情報の定義に挑むスレ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 15:32:38ID:I8yqTCJ70コイツがいったいなんなのかハッキリさせましょう。
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 15:42:31ID:s9EGoi5J00003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 15:58:58ID:I8yqTCJ70今はほとんどそんな意味で使わないでしょ。
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 19:23:12ID:07TbwQ840ある機械(含・人間)があったとき、その機械の将来の出力の選択肢(可能性)を狭めることを、
「その機械に情報を与える」と呼ぶ。
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 20:36:58ID:I8yqTCJ70あ、でもそれ、ウィーナーの考えに近いです。
フィードバック系に入出力されるもの、と定義してますね。
機械や人間、その他なんでも。それは一つの考えでしょうけど、
そうなると「情報化社会」なんて言葉に
どうも矛盾が生じるような気がするんですね。
情報をそう定義してしまうと人間が物事を考えるようになってからが
情報化社会とも言えてしまいますし。
単純にフィードバック系がパソコンなどに
置き換わってることだけでもなさそうですし。
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 21:14:35ID:2FYAsKbF0「情報化社会」って、単に情報がやり取りされる社会ってことじゃなくて
情報を伝達する手段が高度に発達した社会って捉えるとどうでしょうか。
その中心にあるのが電子計算機、ということになるかな。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 14:32:40ID:5Kqr5ebc00008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 16:21:50ID:MA8OiwoW00009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 17:15:29ID:fxHzSa3I0物資・エネルギーの時間的・空間的・定性的・定量的パターン
(パターンとは、「秩序・無秩序」の視覚から捉えられた物質・エネルギーの属性)
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 17:25:26ID:0pwGnZnE0by wikipedia
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 17:53:58ID:vtKiPxAO0自己ツッコミだが、それだと知識を伝えるよりも
殴り殺した方が多くの情報を与えることになるな。
>>9
わけわからん。
>>10
>「他との差異」である。
このままだとよくわからんが、良さげか?
>何かを区別するものを情報という。
例えば裁判官やリトマス試験紙は「何かを区別するもの」だけど情報とは言わないよな。
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 18:00:45ID:vtKiPxAO0>そうなると「情報化社会」なんて言葉に
>どうも矛盾が生じるような気がするんですね。
よくわからんです。
ところで>>1さんは「情報の入出力」よりも「情報そのもの」のほうが
基本的な概念(定義が簡単)だとお考えですか?
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 18:39:48ID:0pwGnZnE00014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 19:02:40ID:vtKiPxAO0そういう考えならそう書くべきだろ。
それに、ハードを除外するという条件を付け加えても
妙な定義であることに変わりはないと思う。
「区別するもの」っていうのが区別の主体なのか
区別の手段なのかはっきりしないし。
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 00:05:18ID:wKMMc/qM0っていうのでは駄目?
0016
2006/08/27(日) 23:08:42ID:XGIX94jo00017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 00:40:53ID:tACYAxa+0情報→音波 の場合は ~音波→~情報 とか
何かを区別する場合もあるが、同じものをまとめるときもあるんじゃないか
それも言うなれば区別のひとつではあるが
そういう視点であれば、情報は集合だと言えそうだ
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 18:04:49ID:sCUAJNRU00019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 01:41:39ID:aXv4jJc/0近代経済学の理論では両者に論理的関係はない。
むしろ情報化の進展は市場の失敗をいくらか解決し、
市場取引を円滑にする効果を持つ。
情報化が進んでいても景気のいい例はいくらかある。
コンテンツなんかの情報財は特殊な財ではあるけど。
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 01:47:26ID:qSrUupJn0経済が不安定になりやすくならないか
それに情報の均一化で富が一極集中しちまわね?
例えば地元の店が通販に負けるとか
多様性があるからこそ繁栄があるんだろうけど、今の情報化で多様性なんて出せる?
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 02:27:01ID:5ksZOCFG00022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 05:23:23ID:3SPZXvMu00023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 05:34:55ID:f6CLQLtk0情報は集合って話なら、
情報の性質を数学のような公理で定義できそうじゃん。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 11:13:43ID:aXv4jJc/0取引が円滑になるってのは売り手買い手が
それぞれ相手の情報を持てるようになるから。
情報の非対称性が小さい・無いって言うんだけど。
振り回される奴がいると不安定化するってのが意味分からない。
>例えば地元の店が通販に負けるとか
富の一極集中なんて言い方はしないけどそれはありうる。
でもこれは、情報の非対称性の有無に起因することだから
例えば新聞広告でもテレビCMでもそういう広告媒体でも起きうる。
昨今言われる情報化社会の類の限りではない。
早い話、需要者にとって安い商品に関する情報を手に入れられたら
そっちに向かうのはごく当然のこと。
あと、多様性って何のこと?
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 09:30:44ID:oqeP+OcZ01.情報はデータ部分(文字)とデコード部分(意味)から成り立つ
2.情報から新たな情報を生成できる
3.情報は物理量とは違い、保存則は成り立たない(いくらでもコピーできる)
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 09:32:58ID:g1zAmATI0吉田の情報の定義を、その最広義の定義だけを取り出しても、
一般の人にはわからないでしょう。
>>10
ベルグソンの「差異を生み出す差異」とうい情報の定義が基になっているな。
哲学的に言うなら、アリストテレスの形相と質量の形相の発展した形態が情報と言える。
日本語的には、明治時代に「情報」という言葉は成立した。
確か、軍事用語として成立したと思う。
それまでは、「知らせ」や「間諜」といった言葉が使用されていた。
90年代以降の情報社会という意味での情報は、やはり、PCの普及が
大きな意味合いを持つのでは。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 10:04:15ID:wGmJtpvA0どんな媒体を用いても正確に伝達できるもの
だと思う。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 11:26:02ID:bmVP3lOa0あ あちらこちらでスリ強盗
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/2249559dff61832c1be6fed8591e076f.jpeg
う うまく化けてもエラは隠せず
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/fc4c714aa4c6b6960ead282e4729f293.jpeg
お 親は鮮人子は不良
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/f8172390c8918fe47717403986a5da1f.jpeg
か 韓国人を取り締まれ
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/4ea628010f397c18eed8ccd4eec03c23.jpeg
き キムチの臭いだ緊急出動
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/3b12473e1d9b5759779dac95c0206741.jpeg
く 糞食う民族犬も当然
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/fc5e0c286b47705d432a789e004f20a0.jpeg
さ 財布を擦られたまた鮮人か
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/a5dd7ac04de5b9f19dbc3a9396234ab5.jpeg
ぬ 濡れ衣差別といつものいいぐさ
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/e0e8b8b9b9e85924c82953199cec74b2.jpeg
み 密航してでも日本にいきたい
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/176f464cf55ff2be49b29efa95077056.jpeg
や 優しい新聞本名のせず
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/ac4d10544ea6d6b38e21cadf1e2f4870.jpeg
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 15:14:28ID:TmmMVzej0そりゃないぜ、セニョール
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 07:45:41ID:SoOQOz/90エントロピーを計算できる確率空間上の点
と言い切ってしまいたい欲求に駆られるけど駄目?
0031sage
2006/09/06(水) 21:20:49ID:TAwUgIX70だめだと思う。
情報の定義は情報学の出発になるようなものでないと。
情報とは〜である。
故に情報学とは〜である。
だからコンピュータ、インターネットは情報学の分野。
という流れにならないと定義をする意味がないんじゃないかな。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 00:11:17ID:1AAn7Zjz0情報は遅れた後にyaって来る。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 07:26:33ID:RzXUwx8K0ちょっとニュアンスが違うな
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 16:52:38ID:38snum3P0経済は素人だけどさ、最初のは経済のどこかにフィードバックあるだろうからそこで正帰還になるとやばいんじゃないかなーと制御工学辺りから
非対称性とかその辺は知らなかった
あと多様性ってのは生物まねて、大企業1社に独占されるより中小企業数社あったほうが何か環境の変化に強いだろうと
安いほうがいいっていっても、値下げできるのは利益減らすかコスト削減するからで、
コスト削減は無駄からならいいけど、人件費や原材料費が減ると、個人の給料や原材料屋の儲けが減らないか
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 17:56:57ID:XOzx5FQP00036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 10:22:44ID:9bsP1o+200037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 16:50:50ID:DHIuK3zu0計算は数学基礎論の一般帰納関数でFA
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 18:02:38ID:DIbH2l/T0場合によって変わりうることだけは確か
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 18:13:50ID:QjhUrYUN0それは「情報」ではない。って本によると今日情報って呼ばれてる大概のものは情報じゃなくてデータだって定義されてた
情報ってのはデータとデータの繋がりの背後にあるもっと大きな流れのようなものじゃないかと思ってるんだが文系的かな?
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 19:45:46ID:g/8lQ91b0データは漢字で書くと何かな?
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 20:20:58ID:XLdkPeZp0ttp://digilib.silkroad.net/modules/thesaurus/index.php
ここで検索したら「資料」って出た
近いような気はするな
ttp://www.okdaily.com/cgi-bin/ecdict.cgi?english=data
中国語でも「資料」らしい
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 22:05:12ID:g/8lQ91b0簡単なこと聞いてすまんかった。
情報と資料、これで両者どう違うのか分かるんじゃないか?
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 22:42:40ID:XLdkPeZp00044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 23:54:57ID:Guq17HJW0ビット列は情報ではなくデータだっていう話だな。
その意味ではベルグソンの定義とかで使われてる「差異」も実質的にはデータだ。
その辺が文系と理系の定義の違いを解消する手掛かりになるのかな。
0045名無し
2006/09/28(木) 01:09:48ID:Uzg/4rzs00046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 01:23:25ID:AFg938020それは何かの比喩なのか?
0047sage
2006/09/28(木) 23:51:30ID:hW/oE09+0情報は物質とは関係ないだろ。
光とか物質じゃないし。
むしろ媒体に依存しないということが情報の本質だと思う。
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 18:07:14ID:XwmU8qn10情報の定義
http://www.welcom.ne.jp/hideaki/hideaki/definition.htm
みんな色んなことを言ってます。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 23:18:14ID:J/6L/EPU0>むしろ媒体に依存しないということが情報の本質だと思う。
エネルギーは媒体に依存しないと言えるんじゃないかな
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 19:56:40ID:FV/8z84V0それじゃだめなのかな?
