トップページlegend
981コメント464KB

JoyDivision

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001Love Will Tear Us Apart 02/01/16 14:34ID:OHteMEv2
When the routine bites hard
and ambitions are low
And the resentment rides high
but emotions won't grow
And we're changing our ways,
taking different roads
Then love, love will tear us apart
again (4)

Why is the bedroom so cold
Turned away on your side?
Is my timing that flawed,
our respect run so dry?
Yet there's still this appeal
That we've kept through
our lives
Love, love will tear us apart again (4)

Do you cry out in your sleep
All my failings expose?
Get a taste in my mouth
As desperation takes hold
Is it something so good
Just can't function no more?
When love, love will tear us apart
again (4)
0772バーナード・サムナー2007/04/14(土) 02:30:07

「『エブリシングス・ゴーン・グリーン』はセルフ・プロデュースに乗り出した第一弾だったんだ。
 イアンが死んだ後だったから、みんなイアンのことですごく落ち込んで、
 夜通し起きていて昼の光を見ることなく過ごしていたんだよ。

 マーティンは当時、本気でドラッグに手を出していて、何度も何度も同じ所をプレイしていた。
 全員がお互い様って感じだったけどね」

「あれが俺達最初のエレクトロ・レコードだったんだよね
 スタジオでふらふらしてたら古いオーヴァーハイム社製のシンセサイザーを見つけて、
 リズムボックスにつないでみたんだ。
 それをプロデューサーだったマーティン・ハネットがおもしろがって、さらにミックス用の機械に接続した。
 そしたらドラマーのスティーヴン・モリスがシンセを抜いちゃっててさ。

 偶然の接続のオン/オフが俺達をエレクトロニック・バンドにしたんだ。」

0773ピーター・フック2007/04/14(土) 02:37:53

「あの曲のことは何も憶えてないな。
 妙だ。

 でも憶えているのはロブが作った雪の玉がバーナードの着てたセーターに当たり、
 バーナードの叫び声がそのまま収録された」
0774トニー・ウィルソン2007/04/14(土) 02:45:07

「『Blue Monday』『Temptation』が転機となる曲だったと言われるが、
 本当は『Blue Monday』でも『Temptation』でもなく
 テクノの歴史で最も重要なシングルは『エブリシングス・ゴーン・グリーン』

 マーティンの曲だ」
0775スティーヴン・モリス2007/04/14(土) 03:04:57

「あれにマーティンは満足していたよ」
0776バーナード・サムナー2007/04/14(土) 03:11:49

「新しい方向性への第一歩が『エブリシングス・ゴーン・グリーン』だった」

「ステージでああいった音楽をやっていたのは
 クラフトワーク、スーサイド、キャバレー・ヴォルテール、初期のヒューマン・リーグ、
 それにニュー・オーダーくらいなものだったから、
 先駆者あつかいされていたのかもしれない。

 テープやリール、エコーやシーケンサーをいじくり回すってのはダンス・ミュージックでは
 とっくにあたりまえのことだったんだけどね。

 みんな、そこに未来ありと感じてたんだけど、まだ当時は道具がなかったんだ。
 だからテープを切り貼りしてたんだけど、サンプラーと違ってアクシデントがいっぱい起こるから
 かえってよかったんだよ。」
0777スティーヴン・モリス2007/04/15(日) 09:31:32

「イアンはクラフトワークに、かなりはまっていた。」


0778バーナード・サムナー2007/04/15(日) 09:36:35

「昔、イアンがクラフトワークの曲をリハーサルの時にかけてた
 『いい曲だ』と。
 ステージに立つ前に演奏したりもした。

 シンセサイザーはイアンの影響なんだ、彼が『道を示して』くれたのかも…」
0779伝説の名無しさん2007/04/15(日) 09:37:41
いつもありがとう。楽しみに読んでます。このスレ好きだ。
0780伝説の名無しさん2007/04/17(火) 11:53:38
今まで敬遠してたけどニュー・オーダーも聴いてみようかな
0781ティム・バージェス2007/04/19(木) 02:21:26

「僕がニュー・オーダーを知ったのは『エブリシングス・ゴーン・グリーン』が出た時のことで
 その曲を聴いたことについては思い出せないんだけど
 その後で、僕は『テンプテーション』を買って、それにぶっ飛ばされたんだ。
 それからすぐに彼らの今までの作品を全部買い揃えた。

 ジョイ・ディヴィジョンを聴くには僕は幼すぎた。
 イアン・カーティスの自殺や、一連のジョイ・ディヴィジョンの神話はちょっと憂鬱すぎたし、
 ジョイ・ディヴィジョンの『アンノウン・プレジャーズ』はちょっとダーク過ぎたんだ」
0782トニー・ウィルソン2007/04/19(木) 02:32:41

「『テンプテーション』は、『エブリシングス・ゴーン・グリーン』
 (マーティン・ハネットがバーニーとその仲間と共に手掛けた最後の作品であり、
 いちばんの傑作である)に続くシングルだった。

 しかし、これは由緒ある作品のアルバムで、『エブリシングス・ゴーン・グリーン』は
 亡くなった友人のような歌詞を書こうとしていた(新しい)リード・シンガー、
 バーナードに足を引っ張られていた。

 しかし『テンプテーション』では、バーナードは自分らしい表現を見つけはじめていた。
 それは子供のたわごとのような詩だったが、それでも強い印象を残す語句を残している。

 あなたの瞳はどんな色?

 そんなこと知るか」
0783バーナード・サムナー2007/04/19(木) 02:35:20

「『テンプテーション』のヴォーカルを入れたときはアシッドやってたよ」
0784『テンプテーション』2007/04/19(木) 02:51:47
『天国、希望への入り口 
 心に湧き上がる感情みたいな
 真面目な話なんだ 
 こんな風に君を扱うのは心が痛むけれど
 君は僕の話をあしらう
 聞いたこともない つらすぎて口に出せない言葉で

 舞い上がって 落ちこんで ぐるっと回って
 どうか僕を地面に叩き落とさないで
 今夜 僕はひとりで歩いて行こう
 我が家に帰って自分の魂を見つけよう

 どの道を選ぶとしても 僕はいつだって努力している
 僕を取り囲む この世界を打ち破るために
 ときどき大切なものを見失ってしまったことに気付く
 自分が見つけたものを僕は心から信じる

 舞い上がって 落ちこんで ぐるっと回って
 どうか僕を地面に叩き落とさないで
 今夜 僕はひとりで歩いて行こう
 我が家に帰って自分の魂を見つけよう

 あぁ 君はグリーンの瞳を持っている
 あぁ 君はブルーの瞳を持っている
 あぁ 君はグレーの瞳を持っている

 天上から稲妻が落ち 地上の人々を襲う
 この世界に暮らす人たちには逃げ場がない
 あぁ ついに最後のときだ
 僕は今まで君みたいな人に一度も会ったことがなかった
 僕は君みたいな人に会うのは初めてなんだ…』
0785モービー2007/04/19(木) 02:58:25

「(ニューヨークの)ロウアー・イースト・サイドの僕の小さなレストラン『Teany』にいたんだけれど、
 そこで働いている子達の音楽のテイストは素晴らしいもので、
 ある日一人の子がニュー・オーダーのベスト盤を持っていたんだ。

 僕は昼食をとっていたんだけれど、その時『テンプテーション』が流れ
 この曲の歌詞を聴き、それがすごく胸を刺すような私的であることに心打たれた。

 だから自宅に帰り、この曲をとても緩やかなバラード風に弾き、
 友人のローラ・ドーンに歌ってもらったら、すごくいい感じにフィットした。
 この曲の歌詞に再度コンテクストを与えたような感じで…」
0786バーナード・サムナー2007/04/19(木) 03:03:16

「俺の作る歌詞っていうのは、そんなに分析してもらうような深い意味があるわけじゃないんだ。
 ポップな曲にヘヴィな詞は必要ないというだけさ。
 軽い感覚で書いているんだよ。

 子供の頃、俺は絵を描くのが得意だった。
 詞を書くのもそれと似たところがあるね。
 出来上がった曲を聴いて、そこから一連の絵を想像して言葉にしていく、
 その時、なるべくダイレクトな書き方は避けるようにしている。
 例えば『通りを歩いていたら、車にひかれました』みたいなやつ(笑)。

 もっと意味が隠されていて、聴く人が捜しあてていくような詞の書き方が好きなんだ。」

「イアンは確かに自分のことを深く見つめて歌詞にした。
 俺も、やはり自分について書いているという点は同じだ。
 書くことによって自分のことが判ってくるからね。

 特に初期ニュー・オーダーの曲の多くは、自分の個人的な人間関係についてばかり書いている。
 当時の俺はいろいろ問題を抱え込んでいたから」
0787トニー・ウィルソン2007/04/19(木) 03:06:34

