雑談スレ1
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 16:58:09ID:MdO2vOTK00049名無しさん@お腹いっぱい。
2007/07/04(水) 03:14:53ID:M2loPD1A0コピペにマジレスすると、「情報学部」という名前の学部に行った時点でおhる
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2007/07/05(木) 12:12:35ID:jH+tSKd/Oとりあえず読んどけって本ある?
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2007/07/06(金) 03:20:47ID:xSgRp51f0アルゴリズムイントロダクション
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2007/07/13(金) 01:17:44ID:fHNk1EM60その程度じゃ勉強よりも遊んだ方がいいだろう
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2007/10/31(水) 16:49:32ID:J/26RE2H0享年37歳。(合掌)
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/17(木) 10:12:20ID:K6rbKn7f0現政権の選択は日本を普通の国家にしてしまった。世界の普通の国家に成るという
ことは日本に取って正しい選択と言えるのかと問えば、私は言えないと答える。
日本に取って平和国家は自信であり、正義心であり、安全の基本では無いだろうか。
テロ特措法を選択した事によって戦争に参加をし、日本人の生命の危険度を高めたと
言えるのではないか。テロはなぜ、起きるのかを考えるとそれは良く分かるのではないか、
私はテロは生活の不公平から多くが発生していると思っています。この不公平により
人々は貧困と命の危険を感じ、それに対する抵抗手段として非情なテロを行なうのでは
無いでしょうか。
世界に起こるテロは戦争によってテロリストを殺す事で解決すると考える事は大きな
間違いです。テロリストは銃弾や爆弾によって無くす事は出来ないと考えるべきでは
無いでしょうか。
人々の生活の格差が生む貧困は公平な富の配分が世界で行なわれていないことが
大きな原因ではないでしょうか。先進国による巨大な資本を背景に富を独占する一部
の人々の存在は否定できない。その人たちは貧しい国家で在りながら優雅な生活を
送り、その生活を支える先進国の資本を優遇し、貧しい国民への富の配分をしないで
先進国へその富を与えることで一部の人々の富と生活の安全を先進国に委ねる。
ここに大きな悪意を感じるのです。それは日本の現政権が進める富の配分に対する考え
方である。現政権はまず大企業からの富の配分を進め、その後、その富が国民に拡散し
日本全体が潤うという考え方である。今の日本を見ると大企業と公務員が同じ立場になり
大企業の社員は実質的には何倍もの人数になるのである。大企業の社員であれば実際に
働き収入を得るが公務員は収入はゼロである。結局、富の配分は大企業と公務員の段階で
消えてなくなるのである。現政権を支持する人々は平和より富を選んだのでは無いでしょうか。
結論として、普通の国になったという事はテロが起こる国に成ったということなのかもしれない。
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/18(金) 09:45:42ID:oQTUePpC0テロ特措法は憲法違反という事は言うまでも無いが、道徳という人の道を破壊して
しまった事に心が痛み、未来の人々がどのような道徳を持った人たちになるのかと
思うと何か恐ろしさを感じる。
テレビの朝の報道バライティー番組でゲストが司会者に媚を売る姿が目立つのだが
何か変な違和感を感じる。例えばスポーツ選手などが司会者に試合を見に来てください
とテレビの画面の中で言うのである。そのとき私は俺たちは見に行かないよと思って
しまうのです。私がへそ曲がりなのでしょうが、テレビを見ている私たちより司会者が
大事なのかと思うと共に司会者がそんなに大きくなってしまったのかと驚いてしまう。
この現象もだからなんだと思ってしまえばそれまでなのだが、しかし、考えてみれば
視聴者が本当は主役のはずと思うのだが視聴者より司会者の方が主役になって
しまったようで何かテレビ局は勘違いしているのではないかと思ってしまう。しかし、視聴
者がそれに対して不快に思わなくなったという事なのかもしれない。これも道徳観の
異変になるのではないか。考えてみればテレビが成り立っているのは視聴者がいれば
こそなのだがテレビ局は視聴率を取れる司会者を大事にして視聴者は無視をしている
ことになるのだが、それを批判しない日本人が育っているという事になる。この現象は
どこか可笑しく、公共施設とみれば、個人である司会者に支配され、多くの人々に対する
優しさや思いやりの気持ちを理解出来ない人々が育つ環境を無意識の内にテレビが
作っていることになる。私たちの社会はテレビという機械を余りにも無造作に使って
いるのではないか。低俗番組や低俗司会者による不道徳の垂れ流し、それによって
傷付く子供たちの精神、異常者に対する不当な刺激が犯罪に至る可能性は可能性
という言葉で終わらせることは出来ないのでは無いだろうか。テレビの不道徳な番組
が確実に日本の犯罪を増やしているのは確かだ。ダメ人間の高い出演料やダメ司会者が
優遇され、結果社会の道徳が消えていくことがテロ特措法の制定に繋がったといえる。
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/19(土) 21:29:05ID:Jekx5GuR0自衛隊は世界でも有数な武装集団と言って間違いない。年間5兆円の予算を使う
自衛隊は今のところこれといった緊急事態は日本にはない。5兆円は壱万円札を積み
上げるとどれくらい成ると思いますか、100万円を1センチとします。一億で1メートル、
1000億で1000メートルです。1キロメートルですね。1兆円で10キロメートルです。5兆円
と言う事は50キロメートルです。マラソンが42.195キロメートルです。まだ、足りません。
富士山の高さは3333メートルです。高さは富士山の15倍の高さに成ります。自衛隊は
一年間で使ってしまいます。ちなみに日本の国の負債は1150兆円と言われています。
その高さは11500キロメートルです。1万1500キロです。地球の周囲は4万キロ。
地球の直径は1万2756キロです。もう少しですね。そして、日本人全ての現金による
資産は1500兆円ということです。借金1150兆円、貯金1500兆円です。
自衛隊は5兆円の中から毎年武器を買い、日本を守っています。この莫大な予算は
世界有数な武器を米国などから買い付けいつも磨いています。いつでも使えるように
です。大の大人がいつも本物のおもちゃのような本物の武器を大事に磨いているのです。
その年月は60年を越えてしまいました。60年は長いです。どんなものも朽ち果てるか
既に必要とされないものと考えてもいいのかも知れません。それは無用の長物と言える
のかもしれません。
そこで思いついたのがテロ特措法での自衛隊の海外派遣ということではないでしょう
か。武器を売りつけた米国、武器を買った平和国家日本、武器を売りつけた手前何と
か使って貰いたい。買わされたけれで使い道に困ってしまった日本は米国に何とか
成りませんかと頼む。米国は本当ならば足手まといになる日本では在るが給油程度
ならば邪魔には成らないだろうと水汲みを頼んでみたら二つ返事で了解したので内心
驚いたのだが世界唯一の平和国家である日本の堕落した平和精神に呆れはしたが
渡世人の世界に戻りたいという心を汲み下足番として仲間に入れたと言う事か。
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/20(日) 23:38:15ID:s7tnl1Uf0テレビから人道主義者が消滅してしまった。平和国家なのに人道主義者がいなく
なった。
テレビの役割は大きい。テレビが多くの人々に共通した話題を提供し、人々に世の
中の赤裸の現状を認識させ、生きる術を学び、人類の生存を実感させる。
テレビから人道主義者が消えたと言う事は多くの人々が人道主義者を必要としない
事を証明している。
人道主義者は国を選ばない、人種を選ばない、立場を選ばない。全ての人間を愛し、
全ての人間を公平に扱い、全ての人間を救うのです。
私たちは人道主義者により、人への愛、人との交わりを知り、その結果世界平和の
重要性と実現に向けた人々の努力を支持し、そしてそれを求めたのです。
日本は平和国家として、世界に対して人道主義の重要と可能性を最も表明し、それ
を実行した国と言えたのではないでしょうか。
日本の平和憲法は人道主義者の求める戦争の否定、人間に対する人道的な姿勢
を法的に表し、日本が実証することで世界平和への可能性を期待できたと言えたの
ではないか。
私たちは現政権がテロ特措法を制定し、戦争参加を決定したことで、改めて、気付
いたのです。テレビからいつの間にか人道主義者が消えてしまったことをです。
テレビを見る事で私たちはかつて人を愛する事を知り、人の命の尊さを知り、戦争が
人類に与える被害の大きさを知り、戦争を起こす事も、望む事も、参加する事も否定
することが人類の永久的な生存を約束する事であり、それを疑う日本人は居なかった
のではないか。
テレビがテレビ自身により人道主義者を画面から消したのか、それとも日本人自身が
日本人から人道主義者を消したのか、今は定かではないがその評価は厳しいのではないか。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/21(月) 22:57:33ID:4SzFtwHm0日本国民は戦争に参加をする事を選択した。どのような理由なのか。どのような
判断なのか。その答えは無意味という事だろう。日本国民は戦争参加という無意味な
選択をしたのではないか。日本人のほとんどは正しい理由も正しい判断もした訳では
無く。無意味な選択をしたことになる。
戦争は日本国民に取って論外であって議論の余地はない。日本人の全てが戦争を
否定するだろう。戦争はしたくないと言うだろう。戦争に参加を決めた人も戦争に対し
て肯定はしない。戦争参加を選択した人が戦争を否定をするのである。それは答えが
間違っているのに正しいと心にも無い事を無意識の内に言うのである。
日本人の精神は壊れたということではないか。日本の教育は日本人の精神を正常に
保つことが出来なかったということだ。
人の命の尊さは誰も理解しているのに戦争参加を選択し、テロリストを殺す戦争に
参加をする。テロリストの多くが貧困層の人々でテロ行為は貧困が政治的要因による
政争を引き起こす結果起こる抵抗手段であり、このテロ行為を無くす為には平和的
解決を試みるべきなのである。
日本は政治家に世界平和を望む意欲が無く。自らの理想もないのではないか。日本
に取って世界平和は理想であり日本人の安全には世界の平和が理想であり必要と
言える。日本には当の昔に答えは出ているのである。日本に取って平和憲法も世界
平和も必要なものであり、望むものである。しかし、テロ特措法により戦争に参加をし
人々を殺す事になるのである。
日本の政治家は日本の安全を誰に売ったのだろうか。今の現状を批判するとすれば
日本を売った政治家より、政治家に日本を売られた日本人の精神状態ではないか、
戦争を否定するのに戦争参加を選択した善良な人々の精神状態を疑うと共に日本人
には既に善良な日本人は存在しないことを悟るべきなのかもしれない。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/22(火) 11:06:01ID:eeRcHkkM0私は何を書いたのか、何を言いたいのか、自分でも分からなくなってしまった。日本人
のほとんどが戦争に反対していることは事実であり、それを疑いたくはないし、疑う
必要も無いだろう。しかし、日本人は戦争参加を決定してしまい。悲惨な戦争を望んで
しまったのである。
それではなぜ、日本人は本心では望まない戦争に参加をしなければ成らないのかと
考えると答えは簡単な所に行き着くのである。それはテレビではないだろうか。
テレビは日本が戦争に負け、平和憲法を取得し、日本は平和国家として立ち直る
為にテレビは戦争をあらゆる面から批判し、今後、決して日本が戦争をしない為に多く
の番組を作り、戦争によって傷付いた人々の悲惨さを流し続けたのである。それに
よる効果は大きく多くの人々が戦争の悲惨さを実感し、ほとんどの日本人は戦争を憎み
戦争は悪いと判断し、戦争を避けてきたのである。そして、その結果、日本は大きな
経済的繁栄と人間としての優しさや労わりを知ることが出来たのである。私たち日本人
は民主的で平和を愛する国民として世界中の人々に胸を張ることが出来たのでは
ないか。それは多くの日本人を幸せに下のである。テレビの役割は大きかった。
現在のテレビは何一つ戦争の悲惨さや戦う事の無意味さ、多くの人々が死にそして、
それ以上に多くの人々が負傷し、更にそれ以上に多くの人々が心の病に掛かり、戦争
が多くの人々の幸せを奪っている事を知りながら日本が選択した戦争参加を批判しない
のである。
テレビが果す役割を現在のテレビはしているかという事を将来必ず問われる時が来る
だろう。テレビは視聴率的に戦争参加を判断したのではないだろうか。国民に戦争参加
を視聴率として判断させてしまったのである。視聴率には何一つそのものの良し悪しの
判断がないのである。テレビは国民に問うのではなく、戦争が悪いのなら悪いとして
国民に訴えるべきではないか。国民がどのような判断をしようとテレビは批判すべき
ことは批判すべきではないだろうか。
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/23(水) 11:27:12ID:sjXXhd340権力の無いものが何を言っても世の中は変らない。そして、正しいことも間違っている
事もそれを世の中に広める事は出来ない。だから、今は世の中に統制と言う言葉も
規律と言う言葉も無くなってしまった。それにテロ特措法を制定した事で正義も消えて
無くなってしまった。何が正しく、何が間違っているか、誰も判断が出来ない時代に
成ったと言える。
このような訳の分からない世の中にした張本人はテレビではないだろうか。テレビが
重要視する視聴率は日本の道徳を破壊し善悪の仕切りを取り払い人の進むべき道を
なくしてしまったと言える。今、テレビの視聴率は高い方がいいのである。御偉方が
評価をし、テレビ局に巨万の富を齎すのである。番組の内容は二の次、三の次になり、
視聴率さえ取れれば天下を取れる時代になってしまったのである。そこには何もない
世界が存在する。何事も視聴率の結果で全てが判断され、高ければ優秀で低ければ
落第ということだ。
テロ特措法を成立させた日本人は善良な人々だろうか。米国に従い、軍国主義を
崇拝する人々の望みでも在った、戦争ができる国家に近づき、戦争に参加をしたという
ことは戦争をしている事になる。という事は戦争ができる国に成った事になる。
米国はテロにより傷付き、テロを憎み、テロの根絶を願い戦争に突入した。そして、
日本も参加を希望し、国際平和協力という欺瞞に満ちた言葉を使い戦争参加に踏み
切ったのである。
しかし、世界の現状はどうだろう。米国が引き起こした経済の混乱はテロといえないのか。
世界の金融市場へのテロ攻撃といえないのだろうか。エコノミックテロと言えないのか。
貧困者を利用した経済の混乱は米国自身の危機管理不足による自らの体質であり、
病魔ではないのか。全てのテロは全て米国自らが病原体に食い尽くされる運命と言え
ないのだろうか。日本人が戦争参加を小さな過ちと思っていたら大きな間違いを犯すだろう。
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/24(木) 10:09:16ID:GjeNIPCT0民主国家は国民が主役であり、国民によって国家が運営され、国民の知恵と努力に
より、より良い社会を作る事を目的とすれば、何よりも国民が自らに厳しくすべきではな
いか。国民一人一人が国家運営に直接関わる事は出来ないが選挙により選出された
政治家が国民の代表として国家の舵取りを行い、私たちの税金や私たちの貯金を
国債に変え、全ての国民のお金を全ての国民に対して公平に配分し、国民が満足する
社会を作らなければ日本人は幸せには成れない。そして、世界も同じではないか。
日本は国債を他国から見ると大量に使っているがこれは多くの国民の貯金を貧富の
差に関係なく使っている事になる。それは国債が私たちの貯金でまかなわれている
からだ、銀行に貯金された貧困者の金もお金持ちの金も銀行に貯金されれば区別は
付かない。国の負債は1150兆円と言われています。日本人の人口を1億2500万人
とすると国民一人920万円の負債です。もし、貯金が920万円ならばあなたの貯金は
ゼロという事です。勿論、日本が潰れなければそのままでいいのですがあなたに取って
いつそれを税金で取られるかは分かりません。
私たちが一人920万円の借金が在ると言うことは私たちは国民一人当たり920万円
の貸しがあるという事になります。私たちは私たちに920万円貸し、それは私たちが
私たちに920万円返さなければ成らないことに成ります。それは私たちに少なくても
920万円の貯金があるという事になります。国債は国民に対して平等に分配されます。
国の借金はいつかは返さなければ成りません。そのとき、投票税があるかないか
では大きく違います。投票税により国民の公平が保たれるのです。投票税には貧困も
学力差も何も影響されません。国民の真意が国政に反映それます。
投票税は選挙のとき投票を拒否した人から罰則金として1から3万円を徴収します。
政治家は国民に取って重要人物です。国民は主権者です。主権者は国に対して大きな
責任があります。投票税はその責任を果さなかった人々に対しての罰則金です。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/25(金) 09:55:24ID:rq3YW+uX0まだ見ぬ新しい時代が簡単に手に入るとすれば手に入れるべきではないだろうか。
民主国家を本当の民主国家と言えるようにする為には国民一人一人の努力と知恵
が無くては成らない。しかし、新しい民主国家が少しの努力と僅かな知恵で得られると
すればそれを拒む人々はいないだろう。
今の日本は真の民主国家とは言えない。日本の歴史上、民主国家と言える時代が
何年在るだろうか。私は一年もないと考えている。国民の意志が直接国政に反映され、
国民の真意に従った国民が政治家になり、政治を司る社会が本当の民主国家であり、
国民が求める理想な社会を造る為の必要条件と言える。
多数決により全てを決定する事が正しいとする社会に於いて、重要なことは物事を
決定するとき、多くの人々により選択する事が理想であり、多くの人々の意見を比較し
その中から選択することで公平な意見が見つかるのではないだろうか。
多くの人々には色々な人々がいる。努力をする人、勉強の好きな人、真面目な人、
優しい人、お金持ちの人、運のいい人、そして、それぞれその反対の人も中間の人も
いる。私たちは全ての人が公平な立場を維持する為に知恵を使わなければ成らな
い。人々が公正で公平な社会こそ理想であり、私たちが求める社会と言える。
私たちが求める社会を私たちが作るためには人々が満足する政治を行なう事が
重要になる。しかし、全ての人々が納得し、満足する政治は不可能であり、それを
求める事も無意味です。なぜなら、人間自体が如何なる事態になっても納得することが
ないからだ。人間は全てが揃ってもその時点から不満足が始まり、納得はしない。
私たちが出来る事は多くの人々の意見を聞き、その意見を検討し、政治家がそれを
選択することこそ理想的な政治であり、社会と言えないか。しかし、今はそのようではない。
投票税は理想的な社会を約束し、多くの人々が未来永劫生きていく為に必要不可欠
な制度であり、民主国家ならば当たり前の考え方ではないか。それが無い事が疑問だ。
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/26(土) 09:20:33ID:JGGBX1Dn0私たちは自由だろうか。私たちが自由ならば、なぜ、人々を殺すのでしょうか。なぜ、
日本はテロ特措法を承認し、貧しい人々を殺す道を選択したのでしょうか。私たちの
選んだ政治家たちは日本人に人殺しの法律を押し付け、日本人を人間の血で汚して
しまった。
米国は軍事国家であり、戦う事で国益を確保し、それにより国民が生き幸せを得ようと
している。米国の政治を批判するつもりはないが米国が行なう政策は全て米国民を
中心に考えている為に他国に対して自らの政策と自国の利益のみを求める為に他国民
の事情を無視する事で、そこに摩擦が生じ、そして友好的交流を続けることが出来なく
なり米国を恨む人々が生まれる。その結果、米国の巨大な軍事力に対して貧困者が
戦うとすれば自然にテロという事になるのではないか。
戦争は悪人同士の争いとは言えない。戦争という名が付けば少数の人々の戦いでは
無く、多くの人々同士の戦いになる。それは民族同士、思想組織による戦い、そして、
国同士、更に複数の国々同士の戦いという事になる。多くの人々同士の戦いは単なる
争いでは無く、多くの人々が同じ認識を持ち、お互いを知り、命を犠牲にして戦うので
ある。戦争はお互いが善であり、お互いが正義と思い戦うのである。
テロ特措法は米国とアフガンの貧困者との戦いである。テロ戦争ということだ。日本は
日本人の多くがアフガンの貧困者と戦う事が正義と思っているだろうか。日本人は誰も
アフガンの貧困者と戦っている事を認識はしていない。日本人は誰も戦争をしていると
自覚していないのではないか。
日本人はなぜ、テロ特措法を制定してしまったのか。もし。投票税が日本に在ったと
すれば私たちは身に覚えの無い自由への代償を払う必要があったのだろうか。
投票税は決して後悔はしない為にも民主国家であるのならば一人一人が自らの責任を
自覚し、自由への代償を払わない為にも、いつかは私たちの腕の中に納めたい。
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/27(日) 22:35:09ID:JN67pzSA0投票税がいつか一人歩きを始めるときが必ず来る事を心から願いたい。日本の主権
者は国民です。そして、その中に有権者がいます。年齢が二十歳を越えた人たちを