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 19:47:03ID:MlsHbNCj0どうですか?
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 19:51:29ID:MlsHbNCj0したがって利用しうる主体によって情報の意義と中身は異なります。
進んで、客観的な情報はない、と考えます。
さらに進んで、情報学とは情報が生じたことを前提に、なぜ・どのような主体によって
どういう情報が生じ変化し利用されるかを考察するものと考えます。
さらに以下はちょっと微妙だな、自分でも・・・。
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 19:55:57ID:4GylF4g/00054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 20:45:51ID:iG05u/ec0つまり、ある主体にとってAという情報はBという情報に含まれる、というのは
どういうときとすれば良いだろう。
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 20:46:22ID:MlsHbNCj0005651 ◆BzGvHmAO9A
2006/10/10(火) 20:59:34ID:MlsHbNCj0>>54
矛盾はしないのではないのでしょうか?
AがBに含まれるか否かはABを利用する主体によると考えます。
つまり、ある主体にとってはそれが偽であることもあり得るかと。
005754
2006/10/10(火) 22:27:28ID:iG05u/ec0具体的にどう定義すればいいのかな、と言ってみただけ。
情報という直感的には理解できても言葉にしにくい概念を定義しようとしている訳で、
同じく直感的に理解できる「情報の包含」という現象をうまく説明できるように
「情報」を定義できると嬉しいと思った。
>>51とは興味の方向が多少違うかもしれないので、適当にスルーしていただければ。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 23:17:54ID:5xSYKv+K0>何らかの主体によって利用され得る、その主体にとって意味のある「変化または変化がない状態」
え〜っと、状態が情報なの?
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 23:55:37ID:4GylF4g/0006051 ◆BzGvHmAO9A
2006/10/11(水) 22:18:44ID:Jgvs7rQh0失敬しました、自分へのレスかと思ってしまい・・
>>58
「変化という事実、または変化がないという事実」と言い換えてもいいかもと思います。
>>59
組といえると思います。
ある情報で主体が交代すればそれは異なる情報となりうる(必ずなるということではありません)から。
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 23:31:53ID:/qe8HjvE0その観測者が何の意味も見出せなかったら生まれないのかもしれないが。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 19:36:04ID:BB/JBOTA00063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 21:58:44ID:TDN1+EfA0この時点で5つ(見方によってはそれ以上)の情報がある(笑)
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 03:57:23ID:y3EC0pj00人間(または生物)の脳や記憶の仕組みは、未だきちんと解明されてないから。
(でも日常的に使われる「情報」って往々にして「知る」ことの対象を指すんだよね)
ここでなるべく客観的な立場から情報を定義するなら、人間が「知る」という行為に結びついた定義(つまり主観が絡む定義)の仕方は避けるべきかと。
というわけで、>>51の言う主体っていうのは、主観にも言及しようとしているの?そうではなく純粋に、作用や状態の元となるもの一般を主体って呼んでいるの?
006551 ◆BzGvHmAO9A
2006/10/14(土) 20:46:16ID:EVQY/UTK0私がイメージする「情報」は、それぞれの主体がどう捉えるかによって存否すら決まります。
なので、結局当該主体の主観が問題にならざるを得ないと思います。
しかしそれでは議論の俎上にも上らないし、そもそも情報学が哲学領域になってしまいます。
(本質的にはそうなのかも知れないとも思いますが)
ということで、実際には「これこれの主体にはこの状態はこのような情報と映る」という
類型化を行って(この類型化も情報学の担当だと思います)、それを前提にして
議論を進めていくしかないと思います。
0066sage
2006/10/15(日) 02:47:52ID:tEgj28oB0例えば「木の棒の長さ」は有限の小数では完全には表せないから、
ビット列で表現できないし、伝達したりコピーしたりすることもできないけど
これも情報といえるのかしら。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 06:17:07ID:CIaKcpBJ0bitで表す、と言うのが意味不明。世界の情報が2進で表現できる必要性は
どこにもない。3進でも何でもいい。
その木の棒から得られる情報があれば、長さも立派な情報だろ。
たとえそれが長さから得られる別の情報であれ、長さ自身が情報であれ。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 08:07:27ID:9S9NrX2u0無限小数として表せる。
木の棒の長さ自体は(コピーできないので)情報ではなく、
それを測定した結果だけが情報、というのはどうか。
木の棒をコピーする技術が存在する社会では、
木の棒の長さを情報としてもいいかもしれない。
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 10:59:18ID:+csPDQ/U0誤差と範囲の重複を付け加えればいくつといくつの間、ってのは確実にできるぞ
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 18:07:38ID:W/EpPITB0スレの流れブタギリですまぬが。
およそ「定義」というのはタマネギの皮をむいていくのとおなじ行為。
しょせんはその程度の意味しかない。そして、
その程度の意味だとわかった上でなら強い力をもつ。
それをふまえた上で「情報」をみじかい語句で定義すれば、
それは「知覚可能性」とか「感知可能性」「認識可能性」などと表現することができるだろうな。
これをヤマト言葉でひらけば「しりうるもの」となる。漢字かなまじりでつづるなら、
「私利得る者」とか「尻売る者」とかではなく、「知り得るもの」だ。
この「しりうるもの」・知覚可能性・感知可能性・認識可能性は、
ひとのココロの側にそなわるものではなく、モノの側にそなわっているものだ。
そしてそれは、なんらかのモノないしはモノにたぐいする作用(音や電波・電磁波・真空などなどの物理現象)を
乗りもの(媒体)にしてひとのココロにとどく。
情報とかなにかをかんがえるなら、同時に「表現」についてもかんがえるといいかもしれない。
表現はかならず情報だが、情報はかならずしも表現ではない。
以上、おもいつくままにならべた。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 19:47:59ID:W/EpPITB0×
情報とかなにかをかんがえるなら、同時に「表現」についてもかんがえるといいかもしれない。
表現はかならず情報だが、情報はかならずしも表現ではない。
○
情報とは何かをかんがえるなら、同時に「表現」についてもかんがえるといいかもしれない。
表現はかならず情報だが、情報はかならずしも表現ではない。
007251 ◆BzGvHmAO9A
2006/11/15(水) 15:06:06ID:mH1na2D90久しぶりに書き込みがあったので思わず反応。
情報を知覚可能性(知りうるもの)と置いた上で、それはココロではなく
モノの側にあるということですが、「知る」というのは脳を介した精神の活動で、
そうであれば同じモノから「知りうるもの」は人それぞれ異なりうるはずです。
例えば、私がこの板を閲覧するのと、100年前の人が閲覧するという場合です。
となると、知るという行為を中心概念として情報の定義に臨むにあたって
それは「モノの側にそなわっているものだ」と断定されるのは危険に思えます。
「情報とは性質上当然に客観的なものである」という前提があるように感じるからです。
私も思いつくままに反論してみました。
刺激になるような議論が続けば良いと念願しています。
007370
2006/11/16(木) 03:35:58ID:2RXWumXy0この場合「脳を介した精神の活動」に相当するのは知覚・認識・感知なのだから、
上のとおりでいいのだよ。情報はココロの側にはないもので、客体の側にそなわるものだからこそ、
各人でその認識・知覚に差がうまれる。
おまえのたとえでいえば、この板にそなわるものが「情報」だ。
閲覧することが「認識」「知覚」「感知」にあたる。
もし情報がヒトのココロの側にそなわっているものであれば、
ヒトのココロの基本的な構造などは古今東西をとわず同一であることがすでに判明しているのだから、
認識や知覚の差が人それぞれにうまれることもないことになり、事実とつじつまがあわなくなる。
情報はソトにあるものであり、モノにそなわるものである。
そして同時に、ココロのあらわれの一切を「表現」と定義してみたのだよ。
表現はツヅリ・シャベリをとわずコトバでも、みぶり・てぶりでも、芸術作品でもかまわない。
ようするに「こころのあらわれ」だよ。くりかえしになるが、この表現というものも情報のうちだ。
(しかし情報はかならずしも表現ということにはならない。)
このように定義すると、いろんなことがほとんどピッタリおさまりそうなんだよ。
オレが70でかいたことは、「情報はココロかモノか」という問題意識と、
「情報と表現」という問題意識のふたつにふれたものだよ。
それと、話がかみあうならどこまでもつきあうが、
そうでなければお相手できないことをあらかじめことわっておく。
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 10:06:41ID:ZsxcSIWo0http://www.youtube.com/watch?v=85u4ZFnm21Q&mode=related&search=
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 13:04:39ID:qu/PaUMdP人間<->(生物、無生物含む)モノ との情報の伝搬における議論は>>70のような
知覚することとしての情報、物に備わるのが情報という説明で理解できるが、
>>73から引用
> ようするに「こころのあらわれ」だよ。くりかえしになるが、この表現というものも情報のうちだ。
モノ<->モノ相互間にも情報のやり取りはあるだろ、例えば動物とロボット、
ソフトウェアとハードウェアのような。このとき、モノがアプリオリに備える
情報はわかるが、「表現する」情報についてはどう解釈したらいい?
ある刺激に対し常に同じ振る舞いをするロボットについて、その振る舞いに
含まれる情報量は双方にとって0なのか?(環境・文脈・観測者の情報を
無視し、相互間だけの情報のやり取りを考えたとして)
007651 ◆BzGvHmAO9A
2006/11/16(木) 22:53:33ID:4Zy1Hs/00いきなり「おまえ」ですか。
議論は喧嘩とは違いますが、あなたは喧嘩を売られたと感じたのですか?