「バーナードは1stアルバムでイアンになろうと努力した。

 T.S.エリオット風の歌詞を書いていたが『Taras Shevchenko』のビデオでは
 ニュー・オーダーが『テンプテーション』を演奏し、即興のような感じでバーナードが歌っている。

 それを見ると彼は自分の声を発見しているんだ。
 ナンセンスな詞だが、彼の詞だ。

 そこからニュー・オーダーは前進した」
0788ピーター・フック2007/04/23(月) 03:01:26

「うん、あの2曲(『エブリシングス・ゴーン・グリーン』、『テンプテーション』)で
 ニュー・オーダーの方向性は決まったんだろうね。

 あれでジョイ・ディヴィジョンとは違うバンドになれたわけだし。
 成長するって、そういうことだよね。」
0789トニー・ウィルソン2007/04/23(月) 03:13:08

「マーティンには未来がみえていたが、私たちにはみえていなかった。

 マーティンはフェアライトという機械に未来をみた。
 もし、『Hacienda』に金を注ぎこまず、彼にフェアライトを与えていたら
 彼がトレバー・ホーンになっていただろう」

「ニュー・オーダーがマーティンから離れたいと言ったときロブも従った。
 それがロックのやり方だ。」
0790ピーター・フック2007/04/23(月) 03:17:03

「一度イエロー・ツー・スタジオで『Cries & Whispers』の時だったと思うが
 バーナードは49回歌わされた。
 数えてたんだ。
 2人で(マーティンを)殺そうと思ったね。
 
 いくらなんでもやりすぎだ。意味があったのかもわからない。
 そして仕事中もドラッグをやるようになってもう無理だと悟った。
 無理だった。
 バーナードと俺なら自力でできると思い、実際にそうした。
 あいつを切ったんだ。

 バーナードと俺は奴からやり方を学んだからもう用はなかった。
 迷惑なだけだった」


0791ピーター・フック2007/04/23(月) 03:21:10

「バーナードはエレクトロニックに、俺はバンドっぽくしたかった。
 スティーヴは常に中立の立場を守っていた」
0792バーナード・サムナー2007/04/23(月) 03:23:33

「俺にはギターを弾きながら歌うなんて芸当はできないからさ」

「ジョイ・ディヴィジョンの後、ニュー・オーダーを始めた頃は、
 ギター中心の曲を書いても自分で演奏できないのがもどかしくてね。

 ほら、ジョイ・ディヴィジョンでは俺はギタリストだったろう?
 自分が書いた曲を演奏できないのがいやだったんだ。

 それでギターっていう楽器にちょっと興味をなくした時期があったんだよね」
0793ピーター・フック2007/04/23(月) 03:26:16

「本音のとこじゃ、俺たちに相談せずに曲が書けるようになりたかったんじゃねえのか?

 ドラマーなしでドラムの作曲したり、ベーシストとの打ち合わせなしでベースパートを書く。
 技術の進歩でそういうのが可能になったからよ。

 俺が変わろうとしないんで、バーナードはイライラしてたんじゃないの?
 そんで向こうが俺に変わって欲しいと思えば思うほど……
 俺は意地でも変わってやらねぇと思っちまう。

 そういうもんだろ?」
0794伝説の名無しさん2007/04/27(金) 08:41:15
神スレsage
Control完成したな
0795バーナード・サムナー2007/04/28(土) 22:41:11

「当時所属してたファクトリー・レコードはアメリカにもオフィスがあって、
 俺たちもNYのクラブに入り浸ってたんだ。

 パラダイス・ガレージ、フロントハウス、AMPM、ベルリン、ペパーミント・ラウンジ、
 ダンステリア……年中、NYに行ってはこういうクラブで遊んでた。

 あの頃、イギリスのバンドとしてイギリス外の、まったく別世界から影響を受けてたのは、
 確かに俺たちくらいだったかもね」
0796トニー・ウィルソン2007/04/28(土) 22:42:10

「ああいうNYのクラブの一つを、マンチェスターにも再現できるんじゃないか、
 ってアイデアを思いついたのはロブ・グレットンだった」
0797ロブ・グレットン2007/04/28(土) 22:43:08

「どこにも行くところがなかったからね。 
 俺は女をひっかけにいける場所が欲しかったんだ」
0798ピーター・フック2007/04/28(土) 22:44:48

「トニーがDJしたいけど下手くそだから誰も雇わないって言う事情もあったけど、
 それよりも俺らみたいなパンクが行く場所がなかったってことさ。

 どこへ行くにも決まった服装をしていないとダメだった。」

「居場所を作るために作ったんだよ。」
0799トニー・ウィルソン2007/04/28(土) 22:54:32

「オープンの2週間前、どっかの男が入ってきてこう訊いた。
 『これは誰のために建ててるもんなんだ?』って。

 私は『キッズのためさ』。

 そしたら、彼は『長いレインコートを着込んでるキッズのために、NY風のディスコを建ててるだって?』
 って言ったんだ。
 
 その通り、現実としては、我々はまたいつものことをやってただけなんだよ
 ――――自分達のために『ハシエンダ』を建ててたんだ」
0800『20世紀を後にする』2007/04/28(土) 22:59:57

『新しい都市化のための公式
 殿下、私は違う国からやってきました

 我々は都市で退屈し、もう太陽の寺院は存在しない。
 通り過ぎる女たちの脚の間から、ダダイストたちはモンキー・レンチを、
 シュールレアリストたちはクリスタルのカップを思い描いた。
 それではもう終わりだ。
 我々は、表情にすべての約束をどうやって読み込むかを知っている。
 形態論の最終ステージだ。ビルボードの詩は20年続いた……。

 そして忘れられたあなた。
 ふたつの半球のすべての星座によって侵食されたあなたの記憶、
 パリ・カオの赤い地下室に取り残され、音楽も地理もなく、
 根っこが子供について考える
 ハシエンダへはもう出発せず、古い年鑑の伝承と共に飲み干すワインのある場所。
 それはすべて終わった。
 もうハシエンダを見ることもない。
 存在しない。

 ハシエンダは建てられなければならない』
0801伝説の名無しさん2007/04/29(日) 08:59:39
>>800
これはどこから?
0802エド・シモンズ2007/05/01(火) 23:53:25

「ニュー・オーダーがマンチェスターに『ハシエンダ』をオープンしたって知った時には、
 そこにいくのを何度も夢見たな。」

「本当にマンチェスターにいけた時にはやっとって感じがしたよ。
 それにスミスも大好きだったし。

 初めてマンチェスターに着いた時は雨が降っていたんだけど、
 絶対にこの街が好きになるって思った」
0803バーナード・サムナー2007/05/02(水) 00:02:06

「……要するにこういうことなんだ。

 まず、俺たちは相当の金を手にしたわけ。
 それを自分たちで独り占めにするのは嫌だったから、何かクリエイティヴなことに
 使おうって相談したんだ。

 マンチェスターにクラブでも開いてマンチェスター音楽を盛り上げたら?
 シーン作ってみたらどうだろう?というね。

 『ハシエンダ』を起こす前、マッスル・クラブってとこで、週一でファクトリー・レコードが
 ファクトリー・ナイトを主催してた。
 で、繁盛してて雰囲気も最高だったんだけど、クラブ自体がつぶれちゃったんだ。
 だったらクラブそのものを買い取って、自分たちのクラブを作ろうや、という……」

0804ピーター・フック2007/05/02(水) 00:08:50

「そらもう、音楽は好きだし、したら他の連中とも熱くなれるヤツを、こう、
 分かち合いたくなるじゃないか。

 で、クラブって一回立ち上げちゃうと、勝手に回転し出しちゃうもんでさ。
 自分の一言で最先端のDJと音楽が集まるんなら、そらもう結構なことというか……。
 だからさ、クラブって磁石みたいなとこ、あんだろ?
 放っておいても新しいレコードやDJ、ダンス・ミュージック好きの人間が寄ってくるんだよ」

「白状すると最初の8年は人気がなかった。長いことガラガラだったよ。」

「でも、俺が『ハシエンダ』始めたのも、タダ酒が飲めるって場所を確保したかった。
 それだけなんだがなぁ(笑)

