勝手に閑話。
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0001ホンダの野人
NGNGF1ではない前座話は以下に。
http://teri.2ch.net/2ch/test/read.cgi?bbs=car&key=960807587
野人閑話
私たちのフォーミュラ・ワン <1>
我々は今年、2000年よりブリティッシュ・アメリカン・レーシン
グ・ホンダとして8年ぶりにF-1グランプリ・シーンに復帰することになった。
奇しくも、と言っていいのかどうかトヨタも近いうちに、F-1に
シャシーごと参戦するのだという。
今回は我々を含めた日本の自動車メーカーの、F-1へのチャレンジ
の意味するところについて、私なりの視点から意見を述べてみたい
と思う。
先回までニッサンについて、いくつかの視点から私なりの意見を述
べた。その中で特に企業内における目に見えない気風というものに
着目し、この会社の無責任な指導者達が、従業員や経営に対して
行ってきた愚策の積み重ねに端を発し、それらがやがて悪しき社風
のベースとなって企業に働く者の考え方の土壌となっていたのでは、
と推論した。そしてそれが時を経るごとに勤労意欲を喪失する元と
なり、従業員の士気に悪影響を及ぼし、『笛吹けど踊らず』式と
なってニッサンを現在の状況に追いつめてしまったひとつの要因で
はないか、と言ったつもりである。
この背景についてつけ加えると、現代という時代があまりに経済至
上主義的な方向に振れすぎてはいまいか、という私の主張・懸念に
さかのぼらなければならない。
0002名無しさん@1周年
NGNGトの合理精神の“危うさ”について述べた。その項では現代人が無
意識のうちに感じている心理的圧迫の根本原因のひとつではないか、
という主旨の見方をした。
だがこの影響が及ぼすところを個人の心理に帰着せず、それら人の
集合体である企業がどうなるのかという視点から眺めてみると、ひ
とりニッサンばかりでなく、経済論理の中に存在するほとんどの企
業が運命的に持たなければならない企業としての『盛衰の論理』に、
やがてじわじわと結びついてくるように思えてならない。つまると
ころ働く者の精神及びこれを形成する精神的土壌に気を配り士気を
高揚出来たところが『盛』、これを怠ったものが『衰』、という基
本図式が成り立つのではないかと考えるのである。
主張の繰り返しになるが、我々人類は近代に入り経済論理を重視す
るあまり、利潤追求のためのシステムや効率などにばかりに目を
配ってきた。結果、新興概念である合理精神をあたかも崇拝するが
如きとなり、人が本来的に備えている心の様々な要素(仏教では
“一念三千”といって、ひとつの心には三千の“何か”があるとす
る思想がある)を大事にする気持ちをどこかに忘れてきてしまって
いるのでは、と思うのである。
標題の主旨とずれるようだが、引き続き我々に身近な業界の、企業
運営の考え方の特徴を述べさせていただきたい。
企業に働く者の精神性という部分を眺めたとき、今や規模で言えば
ダントツの国内ナンバーワンとなったトヨタという企業の、運営の
裏面には働く者に対して“無思想さ”を植え付けているようなとこ
ろがある。彼ら(経営陣)はそうすることで人の気持ちを上手くさ
ばき、ともすれば“どこかに行きそうな”働く者の心の内をコント
ロールし、企業としてとにもかくにも、持てる力を引き出そうとし
ているのでは、と思えるのである。
0003名無しさん@1周年
NGNGな企業などに働いていると、どうしても心に驕慢な気持ちが宿り易
い。その気持ちが宿るメカニズムはここでは省くが、トヨタはそう
いうふうになりがちな働く者の心理を一体どうしたものか、心得て
おり“三河流のケチケチ精神”による『オトナの見方』や、朴訥さ
の中に価値を見出すようや考え方でもって押さえ切っていると思わ
れるのである。これが彼らの働きぶりをして無神論的、かつまるで
蟻の群れが表情もなく黙々と蜜を求めて進むような、ある種の不気