言います。この人たちは有権者です。主権者であり有権者です。この人たちが如何に
責任ある立場に立っているか、この二つの言葉で分かります。主権が在って有権もある。
くどい表現と言えば言えなくも無い。
投票税はこの有権者に課する税です。そして、その立場を誇る為の税です。一人の
有権者としての証明です。それは日本の政治を自らの手で動かしているという自負の
証です。
投票税が国民としての自由を奪う事は在りません。投票税は拒否もできるのです。
それは有権者であることを否定をする訳ではないのです。あなたがもし、他の有権者
に全てを委ねる事を望む場合は投票税を支払う事は在りません。例えば不幸にして病に
倒れ投票ができない人、自ら考える事の出来ない人、その人に取って投票行為がどの
ような手段をとろうが不可能であると認められた人は投票税を免除できます。
日本の有権者は1億300万人という事です。投票税があれば投票率は上がります。
投票率を上げる為の無駄な税金はいりません。投票税は投票率が低い場合に国に
税金を齎します。投票率が50パーセントならば5000万人の人たちが投票に行かなかった
事になります。もし、投票税を一人2万円とすれば1兆円の税金です。3万円ならば
1兆5000億円の税金です。勿論、投票税は投票率を100パーセントにする為の税制
です。投票税に関係する選挙は国会議員、地方議員などの選挙のときに施行します。
1年か2年に一回程度の選挙になるのではないでしょうか。
投票税の徴収は代表者制を利用すればいいと思います。学生や未婚者に対しては
親が代表して支払うようにすれば税の徴収は簡単ではないでしょうか。
投票税による責任感は人々の心を変えるのではないでしょうか。いい方にです。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/28(月) 16:23:43ID:uoOnysBA0投票税は別に特別な税でも考え方でもない。誰でも考える税であり、作ってしまえば
当たり前の税ではないか。それではなぜ、投票税が日本にないかと言えば日本が真の
民主国家ではないということだ。答えはいたって簡単なことだ。
今日本に起こっている多くの問題は全て民主国家に成る為の戦いであり、民主国家
でない為に起こる問題ということだ。例えば医療問題にしても裕福な人々に取っては
今現在何一つ問題はない。豊富な資産と恵まれた優遇策によって満足な生活を送って
いるのである。貧困者に於いても今自分の置かれている立場に気付き、貧乏人に対す
る国の姿勢にようやっと批判できるだけの能力が付いてきたのである。能力というより
古い人々が居なくなったと言う事だ。救急車に乗り、たらい回しにされ亡くなる人たちは
民主国家ならば決してない現象ではないか。人の生命を軽く思う気持ちが医療機関に
在るからこそ救急車のたらい回しが起こるのであって、このような現象を無くす為には
人命を重んじる個々の人間の心を育てなければ成らないのである。もし、救急者の
乗員が病院が患者を断ったとき、本当に人命を重んじる乗員ならば病院に対して怒りと
共に世の中に対して強く訴える姿勢を見せるだろう。それが幾つもの病院をたらい
回しにし、患者を犬死にしてしまう事は人命と人命を軽く思う病院を認めている事に成
るのではないか。本当に人命を重んじるならば警察や国民が病院を訴え裁判所が
罪を与えなければ成らない筈だがそのようなことはない。民主国家は人を重んじる故に
人を軽んじる人を罰せなければならいというジレンマに陥るが、投票税を要した民主
国家ならば違う対応が在った筈だ。今の時代では限られた人々の幸せの為に多くの
人々が犠牲になる。富める人に成る為に貧しい人々の欲望が貧しい人々を苦しめる
というジレンマは今の時代を続ける事で決して消えない。それはこれまでの歴史上に
於いて明らかであり、貧しい者が富める者に成りたい欲望は更なる貧しさを募らせる
原因にもなっている。投票税は歴史にない法律で在っても人の心の中に常にある法律である。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/29(火) 16:46:50ID:uaIKTnFY0いつの世も井の中の蛙であり、郷に入っては郷に従え、色々言い方は在るだろうが
貧乏人には貧乏人を救えないという事なのか。確かに貧困者は裕福に成ろうとし、
貧困者を軽蔑する。貧困者は貧困者を見る事で更に貧困者を嫌うのである。貧しさは
自らも救う事が出来ないのだ。悲しみは悲しみを深め、いつしか悲しみさえ感じなく
なる。されば、富める者が貧困者を救う事が出来るのか。それも違うだろう。それでは
誰が貧困者を救う事が出来るのか。素直に考えれば人命を尊重し、優しい心と地球
の存続を心から願う人たちと言えるだろう。世の中は貧困者と富める者だけではない。
国を滅ぼす者たちは愚か者であり、馬鹿者である。歴史を振り返れば国を滅ぼす
者たちの多くは富める者たちだった。富める者たちは公平な社会を嫌い、私利私欲の
為には国までも滅ぼして来たのである。富める者も貧困者も結局全ては金だけを目的
として日々を送る事で人命を重んじる心は乏しく、国は人成りと言われるように人命を
疎かにした国は衰退し、滅びて行くのである。
今の日本は人命を著しく軽視し、全てはお金で人を判断し、人としての成長を誰も
重要視しなくなってしまった。はなはだ著しいのはテレビの道徳への希薄な姿勢は
目に余るものがあるのではないだろうか。人の人生に対しての公正と公平の面で言えば
スポーツ選手に対する対応は日本全体が狂い始めてしまったのではないだろうか。16
才の少年がプロ選手に成り、普通ならば考えられない沢山の契約金を手に入れたと
言うことだがテレビを見る限り、誉めるだけで批判の声は無い。16歳の少年が何億の
宣伝費を手に入れる事が正しい経済活動なのだろうか。一人の少年になぜ、沢山の
金額を支払う事が出来るのだろうか。どこか税制に不公平があるとしかいえない。
宣伝費を不当に掛ける企業に対しては税制面で企業間の不公平を是正すべきだ。
この辺も貧困者には理解出来ないのかもしれない。なぜならば貧困者から批判を聞く
事がない。こんな時も投票税が在れば不当な宣伝費は税金に変わっているのではないか。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2008/01/30(水) 16:09:22ID:BSuv07Y+0学問を学びすぎると右や左と馬鹿な議論になるが、どうでもよい人間に取っては金持
ちか貧乏人と言うことになる。今はどちらかと言えば後者という事になる。そして、嘘と
真の区別もはっきりしない時代になり、生と死に対する考え方も今の日本人は優柔不断
であり人間とての誠実さを見る事は出来ない。特にテロ特措法により戦争参加を決定し
た事は日本での平和と言う言葉に限定条件が付いてしまったのである。戦争参加に
より日本人の平和を守る為に他国民の人々の命を奪っても仕方がないという限定条件
を付けてしまったことはこれまでの多くの日本人の努力が無になってしまったようで、
残念で成らない。これは歴史的にも重大な過ちとして後世に残るのではないだろうか。
平和国家としてある程度成功し、世界に対して十分参考になる国家運営を行なって
来た日本が結局軍事国家の仲間入りをしてしまった事は世界に取っても大きな損失
ではないか。
日本に対する軍事攻撃は一つも無いのに、軍事利権に伴う国民への恐怖を煽る意味
でのテロ攻撃への抑止力として米国を中心としたテロ戦争への参加は、日本国民と
しては不満と欺瞞と生きる上での誠信を失わせた。
現政権の犯した罪の中でテロ特措法が一番の罪ではないか。戦争参加はあらゆる
意味で人間の条件を逸脱した行為であり、軍事国家に戻った証としてこれ以上のもの
はない。テロ特措法を制定した後の現政権は思うがままに現政権の利権構造を死守
するがごときに国民を蔑ろにした無謀ともいえる手段で法案を通そうとする行為は
既に軍事国家としての様相を表したのではないだろうか。政権を取ってはいても全ての
国民に対する責任は政権与党が持ちその意味は大きい筈だ。政権を取ったならば
野党に対する心配りがないような政権は日本を統一する上では不適格な政権と言える
のではないか。軍事政権を選択した日本国民に取ってこれから幾多の試練が訪れる
事を覚悟しなければならないが、今は平和国家が懐かしく、人間の条件を問うのが辛い。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/01(金) 17:23:09ID:i26kGazz0日本人は国を忘れてしまったのでは無いかと思ってしまう。自らの欲望を満たす事
ばかりで日本という国家を忘れてしまったのではないだろうか。国を思う心は、将来の
日本人や日本の国土を心配し、現在生活している人々の生活を重要視し、将来に不
利益になら無いように無駄を無くし、将来を見つめた国家運営と共に個人個人の人々
の生活を公平公正に正すべきではないだろうか。
今の日本を見ると無駄と不公平が増え、均衡の取れた国家とはいえない。人々の
仕事に対する報酬を見ると封建時代に戻ったような感じだ。人々の生活も贅沢な生活
ばかり求める為に人間としての余裕が無くなり、公平や公正を考える余裕すら無く
なってしまったようだ。
民間会社、公務員、日本の多くの組織が不正を隠し、不当な利益を上げている現状を
見ると誰を信じ、誰が正しい人たちなのか分からない世の中になってしまった事に驚く。
社長が悪でその下の社員も悪になる構図は封建時代そのもので現政権の暗い面が
表面化して来たのでは無いか。公務員なども部長や課長が悪で、その下で働く公務員
が全て悪になることは良くある事だ。
善悪で日本人を見ると悪がほとんどではないだろうか。多くの職場で不公平と不公正
が横行しているのが現状だろう。それが当たり前ということだ。多くの不正はテレビなど
の報道では矛盾点が多く。ほとんどが嘘の答弁ばかりのように思える。テレビの中途
半端な報道は仲間同士の庇い合いのようだ。今のテレビ製作者には無理かもしれない
が公平公正を重視した世の中が必ず来ると思う。今のような国民からかけ離れた給料
では公正な報道は難しい。今のテレビ製作者は最高とか一番とか特別とか唯一とか
を求める余り国民の多くを締める普通の人々の生活を卑下し、普通の生活を無視する
ようになってしまった。報道であれば本来ならば普通の人々の生活を基本に考える
べきではないのか。テレビ製作者が普通の人々の為に働く事こそ大事なのである。
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/02(土) 11:34:01ID:OTPh9VwJ0投票税には大きな使命と可能な限りの義務と人間に対する未来永劫の公平な生活を
約束するものです。
世の中に取って不要な物や者たちを無くす事は非常に難しい。現在の日本、そして、
世界には不要なものが溢れ、地球及び生物に取ってそれらのものは楔を打ち込み、
破壊と腐敗を広め、取り返しの付かない状況を作ろうとしている。
人間の生活が大きく進歩し、地球その物を傷付けている事が私たち普通の人間にも
分かるようになった現在、私たちは如何なる事情が在ろうとも、人間が生存できる唯一の
星である地球を守らなければ成らない。
今、地球に対して人間の生活が悪影響を与えている事が多くの人々によって報告され
一般の人々にも何が悪影響を与えているのか理解できるまでになって来た。
今、大きな問題は地球に対して悪影響を与えている人々は誰であり、その人たちを
どのように変えることができるのかはこれから大きな問題であり、それは成し遂げな
ければ人類は消滅する。
一般の私たちには一度に大きな変更は出来ない。しかし、確実に変更すべき事はしな
ければ成らない。
今、日本が直面している。地球に取って不必要な人々を考えて見ると、贅沢な人々
の存在である。資源の枯渇、環境破壊、生活の不平等から来る戦争、これらに大きく
関わる人たちを選択してみると異常なまでの贅沢による地球に取って不必要な人々の
存在が明らかに成るのである。
それではどこにこの贅沢で不必要な人々が存在する原因があるのかというと選挙での
無責任な投票制度に在る事に気付くのである。
人間は感情的な生物である為に、如何なる場合でも満足する事によって問題は解決
するのである。投票税は公正公平を十分に考慮した選挙制度であり、満足度は非常に高い。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/03(日) 22:30:31ID:Vkrpq14I0地球という大きな範囲を対象に考えれば他人の立場を理解し、その立場を受け入れ、
その立場を議論し、その立場が間違っていると判断した場合、その立場を話し合いと
自らの譲歩を含めた結論を受け入れられる人々が平等で必要な人々と言えるだろう。
今の世の中は教育の経歴とその人が手に入れた資格により、重要な立場と富を手に
入れることができるように成っている。この制度は人間の歴史を振り返って見ると教育
という人の知識を重んじる事で人々の生活環境が改善される事に気付いた時から続
いている制度であり、この制度はあらゆる時代に存在し、そして知識を武器に多くの富
を手に入れた人々が存在していた。人間の知識は人間の歴史上の全ての時代で富を
得る手段として利用されてきた。
それでは人間の長い歴史の中で人間の知識は誰の役に立って来たのか。それは
簡単に言えばその時代の支配者という事になる。そして、その知識は多くの支配される
人々を如何に合理的に扱い、その人たちを働かせ、その人たちが支配者に対して
如何に富を齎すかというところに使われた。人の知識は人を支配し富を得てきたのだ。
現在はどうだろう、やはり現在も知識はしっかり支配者の為に利用され富を産み、
富を支配している。しかし、人間の知識は武器と同じように悪用すると人々を支配し
不平等と不公平を社会に生みだす。その支配力は武器による支配と違い友好的では
あるがその分、その支配に入ってしまうと人々は武器と同じように不幸になり、なか
なかその状態から抜け出る事が出来ない。
人間の知識は人々を支配する為に法律を作り、富を自由に操り、富める者と貧困者
を区別する。日本では法律は誰が作るのかというと政治家である。私たちは政治家を
全ての国民によって選ぶ事ができる。しかし、多くの人々がその権利を自らの自由に
任され選挙権を放棄する人がいる。それにより、ほとんどの政治家が富の為に働く
人々がなっている。私たちは富の為に働く人ではなく、全ての人の為に働く人を選びたい。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/04(月) 10:20:35ID:kDRnWlUb0平和国家である日本にスパイ防止法は必要ではない。その理由は60年間の平和
の時代が実績として残っている以上、スパイによる海外からの脅威はないと考える
べきだ。
スパイ防止は一般的な法律で十分賄える。秘密文書があるのなら秘密文書で扱えば
それでいいのではないか。もし、その秘密文書を外部に漏らす者がいるのならその場所
でそれぞれ規則を作り、憲法や法律に触れない限り幾らでも秘密文書を守る事は出来る
筈だ。
義務教育やテレビがあるのだから国家として秘密にすべき事があるのなら義務教育
の中や毎日のテレビ放送の中にそのような番組を組み込むことで十分対処は出来る。
今、スパイ防を必要とする人たちは日本を侵略国家として世界と戦える軍事国家にし
たいが為と日本国民の自由を奪う事が大きな目的であり、海外のスパイが日本で行なう
行為は日本国が国民に対して犯している不当行為からすれば微々たる物であり、もし、
スパイが仮に誘拐や殺人の凶悪犯罪を犯すとすればそれはあくまでも警察の権限の中
で対処すべきでは無いか。
日本に取って如何なる犯罪も同じ犯罪で在り、スパイと一般人を区別する必要はない。
それが平和国家の条件であり、平和国家の意気込みというものではないか。
平和国家で在るのならば軍事国家に負けない。意志の強さと公正公平を貫く精神を
養うべきではないか。
現時点ではスパイ防はスパイに対する脅威ではなく、一般の日本人への影響が大きく
これにより日本は益々軍事国家へ近づいて行ってしまうのではないか。日本人は精神的
に弱い国民です。国家が導くままに行動します。平和憲法が導きここまで来たのです。
この道を踏み外すような法案は悪法ということではないでしょうか。
投票税は是非、スパイに盗んで欲しいものです。そして、世界へ広めて欲しい。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/04(月) 23:47:38ID:lT1h/o510決して耳を傾けることなかれ。
スパイ防止法を速やかに制定してかような逆賊を逮捕すべきであーる。
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/05(火) 10:44:27ID:A8zIvsiR0日本人は幸せな生活を送っているだろうか。世界から見れば日本人はおおむね幸せ
に暮らしているだろう。欲張りで見栄張りな人間で無い限りそんなに惨めな人々はいない
と言っていいのではないか。だからいいのかと言えば、良いと答える人が多いのだろう。
日本人の多くはもめごとが嫌いな人たちだ。例えば今回の毒餃子事件でも余りもめごとを
聞かない。テレビが放送しないのかもしれないが毒餃子を買った人たちが何も保障を
求めていない事だ多分これからなのかも知れないが買った人がその店に届けたとき
お客はその店に損害賠償を請求しているのだろうか。少なくてその店に届けた人たちは
交通費や僅かかも知れないが賠償を求めなければいけないのではないか。勿論、店は
お詫びするのは余り前の事で謝るだけではなく、賠償金を払うべきではないか。
日本は教育を人の差別に利用しすぎる。試験の僅かな差で給料に大きな差が出る
状況が意たる所に在る。昔から同じような状況なのかも知れないが民主国家を実現
する為には教育よりも実際の能力差をもっと利用すべきではないだろうか。
人の待遇はその人が実際にどれほどの実績を上げているのかで評価すべきでは
ないか。いつも、同じ事の繰り返しでは在るが言い続けなければ物事は決して変らない。
特に公務員のような仕事は試験で採用するのでは無く、ボランテア的な仕事から
本採用への過程を考えても良いのではないだろうか。現状を見ると既に公務員の仕事
は終わったと言えないだろうか。多くの機能は十分機能し、採用試験ばかり難しくする
必要は無い。今の公務員の仕事は中学校卒業程度の学力で十分であり、国立大学
を卒業して公務員になる必要は無いし、そんな仕事はない。ほとんど同じ仕事の繰り返し
書類は同じ書類、高学歴と言う事で給料を高くしなければ成らなくなり、国民の負担が
増えるだけだ。それにその地域の恐持て連中の子供たちが多く、無駄な連中が大手を
振って歩き、立派な椅子に座り、住民が役所に行くとそれまで何も無かったので急に
元気が出て働くマネをするように感じるし、時にはめんどくさそうに見られるときがある。
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/06(水) 22:47:12ID:mvSUSuEJ0人々は日々学習し新しい生活を求め、不道徳な規則を改め、人間に取って住み易い
環境を整える為に多くの時間と費用を掛け、より良い規則を作るため努力を重ねている。
しかし、まだ、多くの不道徳な行為は存在し、それを改めるには多くの時間が掛かり
そうだ。
毒入りギョーザに見る各機関の無能力と無関心な行為はいつもながら呆れるばかりだ。
これまでも常識的にやらなければ成らない事をやらない人々は存在し、多くの国民を
苦しめるのである。そして、平気な顔で弁解し、自分の非を認めようとしない。裁判でも
しなければ謝ろうとしないで、何か理由を付けるが聞いている私たちはただうんざり
するだけだ。そして、そう言う奴らが結構いい生活を送っているのに驚く。
大量に商品を扱う、量販店は詫びる姿勢が結構甘えているように思われる。不良品
などで客に損害を与えても商品の返還と返金で事が済んだと思っているのには驚く。
毒入りギョーザの返品、返金はよく聞くが賠償については何も聞こえてこない。店に
持ってくる客には賠償金を払うべきでは無いか。交通費も時間も危険も多くの損害を
客に与えているので、それなりの賠償金は払うべきではないか。客の方もただ、返して
返金されたらそれで満足するのは可笑しい。出来る限り、100円でも200円でも自分が
受けた損害を賠償金として請求すべきではないか。それをしない限りこのような事件は
なくならないし、悪い商品を販売した店の責任ではないだろうか。毒がどこで入ったと
いう事も大事だが悪い商品を売った場合は返金だけでなく、それぞれのお客が訴えた
賠償金を払うという責任を負うべきだ。このようにする事で商品管理を怠る事で被る
被害を防ぐ為に十分な品質管理を行なうのである。
社会に不道徳な事が在ったとしても今の政治家や報道機関では不十分と言う事が
今回の事件でも実証されたのではないだろうか。何もしない政治家、対応のない報道
どちらも宝の持ち腐れと言えないか。今在る機能で十分対処できるのではないだろうか。
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/07(木) 22:09:15ID:GnAfbmUj0「この食品を食べ過ぎると健康に著しく悪影響を受けます」、冗談では済まない結果
となった。多くの大企業が多種業に手を出し、それなりに失敗したり成功したりしている。
毒物が悪いのではなく、毒物を食品に混ぜる人が悪い。なぜ、人は毒物を食品に混ぜ
るのか。その毒物は偶然混ざったのか。報道を信じれば、偶然と言う事はないと言える。
偶然では無いのなら人が人殺す為に計画的に混ぜたと言う事になる。もしそうならば
テロではないのか。しかし、犯行声明が出ていないのでテロとは言えないのか。テロ
は犯行声明が出なければテロでは無いのか。
テロ特措法はやはり日本にテロの予感をさせる結果と成った。戦争に参加をしテロ
リストを殺す事が本当に正しい事なのだろうか。テロ行為はあらゆる方法があり、その
全てを武力で解決できるものではないというより武力でテロ行為を解決する方法は
次から次えと別な方法を生むだけで解決にはならないのではないか。食品などへの
毒物混入は余りにも卑劣な行為ではあるがテロリストが受ける状況が生死を伴うもの
ならばテロリストは手段を選ばない。
多くの企業が多目的企業に向かい、多くの発展と衰退を繰り返し、多くの人々の幸せ
と不幸を強要し、人々は迷走する。
企業が発展し大きくなる事は決して悪い事ではない。しかし、企業が他業種に経営を
広げる事は不確定要素も多く、企業として無理もするのではないだろか。
今回の事件が今後どのような方向に向かって行くか分からないが人の心は壊れやすく、