 結局、えらく高くついたけどな」
0805スティーヴン・モリス2007/05/02(水) 00:11:09

「俺も入場料を払わなきゃいけなかった。
 ただで酒を飲めるようになるまで9年かかったんだぜ…」

「(クラブで踊りまくるなんてことは)ないね。
 ボトルを半分ぐらい空けないかぎり。
 フィジカルなことはできない。
 
 トイレまで歩く間ダンスする程度だよ」
0806ベズ2007/05/02(水) 00:16:53

「あれはヤバいクラブだったな。でかい冷蔵庫に入って行くようなもんだった。」

「ハシエンダとニューオーダーとファクトリーがなかったら、マンチェスターのシーンは
 ああいう風にはなっていなかったはずだ。あれはシーンの一部なんだ。」
0807バーナード・サムナー2007/05/07(月) 01:43:15

「ニューヨークのクラブのせいで、自分の音楽に対するヴィジョンがすっかり変わったんだ。
 アシッドをきめ始めて、ダンス・ミュージック、エレクトロ・ミュージックに熱中し出してね。

 なんでどのロック・バンドもライヴの時に、ダンスのビートや、シーケンサーを使わないのかなぁ
 なんて思ったりもしてた。
 それで、クラブでかかってるサウンドを根こそぎしてそのまんまステージに持っていってやろう
 って考えたんだ。

 でもあの頃はいい機械もなくってさ。
 手に入るものではMC4っていうコンピューターがあったんだけどなにしろ高くって。
 とても買えないから自分で作ってやろうって決めたんだ。

 俺達のプロデューサー、マーティン・ハネットの友だちにコンピュータに強い奴がいてね、
 どんな電気機器でも、どんなプログラムも作れるって奴さ。
 それで、どんな機械が必要かを彼に説明したら回路を作ってくれて、
 俺自身がはんだごてで設置したんだ。

 彼は自分が科学系なもんだから、俺を電気系に引きずり込んだら
 俺がうわついた音楽業界から足を洗ってまっとうな仕事につくとでも思ったみたいで
 喜んでたよ(笑)。

 変わった奴だったな。
 金のかわりにアシッドで報酬をくれなんて言うんだ。
 値段はシーケンサー1台にアシッドが8錠ってわけ(笑)」
0808『サウンズ』ライヴ・レビュー2007/05/07(月) 01:53:25

1983年1月26日 ― マンチェスター 『ハシエンダ』

『ここ数か月失われていた、特別な空気が今夜は満ちている……
 誰かわからない4人の姿がステージに上がると、とりわけ熱狂的な歓声が上がった

 ……聴いたことのない曲は、どれもちゃんとした進化を見せていた。
 ヤズーを商業的一大プロジェクトへと変えた、
 あの目立つキーボードのリズムが引き続き強調されている。

 ドラミングも際立って印象深い。
 リズム・マシンと組み合わさって、アップテンポなダンス・ビートや、
 ヒプノティックなパルスを鳴らしているのだ。

                            ――――――――― デイヴ・ロヴァーツ』
0809ニール・テナント2007/05/09(水) 00:32:43

「クリスの曲『I'm keeping my fingers crossed』のベースラインが
 こんな…『ンパ・ンパ・ンパ・ンパ……』

 その1週間ほど後、ニュー・オーダーの新作が出た。
 コンピューター・ソフト・ウェア風のパッケージだった。それも、その前のも気に入ってた。
 そして例の『ンパ・ンパ・ンパ・ンパ……』
 ここで涙が出た。

 クリスと僕が望んでいた音だった。
 『やられた』と思ったね」
0810ピエール瀧2007/05/09(水) 00:42:01

「16歳の夏。

 昼下がりの石野の部屋。畳敷きにベッド。
 坊主頭にトランクス姿の初めて会う石野。
 開け放しの窓。
 同じく坊主頭で、部活帰りの立っている自分。
 傍らにもう一人の友人。

 ドッ、ドッ、ドドドドドドドドと始まるキック。
 衝撃。

 立膝でしゃがんでいる石野。
 シーケンス、イン。
 衝撃再び。

 横柄な口調の石野。とまどうが強烈。
 体は踊らないが何かが踊る。

 曲が終わり、「なっ。」という顔の石野。
 そこで初めて腰を下ろす自分。

 窓の外から女子高生の声。
 夏の日差し」
0811バーナード・サムナー2007/05/12(土) 02:08:54

「『ブルー・マンデイ』をリリースした時にたくさんの手紙をもらったことを覚えているよ。

 『どうしてあんなものを作れるんだ?単なるディスコ・ミュージックじゃないか!』とかね。
 その中で最も笑ったのが『全然ニュー・オーダーっぽくないね』ってヤツ。

 今じゃあ皮肉に聞こえるよ。
 あの曲は、まさしくニュー・オーダーっぽいだろ?」

「バンドの他のメンバーはおいといて俺だけの意見を言わせてもらえば、
 ダンス・ミュージックは、ここ10年間、最も面白い音楽スタイルだよ。

 ロックの90パーセントは古くさくてもうほとんど死んでるのに対して、
 ざっと見渡して同じパーセンテージの、つまり90パーセントのダンス・ミュージックはすばらしいね。

 ファンの中にはニュー・オーダーをロック・バンドだって思ってる人もいるってことに対しては
 ありがたく感じてるよ
 俺たちがやっていることは、『ロック』って分類できるかもしれないけど、
 もうそういった部分にはあまりいいものが残ってないような気がするんだ。

 スミスが最後の偉大なロック・バンドだと言えるんじゃないかな。」

0812バーナード・バトラー2007/05/12(土) 02:16:09

「思春期の頃、スミスとニュー・オーダーに同じくらい夢中になっててさ。
 世間一般的には、ニュー・オーダーとスミスって、『ディスコ』対『インディー』みたいに
 思われてたけど、自分には全然理解できなかったね。

 僕はスミスからもニュー・オーダーからも同時にインスピレーションを受けてたし、
 当時、普通ならジョニー・マーのギター・スタイルを必死でコピーしているところを、
 なぜかバーナード・サムナーのギターのほうをコピーしてたっていう。

 ニュー・オーダーからは、音楽におけるドラマの大切さと曲の構造について多くのことを
 学ばせてもらったよ。
 『ブルー・マンデイ』はとてつもなくエモーショナルだし、曲の展開がまた見事なんだよね。

 今でも覚えてるけど、近所の人からキーボードとドラム・マシーンを借りて、
 その週の週末を『ブルー・マンデイ』のドラム・ビートを完全にプログラミングすることだけに
 費やしてたなんてこともあったし。
 それこそハイ・ハットから、行進曲に出てくるようなスネアに至るまでね。

 ニュー・オーダー・ビートを作り上げたってことはものすごいことだと思ってて……
 あのオープニング部分のベース・ドラムとか、 あれなんか、生楽器では絶対に作り出せないビートだし。
 あのビートが死ぬほど好きでさ。

 よく、『トップ・オブ・ザ・ポップス』でビートを生演奏するようになってから、
 サウンド的にちょっとおかしくなり始めたっていう連中がいるけど、
 それでも自分にとっては最高だったね。

 当時の音楽シーンのすべてに対して2本指を突き立ててるような気がしたし、というか、
 そもそも当時の『トップ・オブ・ザ・ポップス』に他にどんなバンドが出演してた?

 シャカタクとか?」
0813バーナード・バトラー2007/05/12(土) 02:24:57

「当時ニュー・オーダーのファンであるってことは、自分だけの密かな軍隊に属してるようなものでさ。

 『ブルー・マンデイ』はジャケットからして素晴らしかったし。
 当時はまだ誰もフロッピー・ディスクを見たことがなくて、ジャケットに映ってるものが何なのか誰もわからなかったんだ。

 それでも、僕には何かすごく美しいもののように思えてね。
 もともと、レコード・ジャケットにくだらない写真とかファンクラブの連絡先とか載せてもらっても嬉しくないって感じだったし。
 『ブルー・マンデイ』っていうレコードのすべてが、B面に入ってるインストの『ビーチ』に至るまで、
 完全にプライヴェートな空間がそこに広がってるみたいで、見事なまでにはまってたね。

 僕にとって『ブルー・マンデイ』は単なるエレクトロの先駆けではないんだ。
 『ブルー・マンデイ』はスミスの『プリーズ・プリーズ』や、ビートルズの『ヘイ・ジュード』と
 同系列のもので、ただもう感動的に美しくてエモーショナルな曲でしかないんだよ。