そうであれば、私も「お相手できないことをあらかじめことわって」おく必要がありそうです。
それはそれとして、
> ヒトのココロの基本的な構造などは古今東西をとわず同一であることがすでに判明しているのだから、
> 認識や知覚の差が人それぞれにうまれることもないことになり、事実とつじつまがあわなくなる。
古今東西を通じてヒトの心の基本的構造が同一であることが明らかになったという科学的事実を
私は寡聞にして知りませんが、それを前提としても「心の基本構造が同一なら認識・知覚の差が
生じることはありえない」とするのは困難に思います。
そのモノが現れたコンテキストによっても異なるでしょうし、受け取る側の状況によっても異なるでしょう。
また「反論」をしていますが、反論とは議論上の技術であって、あなたへの人格攻撃ではありません。
それをご理解ください。
次のレスが感情的なものであれば、議論は取り下げます。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 00:30:38ID:vtR2G4WV0横から失礼します。
ご存知ないようなので一言申し上げますが、「おまえ」は2chでの標準的な呼び掛けの一つです。
決して丁寧な物言いではありませんが、失礼だと受け取られることは少なく、
したがって、相手への不快感を示すために用いられたと考えるのは早計です。
わたしから見ると、>>73は、努めて議論の中身に話題をしぼり、
最後に議論そのものについて最低限の前提確認をしているわけであり、
むしろ冷静に議論を進めようとしているという印象を受けます。
わたしもこの問題には大いに関心がありますので、
両者とも相手の表面的な態度にとらわれることなく
実りある議論が行われることを期待しています。
↓↓↓そして何事もなかったかのように再開↓↓↓
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 01:17:43ID:bku7LWtFP話題に入って来ないのなら黙ってろ
話に入ってくるならどんな口調でも付き合ってやるが、書き方に応じた
返事で臨んでやる
で、
> ヒトのココロの基本的な構造などは古今東西をとわず同一であることがすでに判明
俺もここんとこ、書籍なり論文なり引用元を希望。
>>76
> そのモノが現れたコンテキストによっても異なる
>>73は文脈非依存な情報と依存する情報を切り分けて考察しています(私も同じ)。
観測者によって変わるものについての議論は、シュレディンガーの猫じゃないが
泥沼になる予感。
ひとまず>>70さんの論が自説なのか何かすでにある議論をベースにしたものかを
明らかにしてもらわないと、私のような素人は付いていけない。
どこかに、ここらへんの考察や研究をまとめた本なり論文でもないものかね。
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 01:35:30ID:vtR2G4WV0入る機会をうかがっていたところで議論が妙な方向に進みそうになったから
茶々を入れたまでだ。
>観測者によって変わるものについての議論は、シュレディンガーの猫じゃないが
>泥沼になる予感。
その泥沼を避ける方法として、観測者を外から見るというのがある。
つまり「AにとってBは情報である」を、Aの内面に踏み込まずに記述できるといい。
例えば「AはBを知っている」を定義するのは哲学的な難問のように思えるが、
「Aに対してBについての質問を投げかけ、その答えで判断する」という手法を使えば
(少なくとも近似的な)定義を与えるのがずっと楽になる。
008170 ◆JLQ.DLLMQg
2006/11/17(金) 14:27:38ID:rnLsY87z0おいおい。どうせクソな過疎スレだろうとみくびって、
ロクな反応などまったく期待してなかったが、
すげえマトモなレスが続々ではないか!w
いやおどろいた。w
これはおもしろい議論なのでシカトする気は全然ないが、
ちょっと時間をくれい。あまりおろそかにしたくない話題なので、
かんがえと回答をまとめるのにややヒマがいるが、
今ちょっとアレなんでな。すまんがのう。
いちおうトリップつけといたでよ。時間くれや。
しかし、それにしてもおどろいたな。w
なんなんだよ、ここの板ゎよ?w
008251 ◆BzGvHmAO9A
2006/11/17(金) 17:38:40ID:bcLx3Id10自分自身は数年来の某板住人なので2ch仕様を知らないわけではないが
あまりに流れから浮いた表現をされたために気にしてしまった。
ついでに丁寧すぎる物言いも反感を呼んだかとの反省をこめて通常口調に転換w
>>79
そうなんだけど、自分はそもそも「情報」を
> 観測者によって変わるもの
と捉えているからそれ(泥沼)でよいし、やむを得ないと思っているけど。
>>80
ソトから見ている観測者は誰、というのが問題になると思う。
結局、何らかの主体の価値判断を含まざるを得ないわけじゃない?
その主体が生き物かモノかは別として。
と思ったが、まとめて考えるのはめんどうなので話のすすめ方をかえよっと。
>75
ワシは情報工学とかそっち系のことはまったく門外漢で、
本1冊たりとも読んだことがないシロートだよ。おまえの書いてることは、
オレにとってものすごい次元の高い話にみえる。そして、
ものすごいおもしろいものをふくんでるとおもう。
おまえの書いたことに簡潔に回答するのはワシにはむずかしいとおもうが、
たぶんワシの書いたこととは話の土台がちがうんじゃないかと思うよ。
話の系がそもそもちがうんじゃないかと。
「情報量」という語句をもちいているが、
ワシが書きこんだ意味での「情報」にたいして情報量という考え方を適用しようとするから、
わけのわからないことになるんじゃないか、話がややこしくなるんじゃないか。
おなじ「情報」という語があるからといって、おなじ話にはできない気がするがなあ。
ワシの問題意識の所在をさきに明記したのは、
「情報」という単語が今ではきわめて広い意味でつかわれているからでもある。
ひろい意味でつかわれる言葉の簡潔な定義は基本的に不可能だとオレはおもうんだよ。
ひとつの定義をさだめてみたところで、「ではコレコレの場合は?」
「それともあの場合はどうか?」などと、世のあらゆる場合を次々にもちだして、
その定義の可否・適否を検証していったら、そりゃあ何ごとにも例外がでてくるからよ。
そもそも定義はタマネギの皮をむくのとおなじだ云々と先にかいたのはこの意味よ。
定義自体を「そういうもの」と考えなければたいした意味をもたんわけだな。
情報量という考えを適用してみた場合、オレの定義はどうか……
という検証をしているようにおまえの書きこみは読めるわけだよ。
そうした検証がイカンということでは無論なく、むしろ逆で、あるひとつの定義があれば、
それがどこまで有効で、どこから無効になるかって話題は、
どんな定義についてもなけりゃウソだとおもうけどな。
だからワシは、おまえの書いてる「情報量」という考えを適用させるとワシの定義はムリ!
っていうことになるんじゃないか……と感じて、それをのべたわけだが、
しかし、そもそも「情報量」という語の正確な意味をワシは門外漢なので理解できておらず、
そのため、そのオレの感じたことの正誤を自分で判断すらできないわけですよ。w
ヘタレと笑ってくださいね、おまいら。w
もうひとつ尋ねたいのは、『「表現」する情報』とかいてあるけど、
これはアレか、ロボットのふるまいのことを「表現」と考えてるってことなの?
なにしろワシは頭がにぶいもんで、このくだりはよく意味がわからなんだ……
ちなみにいっておくと、人間はそれ自体が情報でもあり、かつまた、
同時に表現もする、という存在だよ。
それにしてもえれえ長文になったのう……w
まあアレだ、ワシの口調(筆調?)については、
78のヤツが書いてくれてるとおりだ。「おまえ」というのに不慣れで、
不ゆかいをおぼえさせたならわびるが、ワシはこれを今後やめる気はサラサラないのでw、
まあ慣れてくれるほかはない。どうしてもガマンできんのなら、
ワシのトリップであぼーんにしてくれればいい。あるいはワシのかきこみだけシカトしてくれ。
それと、ヒトの心の基本構造が古今東西で同一であることをのべた書物とか論文とか、
そんなもんワシはまったく知らん。また、云々「明らかになったという科学的事実」というけど、
事実は事実であって、事実に科学的も非科学的もねえとおもうぞ。科学的事実ってなんだ?
意味がわからんのだが。
たとえば仏教でいう「法力」というのは俗にいう超能力とかESP能力とかといわれるものだろうが、
これは今の科学の一般的水準では非科学というあつかいに現在のところはなっているが、
インチキではなく、事実だろう。すると、この事実は「非科学的事実」ってことになるのか?
「科学」ってのは気をつけないと呪文とかマジナイとか迷信とおなじになる。
ついでにいうと「論理」にもそんなところがある。
文化人類学・仏教・ユング心理学が全世界のひとにたいして有効に成立しているってことは、
ヒトの心の基本構造が古今東西で同一ってことだべ。そう考えるほかにこの事実はうまく説明できない。
ワシはそうおもうんだがな……
また、自説か既出の議論かって件だが、既出かどうかは無知なワシはしらんが、
自説ではあるとおもうよ。まあ、こんな程度の議論はとうぜん既出だろうとはおもうが、
本や論文などはしらん。
それに、参加者がどこまでもかみあう議論をやるなら、
権威も専門家も専門用語もなんにもいらんよ。そんなもんに一切たよらずとも、
可能なかぎりの高次元な水準の結論なり論理なりに到達できるよ。
ごく普通の人間でもそうだよ。そんなもんだよ。
個性がでるのは「表現」や「認識」「知覚」に、だよ。
ワシの「情報」の定義はあくまで「モの側にそなわる知りうるもの・知覚可能性・感知可能性・認識可能性」
であり、これ以上でもこれ以下でもない。だから、表現ではない情報に個性はうまれようがないんだよ。
たとえば月の裏がわ自体は情報だが表現ではない。そして、月の裏がわ自体に個性はない。
宇宙船にのっていってジカにそれをみてきたヤツが実在するかどうかはしらんが、
もし実在するとしたら、その宇宙飛行士のアタマの中にある月の裏がわ自体の認識と、
ただの妄想でしかないワシのアタマの中にある月のうらがわ自体の認識とには、
まるっきりでかい差がある。ありすぎる。
認識や知覚は人間のアタマがするものであり、そのほかのものは認識・知覚ができず、
また、人間のアタマはヒト個体にしかなく、そのほかの場所にヒト頭は存在しないから、
したがって認識・知覚にも否応なく個性がうまれる。うまれざるをえない。だから、
ワシの妄想にすぎない月の裏がわ自体の認識と、
くだんの宇宙飛行士のアタマにやきついてる月の裏がわ自体の認識とに、
まるっきりでかい差が生じる。
この説明におかしなところはあるまい?