そして、儚いものであり、一度壊れ狂いだすと手におえないのかも知れない。罪を犯す
者が悪いのは当然では在るがそれは結果であり、その罪を犯すまでにはそれなりの
過程がある。私たちは人が罪を犯すまで人を追い込むのではなく、罪を犯さないように
しなければ成らないのではないか。テロ特措法によって理性を失った日本ではあるが
常に人間の生きる術を忘れない事が重要であり、その為の変化を惜しんではいけない。
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/08(金) 00:48:29ID:vw9RGdxc0さすが左翼。テロリストの本場は言うことが違う。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/08(金) 10:38:34ID:3U51mQm60投票税は投票をサボった人にそのサボり賃として税金を取る法律であり当たり前の
税です。テロ特措法は投票税のない今の世の中だから成立したのではないか。
テロ特措法は自衛隊が海外で軍事行為を可能にする法律であり、この法律は平和
国家としての行き過ぎた行為として、後世に汚点を残すのではないだろうか。
日本は軍事活動を必要といる国で在ったかを考えて見ると、何が在るのだろうか。領土
問題は日本に取って大きな問題ではあるが、敗戦による傷跡と考えれば問題は問題
として今後処理すれば良いのではないか。日本に取って戦争参加による敗戦は多くの
人々を傷つけ、更に日本の領土までも傷付け、その傷は今も癒えてはいないと、冷静に
行動するとすれば日本はこの難しい領土問題を軍事活動に頼らず人々の安全を第一に
交渉していると言う事は評価すべきではないか。私は詳しい事は分からないがこれが
戦争に負けた国の宿命ではないだろうか。
現在の日本はどうだろう。敗戦による社会構造の変化、国民を主権者とした民主国家
の確立、その結果、日本は日本人の持つ、家族に対する思いやりの死をも恐れない
労働欲、そして、財閥や官僚の貪欲までの金欲が全ての企業の発展を可能にし、日本は
平和憲法のもとで、ただ、平和国家での生活向上の為だけに努力を重ね、その結果と
して現在の平和国家日本があると考えられるのではないか。
戦争参加を決定した日本は子供たちから平和を奪ったと言えないか。テレビゲーム
で殺人を経験した子供たちはゲームと同じ戦闘機に乗り、ゲームのように破壊する
ロケットを操り、画像の中だけで人々を殺すゲームは現実の戦争とどこが違うというのか。
しかし、現実の戦争とゲームは明らかに大きく違うはずだ。それは日本より強い国が
出現したときに起こる。そのとき、日本国民はゲームの中で逃げ惑う人々になるのでは
ないか。戦争も強ければそれでいいのだろうが、弱ければそれでいいとは誰も言わない。
子供たちの時代になったとき、日本は強い国でいられるのか。平和国家にはそんな心配はない。
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/09(土) 10:18:58ID:IpgZH8Ij0お殿様て、だあれと聞かれた。そして、答えた。仕事をしなくても贅沢な生活が出来る
人々と答えた。
民主国家に成った日本は働く事で報酬を貰い。そのお金で生活する。働かない人に
は報酬を与えない。
働けない人に対しては皆で話し合いをし、その人の生活を守る。
政治家は人々の代表者として、皆さんから集めた税金を全ての国民に対して公平な
公共的運用を提案し、それを多数決制で決定する。
税金は単に人々に公平に分配するのではなく。より多くの税金を得られる為の公共
施設、そして、全ての人々の基本的な人権を守る事を基本とし、弱者への考慮を特に
重要とした使い方が好ましい。
政治家はお殿様で無く、あくまでも国民の代表者である事を忘れてはいけない。よって、
政治家の報酬はその政治家の選挙区内の平均報酬を基本として報酬を決定し、その
報酬は労働時間によって決められる。
政治家の能力は日頃の仕事から培われた能力であり、政治家に成ってから得られた
能力ではない。封建時代や軍事国家などの権力を傘に自分自身の財力を増やす為の
立場ではなく。あくまでも日常の自分自身の仕事の中で取得した考え方を多くの人々に
知ってもらい、その方法を多くの人たちの役に立てる為に政治家に成るのであって、
政治家に成ってから政治家の仕事を学ぶような無能力者は政治家には向かないし、
そんな人はいらない。
公務員の報酬はその地域の平均収入を基本として決定する。そして、その仕事に
よって報酬も変り、部署の交代によって給料を変える。部署の交代は法律で決定し、
人為的な決定は出来ないようにする。しかし、人には能力差が在るので能力の無い
者は自らが辞退できる。限られた貴重な税金は有効に使わなければ成らない。
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/09(土) 19:12:00ID:blEOUF2E0「働かざるもの食うべからず」って社会主義のスローガンだろwwwww
投票税とかわけわかんねえこと言ってないでまず民主主義のなんたるかを
理解しておけwwwwwwwwwww
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/10(日) 10:50:19ID:DdjsTNzf0学歴社会を批判しても面白くないが、多くの間違いが学歴社会で起こっていることに
学歴社会の限界が在るのではないだろうか。
学歴と仕事とを考えると学歴イコール仕事にはならない。しかし、世の中は学歴が
高ければ仕事もよく出来るということになっているが最近の高学歴で高収入の人たち
の行動を見ていると高学歴は仕事上手とは言えないのではないかと言う事だ。
私は昔、良く高学歴の人々の事を、勉強好きな仕事嫌いな人々と言っていたが、
最近、益々高学歴と仕事が結びつかないのでは無いかと思ってしまう。
勉強好きで試験が好きで高い成績を上げる人を見ると結構、ダメな人がいる。頭の
いい人で仕事好きな人は結構少なかった。仕事には答えが無いからではないか。
高学歴で仕事嫌い、そして、高収入を望む人々は日本のどこにいるか。政治家は
どうだろう。政治家の仕事を考えると高学歴でなければ務まらない職業とは言えない。
しかし、高学歴を人々は好み、高学歴の人に投票する。そして、高学歴の人が政治家に
なる。この辺から政治家がなぜ、政治家としての仕事をしないのかの根拠が判明する。
日本人の多くは高学歴の人が仕事が出来ると誤解をしているのである。高学歴の
人はどんな仕事に向いているかを考えると一番合う仕事は仕事をしなければ給料を
貰えない職場ではないか。自らの手でお金を稼ぎ、税金を納める立場が一番高学歴の
人にふさわしい職業ではないか。
民主国家に於いて高学歴の人に合わない職業は公務員や報道機関では無いだろうか。
公務員は高学歴がなぜ、合わないかと言うと働かなくてもお金がある職場だからです。
それは勉強好きな仕事嫌いな人々に取って余りにも居心地がいい場所と言う事です。
仕事をしなくてもお金を貰える職場では益々、仕事はしません。その証拠が負債として
私たちに残されています。報道機関も高学歴を多く採用すると批判的な姿勢が無くなり、
結果として社会の腐敗を招いてしまう。今の日本を見ればそのようになっているのではないか
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/11(月) 11:16:14ID:VRPFr9S/0投票税が成立されれば学歴社会は無くなり、学問はあくまでも学問として残り、学問が
贅沢な生活を約束するものでは無くなる。
今の日本はかつての共産主義のように学歴によって立場が決められ、自由社会の
自由な生き方が出来なくなっている。
日本の学歴社会の悪いところは政治家や公務員、放送関係、大企業の高収入の
立場にいる人たちを見ると高学歴がその人たちの身分を保証しているだけで、その
仕事に対する能力で判断していないところに世の中の悪しき共産化が確立してしまった。
日本は現在、独裁的な共産化が進み、非常に悪い世の中になってしまった。学歴
社会により、社会が停滞してしまったと言ってもいいのではないか。学歴社会の悪い
所は学校に入るための試験勉強が社会に出て実際にその人が仕事をする内容に
在っているかということだ。これまでの多くの世の中に取って貢献した人々を見ると
高学歴の人たちはそれほど役に立っているとは思えない。共産主義が衰退した理由は
高学歴で無能な人々が自分の実際の社会への貢献が思うように行かない事を悟り、
自分の高学歴を守る為に法律や規則により、自分たちの立場を守る方程式を創り
始めた事から共産主義国の産業や政治が衰退した。
共産主義国で唯一世界に誇られたのはスポーツの成績ではなかったか。良くスポーツは
平和の象徴と言うが実際は独裁社会の象徴と言うべきではないか。スポーツで一流に
成る為には軍隊より厳しい訓練が必要であり、それは独裁社会の一番得意な分野では
ないか。オリンピックが平和の象徴と思っている人々は何も考えていないぼんくらであり、
社会構造がどのように構成されているかを考える事もないただ、美味い物を食って
ひたすら働き、子供を作って死んで行く人たちなのである。この人たちには投票税を
是非、理解してもらい。世の中の無駄遣いする人々を無くす為に投票税による選挙で
地球に優しい政治家を選んで欲しいと思います。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/12(火) 09:19:31ID:dWD+hbrp0学歴社会はこれまでになかった得意な社会を創ってしまった。名付ければ極左右翼
社会ということではないか。左翼と右翼の悪いところを全て取り入れた社会と言う事だ。
学歴は学歴が身分を創り学歴身分制度と言える身分制度を創ってしまった。この
制度は封建制度のように制度が先に在ってその人が何を生産し、世の中にどのような
価値を見出すかと言うのではなく、その身分さえ手に入れれば特に仕事をしなくても
一生楽な生活が送れると言う身分である。公務員や政治家、放送関係、大企業などの
税金に深く関わる分野の人たちがこの学歴身分制度を制度化し、仕事の内容は二の次
にして、報酬をまず決定する。仕事の内容はどうでもいいのである。例えば放送関係の
人たちを見ると仕事の内容は単に噂好きでおしゃべり上手ならば学歴なんか必要ない
職場なのに高い収入を得るために学歴身分制度を導入して高収入の職場と偽り、高い
給料を貰い贅沢な生活を送っているのである。その根拠として、放送界を見れば高学歴
を必要とする仕事はほとんどなく、主な出演者を見ても学歴がその人たちの人間性を
表しているとは思えない。更に学歴により優れた放送が行なわれているとは思えない。
あくまでも高収入を得るための学歴身分制度を利用しているように感じる。このように
学歴身分制度は民主国家の公平な労働価値からはかけ離れた制度になり、極左社会
が犯した悪政に匹敵する制度になっているのである。国の負債に対する学歴身分制度
の中の人々はこの負債に対して如何なる対策を打つことは出来ないのであるなぜならば
彼ら自身の身分制度が創り上げた負債だからである。だから、彼らには日本が崩壊
するまで自分の身分を守る為に負債を増やしつづけるほかないと言うことだ。
極左な学歴身分制度は右翼的な行動を必ず伴う。それはテロ特措法に良く現れて
いる。不公平な格差社会を創り上げた時代は右も左も外圧を利用し国民から政治を
遠ざけようとするのである。大して 守る物もないのに国民に国を守る必要性を訴える。
馬鹿な制度を創ったものだ。これを直せるのは投票税だけだろう。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/13(水) 09:43:25ID:keLuo/770学歴社会にも肉体労働者は存在する。肉体労働者は学歴社会からの落ちこぼれ
なのか。それとも学歴社会の一員なのか。学歴社会は学歴により収入に差を付ける
社会である。学歴で収入の差を付けるということは学歴が高い方が仕事が出来て沢山
お金を儲ける事が出来ると言う事に成る。
一般に肉体労働者の仕事は学歴よりは体力や健康の方が重要で学歴はそんなに
必要ではないと考えられる。
人が働き、収入を得る仕事は学歴と体力どちらが重要で、どちらが収入を得ることが
出来るのか。
学歴と体力を比較すると多くの仕事が体力の方が重要であり、それほど学力を必要と
していないのではないだろうか。
私たちは無駄な学力を付け、無駄な学歴を作りそれに対して無駄な費用を掛けてい
ないのだろうか。更に学歴を評価し過ぎては否だろうか。
ある仕事がそんなに学力を必要としないのに高い学歴の人を採用し高い賃金を払って
いたらそれは無駄な出費であり、そのようなことが在れば改めなければ成らない。
多くの仕事をする上で学歴がどけほど必要なのかを検証すべきではないか。これまでも
よく、学校の勉強は実社会では役に立たないと言われてきた訳だが現状の社会事情を
見るとその考察は実証されたと言えないか。そして、それが事実とすれば多くの学歴は
大きな無駄遣いと言うことになる。学歴を得るために無駄な出費をしてきたわけである。
私たちは小学校から大学まで16年間を学校に通い学歴を付ける事が、実際に就職する
仕事に十分役に立っていないとすればその学力は無駄と言う事になる。今後の教育に使う
予算が人間の社会生活の上でどれほど役に立っているかを詳細に検証すべきでは
ないか。
これからは学歴が人間社会にどれほど無駄な出費をさせているかを考えなければならない。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/14(木) 08:50:25ID:7kqvkDSJ0投票税は政治の重要性と主権者である国民の責任を明らかにする事を目的とし、多くの
国民の皆様に投票をしてもらう為には最適な法律と言えるのではないでしょうか。
法律的には幼稚なものですが人間が集団生活を送る上で、政治の果す役割は非常に
大きく政治によって世の中の問題は解決される。(案)投票税は投票を拒否した人々に
制裁金を請求し今後投票への参加を促し、国民全体が参加をした政治を実現したい為に
必要と思い提案します。
投票税がどのような社会を実際に創り上げるかは分かりませんが多くの可能性は
持っているのではないでしょうか。
現在の政治家たちは与野党を見ても有権者の半数程度の人々によって当選しています。
有権者は1億300万人程度です。現状では5000万人の人々が政治に参加をしていない
事になります。この人たちが政治に参加をする事は日本の政治の方向を大きく変える
可能性があります。世の中は多くの人々が参加する事で公平と公正を維持できます。
日本は今、3割の人々が幸せな生活を送っています。この人たちは何で幸せを得て
要るかを検証すると多くは学歴という架空の身分制度により、自分たちの労働で得た
収入では無く。学歴身分制度により民主国家ならば社会での仕事の実力及び労働により
収入を得るべきものをあくまでも架空の学歴を収入の重要な評価にしてしまい。その
結果、仕事は貧困者が行い、その貧困者が稼いだお金を自分たちの収入にすると
いう学歴身分制度を創ってしまったのです。それが公務員、放送界、大企業に顕著に
見られ、それは結果として国の莫大な負債として存在しています。
貧困者を含めた多くの国民の貯金を3割の国民が不当に収入としてしまったと言える
のです。国の負債はこの現象の証拠であり悪政が行なわれた結果ではないでしょうか。
投票税により、悪政が改善されるかは国民の姿勢次第ですが少なくても5割以上の
国民が満足した生活を送れるのではないでしょうか。今は3割ですから5割ならば満足です。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/15(金) 00:44:17ID:gAF2JDzH0エクセルで文字列をそのまま定数として扱うってのはできないのでしょうか??
例えば、2xのまま計算を続けるとか・・・
誰か教えてください偉い人!!(;_;)
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/15(金) 08:37:42ID:Ya0KxXYp0選挙権を18歳にする案は余りにも馬鹿げてはいるがもしそうするならば投票税を
この際採用すべきではないか。18歳の青年がどれほど投票を行なうかは想像出来
ないが18歳の人間がどれほど無知であるかは想像付く。
18歳の人たちに政治家を選ぶ事が如何に重要な事であるかを教える為にも投票
行為に責任と重大さを確認させる為にも投票税の採用は不可欠ではないか。
投票は有権者の権利であり、義務でもある。これまで多くの政治家が有権者の投票
の自由を主張してきたが今日の社会情勢を見る限り有権者の投票の自由は政治離れ
と政治不信を招くだけで民主国家の発展には大きな障害になって来たと判断出来る。
18歳に下げる理由は軍事国家に習っただけの平和国家日本に取っては何も利点は
無い政策だが投票税を主張する者に取っては結構な機会が出来たので喜ばしい事と
思っている。18歳の餓鬼どもに選挙権を与える政治家たちの思惑は余りにも不純で
はあるがその下心を逆手に取る為には投票税を施行して貰い真の民主国家への足が
かりとして投票税は欠かせないのではないか。そして、現政権の政治家たちに取って
も18歳に年齢を下げる事は18歳の餓鬼どもに投票して欲しいと言うことと思っている
のだろうから投票税に反対する理由は無いのではない。
18歳に投票権を下げる事は非常に危険な政策と言える。なぜなら、政治は国家に
取って重要であり、更に家族の事を考えると家族の絆が18歳で途切れる事になり、
家族の愛が薄くなる可能性もある。軍事国家に取って18歳を成人にする方が良いのに
決まっている。しかし、民主国家に取って選挙権の年齢を下げることは政策的には
何の利点もない。今回のある都市の若い知事の当選は年齢の若さが政治にどれほど
不安材料を与えるかの見本のようなものであり、更に若い国会議員の力の無さを見れば
20歳でも政治に関わるには若すぎると考えるべきなのに現政権の政治家たちが如何に
軍事国家を熱望しているのかが伺える。20歳までは家族を守るべきではないか。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/16(土) 14:15:31ID:uzoPGJvw0平和国家には色々な定義が在り、平和だけではその社会の内情を理解する事は
出来ない。
日本は平和国家としてこれまで多くの日本人が誇りにし、世界に対して平和の重要性
と平和が人々に与える命への優しい心は今日本人が進めている政治からは何も得る
ことが出来ない。
日本に起こっている悲惨な事件を見ると日本人一人一人が自らの欲望と政治への
無関心さによる自業自得的な事件が多いように感じる。学歴社会は国家の責任では
なく、一人一人の日本人の強欲さが他人への心得の低下を招き、自らが窮地に陥った
ときにそれを防ぐ術を見失い結果として悲惨な事件が発生するのではないだろうか。
テレビをはじめとする放送設備は公共的に、もう少し活用すべきではないか。特に
テレビは余りにも公共的活用が少なく、社会生活の改善には役に立っていない。テレビ
関係者の収入の多さにも驚く、平均年収が1500万円を越えるような仕事はしてないし、
そんなに給料を貰っていたら、このふさんだ社会を批判したり改善したりする意欲も
意志も生まれないし、誰も危険を冒す人はいない。テレビは公共的に利用しなければ
意味がない。テレビで働く人たちは社会に対して批判すべき立場にいなければならない。
そのためには高い給料は下げるべきだ。誰も贅沢をしているのに人を批判する
人はいない。だから、私はあえて贅沢はしない。贅沢して、貧乏人の批判をしても悪いし、
贅沢をしながら、贅沢なテレビの司会者を批判はできない。
人間は贅沢になったら他人の事を考える事は無くなる。贅沢をすると貧乏人を救うことは
考えない、貧乏人と遊ぶ事は楽しいがその貧乏人を裕福にしようとは思わない。裕福な
人が裕福な人と遊ぶ事はたまらなく楽しい。金の心配が無いからだそれに自慢が出来る
裕福になると自慢話が楽しい。裕福になったらいつまでも裕福で居たい。裕福は心の
底から楽しいのである。貧困者を犠牲にした裕福は許す事は出来ない。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/18(月) 09:46:37ID:QM8YbKEB0テレビを私たちは未だに十分利用していない。理由は色々在るだろうが簡単な所では
国民全体を相手にしていないということだろう。しかし、そろそろいいのではないか。
テレビをなぜ、金儲け主義だけにいつまで使っているか不思議でならない。テレビの
力は大きく、国民に対して正しく国の政策を訴え、更にそれに対する批判を述べる事が
出来、国家運営に無駄がなくなる。テレビの力は公務員の人数を減らん事も出来るし、
警察などの専用の番組も設けることで犯罪防止に役立つ。テレビは民主国家に取って
必要であり、政治や行政の番人として、更に危機管理上の施設として国民の立場に
立った公平な公共施設として今後見直すべきではないだろうか。その為にも投票税を
施行し、多くの国民の代表を政治に参加をさせ、真の国民の為の政治を行なえる体制
を創らなければならない。現在のような投票を有権者の自由に任せ、投票を拒否しても
何も責任を取らない制度では国民は主権者としての役割を果す事はない。人間という
生き物は責任を与える事によって義務を果すものであり、自由を与えれば出来る限り
楽な方に行くのが当たり前ではないだろうか。だから、これまでのように投票を有権者
の自由に任せる制度は間違えと言えるのである。国民に取って国に取って重要人物
である政治家は責任と義務を負った有権者によって選ばれるべきものであり、それを
成し遂げることが出来るのは投票税による。罰金制度以外ないのではないか。
日本の有権者数は約1億人、投票税を導入し罰金制にすれば投票率が低い場合は
その税収は莫大な金になる。例えば罰則金を2万円にすれば投票率7割ならば3割の
人から罰則金を取れる3000万人掛ける2万円ならば6000億円の税収になるので
ある。6000億円は少なくない。財源としては大きい。選挙は色々あり、年一回はある。
もし、選挙権が18歳になっても投票税の罰則金は家族単位で徴収すればいいのである
家族の中で代表者を決め、その人から徴収すればいいのである。個人からそれぞれ
徴収する事はめんどくさいので代表者制にすれば必ず徴収できる。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/18(月) 21:22:36ID:0IqDsskO010BASE-Tに用いられるケーブルはどれか?
1ツイストペアケーブル 2同軸ケーブル
3光ファイバーケーブル 4簡易同軸ケーブル
2.