 オリジナルにこだわるようで自分でもイヤなんだけど、後のリミックス・ヴァージョンとか、
 マジで、本当に聴くに堪えないものがあるんだよ。
 曲の構造にしろ、細かいディテールの部分にしろ、オリジナルがあまりにも完璧すぎたから、
 それを無理にどうにかしようとすると、間の抜けたおかしなサウンドになっちゃうんだよ」
0814ラモン・ツェンカー2007/05/12(土) 02:33:37

「(Hardfloorとしてのリミックスワークの中で、印象に残っているのは…)
 僕はニュー・オーダーの『ブルー・マンデイ』のオリジナルテープを復活させたときが一番強烈だった。
 このトラックは、僕がまだ若かった頃に僕をこの世界に導いてくれたトラックなんだ。
 テープを聞いたときは、本当に鳥肌が立った。

「ティアーズ・フォー・フィアーズなんかの80年代っぽいものが好きだった。
 レヴェル42が好きでベースを始めたり…。
 ダンス・ミュージックを聴くきっかけになったのはニュー・オーダーの『ブルー・マンデイ』だった」
 
「個人的には、タンジェリン・ドリームやクラフトワークなんかのエレクトロニック・ミュージックは、
 冷たすぎると思うんだよね。
 ソウルがないんだ。

 ハウス・ミュージックは、エレクトロニック・サウンドにグルーヴとビートを加えたところが共感できた。
 タンジェリン・ドリームやカンにはなかったものだ。
 クラフトワークは冷たすぎて面白くなかった。

 『ブルー・マンデイ』を聞いたときも、ヴォーカルがちゃんと歌ってる感じが良かったんで、
 アメリカとかイギリスの音楽を聞くきっかけになったと思う」

0815スティーヴン・モリス2007/05/15(火) 00:54:23

「80年代の初め、スウェーデンでトロッグスを見たときを思い出すんだよな。
 『恋はワイルド・シング』を少なくとも3回はやってたよ。
 『辛いだろうなあ、あんなことしなきゃならないのは』って思った。
 
 だけどあれが俺たちの『恋はワイルド・シング』になっちまった」
0816ピーター・フック2007/05/15(火) 00:56:45

「イギリスでは150万枚売れた。
 途方もない数字だ。

 ところがおかしなことに、ジャケットに金がかかった(パンチ穴等々)ものだから、
 ちっとも儲けになっていない。
 コストを下げるために大量生産する余裕なんかファクトリーにはなかったんだ」
0817トニー・ウィルソン2007/05/15(火) 01:05:37

「音楽業界は、行商人、ヒップスター、娼婦の巣窟かもしれない。
 でもひとつだけ誇れるものがある。たったひとつの際立った事実が。

 それが楽曲だ。
 重要なのは曲であって、最後に残るのも曲だけだ。
 そして偉大な曲を止めることはできない。
 否定もできない。
 『ブルー・マンデイ』を否定することなんてできなかった。
 
 バン、バン、バン、バン。
 どんな気分だ?
 
 イギリスのレコード業界の歴史で、最も売れた12インチ・シングルと
 なったのはどういう気分だろう?
 それは実際に、疑いもなくそうなってしまったわけだが、
 君たちも予想していたかもしれない。
 
 どんな気分かって?

 それは最高の気分だ。
 そして1枚毎に3.5ペンス損をするというのはどんな気分だろう?
 それもまた最高の気分だった。
 皮肉に値段はつけられない」
0818バーナード・サムナー2007/05/18(金) 00:35:58

「あれはあのときにこそふさわしいサウンドだった。
 それまでジョイ・ディヴィジョン・タイプの音楽を作ってきたけど、イアンが死んで
 それができなくなっただろ。

 それからどういうわけだか俺たちはニューヨークで過ごすことが多くなって、
 そこでいつもクラブにいって、ああゆう音楽にずうっとさらされていたわけだ。
 シュガーヒル・レコードのヒップホップにロッカーズ・リヴェンジ、
 『ウォーキング・オン・サンシャイン』だよ。

 で思うわけだ、『こういうクラブで自分の曲がかかったら最高だろうな』と。
 そういうとこじゃクラッシュの『ロック・ザ・カスバ』とか、ソフト・セルの『テインテッド・ラヴ』
 とかもかかってた。
 だからたぶん、そういうクラブに行くうちに、テクノロジーの方もいつのまにか身に
 付けてたんだろう……。

 ジョイ・ディヴィジョンのころからやりだしてはいたんだよ、クラフトワークにハマってたから。
 で、ダンス・ミュージックを聴いて、『おい、これを俺たちのエレクトロニクスでやれるじゃないか』
 と思ったんだ」
0819トニー・ウィルソン2007/05/18(金) 00:52:43

「ハネットが、彼のAMSマシーンで、彼らをこのデジタル世界に紹介した

 スティーヴンはデジタル・ドラムの初期モデルに加え、ハイハットの上に
 グレーの物体をいくつか置いていた。
 ジョイ・ディヴィジョンの『シーズ・ロスト・コントロール』を聴いてみるといい。
 チッ、チー、チッ、チー。ツイン・シナプスが弾ける音だ。
 
 そして実験は、ひとつ目のバンドの死と、ふたつ目のバンドの誕生を跨いで続けられた」

「とにかく、2枚目にして最後となったジョイ・ディヴィジョンのアルバム『クローサー』から、
 『アイソレーション』を聴いてみてほしい。

 DJ天国で終わる旅はすでに始まっていた。

 そして目的地は、ふたつの道が交差する場所だ」
0820スティーヴン・モリス2007/05/18(金) 00:59:45

「『ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート』をやっている時、奴(イアン)は70年代の変態エレクトロ・デュオ、
 スパークスの『ザ・ナンバー・ワン・ソング・イン・ヘヴン』を聴いていたからね」
0821トニー・ウィルソン2007/05/18(金) 01:07:32

「どっちにしろイアンだって同じ方向に進もうとしてたんだから」

「結局、ジョイ・ディヴィジョンとニュー・オーダーは同じものなんだよ。
 まったく違うけど完全に同じ。

 イアンが生きてたとしても『ブルー・マンデイ』を歌ってたはずだよ。
 賭けてもいい。
 
 まぁ、歌詞は違ってたかもしれないけど。」

0822『ブルー・マンデイ』 2007/05/18(金) 01:16:05
『どんな気分なんだ?
 僕をこんな目に合わせて
 君は僕の肩に手をかけ 自分の正体を明かした
 僕は自分の耳を疑った 君の言葉を聞いた時
 僕に教えてくれ どう感じればいいのか
 教えてくれ 今、僕はどんな気持ちになればいいのか

 僕の目の前に現れた人たちは
 彼らの役割とともに生きた
 出会ってから、それぞれの役目を果たすまで
 彼らは立ち去り、二度と戻っては来ないだろう
 そして 僕は今でも思いつけない
 君に言うべき言葉が
 今、はっきりと分かる 君が教えてくれるだろう
 僕がどう感じるべきかを

 港に浮かぶ1隻の船を見る
 僕は言われた通りにできるし そうしようと思う
 もし君の不幸が無ければ 今日は最高の日だっただろう
 僕は自分の耳を疑った 君の話を聞いた時
 僕に教えてくれ どう感じればいいのか
 教えてくれ 今、僕はどんな気持ちになればいいのか

 今、僕はここに立ち、待っている…

 僕は君に一人にして欲しいと告げた
 浜辺を歩きながら
 一体どんな気持ちになればいいのか教えてほしい
 君の心臓が冷たくなっていく時に…
 
 冷たく…冷たく…冷たく…なっていく…』
0823伝説の名無しさん2007/05/18(金) 21:08:48

0824伝説の名無しさん2007/05/21(月) 18:13:20
神スレにこれからも期待
0825ピーター・フック2007/05/24(木) 01:57:36

「あの歌詞は、イアン・カーティスについて歌ってるという訳じゃなくて
 俺たちはそれを曖昧にしときたかったんだ。

 俺はファッツ・ドミノについての本を読んでたんだ。
 彼には『ブルー・マンデイ』っていう曲があって、
 月曜日だったし、俺たち皆、ひどい気分だったんで 『おお、こりゃぴったりだ!』
 と思ったわけ」
0826バーナード・サムナー2007/05/24(木) 02:00:20

「あの頃、プレスは俺たちに食ってかかるようになってた。
 同情的な論調は消えて、ナイフで一突きしてその上内臓をえぐる、みたいな。

 あれは俺たちが『うるせえ、黙ってろ』って言ってるんだ。

 『ムーヴメント』はあんまりウケがよくなくて、それで俺は結構腹を立てていた。
 そんなに責めなくたっていいじゃないか。
 ものすごい悲劇を経験したと思ったら、今度はやつらが足を引っぱって来てさ…」

