権威主義的な脱原発運動
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0001がんばれ的山くん
NGNG活動しておりましたが、最近運動のあり方に大きな疑問を感じるように
なりました。一握りの指導的立場の人間の独断専横に異議を申し立てる
ことは全くできず、末端の人間は従うのみです。また、思想的にも異端
の存在は絶対に許されず、教科書通りの脱原発観から少しでも外れると
すぐさま排除の論理が働くので、異論を述べることなど全くできません。
自己の無謬性を極限まで盲信するさまは、まるで宗教そのものです。
他のグループのことは余り知らないのですが、市民運動とは本来こうい
うものなのでしょうか?それとも私のいるところが特殊なのでしょうか。
あまり好きではないのですが、小林よしのりの脱正義論にも似たような
ことはあったようなので、もしかしたら、運動体の持つ宿唖なのかもし
れませんが。
市民運動にお詳しい方。どうかご教示ください。
0002名無しさん
NGNG反権力を訴えながら、自分達のスタイルは権威主義そのもの。全共闘世代の燃えかすがくすぶってるだけという印象です。
000377a
NGNG0004>3
NGNG0005>1
NGNGもう自分で答え出されていますね。基本的には団体の掲げる
信条に参加するのが市民運動です。当然その信条をはじめに
掲げた人に従うのが当然の理です。単に自分の理想や「気持ち」を
実現するところではありません(と思う)。
ところで聞きたいのですが、どのような団体なのでしょうか。
反原子力団体といってもいろいろあります。
最近の反原発団体は根拠のないデマを流したり、閉鎖的であると
かえって活動の信用をなくすことを理解していますので、
狂信的かつ排他的な団体は少なくなっていると思うのですが。
あと名前は出さなくて結構ですよ。
000677a
NGNGぜんぜん。
0007>6
NGNG00081です
NGNG確かに私は思想信条としての彼らの運動には共鳴しましたし、
それは基本的に今現在も変わっていません。
しかしそれは彼らの人間性に心酔し絶対の忠誠を尽くすことではないと思います。
反原発社会を実現していくという大きな目的があれば、
そのアプローチの仕方やプロセスは色々な形があって良いと思います。
朝日と毎日のみが彼らにとっての正しい新聞で、「産経の記者にもおもしろい記事を書く人もいますよ」
などと言っただけで、もう大変。つるし上げを食らいます。
当然彼らにとっては週刊金曜日がある種のバイブルで、
あの雑誌に共鳴出来なければ、市民運動する資格なしといった雰囲気が蔓延しています。
戦後補償や産廃処理問題やなどの集会があれば、そのたびに動員され、
こっちの日常などお構いなしに参加させられます。
勿論彼らは基本的には穏健な一市民ですので、過激な言動もないし、
開かれた組織を目指してはいるようです。
しかし新しいひとが全く定着しないのは、一つのドグマを金科玉条の如く信奉し
一切の異端、異論を排すといったやり方についていけないからではないでしょうか。
まあ私のいるところがちょっと特殊なのかもしれません。しかし、
他の団体に属する人にもかくの如き漠とした不満をもっている人はいるようです。
0009>7
NGNG0010名無しさん
NGNG思想・宗教・哲学などは実は明確な区別が出来ません。
特に日本のような論理性の少ない社会では。
彼らは思想ではなく宗教をやっているのです(少なくとも行動様式は)
したがって貴方が
>一つのドグマを金科玉条の如く信奉し
と書いている事はまさに宗教活動の行動様式そのもので
彼らにとって当たり前の事なのでしょう。
>よかったね深みにはまる前に気がついて。
0011>9
NGNG0012名無しさん
NGNG>当然彼らにとっては週刊金曜日がある種のバイブルで
というのはドキュン確定。
0013こいつも
NGNG0014あげ
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