次のネットワークアドレスとサブネットマスクをもつネットワークがある。
このネットワークを利用する場合(a)〜(d)のIPアドレスで
パソコンに割り振っていけないIPアドレスはいくつあるか。
・ネットワークアドレス:200.170.32
・サブネットマスク :255.255.255.224
(a)200.170.70.32
(b)200.170.70.33
(c)200.170.70.63
(d)200.170.70.64
答え: 【1】,1つ【2】2つ【3】3つ【4】0(全て割り振ってもよい)
どなたか教えて下さい
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/19(火) 09:33:22ID:WnIYgUBO0日本は明らかに民主国家である。民主国家は国民の全てが主権者であり、それは
同じ権利を所有していおり、学歴や生まれ、民族により、区別はされない。日本を自国
とし、日本国民という証明がある限りその人は日本人であり主権者だ。
投票税により投票率は必ず上がる。どれほど上がるかは罰則金によって決まるの
だろうが、投票税が大きな負担になる事は好ましくはないのではないか。
選挙が可能な日本人は約1億人、一割の人が選挙をしないと1000万人の人が選挙に
行かなかったということだ。罰則金を3万円にすれば3000億円の罰則金になる。
選挙は約1億人の日本人が対象になるので罰則金による税金は大きい。しかし、全ての
日本人が投票すればゼロになる。投票税の目的は全ての人たちが投票をすることだから
罰則金は多ければ多くの人たちが投票に行くのではないか。しかし、それも限度がある。
投票税は投票する事で罰則金は消える事になり、自由国家としての選択の自由は
ある。しかし、投票に行かなければ罰則金を払うことになるのだが、投票にいけない
人は投票税を免除しなければならない。身体及び精神的に不可能な人は免除され、
また投票が可能になれば投票税の対象になる。
民主国家の制度をより鮮明にし、国民の意見を尊重する為には投票税の制度は
無くてはならない制度であり、これにより男女の差も貧富の差、学歴、年齢による差も
解消され、人間としての英知の結晶が政治に反映され、本当の多数決による民主国家
が成立すると考えられる。
日本人は全ての人々が教育を受け、全ての人々が人間として平等になったが、唯一
まだ、平等になっていないのが国民の代表者である政治家を選ぶ選挙制度ではない
だろうか。日本は法治国家として重要な権利にはほとんどに罰則がある。教育の義務、
納税の義務、多くの義務にはそれぞれ罰則があるのである。それを考えれば投票拒否
に罰則がない方が可笑しいのであって、在って当たり前なのである。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/20(水) 09:06:46ID:g0hjj9vB0テロ特措法による最初の犠牲者は日本人と言う事になった。首相はどのように判断
するのだろうか。多分こんな答えだろう。「国際的なテロの事を思えば小さな犠牲でしょう」
どんな答えか分からないが、70歳を過ぎた老人は問題解決より、全てを肯定し、波風
立てずに無関心を装い、物分りのいい爺さん演じていれば国民は忘れると言う事なの
だろう。犠牲になった二人はテロ特措法により、過剰警戒及び過度の演習が齎した
犠牲者と言える。早くの救出と日本国民の政治に対する甘い姿勢が自衛隊員の不覚を
助長したと言える。そもそも、平和国家を守る自衛隊は他国の軍隊とは違い全ての
人々の命を尊み、世界平和を武力で達成する事が目的ではなく。あくまでも、日本国を
一方的に侵略してくる国家に対する防衛の為の組織と考えるべきものであり、テロ
特措法による米国の一方的な宣戦布告による戦争を支援する為の組織ではない。
現政権は大した理由も無く米国が同盟国という理由で日本へのテロの脅威を風潮し、
結果としてテロ特措法を制定してしまった。そして、その最初の犠牲者が日本人を
守らなければならないのに日本人を傷つけた事は現政権が如何に徳のない政権で
あるかを物語っているのと投票税のない民主国家がどれほど不幸を呼ぶかを多くの
日本人が認識したのではないだろうか。それとも、いつものように無関心を装い、女の
尻または男の尻を追いかけているのかどちらでもいいが早く目を覚ませと言いたい。
日本人は金を稼ぐのに全ての力を使い、それの使い果たした力を色恋で癒し、蓄え
そして、また働く。政治のせの字もない生活を毎日送り、他人の事は次、ではなく、5番目
ぐらいだろうか。何でもいいから日本人のような性格の人間には罰則金を突きつけ無理やり
政治の事を考えさせないといい考えは出てこない。だから、投票税が必要であり、無い事で
戦争参加を許し、その結果自国民を傷つけてしまった現在、投票税の賛否を問う前に
現状が如何に民主国家からかけ離れた国家運営をしているかを嘆き悲しむべきでは
ないか。戦争参加はどのような理由が在っても弁解できない悪行として歴史に残る。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/21(木) 10:41:00ID:EIiR0fH30国に隠し財産がいくら在ってもその財産を使う方法が見つからない。日本の負債は
これから多くの善良な顔をした悪人たちの化けの皮を剥ぎ続けるのではないだろうか。
1000兆円を越える国の負債は国民の貯金から借りた金である。国民の貯金は
1500兆円と言われている。そして、国民の負債は国だけではない、自分たちも負債を
持っている。その金額は適当に考えて350兆円とすれば、1350兆円が日本に存在
する負債だ。1500兆円の貯金に対して1350兆円の負債をどのように管理し、如何に
処理をするのか、これから面白い世の中になるのかそれとも恐ろしい世の中になるのか
よく分からないが、何れにしても日本には1500兆円の現金はあるとすれば、日本の
将来は明るい。問題は1350兆円の負債をどのように返すかだ。
日本の学歴身分制度は優秀な人たちを貯金を増やす仕事に就かせないで、貯金を
使う仕事に就かせたという事だ。日本はこれまで優秀な人たちに贅沢と楽をさせて来た
のである。もったいない話しだ。頭が良かったらお金を稼いで貰ったら良かったものを
高い給料と高い身分を与えてしまい、そして、税金を湯水のように使いそれを自分の
給料にしてしまったということだ。その結果が負債1350兆円と貯金1500兆円という
ことになったのではないか。
普通の家庭なら負債は借金であってその金は無くなったことになるのだが国の借金は
貧困者から学歴身分制度によって身分と収入を保障された人々の貯金に変るだけでは
ないか。それもお抱えの政治家たちが作った利権と制度により保護された不公平な
カラクリにより仕事の質や量を無視した単なる利権分配という事だ。
投票税を導入し真の民主国家の中で優秀な人たちにはその頭の良さを十分発揮して
貰いその働きに見やった収入を得て貰いたい。それにより適正な税金とその税の使い
道が確保されるのではないか。投票税には多くの可能性と日本人全ての幸せを追求
する力が備わっているような予感がする。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/22(金) 10:22:59ID:tmBqHEz90投票税は医療制度を大きく変え、国民の為の医療を提供できる。医療も今日の日本に
生まれた学歴身分制度を最大限に利用し、医療は国民の生命を守る立場なのに医療に
携わる人たちの生活の為の制度になっており、多くの国民に取っては不便な制度に
なっている。
投票税を取り入れた民主国家に於いては医療制度を国民の立場に立った制度に
変え、多くの制度の変更を行い、患者に対して納得の行く医療を行なうことを目的に
して、現状に合った改革を行なえる制度にする。
投票税を導入する事で、これまでの選挙制度が変り、特定の組織の影響が減ることが
考えられる。これまでのように医療に携わる人たちの政治への影響力が医療制度の
国民の生活に合わない面に、多く見られていたが、医療も特別な扱いをする必要は無く
患者の数、医療環境の変化により社会に合った制度を柔軟に取り入れる必要がある。
投票税は政治への国民の意見が十分受け入れられる環境を作る事が出来るので
患者数に対応した医師数を確保する事が可能になるのではないか。
今のような恵まれた収入は投票税を導入した民主国家では期待できないが職業と
しての医療業務は十分な収入を保証出来るのではないか。医師数も収入を減らす事で
医師の人数を増やし、学歴身分制度から研修制度を利用した資格の取得を併用し、
難易度の高い試験から実務型の試験制度を導入し、医師への道を広く開く事で医師
不足の解消を図るべきでは無いか。更に学歴身分制度から脱却し、医師の特別待遇を
取り払い、医師の仕事を国民がもっと理解し、その仕事に合った報酬や労働を検討し
医療は人間に取って一番身近なものであり、常に手の届く環境を整えるべきではないか。
その為にも安易に高い学歴を望まないで実務型の医療制度を取り入れる必要がある
のではないか。民主国家に於いては学歴による身分では無く、実務型の身分制度を
追求すべきではないだろうか。学歴身分制度は実務の伴わない無駄な社会を作ってしまった。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/23(土) 09:04:28ID:yo/cHoBn0投票税を馬鹿にする人がいるけど民主主義を望むなら投票税は必要な制度であり、
人間の命を尊重するのなら在った方がいい。
日本人は学力により人間の優劣を付けているが学力が人間の優劣を付ける根拠と
しては不十分である事を理解し、出来るだけ早く正しい評価基準を作るべきではないか。
多くの職業は学力だけで仕事をしている訳ではなく、体全体を使って仕事をしている。
医師による手術は手先の器用な人がいいだろうし、テレビの司会者は話の上手い人が
適当だろう、公務員は真面目で信用が出来、多くの人々を幸せにしたいと思っている
人が適任だ。技術開発は想像力と独自の発想力が重要だ。
学歴社会が今になって崩壊していく現状が見えて来たのでは無いだろうか。多くの
職場でその業種に合わない人たちが働き、その人たちが多くの問題を起こす現実が
明らかに成って来たのでは無いか。
日本には1億2500万人もの人々がいるのに多くの人々が適材適所で働いていない
為に職業が見えなくなり、多くの日本人が何をして暮らしているのか分からない社会に
なって来たのでは無いだろうか。それは、学歴身分制度により、学歴だけを重視した
社会が創った脳タリンの社会になってしまったのでは無いのか。
脳タリンの社会とは学歴だけを評価された人々が実際の職場に就いたときに何が
起こるかというと学力不足が起こるのである。学力の高い人が学力不足になる。それは
実際の仕事は体力と学力を同時に使い、脳の命令を筋肉に伝達しその筋肉が手足を
動かし、その動きによって次の支持を脳が命令し、次々に仕事を片付け行く。実社会
では脳と体の切れを合わせた能力がその人の実力であり、それが本当の脳みその
使い方なのである。鉛筆は持てるが人の手を握れない人が多くなったのではないか。
学歴身分制度は多くの問題を解決しないで頭でっかちのうすのろのぼんくらばかり
で誰か死ななければ何もしない人たちの集まりになってしまったのではないか。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/23(土) 21:21:20ID:7AxAcg4c0独裁国家ないし無政府主義へと変貌せしめんと長文を垂れ流す御人がいるスレはここですか。
その手の長文は主義主張板でどうぞ。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/24(日) 10:24:40ID:7xHEw6zl0日本人が日本を防衛する人たちに殺されたとしたら日本人は何をすれば善いのか。
テロ特措法により日本は戦争に参加をする。そんな日本の防衛組織である自衛隊が
民間の漁船と衝突し、二人の犠牲者が出てしまった。それに対するテレビの対応は
余りにも手ぬるく、余りにも鈍い。
事故で在るならばなぜ、自衛隊の船長が出てこないのか。早く国民の前に出て、事故の
説明をしなければ事故のときの状況が捻じ曲げられてしまい全て嘘になると、なぜ、
テレビは言わないのか。自衛隊も子供じゃないのだから、なぜ、船長が出てきて説明を
しないのか。テレビは何も言わない。これが民主国家の報道機関と言えるのか。大事な
テレビの時間を使い、馬鹿な司会者と解説者の想像ばかりを流し、視聴率を稼ごうと
する惨めな番組をいつまで作っているつもりなのか。自衛隊は戦争に参加をし、日本を
守ろうとしている組織ではないか。その組織が日本人を傷つけた事はそれがどれほど
在ってはならないことかテレビ局は誰も分かっていない。これこそ、学歴身分制度を
取り入れた組織が如何にダメな組織になるかの証明ではないか。報道機関で在るならば
なぜ、当事者である船長をテレビに出さないのか。それを国民に訴えその力で船長を
番組に出し、その説明をさせるべきではないか。それに船長は説明しない限り、結果と
して、犯罪者として逮捕されるべき人間ではないか。野党の政治家は大臣に辞任を
要求し、船長に説明をさせることを要求しないのが不思議でならない。
このように与党も野党も学歴身分制度にどっぷりはまり、政治家としてはどうにもならない
人間であり、車で言えば初代のカローラ程度の性能になってしまったのかもしれない。
能力のない人間が学歴だけを頼りに要職に就き、能力のある人間がすべき仕事を
馬鹿がする矛盾が出たと言う事だ。最新鋭の艦船には多分学歴身分制度で優秀と
言われる人々が乗っている筈だ。今回も学歴ではその人の能力を評価することは
出来ないという証明では無いか。説明できない人に戦争を任せる事が出来るのか。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/25(月) 00:28:20ID:IjtLBEFL0そもそも勘違いをしているようだが
自衛隊は国民を守るための存在ではない。
(もちろん積極的に国民を傷つけるための存在ではないが)
自衛隊は国体と経済を守るためのものだ。
戦争およびクーデター。すなわち武力による体制転覆行為全般を
排除するためのものだ。現状維持こそがその存在意義であって、
国民は単に避難を命令されるだけの立場にある。
こんなことも理解せずに、勘違いを大声でわめきながら
自衛隊を批判をするなど、批判のための批判であり、滑稽である。
自衛隊が船舶事故を起こしたことは、
公務員が運転事故を起こしたというレベルであって、
それ以上でもそれ以下でもない。
ことさら拡大解釈して、自衛隊の存在意義にまで踏み込む
愚昧な連中に対しては、失笑するより他にないであろう。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/25(月) 00:38:04ID:GhM6nTJV0かのナポレオンとて、そしてWW2中の軍隊とて、大部分は現地(それは自国でもありうる)の
農民から糧秣を搾取して糊口をしのいでいたのである。
近代になったからといって、戦時中の全てが政府配給で賄われると考えるのならば、
それは単に平和ボケの証明であろう。
軍隊はそれが必要となれば邪魔な自国民を移動させるし、自国民から接収・搾取するし、
それに抵抗すれば相応の対応をもって事に当たるのである。
これが(というか、これすら)嫌だと言うならば、さっさと宇宙に旅立てばよい。
古今東西、軍事力無しに成立し得た国など無いのであるから、そのような輩は
もはやこの地球を放棄するより他にあるまいと結論付けられる。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/25(月) 00:45:41ID:GhM6nTJV0さらに愚昧な輩によって誤用されるという例が後を絶たない。
果たして彼らは戦争を調べたことがあるのであろうか?
生まれながらに高潔かつ知的な我々には、戦争を知らずとも戦争を語り
戦争に関わる愚か者どもを断罪する権利があるとでもいうのであろうか?
いやはやなんとも素敵なお花畑の中にお住まいのようである。
無知と愚昧! 妄想とプロパガンダ! それらの反響体はハーメルンの
笛吹きの如く、大衆を真実からさらに遠い方向へと引連れて歩いていく。
しかし国民全てがこの種の詐欺にだまされる前に、同じところを
ぐるぐる回っているだけで、何ら進歩が無い道化の類であると気付くべきであろう。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/25(月) 09:31:50ID:Ep1m0kgZ0自衛隊の艦船は避けなかった。なぜ、避けなかったのか。避けなくてもよかったから
なのか。避けなくても走れたのではないのか。
日本の中には問題を問題にしない人たちが沢山いる。これが問題だ。何とかしたい。
こんな架空の話が浮かぶ。ある漁師が自衛隊の船は我々を見ても避けようとしない。組合
長これは自衛隊に訴えるべきでしょう。組合長は我々が言っても聞かないだろう。組合
長いつか事故になりますよ。困ったものだ。組合長それでは我々の命はどうするのです。
組合長はそれではお前が組合長をするか。これは想像だが結局今回の事故は漁業
関係者は起こるべくして起こった事故と言う事だろう。どうして、漁業関係者は警察や
役所、政治家、報道機関に訴えなかったのだろうか。漁業関係者の話は自分たちにも
責任があると言う事をほのめかす節がある。関係機関にこの事故が起こる前に事故
になる可能性を訴えていたのか、なぜ、訴えなかったのか。訴えなければいけなかった。
投票税のない民主国家の情けなさは日本中の問題を解決できない現状を見れば
明らかである。私たちは自衛隊を責めるだけでは何も解決はしない事を誰もが分かって
いる。自衛隊を責めると共に国民全体を責めるべきではないか。自衛隊の船は避けない
事を知っている人たちは何人居たのか、そして、その事を改めようとした人が何人いた
のか。多くの問題はほとんどの関係者が解決策を知っていても解決しようとしない。
何もしない国民たちの無責任さ、我儘な人々の醜さ、涙を流す姿の陰心、弱い人間の
狡さ、人は色々な場所で色々な性格を表し、時には真面目な人、時にはずるい人、時には
人を裏切り、時には人を恨む、いくら言っても聞かない人々、自分勝手な人、だから、人間て
どうにもならない生き物という事意外なんとも言えないし、結局、死んでしまったら終わり
だねとしか言えない。人が死に涙を流す。涙を流す人はその人に本当に心から訴え
るべきではないか。これからは問題が在ったら改めるように努力をしますと誓うべきだ。
多くの人は自分の幸せばかりを追いかけ、不幸になった人々を直ぐに忘れてしまう。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/25(月) 10:24:42ID:Ep1m0kgZ0自衛隊の艦船は避けなかった。なぜ、避けなかったのか。避けなくてもよかったから
なのか。避けなくても走れたのではないのか。
日本の中には問題を問題にしない人たちが沢山いる。これが問題だ。何とかしたい。
こんな架空の話が浮かぶ。ある漁師が自衛隊の船は我々を見ても避けようとしない。組合
長これは自衛隊に訴えるべきでしょう。組合長は我々が言っても聞かないだろう。組合
長いつか事故になりますよ。困ったものだ。組合長それでは我々の命はどうするのです。
組合長はそれではお前が組合長をするか。これは想像だが結局今回の事故は漁業
関係者は起こるべくして起こった事故と言う事だろう。どうして、漁業関係者は警察や
役所、政治家、報道機関に訴えなかったのだろうか。漁業関係者の話は自分たちにも
責任があると言う事をほのめかす節がある。関係機関にこの事故が起こる前に事故
になる可能性を訴えていたのか、なぜ、訴えなかったのか。訴えなければいけなかった。
投票税のない民主国家の情けなさは日本中の問題を解決できない現状を見れば
明らかである。私たちは自衛隊を責めるだけでは何も解決はしない事を誰もが分かって
いる。自衛隊を責めると共に国民全体を責めるべきではないか。自衛隊の船は避けない
事を知っている人たちは何人居たのか、そして、その事を改めようとした人が何人いた
のか。多くの問題はほとんどの関係者が解決策を知っていても解決しようとしない。
何もしない国民たちの無責任さ、我儘な人々の醜さ、涙を流す姿の陰心、弱い人間の
狡さ、人は色々な場所で色々な性格を表し、時には真面目な人、時にはずるい人、時には
人を裏切り、時には人を恨む、いくら言っても聞かない人々、自分勝手な人、だから、人間て
どうにもならない生き物という事意外なんとも言えないし、結局、死んでしまったら終わり
だねとしか言えない。人が死に涙を流す。涙を流す人はその人に本当に心から訴え
るべきではないか。これからは問題が在ったら改めるように努力をしますと誓うべきだ。
多くの人は自分の幸せばかりを追いかけ、不幸になった人々を直ぐに忘れてしまう。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/25(月) 18:22:29ID:+CQ0XD89Oあとは板違いに気付いてくれるとパーフェクトなのだが…。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/26(火) 10:59:42ID:geCKXTdB0学力の高いお坊ちゃまとお嬢ちゃんの学芸会にはうんざりする、結局、頭がいい人
たちは、とろい人たちという事が分かったような、今日この頃だ。
人生、誰がどうなろうと関係ないと割り切ってしまえば幸せになる方法はいくらでもあり、
学歴身分制度で贅沢な生活を送っている人たちが、全て人間として有意義な生活を送って
いるとは思わない、多くの人々が汗水流して働いた貯金を無駄に使っているお坊ちゃま
やお嬢ちゃんを見ると一言も二言も悪態を吐きたくなるのは自然現象ではないか。
2ちゃんねるで何を言っても何の役にも立たないし、何の役に立つとも思っていない、
どんなことでもどうでもいいように勝手気ままに書き、自分なりに物事の本質を探る訳
だが、それが間違っていると思えば、また他の考え方を空想すればいい訳で、頭で考
える事には答えはないといえる、答えを見つけたと思うとまた別の答えを見つけようとし、
多くの人の立場に立てば、いくらでも答えは見つかる。
ひ弱で体力も無い人が勉強をして、優秀と言われ皆に誉められ、いい職場に就職し
高い収入を得る。しかし、結局、その人はひ弱で体力の無い頭でっかちな人、世の中の
幸せは頭がよくても金が在ってもそれだけで得られるものではない。しかし、世の中では
