〜〜〜 法律に正義はあるのか 〜〜〜
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0066法の下の名無し
2007/09/25(火) 20:29:51ID:P3uDK41Wしかも妥当であるような義務規範Rがある
これはさっきより巧くいきそうだ。左辺→右辺はよさそうだ。
でも逆はどうだろう。右辺→左辺は、もしなにか規範が
妥当すれば、その規範に従うことは必ず正義に適っている
ことを主張している。すると、世界には妥当する規範は
正義に適っているかどうかを決める規範の一群しかない
ことになる。礼儀作法の規範とかも、もしそれが妥当する
ならば正義の問題であり、正義の問題と切り離された
礼儀作法なんてものはないことになるね。
野球のルールもそれが妥当するなら正義の問題だ。
これは充分可能な立場だ。妥当な規範はみんな正義の問題で、
そうでないものは本当は規範ではないか、実は妥当していないのだ。
でもこれはちょっといやだし、少なくとも我々は一般に
そういう風に「正義」という語を用いていない。
じゃあ規範の「妥当」を規範体系、規範領域ごとに相対化
できないだろうか。でも、正義を決定する規範を、右辺で
正義自身に言及することなく規範の妥当を相対化することで
括りだしてくることがア・プリオリにできるかどうかは
残念ながらかなり疑わしい。
そうすると結局、
修正3:行為Aが正義に適っている=行為Aがその随従となり、しかも
正義を決定するものとして妥当であるような義務規範Rがある
という甚だ無内容にみえる「定義」に落ち着くことになるだろう。
でも本当は正義が規範の問題であると主張しているわけだから、
無内容というわけではない。正義の規範性を否定する論者
はこの「定義」を受け容れないだろう。
行為Aが正義に適っているという判断を認めても、
行為Aをなすべきだ、とは必ずしも認めないことは幾らでもありうる。
トラシュマコス風の正義観はまさにその古典的な例のひとつ。
だから誰もが正義を規範に従っていることとしてとらえている
という主張は単純に誤りだということになる。
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