味な強さを感じさせるのであろう。結論めくが、“道理をわきまえ
たトヨタ(首脳)”がホンダに対して抱く一番の怖さは、案外我々
の屈託のない『笑い』なのかも知れない。
翻ってニッサンや三菱などという企業はこれまでの指導者の心得違
いもあったのだろうが、どうも働く者の心根に潜んでいる、傲慢不
遜な部分に逆に火をつけるようなやり方を採ってしまったようにみ
える。三菱などはいつぞや「国内シェア20%獲得」を気持ち良く
ぶちあげ、「ニッサンを視野に入れている」ことまで公言した時期
があった。その反動と言えるのかどうか、今やニッサン以上に苦境
に陥っている状況である。
ともあれトヨタという会社は、現代日本における自動車メーカーと
しての頂点を究めながらも相変わらず貪欲に敵を見つけ、これを駆
逐することを本能的な行動の原点としている感がある。
亡くなった司馬遼太郎さんの小説に、日露戦争におけるロシアの、
国家としての行動の特徴を述べたものがあった。曰く『ロシアは平
和になると、領土拡大のために南下する妙な癖があって、今回日本
と激突することになったのも、もとは中国と接する国境をむやみに
侵犯したことからはじまった』という主旨の表現があった。
0004名無しさん@1周年
NGNG論』の中に「海洋国家日本の構想」というテーマを高坂正尭氏が書
いていたようである。そこには日本の国家としての考え方、つまり
コンセプトが「どうあるべきか」ということを述べているらしい。
私は残念ながらこれに直接目を通す機会を得ていないが、その論旨
の解説によると『日本という国が採るべき道は、理由もなく唯やみ
くもに自国の領土拡大に狂信する、いわば大陸帝国的な野心を原点
に行動するのではなく“海洋国家”として自由な発想と精神で国家
を考え、海を渡り、国と国をつないだりする役目なども果たす』こ
とらしい。
これについては別に機会をもうけて私の考え方を述べていきたいと
思っているが、ともあれトヨタという会社の本質はまるでこれらの
話に出てくる“大陸帝国”の経済版とでも言えるほど、見事に一緒
だと思った。まるで何かにとり憑かれたように他の国(企業)を蚕
食するのである。これを『無思想』と言わず何と言えばよいのであ
ろうか。
そのトヨタがF-1に参戦するという。
0005名無しさん@1周年
NGNG私たちのフォーミュラ・ワン <2>
レースを、いつからモータースポーツと称するようになったのか、
勉強不足の私には説明する術がないが、それでもヨーロピアンモー
タースポーツの頂点に位置づけられるフォーミュラ・ワンへのチャ
レンジというものの意義は、我々が感じている以上に深いものがあ
ると思われる。
モータースポーツには、『スポーツ』の名が冠されるように、競争
に参加する者すべてが、同一のルールのもとでしのぎを削って競争
するという清々しさが、まずある。我々は現代日本のような複雑き
わまる、また変化の激しい社会の中に生きていると知らず知らずの
うちに難しい顔になっている自分に、ふと気づく。ところがスポー
ツを観ていると、肉体を酷使して行われる勝敗という要素以外に、
我々が心の内に持っている"何か"を響かせ、共鳴させてくれる何か
に気がつくこともある。それはひとりひとりの心の中にある無邪気
で純粋な気持ちのようなものを湧き上がらせ、精神の浄化作用を促
してくれるようだ。
もとより人間はその言葉の通り、ひとりでは生きていけないもので
あり、必然的に他人を意識するような精神構造になっている。ス
ポーツのような競争に参加する場合、闘争心というものをベースと
してライバルを叩いたり逆にこれに叩かれたりするものではあるが、
その一方で競争の過程で自己の再発見をしたり、他方いつしかライ
バルを思いやるというような、思いもよらない精神の成長をも促し
てくれる側面も包含している。
モータースポーツでは、そこにクルマという科学技術としての機械
を介在させることで、その勝敗に人の肉体以外の大きな要素がひと
