>>135-136
もしよかったら「記憶」の英語でのソースを教えてください。興味あるので。

>>「情報」とは、保存すれば同じものを復元できるものである。
確かにと思えるところもあるんですが、私は少し違う意見を思っているので、
述べたいと思います。(符号化と有限離散的を完全に理解できている自信はないですが、
ある程度の意見は似ていると思います。)


私は思考や刺激、環境、認知などを素人ながら、時間費やして考えているのでそういう視点(?)から述べます。

まず、刺激とは対象と森羅万象との相互関係であり、いわゆる環境との相互関係といったりします。
我々は常に刺激を受けています。刺激とは我々が認識できないものも含みます。
この刺激の中で、我々が認識、解釈できるものを情報である考えられます。
この情報というのは、言語だけでなく、絵、音声、手話のようなボディーランゲージでも、情報になり得ます。
(ここで125で書いた言語化できるものは、全て情報に成り得るのかそうでないのか。 は、なり得るとする。)

そして、情報とは何らかの形で客観的である必要があり、何かで表現できるものを指す。
表現できるという事は、受けとり手がいるということであり、新たな刺激となりうることが必要条件である。
しかし、受け取り手がそれを同じように認識や解釈できるかは別問題です。

現実に起こっている事全てに意味があるわけではなく、
刺激を受け、我々がただ意味付けをしているだけです。
(例えば、10日連続で4時27分を見た。5日連続で人身事故があり電車が遅れた
など、何かこの現象には意味がある!と思い込みやすい。思わない人もいるだろうけど。)
これらのことを考えると

「情報」とは、何らかの形で客観的に表現ができるものである。

136との違いは、「同じものを復元」できるとは限らないという点です。
私たちは、視覚を持ち、同じぐらいの波長しか捉える事ができないらしいですが、
受容体が違うという事は受け取るものが違う。受け取るものが違うという事は、
受け取った後、表現するものが違うんじゃないかなーと思いました。
(視覚に関しては、同じものが表現できるといえるかもしれませんが・・多分無理)