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滝廉太郎スレッド

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2008/04/03(木) 10:01:35ID:lNqMOeR1
23歳という若さで死去した、明治期の日本を代表する作曲家で、
「花」「荒城の月」「お正月」といった歌曲、童謡が親しまれている滝廉太郎(1879-1903)について語ろう。

Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E
000852008/04/06(日) 21:01:38ID:axTS0Wy4
>>7
そうなのですね、
教えてくれてありがとう。
是非とも探して聞いてみます!
0009名無しさん@お腹いっぱい。2008/04/07(月) 16:41:04ID:dBewRdN9
「花」って「四季」のうちの一つだったらしいね。
夏・秋・冬を謡った曲も是非聴いてみたい。

あと、「花」は国歌になりうるべき歌だと真面目に思ってる。
0010名無しさん@お腹いっぱい。2008/04/07(月) 20:14:31ID:qM8B6/Gt
滝廉太郎がもっと長生きしていれば、どのくらいの名曲を残してくれただろう、
かえすがえすも残念、惜しい、もったいない。
その当時、医学が進んでいてくれたなら助かっていたかも知れないのに。
0011 ◆0ZOKENdh0E 2008/04/08(火) 09:41:55ID:3L+P179g
>>10
「夭折の天才」というのはどの分野にも少なからず存在するが、
意識無意識を問わず、その芸術家が残りの人生の短さを感じてこそ、生命を注ぎ込むが如き大作が
できあがるのではないか、と思っちゃったりする。
だから瀧廉太郎が70才まで人生があったとしたら、果たしてこれだけ後世まで感動させる作品が
できたかどうか、いつも考えてしまう。
0012名無しさん@お腹いっぱい。2008/04/08(火) 20:30:08ID:vxikQeVv
山田耕作は長生きして数多くの作品を残した、滝廉太郎も長生きしていれば
たくさんの名曲を残したに違いない、惜しまれる。
0013名無しさん@お腹いっぱい。2008/04/09(水) 21:52:42ID:lrNyCVpa
尾崎豊は長生きしたとしても、あれ以上の作品はもうできなかっただろうな。
0014名無しさん@お腹いっぱい。2008/04/10(木) 00:11:59ID:laMEegvW
自分の親戚の弘田龍太郎は当時、滝廉太郎に会ったのだろうか気になる
0015名無しさん@お腹いっぱい。2008/04/12(土) 16:57:30ID:GJwXV09f
>>12
山田耕筰も確かに凄い作曲家ではあるけれど、
「荒城の月」に比肩するほどの、一般世間に対するインパクトの強い楽曲があるとは
大変に失礼ながら思えない。
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