<権能的>に立法行為まで行う国会に確認行為が<行えないはずもない>し、「日本国憲法」
の最高性、憲法としての無効性、講和条約としての有効性のこれら事実を確認するのであ
るから、国権の最高機関とうたわれている「国会」が真っ先に「確認行為」を行うのが
<適格>である。

 違憲無効という異常状態は治癒されなければならない。実力によって改廃させられたも
のは、いったんは瞬間的にでも原状回復されなければならない。折り目正しく原点に返り
正統性を保持しそこから筋道を通して時宜に応じた改変により憲法が確立されなければな
らない。あたりまえの道理である。帝国憲法さえも遵守できない国民ならば、今後、どん
な憲法をもっても、その時々に現れた実力の前に屈服してゆく歴史の繰り返しになるであ
ろう。

 実力によって改廃されたものを、修正するに、また実力(クーデター、革命、征服)に
よって実現するなら、それは法の支配からのさらなる脱却でしかなく、自ら進んで実力の
前に屈服するをよしとし、他人を実力でもって屈服させるをよしとすると同列の恥の上塗
りである。

 又、自覚がないようではあるが、改正論は、ちょっとおとなしい外形をしているだけで
この現実の力によってものごとを実現しようとしたり、奴隷になって屈服してゆこうとす
る上記の恥の上塗り族と本質的に同じ精神構造である。もともと、その自分の精神の虚無
状態を自覚しながゆえに、法の支配という高邁なことが感知できない不自由な方たちなの
であろう。