情報というものを、「知る」という行為の対象にあたるもの、と考えると議論するのは難しすぎると思う。
人間(または生物)の脳や記憶の仕組みは、未だきちんと解明されてないから。
(でも日常的に使われる「情報」って往々にして「知る」ことの対象を指すんだよね)

ここでなるべく客観的な立場から情報を定義するなら、人間が「知る」という行為に結びついた定義(つまり主観が絡む定義)の仕方は避けるべきかと。

というわけで、>>51の言う主体っていうのは、主観にも言及しようとしているの?そうではなく純粋に、作用や状態の元となるもの一般を主体って呼んでいるの?