安倍談話=為政者責任を国民責任かのように捏造 [転載禁止]©5ch.net
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2015/08/29(土) 22:12:05.60ID:fIaf1zfQ0一見、正論に見えるが、これは為政者の責任があたかも国民全体の責任と同等であった
かのような誤解を生む内容である。
安倍首相の祖父は 東條内閣の大東亜戦争開戦時の重要閣僚であり、かつ、
満州覇権にも携わり、戦後は戦勝国に協力することで極刑を免れた人物である。
そして安倍首相自身も、今ではお爺さんと同じく内閣総理大臣という為政者の立場だ。
一方、私の祖父は 南方の戦線へ送られ戦死した末端国民である。
ここで、役人国家の精神主義に特有なのが、安倍談話にみられるように、
末端国民から為政者までを一緒くたにして「宿命」を論じるところである。
国民側は政府とは違って「謝罪の宿命」など最初から背負ってもないし、
連合国側を含め、日本との戦争が及んだ国々も、「国民は謝罪の責任がある」などという
乱暴な理屈を主張してはいない。(むしろ「国民は被害者」というのが共通認識だ)
現に、日本との戦争が及んだ国々が、国家として、
私や私の子、私の父母・祖父母に対し「責任があるから謝罪しろ」などと
言ってきたことはないし、私個人が謝罪するいわれはない。
読者の皆さんも他国から責任を追及されたことはないだろう。
では 安倍首相は、なぜ 国民に謝罪の宿命があるかの如く主張したのだろうか、
先に示したように、自身の祖父が戦争と密接にかかわっていたこと、そして、
祖父と同じく総理大臣という為政者の道を自身が選択したことが大きいだろう。
つまり、自分達、為政者系譜の失態責任を国民全体に転嫁することで緩和したいという
意図が見えてくるのである。
(アベノ売国から保守主義と立憲主義を守る有志の会SNS より転載)
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