0827ティム・バージェス2007/05/24(木) 02:06:30

「彼らの音楽はジョイ・ディヴィジョンの延長だった。
 でも、彼らは『ブルー・マンデイ』という形で大胆な声明を出したんだ。

 僕は、それが意図的、計画的につくられたんじゃなくて、本能的につくられたと思いたいね。
 『ブルー・マンデイ』は12インチだけのフォーマットでリリースされて、
 すぐに12インチ・シングル最大の売上となった。

 10分間のエレクトロ・ダンスレコード ―― それは危険で、大胆不敵だった。
 だって、当時は誰も見向きもしなかったディスコの要素を取り入れたんだからね」
0828バーナード・サムナー2007/05/24(木) 02:15:25

「でもね、結局はめぐりあわせ、これに尽きるんじゃないかな。

 俺達はたまたま、NYのクラブ・シーンが一番盛り上がってるときにNYに居合わせたんだ。
 それと、当時、ドイツにいた友人がドイツ・ダンスの7インチ・シングルをたまたま沢山送ってくれたりさ。
 あとロンドンのゲイ・クラブ『ヘヴン』を経営してるのも友達で、ちょうどその頃、
 ロンドンでレコーディングしてたから、スタジオ作業の後、一杯飲みに毎晩行ってたし。

 そういうノリで次はこの路線で行こうなんて話し合ったりしたわけじゃなく、
 あの音楽はたまたま居合わせた場所の、環境の産物なんだよ」
0829伝説の名無しさん2007/05/26(土) 13:33:49
>>389
いいなあ。バロウズに会った事あるのか。
しかも怒られたなんて、うらやましすぎる。
0830ピーター・フック2007/05/27(日) 02:46:03

「俺はスタジオで暇になると本を読むんだよね。
 まるで読書マシーンかってくらい、何百冊も読むんだ。

 でね、『動物農場(原題:Animal Farm)』を読んでいる時に 
 ―――――あれって、作者ジョージ・オーウェルだっけ?」

「本の裏表紙に、よく短い推薦コメントが載ってるだろ?
 そこに
 ゛A compelling tale of power, corruptions and lies,  will leave you breathless 
                                       ―――  The Times "

 (『読者はこの権力、汚職、嘘に関する物語から目が離せず、読後息を呑むだろう』 
                                       ――― タイムズ)
 って書いてあったんだ」

「俺は、『おお、こりゃいいぞ、power, corruptions and liesだ』って思ったわけ」
0831ティム・バージェス2007/05/27(日) 03:04:11

「僕が『権力の美学(原題:power, corruptions and lies)』を買った次の週から、
 『権力の美学』は、ほとんど1年間、僕のステレオのターンテーブルに乗りっぱなしだったよ。

 それは僕の人生を変えて、僕だってシンガーになれるかもしれないって思わせてくれたんだ。

 『権力の美学』は『ブルー・マンデイ』と交互に本当によくかけたよ、
 だって、そのシングルは収録されてなかったんだから。
 なんて素晴らしいアイデアなんだ!って思ったね。

 僕等がデビューアルバム『サム・フレンドリー』のレコード(オリジナル ヴィニール盤)をリリースした時、
 シングルの『ジ・オンリー・ワン・アイ・ノウ』は収録しなかった。

 それは、ニュー・オーダーの影響だったんだ」
0832『エイジ・オブ・コンセント』2007/05/27(日) 03:24:55

『お願いだ 僕を解放して欲しい
 心にのしかかるあの言葉が 僕を傷つける
 自分がやりたいことだけを君に話したがるような
 僕はそんな人間じゃない
 君が僕に望むことを言わなければならないような
 僕はそんな人間でもない

 今朝 君に会った
 君は知りたいのかもしれないと思った
 数日前に 君のメッセージは全て受け取った
 言ってることは完全に理解できた
 そして今、現実にそれを聞いた
 君は後悔するだろう

 君が僕に何を望んでいるかだけを話したがるような
 僕はそんな人間じゃない
 僕にセックスのやり方について話さなければならないような
 君はそんな人間じゃない

 こんなことはよくあることだろう
 決定的な瞬間が
 ある日、悲劇を生む
 自分がやりたいことだけを君に話したがるような
 僕はそんな人間じゃない
 僕は 君に何か言わなきゃならないような人間じゃない

 僕は君を失った
 僕は君を失った
 僕は君を失った…』
0833ティム・バージェス2007/05/27(日) 03:38:58

「『権力の美学』は僕にとって、歌詞を書くってことについての初めてのレッスンになった。

 『エイジ・オブ・コンセント』にある、
 『君が僕に、セックスのやり方ついて話す必要はないよ』という歌詞の一節は
 1983年に16歳だった僕の心に本当に響いたんだ。
 そして、バーナードの歌い方は、誰でも出来るんじゃないかと思わせるくらいに無邪気だった。
 ピーター・フックの弾くすばらしいベースリフは、スージー・アンド・ザ・バンシーズの『香港庭園』
 を思い出させたよ。

 対照的に『ウイ・オール・スタンド』は、とってもスロウな行進曲みたいだ。
 再び、すばらしいベースラインと歌詞がある。

 『あと3マイル、この道の果てに 未来が僕を待ちうけている』
 彼らの歌詞はストレートで、共感することができた。

 スリーヴには"Words and Music by New Order"とあって謎めいた雰囲気があった。
 バンド内で誰が何をやっているのかさっぱり分からなかったよ。
 だから、僕達はザ・シャーラタンズで同じように謎めいた雰囲気をつくり出したいと思ったんだ。
0834バーナード・サムナー2007/05/30(水) 21:55:36

「俺たちの音楽には全員が貢献してるんだ…。
 俺たちの中のひとりだけが書いたなんて歌はひとつもないんだよ」

「俺たちは成長してるんだ。

 音楽は、俺たちは一緒なんだというフィーリングから出来あがってくる。
 俺たちの間の自然な共感からね。

 俺たちは演奏する。
 と、心に沸き上がるものがある…。俺たちはそれを解き放つ…。
 それは俺たちの一部なんだ。
 俺たちにも説明できないようなね…。

 それが何処から来るのか、自分でも分からない…。
 それは自然に起こることなんだ」
0835スティーヴン・モリス2007/05/30(水) 21:59:30

「完成された形の曲を誰かが持ち込んだことなんて一度もないよ。

 じゃあどうやって曲を作っているかというと、これを説明するのはとても難しいんだけど、
 ひたすら取り留めもなくジャムを繰り返し、それをすべてコンピューターに録音するんだ。

 運がよければ、それを後から聴き直したときに、8小節なりの使えそうなアイデアを
 見つけることができる。
 それらのアイデアをつなぎ合わせたり、キーを調整したりして、それを元に、再びジャムを繰り返すんだ。
 そこからフレーズやサビなど、曲のベーシックな部分が浮かび上がってくる。

 それをバーナードが持ち帰って、アレンジを変えたり歌詞を加えたりして曲になっていくというわけだ」
0836『5‐8‐6』2007/05/30(水) 23:38:08
『危険を感じる
 曲がり角に 僕のもとへ送られた
 通りが影で覆われ
 君は僕からまっすぐ走り去った
 君の声が聞こえた
 そう、僕は君の呼ぶ声を聞いたんだ

 僕は静寂に耳を澄まし
 心の沈黙に耳を傾ける
 遠くから 背を向けて 僕から逃げていく
 君の声が聞こえた
 そう、僕は君の呼ぶ声を聞いたんだ

 そうなったら 君はもう僕の友達じゃない
 最初のチャンスを利用するんだ
 僕がもう自由じゃなくなった時に
 君の声が聞こえる
 そう、僕は君の呼ぶ声を聞いたんだ

 これから先 君の心の中に僕を求めても
 僕はそこにはいない
 暗闇の中、声を張り上げても

 君の声が聞こえた
 そう、僕は君の呼ぶ声を聞いたんだ

 僕の心からの声がきこえるか
 僕が隠せないこんな感情からの
 君を呼ぶ この声が聞こえるか…』


0837バーナード・サムナー2007/05/31(木) 00:08:27

「俺たちが最初に始めた頃、
 俺はシリアスな歌詞を書いてみようとしたんだけど、それはひどい代物だった。

 だから、セカンドアルバムでは自分が感じたままに何でも書き留めたんだよ。
 セカンドアルバムに関しては、歌詞が良いか悪いかどうかなんて本当に気にしなかった。
 俺はリラックスできたよ…。