008651 ◆BzGvHmAO9A
2006/11/18(土) 00:42:07ID:CSaWXGkw0本題である>>85に絞ってレスするので・・・
あなたの情報の定義が「モノ側に備わる知りうるもの」等であることはわかったし、
そうした「情報」はオブジェクティブなものであって主体を要しない、ということも理解した。
主体を経由するとき、情報は「表現」に化体するということだよね。
俺はそもそもこのスレの趣旨である「情報の定義」を考えるにあたって、
前のほう(どこだか忘れた)で誰かが書いていた「定義することによって情報というものを
扱うことが簡便になる」ということをかなり意識した。確かにその通りだと思うから。
それはあなたが言うように「タマネギの芯を発見する」作業がこのスレの趣旨ではない、と考えるから。
タマネギをむくことによって情報というものを扱うことが容易にならなくてはならない、と思うから。
そのことを前提に考えると、あなたの考えるように情報を定義したときに、
「情報とはそこにあるものである」としかならないように思えてしまう。
つまり、結局はなんの定義もしていないのと等しいのではないか、と。
もっといえば、その情報がどういう意味を持つのかは、あなたの定義・説によっても
表現されて主体を経由するまでは確定しないということになるのではないかと。
そうであれば、はじめから「情報とは受領主体を要するモノのありようだ」としたほうが簡明で、
かつ「じゃどういうありようがどういう主体においてどういう情報となるの?」というふうに
その後の議論の発展に資するのではないか、と思えてしまう。
その点、どうだろう?
あと、科学的事実というのは科学的作法を踏まえた事実というくらいの意。
これは別に俺の「脳内定義」ではないよ。
008780
2006/11/18(土) 20:01:18ID:kxoidb6o0>ソトから見ている観測者は誰、というのが問題になると思う。
>結局、何らかの主体の価値判断を含まざるを得ないわけじゃない?
その通りだけど、1段階だけ外から見るのには意味があると思っている。
まず俺の問題意識を明確にしておくと、日常用語としての「情報」の意味を
明確に(できれば検証可能な形で)捉えられたら嬉しいな、というものだ。
さて、「あるものが情報かどうかは受け手に依存する」という考え(俺はこれに同意する)を仮定して、
しかも受け手の内面に踏み込まないとそれが判断できないとすると、
実質的に、自分以外の主体にとっての情報とは何かを判断する方法がなくなる。
なぜなら、自分以外の主体の内面を知る方法はないからだ。
これは、上に書いた俺の問題意識からすると満足できない。
日常用語での「情報」は他者にとっての情報であることも多いからだ。
そこで、観測者と対象を外から見るという>>80で書いた発想になる。この場合、「他人にとっての情報とはなにか」
が表現できるようになる。もちろん表現全体は相変わらず誰かの主観でなされるわけだが、
俺にとっては俺の主観で表現できれば十分なので、さほど問題はない。
さらに、>>82が言うようにもう一段(あるいは何段でも)外から見ることも可能で、その場合
「自分以外の主体が、第三者にとって情報とは何かをどのように考えているか」が考察できるようになるが、
これは俺の問題意識からするとあまり重要ではなく、不必要に考察を複雑にする。
だから「系を外から見る」という操作を1段階だけ行う、というのが良さそうだと思った。
>情報は物に内在するか
・ものには特有の性質がある。
・同じものを見ても観察者によって異なる印象を受ける。
の二点で合意しているのだから、後は「性質」か「印象」のどちらを「情報」と呼ぶかの言葉の問題に過ぎないと思う。
俺は、日常用語で情報と言った場合、この二つが混同されて区別されずに指されていると思う。
観察者が皆似たり寄ったりと考えられる場合、この二つを区別する必要がないから、
混同されたままでもそれほど不便なく情報という言葉が使われている。
>それにしてもえれえ長文になったのう……w
この板は長文仕様(一レス60行)な罠。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 19:44:45ID:RyiaO6Ue0生物学の観点から考えると、
人間の知覚はすべて、情報を分類するためにあります。
知覚は脳によって判断され、記憶されるとき、
言葉に変換されます。
したがって、
「情報とは言葉によって認識されるあらゆるもの」
だと思うんですが。
008951 ◆BzGvHmAO9A
2006/11/19(日) 21:13:57ID:3t0U2FhG0ヒトで考えるならそうだろうね。
でも、ヒト以外の生物が周りの状況を捉えて行動の前提とするような場合はどうなるだろう。
あるいは、ヒトが反射的・不随意に行動する場合の前提となるインプットはどう説明されるだろう?
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 21:17:04ID:bZrMaKuO0http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offevent/1163151988/256
乱交パーティー開催!【関西地方】
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 23:42:28ID:MzjVj6C+0>ヒト以外の生物が周りの状況を捉えて行動の前提とするような場合
は刺激が光の伝達によって脳に達し、知覚されます。
ヒト以外の生物がこれを知覚として記憶しうるかどうかはわかりません
あらゆる知覚や状況の観測者はヒト以外でもよいと思いますが、
記述者はヒトのみであります。
>ヒトが反射的・不随意に行動する場合の前提となるインプット
熱いものに触れたとき、刺激が脳に伝わらず、手を引っ込めると
いう場合のことでしたら、反射とは別に脳に遅れて刺激が伝わる
ため熱いというは知覚を得ます。つまり、記憶され、言葉として
変換されます。
はじめの方に
┃そうした「情報」はオブジェクティブなものであって主体を要しない、
┃ということも理解した。
という部分がある。これは、オレの考えについておまえが理解してる内容だ。
その十数行あとに
┃そうであれば、はじめから「情報とは受領主体を要するモノのありようだ」
┃としたほうが簡明で、
とでてくる。これも上とおなじく、オレの考えについておまえが理解してる内容だ。
このふたつの部分には、まったく正反対の、くいちがう内容がふくまれている。ここは、
オレの考えを実は根っから理解できていないんじゃないかという疑問をおまえにたいして
おぼえる理由のひとつだよ。
*
┃主体を経由するとき、情報は「表現」に化体するということだよね。
この部分も、わかったような気でいるだけで、
実は全然わかってないということをしめしているんじゃないかというふうに読める。
月のうらがわ自体にそなわる「しりうるもの」が、どうやって「主体を経由」するの?
それが「主体を経由」してしまったら、月のうらがわ自体にそなわる「それ」は、
その時点で月の裏がわという場所をはなれて、宇宙飛行士の頭になかにスッポリおさまってるってことなの?
そして、おさまったそれが、そのつぎに「『表現』に化体する」ってことなの?
話が全然なりたたないように読めるんだけど。
*
オレは「定義すること」自体が「タマネギの皮をむいていく作業」だといったんだよ。
だから、もしその作業がムダでイヤだというなら、定義するということをやめるべきなんだよ。
それがオレのいったことだよ。
およそ定義という知的作業はすべてそういうものと考えていいとおもうよ。だから、
定義にとりかかるまえから「そういうもの」と明確に自覚してやらなければ……と書いたんだよ。
そうでなければ「定義すること」なんて(アタマの体操でなければ)徒労におわるとおもうよ。
情報というものの「あつかいを簡便にしたい」という目的が最初からあるんなら、
「情報とはなにか」を考えるのではなくて、逆に、「あつかいがやっかいになりそうな意味」
を情報という用語からどんどん追放していくという知的作業の方をやるべきだとおもうよ。
そうでないなら、「情報とはなにか」をかんがえていった末にえられた結論が、
もし「あつかいが簡便でないもの」ということにおちついてしまったら、そのときおまえはどうするの?
それきり情報のことはわすれてしまうの? すくなくともその書きこみをよむかぎり、
おまえのやろうとしていることは、そういう行為のようにおもえるんだけど……
ある情報にどんな意味があるかは、「情報とはなにか」という話はまるきり無関係だよ。
ある価値体系のどこにその情報が位置づけられるかっていうのが、その情報に「どんな意味があるか」
ってことだろ。情報の話ではなくて、その価値体系の側の話になっちゃってる。
もしも「まず価値体系ありき」って話なら、さっきもかいたけど、「情報とはなにか」を考えるのではなく、
その価値体系にあわせて情報という用語の側を恣意的にいじる作業の方をやるべきなんだよ。
その作業も「定義すること」のうちだとおもうよ。
それと、これは ◆BzGvHmAO9A のこととは無関係だが、
ワシは上のほうで、いままで情報工学の本1冊すらよんだことがない云々とかいた。
情報工学の本を1冊もよんでないのはたしかだが、
◆BzGvHmAO9A への返事をかんがえてるうちに、
むかし読んだふるい本の内容をおもだして、それをまた読んでみたくなり、
その本をさがしだしてきて、ところどころ拾い読みしてみた。
40年ほどまえにでた中公新書で書名を『人間にとって科学とはなにか』という。
内容は、湯川秀樹と梅棹忠夫の対談。
びっくりしたのは、この本のなかに、情報のことが何ページにもわたってでてくることだ。
なにしろ何年もまえによんだ本なので、そんなことワシはすっかりわすれてしまっていた。
しかも、内容からすると、この本でよんだことは、ワシが「情報とはなにか」を考えるとき、
たぶん無意識にはありつづけた可能性が高い。いやまったくおどろいた。
生物学や物理学における情報のことにもふれられている。まあ専門書ではないので、
上記の件はまったく事実だし、ワシがド素人にすぎないことにもちがいはないにしろ、
念のために一応かいておく。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 20:47:21ID:lppgHsUp0> 人間の知覚はすべて、情報を分類するためにあります。
> 知覚は脳によって判断され、記憶されるとき、
> 言葉に変換されます。
心理学的にはこれはおかしい。
知覚が言葉に変換されて記憶されるというのは、たぶん大昔の表象
主義的アプローチの考え方なのだろうけれど、最近ではこれは否定
されている。言語現象はその背後にある無意識の情報処理の影みた
いなもので、けっきょくメタ認知なんだよね。そう考えると情報の
定義に「言語」をすえるのはどうかと思う。
009651 ◆BzGvHmAO9A
2006/11/21(火) 23:41:34ID:ouI8A0Tk0えーと、前半で矛盾していると指摘している部分は、それは当然で、
あなたの定義する「情報=客観的な知られうるモノ」への反論として、
自説である「情報=受領主体を経由して初めて生じる」を挙げたのだが・・?
