>4
>一般予防を満足させる範囲で刑を過酷化することは合理的と考えられる。
現行制度の死刑は国家権力によって「侵されるべからず」の財産である身体生命を
当人の意思に関わらず奪うのだから。十分に過酷だと思うが。
それを一般公開して、というのであれば、それは国家による見世物興行以上の意味が
あるのか?T間のように自暴自棄になって無差別殺戮を繰り返し、その挙句処刑される
ようなタイプの人間にしてみれば、見られながら処刑されていくのは一種快感では?
死刑の形式で予防効果が変化するという実証的科学的データがない上、明治維新以来
日本は残酷な刑罰を禁じている。国民感情にそぐわない気がする。

>逆に「死刑がほとんど行われないから一般予防効果が出てこないのだ」という主張も有力である。
昭和32,35年はそれぞれ39人の死刑が執行されたが、それぞれ27名、33名の死刑確定者数を
出している。死刑執行数が極端に増加すればまた別の考え方も出てくるだろうが、犯罪者が
減らない以上、厳罰化では対応しきれない部分があるのではないだろうか。
そもそも「バレなきゃ犯罪にはならない」ので、凶悪であろうがなかろうが犯罪摘発率を上げる
努力に力を注ぐことが重要だと思われ。

>社会を萎縮させてしまう。恐怖政治になってしまうという批判。
国際的な評価は落ちる可能性大。また、重大犯罪をデッチあげるべく無理な捜査を現場に
強いる可能性もある。そういうリスクを犯してまで死刑を増やしていくべきかは中長期的議論。

>最近「昔は市中引き回しの上・・・」といって凶悪犯罪者を批判する文化人が多いことからも、
封建主義地方自治領主制と現代法治主義国家との区別がついてないバカのタワゴト。
>4氏が気にする必要なし。だいたい江戸期は放火、盗賊、関所抜けあたりが死刑の対象だったが、
殺人(傷害致死も含まれていたとは思うが)では島送りにされることが多く、早いと5,6年で江戸に
戻ってこられた。
日本には伝統的に切腹という名誉刑があり、厳罰化を望むのなら政治家や官僚対象に切腹の復活も
検討してもらいたいw