 皮肉なことに、セカンドアルバムの歌は、俺にとって多くの意味を持つものになった。
 それらは人目を気にしなかった分、俺自身にとって、より正直なものになった。

 『ユア・サイレント・フェイス』なんかは、誰もが本当に美しくて、詩的で、意味のない歌詞
 だと思ってるだろ。
 だから俺は思ったんだ、
 美しくて、詩的で、意味のないものをやるよりは、
 俺たちは、唖然とするほど、馬鹿馬鹿しくて、ラフで、意味がないものをやるほうがいいって。
 残りの曲はまったく正反対のものだね。

 バラにだって棘があるんだから」
0838『ユア・サイレント・フェイス』2007/06/04(月) 01:48:43

『決して変わらない考え
 残された ばかげた嘘
 変わらないものなんか ありはしない

 何もきこえないし 息もできない
 動けない 色もない 
 あるのは沈黙だけ

 揺れ動く残念な思い
 終わらない探求

 僕らは君の見たものが何か尋ねた
 君は気にするなと答えた

 1人だけで作られた音なんて
 時間の無駄かもしれない
 まったく いつもと同じ

 何も聞こえないし 息もできない
 動けない 歌詞もない
 あるのは無だけ

 行き先を示す標識
 僕らが進めない道

 君は僕が最低の時に出会った
 だからどこかへ消えてくれ…』
0839ピーター・フック2007/06/04(月) 01:53:00

「これは幻想的かつミニマル。
 作りといい、コード進行といい、昔のジョイ・ディヴィジョンのやつみたいに
 出来ている。

 歌のメロディは、あるギグで俺が弾いた突拍子もないリフから取った記憶がある。
 バーナードがそれを聴いて、すごくいいリフだって言ったんだ。
 弾き方はまずいが、音は最高だから『ユア・サイレント・フェイス』の歌メロ
 に使おうって」
0840バーナード・サムナー2007/06/04(月) 01:55:21

「品があって軽やかで、俺のお気に入りのひとつだよ。

 リハーサル・ルームで書かれたもので、ごく簡単に出来てしまった。
 ひたすらシンプルできれいな曲だから、こういうのは書こうと思うと
 一番難しいタイプのトラックなんだけどね」
0841ティム・バージェス2007/06/04(月) 02:18:42

「『ユア・サイレント・フェイス』は、ニュー・オーダーで最も美しい歌だよね。

 みんながそれをクラフトワークみたいだって言ってたけど、僕は聴いたことなかったんだよな。
 最後の一節は、
 『君は僕が最低の時に出会った。だからどこかへ消えてくれ…』、
 美しさは混沌に変わり、さらに、その一節がまったくの使い捨ての物みたいに変えていた。

 ニュー・オーダーはつっぱって闘ってたけれども、彼らのユーモアセンスは決して失わなかった。
 それを理解してるファンにとっては大事なことだったんだ。
 彼らは、ありふれた考え方には関心がなかった。

 アルバムに収録されてるのは、たった8つのトラックなんだけど、どの曲も幸福感に満たされた、
 高揚した気分にさせてくれるんだよ。

 彼らの同期には、ヘブン17 やヘアカット100がいた。
 僕は、彼らは好きになれなかった。
 ニュー・オーダーは、彼ら自身が言ってたように、着飾ったりしない唯一のバンドだったよ。
 スマッシュ・ヒッツは、そのことで彼らをからかったりしたよね。

 彼らは、モダンな感じを気取ってる全ての境界を超越してたんだ。
 時代を先取りした音楽で、
 だけどパンクロックのアティチュードで」

0842伝説の名無しさん2007/06/05(火) 20:41:30
ステキだ…。
0843伝説の名無しさん2007/06/06(水) 01:09:15
いつも楽しみにしてます。
JDは「夢」の様な物だったていう件から、
Dreams Never Endに繋げたのは鳥肌が立った。
0844バーナード・サムナー2007/06/07(木) 01:05:45

「あのとき、俺たちの頭は完全にクソ・アシッド漬けになってた」

「毎日毎日やってたよ。いや、幻覚が出るほどじゃない。
 一塊全部やったら幻覚が見えるだろうけど、ほんの少しなら視点が変わるだけなんだ。
 毎日、剃刀で薄ーく切ってさ。

 『エクスタシー』を書いたときがそうだった。あの符合には笑ったね。
 アシッドの曲を書いてたら、しばらくしてみんながEに夢中になったんだ」

「実験のつもりだったよ。
 『せっかく面白いものを発見したんだから、ちょっと自分たちの頭を使って試してみよう。
 新しい音楽スタイルを試してみよう。
 新しいドラッグも一からためしてみよう』、そういう感じ。

 どうせ徹夜で作業するならハイになってた方がよっぽど楽しいしさ。
 ある意味、ああいう生活には不可欠だったんだよ」
0845スティーヴン・モリス2007/06/07(木) 01:22:54

「バーナードは白衣を着て、先っぽに紐がついた棒を持ってさ。
 『おい、お前ら、おいっ!』ってさ。あれには笑った。」
0846ピーター・フック2007/06/07(木) 01:34:12

「白衣を着込んでさあ。要は自分ワールドに入ってんだ。」

「当時のあいつの欲求不満の一つに、せっかく先に進もうとしてるのに
 俺たち3人はそうじゃないっていうのはあったんじゃねえか」

「『俺たちはグループなんだから、バンドでしか出せない音を出そうぜ。
 パンク系なんだからよ。
 俺がベースをやる。だからお前も黙ってギター弾いてな』ってそう思ってた。

 でもあくまでもこれは俺の見方で、あとの3人はムチャクチャ楽しんでたのかもしれないけどな。
 基本的にお互いに嫌気がさしちゃったんだ。

 俺はあいつの変わっていく方向に我慢ならなかった。
 わがままなのはわかってるけどさ。
 (変わったのは)音楽的にか、人間的にかって?
 
 両方だよ」
0847バーナード・サムナー2007/06/07(木) 01:40:35

「ねぇ、今ここで、彼と気が合わない人間のリストを見せてあげようか?(笑)

 俺は音楽を作る時は、いつも新しいことを試みるべきだと思ってる。
 でも、フッキーにとって一番大事なことは、バンドが全員で演奏することなんだよ。
 俺は曲が良ければ、自分が演奏しなくても気にならない。
 でも、フッキーの場合は、どんな時も、自分が演奏しないと気がすまないんだ」

「そもそも俺とフッキーは、まったくタイプの違う人間で、趣味もまったく合わないから」

「フッキーは心でものを考える人で、俺は頭で考えるタイプなんだ。
 だからいつも問題が起きる」
0848『リーヴ・ミー・アローン』2007/06/12(火) 01:33:23
海に浮かぶ千もの島々で
僕は自分によく似た たくさんの人たちと出会う
雪の中に百の連邦があり
彼等が一列に並んで歩き、倒れていくのを見る

僕たちはいつも人知れず生きる
今夜 ここはとても静かになるだろう
海に浮かぶ千もの島々
それは悲劇だ

百年前に船乗りが 僕が立つこの地を踏みしめた 
誰か 僕を連れ出してくれ 
つらくなったときには
僕の頭の先から爪先まで
本に書かれた言葉の中に
僕は幸運をもたらすヴィジョンをみた

僕の頭の先から爪先まで
僕の歯から鼻先まで
君はこれらの言葉を誤解している
いつでも
君はこれらの言葉を誤解している
僕は微笑むしかない

僕の頭の先から爪先まで
僕の膝から目まで
僕が空を見上げるたびに
あと数日の間 僕をほっといてくれ
あと数日だけは僕をひとりにしてくれ

僕をほっといてくれ
僕をひとりにしてくれ
0849ボビー・ギレスピー2007/06/12(火) 01:38:42

「ご存知の通り最近は2〜3年毎にアルバムを出して、アルバムからシングルを1枚切るのがバンドのやり方だ。

 しかしニュー・オーダーの場合、
 『ムーヴメント』の直前に『エヴリシングス・ゴーン・グリーン』と『プロセッション』を出して、
 『ムーヴメント』と『権力の美学』の間には『テンプテーション』と『ブルー・マンデイ』を発表している。

 どれもアートの域だった。

 彼らは常に、音楽的に前進していて、新しいことをやるのを恐れなかった。
 本当に肝が据わってたんだと思う。

 プライマル・スクリームは、そういう意味でニュー・オーダーから大いに触発されていた」
0850ピート・トン2007/06/12(火) 01:43:38

「クラフトワークの影響は明らかに分かるしパトリック・カウリーの影響も…
 シルベスターとかもね。
 アーサー・ベイカーやジョン・ロビーも。

 今は普通だ。U2やデペッシュ・モードも普通にやってるけど、あの頃は特殊だった。
 時代の先をいってたんだ」
0851『権力の美学』ライナー・ノーツ2007/06/12(火) 02:01:18