ちょっと、何を言っているのか良く分からないのだが。
もしかすると「理解した」を「あなたの説を受け入れた」と取った?
だとすれば分からなくもないが・・・。
> 月のうらがわ自体にそなわる「しりうるもの」が、どうやって「主体を経由」するの?
これも何を指摘しているのか分からない。
俺の説からは、月の裏側にあるものは「情報ではない」。
それが情報となるのはあくまで「主体を経由して」(あなたの言葉を借りると)「表現」となった時と考えている。
あなたの上記書き込みは、「月の裏側にあるものは情報である、それゆえに主体を経由しなくてはならない」と
俺が考えている、という趣旨と思うが、俺はそんなことは言っていない。
> ある情報にどんな意味があるかは、「情報とはなにか」という話はまるきり無関係だよ。
そうは思わない。
あなたは「意味がある」ことを「役に立つ」ことと混同している。
(それは俺が、定義作業が情報学にとって何らかの貢献をすべきだから、という
書き込みをしたことにつられたものだと思うが)
俺は、誰にもどんな意味も生じていない現象は情報ではない、と考えている。
この考え方では、情報の「意味」はその構成要件になっている。
俺はあなたの書き込みをかなり真剣に読んで、言わんとしていることを飲み込んだから
「理解した」と前提して、その上で自説を展開したつもりだが、どうか?
あなたも、私の説への反論とその上での自説の展開を試みてほしい。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 18:55:51ID:VQDZKpI3O0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/10(日) 01:43:39ID:bAD4l+OO0"判断の手助けとなるもの"と既に定義はされている。
下らん
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/10(日) 13:35:13ID:puDpPmqV0という話になるな。
本当にそんな“定義”でいいのか?w
話についてこれないヤッカミだろとは気の毒でいえないけどさ。w
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/15(金) 06:00:45ID:iEGSC+zg00101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/16(土) 12:43:18ID:yyGHF1ae0やっかみ丸だし詭弁レス乙w
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/18(月) 20:59:21ID:asX/77oxP>>92
> 月のうらがわ自体にそなわる「しりうるもの」が、どうやって「主体を経由」するの?
>(中略)
>そして、おさまったそれが、そのつぎに「『表現』に化体する」ってことなの?
>話が全然なりたたないように読めるんだけど。
TRONの実身化身みたいやね。あるいはイデアとか。
こういう考え方も成立しうるよ。あいにく俺も>>86もそういう立場ではなさそうだけど。
> ある情報にどんな意味があるかは、「情報とはなにか」という話はまるきり無関係だよ。
>ある価値体系のどこにその情報が位置づけられるかっていうのが、その情報に「どんな意味があるか」
>ってことだろ。情報の話ではなくて、その価値体系の側の話になっちゃってる。
そう、これも俺の当て推量だけど、>>86は観察する対象自身(あるいはドメイン、環境)
を定めてやらないと玉ねぎになっちゃうよ、だからそこはよろしく。と言っているように
読めるけど。
この考え方はありだと思うけど、その場合観察者が変わったら当然情報の内容は
変わるわけで、これを認めるならせめて観察者が何を観察して情報とするかについて
きちんと決まっていないと、それは定義とは呼べないあいまいなものになるよね。
これは難しそう。哲学者とか物理学者とか既に結構ぶち当たってそうだけど。
>>96
> 俺の説からは、月の裏側にあるものは「情報ではない」。
というよりは、月の裏側に何かある、と知った時点まで情報ではない、という
理解でよろしいかな。
シュレディンガーの猫みたい。比喩ばっかですまんね。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2007/01/12(金) 12:05:02ID:CVVwgUHN0認識できなければその時点で判断には使えないから、情報にはなり得ない。
これってアレだな。
突き詰めるとクオリアの問題が出てくるから、何らかの仮定がどっかで必要になるな。
知覚や認識と情報とは全然ちがうものだとオレはおもうが、
上のヤツラが「情報」と名づけているものは、
オレにとっては知覚や認識のことにすぎない。
それなら、知覚や認識という単語がすでにあるのだから、
それにあたらしく「情報」などという妙ちきりんな語をあてる必要はないはず。
メクラやツンボにとっての情報と、
全覚満足な健康人にとっての情報との関係はどうなのか? ちがうのか?
おなじなのか? ──というあたりの問いをよくかんがえてみてはどうか。
それと、これはうえにかいたこととかさなる部分があるが、
情報と表現と認識(知覚)とは、
それぞれみんなべつのことがらだとオレはかんがえてる。
これらのかんがえ分けはどうなのか。
オレがしりたいのはあくまで「もっとも完成度のたかい定義」であって、
もしもそれが肩すかしをおぼえるような内容であっても、
役にたとうとたつまいと、
だれかの価値体系にとって都合がわるかろうがよかろうが、
そんなことはすべてどうだっていい。もっとも完成度がたかく、
反論の余地がない(あるいはもっともすくない)定義なのであれば、
それがオレにとっての正解である。それだけのことだ。
そして、そのほかにはない。
それと、シャノンの公式における情報の定義についても、
ウィキペディアで「シャノン」とかそのあたりをキーワードにしてぐぐり、
それで出てきた初歩の数式をよんだ程度には理解したところ、
>>75 のヤツが
「ある刺激に対し常に同じ振る舞いをするロボットについて、
その振る舞いに 含まれる情報量は双方にとって0なのか?」
とたずねてきた理由が何となくわかった。この問いは、
シャノンの数式にあらわれている情報量の定義をあてはめてかんがえると、
だれでも自然におもいつく種類のものだとおもった。
ただ、これはワシがこのスレでかいてることとはまったく次元がちがう。
「くりかえしあらわれる同一の情報は2どとは情報量にかぞえず、
かならず最初の1回しか情報量のうちには入れない」ことの意味は、
そもそも、シャノンの数式が確率の話だからなのであって、
もしもそうしなければ、確率の数式としてあつかうことができないからだ。
ただそれだけのことだろう。そのことに「情報とは(根源的に)なにか?」
にかかわる意味はまったくないといっていい。その意味では >>75 の
問いは単なることば遊びにすぎないともいえる。
0105適当
2007/01/29(月) 01:44:21ID:onh3TFHwO「情報」=インテリジェンス
「情報資料」=インフォメーション
って言うよ。
情報資料を集めても情報にするのは大変なんです…とのこと。
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2007/01/29(月) 02:30:14ID:82Ex0KZV0いる件はまぁいいとして、
>>85の
> 個性がでるのは「表現」や「認識」「知覚」に、だよ。
> ワシの「情報」の定義はあくまで「モの側にそなわる知りうるもの・知覚可能性・感知可能性・認識可能性」
> であり、これ以上でもこれ以下でもない。だから、表現ではない情報に個性はうまれようがないんだよ。
のことを繰り返しているのかな。
>>103,>>105がさりげなく触れている通り、知覚即情報というわけではないよ。
経験やコンテキストも情報の構築にかかわるだろ。部分集合でもない。重なりがあるだけ。
ちょっとWikipediaよりはまともな参考文献、Webにないか探してみるか…
図書館に足を延ばせるなら紹介できるけど。
> だれかの価値体系にとって都合がわるかろうがよかろうが、
> そんなことはすべてどうだっていい。もっとも完成度がたかく、
> 反論の余地がない(あるいはもっともすくない)
そんな汎用的というか、使えない定義をしたところでな…
(観測者フリー、コンテキストフリーな定義をして誰が喜ぶ?)
