タスクシステムの擁護をするはずが、いつの間にかタスクを擁護し始めている
タスクシステムが攻撃されているのに、彼らはタスクが攻撃されている、という
対立構造に話をすり替えようと試みる

何らかの時間ステップで多数のFSM(VM)をシングルプロセッサで駆動させる
プログラム全てにおいて、タスクという処理単位は必ず存在するというのに
彼らは『アンチは処理単位を否定しようとしている』などと叫ぶ

『アンチはフレームワークを否定しようとしている』というふうに話をスライドさせる
手口も同じ。彼らは自分たちが守るべきもの(タスクシステム)が、守るに値しない
守ることが不可能な、存在理由の実に希薄な、実につまらない車輪の再発明
既出の何かの劣化猿真似であることを悟ってしまったから、擁護する対象を
摩り替えることで、自己の立場を確保しようとしているに過ぎない

彼らはもはやタスクシステム擁護者ではなくなっている。彼らが現在守ろう
としているものの実態、それは別の何かに換言される。それに
タスクシステムという名前を無理やり与え(レッテルを張り)、擁護しているに過ぎない

タスクシステムというお名前を擁護しているだけなのだ