『…ニュー・オーダーとして生まれ変ってからの彼らの音楽は、かつてない急速なテムポで
 変化していくようだ。

 1982年ニューヨークのヒップ・ホップ・カルチャーの「教祖」アフリカ・バムバータと
 アーサー・ベイカーらが創り出したニュー・サウンド「プラネット・ロック」の過激な響きは
 ニュー・オーダーの変身願望に拍車をかけたに違いない。

 「テンプテーション」をきっかけに、彼らはそれまでまとわりついて離れなかった
 ジョイ・ディヴィジョンの幻影をいっきにかなぐり捨てた、のだと思う。
 そして、その大決断の輝かしき成果がこの「権力の美学」をはじめ、「ブルー・マンデイ」や
 「コンフュージョン」で花開いたのだ。

 イアン・カーティスが亡くなって3年余りも経った今日、
 ニュー・オーダーの「ブルー・マンデイ」の売れ行きが一向に衰えぬどころか
 まだまだ上昇を続けているのに呼応する如く、
 すでに20数万枚も売りつくした筈のジョイ・ディヴィジョンの「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」が
 再び、イギリスで「新発売」された。

 これもまたニュー・オーダーの新しい神話の1ページになるのであろう。


                                            1983.11  今野 雄二』
0852マーティン・プライス2007/06/14(木) 00:32:33

「ニュー・オーダーはそういう音楽により早く目覚めただけであって、
 他のバンドが今そういう影響を受けているのと同じ事だよ。
 だから彼らの転換はスムーズにいったんだ。古くさいとか言われる前に変わったからね。
 転換を選んだ時期が良かったんじゃないかな。

 そんな彼らを尊敬するし、また大好きなバンドの一つでもある。
 彼らはやるだけのことをやってまるっきり変わっただろ?
 開拓者といえるだろうね。

 そういうことに賞があるんだったら、彼らが受け取るべきだと思うよ」
0853バーナード・サムナー2007/06/14(木) 00:36:55

「(ブルー・マンデイは)当時、みんながニュー・オーダーっぽくないって言ったんだぜ。
 俺はそう言われて自身がペチャンコになったよ。

 ちょっと俺達の轍から外れたことをやってみても、
 やっぱり俺達は俺達なりのいい仕事ができるんだよっていう感じの曲だったんだ。

 あのね、何かやるにしても、それなりに効果的なやり方を編み出して、
 一生同じやり方でやり続ける ことは至極簡単なことなんだ。
 でもそれじゃ何も学ぶところは無いし、実際、最終的には 自分で自分の首を絞めることになる。

 そういう意味じゃ『コンフュージョン』はかなり勇気ある 一歩だったと思うよ。
 あの時点だったら『ブルー・マンデイ・パート2』をやっても全然おかしく なかったわけだからさ。
 『ブルー・チューズデー』なんてタイトルにしてね(笑)。

 でも俺達はそれとは全く違うことをやろうとしたわけだ。」

0854バーナード・サムナー2007/06/14(木) 00:42:26

「ただあの曲はあまり時間がかけられなかったんだ。
 あれはニューヨークで録ったんだけど、もうニューヨークが死ぬほど嫌になってて
 早く終わらせて帰りたいよぉって感じだったんだ。

 当時はアーサー・ベイカーが一体どこのどいつかだなんてことすら全く知らなかったもんだから、
 ベイカーも俺達もお互いの仕事のやり方ってものを全く無視し合っていたんだよ。
 それはそれで物凄い 緊張感があの場を支配してたねぇ。

 当時の俺達のやり方っていうのは、何時間も何時間もリフを演奏し続けて、そのテープの中から
 30秒分だけの音を拾って、それを曲にしたりしてたんだ。
 ところがベイカーの方は、まず曲のコーラスとタイトルから決めていくんだよなぁ(笑)

 彼は俺達が適当にジャムってその中から一番いいテイクをベイカーに渡してから作業が
 始まるもんだと思い込んでいた。
 それでね、俺達がベイカーに何の編集も施してない12時間 にも及ぶテープをポンッと渡したら、
 あいつ、いまにも心不全を起こしそうな顔をして、フラフラしちゃってさぁ(笑)」

 「アーサーが忙しかった上に、いよいよという時になって俺がインフルエンザにかかって
 すっかり体調を崩してしまった。
 トラックにずいぶんと時間をかけて、ヴォーカルはやっつけだったんだ。
 夕方4時の飛行機に乗るというのに、歌い始めたのはその日の昼12時だぜ」

0855ピーター・フック2007/06/14(木) 00:46:19

「ほんとやりにくかったよ!

 アーサー・ベイカーは、ただ俺達をじっと見つめて、そこに突っ立ってたんだ。
 さあほら、何か書けよって具合でさ。

 で、俺達は頭を抱えてぐるぐる歩き回ってたんだ。
 まだ家に帰る時間じゃないのかよ?って。

 俺達、プレッシャーがあると上手く働けないんだよな」
0856アーサー・ベイカー2007/06/14(木) 00:57:09

「我々が、スタジオに入ったのはたった2日間だった。
 あの時、彼らは何の材料も準備してなかったんだよ。

 我々は、互いを知り合うところから始めないといけなかったし
 新曲を仕上げないといけなかった。
 でも、とても上手くいったと思う。
 
 我々は『コンフュージョン』と『シーヴス・ライク・アス』をやったんだ」

「(当時、私は)プラネット・ロックなどで成功していたからね。
 ファンクをやるためさ。
 NY進出を望んだのか、マンチェスターの若者達がいるハシエンダを狙ったのか。

 『コンフュージョン』はイタリアン・ディスコの影響が明らかにあった。
 それからシックもバーナードは好きだった。
 シックっぽいギターがね。

 彼らがNYのヒップ・ホップを前向きに融合させようとして、これが刺激になった。
 他のポップ・グループのね」
0857バーナード・サムナー2007/06/14(木) 01:01:53

「当時のアメリカのダンス・ミュージックは、とても器用なものでプロフェクショナルだった。
 俺に言わせれば、あまりにも洗練されているがゆえに退屈で、ちっとも魅力を感じなかったんだ。

 イタリアものは、ミスがボロボロあったけど、それが曲にキャラクターを与えていて面白かったよ」

「『コンフュージョン』は自暴自棄のレコードだ」
0858『コンフュージョン』2007/06/18(月) 01:35:42

『君が僕にとってどれだけ大切か伝えても、君はちっとも僕を信じてくれない
 君が見たこともないものを見せてあげても、君はちっとも僕を信じてくれない

 君は自分の気持ちを隠してる、より多くのものを求めながら
 分け合い、希望をもって、長い間一緒にやってきたのに

 僕らの人生は、今まで歩んできた道から大きく変わるんだ
 だから今、君が知るべきだと僕が思うものを教えてあげよう

 君が僕にとってどれだけ大切か伝えても、君はちっとも僕を信じてくれない
 君が見たこともないものを見せてあげても、君はちっとも僕を信じてくれない

 君は僕を混乱させる、君は心配だっていうけれど
 変わりたいっていう強い思いで、彼らは最後までもちこたえるだろう

 質問なんかしないでくれ、嘘なんかじゃない
 過去は現在で、未来は僕のものだ

 君が僕にとってどれだけ大切か伝えても、君はちっとも僕を信じてくれない
 君が見たこともないものを見せてあげても、君はちっとも僕を信じてくれない

 君は僕が必要だと言ってくれる、今度はうまくいくよ
 僕らの信頼が引き裂かれることはない、たとえ感覚だけになったとしても

 君が分かってくれたって、君の表情を見て確信したんだ
 君はちょっとした問題を引き起こして、僕の居場所を奪った

 君が僕にとってどれだけ大切か伝えても、君はちっとも僕を信じてくれない
 君が見たこともないものを見せてあげても、君はちっとも僕を信じてくれない…』
0859マイケル・H・シャンバーグ2007/06/18(月) 01:44:13

「1983年、私は彼らを音楽プロデューサーのアーサー・ベイカーに紹介して欲しいと頼まれた。
 その後、アーサーはニュー・オーダーのシングル『コンフュージョン』を制作。
 すると私は、この曲のミュージック・ビデオ制作を彼らに依頼された。