>>75を言葉遊びとされてしまうと、この後どういったことを前提条件に
おけばいいか分からない。
0107ちばしてぃのはんたぃ
2007/01/29(月) 08:30:35ID:VEXlZUav0情報
[英] information
…学問的には,情報は物質やエネルギーと並んで,宇宙における根源的な概念…
________________
^▽^< 宇宙ヤバイw
────────────────
おまえがどういう意図と考えでそれを書きこんだのか、
かきこまれた内容だけではよくわからんが、オレはおもしろくよんだ。
おもいだしたのは「経済」という単語だな。簡潔な定義というものを(あるいは単に
「定義をというものを」)拒絶するようなところがある点で、この「経済」というシロモノは、
ここでの「情報」ときわめてよくにているといっていいかもしれん。
だから、もし「経済とはなにか」をみじかく説明しなければならないとすれば、
その事典にならって「学問的には、経済は生物社会における根源的な概念」などとかいて
すませておくのが批判をまねきにくくていいかもしれん。などとワシはおもったな。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2007/01/29(月) 18:59:43ID:TZW2CWHE0一応俺は喜ぶ。
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2007/01/29(月) 20:46:49ID:+FFKmspO0>>107-108
だからナンセンスだとあれだけ(ry
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2007/02/12(月) 13:39:08ID:Yj2Qy1G50でも有罪か無罪か、酸性か塩基性かということは情報だよな。
裁判官やリトマス試験紙は情報を生み出したり観測したりする存在。
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2007/02/15(木) 03:07:50ID:brN8Y0n+0それよりも広辞苑で調べた答えじゃだめですか><
こういう一般的な言葉の定義って主観によって変わると思うんだ。同じ言葉が分野毎に定義が違うなんてことはよくある話じゃないのかな。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2007/02/18(日) 14:04:33ID:pdQuEHn+0今年1月に破産したコンピューター関連企業「アドテックス」の資産隠し事件で、民事再生法違反容疑で逮捕された
同社の元副社長で指定暴力団山口組弘道会系元組長が昨年4月、同社の元社長から、インターネット上の同窓会サイト「この指とまれ!」の
運営会社の経営権を取得したうえ、半年後にジャスダック上場企業インデックス・ホールディングスに売却しようとしていたことが分かった。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2007/02/26(月) 02:23:53ID:Kz0PcMFVO観測の際に知覚、認識できるデータ、
若しくはデータそのもの。
データ
状態を持つもの。
情報2
概念や状態から意味を読み取ったもの、
若しくは概念や状態そのもの。
…自分で書いててよく分からなくなって来たなぁ。
[DQN]を他の言葉で説明しようとした時と似た
何とも言えないもどかしさが味わえた。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2007/02/27(火) 10:56:47ID:FvkX/8tu0ウィキペディア:モダリティ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3
このモダリティを含まない命題のみを情報だと考える。
ただ、それは情報じゃなくて単なる命題だろ
って言われると言い返せないけど。
話が離れるかもしれないけど、
子供が生まれて、男なら1、女なら2のカードを親に見せるか、
子供が生まれて、
「おめでとうございます。無事健康な男の子が生まれました」
って親に言うか。
1.2のカードの意味をわかっているっていう前提で見せるんだったら
それだけで情報が伝わる。
直接子供が生まれました。っていうのも、言語を知らなかったら伝わらないんだから、
同じようなものって考えると、モダリティを含まない命題が情報でいいんじゃないかなと思う。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2007/02/27(火) 12:59:45ID:JydL/57q0「あなたの子供はあなたの子供です」
モダリティのない命題だけど、情報じゃないような。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2007/03/03(土) 09:54:22ID:SDrFM4Rb0トートロジーも意味があるといえるから、これも却下で・・
情報の定義に近づけると思ったけど、条件が足りなかったかな。
これを含む、これを含まない・・ってやっていけば定義に近づくと思ったけど、
極限まで近づいても、定義にする事はできない気がするし、
別のアプローチを考えないとダメかな。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2007/03/03(土) 11:45:31ID:VbO6LkLk0以外と、「トートロジーでない命題」で十分だったりして。
例えば、ある情報を二回目に聞いたとき、その聞き手が既にその情報を当然のこととして
受け入れていれば、その人にとってその命題はトートロジーであり、情報量0、という具合で。
コードの集合Cと、論理体系Lと、CからLの命題への関数f(コードを解釈する関数)があったとき、
c∈Cかつf(c)がLで証明可能でないなら、cを解釈fの下での情報と呼ぶ。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2007/05/01(火) 21:56:28ID:TZW/FZ9l0だろ
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2007/05/01(火) 23:53:28ID:m3gf/6520むしろ、情報=不確実さを作るもの
かも
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2007/05/05(土) 19:26:31ID:1Twx41vqO感覚神経(=インプット)と運動神経(=アウトプット)の間の処理なんだと。
ただ同じインプットに対して常に同じアウトプットを返す
わけじゃないから純粋関数とは言えない。状態をもつ関数だな。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2007/05/07(月) 20:20:18ID:pHrVQD170だろう
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2007/05/07(月) 20:21:08ID:pHrVQD1700125115
2007/05/09(水) 04:35:29ID:/jeZIyN60「私がやったかもしれないしやってないかもしれない。」
これは情報と言えるのか言えないのか。
善と悪とか二分法で書く場合があるけど、AかnotAか、なら
情報量が0な気もするけど、よくよく考えていると
善とか悪とかいう視点で物事を考えている。
「この視点で物事を見ている」という、情報になるのか。
あとは、トートロジーは情報に絶対成りえないのかどうなのか
考えてみると、何かでてきそう。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2007/05/09(水) 21:25:10ID:BvZlsRM600127115
2007/05/10(木) 01:28:56ID:sjPTYmsA0すいません、言葉の意味をきちんと理解せずに、大雑把なイメージで使ってました。
ちょっと頭に思い浮かんで書いたので、もっと勉強してから出直してきます。
(↓も、大雑把なイメージで考えてます。)
あまり数学に詳しくないので加法定理で考えます。
(公式)tanθ=sinθ/cosθ
(定理)
sin(α + β) = sin α cos β + cos α sin β.....(1)
cos(α + β) = cos α cos β ? sin α sin β. ...(2)
↓上の(1),(2)から下の(3)を考えたとして、
tan(α+β)=(tanα+tanβ)/(1-tanαtanβ)...........(3)
計算をするとき(1),(2)から求められるけど、(3)も使う頻度が多いんだしそのまま(3)を使えば早い。
でも、「情報」でみれば同じじゃないのかなと思いました。
利用「価値」が高いというか、最節約的でシンプルな考えを科学では求めてるけど、
「情報」の視点から見ると、どうなんだろうと思ったので。
数学にも用語にも詳しくないので、もしよければ参考文献等教えてください。
0128126
2007/05/10(木) 10:09:53ID:tqMiGpj50(1)(2) をすでに知っていても (3) のような使い方ができるということを知らなかったら、
(3) は新しい情報と思えるのではないかなという気もしなくはないような。
参考文献って、具体的にどんなのでしょうか。(教科書はあまり読んでない人ですが)
0129115
2007/05/10(木) 20:43:59ID:sjPTYmsA0「最低限これだけやってから書き込みをしろ」というのがあればお願いします。
(ウィキペディアを引用してくるぐらいしかできないので・・・)
正直、数学の定理がトートロジーとか思い浮かばなかったので、
単に用語を知って、狭い使用法しか知らないと回りが見えてないなと思いました。
(3)で新しい情報とするのか、解き方が違う(解釈が違う)方法で解いただけなので
情報となるかならないか。
完全な否定!肯定! という意見をまだもてないわけですが・・。
ころころ例を変えると、論点がはっきりしないなと思われそうですが、
学校の先生が30人の生徒に国語の文章問題を解かせて、解答はほぼ同じ意味だけど、
表現が違ったりした。
この表現の違いを意味と取るのか、取らないのか。が怪しいんです。
伝えたい事の本質が情報なのか、余分な言葉も情報と捉えるのか。
(この例と数学の例を同じ「情報」なのか違うのか。同じつもりで書いているんですが・・)
でも、こう考えてみると、解釈が二つあるから情報が二つのような気もするし、
今の自分では答えだせないです。
0130126
2007/05/10(木) 23:58:12ID:DUZA0rLo0特にそういうのは思いませんでした。
>>115-118 見たときには数学の定理がとか気付いてなかったし。
"同じ意味"だけど表現が違うというのは、たとえば
「昨日私は図書館へ行った」
「私は昨日は図書館へ行った」
「昨日は私が図書館へ行った」
「昨日図書館へ行ったのは私だ」
「私が昨日行ったのは図書館だ」
「私が図書館へ行ったのは昨日だ」
「図書館へは私が昨日行った」
みたいなことでしょうか。あるいは
「え、昨日図書館に?ああ、行ったけど」
「いいか、私はな、昨日は図書館に行ってたんだよ」
「あのさ、昨日図書館行ったんだけどさ」
のような違い?
さすがにここまで違うと同じ意味だとは言い難いですが、
前者だと話の主題、後者だと文脈の情報が客観的事実に付加されてるといえるのかも。
あんまり深くは考えてなくて、なんとなく。
0131115
2007/05/11(金) 06:43:16ID:rZu5OEgK0日本語を英語に翻訳すると、みんな同じ英語で書いてくるというイメージです。
未熟なので自分なりの答えを出せないですが、情報か違うのか・・
他の例で(例増やしてすいません)
問「〜も〜も」を使って文章を作りなさい。
答「私もあなたも10時に寝る。」
「彼と彼女は一緒にあるいている。」
「ポチもタマも私のペットです。」
「ヒトもクジラも進化の産物です。」
◆「もちを、も〜み〜も〜み〜してください。」
◆「も〜も〜牛が鳴いてた。」
上の四つは文法的に同じ(詳しくはわからないけど)だけど、
下の二つは、上の四つと異なる。
これは、文法が同じか違うかだけど、
文法という情報、使用法としての情報
こう考えると、○○の情報と視点を変えれば情報であり
情報でなくなるのかなと思いました。
問題があるとすれば、ここでいう「情報」の使い方があってるかどうかです・・。
0133126
2007/05/12(土) 00:14:36ID:BTwYTNAg0話し手が前日に図書館へ行ったという客観的事実のことですよね。
主観ですが、それは情報というよりはデータと呼ぶような気がします。
0134115
2007/05/12(土) 07:47:56ID:FfQ9MSUc0SPACE ALC:情報で検索
個人的には、情報はinfomationとdataを含んでいると考えているんですが、
(もちろん、言語に差があるのだから完全に包括しているとは限らないけど)
情報はデータと違うと考えると、また別のアプローチを考えないと・・
自分で書いてて思ったんですが、
和製英語は、英語⇒日本語 になった言葉で、英語の意味のまま
使われているのではなく、意味が変換して、和製英語が使われています。
例)ネットサーフィンって英語があるように思えるけど実はそんな英語ない。