つ加わることになる。これが一捻り効いていて、勝敗に少なからず
影響を与えながら、参加する者だけでなく見る側にとっても知的に
ハラハラする部分を含みつつ、しかし依然としてヒトが主役であっ
て、他のスポーツとは一味違った面白さを醸し出している。
0006名無しさん@1周年
NGNGが何かにつけて不可欠になってはいるが、『モータースポーツ』が
「スポーツ」である限り、精神的な純度の高さを感じられることを
根本の意義として行われるべきものと信じる。逆に言えばそういう
部分が欠落したのでは、レースは単なる自動車遊びとなってしまい、
そこで繰り広げられる競争はいやらしくて、猥雑で、心が腐るよう
な価値のないものになってしまうだろう。
そのスポーツのステージにトヨタが乗り込んでくるという。聞くと
ころによれば、参戦の目的はフランスでの工場建設に合わせ、欧州
におけるブランドイメージ向上の一環という"リッパなオトナの理
屈"に依るらしい。また地元ミシュランタイヤのF-1復帰と抱き合わ
せての参戦というオマケまで付けてくるというから、さながら美々
しく飾り立てたF-1の大名行列版。さらにフランス工場の立ち上が
りの関係もあり「なるべく早く参戦して欲しい」という周辺の声に
押され、当初「2003年に参戦予定」としていたのが何時の間にか
「出来れば2002年には…」になり、今は「もしかしたら2001年には
…」と、営業上のPR目的がミエミエの参戦である。彼らにはそうい
う理屈こそ大事なのだろう。
加えてこのところ国内においても彼らの向こう脛を思い切り蹴飛ば
す商品展開を図ってきたホンダがまたF-1に参戦すると聞いたので
ある。
0007名無しさん@1周年
NGNGちてしまい、国内自動車業界の勢力地図が戦国時代のようにアッと
いう間に塗り替わってしまい、さながら戦国時代の様相を呈しても
いる。そのような中、このところ自らのPRに余念のないトヨタとし
てはあまりホンダにいい顔をされるのは面白くないと思ってもいた
ろう。そうしてみると、何のことはない所詮彼らのF-1活動開始決
定へのメンタリティは「隣りの芝生」、すなわちホンダのF-1活動
が如何にもキレイに見え「それならウチも…」というほどのものだ
ろう。お金を出す立場の人達は大分とブツブツ言ったのではあろう
が。
彼らのF-1参戦に対するメンタリティの意味で純度が低いと思うの
は、そういう"オトナ"の部分だけにとどまらない。かつて彼らが
WRCという欧州で究めて高い人気を博するラリー選手権に出場して
いて、確信犯的レギュレーション違反を犯し1年間の出場停止に
なった。スポーツの常識では、これはドーピング検査に引っ掛かっ
たも同然、世が世なら国辱ものである。
しかしそういうトヨタのF-1参戦を「歓迎する」人達もいるのだか
ら、こちらが騒ぐものおかしいのかも知れないし、また現代のF-1
というものの理解の難しさ、と言えばそうなのだろう。
私はトヨタの参戦を「よく考えた参戦だ」とおっしゃる方々をどう
こう言うものではないが、あまり品下がりなやり方をすると彼らの
考える自己PR目的を逸脱するだけでなく、日本を代表する自動車
メーカーとして世界で恥をさらすことになりはしないかと心配する
のである。
0008名無しさん@1周年
NGNGかれている状況、経済予報、そしてソロバン勘定だけをもってして
は、容易に参戦に「Yes」とはならないだろう。事実経済界には、
ホンダの参戦への決断を冷ややかに見る向きもあることを耳にした
ことがある。経済原理と科学技術理論盲信の厚い霧が覆う現代社会
の中で、参戦に対する冷たい意見はオトナの、マトを得た意見では
あるだろう。ただし『モータースポーツ』の意義とか、その活動に
よって人の心に湧き起こる人間本来の"健康的な叫び"のようなもの
などには何の関心も示さない、或いは気がついていない者がその意
義を語ったり、またこれを評価するのは片腹痛い気がする。
さて、これは私が言うべきことではないかも知れないが、F-1参戦