頭のいい人が優秀な人で沢山金を持っていれば幸せになれると思っている人が沢山
いる。だから、頭のいい人を祭り上げ、高い給料を払い、自分の子供にも高い学歴を
付けさせ、学力を上げる為に金を使う。そして、また、金を無駄に使う。
ひ弱な優秀な人たちは学力を付けるために金が必要になる。しかし、学力だけでは
金を稼ぐ事が出来ない。だからその人たちは考えた。仕事が出来なくても学力が高い
人は高い給料を貰えるようにすればいいのだと。そして、いつしか 学歴身分制度が
世の中に出現した。今改めて考えれば学力が高い人間が社会生活の中でどれほど
必要な人間なのか考えれば、答えはこうなるだろう。金を稼ぐ上で学歴だけの人なんか
必要がない。生きていく上でも過度の学問は必要ではない。
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/27(水) 10:01:54ID:7u9n38gf0子供の頃から勉強が出来る人で、勉強以外に優秀と思った人は居なかった。そして、
今もいない。これが世の中に取って不利益という理由ではないか。
勉強が出来て世の中に役に立った人は極少ない。多くの人たちは今まで世の中に
不利益な人々を評価し、その人たちを目指し、勉強をして来た。そして、高い学歴を
得て世の中に取って重要な立場と高い収入を得る為に、多くの人たちは無駄な勉強を
して不利益な人を目指しているのである。
学力の高い人、勉強が出来る人、この人たちを必要とした時代がなかったとは言わ
ない。記憶力が良く。学んだ事は忘れず、誰かがこれ教えてと言ったら直ぐに教えて
くれる記憶力、多くの資料や書物を読み、皆が知りたいことを答えてくれる頭のいい人を
多くの人たちは評価をし、その人に高い給料を払った。そして、その人は努力家でも
在った。今のようにどうでもいい事を学び世の中に取って必要のない試験をし、単に学歴
を持った人を評価するのではなく。その職場に於いて必要と思った事を他の人より学び、
他の人より沢山記憶し、その職場でその職場の事を一番理解している人を学力があり、
優秀な人として評価したのである。そして、その人はその職場を日本一の職場にした。
簡単に言えば優秀な頭を有効に使いその職場で働く人たちの給料を上げることが
その人の学力により出来たのである。
私たちは頭のいい人を単なる頭脳労働者と思うべきであり、頭のいい人を上手に利用し
世の中の為に働いて貰う事を考えるべきだった。
それが今は頭のいい人に皆が使われる世の中になってしまったのである。頭のいい
人が頭の悪い人たちを使い、頭の悪い世の中を作り、自分たちの頭は使うと疲れるので
頭を使わないで馬鹿な頭を適当に使いいい加減な世の中を作り上げてしまったので
はないだろうか。テレビ業界、公務員、政治家、大企業を見るとそれが顕著に表れて
いる。困った事だが実社会に合った学力を持った人たちは少なくなり、利益を上げなくなった。
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/28(木) 10:20:34ID:zZK5o27u0世の中の全ての問題を学歴で解決する学歴万能主義が人間社会を奇怪な社会に
変えて行く。
学力が社会の問題を解決すると定義し、あくまでも学力の向上を望む多くの人々の
姿勢は本当に正しい選択なのだろうか。
一般社会では遭遇しない奇怪な問題を学び、更に奇怪な試験に挑み、優秀な成績を
上げた人が日本の重要な仕事に就く。そして税金の配分を考える人に変る。
走ることも飛ぶ事も立っている事も苦手な優秀な人がナイフを持ち、肉を切り裂き、
肉を縫い合わし、5時間も10時間も立ち続けて仕事をする先生に化ける。
敵も見方もお構いなし、弱い者にはめっぽう強く、強い者には黙って従い、人間より
組織が大事と訓練された、学歴戦士は本当に人間として成長してきたのか。
学歴が人間を作り、学歴が社会を支配したとき、自然界の規則や人間の本性は人間
に取って有利に働き、人間の明るい未来を望む事が出来るのだろうか。
人々が有意義に生活する為に多くの規則や方法を考えてもそれを守る人と守らない
人がいる社会は民主的な正しい社会とは言えないのではないか。
学歴万能主義者が学歴身分制度を創造し学歴により人間を区別する事を盛んに
試み、社会の中は奇妙な思考力を持った人々の存在が明らかに見えるようになって
来た。それは道徳のない人々、他人を思いやらない人々、他人を傷つけても何も感じない
人々、自己中心で自分だけの利益を望む人々、国民の代表で在りながら国民を守らない
人々、間違いを犯した人が目の前に居ても自分を傷つけなければ友達に成れる人々、
学歴が人の痛みや気持ちを理解出来ない人間を作ってしまったのではないだろうか。
テレビ局で働く人々を見ると自己中心的な奇怪な人々の姿が見える。それは利潤だけを
追求する為に誰がテレビを見ているのかを忘れてしまい。子供たちには悪影響を与える
ような犯罪ドラマや性犯罪誘発番組、精神撹乱番組を流し続ける人々の奇怪な精神を感じる。
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/29(金) 10:38:53ID:jMuWunf90痴呆丸出し、痴呆老人が道端で用足しをする姿は寂しくいとおしい。なぜ、日本を守る
人が嘘を言ってその事について嘘を言っているつもりはないと言い。そして、私たちは
その惨めな人影に対して大臣と言う要職を任せているのか不思議でならない。多分、
学歴身分制度の学歴万能主義者たちが学んだ参考書には嘘を付いてはいけません
という問題の答えは無かったのではないだろうか。
現首相も頭が良いらしいが私たち頭の悪い人間には余り頭がいい老人には見えない。
多分、私は参考書に従わなくいで物事を判断するからかも知れない。現首相は何でも
規則に無いから嘘付いても止むを得ないと言う雰囲気が在り、法治国家であるならば
痴呆を丸出しでもあなたの痴呆は他の人とは形が違いすぎから規則に則ると痴呆とは
いえない、30cmを越える痴呆は痴呆とは言えない。それは痴宝ではないか。それも
国会で適切な制度を作りましょう。それが出来るまではあなたの痴呆丸出しは許しま
しょう。だって、30センチ越えたら痴呆とは誰も気付かないもの。あはははは。と言って
奥へ消えていった。馬鹿馬鹿しい、誰でも気付くに決まっているではないか。そこに馬も
いないのに馬のような奴が立っていたら気付かないはずが無い。
漁師が二人も死んで逮捕者は未だに無し、法治国家ではないのかと思ってしまう。
軍事国家の恐ろしさを感じない訳にはいかない。
テロ特措法により、自衛隊員は死を前提にする職業になった。どんなに理性を持った
人でも死を前提にした職業に就く事は相当な心構えと他者と比べて何らかの特別な
待遇を期待し、そして、それを求めるのである。私たち国民はなぜ、戦争ができる国家
に日本がなる事を許してしまうのか。多くの人たちに考えて欲しい。60年間戦争を
したいが為に自衛隊に入った人々は相当いる筈だ。消防士が火事を消したい為に
消防士になり、火事がないので自らが放火をする事件は後を絶たない。多くの国民は
人間の心理をもう少し学んで欲しいものだ。
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2008/02/29(金) 12:26:08ID:Q9F1uffc0http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f65450229
0109のりお
2008/02/29(金) 23:39:17ID:SFfH+ArIO0110名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/01(土) 11:34:20ID:vot1ENWe0私たちは馬鹿な人を馬鹿という前に自分自身を振り返り自らの頭の程度を考えよう。
大臣より頭がいいとは思わないが、大臣が頭がいいとは思わない。大臣は嵌められた
と思うのか。大臣は嵌められなかったと思うのか。大臣が本当の事を隠す事ことを嘘
を吐くと言っていいのか。大臣が本当の事を知りながらまだ言わないでくださいと言わ
れて言わなかったら嘘になるのか。
大臣が知っている事を知らない振りして国民に報告する行為は正しいことなのだろうか。
この場合、如何なる場合でも大臣は国民を欺いた事になる。もし、大臣が知っていて
国民に言いたくない時は「私は知っているが今は言うことは出来ない。時期を見て報告
します。」と答えるべきではないか。例えば日本の漁船と追突し、漁船に犠牲者出て、
その事故に対して大臣が知っている事を隠した場合、大臣は国民に隠すべき理由は
一つもない。それはどの大臣にも言えることではないか。
民主国家に於いて政治家が嘘を言うことは国民との信頼を考えると非常に問題で
あり、それは政治家としての責任を果たしていないことに成る。大臣は政治家の代表
であり、日本国民に取って信頼すべき人物である。
ある大臣が自衛隊と漁船の事故に於いてテレビ放送の中で知っている事を知らない
振りをした行為は国民に対する裏切り行為に当たるのではないか。
大臣の裏切り行為は国家予算の無駄遣いと国民に与える不道徳行為は国民の国家
に対する不信と欺瞞を招き、国民の精神的な堕落を助長する可能性がある。
自衛隊といえでも日本人との事故は特別扱いするべきではない。日本は現在有事でも
その可能性すらない。大臣は自衛隊の当事者への事情聴取の事実を隠すべきでは
なかったし、隠したところで分かることであり、もし、その事実を隠し通せると思っていた
とすれば防衛関係の要職に付くべき人物ではないのではないか。そして結果として
その事実を認めた事は関係者に嵌められたということなのか。それとも馬鹿なのか。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/02(日) 21:10:36ID:ubLkEwRh0投票税は選挙のとき、選挙に行かない人から罰則金を取る制度です。多くの人々に
選挙に参加をしてもらい。政治家が国民の後押しを受け、国民の為の国民による政治
を目指す事が環境問題や国家の負債に隠された大きな問題を解決する手段ではない
でしょうか。
投票税は決して国民に強制的な投票を望むものでは在りません。もし、立候補する
政治家の中に推薦したい人がいない場合は投票用紙を白紙で出せばいいのではない
でしょうか。それによって政治に対する不満の意志を訴える事が出来ると思います。
投票税の持つ、罰則金の意味は人間の曖昧さと我儘、特に日本人の特徴である積極性
に欠ける性格は正しい政治を国家が行なう上で大きな障害になり、それにより不公平
や不平等の原因になります。このように国民が国の主権者であるからには国民は政治に
責任を持つべきではないでしょうか。そして、貴重な時間を使い多くの人々は投票に
行きます。それに対してそれと同程度の人々は投票に行きません。この現象は非常に
不公平ではないでしょうか。投票に行く人は喜んで行く人ばかりではないのです。多くの
人々は国家をより良い社会にする為に出来る限り優秀な政治家を選択し投票所に
行き投票します。片や投票に行かない人は旅行や仕事、そして、立候補した政治家に
投票したくない人々がいます。勿論、自由な国日本と言う事を考えれば投票の自由
を主張する人々の気持ちも分かります。しかし、投票をしないことで悪政により、多くの
人々が傷付き、時には命まで落としています。救急車に乗り、受け入れる病院がない
為に命を落とす人もいます。このような問題はすべて政治家による政策作成の不備と
考えられます。私たちが国民の為に働く政治家を選んでいればこのようなことは起こり
ません。政治家を選ぶ行為は交通事故のように、違反する事で人間の生死に関わる
問題なのです。だから、政治家を選ぶ選挙に行かない人に罰則金を要求することは
民主国家の政治家を選ぶ上では当然なくては成らない制度と言えるのです。
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/03(月) 10:19:02ID:FUoQ3aEv0国民は政治家を決して見捨ててはいない、政治家が国民を見捨てている。大臣は
嘘を吐き国民を欺いた。国民は大臣の嘘を冷静に受け止め、弁明を聞いている。
嘘を吐いた大臣は自分が嘘を吐いた事を認めようとしない。国民は一時的な健忘症と
思い変わり果てた大臣の言動を聞いている。
大臣は事故を起こした人を事故の現場から呼び、その人から事故の内容を聞いた
ようだ。それなのに大臣は事故を起こした人を呼びつけたことを国民に言わず、事故の
内容を知っているのにその事実を隠した。
事故現場から事故について一番詳しい人をヘリを使い東京に呼びつける事は人命
救助を考えれば決して行なっては行けないことではないか。海の上で起こった事故で
二人の漁師が海に消え、その消えた二人を捜索しなければならない時にヘリを使い
大臣が当事者を事故現場から遠く離れた東京に呼びつけ事故原因を聞いたとすれば
人命救助をしなければならない時に事故原因の一番詳しい人がいないと言う事は
人命をおろそかにした事にならないのだろうか。呼びつけた事は行方不明者に対する
軽率な行為であり国民の命を預かる大臣としては正に不適格者と言える。
今回のような事故については大臣の取るべき行動は自らが行く事が出来ない筈だから
副大臣かそれに相当する人物を現地に派遣し、現地で事情を聞き、その原因を連絡
してもらい、出来る限りの事故による被害者の救命処置を講じで二人の捜索をすべき
であった。そして、テレビ出演のときは他国からの武力行使でない限り有事ではない
訳だからあくまでも単なる海難事故として大臣はありのままを国民に報告し、行方不明
になった漁師の二人を探している事を強調し、更に自らが監督管理をする自衛艦の
事故当時の知りえる事実を国民に報告すればよかった。くだらないところで嘘を吐き
国家の危機管理の無さを露呈した行為は5兆円もの巨額な税金を使う組織の管理者
としては余りにも能力の無い人物という事を国民に認識させた事になり、その人物を
与野党の政治家及びテレビが評価をする言動には呆れるばかりだ。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/04(火) 09:30:14ID:Go38VRqm0私たちの求める国家は決して全てがばら色ではない。資源の枯竭、環境悪化、などは
地球という星が無限の存在ではなく、限られた存在であり、それに対して人間という生物は
無限の存在であり、地球という有限の部室の中に人間という無限な欲望を持った生物が存在する。
限られたものと無限のものが存在するこの地球を人間という生物が如何に長く、そして、
有意義に存在していくかを考える事は非常に重要な事であり、私のような箸にも棒にも
かからない人間に取っても考えるべき課題ではないだろうか。
多くの人々は目先の幸せを求め、毎日を一生懸命生きている。それは正しい生き方
と言えるだろうか。しかし、自らの幸せだけを求める行為が地球を傷つけ、また、多くの人々に
負担をかけ、そのことを考えずにただ自らの幸せを追いつづける人々を安易に正しい
生き方と評価することは一概に言えない時代になったと考える事も間違いではない。
投票税は多くの道徳心と心理的な人間工学の面からも合理的な制度を含みあらゆる
人間に必要な条件を満たす制度である事は疑う余地が無いと言える。
投票日の当日、今日の投票は辞めたいと思い、くだらないテレビを見ていたがテレビの
司会者が投票をしないと今回の投票から2万円の罰金を取られる事になりました。私
たちのくだらない番組を見ているのなら投票に行きましょう。とテレビの司会者が今日
一番適切な指摘をした。そして、それを聞いた国民は重い腰を上げ投票に行く。誰に
投票するか考えたがなかなか思い付かない。そして、いつか、政治家の不正に付いて
批判をしていた政治家を思い出し、不正をする政治家より不正を指摘する政治家の
方が我々の為になるだろうと思いその人に投票した。そして、その結果、これまで
政治への不正を訴えていた政治家が初当選し、それをテレビで見た国民は自分が
投票した人が当選した事を知り、何かすがすがしさと自分の一票が確かに政治へ届いた
ことに感動し、これからは政治も少し注目し、政治家が日頃何をしているか気にかける
ようにしようと思った。自分の将来の事も貧しい国々の事も政治家が重要という事に気付いた。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/05(水) 09:29:36ID:Ttqk2o6A0投票税は滅び行く国家の救世主になることが出来るか。学力が支配した国家は
学力によって滅びる。なぜ、そのように考えられるか、それは武力によって支配された
国家は武力によって滅びた、と言えないか。ペンは剣よりも強し。最近は使わないが
ペンは学力、剣は武力。武力より強い学力が国家を滅ぼしたとしても驚く事はない。
武力によって殺害された人間が学力によって殺されたとしても不思議ではない。自殺
の多い今日、この人たちも学力による被害者と言える。武力は人間の肉体を破壊するが
学力は精神を破壊し、その精神は自らの肉体を破壊することになる。
学力と知力を比較してみると学力を力とする事が如何に危険かという事が分かる。
学力は頭脳の構造が優れている人が優位な分野である。活字になった文章を記憶し
それを短時間に表現できる能力に優れた人が高い学力が有るという事になる。
知力は学力と知識を伴った能力だ。知識は学力を経験と時間で鍛錬したその人特有
の能力で、その能力は自分だけのものではなく、多くの人々も理解しその能力を認め
評価できるもの。学力だけで人を評価する事で知力を養う時間を失う。例えば公務員
たちのおかれた立場を見ると学力だけで人を評価する為に人間としての知力に欠け、
国家に対する奉仕の誠心を忘れ、自分たちの贅沢な生活だけを望む制度を創って
しまった。
学力によってスタートラインとゴールラインを同時に通過する制度を創ってしまった。
スタートラインに立ったとき、既にゴールラインを踏んでいる制度には経験も時間も無く
全ては決まっている時間を過ごす事になる。何もしなくても、いい生活を送ればいいの
である。国家が莫大な負債を持っていても、国民を守らなければならない自衛隊が国民を
殺したとしても、病人を乗せた救急車が病院を渡り走って病人が死んでも、スタートライン
とゴールラインを通り過ぎた人々には何一つ変えることが出来ない。それは国家が今
滅び去っていく事が分かっていても、何をしたらいいか分からない人たちなのである。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/06(木) 09:21:01ID:GSWVlPhx0武力による防衛が如何に非合理的な政策であるかは全ての国家が分かっている。
中国は歴史的に見ると守りの国家、日本は攻撃型の国家と言えないか。中国は戦争
して得するものは一つもない。広大な国土はまだ未開発の土地が沢山あり、日本を
含めた先進国と戦う事は決してない。中国の軍事拡大は日本に取って脅威ではなく
利益を望める政策と言える。そして、中国の軍拡は全て国内政策であり、税金の増加
よる使い道が軍事増強へとなる事は軍事国家である中国としては当然と言える。
日本が平和国家を棄てた今日、テロ特措法などの海外派兵を進める行為は軍事拡大
行為であり、日本は他国を批判できる立場ではなく。同じ軍事国家として中国が軍事
拡大を行なう事は喜ぶべきではないか。現に、現政権の政治家たちを見ると中国の
軍事拡大を批判しているが腹では喜んでいることが手に取るように分かるのが憎い。
私としては中国の軍事拡大は反対で、日本の軍国主義者を刺激するだけで何の意味も
ないと確信している。
60年間の静寂な社会を維持した日本はなぜ、戦争を避けることが出来たのだろうか。
答えを考えると馬鹿馬鹿しくなるがこんな答えが適当だろう。戦争好きな日本が戦争を
しなかったから60年間戦争がない。日本が平和憲法によって戦争が出来なかったから
戦争が無かった。戦争をする国は日本以外無い。情けない答え、惨めな答え、的を
射た答え、貧相な答え、哀れな答え、政治家たちが防衛する意義を長い年月訴えて
来たが改めて公務員である自衛隊を考えてみると日本がもし、攻められるとして考え
た時、世界の中でどこの国が日本を攻める可能性がある国かと考えればそれは日本と
いうことになるのではないか。日本を攻める国は日本ということだ。日本の自衛隊が
守らなければならない国は日本と言うことになる。無理な話ではないか。自国を自国から
守る、そして、60年間平和を保てた訳だ。馬鹿馬鹿しい話だが、60年間の平和を詩的に
解明するとすれば矛と盾を持った兵士が60年間立ち尽くしたと言う事ではないか。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/07(金) 10:16:38ID:oP3cn03I0拉致問題を解決する為に色々と考えてきたが今の状況を見ると誰の考えが正しかった
のか良く分からない。私は経済制裁に反対し、交流による友好的解決を主張したが
日本は攻撃的な制裁という道を選び、拉致被害者も権力に解決を委ねたが今の状況
から判断するとそれも期待外れと言って良いのではないだろうか。
私の考えは前と変らず権力に頼った拉致家族は拉致被害者を見殺しにしたと思って
いる。家族の問題と片付ければ拉致家族が選んだ道をとやかく言うのはどうかと思うが
家族に対する民主国家に住む日本人としての気持ちは権力を盾に家族を救う手段は
余りにも人間性に欠け犠牲が大きいと思っていた。
権力に委ねるということは日本人全体を犠牲にしかねないことであり、国家間の争い
を伴う手段でもある。国家は日頃から危機管理体制を取り、海外からの犯罪を防ぐ為に
努力と予算を掛けている訳で、拉致行為などの犯罪は実行犯の罪は当然の事だが
その拉致を許した日本の責任も非常に大きい。そして、日本の責任の取り方は拉致を
行なった国をただ責めるのではなく。そのような犯罪を防ぐ事が出来なかった事を
反省し、更なる対策を考える事が重要ではないか。
国家間の問題は出来る限り、個人的な問題にすべきではないだろうか。拉致問題も
国を全面に出した解決策には限界があり、拉致問題程度では決して国家権力すなわち
武力を使う事はない。これは断言できる。というより当たり前ではないだろうか。経済
制裁も非常に大きい国家権力ではなるがそれを施行した現政権の無能体制は現況を
見れば明らかであり国家の人的犠牲を伴わない権力が如何に無力か分かったのではないか。
今、拉致問題を友好的な交流により解決する道を選んでいたら、日本は世界的に
評価をされ平和国家の道を外すことは無かったと思うと軍国主義者の腹黒い策略に
