>>111
平治の乱は源氏vs平家という図式では現在語られていない。
信西派、信頼派、天皇親政派、中立派など色々な政治勢力が絡まった中で起きた戦い
として現在は評価されている。
義朝の立場は信頼の部下的な立場と評されている。
清盛は中立派で乱勃発当初は一連の戦いの圏外にいて後に天皇親政派の誘いに乗って
乱に加わったという経緯を持つ。

ちなみに、平治の乱勃発の政治的勢力や地位としては
信西=信頼=天皇側近≧清盛>>>>>|越えられない壁|>>>その他軍事貴族≧義朝
軍事的な力も
清盛>>>>>>>|越えられない壁|>>>源光保>>義朝
という図式で義朝は乱の後政治権力を握るという立場には立てない。

もしも平治の乱で義朝が属する信頼派が勝利するには下記の条件が必要である。
信西排除後
1.信頼が清盛を仲間に引き止める
2.信頼が天皇親政派との提携を深めつつ後白河を取り込む
ということが前提条件となり
その場合は
信頼を中心とした不安定な政局が数年続き、その後分裂か誰かが其の中から頭角を現す
という結果となるだろう。
そうなった場合頭角を現すのはやはり平清盛となるような気がする。
そしてその政局の中で義朝は足元をすくわれないように上手く渡り歩かないとどこかの時点で失脚するだろうし、
失脚しなくても源頼政のように一軍事貴族として過ごすようになると思う。