行っただけで迷惑ということはありえないのである。

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