スレの流れブタギリですまぬが。

およそ「定義」というのはタマネギの皮をむいていくのとおなじ行為。
しょせんはその程度の意味しかない。そして、
その程度の意味だとわかった上でなら強い力をもつ。

それをふまえた上で「情報」をみじかい語句で定義すれば、
それは「知覚可能性」とか「感知可能性」「認識可能性」などと表現することができるだろうな。

これをヤマト言葉でひらけば「しりうるもの」となる。漢字かなまじりでつづるなら、
「私利得る者」とか「尻売る者」とかではなく、「知り得るもの」だ。

この「しりうるもの」・知覚可能性・感知可能性・認識可能性は、
ひとのココロの側にそなわるものではなく、モノの側にそなわっているものだ。

そしてそれは、なんらかのモノないしはモノにたぐいする作用(音や電波・電磁波・真空などなどの物理現象)を
乗りもの(媒体)にしてひとのココロにとどく。

情報とかなにかをかんがえるなら、同時に「表現」についてもかんがえるといいかもしれない。
表現はかならず情報だが、情報はかならずしも表現ではない。

以上、おもいつくままにならべた。