こう考えればわかるかな。
いいかい。意識視野で見てる範囲と、その他の範囲があるだろう?
で、僕らが一行だけ見てるのが「意識視野」だとすれば
その他の、目に入ってるけど意識されてない部分が「無意識視野」だ。
意識視野の消失ということが、文字通り意識視野がなくなることだとすると
無意識視野しかのこらない。つまり見ていない部分だ。
しかし、瞑想家師が言いたいのは、こうやって
無意識になっている範囲も意識にとりこむための訓練をしよう、ということだ。
これは意識視野を、旧無意識視野まで拡大しようということに他ならない。
わかると思うけど、意識している視野は本に集中しているからね。
本を見てごらんよ。そうすると、本以外の部分も視野に入っているはずだよ。
人間の視野は180度近くあるんだからね。顔の真横も見えてしまう。
しかし、ジャンプ流などをやっている人の意識は本の上の文字に集中しているはずだよ。
意識視野が消失したのならば、本以外のものも意識に入り込んでしまう。
でもそうじゃないだろう?
つまり、意識視野を本一面に拡大したにすぎないんだよ。
瞑想家師は比喩的に「消失」と言ったんだろうがね。