>>519
>ブルーノートをテンションと同じ扱いでヴォイシングに使用される例が見受けられる。
>勿論ジミヘンコード以外にも。
>まずそこからテンションと考えられるのではないかと推論した。

まず、分析方法に疑問。
あなたは最初に「ブルーノートをテンションと同じ扱い」と解釈したということは、
「ブルーノートとコードトーンとテンションノートを同次元に扱う立場をとっている」
と言い換えて良いと思うが
たとえば山下洋輔の『ブルーノート研究』だと、あくまでも
「『ブルーノート』はブルースの旋律として特徴的に使用された音」という
わりかし神経質というか細やかな分析的立場で、機能和声と西洋の旋律とブルーノートとを
区別しようとしてます。
つまり山下は、黒人音楽の要素を西洋機能和声の中で「独善的に」解釈しようとはしてない
と言っていいかと思います。
バークリーメソッドなんかだと、独善的にコンセプトを掲げてやってると思いますが
俺はそれはそれでいいと思ってます。
「まあ、使えればいいや」ぐらいのいい加減な立場で理論に接してるもんで(w
ブルーノートと、三和音(or 四和音)と、テンションと、スケールと、タイミングの
親和性だけ考えて同一次元で片付けてしまって構わんだろという立場。あなたと似てるのかな?
(続く)