恒藤恭は同志社の教授から京大教授。戦後は大阪市大学長。
立命館に籍があった時期ってあるのかな。
それから、どこかで彼を法哲学プロパーと言っていたが、
同志社時代は経済哲学(今で云う経済学史、社会思想史み
たいなものか)や国際法を講じていたはずだから、ちょっと
プロパーとは言いきれない。田中耕太郎や横田喜三郎の実定法
方面での赫赫たる業績に比べればプロパーみたいなもんだろうが。