リーズナブルは価格が安いって意味で使われているけど、
reasonableは道理、条理にかなった。納得のいく。手ごろな、相応なお値打ち価格。という意味で少し異なる。
意味の広さは リーズナブル<reasonable
データは、dataから来た言葉ですが、この二つの意味は異なる。
データ(和製英語)は日本語で、情報も日本語、data,infomationは英語
情報とデータで包括している範囲が違うと思いますが、
私は、情報はデータという意味も包括していると思ったので・・
その辺考えないと、話が食い違ってしまいますね。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2007/06/01(金) 05:15:59ID:lwzZKuPj0そういうものに「情報か情報じゃないか」とか「情報はどの部分か」っていう流れだと思うんですが、ちょっとそういうのとは別角度の視点から。
論理学とか数学とか哲学とかは全然詳しくないのですが。
いちおう、理論計算機科学をちょっとかじってるので、そういう視点から書いてみたいと思います。
理論計算機科学っていうのは、「計算機」と言いながら「コンピュータ」とか「プログラム」って言葉がほとんど出てこなくて、抽象的な話が多い、応用数学みたいな感じです。
にもかかわらず、いわゆるプログラミングなんかと情報科学という点で似ている面があります。
公理体系とか定理の証明を考えるときにも、ある操作をしたときに「この情報は残っているか」「この情報はどこかで失われてないか」ということを常に意識していて、理屈の上で必要な情報が最後まで残っていて初めて証明が完結したり、そんなことが多いです。
これはプログラミングで言えば変数に値を残しておいたり、関数やメソッドに引数を正しく渡したり、戻り値を返してやったりすることに近いです。
「プログラミングは数学の証明と一緒」なんていう人がいるのも、そういう所以も一つとしてあるかと思います。
プログラミング以外でも、ファイルを保存しておいて後で開くなんて、日常的な作業の一つでしょう。
ここで注目すべきは、情報というのは「消えてしまうことがある」ものであり、「消えた情報は復元できない」ということです(量子レベルで本当に存在しなくなるのかはわかりませんが)。
このことは、情報というものが物質とは一線を画すことを示唆していると思います。
物質はエネルギーという形に姿を変えることはできても、消滅することはありえないからです。
裏を返せば、情報とは(消えてしまうこともあるが)、何らかの形で保存し、後に復元することのできる対象だと考えます。
0136135
2007/06/01(金) 05:17:48ID:lwzZKuPj0心理学は教養でちょっとやった程度なんですが、心理学では「記憶」というものが次のように定義されています。
「記憶(memory)」とは、情報を符号化し(encode)、保存し(store)、復元(retrieve)することのできる系(system)である。
(英語でのソースしかないので、日本語訳が間違っているかもしれませんが、そこは勘弁してください。)
この定義の仕方はすごく優秀な定義で、人間の脳の記憶はもちろんのこと、コンピュータの記憶装置や記憶媒体(RAMもHDDもDVDも)全てを含んでいます。
ただ、定義中に媒体となるものが何なのかを明示していない点では、ちょっと有耶無耶な印象もあるでしょうか。
前のレスで、情報の保存と復元に注目したのは、この「記憶」の定義とうまく合致させたかった部分もあります。
それで、情報そのものは必ずしも符号化する必要はない気もするので、以下のような定義を提案したいと思います。
「情報」とは、保存すれば同じものを復元できるものである。
そもそも「保存」という言葉自体が復元することを目的としているのだから当たり前に聞こえるかもしれませんが、その場合は「情報とは保存することができるものである」という言い方で十分かもしれません。
ただ、同一のものを復元できるという点が一番重要だと思うので、あえてつけました。
>>134で「データ」と「情報」について考察されているようですが、データというのは情報を符号化したものである、というふうに解釈できるのではないでしょうか。
符号化というのは、2進数の列であろうが、自然言語であろうが、レジスタの電圧であろうが、ディスクの磁気であろうが、はたまた遺伝子であろうが、神経回路の電位差(?)であろうが、マイクロチューブルであろうが、何でもいいと思います。
とにかく、情報が物理的(または有限離散的)に表現されているなら、データと言ってもいいのではないでしょうか。
0137115
2007/06/03(日) 01:05:36ID:s6RoqbPj0もしよかったら「記憶」の英語でのソースを教えてください。興味あるので。
>>「情報」とは、保存すれば同じものを復元できるものである。
確かにと思えるところもあるんですが、私は少し違う意見を思っているので、
述べたいと思います。(符号化と有限離散的を完全に理解できている自信はないですが、
ある程度の意見は似ていると思います。)
私は思考や刺激、環境、認知などを素人ながら、時間費やして考えているのでそういう視点(?)から述べます。
まず、刺激とは対象と森羅万象との相互関係であり、いわゆる環境との相互関係といったりします。
我々は常に刺激を受けています。刺激とは我々が認識できないものも含みます。
この刺激の中で、我々が認識、解釈できるものを情報である考えられます。
この情報というのは、言語だけでなく、絵、音声、手話のようなボディーランゲージでも、情報になり得ます。
(ここで125で書いた言語化できるものは、全て情報に成り得るのかそうでないのか。 は、なり得るとする。)
そして、情報とは何らかの形で客観的である必要があり、何かで表現できるものを指す。
表現できるという事は、受けとり手がいるということであり、新たな刺激となりうることが必要条件である。
しかし、受け取り手がそれを同じように認識や解釈できるかは別問題です。
現実に起こっている事全てに意味があるわけではなく、
刺激を受け、我々がただ意味付けをしているだけです。
(例えば、10日連続で4時27分を見た。5日連続で人身事故があり電車が遅れた
など、何かこの現象には意味がある!と思い込みやすい。思わない人もいるだろうけど。)
これらのことを考えると
「情報」とは、何らかの形で客観的に表現ができるものである。
136との違いは、「同じものを復元」できるとは限らないという点です。
私たちは、視覚を持ち、同じぐらいの波長しか捉える事ができないらしいですが、
受容体が違うという事は受け取るものが違う。受け取るものが違うという事は、
受け取った後、表現するものが違うんじゃないかなーと思いました。
(視覚に関しては、同じものが表現できるといえるかもしれませんが・・多分無理)
0138135-136
2007/06/03(日) 15:12:47ID:5cv5TgzB0> もしよかったら「記憶」の英語でのソースを教えてください。興味あるので。
飽くまで心理学の入門書的な位置づけなので、詳細さには欠けるとは思いますが、有名なスタンフォード監獄実験をした同大学のPhilip Zimbardo博士の著書です。
http://www.alibris.com/search/books/qwork/7443723/used/Psychology:%20Core%20Concepts
これの第4版の「Memory」というChapterからですが、
> Cognitive psychologists define memory broadly as any system
> that encodes, stores, and retrieves information - a definition that
> applies equally to an organism or a computer.
と記されています。
「有限離散的な符号化」っていうのは、ちょっと仰々しい言い方でしたね。
大雑把に言うと計算機科学では、計算可能か不可能かを、「有限か無限か」で見分けるんです。
答を出すのに無限に時間がかかったり、無限のメモリ領域を要する可能性があるものを、決定不能(undecidable)といい、いかなる物理デバイスを用いても答が出せないことを示唆します。
なので、コンピュータの処理対象にもなる「データ(≠情報)」は、無限というものが出現しないように符号化されたものでなければならないと考えました(0と1による2進数は、その最もシンプルな形です)。
離散的(単純に「連続的」の反対の意味)というのは、ミクロな方向で有限ってことです。
というわけで、「データ = 情報を有限離散的に符号化したもの」ではないか、という話でした。
0139135-136
2007/06/03(日) 15:13:40ID:5cv5TgzB0それで、本題なんですが、>>137を少し言い方を変えると、「情報とは、人間が認識、解釈できるものの中で、客観的な形で表現可能なもの」ということでしょうか?
私自身も、人間が認識する対象(未だ科学で語りつくせないわけですが)を「情報」と呼ぶことに抵抗はないです。
なにしろ元来は、情報というのは言葉(発話にしろ文書にしろ)を使って人から人に伝わるものを漠然と指していたのではないかと思うからです。
(さらに語源を遡ると>>2になるなら、それもまた面白いですね)
私としてはそのような元来の意味も去ることながら、「情報化社会」とか「情報科学」の方面を比較的強く意識して情報と呼びたいと思っています。
情報化社会をささえているものの一面として、コンピュータの高速さと正確さが挙げられると思いますが、正確さの大前提は完全に復元、コピーができることです。
一方、人間同士のコミュニケーションとなると、情報の「完全な復元」を語るのは、少し難しい面もあるかもしれませんが、ある程度の合理性は得られると思うので、それについて書いてみます。
>>137の言葉を借りると、ある同じ刺激を受けた場合に、人によって受け取り方や表現方法が異なることを挙げられていますが、こういう風に考えてはいかがでしょうか。
例えば伝言ゲームで人から人へと言葉を伝えていった場合、人によって解釈や表現の仕方が異なるために、最後の人までいったときに言葉や意味が大きく変わっているのが、このゲームの面白さです。
そこには「復元できなかった部分」というのがあるわけですが、それは情報が失われたということです。
逆に、たとえ表現方法が違っても、その本質的な意味が伝わったなら、それは情報が復元されたと考えます。
つまり、意味を伝えたとき、それが「受け手側の表現」という形で物理的に現われる前段階の、意味自体に対して情報と呼んでいるわけです。
(もちろん、見かたを変えて言葉の一字一句を情報として着目した場合には、一字一句の復元に言及することになります)
0140135-136
2007/06/03(日) 15:14:33ID:5cv5TgzB0つまり、「意味情報が復元された」といっても、「どうやって完全かどうかを確認するのか?」という問いには答えようがありません。
ですが、日常的な意味で「言葉によって情報が伝わる」とか、「うまく情報が伝わらなかった」などと言った場合に、復元されたかどうかに着目する見かたは、それなりに辻褄が合うのではないかと思っています。
もっとも、客観的なもの(例えばコンピュータ上のデータ)に対して情報と呼べば、科学の対象にはなり得ます。
情報科学における「情報」も、失われていないことを主張するためには、完全な保存や復元をすることが求められます。
そういうわけで、情報というものが復元可能であるという見かたは、コンピュータの処理対象、人から人への意味の伝達、そして情報科学の対象として見た場合に、一貫性があるように思います。
0141115
2007/06/04(月) 06:05:41ID:UGLE43qI0記憶の定義と有限離散的の説明ありがとうございます。
>>139
>137を少し言い方を変えると、「情報とは、人間が認識、解釈できるものの中で、客観的な形で表現可能なもの」ということでしょうか?
はいそうです。ですが、書いてから思ってたんですが、「認識」とはどこまで指すのか?
と考えると、場合によっては違う言葉に変える必要があるかもしれないです。
(例えば、間違い探しをしているとき、絵全体を見ているけど、間違いに気付いていない。
この場合、認識しているといえるのか?これは解釈してない、とも言えるかもしれないけど、難しいです。)
>>140
客観的というのは、少なくとも自分以外の一人以上の人間が
認識や解釈し得るものなら、情報と呼べるかなと思っていました。
(極論で言えば、オカルト好きな人が毎日あるメッセージを宇宙に投げかけており、
何者かがそのメッセージを受け取る事ができた。とすれば、それは情報とする。みたいな・・。)
指摘されて気付きましたが、「科学の対象」「情報科学」などのことを忘れていました。
うまく説明できるんじゃないかな?と思って定義をしたとしても、意味をなさなければ無用の長物ですからね。
絵の場合、人間が復元をするのは不可能だから・・と思ってましたが、
コンピュータ上のデータとしてなら、数値に置き換え復元が可能ともいえますね。
とすれば、「復元可能である。」というのは情報の必要条件になりそうな気がします。
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/29(水) 18:38:38ID:yTmz6MKP00143名無しさん@お腹いっぱい。
2007/09/27(木) 09:19:07ID:2UF+v8VU0必ず物理学的なエネルギーが必要と聞いたけど
これは本当なの?