乗った拉致家族そして多くの日本国民の判断の誤りを嘆くばかりだ。ただ、世の中は
こんなものでいいのかも知れない、正しい人間なんてどこにもいないのだから。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/08(土) 09:20:29ID:9tl+2K+A0財閥解体に匹敵する公務員解体は実現できるか。まずは公務員は何者であるかを
解き明かさなければならない。率直に見て公務員は誰の為に奉仕をする存在か。国か
国民か、それとも公務員自身なのか。勿論、公務員自身と答えなければならない。なぜ
なら、奉仕をする人たちが奉仕をすべき人たちより高い給料を貰っていることではない
だろうか。奉仕をする人が奉仕をされる人より沢山お金を貰っていたら奉仕という言葉
は当てはまらない。どのような言葉が適当か考えてみると飼育が合うのではないだろうか。
日本の公務員は国民を飼育する人々と言う事になる。現実をみると間違っていない
のではないか。
公務員のルーツを探ることにする。その人を知るにはルーツは欠かす事は出来ない。
公務員のルーツは侍か。侍ならば奉仕をする人にはなれない。飼育をする人が正しい
だろう。しかし、今の日本には侍はいない。それでは今の公務員たちはどのような家庭
から生まれて来たかを考えてみると、あらゆる家庭から公務員になっている。
公務員たちの家庭は裕福な家庭、貧しい家庭、中流の家庭、公務員の家庭からも
人々は公務員になっている。国民の全ての家庭から満遍なく公務員という職業に就いて
いるのである。ここに今の公務員たちの質の悪さがあるのではないか。全ての国民から
選ばれた者たちが公務員となり日本を食いつぶしているのである。私たちがいくら努力を
してもいくら叫んでも日本中に繁殖した公務員と言う生き物は何も聞こうとしない、何も
変えようとしない。今思うと身分制度のあった時代が羨ましくもある。なぜなら、間違いに
気付いたとき同じ身分ならば一様に考えを変えることができるからだ。しかし、貧しい
人が公務員になることによって裕福になり、その職業を失う事への恐怖は全ての改善策を
受け入れようとしない。また、裕福な人たちが公務員になることによって仕事以上の
報酬を望み高い給料制度を創り上げ、その結果国は大きな負債を抱え、富める国日本は
救うべき人々を救う事が出来ないのである。だから、投票税は公務員解体を約束します。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/09(日) 22:25:30ID:fMoH+haX0NHKの番組を見て、NHKの職員がなぜ、1500万円の給与を貰っているのか疑問に
思ってしまった。
学力についての番組を見ていると何を言いたいのか余り分からなかったが、学力に
ついての番組と言うより、勉強をしているか、勉強をしていないかという問題が日本で
起こっている事に気付いた。
学力がどうのと言うより、勉強をしている人と勉強をしていない人が今いるという状況
があると言う事らしい。
番組を見ていると話の焦点が分からないし、何を求めているのか訳分からない。なぜ、
こんな番組が出来るのか不思議でならない。
NHKがこのような番組を作るとすれば課題を絞り、時間は無制限にして、生放送では
なく、録画にして、十分出席者を含めた編集後に放送すべきではないか。だから、この
番組は有意義ではなかった。私たちが納得出来ないのはNHKの職員がなぜ、1500万円の
年収があるのかということだ。学力が高いと思っているとすれば学力て何なのか疑問だ。
東大の収入別の割合を示していたがこの問題の解決方法は東大の試験を高校で
使う教科書から出せばいい。話し合いは現実を何も言わないでお茶を濁すだけで本質
を避けている。結局、落とす為の試験をしていることが全ての原因ではないか。学力が
上がっても東大の学生数が増えなければ幾ら学力を上げても結果は同じではないか。
先生の収入を上げればいいという議論もふざけた話だ結局、この番組に出席していた
人たちは馬鹿ばかりだったように思った。
結局、学力を上げることによって、学力を付けた人たちが給料の高いNHKに全て就職
する事が出来るかという問題なのにその一番重要な話をしないものだから話は何も得る
ものが無かったと言える。勉強して学力を付けてもその人たちを受け入れる職場がなけ
れば学力と収入の格差は変らない。投票税が在ればこんな無意味な議論はさせない。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/10(月) 09:40:36ID:ElJfidDx0平和は人々の願いであり、人々が幸福に生活する為の象徴ではないか。正義は
人々が正しく、安全に暮らすための条件であり、人々の豊かな心を育てる基本では
ないか。
失うときは何事も安しということか。大事なものがいつの間にか無くなってしまう。人は
油断をしたときが一番醜く、間違いを犯し、事の重大さに気付かないものだ。
日本は全ての国民が悪行に手を染めてしまったのではないだろうか。ある程度の
罪は見て見ぬ振り、口の達者な悪人が道理の通らない弁解を言っているのに真面目
腐って聞いてやり、何かその人に責任を取らせるのかと見ていればいつの間にか忘れ
てる。良く考えてみるとほとんどの人が悪い人に成ってしまったのではないだろうか。
ある人がたまたま事件を起こし、問題になっても、今、その間違いを正す人がいない、
なぜなら、正すべき人たちも悪行に染まっているのではないか。多くの人が他人に
説教できるような人ではなく、清廉潔白な人はどこにもいない。ある程度の地位の人
たちの悪行は悪行とは呼ばなくなり、影響力の少ない人たちの悪行はささやかな罪も
大罪にしているように感じる。単なる盗みが大泥棒になり、国家を揺るがすような罪が
罪では無くなってしまったような社会が今の世の中ではないだろうか。
自衛隊の艦船が漁師を二人犠牲にしても逮捕者は未だに聞かない。幼稚園のバス
運転者は一人の子供を轢いたという理由で直ぐに逮捕され罪は罪として裁かれる
だろうが、幼い子供を守れなかった親の責任は無いのかと思ってしまう。
自衛隊と幼稚園のバスの事故どちらも難解な問題ではないはずだ。片や訳の分から
ない大臣が訳の分からない説明をいつまでも続け、最高責任者のはずが自分の組織が
未熟と言ってごねてる姿は国家の恥であり誇りを失った人間の哀れな姿だ。バスの運転手
は幼い子供を手放した親に言いたいことはあるだろうが何も言えない惨めさ、平和を
失い、正義を失った人々の哀れと醜さを感じるばかりだ。投票税、早く助けに来てください。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/11(火) 09:41:57ID:Id9+j0p+0国家に莫大な負債を作った責任を問うとすればそれは誰に問うべきだろう。更に貧富
の差はどのような原因が考えられるか。
まず、国の負債は国民の責任が一番大きいと言える。次に政治家と公務員だろう。
国の主権者は国民ということになっていると言う事は全ての事柄に国民は責任が有る。
今の世の中は国民の責任を誰も言わない。特にテレビは国の出来事を国民に伝える
役目があるが重要な事は余り言おうとしない。テレビは国民の責任をもっと強調すべき
だがテレビの司会者は容姿ばかりを気にして内容がない人ばかりで最低だ。これも問い
詰めれば国民の責任と言う事になる。
投票税は国民の責任を明確にして、国の全ての責任が国民にあると言う事を自覚
させ、厳しく責任を負わせなければならない。人間社会は自分の事は自分で責任を
取るのが当たり前ではないか。
社会は子供たちに学力の向上を要求しているが実社会に必要ない学力が何の役に
立つのだろう。
今、国が進めている学力向上は学力の低い子供たちに精神的敗北を味あわせ、益々、
学力の高い子供たちに精神的勝利者の気持ちを植え付け学力による社会の支配を
社会の制度にすべく、テレビを含めた知識階級を利用して強引に進めている策略と
いえないか。それは学歴身分制度の時代を永遠に続けようとする行為であり学力に
よる支配社会の願望ということか。
投票税は何の意味の無い学力を身に付けた学力馬鹿どもに支配される社会を決して
許さない為にも必要なものではないだろうか。なぜ、学力が高いから収入が多くなるのか。
仕事もしない学力馬鹿がなぜ、贅沢が出来るのか。全ては制度による社会の支配では
ないか。学力が高いだけで金を稼ぎもしないのに高い収入が得られるような制度を
作った学力馬鹿どもを許す事は出来ない。公務員は国民の金を無駄なく使う為にいるのでは。
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/12(水) 17:22:47ID:+5wv0+Nj0走る事が仕事になり、多額の収入を得る事で人の心は乱れ傷付くのは本当なのだろうか。
夢を語り、諦めない人生を語り、自らの傷付いた心を隠そうとしたのだろうか。だが、
肉体は嘘は吐かない。人間社会と人間の肉体は同じような関係なのかもしれない。脳
と口は信用できない事は多くの人々が知っている事だ。脳が考え、口が嘘を吐く。
テレビはどこまで嘘を放送し、どこまでいい加減な国民を作れば気が済むのだろうか。
ミスランナーは走る前、夢を語った。そして、走り終わった後、事実を語った。多くの
人たちが注目し、応援をし声を嗄らし、涙を流した。その後にそのミスランナーの体は
夢を語るには余りにも傷付き過ぎていたのではないか。テレビはその事実を知って
いたのか。それとも知らなかったのか。知らなかったとしたら報道機関としてはどうかと
思ってしまう。もし、知っていたとすればミスランナーに夢を語らせた責任を取るべき
ではないか。私から見ればミスランナーは嘘つきではないか。私は嘘は大嫌いだ。
嘘を吐く人は最低な人間と思っている。だから、ミスランナーは手術の事実を走る前に
話すべきではないか。それはここまで多くの人々に注目され、多くの契約料を貰っている
プロのスポーツ選手ならば当然ではないだろうか。
スポーツは駆け引きがあり、騙しあいもする。決して綺麗な社会ではない。しかし、それは
隠すことによって勝利の可能性がある時の場合であって、最初から結果の分かっている
ことは駆け引きでも騙しあいでもない。それは単なる嘘でしかない。最低な行為では
ないか。心が病んでいると言える。人の心は儚く脆い、その弱さを補うものは正しい生き方。
人が他人に夢を語るときは清く正しい心を持って貰いたい。嘘があればそれは大きな
絶望と欺瞞を生むだけではないか。世の中には清く正しい人が沢山います。その人たちを
傷付ける事は罪であり、許される事ではない。莫大な契約金を貰い、成績を残せない
責任を偽りの言葉で覆い隠す行為は言葉にならないくらい醜いことである。自らの贅沢
の為に人の夢までも食い尽くさないで欲しいものだ。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/13(木) 15:33:02ID:NN9y4e7d0国の負債が国の資産を上回る時がいよいよ近づいて来た。国の負債は政治家や
役人たちの資産を増やし、大企業の社員たちに莫大な富を齎してきた国家予算も
残り少なくなったのではないだろうか。ただ、在る所には在るようだが。
銀行や保険で国民の金を掻き集め公務員や大企業の社員に莫大な給与を払い、
公務員や大企業の社員に高額の自動車や住宅を購入させ、多くの一般国民の貯金を
負債に変えた国家事業も残り少ない国家予算によって第二ステージの始まりが近づ
いて来たのではないだろうか。
なぜ、公務員の給与が高いのかの答えは既に出ている訳だが国の負債がここまで
増えるとお金を稼がない公務員の給与が高いということは不自然としか言いようがない
が、不景気になった日本をどのようにすれば立ち直らせる事が出来るのかと考えると
何が一番手っ取り早いのかと考えれば公務員や大企業の社員の給与を上げて高額な
商品をその人たちに買って貰い日本の内需を上げる事が考えられる。しかし、これでは
これまでと変らない対策になってしまう。
日本はこれまで、企業の高い商品を誰が買うのか誰に売ればいいのか悩んできたが、
買える人たちを国の中に作ってしまえばいいと考え、贅沢な商品を買える階級を学歴
身分制度によって創り上げたのである。学歴身分制度により創り上げた階級は確実に
高い収入を約束され、更に死ぬまで年金により生活が保障される事で贅沢な生活を死ぬ
まで送る事が出来るのである。このように考えると公務員や大企業の社員は仕事でお金を
儲ける為に存在するのではなく、沢山給与を貰いその給与で高い商品を買う存在と
言う事になる。この人たちは日本の特権階級であったと言うことだ。
学歴身分制度は日本人の全ての人たちから学力の高い人たちを選択し、仕事を
するのではなく。贅沢な商品を買うための人たちを選んでいたのである。しかし、この人
たちの環境もこれからは変るのではないか。金を稼がない人が大手を振って歩く姿は
丁髷の時代で終わっていたと思っていたが今も続いていたのである。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/14(金) 09:30:34ID:+YrKtPOi0スポーツ選手に夢があるのかと考えると夢はどこにも無いことをボロボロになった
ミスランナーを見てつくづく分かった。
テレビの司会者は自分では何もしないのに口は達者で言いたい放題、スポーツは夢
では無く、夢から一番遠いい存在とい得るのに自分は何一つ努力をしないくせに口
だけで騒ぎ捲くり訳の分からない解説をしてスポーツの本質をずたずたにする現状は
余りにも嘆かわしい。
ミスランナーは頭が悪いのかもしれないが、スポーツは夢を語るより人間の肉体の
可能性を追求する一番夢から懸け離れた存在であることを理解していないのかもしれない。
テレビの司会者がよく夢をという言葉を使うがそれは多分、お金ではないだろうか。
意地汚い人たちである。スポーツでいい成績を残し、大企業と契約し莫大なお金を
得ることが夢なのではないか。金に汚い人たちは夢を金に変える図々しさがある。
本来、スポーツは人間の肉体の持つ機能の限界を追求し、人と人の肉体による戦い
では無いだろうか。ミスランナーは夢を語るより、自らの肉体の素晴らしさを語るべき
だったのかもしれない。
テレビによるスポーツの選手の扱い方には大きな間違いがあるのではないだろうか。
スポーツは夢ではなく、人間の肉体の素晴らしさを表現する手段である事を忘れては
いけない。それを分かっていれば夢という言葉は使う事が出来ないのではないだろうか。
実際夢を見ていたら何も得る事が出来ない。そして、スポーツには夢は無いのである。
テレビが存在しない夢を作り、そしてスポーツ選手に必要ない嘘を吐くことを要求し、
そして、嘘を吐き、結果、ミスランナーはポロポロになってしまったのである。
スポーツ選手はテレビにより、莫大な契約金を得る事は出来るがそれにより、スポーツ
選手の素晴らしい精神と肉体を失ってしまったのかもしれない。スポーツの出来ない
テレビの司会者が叫ぶとき、そこにはどこにもスポーツ選手の本質はないのである。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/15(土) 14:04:52ID:51YgIt5s0人生、正しければいいて訳ではないのは十分分かっているが、いつまでいい加減な
世の中が続くのか、考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しくなる。
学歴至上主義による現実離れをした政治が今、現在日本中で進行しているがそれを
止める事も直す事も出来ない現実があるが、これでいいのかと思うと何の力もない自分が
情けない。自分自身は贅沢な生活を望むわけではないので、贅沢をしている人たちを
羨ましいとは思わないが、その贅沢が国の負債を増やしている事にはいい加減うんざり
する思いだ。
君主制から民主主義に代わり、国民が主権者になったが、日本の政治や行政組織を
見ると君主制に近い政治を行なっているように感じる。主権者である国民は主権者で
ある影響力を政治に与えることができない悔しさを感じないのだろうか。そんなことは
ない筈だ。国民は国に問題が発生し、その問題を解決することを必ず望んでいる。この
望みを望みで終わらしてはいけないのではないか。
問題とは何を意味するのか。問題はすべての人々をその問題に引き込むのだろうか。
問題は特定な人々を襲いその人たちを苦しめる。そして、問題は解決するより、隠す
か無視することで問題が解決する錯覚に落ちてる人たちがいるのではないか。本当は
問題が発生したらその問題を解かなければならない筈だ。しかし、逃げてしまう人々が
いるのである。民主主義は国民が主権者である限り、問題は多いことを私たちは自覚
しなければならない、そして、その問題から逃げることは問題を大きくするだけだ。
今の日本は君主制のように問題を未解決にし、一部の人々が何も問題がないように
優雅に、美しく、贅沢に、幸せに、生きている。多くの人々が涙を流し、寂しさをかみ締め
生きる苦しさ、生きる厳しさを縋る思いで訴えてもそれに対する答えがない。それに
答える人々が見えない。投票税はすべての人々にすべての人々の苦しみを理解させ、
その答えを考えさせる事が出来るのではないでしょうか。これが基本でしょう。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/16(日) 20:38:03ID:eDLqeY3I0人間が生きるための条件は人間であるための条件より厳しい。生きてこそ人間で
あり、人間であるためには生きていなければならない。
人間は生きるために働く。生きているから働くのではない。働かなくて生きて行ける
のなら働くことはない。
今の日本はお金がなければ生きてはいけない。お金は自分の金でなければ使うことは
出来ない。生きていくためにお金を自分のものにしなければならない。
お金は自然には増えない。お金は他人から得なければならない。他人のお金は
自由に使うことは出来ない。他人のお金を自分のものにするために他人にお願いし
なければならない。他人のお金が欲しいときは、その他人が満足することをしてやり、
その満足する気持ちをお金で貰うのである。沢山のお金が欲しいときは沢山の人々を
満足させて、その満足に見やったお金を貰うことが出来る。
人間の体はいつしか衰え、他人を満足させることが出来なくなり、お金を得ることが
出来なくなる。お金を得ることが出来なくなれば生きていくことは出来ない。
お金を得ることが出来なくなると生きていけなくなるので、人間は生きていくためにお金を
貯めて置き、お金を得ることが出来なくなったときにそのお金を使い、生きて行くのである。
人間は生きていくためにお金だけではなく、結婚し子供を作り、その子供にお金を使い
大人にして、自分がお金を得ることが出来なくなったとき、大人になった子供たちにお金
を貰って生きていくのである。
人間はなぜ、生きているのか、生きていくことは何なのか。生きていくことで人間の
条件を理解し、生きていくことで人間の条件を作ることが出来る。
人間の条件を守るため、憲法を作り、法律を作り、それを守るために学校を作り、人間が
存続するために子供を作る。生きるために生きるのではなく、生きたいために生きる。
それには生きたいと思う生きる条件を作らなければならない。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/17(月) 09:40:28ID:3AXcKdYq0食料自給率が低いと悩んでいる日本人が居るが国土の狭い日本の食料自給率が
低いことで悩むことはない。世界の平和を望むのなら合理的で効率のよい食料供給を
考察し、その結果、食料自給率が低くなることは自然なことではないか。
食料を外国に依存することは何を意味するのだろうか。海外に依存できることが示す
意義は世界平和ということではないか。世界で一番平和な国が世界で一番食料自給率が
低いということは世界で一番世界平和を達成している国といえないのだろうか。そして、
それは日本人にとって誇れること。私たちは平和なんだと実感出来ることではないか。
国土の狭い日本が世界から食料を買い、狭い領土を有効に使い日本から世界に
向け、世界に誇れる商品を作り、その利益によりまた世界の食料を買う。こんなすば
らしい事をなぜ、日本人の一部の人は否定をするのだろうか。
日本人が生きる為には食料が必要です。そして、その食料が外国から来たところで
不思議ではない。平和な国が世界平和を望み、食料を海外から買い、日本の商品を
海外に売る。この現状を軍国主義者のいう国家防衛と言う非合理的な思想により、否定
することは日本人の生きるための条件を失うことになるのではないか。
日本が作る商品は食料以上に国家防衛に関わる商品も含まれているのではないで
しょうか。確かに食料がなければ生きてはいけない。しかし、今の時代生きる為だけに
生きているのでしょうか。1億2500万人の日本人が生きて行くことは非常に厳しい現実
です。これだけの日本人を日本だけの食料で生きていくことは不可能と考えるべきです。
日本人が生きるたるの条件を私たちは自覚しなければならない、日本人がこの地球で
生きていく条件は世界平和を如何に進め、その平和によって食料自給率を気にしない
時代を作ることです。
贅沢な日本人の生活を決して評価をするつもりはないですが。しかし、軍国主義者が言う
非現実的な政策では日本の未来はない。それは日本人の生きるたるの条件を失うことです。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/18(火) 09:40:53ID:ySvqmUSa0テレビの司会者がこんなことを言っていた。「中国のテレビは中国の暴動に対して暴動
のすべてを見せていない。」例えば報道を鎮圧している戦車などの映像と言うことだ。
この話はテレビという報道機関で働く人としては余りにも情けないと思った。中国の報道
が制限されているとすれば、まず中国では自由な報道が出来ないと言うことを言うべきでは
ないか。そして、報道機関であるならば報道されない事を嘆くのではなく。自らが報道
されない事実を報道すべきではないだろうか。
テレビの司会者はよく夢と言う言葉を使うように思う。本来、テレビは報道機関として
夢から一番遠い存在であり、その中で働く人々は夢をという言葉を使うべきではない。
なぜなら、映像として現実の出来事を在りのままに伝えてこそテレビの使命を果たす
ということではないだろうか。
テレビでは何かにつけ、司会者だけではなく、スポーツをはじめとして一般のテレビに
出る人は夢という言葉を使うが夢はあくまでも夢であって何かを達成させるために努力
