>>638の主張は、だいたいわかる。
実際、KTX/Vの開発の場の一つだった草の根ネットでは
DOS/Vを活用している人はたくさんいた。プログラマーも大勢いた。
当時でも、FreeBSD派とLinux派の険悪なノートが見られた(失笑)

KTX/VやVzはもちろん、フリーソフトもいくつか話題になっていた。
(KTXとKTX/Vは別の人がコーディングしているんで、区別してほしい気がする)

でも、そこに鮪ペイントに代わるDOS/Vソフトがあったか?
一太郎やMS OfficeのDOS/V版でもりあがったか?いや、そんなものはあったのか?

Hayamiやc.mosがWindowsに移行していくのを、ぼくは苦々しく思っていたんだよ。
Windows3.1へ移行しなければ、IBM PC/AT互換機の利点はほとんど無かったしね。

1993年前後、公務員が高給取りとされるような田舎都市では
Windows3.1が、まともに動くパソコンを買える人はほとんどいなかったよ。

その後、僕は36000円もしたOS/2上で、MVDMで動かすべきDOS/V用ソフトが
あんまり無いという現実に、あらためてMS-DOSは終わったことを感じた。

だから、PC-9800を愛用してきた一般ユーザーを
IBM PC/AT互換機に引き入れたのは、Windowsだったと確信している。

そもそも、PC/AT互換機のPentiumでDOS/Vを使って、9801DAにどこで勝つ?
CPUBENCH?MASLベンチ?チャチャベンチ?
ほんと、コンパイルが速いってところに終始したでしょ?動画エンコードもしない時代だったし。

大衆は、Windowsを使ってこそ、PC/AT互換機に買い換える意味があった。
でなければ、DOSを使う限り、i386DX/20MHzで問題無し、Cx486DLC2で充分だった。
だからこそ9801FAみたいなインチキ仕様でも売ることができた。
なにより、ほとんどのPC/AT互換機はWindows3.1付きで販売されてたっつうの。