 私は昼間はクイーンズのピザ屋で働き、夜の自称ダンス・グループ、ジュース・クルーで活動する
 若い少女を追ったヴィレッジ・ヴォイスの記事を読んだところだった。
 彼女達はアーサーの友人、ジェリービーン・ベニステスがDJをやってるクラブ、ファンハウスへ行っていた。

 ベイカーは曲のミックスをジェリー・ビーンに渡し、クラブで流してもらってダンサー達の反応を見るのだ。
 それからアーサーはスタジオに戻るとミックスを微調整していた。

 ニュー・オーダーは伝説のDJ、ラリー・レヴァンが登場したニューヨークの悪名高いダンスクラブ、ガレージで
 演奏するためにニューヨークを訪れた事もあった。
 こうしてみると、
 私が考えた曲作りの過程を追う社会的リアリズムのドキュメンタリーを作る要素は全て揃っていたのだ。」
0860エド・シモンズ2007/06/18(月) 01:49:28

「子供の頃、ニュー・オーダーが一番のお気に入りだったんだ。

 『コンフュージョン』のヴィデオも空覚えしてるくらいさ。
 ニューヨークのクラブで撮られてたんだけど、このヴィデオのおかげで
 その当時僕が全然知らなかったカルチャーを知ることができたんだよね」
0861バーナード・サムナー2007/06/18(月) 01:55:52

「NYのパラダイス・ガレージというクラブなんだけど、あれは朝の7時くらいに撮影したんだ。
 前の晩、NYの郊外でコンサートがあり、夜中に車を飛ばしてNYに帰ってきて、夜明けに着いた。

 あのヴィデオはテレビのスポット広告の手法を真似て、場面をパッパッと切り変えたんだ
 ドキュメンタリーぽい演出でね。
 あのヴィデオはMTVで何十回も放映されたよ」
0862マイケル・H・シャンバーグ2007/06/18(月) 02:06:39

「『コンフュージョン』のビデオはニューヨークでの特別な時間の記録だ。

 ガレージでステージに立つニュー・オーダー。そして、夜明けにファンハウスに到着する彼ら。
 アーサーはミックスを自分のスタジオで終えると、もうそこにはない42番街を歩く。

 若い少女は最後のピザを作り終えると急いで家に戻って着替え、地下鉄で友達と合流する。
 彼らは全員、ファンハウスで顔を合わせる。
 ニュー・オーダーとアーサーは曲を演奏しジュース・クルーなどの大勢のダンサー達が踊りながらそれを見る。

 ファクトリーのパートナーで、ジョイ・ディヴィジョンとニュー・オーダーのジャケットを全て手掛けている
 グラフィック・デザイナーのピータ・サヴィルが、ビデオの最後に一文を加えた。

 『For Heavy Rotation.(ヘヴィ・ローテーション用)』

 これは曲が終わる前に流れるが、MTVが『コンフュージョン』を放送した時は見せなかった。
 しかもヘヴィ・ローテーションで流しもしなかった!

 だが、これはファクトリーの楽しさと個性の一部で、だからこそ私はこのレーベルとニュー・オーダーに惹かれたのだ。」
0863ピーター・サヴィル2007/06/21(木) 00:41:11

「初期のファクトリーはファミリー・スピリット溢れる実験室のようだったよ」

「自分たちの感じるものを思う存分表現していた。

 レコードは低予算だったけれど、当時の勢いというか、バンドの振動が
 十分凝縮されていたんだ」

「すべての表現には作り手の姿勢が表れているべきだ。

 私にとって最も重要なファクトリーの遺産は、その姿勢だった。
 心構え、物事のやり方インディーズ精神の表明だ」

0864ヴィニ・ライリー2007/06/21(木) 00:52:19

「当時(80年代の初め)読んだ記事に――――
 『まるでパンクがなかったように』と書かれていて、本当にそんな感じがした。

 何も変らず何も達成していない。
 ファクトリー周辺の人たちは皆それを気にしていて、トニーとファクトリーは
 特にその気持ちが強く、ひるむことなく継続しようと。

 メインストリームの音楽やビジネスは意識的に無視することにしたんだ」
0865スティーヴン・モリス2007/06/21(木) 01:00:04

「ファクトリー、そしてジョイ・ディヴィジョンや初期のニュー・オーダーにあって、
 今のニュー・オーダーにないのは、ああしたアナーキーな部分だと思う。

 アルバムを出すのにも、いまはワールドワイドで契約しているので、
 そういうことは出来ないけれど、レコードをいつ出そうが、どんなものを出そうが
 関係ないって時代だった。

 今は12インチを赤字覚悟で出したりなんてことはまったく出来ないからね。
 当初ジョイ・ディヴィジョンやニュー・オーダーが差別化できたのは、
 そうしたパンクというかアナーキーさで、それが他のバンドにはなかったからだと思う。

 あともう一つ、他のバンドと違っていたのは、ジャケットが非常にアーティスティックだったということ。
 今はみんなそういう指向を持っているけれど、当時はそうじゃなかったから、とても注目されたし、
 ジャケットのデザインを美しくするということの先駆けになったんじゃないかな」
 
0866バーナード・サムナー2007/06/21(木) 01:21:51

「(マスコミは)俺達が片意地張って人と違ったことをしようとしてるって責めるけど、
 その多くは俺のアイデアじゃないんだ。

 俺はN.M.E.を読むまで『ニュー・オーダーが口パクを一切しない』なんてこと知らなかった。
 それにジャケットに自分達の顔写真を載せないってこともね。

 俺がアメリカに行って(アメリカのアクセントで)『おい、バーナード』って話しかけられると、
 どうしてアルバム・ジャケットに写真を載せないのか説明しなければいけないのさ。

 どうしてなのか俺も知らないのにね。
 ピーター・サヴィルに聞いてくれよなって感じだよ、ほんとに。
 俺が知ってるたった一つのことは、彼は俺には何も聞いてこなかったってことだけだよ」
0867ピーター・サヴィル2007/06/21(木) 01:27:50

「通常考慮すべきことは、レコード・ジャケットなどのコミュニケーションデザインの場合
 表面にタイトルを入れるか?とか、アーティスト名も入れるか?などだ。

 それがいい加減になっていった。気にしなくなった。クレジット名や曲名。
 別にいいか、なしにしよう。当たり前すぎる。ありきたりだ。」

「ニュー・オーダーのイメージはジャケットで定着していった。

 彼らは特に喜ばず『それでいい』くらい。
 嫌われたことも多かった。でも、店に出てしまうと変えようがない」
0868トム・ヒングリー2007/06/21(木) 01:34:41

「ファッションなんて一時の流行にすぎないね。
 けど、悲しい時に聴いた曲は5年後も心に残ってるのさ。

 アルバムっていうものは買った人にとって特別な想いがあるはずだと思う。

 13歳の時に買ったレコードを30歳になってから聴いてみると、それは傷だらけにはなってるけど、
 その人の思い出というのはそこに残っていて昔を思い起こすことができる。

 アルバムとは買った翌月にはもう聴けなくなるものじゃなく、いつまでも聴けるようなものであるべきなんだ。
 だから、僕らはジャケットにも気を使っているのさ」
0869クリント・ブーン2007/06/21(木) 01:36:10

「僕らは今の流行だけを追うんじゃなくて、ジョイ・ディヴィジョンやニュー・オーダーのように
 10年経ってもカッコいいと思えるジャケットを作りたいんだ」
0870トニー・ウィルソン2007/06/25(月) 00:23:37

「ピーターと会ったのはアポロでのパティ・スミスのひどいライヴでだった。
 そこで『デザインなら何でもやりますよ』と。

 そこでファクトリー・クラブを始めたとき、彼に頼んだ。
 ただ完成したのがクラブの閉鎖後だった。彼は優秀だよ。
 でもその前にも仕事が遅れていたらしい。言って欲しかった。

 でもいいジャケットだ。
 才能ある人には金は惜しまない。
 それで『君の才能を買う。美しく仕上げてくれ』と。
 心を込めてだ。いいものにしてくれ。
 それだけ才能のあるデザイナーだと思った、それで彼を雇いパートナーになった。

 そしてメンバーの顔を出さないジャケットと彼の謎めいたデザインは成功した。
 結果的にバンドの狙いと同じだった。よかったよ」

「(ピーターのアートは)過去のものを、時代にぴったり当てはめてくる。
 時代を先取りしていた。時代に合致していた。
 ドンピシャだ。
 現在と未来に意味を与え得る、限られた過去だ」
0871ピーター・フック 2007/06/25(月) 00:25:44

「バンドの一部だよ。ロブもピーターもバンドに不可欠だ」
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています