>もしも「生む」という意味が、
>『悔しい事があると押さえ切れない怒りの感情がこみ上げる』とか、「躊躇」
>や「安堵」、「自律性」などの自然発生っぽい、こみ上げてくる感情の事など
>であるならば、ポエムで答えれるかな。
生むのは生まれるべき環境があれば勝手に生まれてくるものです。
環境の意志と呼ぶべきか、そこには仕組みという説明では合わない原理が存在しえます。
細部の1つ1つは法則にのっとり原理によって機能しますが、巨大な多様性的な
特徴をもつ何かが全体として機能する場合での仕組みのことで、原理がないと表現
しているのはマクロ的な現象が現れるときの仕組みの原理は無いと言っているのです。
細部に仕組みがないといっているのではないのです。

自然発生が確実近い結果を、そして必然的に結果を生む場合に仕組によって
その機能が生じたものと、作られた物が設計と構想の反証可能な手順で実現
したものかの違いです。

元は偶然だったかもしれませんが、これを人為的に考えることは可能だと思われます。
しかし偶然から結果が生まれる原理や仕組みを作るというのでしょうか?
それは忠実に反証可能な手順の結果として出来上がる物ではありません。
偶然であったものが、情況を作り上げることでほぼ100%に結果を誘導してしまう。
そういう考えかたです。