の意義を研究所的な視点から眺めてみたい。
誰よりも速く走らせようとすれば、いやがうえにも新たな技術の導
入を図ることになる。クルマやエンジンの先端/将来技術に一足先
に手にとってふれられることの素晴らしさは、やがてエンジニアの
皆さんの技術に対する将来展望に大きな足跡を残すことにもなろ
うし、メカニズムというだけでは語り尽くせない技術というものを
見る目も大いに養われもするだろう。ましてヨーロピアンモーター
スポーツの頂点であるフォーミュラ・ワンという舞台での話である。
"クルマを速く走らせる"様々な要素を、手強いライバルとの戦いに
明け暮れながら限られた時間/資源という状況下で考え尽くし、そ
こで得た結論とこれを具現化した技術をもってレースに臨むことは、
直接・間接、有形・無形に関わらず"クルマ屋"として経験できる最
良のステージに立つことも意味するだろう。
0009名無しさん@1周年
NGNG私たちのフォーミュラ・ワン <3>
私は、自らをぼんやりした頭の回転の鈍い人間であることを改めて
認識した。これまで"ホンダF-1"の支持者のつもりでいながら、こ
れを「すごさ」や「強さ」といった印象論の中でしか捉えられな
かった。何がすごいのか、を考えずに過ごしてきてしまった。
今、自分なりにこれまでの"ホンダF-1"を振り返ったとき、その活
動が本来のスポーツの意味において、恐らくは無意識ではあったに
相違ないだろうが、これに臨んできた先輩や仲間たちの精神の純度
というものが、非常に高いものであり、それこそがホンダF-1の魅
力を支えてきた原点だったのではないか、と考えるようになった。
これまで外の多くの人達が、様々なカタチで"ホンダF-1"について
書いてきた。もとよりそれらすべての文章に目を通したわけではな
いが、少なくとも私が読んだ範囲で言えば、これらの書き手は四輪
車としてきわだった性能を発揮するこのレーシングカーやドライ
バー達について、実際に自分が見た感動を何とか読者に伝えたい、
という気持ちが元のところあったように思う。そしてその心の興奮
を様々な表現を使ったり、各々の知識や取材などによって脚色し、
またある人はこれに自らのレース経験を踏まえながら綴っていたよ
うである。
0010名無しさん@1周年
NGNGのの魅力の一面であることに変わりはないからだ。私もかつてこの
レースを観る機会を得たが、腹に響いてくるような超高回転で回る
生のエンジンの爆発音、ふつうに走るクルマがまるで蟻の歩行のよ
うに遅く見えてしまう圧倒的な加速等々、この機械としてのすごさ、
そしてこれを操るドライバーの運転技量に、我を忘れるような気持
ちになった。
ではあるが、我々が同じ研究所に働く者として、その「F-1」の素
晴らしさを皆で共有しようとするには、そのような感情や技術面か
らだけの見方では、何か足りないような思いも感じていた。
研究所には今、数多くの仲間がおり、そして様々な業務テリトリー
があって、直接F-1などのレース活動に携わらない人達の方が多い。
まして二輪、汎用製品を担当されている方々もいる。
そういう人達にとってF-1などのレースと、自分の目の前にある、
現実の仕事との間には直接的なつながりがないことなどから、どう
しても個人の興味以外共通性を見出しにくい。
少なくとも研究所のみんながF-1を共通に理解しようとするには、
上記したような感情や、量産技術とは違う特殊な技術の凄さという
方向からのものとは違った捉え方が必要になってくるのではないだ
ろうか。ホンダもそれだけ大きな企業になったということでもあろ
うし、時代背景も、働く人達の考え方も、10年前のチャレンジのと
きと違ってきてもいよう。
0011名無しさん@1周年
NGNG現代日本企業として、そこに内包する企業家精神の健全さを感じさ
せ、これに何よりも清々しさを感じ、また誇らしさも感じている。
私は創業の頃のホンダどころか、「第一次F-1」についてもその"香
り"すら全く知らない世代に属する。昨年、ホンダ創立の祝いに
