うーむ>>842の話でいくと実際の話としてはあり得てもあえて表現するもの
としては内容の流れがとっちらかっているね。

ただテーマとして何を表現して何を伝えるか、という部分はある特定のことがら
として限定的に絞り込んだものとするか、もうちょっと幅を持たせたものとするか、
この作品の場合は監督のコメントから考えるに後者だろうね。このこと自体については
どちらかに必然性があるわけではないと思うよ。

他方、受け手の方は受け手の方で物事の流れを受け止めるにしても今までの積み重ね
とかいろいろな要因があってある大きさをもったキャパシティはあるだろうよ。
そのキャパシティを踏み外した範囲にまで話の展開に幅があるとなると、そりゃあ
ワケワカメ状態にはなるだろうね。これはどんなに歳食っていようがどんなに経験
積んでいようが、程度の差はあっても多分に変わらん。

前にも似たようなこと書いたけれど、このスレでアンチな人は書き込み読むと
おおむねストーリーだのテーマだの系統立てた、あるいは論理的な受け止め方を
しているし、マンセーな人はそーしたファクターはとりあえずのところうっちゃって
いて観る立場としての感性とか感覚的なもので観ているようだね。
まあよく言われる右脳と左脳とかになるけれどそれはどっちがよくてどっちが悪い、
ということでもないし、おそらく受け止め方がこうした形で相違している、とすると
話は永久にかみ合わないような気がする。