>>91-94 (5行目以降マイポエム発動しちゃいます)
91君が言いたいのは"見えないもの"には、物理的なもののみならず、オカルトや空想の
ように極めて主観的、任意的なものも含まれると言う事かな?
そしてそれらの掴みようのないものを、形(記号)にしてAIに内包出来るのかって事?

僕はAIを考えるとき、A行動主体とB認識データ群と2つに分けて考える。分かりやすく(?)
例えると Aが調理人、Bが食材やレシピ群。BをもとにAは調理(思考・行動)するって感じ。
AがAIプログラム、Bが認識データ。刺激信号からくる単純認識も、知識も記憶も認識と考える。

単純な調理人にとっての食材は専ら、各感覚器からの信号認識(痛い、空腹感、敵出現、
疲れた、など)単純な内外からの刺激が主であり、レシピ(知識認識)も「空腹なら摂食が良」
「敵なら逃げるのが良」という単純なものが多い為、本能的・短絡的行動になりがちと
考える。
ある程度上等な調理人になると、「一度作った調味料を、とっておいて他の料理に使う」=学習に
より新しいレシピ(知識認識)に追加する、また転用出来る様になる。「あの果実はニガイから食べ
ない方がいい」を憶えてレシピに加えるとか。*ヒトが言葉を覚えるのも上級のレシピに過ぎないと
考えている。
ヒトは空腹の時、1歳のレシピは「泣いて訴える」しかない。4歳のレシピは「お腹すいたと訴える」、
8歳だと4歳のレシピに加えて「冷蔵庫をあさる」が増え、中学生だと「買い食いをする」が足され、
大学生だと「自分で作る」が増える。これらは任意のものだ。スラム街なら「パンを盗む」があるかも
しれないし、戦時中なら「木の根を喰う」があったかもしれない。

91の言うような空想的・無形的概念も、これら認識データの一種と考える事は出来ないだろうか?
それならば理論上は単純認識と同列に出来るんじゃないかと思うんだけど。