の結果得るものは夢とは言わないのではないか。夢はどちらかというと努力もしないで
欲しいものが手に入るとか。望みもしないのに偶然手に入るとか。ということに使うべきで、
スポーツ選手が夢を掴むというのはおかしい表現ではないだろうか。ミスランナーの
マラソン前と後のコメントこそ、私には夢を見るような思いでした。スポーツ選手が努力を
して掴む栄光は決して夢ではなく、その人の力だ。それを夢という言葉を使ったミス
ランナーは夢を語り、夢を私たちに与えると語ったけれど、その姿はまさに夢のような
落ちぶれた姿に見えてしまったのです。スポーツは夢ではなく、地に足をしっかり付けた
人たちのものであり、この栄光は絶え間なく続けられた努力の上にたつその人が勝ち
取った宝ものではないでしょうか。
テレビは夢を語ってはいけない機関です。事実の中から真実を見つける精神とその
努力こそテレビの役割ではないでしょうか。だから、今のテレビは悪夢と言える。
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/19(水) 09:05:56ID:HBQJQb680テレビを見ていると戦争を恐れる振りをする人々が多い事に驚いてしまう。テレビ
司会者も戦争を肯定的に話しているようだ。国防の重要性をテレビは漠然と訴えて
居るが日本に戦争に至る条件があるのだろうか。
戦争に至る条件を探してみよう。探してみた。その結果、何一つない。答えが簡単
過ぎるので、もう一度考えてみた。そして、その答えは戦争は始まっているという答え
を得た。
日本は戦争を想定し、国防に多額な予算を使い。海外からの侵略に備えていると
多くの人々は思っているが今の日本の現状が戦争状態と言えるのではないだろうか。
武器による戦闘のない戦争が現在進行しているのではないだろうか。戦争をする
為の条件には侵略されることによって起こる戦争と侵略し他国の富を得るための戦争
がある。軍隊を使い他国の富を得ることが戦争というのならば自国の富を一部の
人たちが自国の軍隊を利用し富を得ることも戦争と言えるのではないだろうか。
自衛隊が日本を防衛することで一部の日本人が莫大な富を得ているとすればそれは
戦争により他国を侵略し多額の富を得ているのと同じではないか。
多くの人々が武器による戦いを戦争と思っているが一部の人間にとって戦うことで
富を得るだけが戦争ではなく、戦わずして富を得ることも戦争といえないだろうか。
日本にとって武器による戦争を過去の歴史のように行うことが現実に起こるかと考え
ればそれは決して在り得る事ではない。日本は今後、如何なる国とも武器による戦争は
ないと言えるのである。それは米国とソ連が戦争が出来なかったのを見ても分るように
核兵器の存在は大きく、そして、人間の進歩は現在の人間の欲望を満足させるだけの
成果と価値を支配欲の強い人間たちに齎したと言えるのではないだろうか。
日本人を戦争に導かない条件は何か、それは日本人の中の軍国主義者に如何に
日本にとって負担にならない富を与えることが出来るかということではないか。そして、
それには日本が平和を保ち、世界との友好的な交流から利益を得ることが条件と言える。
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/20(木) 09:37:33ID:PG6vOPLS0テレビに私たちが望むものは夢ではない。美しいアナウンサーが多くなったが美しさ
には賞味期限があることに気付く。美しいアナウンサーが微笑み語る姿は美しく嬉しい。
しかし、他の局を見るとまた美しいアナウンサーが美しく笑みを浮かべ語っている。
それを見るとまた嬉しい。しかし、私たちにとってそれは手に入らない美しさであり、更に
ただ見るだけの美しさでしかない事に気付く。そして、二回、三回と見ることによって
その美しさに慣れ、極端な場合は醜さに変わって行く。美しい人に罪はないが美しい
だけでテレビに出ている人たちには大きな罪が在るのではないか。
単に美しい人を評価するとすればそれは短く儚い命ということだ。生身の人間の美しさ
ほど美しいものはない。それは生命を持つものすべてに言える事だ。そして、複雑な
生命体であれば在るほど美しさには価値がある。人間の持つ生命体としてのランクは
最高ランクと言える。そして、その中の美しい人は地球上で最も美しいものと評価して
いいのである。しかし、生命体であることでその美しさは常に変化をして行く。生命体で
ある花は確かに美しいときがある。それは誰が見ても美しいのである。そして、時が
経ち醜さに変わり、美しさは消える。しかし、花は必ず再生しその美しさを取り戻し、
私たちを喜ばせる。人の美しさは再生することは出来ない。そして、その美しさは短い。
美しい人に目じりに皺一本出ただけでその美しさは消える。そして、口のあけ方一つで
も醜い開け方で美しさは損なわれ完全な美しさは消えるのである。
美しいものは世の中の中には沢山ある。絵画や彫刻などの美術品、自然界の風景、
自然界の生き物など美しいものは沢山在るが人間の美しさと比較すればそれは比較に
ならない。人の美しさには目で見る美しさと心で感じる美しさが常に融合し合い常に
変化するその姿を観察しその総合的な判断により評価をし、それに合格した美しい人を
美しい人と認めるのである。だから、美しい人がその美しさを保つことは非常に難しく
テレビの美しいアナウンサーの命が短くそして不要な存在になるのである。
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/21(金) 09:38:58ID:JxvPboSP0税金がなければ国は動かない。税金がなければ国民も存在しない。税金が国を造り、
税金が国民を守る。税金の為に国民は働き、税金により国民は幸せになる。
税金の存在は非常に大きい。税金はすべての国民にとって平等な存在であり、税金は
すべての国民に公平に使われなければ成らない。
税金が正しく集められ、公平に使うことによって国民は国家を誇りに思い国を守ろうと
する。国民にとって国は国民が望む生活を得ることが出来る存在であり、個人や家族では
成し遂げることが出来ない広い範囲の社会環境の改善を行うことが出来る。
税金が国に与える影響はその運用方法により大きく左右され、運用を間違うと国民は
大きな被害を受ける。
現在の日本における税金の使い方を見ると無駄が目立つ、更に税金の使い方の
間違いも多い。
税金は国民に平等に使われなければ成らない。しかし、税金は国民から平等には集め
ない。税金は所得によりそれぞれ税金の額が違い、多い人と少ない人がいる。勿論、
所得の多い人が多くの税金を払っている。しかし、国に集められた税金はすべての
国民に平等に使わなければならない。
今、日本にとっての大きな問題は税金が平等に使われていないことではないか。税金
の使われ方は歴史において大きく変わり、民主国家においては国民に対して平等に
使うことが基本であり、特定な人々の為に使うことは大きな間違いと思わなければなら
ない。
投票税の果たす役割は民主国家としての税金の平等な分配を公平な立場から行う
為に政治家を選ぶ選挙に対してすべての国民が参加することを制度化し、それに違反
した人から罰則として税を徴収する事を目的とし、よりよい政治により税金の正しい
使われ方を心から望み、すべての国民に民主国家の国民としての喜びを知ってもらいたい。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/22(土) 09:16:10ID:5W/aotPb0あるテレビ局の司会者が日本のサラリーマンの平均生涯収入は3億円と言っていたが、
平均で3億円稼げば日本人は幸せな国民であり、今の世の中の問題がなぜ起きるのか
疑問に思ってしまう。
3億円稼ぐということは40年間働くとして平均年収が750万円ということになる。日本の
平均年収が750万円であるならば経済的な問題はないと考えるべきではないだろうか。
しかし、多くの日本人が年収750万円貰っていないのも事実であり、テレビの司会者が
問題にし、テレビの中で主張すべきことは平均年収に届かない人々の存在とその人々が
なぜ平均にならないかを訴え、その疑問に答える姿勢を見せるべきではないか。それに
ただ、椅子に座り適当なコメントを言っているテレビ局員がなぜ、平均年収1500万円、
生涯収入6億円稼げるのかも言って貰いたいものだ。
テレビ局の給料を下げる事を提案したい。世の中への貢献度を見ると非常に低い
のではないだろうか。報道機関としての役割を果たす姿勢が余りにも低いし、公告料の
高さと不公平差を感じて成らない。公告料は商品に反映され、テレビで流れる商品は
割高な商品として私たちに売られている事を思うと商品価値は下がる。
社会的貢献度も非常に低い、世界情勢もテレビからの情報を期待しているが少ない。
公共的な施設として私たちは多額の税金を払っている筈だ。公共機関としての役割が
ないテレビ局はすべて有料にすべきではないだろうか。NHKを含めたテレビ局はすべて
有料にすべきではないか。システムとしてはテレビの契約にチャンネル選定が出来る
ようにして見たくないテレビ局は見えないようなシステムにすべきではないか。料金は
基本料とテレビ局選択料を支払うシステムでいいのではないか。これで見たくない
テレビ局も見なくて済むし、脳みそが天気になった人々も昼寝から目が覚めるのでは
ないか。今のテレビはただより高いものはないという見本のような存在であり、民主
国家を否定する組織として余りにも勝者優先型利潤追求組織に成り下がってしまった。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/23(日) 20:48:22ID:HPe68duE0投票税ならやれる。投票税だから出来る。投票税だけが成し遂げる。投票税があれば
完璧だ。投票税が可能にする。それは国民による国民の為の税の改革。
民主国家にはなくては成らない制度なのに、誰も作ろうとはしなかった投票税、限りある
地球の運命をすべての人々の力に託し、真の民主国家を作り上げ、世界平和と人類
の生存権を地球上のすべての人々と分かち合う為に投票税の成立が不可欠であり、
世界が必要としているのではないか。
現存する税制は君主への献上的な税であり、国民の為の税としては不適格な税が
多く、国民の意向が少ない為、多くの国民にとって納得できない税制である。
民主国家における税制は国民を主権者として作られる為、国民の生活状況に合った
税を作ることが出来るので税金の無駄使いも国民の責任により行われる訳なので
大して気にならない。不満が出れば変えればいいのである。多くの人が納得できる
税は今より不満は少なくなる。
民主国家とは言っても国民すべてが民主的な人たちとは限らない。人間は不確定な
生き物であり、表と裏、上と下、右と左、黒と白、善と悪、有りと有らゆる人たちが居て、
どのような制度を作っても危機管理を十分に行わない限りその制度は崩壊してしまう。
そして、制度を守る事ばかりを強調することで制度の本質が失われ結局制度は機能
不能に陥る。
一言で民主国家と言ってもこれまでの制度と大きく変わるわけではなく、規則や方法は
多数決により決定され、それをすべての国民が守らなければならない。これには不満や
反抗を述べる人は必ず居るのである。私たちが求める民主国家はそれらの不満を
どのように処理し、その不満を静めるのか。私たちはその不満を聞く耳を持ち、その
不満を無くすために最善を尽くし、その不満を述べる人たちを決して無視しないという
事ではないか。投票税を得た民主国家は不平等を許さない、そして、不公平も許さない。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/24(月) 09:34:08ID:chNZqFZR0自分の事も碌に考えないのかも知れない。そんなことはないか。くだらないテレビと
性病により若者は幸せになれない時代。それでも真面目に生き抜く以外、自分の人生
を達成することは出来ない。人を愛する事は不変であり、誰しも避けて通ることは出来
ない。純粋で可愛く素敵な人をくだらないテレビはことごとく破壊し、陰険で贅沢な淫乱
な人を作りつづけ、造られた姿は一見美しく、しかし、その奥に隠れた病魔を見抜くこと
は甚だ難しい。麗しき乙女を探しつづける清く正しい青年は幾多の失敗と裏切り、そして、
嘘により傷つき、世の中を悲観してしまった。
人を愛する事は何よりも変えがたい喜びと会えないときの切なさは人として生きている
実感をこれほど感じる事はない。誰かに突かれもしないのに心臓が突かれたように
痛み、走ってもいないのに心臓が高鳴り、生命のもつ不思議な力と自らの肉体が他人の
肉体を求める力の強さを感じ、その肉体が結ばれたときの喜びは想像を遥かに超え
肌と肌が融合し、肉体がもう一つの肉体に溶け込むような感覚の中ですべてを終えた
肉体が眠りに落ち、そして目覚める過程は何度も経験できるものではない。
愛を育み、子供が出来る。賢く優しい人になって欲しい。親の願いはあくまでも清く正しい
望みでいっぱいになる。生まれたままの姿で絡み合い本能のおののくままに求め合った
体は二つの肉体により作られた小さな小さな結晶を作り、いつしか年を重ね、その結晶は
言葉を話し、二人の名前を呼ぶようになる。愛した証である二人の肉体から育った一人
の肉体はまだ、なぜ、自分がそこに存在しているのか分らない。小さな愛の証、その顔を
見る度に肉体に蘇る胸のうずき、今宵も贅沢はしないでささやかな楽しみをどうぞ。
愛は人それぞれなのかもしれないがテレビに出るスケベじじいやスケベはばあには
には困ったものだ幾ら給料がいいからって不倫はしろや幾つになっても恋をしろとか
言っているが、愛には金も時間も掛かるだ、余分なことを言うな。テレビは下半身について
無駄なことを言い過ぎ、淫乱ばかりで世の中は困っているだ。性病の報道を増やせ。
ここで言っても意味ないけど言いたかった。
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/25(火) 09:36:34ID:rwLcDePv0使用人が使用人と思っていない世の中は使用人天国であり、使用人にとって幸せな
社会ということだ。
日本の公務員の待遇は非常に快適と言えないか。公務員は本来公務員以外の国民に
奉仕をしなければ成らない。奉仕者とは使用人のことである。使用人といっても、ただの
使用人ではない。国民の意見をよく聞き、国民が求めるものを理解し、国民の指示に
従い、決して国民を裏切ってはいけない人たちであり、裏切ろうとするような人は存在
しない人たちと考えるべきなのである。それは完璧な召使として国民に仕える人たちで
なくては成らない。民主国家での公務員の本来の姿だ。
公務員の給料は国民より多いと言うことは考えられないし、それを議論すること事態
時間の無駄であり、そんなに安い給料でよく働けると思われながらも、日本の国の
社会環境と国民の生活環境の向上の為に努力をし、自らの欲望や自らの望みの優先
を考えず、国民すべての人々のために自らを犠牲にしてまでも尽くす精神と肉体を持った
人々を公務員と呼び、その献身的な働き、その勤勉な誠心を国民は見ることによって
公務員の人々を心から尊敬し、収入的には少ないが人間として高く評価をし、決して、
軽はずみな扱いはしないで、常に尊敬を忘れず、国民の手本として公務員の皆さんを
扱っている社会こそ、民主国家の真の姿と言える。
日本に今、目標とする人が存在するだろうか、民主国家こそ公務員の人たちに国民の
目標、手本になって欲しいと思います。誰からも尊敬され、多くの人たちが目標とし、
身近な人々や国家のように広い世界、更には地球全体を視野に入れてものごとを考え、
すべての人々が幸せになれるように常に考え、自らを犠牲にしてまでも多くの人々の
幸せを望み、社会の礎として常に働く人々を私たちは尊敬の念を込めて呼びたいのです。
その名は公務員の人々と、限り有る世界、地球という星を守ることが出来るのは公務員
の人々以外ない。それなのになぜ、その人たちが地球を壊しつづけるのでしょうか。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/26(水) 09:54:31ID:OKhU0ohU0投票税は国民を主権者として育ててくれるのではないだろうか。投票税は投票に行か
ない主権者から罰則金を取る制度です。今日、国民は主権者であることを忘れてしまった
のでは無いだろうか。国の主権者とは国の主導者と言うことであり、国に対してすべての
責任を負う立場に国民は居るのである。
日本には多くの人たちが贅沢をし生活に何の不自由も感じていない人たちがいる。
そして、その贅沢な生活は今も続き多くの国民が幸せな生活を送っている。しかし、
その反面、国は1000兆円を超える負債と裕福な公務員を存在させ、毎年、30兆円以上
の負債を増やしている。
私たち国民の財産は1500兆円と言われ、この財産は国の負債1000兆円を賄って
いる。国は国民が1500兆円の貯金があるから1000兆円の負債が出来るのである。
日本人のほとんどの人は貯金をしている。しかし、国民の中にも多くの人が負債を
持っている人がいる。国民の個人の負債は負債が増えることは一般的にないのでは
ないか。例えば1000万円人から借りればその1000万円の負債は毎年確実に減って
行くのではないだろうか。1000万円借りて、その1000万円が毎年、増えることが
あるとすれば他人はその人にお金を貸すだろうか。普通なら貸さないだろう。もし、
貸すとすればその人に2000万円の貯金があり、その貯金をお金を貸す立場の人が
管理している場合ではないだろうか。お金を借りる人がお金を貸す人に2000万円の
お金を預けていて、その預かった2000万円の中から1000万円を貸して、更に利息を
取る。自分の金を人に管理させ自分の金は使わないで金を預けた人から金を借り、
その人に借りた利息を払う。こんな馬鹿なことが実際あるのでしょうか。もし、あると
すればそれは国の負債の1000兆円のからくりにそんな馬鹿なことが起こっているよう
に思えて成らない。投票税はそんなからくりを許さない為にも日本のような民主国家
には必要な制度ではないでしょうか。国民は主権者であり、奴隷ではない。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/27(木) 09:10:18ID:yd2HwKeN0テレビには勝利者の姿だけが映し出され、その人の勝利を祝い、賛美の言葉を送り、
その人が達成した勝利に対して多額の報酬を与え、国民に夢を与えてくれてありがとう
とお礼の言葉を浴びせ、テレビの出演者すべてが満面な笑みを浮かべ感謝をする。
背筋が寒くなる光景が毎日、テレビの中で行われている今日この頃ではないか。
勝利者を称えることがなぜ、悪いのか。勝利者にはそれだけの努力と力があり、その
勝利に対してなぜ、報酬を与えてはいけないのか。確かに勝利者を称えることは当然
と言える。しかし、なぜ、テレビの中で行われるのかという事に疑問を感じるのである。
テレビは勝利者だけの者なのかという事を考えて欲しいのである。テレビが公共的な
役割を果たす組織であるならば、勝利者だけを映し出す事は公共的な機関としては
公平ではないということではないか。勝利者を称えるのは勝利した会場であり、その
会場の観客でいいのではないか。
勝利者がテレビの中でおどけ、冗談を言い、遊ぶ姿をCMやお笑い番組で見る光景は
なぜか寂しく、なぜか、その勝利者の意地汚さに触れたような、そして、勝利者の堕落
した姿が目に浮かぶのである。
テレビはあらゆる勝利者を食い物にし、その人生を狂わせて来たように思える。すべて
はテレビという幻想の中で勝利者が自分を見失い、架空の世界に足を踏み入れ、奈落の
底に落ちて行ったのではないだろうか。勝利者の儚さはテレビにより強調され勝利者が
人生の敗北者に成って行ったのではないだろうか。
今のテレビに勝利者を称える資格があるのだろうかと最近良く思う。有料ならばどんな
番組を流しても、どんな勝利者を称えてもそれは有料である限りテレビの勝手かもしれ
ないが、NHKの受信料の中で放送されるテレビに関しては勝利者ではなく、勝利者を
含めたすべての人々を公平に扱うべきではないだろうか。だから、私は学歴社会が
作った勝利者優先的社会の崩壊を予言し、それを望むのである。
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/28(金) 09:48:05ID:N24rXK1d0警察官が凶悪犯の捕獲中に銃弾で亡くなった。悲しい出来事であり、その母親が
悲しむのは当たり前でありそれを責めるつもりはないのです。しかし、テレビに出てまで
もその悲しむ姿を国民に見せることが正しいことなのでしょうか。
あるテレビが銃弾に倒れた警察官の親を出演させて、子供である警察官の死を嘆いて
いましたが、どのような気持ちでテレビに出てまで警察官である子供の死を悲しんでいる
姿を多くの人々に見せるのか不思議で成りませんでした。
私たち国民に取って警察官は唯一犯罪者に武器を持って立ち向かうことが出来る人
たちです。確かに、警察も十分な装備や訓練の不備により、危険な立場に立つことが
あり、不満もあるとは思うのですが、しかし、それでもなぜ、その警察官の親がテレビ
に出て、その悲しみを訴えなければ成らないのかが分らないのです。
私にはその警察官の死は悲しみ以前にその死に対して世の中は誇りに思う気持ちを
表すべきと思うのです。凶悪犯に立ち向かいそして、命を落とすこの行為は警察官ならば
有りえることではないでしょうか。究極的に言えば警察官のご家族の悲しむ姿を見たくない
のです。なぜならば、誇りを持って凶悪犯に立ち向かってその銃弾に倒れた警察官の
勇気と信念を悲しみの涙で流したくないのです。
お母さんには申し訳ないのですが警察官の母ならば多くの人々に涙を見せて欲しく
ない、そして、それ以上に悲しみを語って欲しくは無いのです。どのようにテレビ局が
出演を進めたのか、それともご家族からの希望なのかは分りませんが、警察官の誇りを
考えるとテレビへの出演で悲しみを語ることは望ましいことではないと思うのです。
警察官が死を恐れているとすれば警察官は勤まらない。警察官が死を望んでいたら
なお警察官は勤まらない。警察官の立場は警察官にしか分らない。しかし、国民が
警察官に望むことは死ぬ状況の中でも死なない強い体と鋭い精神を持った頼もしい
人々ということではないでしょうか。だから、死んだ警察官を悲しむべきなのかも知れ