『50年史』を作っていただいた。これを大分と読み込み、今まで知
らなかった企業としての歴史の一旦を覗くことは出来たが、当時の
社内に漂っていた"雰囲気"の、確とした部分には触れることが出来
なかった。
私は企業というものを観るとき、この"雰囲気"を重視する考え方を
持っている。ニッサンの項では、これを"社風"という表現で述べた。
何故雰囲気を重視するかというと、他人同士が集まる企業において
は、個ではない、集団としてのメンタリティが社内に漂う"雰囲気"
として最も現われやすいからだ。この集団におけるメンタリティに、
強制はきかない。私は、この集団のメンタリティというのは、それ
ぞれの時代風潮分を勘定に入れる必要があるものの、社会心理学と
共通する部分を持ちながら、企業活力のバロメーターとしてみるこ
とが出来ると考える者である。早計にモノを言えば、活力に溢れた
企業ほど、企業として粘り強いものはなく、逆にいかに利益を上げ
ていようと、或いは売上が伸びていようと、社内に活力のない企業
の将来性はあまり感じない。
今回"F-1"について考えていたときに、ふと『50年史』のことが脳
裏をよぎった。そして「50年史」を読んでいただけではわからな
かったことが、今「F-1」について考えているときに少し見えた気
がした。
0012名無しさん@1周年
NGNG(徐々に弱まりながらも、まだ引きずるように残存していた日本固
有の朱子学的志向)も手伝って、恐らく創業者の強烈な個性を中心
に、今我々がいる研究所の"雰囲気"とは、随分と違っていたことは
間違いないだろう。その"雰囲気"を伝承することの良し悪しの判断
は後世に譲らなければならないだろうが、創業から現在、そして願
わくば将来に至る一貫したホンダの特徴として、先達が後輩である
我々に残してくれる、創業当時の"雰囲気"伝承の手段が、"F-1"或
いは"レース"ではないかと、考えるようになった。
0013名無しさん@1周年
NGNGマジ削除きぼーん
0014名無しさん@1周年
NGNG気に入れば読めばいいし、気に入らなければ読まなきゃいい。
オレは続行希望。
0015名無しさん@1周年
NGNGこれはある種のマスターベーションである
本人及び共通の趣味を持つ物にとっては快楽となるが
その他の者にとっては苦痛又は目を背けたくなる様な
代物である
0016>13,15
NGNG0017名無しさん@1周年
NGNG0018名無しさん@1周年
NGNGそういうネタはHP作って、そこでやりな!
0019名無しさん@1周年
NGNGでも、誰か大まかな内容を教えてくれ。
俺には分からん。
せめて、段落と段落の間に一行空けるとかして欲しい。
0020要約クン
NGNG一環。地元ミシュランタイヤのF-1復帰と抱き合わせという飾り立てたF-1の
大名行列。フランス工場の立ち上がりの関係もあり「なるべく早く参戦して欲しい」
と言われればのらりくらりと参戦時機を変えるPR目的がミエミエの参戦。
トヨタはそういう理屈しか見ない会社。
トヨタF-1活動開始理由は「隣りの芝生」。ホンダのF-1活動がトヨタでは
カネを使ったCMとしてオイシクに見え「それならウチも…」という程度のもの。
カネを出す立場の人達はブツブツ言うだろうが結局は儲けることしか考えていない。
そんなだから負ければ「車が売れなくなる」とすぐ辞める、それがトヨタ。
トヨタは WRCに出場していて「確信犯的」レギュレーション違反を犯し
1年間の出場停止になった。国辱的なことを平気でやる会社。それがトヨタ。
0021名無しさん@1周年
NGNGありがとうございます。
なるほど、トヨタについてですか。
CARTは、とりあえず面子は保てたという事ですね。きっと。
0022エイドリアン=レイナード曰く
NGNG0023>20
NGNGひどい目に遭う「意地悪じいさん」だよ。
0024なんで
NGNG0025俺は
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