■■■ 法学板総合質問スレ Part 2 ■■■
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0319法の下の名無し
05/03/16 13:44:06ID:fionNg8f最後のレスにするが、
「敬うべき」かどうかは内心の問題なので、国家や法が介入することはできない。
内心から敬いたい人は敬えばいいし、そうでないものは内心として敬わなくてもよい。
ただ、国家の象徴や元首に対して「外見上一定の敬意を払っているように振舞う」のは国際的な慣行上当然のこと。
選挙で選ばれる大統領に対してでも、「敬意を払っているように振舞う」でしょ。
これは国家秩序を保つための重要な要素なわけだ。また、国家間儀礼においても重要。
小泉首相も金正日総書記に対して(実際にどう思っているかは別として)「金正日国防委員長」、「金正日総書記」と相手の肩書をつけて呼んでいる。
なお、「お隠れになった」「崩御あそばされた」などは、国家上の問題というよりも日本語の問題だろう。
天皇に対しては、その憲法上の規定や国家体制がどうであれ、「崩御あそばされた」などの言葉を使うのが日本語の規則。
>「天皇陛下の元へ集うべし」みたいな感覚があり、やんごとなき天皇vs臣下の国民みたいなイメージが、どうしても払拭できないんですよね。
これはなぜ「vs」で結ばれているのか。対立的な視点、対立的な枠をあてはめて見るからそういう疑問がでてくるのではないか。
富士山は日本の象徴であり、「日本人なら一度は富士山に登ったほうがいい」などと人々が考えていたとしても、富士山VS国民にはならないだろう。
俺はウヨサヨ論争は苦手で嫌いだが、どちらも考えすぎのように思われる。
憲法上の天皇が天皇のすべてではない。
憲法上の天皇と国民、歴史上の天皇と国民、社会上の天皇と国民、国語の用法上の天皇と国民、人間同士としての天皇と国民などさまざまなアスペクトがある。
「象徴」とは天皇を憲法的に位置づけたものであって、天皇と国民の関係のすべてではない。
もはや、あなたの疑問は憲法上の「象徴」の範囲を超えている。
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