ないが、それよりも死んだ警察官を誇りに思って欲しい。悲しい涙は死者の前で流してください。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/29(土) 09:20:41ID:VrkDQQS30利巧と馬鹿は紙一重と世間では良く言いますが。テレビの世界を垣間見るとその事が
正しいような感じもします。
テレビ局員は結構学歴を優遇しているように見受けます。テレビに出ている芸人や
その他の人々は視聴率を取れる人々が主な人々のように思われます。そして、その
人たちは人間的に見て馬鹿な部類に属すようにも見えます。
テレビを見るとこの馬鹿と利巧が融合し、異様な世界を作り上げてしまったように
思われて成りません。
利巧が馬鹿を利巧にするのなら分るのですが利巧が馬鹿を利用して自分たちの利益
を考えているという光景はどさ回りの元締めのような存在に成っているように思える
のです。利巧が馬鹿を利用して、利益を得る。馬鹿は利巧に利用されて更に馬鹿になる。
テレビという公共物は馬鹿を利用して稼いでいいのでしょうか。馬鹿が馬鹿を演じて
収入を得る。しかし、馬鹿だからいつまで経っても馬鹿は馬鹿、テレビを見ている人々は
いつしか飽きて、その馬鹿を見向きもしない。それでも馬鹿はテレビ局員に何も言わない。
なぜならば莫大なお金を貰うことが出来たからだ。馬鹿が馬鹿の人生を切り売りし、
人生を犠牲にしてまでもそして、いつしか見捨てられてもその馬鹿はテレビ局に何も
言わない。それは自分では到底稼ぐことが出来ない大金をテレビ局から貰ったからだ。
だから、馬鹿に取って短い時間では合っても視聴率を取り、テレビでちやほやされ大金
を得たことで満足したのである。なぜ、こんなテレビ局が公共的と言えるのか。
公共的な組織なら正しい事をすべきではないか。視聴率がなんだ。世の中に必要な
番組なら見ない国民が悪いのではないか。馬鹿を見てそれを笑うことが公共的と言える
のか。ドラマでは人を殺し、奇妙な人物を描き、見ている人がそれを真似たら世の中が
大変に成ることを考えて放送しているのか。現に世の中テレビが先か現実が先か分ら
ない社会になってしまったのではないか。公共的なテレビなら誇れる人生を歩む努力が欲しい。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/30(日) 22:30:51ID:2TApCaE+0投票税の成立に対して誰も鼻にも掛けないから言うのだが、国民がステーキ食い散ら
かしていたら誰が何を言っても始まらない。
国に金が無かったら、投票税を作り、薄鈍達から税金を取り捲れと言いたい。日本の
有権者数は1億人、誰も投票に行かなかったら、その人たちから投票税を2万円取れば
2兆円の税収、投票に行かない薄鈍達から罰則金を取るのは当たり前、毎日、ステーキ
食って選挙には行かない、何か、国に問題が起きると国の責任にし、ステーキの汁を
口から垂らしながら文句を言ったところで、世の中何も変わらない。
文句があるのなら、選挙に行けと言いたい。しかし、薄鈍達に言ったところで行くような
奴は一人もいない。ステーキ食って牛のように寝て、糞が出たくなって目が覚め、また、
ステーキ食って仕事に行く。昼になったらまたステーキ食って仕事をする。こんな奴らは
考えてみたら、文句も言わない。世の中の薄鈍達は何も文句は無いし、金を稼ぐのは
上手いし、遊ぶのも上手、いい家買って、綺麗な奥さんやいい男の旦那を持ち、だから、
子供もすぐ出来る。日本にはこんな薄鈍達が数え切れないほどいる。こんな奴らは
金がある。遊びたかったら遊べ、遊びに行って上手いステーキ食え、選挙なんかに行くな、
投票税を払えば選挙なんかに行くことはない。こんないい法律は無いし、こんなに合理的
な税制はない。なぜなら、払いたいから払う税なんて無い。払いたくなかったら選挙に
行けばいいのだから。投票率50パーセントで5000万人が投票に行かないことになる。
もし、投票税が2万円ならば1兆円の税収ということだ。1兆円はすごい金額だ。選挙は
国会議員が二つ、知事、県議、市町村長、地方議員などで6種類の選挙がある。参議院は
2回とすれば7種類の選挙がある。この選挙に対してすべての有権者は選挙に行かな
ければ成らない。だから、1年に必ず選挙はあると考えてもいいのである。投票税の
金額を変えることによって1兆円の税収は確実と言える。ステーキを喰らい、遊び放題で、
お金があり、仕事も出来る人たちから1兆円を貰ってもいいのではないか。いいに決まっている。
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2008/03/31(月) 09:43:44ID:P1tbPOED0政治家の賞味期間を8年と考えた事を悔いる人は居るのか。8年は長いという人は
居ても8年は短いと思う人は少ないのではないか。
現政治家の仕事は既に日本には無い。国の資産を食いつぶし、何一つ重要な問題を
決定することが出来ない政治家たちは既に賞味期間が過ぎた人々と考えれば納得
することが出来るのである。
民主国家での政治活動を厳密に考慮し、理想的な政治活動を導き出すとどのような
政治活動が考えられるのだろうか。まず、民主国家という社会を十分に理解した人であり、
常にその民主的な社会を実感し、その中で民衆と意見を交わし、民衆の中で主導者と
して多くの人々に支持される人を民主国家の代表としての政治家と言えるのではないか。
それは端的に言えば政治学者ではなく、国民の声を国家運営に正しく反映できる人と
いえる。
それでは民主国家を理解する為にはどのような人生経験が必要なのだろうか。まず、
どのような職業でもいいが社会人として職業に就く。そして、仕事を通して民主国家の
社会組織を学ぶ。更にその中で指導者としての立場を経験し、現状に於ける民主国家
への批判精神と社会を変える意欲、そして、自らの主張が人に受け入れられ、その
考え方を支持する人が居ると感じ、更に強く自らの政治的な考え方を政治の場で主張し、
多くの人々の生活の向上と国家の未来を予測しえる政策を提案できると感じたときが
その人の政治家としての経歴の始まりと考えてもいいのではないだろうか。
政治家になり自らの知識を生かし、民主国家の中で国民に対して公平な政治を提供し、
自らの政治活動を有意義に行う為にはその政治生命に賞味期間を与えるべきでは
無いだろうか。それは人間という生き物はいつしか自分自身へのご褒美を考え出し、
自分自身をお殿様と見当違いな立場を理想とする考え方に成り、そのときから国民を
欺く事を考え出すのである。だから、賞味期限が必要なのである。8年それが限界と言える。
実際、政治家は任期がある仕事である限り、その一期の任期が真の賞味期限と考えてもいい。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2008/04/01(火) 10:01:04ID:rPg9SUEd0政治家たちの歩みが止まっているように感じる。政治家が賞味期間を過ぎたとすれば
その歩みは無くなる。
人間社会が成熟することはあるのだろうかと考えたとき、人間はなぜ生きていかな
ければ成らないかと考えてしまう。
政治は、国民が国民の代表者として政治家を選び、その人たちが国民から集めた税金
を使って国民が生きていく上で必要な公共的なものを作ることである。
政治は時代背景により、多くの政策があり、歴史を振り返る事でその時代の政治形態
の違いがよく理解できる。
政治は人間の扱い方が大きく影響し、そこに存在する人々がどのような生活をし、
何を求めているかによって政治は変化して来た。政治はすべての人々を飲み込み
個人の意思や力までも左右し、大きな社会の流れを作り、好む人も好まざる人もその
流れに乗り、その流れが途絶えるまで流れつづけるのである。
政治の舵取りである政治家はその舵を持つ力が必要であり、その力が無くなった
とき、その流れは行き場を失い氾濫するか、さもなければその流れは地中に消えて
行くのではないか。
政治家たちに政治を司る力がなくなったと国民が判断したとき、既に政治の流れは
途絶え、国民の生活は窮地に陥り、多くの人々の命をも失うことになる。
今、私たち国民が置かれた状態を判断すると政治家の賞味期間が過ぎたと判断出来
るのでは無いだろうか。社会状況は国民への裏切り、国民への偽り、国民の政治家
への欺瞞、このままを続ける事は政治の流れを維持することが出来なくなり、政治の
大きな変換を余儀なくされることにならないか。そして、それが何を意味するかと言えば
数え切れない数の国民の犠牲を意味するのではないだろうか。歴史を振り返る事で
現政治の敗北が予感され、既に政治家としての体をなしていない状態ではないか。そして、
歴史は確かに政治の変換時に多くの国民への犠牲を伴うのである。
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2008/04/01(火) 11:48:17ID:DYfFmKKm0発展途上
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2008/04/02(水) 10:35:14ID:mOvNm+810投票税により、主権者としての責任が付くと共に政治への影響力の大きさに気付き、
一般の国民の意識の変化と自分たちの考えが政治に反映されることの喜びがいつしか
日本の多くの国民の力になり、国民による国民の為の民主国家の重要性を強く感じ
たのだった。
まず、投票税による国民の政治に対する要望は義務教育改革を望み、義務教育の
無駄と効率の良い教育への変換でした。小学校6年、中学校3年の教科書の無駄を
無くす為に各学年での試験に全学年対象の試験を加えたのです。例えば、小学4年の
試験に1年生、2年生、3年生の教科書からも問題を出し、通過した学年の教科書の
理解度を常に試験により確認する。これにより、義務教育が終了するまで、すべての
学年の教科書に対して復習することで義務教育期間に学んだものが確実に身に付き、
教科の理解度の向上に役立った。
高校や大学試験については各学校で使用した教科書の中から試験問題を出し、受験
生の公平を維持する試験とした。この制度を採用することで学校で学ぶ事で試験に
十分対応が出来、貧富の差から見られた受験の不公平は解消された。
投票税の施行前の教育は子供たちの教育の向上を訴えていたが実際は真の教育の
向上ではなく、学力差を付ける事が目的となっていたようだ。入学試験も学力向上を
目的とする試験内容ではなく、単に試験の合格と不合格の為の試験でしかなく、簡単に
言えば不合格にする為の試験に成っていたのではないだろうか。
私たちは教育の重要なことを利用して、教育を社会格差の重要な要因として扱って
来たのではないだろうか。学校の成績や出身校により、人を差別したり、試験の合否
だけでその人の実力を判断して来たが、結局、教育だけでその人の実力を判断する
ことは出来ない事を私たちは学んだのではないだろうか。即ち、それは教育の良し悪し
で貧富の差を付けていた事がこれまでの社会の間違いと言うことではないだろうか。
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2008/04/03(木) 10:51:10ID:JSD0Oyo/0全ての人々が幸せを願い、その幸せを得るために何をすべきなのか。全ての人が
求めるささやかな幸せは全ての人々を主役にすることではないでしょうか。
主役とはその社会で重要な立場について、何事もその人を中心に物事が進み、その
回りの人たちはその人の考えている事に対して常に助言をし、社会全体がその人を
重要な存在として扱い、そして、その人も自分は回りの人とは違う人のように感じ、
いつも、注目される人と思っている人なのか。そうではないのではないか。
世の中の教育は全て、主役を作りその人を中心に考え、その人が幸せになれば全てが
幸せになるような考え方をしているように見えるが、この考え方をそろそろ変えるときが
来たのではないだろうか。
投票税は全ての人々が主役になり、全ての人々が注目され、全ての人々が全ての
人々に責任を持ち、全ての人々が自らの幸せを願い、全ての人々が全ての人々の
幸せを願うために必要な制度と考えられないだろうか。
人の幸せには色々あり、悲しい幸せ、苦しい幸せ、耐えがたい幸せ、喜びの幸せ、生きる
幸せ、死ぬ幸せ、人が生きていく上で幸せは一概には言えない。病に倒れた人の幸せ
は普通人の幸せとは違うだろう。貧しい人々の幸せは裕福な人々とは違う。持って
生まれたその人の不幸を幸せにする幸せ、苦しさの中から見出す幸せ、悲しみにより
奈落の底に落ちた人の幸せ、幸せすぎる幸せ、幸せすぎる不幸、幸せを求める幸せ、
人には分らない幸せ、人も羨む幸せ、人は生きる事で幸せを願い、幸せを得るが、
幸せを奪う人が居て、幸せを与えない人が居るとすればそれは間違いではないだろうか。
投票税により、全ての人々の意見を聞くことが出来るとすればこんな幸せなことは
無いのではないだろうか。全ての人々の幸せが満たされることは無いだろうが、全ての
人々の幸せを願う為には全ての人々が何を求めているのかを知らなければ成らない。
投票税というささやかで小さい制度が人を幸せにするとすれば有った方がいいだろう。
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2008/04/04(金) 09:33:01ID:SwLhANbX0民主国家が変化を望んでいる。その変化は完全な国民参加型政治への変化では
ないか。現政治家が何を言っても何をしても、真の民主国家ではない国家には、国民は
その声が聞こえない。なぜなら、その政治家を多くの国民が選んでいないからではないか。
民主国家に住んでいるのに民主国家を望まない人々がいる。人は狢だ。人は人を
化かし、人を偽る。全ては欲だ。無い物ねだりや欲に絡めた偽り、人は何でも欲しがる。
人の物までも欲しがる。十分に持っているのにまだ欲しがる。無駄なことも平気でする。
間違いと分っていてもその間違いを正そうとしない。他人が間違っていてもその事を
教えることはない。人は人によって変わり、正義より悪を好む。人は色を好み、色に
よって染まる。色はすぐにあせ、また、違う色を探す。人は色とりどりを好み、いつしか、
真っ黒になる。人は噂話を好み、真実を知りたがらない。噂話は嘘を含み、いつしか、
それが真実になり、知識になってしまう。怖いと言いながら、怖いものを好み。悪いと
分っていても悪いものを好きになる。他人の為に自らを犠牲にする人は万に一人。
他人を犠牲にし、自らの欲を選ぶ人はごまんといる。自分の富が増えることは他人の
富が減ること。自分が生き残ると言う事は他人が生き残れないと言う事か。
人は欲によって喜びを知り、欲によって悲しみを知る。全ては欲のために生き、欲に
従い死を恐れる。
世の中、欲の無い人はいない。全ては欲だ。投票税が成立しない理由はこの欲が
障害となり、誰も作ろうとしない。金銭欲、支配欲、人は人より沢山の富を欲しがり、
人を支配し、人に命令をしたがる。欲がある限り平等を嫌い、欲がある限り公平を望ま
ない。投票税の成立はお手上げということか。しかし、欲に溺れる人々と言う言葉も
ある。欲によって身を滅ぼす人々と理解する。世の中の変化は人が望むから起こるのか
と考えればそうではなく、ある日突然来るはずだ。今の世の中、欲張っても何も得ることが
出来ない人が増えてきたようにも思える。欲張っても欲張り外のない世の中はつまらない
かも知れないが、そうしなければ平和に生きていけないならばそうしなければならない。
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2008/04/04(金) 12:15:46ID:8B114xPy0●殺人予告されたのでIP開示求む!●
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/accuse/1204365309/l50#tag84
81 :心得をよく読みましょう:2008/03/31(月) 23:59:10 ID:RefNXlaF
笑い方が死ぬ程嫌い。
お前を殺す。
82 :p2087-ipbf2508marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp:2008/04/01(火) 14:30:37 ID:oUSb7CXm
81 :心得をよく読みましょう:2008/03/31(月) 23:59:10 ID:RefNXlaF
ひろゆき、↑こいつ軽々しく殺人予告してるぞ
IP開示頼む
ブログに、おいらの友達の住所とか販売連絡先とか書いてあるのに
怖くてしょうがねーよ、おいらは別にどうなってもいいけど
ダチにそんなことやられてみろよ
これ一応言っておくけど
ダチにも 紹介していいって聞いてから書いたけど
嫌がらせ販売注文とかされたら冗談じゃねーぞ、オレの立場はどうなるんだよ・・・
http://ameblo.jp/gnkx29/ ばりばりここに書いてあるだろうが・・・。平気で殺すとか書いてるし・・・
一応また聞いてみて こういう状況だけど、平気かどうか
許可とって平気なようなら、紹介宣伝のためにブログに書くけど
81 :心得をよく読みましょう:2008/03/31(月) 23:59:10 ID:RefNXlaF
↑こういうのを、どうにかしろよ〜 てか、これは通報というより逮捕だろ?直接言ってるじゃねーかよ
てか、ひろゆき
これ書いた奴マジで逮捕なり平気で殺すとか書くと
どうなるのか、教えてやるからIP開示しろよ!ダチが絡んでるから
ここまで騒いでるんだよ。釣りでもなんでもねーぞ
これ書いた奴、誰だよ?IPここにいれてこいよ jk7yj@yahoo.co.jp
p2152-ipbf2706marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp:2008/04/02(水) 12:01:41 ID:0iGTdZyl
ブログに紹介宣伝のために、ついでに書いていたけど状況説明で確認してみたら、
もめごとは勘弁ということで消すはめになりました・・・。
http://society6.2ch.net/police/警察のイタにも書いてるし平気でそういうこと書くとどうなるのか覚えとけよ!
0147名無しさん@お腹いっぱい。
2008/04/05(土) 08:50:25ID:yo5zQUqo0ガソリンの値段に対するテレビなどの話は余りにも無責任に聞こえてならない。税金
1リッター25円の暫定税が廃止になり、4月から税金25円が消えた。
詳しいことは分らないが、小売のときに税金を付けるようになっていれば今のような
問題はなかったのかもしれない。それにしても3月で期限が来ることは何十年も前に
分っていたのに今になって泣き言を言う政治家やガソリン屋には困ったものだ。
商売人であるのならば、税金が切れるという前提で仕入れなければ成らない筈だ。
政治家が補助金を考えていると言っていたがふざけた甘い考えであり、えこひいきな
手段ではないか。テレビの解説もガソリン屋の話を聞くだけで、なぜ、仕入れ量を調節
しなかったか、聞いていないのが不思議であり、国民を馬鹿にしている。
あるガソリン屋が在庫が無くなるまで、値下げはしないと言っていたが法律違反といえる。
なぜなら、税金は国民から取るものだからだ。4月から税金がなくなるということは4月の
時点で税金を取っては行けないのである。もし、5月に税金が再度付くような場合は
5月の時点から税金を取れば言い訳で、この場合は税金の付かないガソリンを大量に
買って置けば、税金の値段だけ儲かると言うことではないか。結局、ガソリン税が復活
してもしなくても、在庫量の調整は商売の能力ではないだろうか。だから、4月になっても
在庫があるので値下げをしないスタンドはプロの商人とはいえないし、再度の値上げの
ときに税金の付いていないガソリンの在庫がなくなるまで税金を付けないのかと思うと
そのときはすぐに上げるのではないか。結局、商売のいろはを考えれば何も問題の無い
ことが良く分る。
政治家やテレビの解説は国民に対して混乱とかスタンドの嘆きを放送しているがその
対応は国民を欺くもののように感じた。政治家はこの暫定税が無くなることによる混乱を
訴えているがなくなる事も想定していなければ政治家とはいえないのではないか。現政権
の国民に対する甘えと無責任さは限界に足している。日本の反映は僅かな道路網で
達成された事を知らないとは言わせない。利益誘導型の政治には飽き飽きなんだ。馬鹿にするな。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2008/04/06(日) 10:51:42ID:aLBsBn7b0この大臣は公平という言葉を理解していないのではないだろうか。テレビでこんな事を
言っていた。「私は介護保険に反対だったたが今は良かったと思っている。それは以前
月に40万円掛かっていた費用が今は4万円になったですよ。」こんな事を言っていた。
この言葉はこの大臣が貧富の差、公平、平等、福祉、思いやり、援助、介護、これらの
言葉を何一つ理解していない事を物語っているのと共に厚生労働大臣としての要職に
とどまる脳みそを持っていないことを示し、日本にとって不要な人物と言えないか。
民主国家を理解していない人の、学歴と視聴率で大臣になった人物の脳みその限界
を見たような瞬間だった。
民主国家に於いて、大事な事は公平という事ではないか。今、保険において、老人に
負担を掛ける制度を作り、その制度が問題になっている中で、制度を新たに作ること
により、こんな利点がありますよという例に、自らの家族の介護料が40万円から4万円に
なった事をテレビで自慢する神経と余りにもかけ離れた意見には呆れると言うより、
大臣の脳の終止符を見たような感じだ。それに大臣の収入は多くの国民から見れば
羨むほどの高額ではないか。その高収入の人の介護料が40万円から4万円に減った
事実は驚かざるを得ない。それは高収入の人の料金が減り、低収入の人の料金が
増えたと言うことを顕著に表していることになり、不公平な事実として余りに悪意に満ち
た意見ではないだろうか。
このテレビを見ていたとき、野党の政治家もいたのだが、反応が無かったようだ。
テレビ討論を良く見るがテレビにより、討論の程度の低さには驚くと共に同じ穴の狢
たちの悪ふざけ程度にしか感じないのが残念でならない。40万円が4万円と言った時点
で現政権の大臣の首は取れた筈ではないだろうか。重大な言葉を見過ごしてしまう
力の無さと決定的な一言を決定的な結果に導くことをしない政治家たちの言葉遊びには
うんざりするが、投票税の無い世の中の無責任体質がいつまで続くのか、待つ身は辛い。
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