戦後はずうっと(A)という偽物の体系、いかがわしい出自のモノを憲法とし、それにひきこもるために最高法規だとしな
がら 国家規模での欺瞞をやっているからいつまでたっても東京裁判史観が必要なのである。東京裁判史観を必要としている
根源には「日本国憲法」を憲法としている自己欺瞞が存在するのである。日本国憲法史観に立ったときすべてが歪曲され
問題化していくのである。

 我国には靖国問題などという問題はないのである。今後も国に殉じた人々はどうどうと靖国神社に祀られなければならない
のである。「日本国憲法」を憲法としているかぎり、憲法として否定しないかぎり、そういう歴史観には永久に立てないのである。
我国には歴史教科書問題などないのである。すべて戦後の社会問題は無効憲法を憲法としている国家規模での自己欺瞞
から発している。

それゆえ(B)の法序列が単なる過半数の議決で公認されればもう東京裁判史観とともに帝国憲法体制の戦前を暗黒に描写
する教育も教科書も必要ではなくなるのである。 歴史教育もまっすぐなものになり国民が国家観を自然と身に着けることが
可能となるのである。

いいですか?この段階(D)でもう9条の縛りや念仏のような前文が削除され皇室自治も認められるのですよ。
総議員の3分の2や国民投票の手続きもいらないのである。無効なものは無効だという事実の確認手続きだけでルソー主義
の謝罪憲法の縛りはとけるのである。北朝鮮への拉致被害者奪還の為の実力行使を妨げる条件がこれで解除される。
そして帝国憲法の改正審議に入る。審議に10年20年、なんなら100年かけたってよい。
国家の憲法の正統性と国民の精神を回復する。これなら、短期的問題も長期的問題も両方かたづくのである。