(-@∀@)<『社説(衆院選)きょう投票―「私たち」になるために』 [転載禁止]©5ch.net
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0001「あかーらしいあかがきたっ」cv.釘宮理恵@cure happy ★
2014/12/14(日) 07:04:45.34ID:???0どのような社会に生きたいか。そのためにはどのような道筋があるのか。候補者の言葉に耳を澄ませ、有権者ひとりひとりが自分の頭で考え
、身近な誰かと議論し、時に候補者に打ち返す。その契機を提供することが、選挙に期待されるひとつの役割だ。そのような過程をくぐらず
に、社会の紐帯(ちゅうたい)を編み、「私」の中に「私たち」という感覚を育むことは難しい。
思いを託す。
思いをくみ取る。
有権者とその代表たる政治家の間にある大事な回路がいま、切れてしまっているのではないか。政治家が単なる政党の「頭数」として、有権
者が単なる「一票」としてのみあるならば、政治という、本来いかようにもふくらみゆく可能性にあふれた営みはやせてしまう。
この道しかない?
党利党略を超える意義を見いだしづらい選挙である。ならばせめて、「私」と、「私たち」と、その代表を選ぶということの意味を考える機
会にしたい。
■社会の中の分断線
クリスマスを控え、街のあちこちはイルミネーションに彩られている。幻想的な光の渦の中で、家族連れは記念写真を撮り、恋人たちは手を
つなぎ、満ち足りた表情を浮かべている。
東日本大震災が起きた2011年、夜は一段暗かった。被災地から遠く離れた街でも、街頭を明るく照らす自動販売機を見ればなんとなく申
し訳ない気持ちになり、エアコンを入れる時は、彼の地で暮らす知らない誰かに思いをはせた。「絆」とか「日本人として」とか大上段に構
えなくても、同じ国に暮らす者としての共感、「私たち」という感覚があったように思う。
さらにさかのぼれば、民主党への政権交代後しばらくは、沖縄の米軍基地の問題も、「私たち」の問題だった。誰かに負担を押しつけて知ら
ん顔をする、それでいいのだろうか、と。
「私たち」は真剣に考えたのではなかったか。この国はこれからどのような道を歩むべきなのか。本当の豊かさとは何だろうか。だが、そん
なことがあったという社会的な記憶すら、もはやあいまいだ。「私たち」はほどけて「私」になり、ある部分は政治的無関心へ、ある部分は
固くて狭い「日本人」という感覚にひかれてゆき、気がつけば、この社会にはさまざまな分断線が引かれるようになった。
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