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2007/09/28(金) 04:45:13ID:xu52pyjv0とりあえず
X空間で定義された
実数値関数fの最大値を
探索する問題を考える
X上で定義された実数値関数全体をΩとする
情報とは、
fが属することが保障されているΩの部分空間それ自体のことですな
この部分空間が小さいほどfに関する情報量が大きく
連続性とか、あるxに対するfの値とかが
決まってくる
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2007/10/23(火) 00:04:45ID:T/q97yVO0「情勢」の「報告」が段々と長距離でもリアルタイムで
行えるようになり、
「情勢」が細分化されて「報告」され蓄積されるようになった
インフォメーションやデーターの意味として「情報」は
生まれ変わっていった
日本の運輸通信網の拡大とともに
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2007/10/23(火) 00:14:41ID:g9F/ZWde0それって結局 エントロピーの減少 = 情報の発生 ってことに行き当たるじゃないの?
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2007/11/13(火) 04:35:33ID:0zlDPlU90すまん、全くわからん。
エントロピー減少=情報量減少は感覚的でなく、式に基づくと思うが。
何に基づいて情報を定義するかの単なる言葉遊びだな。
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2007/12/24(月) 10:47:18ID:/kAGIqs500150名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/01(金) 23:57:24ID:SM7d0q9f0逆じゃないの?
エントロピーが減少すると、情報量は増えるのでは?
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/02(土) 13:01:42ID:J4O5RM8XO本質はどれも一緒ということはありうる。
単なるビット列でもいいと思うんだけど、たとえば量子コンピュータなら、
ビット列の組合せに対する確率を計算することになる。
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/02(土) 13:05:19ID:J4O5RM8XOエントロピーが増えれば情報量も増えるのではないですか?
たとえばファイル圧縮で圧縮率が高いのはどちらか…?
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/02(土) 14:19:18ID:H+GhTU710各事象の情報量は確率だけで決定される。
エントロピーが減少したときでも、情報量が増える事象が存在可能。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/29(金) 20:27:11ID:iAwtGWo/0複数の選択肢に対して、評価尺度(群)がある時
それを修正(変化?)させるような差分?
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/29(金) 20:28:33ID:iAwtGWo/00156名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/29(金) 21:09:38ID:iAwtGWo/0実は、「感情」こと(乗算=評価系の)報酬型の定義を
変化=乗算系から差分=減算系に変えようとした、
せるふぱくり。みてのとおりうまくいかんかった。
情報の文字から普通に考えたらこうなった。
減算系の伝統名の1つは木行/青龍)
感覚・感情両系統=HEARTでなく
残りのMINDなので、少し違う?
おおよそ、
感覚などの意識・容器系がアナログ→デジタル、
情動などの変換・評価系がアナログベースに対し
残りはデジタルまたは非‐数量順序の相互関係。
差の系統もスタートはデジタルだからだめだな…、
ネゲントロピー価値を扱うから使えるかと思ったが。
選択行為は待機と左右など移動と決定とかかな…。
むずかしいなーホント。
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2008/05/06(火) 23:51:00ID:m5M8uQBv0・・・→「知識」→媒体→「知らせ」→媒体→「新たな知識」→媒体→「新たな知らせ・・・
と繰返し変化する連続性(時間)の中で、「現象」として断片的に静止(記憶・記録され)決定付けられた状態を指す言葉。
情報は時間と同様、動的な現象である為、どの状態で区切ろうとするかによって意味やカタチが異なる。
(構造)
知らせ・・媒体を介して出力された状態
媒体・・・媒体は「入れ物」と「中身」に分けられる
「入れ物」・・・それだけでは意味内容を持たないもの(記号そのもの、電流(パルス)、波長などなど)
「中 身」・・・入れ物に意味内容を定義付けるもの
既存の知識や記録をもって組合わせた結果(指令や秩序、ルールや規則性、などなど)
知識・・・媒体を介して入力された状態
ベースの定義はここまでとして、
あえて価値のある情報、価値のない情報・・・
確実、不確実・・・
など目的と尺度(意図的、恣意的、価値観)を与えると、
どうしても統計、確率分布によるエントロピーの理論に落ち着くなぁ。
ただ、あれは「どの状態で区切られたか、もしくは区切れるか」という
平均値を取る作業でしかないんじゃないかな・・・
時間と情報は限りなく近い概念として捉えるならば、
未来を確定させる情報=最も価値のある情報である、と言えるかな・・・
しかし、持論の構造上、未来の確実な情報というのはあり得ないわけだが。
0158名無しさん@お腹いっぱい。
2008/05/10(土) 14:32:06ID:6vLG3a220それは知識だけに拘っているからだ。まさに不可能。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2008/05/11(日) 00:51:00ID:AXf9/uOb0スレ序盤の>>25>>45>>46>>47>>49と最近の>>126>>143あたりが
ずっと俺が議論をふっかけたいと思ってたような内容でいい感じだったんだが。
途中で「認識・意味論」みたいな方向にいって混沌としてしまっているね。
俺は情報論というのは、20世紀以前の意味論や唯物論とまったく別次元の完全に
”新しい”ものいう認識なので、キツイ言い方をすれば、
ちょっと「有効な議論なのかな?」と疑問をもちました。
たしかに考えていくと途中に”人間の解釈”というものが気になるところは
出てくるんですけど、それは一旦置いておくべきだと思います。
さて、わざとぞんざいめに書かれてると思しき>>45あたりを掘り下さて、げると
いろいろあるんですけど、長くなるのであとにしておいて、
とりあえず、短くいえるほうを先に言うと、
>>47、>>49の言っている「依存」のことばの意図にもよると思うんですけど
ぼくは情報というのは物理的な存在に必ず依存していると思うんです。
でなければ観測できないはずですよね。だから物理学の上に二次的に
存在している自然法則の世界なんじゃないかなと思っているんです。
ちょうどOSの上に仮想OSが乗っていたり、現実の上に仮想現実があったりする感じです。
まあ結局なにがいいたいかというと、一旦知覚を気にするのはやめて物理学とかと
同じように客観的に存在しているんだという仮定のもとに定義づけしていったほうがいいのでは
ないかなーと。。。。
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2008/05/11(日) 01:03:21ID:AXf9/uOb0おれもそれずっと考えてて、物理学的な延長線上で情報を定義するとすれば、
1bitというのは、1bitの情報を伝達するのに必要な最小のエネルギーのことなんじゃないかとも妄想してた。
つまり、フェルミオンだのボゾンだのの一本の微粒ヒモを一個飛ばして横の別の微粒ヒモと相互作用させるのに
必要な最小のエネルギーがイコール1bitなんじゃないかなと。
情報が伝達されるのに必ず物理的相互作用が発生しなきゃならないというのは明らかですよね。
これを定量的に求められれば、E=MC^2のように質量がエネルギーである、みたいにE=I情報とは実は
エネルギーである、みたいなシナリオを考えていたんです。
つうか、これ以上語ると電波っぽくなるんでちょうどいい機会なので理論物理学をやってる友達に相談してきますε=方
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2008/05/11(日) 04:47:26ID:W+FX/Jk700162名無しさん@お腹いっぱい。
2008/05/11(日) 10:15:39ID:Zbhr2ODY00163名無しさん@お腹いっぱい。
2008/12/04(木) 23:51:10ID:A55vq+X601:「ある」
0:「ない」
0164名無しさん@お腹いっぱい。
2008/12/18(木) 19:07:40ID:YYxiSUbR0情報の定義に一生を捧げた人。
0165B@a
2009/01/15(木) 23:36:21ID:J5asfRsp0チャーとしての政策処理用OSです。現代の政治制度は20世紀後半の「長−下士官
ヒエラルキー」にて設計されたシステム構造ですが、PNXは新世紀のインターネット
にて有効性が実証された相互リンク型処理システムを政治制度へインストールする
為のISO[国際標準規格]規格を目指しアップグレートされています(但しその設計理念
については、近年の次世代DVD騒動の如きイデオロギー論争に依拠したシステムでは
ありません
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2009/02/22(日) 16:21:07ID:drCzT1on0勤務態度不良でリコーのアルバイトをクビ同然で辞めた。
その後、鳥取市のテスコという工場に勤め真面目に働いていた。
「真面目に働いているのはリコーに対する報復」という噂でテスコをクビになった。
直後、テスコの社長から雇用保険の書類をとりに来るよう泣きそうな声で電話があった。
噂は嘘だと知ったのだろう。
雇用保険の手続きのため職安に行った。
職安の次長と相談すると、口止めをされた。
職安と会社は連絡を取り合っていたらしい。
しかし噂は狭い鳥取市である程度広がっているようだ。
リコーマイクロエレクトロニクスに電話を掛けた。
「君はうちのような一流企業が組織ぐるみでやったとでも思っているのかね?」
「そんなことはありませんけど」
「じゃあ会社には関係ないじゃないか」
しかし公的機関(職安)も巻き込んだ組織ぐるみの人権侵害の揉み消しである。
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地元の人は知っていても知らぬ振り。
「真面目に働いているのはリコーに対する報復」という噂の真相が分かれば
連絡お願いします。米村 yone8x@yahoo.co.jp
0167名無しさん@お腹いっぱい。
2009/02/25(水) 23:55:41ID:a3u6SGn/00168名無しさん@お腹いっぱい。
2009/09/06(日) 23:03:02ID:zT5z8A+u00169南沢木綿子 ◆HntZvQuKYWgK
2010/04/28(水) 12:52:28ID:82aqTtWK0( ・∀・) ほー それで
( : )
し─J
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